5話
1週間後。
学内の廊下でばったり水木先輩に会った。先輩は僕を見かけると軽く手を上げ、
「隆博!」
大きな声で僕を呼んだ。
「この間は悪かったな。まったくあんなに飲んだのは久しぶりだ。」
「乃理子に聞いたんだが、えらい迷惑かけたらしいな。」
子供のような顔をして笑った。
「いえ。」
先輩のそのくったくのない顔を見ると何故か胸がどきんとした。それを悟られまいと、
「もう一緒に住んでるんですか?」
僕は彼女のことに話題を振ってみた。
「・・うん、まだ籍はこれからなんだ。だが、とりあえず乃理子が一緒に住みたいっていうもんだから、今の俺が住んでいる所へ呼んだんだ。」
(ふうん。なるほど。彼女は年上みたいでしっかりした感じにみえたけど、きっと先輩にべったりなんだろうな。なんだかそんな気がする。)
「へくっしょん。」
オーバーアクションで彼がくしゃみをしたので、
「風邪ですか?」
聞いてみると
「うん。まあ、たいしたことないけどな。」
「それより、明日サークル内の日帰りの旅行、行くんだろ?」
明日、北陸の方へ出かける予定だった。これは授業やワークショップとは関係ない。まったくのお遊びだ。気のあったメンバーで、テニスやスノボーや旅行など。お遊びサークルだな。健二が入っていて誘われたから、たまに気が向くと参加している。女の子も多いから、出会いを求めて入ってくるやつが大半だが。健二らしい。僕はそんな軽いノリが嫌で、健二にしつこく誘われると、仕方なしにたまに参加するくらいだ。
「あれ、先輩も入ってるんですか?」
「まあ、ほとんど出ないけどな。」
と言って、僕も知っている同じ学年の先輩の名前を出して、その人に誘われるとたまに参加するようなことを話した。僕もたまにしか出ないので、水木先輩もそのサークルに籍をおいているとは知らなかった。
「明日、行くんですか。」
「うん、お前も行くんだろ。」
「ええ。」
「そっか。じゃ、また明日な。」
そういって先輩は手を振って去っていった。いつもと同じ先輩だ。あのことはやっぱり酔っ払っていたんだろう。
バスは海沿いの国道を走り続けていた。前の席に座っていた健二が座席越しに顔をのぞかせて
「隆博。大丈夫か?」
声をかけられてはっとして顔を上げた。
いろんなことをあれこれ考えていたものだから、目的地に着くまでずっとぼんやりしていた。次の目的地の大きなレクレーション施設の門が見えてきた。そこで皆でパターゴルフをすることになっていた。38ホールはあるけっこう大きなパター場だ。
バスが止まった。僕が大丈夫だと答えると、彼は僕を誘い数人の女の子とバスを降りた。
彼女たちがパター場を一緒に回ろうと、僕の回りを囲んだ。それに答えながら、僕の目は水木先輩を追っていた。
何故だろう。先輩のことが気になった。あの夜のことを何か先輩が言うのではないかと思っていた。それは期待なのか、何なのか。確かめたかったのか。
何を?でも、そんなことなど何もなかったかのようにいつもと同じ彼だった。
さっきは風にあたりにきた僕を迎えに来たのかと思ったが、何も特別なことは言わなかったし、今も女の子たちに囲まれて、誰とコースを回るか雑談をしている。
「隆博くん。なんだか今日はぼんやりしてる。」
「ねえ。せっかく久しぶりに参加してくれたのに。」
彼女たちが口々に、僕がぼんやりして楽しんでいないことを責めた。
これはいかんなと僕も思い直し、
「よし、なにか賭けようか?一番になった人にはみんなで何かおごるとか?」
「やった。アイスクリームとか?」
「何でもいいよ。」
「でも、女性陣にはハンデつけてよ。」
「そりゃ、もちろんだ。」
健二が愛想よく笑い、僕たちは女の子2人と4人のグループになり、パターを借りに受付へ向かった。
誰だろう。気持ちよく寝ているのに。
誰かが、僕の首を手で触れる。その手を払いのけようとすると、執拗に僕の首に腕を巻きつけ、引き寄せて口づけしようとする。僕が顔を背けて逃れようとすると、ものすごい力で頭を押さえつけて唇を寄せてくる。息が出来ない苦しさにそれを跳ね除けようとすると、腕を掴まれ、そいつは執拗に僕の口をふさぐ。僕はひどく嫌がっているんだけど、どうにも出来ない。うっすら目を開けて、相手を確かめようとする。そこで、はっとする。
(先輩!)
頭の側で目覚し代わりに置いてある携帯電話のアラームが鳴っている。その音で目が覚め、反射的に手を伸ばしてアラームを止める。
(・・・寝汗が気持ち悪い。)
べたべたした寝汗が首筋にまとわりついている。
僕は今見ていた夢を反復した。
(何故だろう。ひどい夢だ。)
(こないだのことがよほどショックだったらしい。)
先輩だった。
ひどい夢だ。
振り払おうと思えば思うほど、執拗にあの夜のことを思い出してしまう。
あれから北陸へ行ったときも、先輩のことが妙に気になってしまった。知らぬうちに目で彼を追ってしまっていた。
先輩はどうもあれから僕のことを微妙に避けているみたいだ。あの時もあまり話らしい話もしなかったし、目が合うとふっと、目をそらした。
僕の気のせいだろうか?というか何故僕があの人に執心しなければならないんだ。ばかばかしい。確かに憧れてる先輩だと思うが、あれくらいのことで、動揺して・・・・
これ以上ベッドの上でじっとしていると、変な妄想に捕らえられそうで怖くなり、布団をはねのけてシャワーを浴びることにした。
時計を見ると10:30を回っている。カレンダーを見る。土曜日だ。
やばいな。急がないと間に合わないかも。
というか、すっぽかそうか。気乗りしない約束に出かける気力が失せる。しかも、寝過ごした。今から準備して出かけてもぎりぎりだ。
さて、どうするかと思案し、とりあえずこの気持悪い寝汗を何とかしないと、そう思い浴室に飛び込む。コックを捻り熱い湯を浴びているうちに気分がすっきりしてきた。シャワーを浴びながら、どうやって断るか思案し始めた。
(ごめん。風邪引いたみたいで起き上がれないんだ。)
それとも、
(母親から急に呼び出されて、実家へ行かないといけないんだ。)
とか。
すると、部屋の向こうからシャワーの水音に混じって、電話の呼び出し音が聞こえた。
(やばい。健二だ。)
タオルで身体を拭きながら浴室を出て、携帯を手に取る。
「ごめん。健二。どうも風邪ひい・・・」
言い終えるのを待たずして、彼が大声を上げた。
「いかんぞ。隆博。もうおまんのアパートの下まで来てるぞ。」
「えっ。」
絶句した。バスタオルで腰を巻いたまま、部屋の窓を開けると、
「お~い。」
バイクにまたがった健二が手を振っていた。
「何だよ。」
声を上げると、
「おまん、今日もすっぽかすつもりだっただろ。こうやって俺が迎えにこれば行かんわけにはいくまい。」
はあ。ため息をついた。仕方ない。行くか。
窓をぴしゃんと力任せに閉めると、しぶしぶクローゼットからシャツを取り出した。