9話
「隆博。お前最近元気ないな。」
「そんなことないよ。」
「おー?里佳子ちゃんと喧嘩でもしたんか?」
「してないよ。だまれよ。講義中だぞ。」
4時限目の授業に出ていると、後ろの席に健二が来て僕の背中をペンで小突いた。
「なー?俺んらとも最近つき合い悪いなあ。」
「うるさいぞ。」
僕が少し声を荒げたせいか、前の席にいた2、3人の生徒が振り返った。慌てて頭を下げる。
「あとにしよ。昼飯おごるわ。」
「やった。」
講義が終わった後、健二と連れ立って学食に向かった。
「や、あれから里佳子ちゃんとうまくいってるのか気になってな。」
歩きながら健二が話しだした。
「まめに連絡くれるよ。メールとか。」
「あの子からか?」
「そう。」
「おまんからもデートとかちゃんと誘っとるのか」
健二が責めるように言った。
「時々会ってるよ。今夜も食事する約束だし。」
「そうか。」
少しほっとしたような表情をこちらに向けて、健二が笑った。
わかってる。健二が気にかけてくれてること。心配してること。
健二とは高校生からの付き合いだ。クラスで後ろの席にあいつが来たのがきっかけで仲良くなった。いつも居眠りしてるやつだった。それでも不思議と授業の内容は頭に入っているみたいで、試験ではそこそこちゃんと点を取っていた。あいつが背の高い僕の背中を隠れ蓑にして、いつも居眠りしてるのを知ってた。あいつは〝いつもすまんな。おまんの後ろでラッキーだよ。〟って頭をかいてた。
どちらかというと淡白で奥手な僕の女関係を心配してくれてるのは、長い付き合いだから、彼の面倒見の良い性格のせいか、いや、でも本当はもっと違う理由で僕のことを心配してるのだとわかっていた。お互いそのことを口にすることはないけど。
「それで多少付き合いは進展したんか。もうやったか。」
「あほか。」
僕はちょっとむっとした。これ以上彼女の話題を振られると困る。だって、進展も何も健二に報告することなんて何もないんだし。
すると、行く途中でばったり裕樹にも会った。胸を撫で下ろした。
「お、お前ラッキーだぞ。隆博が飯おごってくれるって。」
健二がそう言って、裕樹まで昼飯に誘ったので、
「あほか。裕樹の分までなんか知らんぞ。」
反論した。
「なんよ。今日は隆博のおごりなんか。」
にこにこと裕樹までおごってもらうつもりで後ろをついて来る。
「あほ、自分で払えよ。」
とは言ったが、結局面倒くさくなって3枚まとめて食券を買った。
カウンター越しに
「おばちゃん、大盛り、大盛り!」
「お姉さんといいな。誰がおばちゃんや。」
健二が食堂のおばちゃんと軽口をたたいているのを見て、(あいつはいつも気楽そうで、いいなあ。)などと、思ってしまった。
テーブルに3人で座り、僕のおごりのカツ定食を食べ始めると、あっという間に食べてしまった健二が
「俺、ラーメンも食べるわ。」
勢いよく、食券を買いに席を立った。
「相変わらず、あの食欲には負けるわ。」
裕樹も呆れ顔だ。
「しかし、だいぶ顔見なんだな。」
「うん、授業は出てたんだけどな。」
「忙しいか。」
「バイトが結構入ってて。」
「そうか。」
そこへラーメンをトレイに乗せた健二が戻ってきて、
「ほうよ、俺が誘っても合コンにも来んわ。つまらん男よ。」
「悪かったね。俺が行かんほうが、お前んらに女の子が回ってくる率が高くなるだろう。」
そう言うと、
「まあ、野郎は少なくて女の子の数が多いのはいいけどな。」
裕樹も笑った。
それで僕らは、食堂に備え付けてある自動お茶汲み機の生温くて薄い煎茶を啜りながら、たわいもない話をしていた。そうすると思い出したように裕樹が
「そういえば水木先輩んとこ。大変だったらしいぞ。」
戸惑った僕の表情を見て、裕樹が続けた。
「ああ、お前知らなんだか。彼女、流産しかかったらしくて。」
「そうなんだ。それで?」
「うん、ずっと入院していたんだけど、持ち直したらしくて今は実家に帰って安静にしているらしい。」
「そりゃ、大変だ。」
「ずっと、付き添って病院に行ったり、いろいろで大変だったみたいだけど、だいぶ落ち着いたらしいな。」
聞くと、先輩が店にぱったり顔を出さなくなった辺からの話で、僕は合点した。
(そうか。別に言ってくれればいいのに。)
水臭いなと思った。結構行き来してたのに。そういうことは話さないんだから。
こないだ電話した時にでも言ってくれればよいのにと思った。
「さてと、次の講義が始まるからそろそろ行こうか。」
裕樹がトレイに食べた食器やら灰皿を乗せ始めた。僕も席を立とうとすると、メールの着信音がなった。
(里佳子ちゃんか。)
携帯を見るとやはり彼女からだった。
『今日大丈夫?6時に時計台のところで待ってるね。』確認メールだ。
『大丈夫だよ。後でね。』すばやく返事をし、携帯のフラップを閉じる。
それで僕は夕方までの授業をこなし、約束の時間に駅にすっ飛んでいった。
ぎりぎりだ。いつも彼女は先に来て待っている。だからこそ少しでも遅れることが気がかりだ。腕時計に目をやると6時ジャスト。遅れなくて良かった。
時計台の下で待っている彼女を目に留め、手を振る。薄いベージュのニットポンチョにスキニーのデニムに黒いブーツを履いた彼女が同じように手を振る。スポーツが好きな彼女は、毎週プールに通っている。そのせいか、程よく筋肉質で長くて形の良い足をしている。綺麗な子だ。
駅前から東南に伸びた繁華街を僕らは並んで歩く。僕の左側を歩く彼女の手が手持ち無沙汰のようにポンチョの裾から出ている。
手を繋ぐべきかな。ふと思う。
だけど、僕はコートのポケットから手を出すことをしなかった。
「ここのデミグラソース絶品ね。」
美味しそうに口を動かす彼女に、
「どのハンバーグもうまいね。」
僕も返す。
彼女とこの店に来るのは2回目だ。クリームコロッケやハンバーグが美味い可愛らしい洋食店はいつもカップルや女の子のグループで一杯だ。
「パンのお代わりはいかがですか?」
店員が籠に焼きたてのパンを持ってテーブルを回っている。
「パンも美味しいからたくさん食べたいんだけど、もう私このハンバーグでお腹一杯だわ。」
「食べれるよ。僕はお代わりしよう。里佳子ちゃんももう少し食べたら。何とかは別腹って言うじゃん。」
「それを言うなら、甘いものは別腹でしょ。」
「デザートもどうぞ。」
僕はおどけて笑った。
彼女と会うのはこれで何回目だろう。数えるくらいしかまだ会っていないけど、僕らは昔からの友達のように気安くいろんな話をした。確かに彼女といるのは楽しいと思った。明るく気さくな子だ。変な気を使わなくてもいい。でも、恋人として付き合っているのかどうなのか、僕の気持の中ではまだはっきりしていなかった。
お互いの学校の話、友達や遊びの話、いろんな話をしてるうちに時間が過ぎた。ころあいを見て店を出、賑わう繁華街の町並みを見ながら僕らは歩いた。
「どうしようか。」
これからの行動を問うと、
「そうね。」
ポンチョの袖から手を出し、彼女は僕の手に触れた。反射的にそっとその手を握ると、もう戻れないような気がした。
「もう少し隆博君といたいな。」
そう甘えたように彼女はつぶやいた。