6話
「だからさ、断ってって言ってんだろ。」
「はああ。何?」
健二め。聞こえんふりだな。
メットを思いっきりくっつけて、大声を上げる。
「だからさ、そんな気ないんだって言ってるだろ。」
健二のバイクの後ろにまたがって、僕はまた大声を張り上げる。
キキィ。
「痛て。」
急停止したバイクの反動で、メット同士ががつんと音を立てた。
「急に停まんなよ。」
「赤だよ。」
前方の信号を彼が指差す。
「俺さあ、おまんのこと心配してんだよ。里佳子ちゃんいい子だからさ。1回ふたりでどっか行ってみろよ。きっと気に入るよ。」
里佳子ちゃん。ああ、そんな名前だったっけな。こないだのサークルの日帰り旅行。北陸へ行って魚を食べて、パターゴルフした。あの時、健二と女の子ふたりとグループになってパター場を回った。あの時、一緒だった女の子のふたりのうち、髪の毛の長い目がくりっとした活発そうな子。あの子。
「う~ん。でも。」
「でもじゃねえよ。男から断るなよ。普通。」
そうだけど。僕は健二に気づかれないように小さくため息をついた。
だってまた同じでしょ。どの子と付き合っても一緒だよ。言いたかったけど、口をつぐんだ。健二が心配してくれてるのよくわかっていたから。
あのパター場で、里佳子ちゃんが僕を気に入ってくれたらしい。健二を通じて連絡があり、今日はその里佳子ちゃんとデート。どこへ行けばいいんだか。考えるのも何だか億劫で。
健二の予定では、駅前で彼女と待ち合わせ。3人でちょっとお茶して、その後は彼女を連れてどっか行って来いってやつ。こないだから言われてたんだけど、気乗りがしなくて、ずるずるすっぽかしていたら、いい加減業を煮やした健二に無理やり拉致されて連行されているってわけ。
どうして、僕が気乗りしないのかっていうと。
「おい。何とか間に合ったぞ。」
嬉々として健二が声を上げ、駅前のロータリーにバイクを滑らせた。
駅前のロータリーの駐輪場にバイクを止めて、待ち合わせの大きな時計台の下に目を向けると、もう彼女が来ていた。僕の姿を目に留め、はにかんだように笑顔を向けた。僕もぎこちなく笑顔を返し、手を振った。確かに可愛い子だけど。
「お待たせ。こいつがぐずぐずしてるもんだから、出かけるのが遅くなってすまんね。」
健二が僕のシャツの袖を引っ張った。何がすまんねだ。濡れた髪にろくすっぽドライヤーもかけさせてもらえず、本当に風邪を引きそうだ。
「大丈夫。今来たところだから。」
彼女は、来ているニットの袖を直して、バックを肩に掛けなおした。何となく緊張している感じが伝わってきて、余計に僕も緊張しそうだ。
「そこのプレシュウズでいい?」
健二が駅前に面したガラス張りのこじんまりしたカフェを指差した。
「ええ。」
彼女が頷き、3人で店に向かって歩き出した。
「あの店、オープンテラスもあるね。いいね。外でお茶飲むのも。」
健二が愛想よく笑った。
だからさ、寒いんだって。髪の毛乾いてないから。
僕は乾いてない髪の毛が気になって、頭に手を伸ばす。彼女がそれに気づいて、
「堀江くん。こないだと何だか髪型違う?」
「ああ、変?シャワー浴びてきたもんだから。」
彼女は首を振って、小さく笑った。
あれからカフェで健二と別れて、僕は里佳子ちゃんを連れて近くのイタリアンレストランへ行った。そこでスパゲティとピザを頼み軽く食事をした後、地下鉄を乗り継ぎ、港の近くの水族館まで行った。
彼女は、僕らの学校の割と近くにあるS女子大の2年生。あのサークルにはちょくちょく来ているらしかったが、僕は本当にたまにしか参加しないから、どんな女の子がいるのがあまり知らなかった。だけど、里佳子ちゃんは僕を知っていたらしく、こないだのパターで一緒に過ごせて嬉しかったと言った。 食事をした時、真正面からじっくり彼女を見るたら、確かに可愛い子だなと思った。こないだは気がつかなかったけど、笑うと小さなえくぼが出来て、くりっとした目元が愛らしい。だけど、何故僕なんだろう。健二の方がいい男だと思うけど。
水族館で、ペンギンが飛ぶように泳ぐのが面白く、じっとその場に座り込んだようにして動かず見ている彼女の脇で、僕もじっとペンギンの姿を目で追っていた。
「今日は嬉しかった。」
目を水槽に向けたまま、彼女が言った。
「うん。」
僕はこのデートを2回すっぽかしていたから気まずく、曖昧に返事を返した。
「堀江君ともっとゆっくり話してみたかったの。だから思い切って杉原君に頼んでみたの。」
「うん。」
僕は返す言葉がない。
「また、会ってくれる?」
黙っていると、
「駄目かな。」
彼女の声が震えていた。
「僕なんかつまんないよ。」
「そんなことないよ。」
〝男から断んなよ。〟
健二の怖い顔が浮かんできた。
「そうだね。今度はアシカのショー、見に来る?」
ついそう答えてしまった。
どの子と付き合っても長続きしない。どうしてなのか、理由はわかっている。
僕がその恋に執心してないと、女の子の方が先に感づいて僕の元を去っていく。大体はそのパターンだ。熱が入らない。悪いとわかっていても、その子のことを本当に好きになれない。恋人の振りはいくらでも出来るけど。
食事してドライブして、ベッドに入るだけ。
形のない愛だけを信じていたあなたは、本気で愛すること恐れてるだけ。
あれは兄貴の好きな浜田省吾の歌の歌詞だったけ。兄貴がいつも風呂場で歌っていた。
そう、僕は何に怯えているのだろう。
結局、メルアドと携帯の番号を交換した。
そのうちアシカのショーを観にいかないといけないだろう。
ちょくちょく彼女がくれるメールに返事を返す。短く返信し、送信ボタンを押した後、携帯をカウンターの下に置き、グラス磨きの続きに取り掛かる。
あれからあっというまに月日が経ち、店の奥のカレンダーに目をやると、来週の水曜日、定例のワークショップの日が間近に迫っていることに気がついた。
僕はこれで3回休んでる。何だかあれ以来水木先輩と顔を合わすことに気が進まない。あの夜のことが尾を引いていた。僕はそういう趣味はない。むろん先輩にもないだろうし。彼は酔っ払っていてそんなことは覚えていないかもしれない。でも、僕は覚えている。だからなんとなく気まずい。そんなことを考えながらグラスを磨いていると、オーナーがバックヤードから叫んだ。
「隆博。レモンがきれてた。買ってくるから店番頼むぞ。」
「オーナー。僕が行きますよ。」
「いや、いいんだ。自分の用事もあるから、ちょっといいか?」
「ええ。どうぞ、ごゆっくり。」
ここは僕のバイト先。親父の知人がここのオーナーで、ちょっとしたパブをやっている。いつも店は薄暗く、オーナーの好きなオールドジャズがいつもかかっている。客層もかなり上だな。男性客が多い。しっとりとした感じの大人のカップルとかね。親父の知人ということでかなり融通が利く。ありがたい。僕はグラスを磨いたり、掃除をしたり、客の相手、ちょっとしたおつまみを作ったり、いろいろ。
手が空くと、オーナーが好きなジャズのレコードを聞かせくれる。ベイブ・ブルーバック。ジョーン・コールドウェル。物悲しいような哀愁を漂わせるトランペットの音色。親父たちが若かりし頃良く聞いたアーティストたち。その音楽を聞いたこともない、アーティストの名前すら知らなかったが、その音色は古さを感じさせない。心地よい振動が僕の脳の中に入り込んでくる。プレーヤーにかけると、所々音が飛ぶレコードをなだめるようにして、オーナーは大事そうに何度もレコードをかける。まるで自分の青春の思い出を大事に懐で温めるようにして。
僕は薄暗い店内を歩き回り、テーブルを拭き、ごみなどが落ちていないかチェックをし、冷蔵庫を覗き込んだ。氷は充分にあるし、飲み物の在庫もチェックした。どのジャズをかけるか店のCDラックをぐるぐる回しながら選んでいると、ドアベルの音がして店のドアが開く音がした。
オープンにはまだ少し早いしどうしようかと迷ったが、開店灯のスイッチを押し、「いらっしゃいませ」とドアの方へ声をかけた。