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肝試し・2

 町内会肝試し、当日。じきに日もくれるかという時刻だが、集合場所である町内墓地近くの駐車場は集まった人々で俄にざわついていた。桜緒は子どもたちの中にあおばがいないか、しきりにあたりを見回す。ああは言っても結局怖気づいて来ないとなると本来の計画が意味のないものになってしまう。なかなかあおばを見つけられずにいると、手伝いで来ているらしい幹太の姿が目に入った。

「にーちゃん!」

 すぐさま駆け寄って声をかけると、「連絡係」の腕章をつけた高校生はふにゃりとした笑顔で応えた。

「ああ、桜緒君。肝試し参加するんだ」

「あおば見なかった?」

 桜緒の問いに、幹太は集合場所の端にある公衆トイレを指さした。

「一番乗りで来たと思ったら、あそこにこもったきり出てこないんだ」

 どうりで見つからないはずだ、と桜緒は溜息をついた。開始時刻が迫って来ると、町内のおばさんがトイレにこもっていたあおばをどうにか説得して……というよりは引きずり出してきた。それを見て、桜緒は心の中でにたにたと笑い、そしてすかさず青ざめた顔の少女に近寄る。

「あーおーばー。何隠れてんだよ」

「げ、根暗男……別に隠れてないし。ちょっとお腹痛くなっただけだから」

 そう言う少女の視線はあちこちに移って落ち着きがない。これだけ弱っている彼女を見られただけでも収穫はあったと思えるぐらい、あおばは肝試しに参っているようだった。

「はーい、静かにー! 参加者のみなさんはよくきいてくださーい」

 集合場所の中心で、町内会の実行委員が肝試しのルール説明をはじめるようだ。桜緒は嫌そうな顔を隠そうともしなくなったあおばを連れて、実行委員の近くに陣取って説明を聴く体勢に入った。

 要約すると、肝試しのルールは以下の通り。


 ・二人で一組をつくる。一組に懐中電灯一本と半紙一枚を支給する。

 ・集合場所から北にある雑木林の脇の道を抜け、その先の町内墓地のチェックポイントまで行く。

 ・チェックポイントにある判子を半紙に捺す。

 ・あとは戻ってくるだけ。判子をちゃんと捺せていれば参加賞のお菓子一封を進呈。


 なんだ、簡単じゃないかと桜緒は落胆したが、隣のあおばの視線は宙を泳ぎ、指先は小刻みに震えている。これは想像以上にこういった類のことに対する免疫がついていないらしい。普段は桜緒の家にあるホラーゲームを楽しそうにプレイしているのだが。ゲームとはいえ、昨今のリアルなグラフィックのゾンビや怪物を銃でぶちぬいたり、幽霊を写真に収めたり、エイリアンを工具で斬殺したりはできるのに不思議なものだ。まあ、今彼女(自分もだが)に持つことを許されているのは銃でもカメラでも工具でもなく、ただの懐中電灯と紙きれ一枚だけなのだから無理もないかもしれないが。

「それと注意点がいくつかあります! まず雑木林には入らないこと。暗くて危険です。そしてチェックポイントの判子を押したら、来た道をまっすぐ帰ってきてください。他の道を使って近道なんてしないように……」

 つまりは迷子になるとあとあと面倒だから寄道するなということだろうか。チェックポイントからこの場所までは一本道だ。そう簡単には道を見失うことはないだろう。わざと逸れるような輩がいるのであればわからないが。

「では、二列に並んでー。最初の組は懐中電灯と紙を貰ってスタートしてください」

 その合図でさっさと並んでしまおうとしたが、少年の右手に勢いよくあおばがしがみついてきた。

「ちょ、あおば?!」

 急に手を掴まれたのでバランスを崩しそうになるが、なんとか持ちこたえて立ち止まる。彼女の顔を見れば、日に焼けているのはずの肌が青白く染まっている……ように見えた。それほど見事に生気が抜けた表情であった。もうこの少女が幽霊なのではないかと思えてくる。

「おま……手離せよきもいな」

「ねく、ね、根暗男、一緒に行ってやる、よ……」

 我道を行き清々しいほど図々しい常のあおばはひどく鬱陶しいが、今の必要以上に怖がっているあおばもこれはこれで鬱陶しい。これで懲りて態度を改めるなり大人しくなるなりすれば儲けものだが、ここまで豹変するとうまく転ぶのかどうか不安になってきた。あおばの行動が全く予想できない。

 桜緒は右手にしがみついている少女をなるべく刺激しないようにしながら、肝試しの最後列に並んだ。すぐ横からかちかちと歯を鳴らす音が聞こえるが、聞こえないふりをした。少年は少女のひどい変わりように、軽く引いていた。同時に何故か一歩大人に近づいたような気がした。

 一組目が出発して数分後、甲高い悲鳴がかすかに響いてきた。時間と音の届き具合からみて、おそらく雑木林脇の道を中ほどまで行ったあたりだろうか、桜緒は予想した。あのあたりは街頭が少なく、木々や雑草も多いので隠れる場所が多いはずだ。

「人柱……」

 あおばのせいで並び順が後ろになってしまったが、おかげで桜緒には大体の仕掛け人の配置がわかってしまった。悲鳴は雑木林の途中で一回、出たところで一回、あとは帰りに出現位置をずらしてもう一回。他にも悲鳴があがる箇所はあるものの、それは躓いたのか、あるいは物音に反応してしまったなどのイレギュラーの可能性が高いので、統計的にはこれで間違いはないはずである。

 チェックポイントは遠いのでよくわからないが、まあ十中八九スタンバイしているだろう。出現するのはおそらく判子を捺した瞬間、一番気が抜けた時に驚かそうとしてくる確率が高い。ちなみに先の組がチェックポイントから折り返してくるタイミングは、「連絡係」の手伝いをしている幹太が定期的に携帯のメールをチェックしているため、その様子でおおよそ把握できる。

 先行組は続々と判子を捺された紙を手に戻ってきていた。順番が迫る中でも冷静な桜緒とは対照的に、あおばの怯えっぷりは加速し続けていた。少年の右腕が締め潰されるのも時間の問題かと思われたが、いよいよ最後の二人まで順番が回ってきた。

「頑張ってね、ふたりとも」

 幹太に励まされ、懐中電灯と半紙を受け取った二人……うんざりしたような桜緒と最早かろうじて直立して引きずられているだけのあおばは、すっかり暗くなった雑木林の脇の道へと向かって行った。

「最終組出発したって連絡回さないと……」

 幹太は携帯を取り出し、肝試しコースに配備されている仕掛け人にメールを送信しようとした。

「ん? あれ……」

 受信箱を確認すると、チェックポイントにいる仕掛け人からの未読メールを受信していた。開いてみると、入力し損じたのか不可解な文字列が並んでいる。記号も変換も滅茶苦茶で、もしかしたら仕事が暇で悪戯でもしようとしたのかもしれない。

「全く、ボランティアとはいえ不真面目……あ、まだ下に」

 メール本文には滅茶苦茶の文字列の下にいくつも改行が挿入されていた。手の込んだ悪戯だ、と思いながら、幹太は最後までスクロールしていった。そこには、ようやく文として読み取ることができる、意味を持った文字列があった。



『く る  な』




「あおば、目ぇ閉じてみ」

 雑木林の脇道中間まで進んだ桜緒は少女にそう指示して、彼女はそれに従った。少年自身は空いている方の左手と、右肩で彼女の頭を押さえつけるようにして耳を覆った。手首しか動かせない右手で持っている懐中電灯を使って茂みの奥を照らすと、何か大きなものが蠢くのを捉える。

「うーらーめーしーやあー」

 鬱蒼と茂る木々の陰から、お馴染の台詞と共に白装束と三角頭巾の幽霊がぬうっと飛び出してきた。

「……お疲れ様です」

 軽く会釈をしてから、桜緒はあおばの耳を塞いだままの状態でさっさと進んでいった。怖がる様子もなく淡々と奥へ向かう二人を見て、幽霊に扮した佐々木大吾さん(39歳・会社員)は、数十分前に通過した鬼のように泣きわめいて走り去っていった自分の子ども達とのギャップに唖然としていた。

「ね、根暗男もう目ぇ開け、開けていいか?」

「もーちょい待って」

 不安げに訪ねるあおばに桜緒は答えるが、まだ耳は塞いでいるので聞こえるはずもなかった。しかし、あおばはそれが自分の使命であるかのごとく顔の中心に皺が寄るほど目を閉じ続けている。

 もはや少女の行動を改めさせるどころではない。少年は一刻も早く肝試しを終わらせて帰りたかった。もう十分だと思った。これ以上何か得ようとしても同時に何か失いそうで、もやもやとしたものが胸の奥に渦巻いているような気がした。途中で驚きすぎて腰を抜かされても困る、このままあおばの目と耳を封印したまま進もう、桜緒はそう固く決意したのだ。

 二人は脇道を無事に抜け(ろくろくびに扮した福富真美子さん29歳主婦をスルーし)、町内墓地へとやってきた。ちょうど盆休みが明けた時期だったためか、ぼんやりと電灯が照らす墓石や石畳は心なしか綺麗に磨かれている。真新しい仏花が供えられている所もあり、頻繁に人が出入りしているのが伺えた。

「チェックポイントは……あ、あった」

 ちょうど墓地の中央奥、水汲み場のあるあたりに小さな机が設置され、その上に手のひらサイズほどの大きな丸い判子とインク台が置いてある。桜緒はそれらを確認すると、少女の耳を開放した。気温は高いものの、風があるおかげで幸い汗ばんだりはしていなかった。

「あおば、たぶんこれから驚くことになるから、耳、自分で塞いどいたほうがいいよ」

 さすがに両手を自由に使えないさっきまでの状況では判子を捺すことはできない。あおばはいつになく素直に桜緒の助言に従い、桜緒から手を離して耳を覆った。

 桜緒は辺りを警戒しつつ、机の上に半紙を置き、判子にたっぷりインクをつけてから捺しつける。驚かせるならここだ、ここしかない。

「来るか?」

 少年に緊張が走る。判子をゆっくりと半紙から離し、台に戻す。……だが、何も起きない。

「何だ、絶対ここで来ると思ったのに」

 拍子抜けだ、と肩を落として、少年はすぐ後ろでしゃがみこむあおばの背を指でつつく。

「わああああ!」

「うわっ!? あおば、俺だって」

 身体に触れられたことに驚いたのか、少女はしゃがんだままカエルのように跳ねあがって悲鳴をあげた。そして正体が幼馴染であるとわかると、深呼吸してから立ちあがり、腕を胸の前で組んで少年を睨みつけた。

「驚かせんっ、なよな、根暗男」

「うっぜ。早く戻ろう。判子捺したからさ」

 二人が墓地を後にしようとした、まさにそのときであった。


――ホシイ――


「……あおば、今何か言った?」

 少年が耳にしたのは女性の泣き声のような、呻きのような、音。

「な、何言ってんだよ、私何も」


――カラダ――


 今度は少女の耳にもはっきりと聞き取れた。

「え? え? 今の何?」

 無意識なのだろう、あおばは出発時と同じように桜緒の右手にしがみついた。

 少年は恐怖よりも、むしろ自分の予想が外れた戸惑いを隠せない。肝試しの仕掛け人なら、何故チェックポイント通過という一番安心した瞬間に出てこなかった? 裏をかいて墓地を出る瞬間を狙ったのか? しかしそれでもこのタイミングでは中途半端であるし、この演出にしてもインパクト不足である。

 この声は「驚かせるため」のギミックではないのか?

「やだ、なんだよ、根暗男早く帰ろうっ」


――タリナイ――


「いちにのさんで走って墓地を出よう、何かやな感じがする」


――ワタシニ――


 音は次第に近く、はっきりと聞こえてくるようになった。雑音のようだったものが、人間の口から出る「言葉」と受け取ることができるほどに。それに、発せられる間隔が短くなっているような気がする。

 それは人間が人間を驚かそうとして出す声ではなかった。良くも悪くも純粋で、とても強力な欲望を模るものだった。


――アア――


「いち、にの……」


――ワタシニカラダガカラダガアレバホシイオマエホシイホシイホシイカラダ――


「さん!」


 桜緒とあおばは、一目散に墓場の出口まで駆け出した。後ろから来るとてつもない威圧感で振り向くことはできない。いやできたとしてもしたくない。音も、影も、空気も何もかも静かで、しかし確実に何かが「いる」、そして二人を追いかけてきているということを、理解できてしまった。勘違いならそれでいい。今は逃げなくてはならない。

 墓地の石畳が茶色の土の地面にかわる。草が刈られて開けた場所から、伸び放題の草むらへ。落ちた木の枝が踏まれてぱきぱきと折れ、蹴りあげた砂と混ざる。じきに雑木林横の脇道だ。そこを下れば大丈夫。逃げ切れる。そう信じたい。夢ならそうだ。これは夢なのか? わからないが足は動く。はやく、もっとはやく逃げないと追いつかれる。


――ツカマエタ――


 甲高い女の声が嬉しそうな響きを奏でた。少年は思った。「捕まえた」? 嘘だ、だって自分の足はまだ動いている。地面を蹴って加速している。そして彼は気付く。

 どうしていつも自分を追い越していく幼馴染が隣にいない?


「いやだあああああああああああああああっ!」


 桜緒は後悔した。どうして、彼女を肝試しに誘ってしまったんだろう。この声は知っている。さっきまで、ついさっきまで隣にいた彼女の声。幼馴染の声。根暗男なんて不名誉なあだ名をつけた声。肝試しを怖がっていた声。怖くないと強がっていた声。


「あおば!」


 加速を緩め、急転換する。向き合いたくなかったそれと向き合う。しかしその嫌悪と恐怖よりも、まっ先に彼の身体を動かしたのは、「少女を助けたい」という想いだった。

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