41話
文さんに続いて台所に入ると
「ほれ。」
と言って彼女がエプロンを僕に放り投げる。
「いいですよ。」
エプロンを返そうとすると
「服が汚れるやろ。」
無理やりエプロンを首からかけようとする。が、文さんの身長じゃ僕の首まで手が届かない。その様子を台所の入り口にもたれかかって悟が見ていた。
にやにや面白そうに見ている彼に向かって
「何見てんだよ。」
悪態をつくと
「いや、いいコンビだなあと思って。」
「なんじゃ、悟。お前も手伝うんか?」
「やだなあ。俺が料理全然出来ないの知ってんでしょ。」
苦笑いしながら、彼はさっき買った菓子の包みを文さんに手渡す。
「おう、これは金蝶堂の。」
彼女の口元から笑みがこぼれる。
「いつもの。羊羹とそば饅頭。」
「おお、すまなんだな。」
やはり好物みたいだ。嬉しそうな文さんが僕に向かって
「うちは甘党でな。ここのが一番や。」
「後で頂くで、悟。仏壇へ飾ってきてくれ。」
と言い、包みを悟の方へ渡した。
「うん。」
そのやり取りを見ていると母子みたいだ。目尻の下がった彼の表情を見ていると特にそんなふうに思う。仏壇のある座敷へ行こうとして悟が振り返って言った。
「そうそう、文さん。隆博は料理すごく上手だから。何でも出来るよ。」
「おう、そうか。」
嬉しそうに、文さんはがばっと前歯を見せた。
僕はそんなことはないと手を振って見せたが、彼女は早速包丁を僕に持たせ、あれこれと指示をし始めた。
(やれやれここまで来て料理しないといけないなんて。)
心の中でため息をつきながら、指示された蓮根の皮を剥いていると、
「今、やれやれ何でこんなとこで料理をしないかんのやと、思っただろ。」
文さんが僕の心の内を見透かした。
「いや、そんなこと。」
(う~ん。なかなかの人物。)
てきぱきと手際のいい文さんの横で指示された通りに手伝っていると、文さんはあれこれと僕のことを聞いてきた。学校のこと、専攻している学科や勉強している内容。将来は何の仕事につきたいのかとか。家族のこと、兄弟のこと。悟とのつき合いのこと。彼女は快活ではきはきとし、毒舌ではあるがユーモアがあり、自分たちの生活のことなどを話し僕を笑わせた。
話していると、彼女が頭の回転の速い賢い人物であるのがわかる。悟が彼女を好きな理由が何となくわかった。
だいたいの下ごしらえはしてあるらしく、2人でやっているせいかあまり時間もかけずに何品かの料理が出来た。
「さ、後はお盆に乗せて運ぶだけやな。」
「はい。」
僕はお盆に料理を乗せながら気がついた。
(そうか、文さんは僕に料理を手伝わせたいわけじゃなく、僕がどんな人間かみたかったんだな。)
なるほど、悟が連れてきた人物がどんな人間か彼女は興味があったみたいだ。それだけでも彼女がどんなにか悟のことを可愛がっているかよくわかる。
ふたりはだいぶ出来上がっているらしく、座敷の方から吾郎さんの豪快なしゃべり声が聞こえてきた。
「それで、東京へはいつ?」
「うん、25日には。この旅行が終わったら。4月に入ったらすぐ入社式があるし。」
「そうか、ぎりぎりまでこっちにおるんやな。」
「ああ。」
(25日?)
東京へ行く日。僕が聞かなくてはいけないと思いながら先延ばししていた事を、吾郎さんが聞いていた。聞くとはなしに聞こえてしまったが、その日にちを聞いて急速に僕は現実に引き戻された気がした。
(すぐだ。あと10日。)
一瞬立ち止まった僕の様子に文さんは気がつかないふりをした。そしてわざと大きな声で、
「おまたせ。」
そう言って座敷のガラスの引き戸を開けた。
顔を真っ赤にした吾郎さんがこっちに向かって
「おつかれさん。隆博くん悪かったなあ。手伝わせてしもうて。」
「いいえ、別に。」
「悟の言ったとおりや、この子は料理がうまいなあ。手際がいいし。」
「そうだろ。俺もよう、飯作ってもらったから。」
「そうか、この子嫁さんにもらったらどうや。」
文さんは冗談を言った。そうしたら吾郎さんが笑いながら
「文。悟はもう嫁さんをもらったらしいぞ。」
「え、いつ?」
文さんも吾郎さんも、そのことは今日初めて聞いたみたいだった。
「夏に入籍だけした。」
文さんは悟に近づいて、又頭をぽかりと殴り
「なんでそんな大事なことをさっさと言わん。」
と怒った。
「ごめん、恥ずかしくて。」
「なんが恥ずかしいか。」
「だってこれらしいわ。」
横で吾郎さんが、お腹が膨らんでいるゼスチャアーをした。
文さんの強い平手打ちが飛んだ。
ぱしーんと音が鳴った。
「痛。」
僕は文さんの顔を見た。怒っているような、泣き出しそうな複雑な表情をしていた。
「まあまあ文。ええが。」
「だって順序が逆じゃ。それにまんだ就職もしとらん子供や。」
「まあ、そうだが、もう卒業で就職先も決まっとる。心配いらんよ。」
吾郎さんがフォローした。
「気楽そうなことを言いおって。」
悟は文さんの言うことを真摯な表情で聞いている。
「そんでいつ産まれる。」
「4月。」
「来月か?」
そこでまた文さんの平手が飛んだ。
「嫁さん放かってこんとこまで来たんか?」
「許可もらってるよ。」
悟が子供のような表情をした。
「まあいいが、文。悟も所帯持ったらそんな遊んどれんし。せっかく来てくれたんやし。」
「まあ、そうやけど。」
文さんは大人しくなった。
そして真剣な厳しい目を向けて悟に聞いた。
「ほんでお前さんは幸せなんか。」
悟は黙って頷いた。
文さんはさっき僕にしたみたいに、鼻先まで顔を近づけて彼の目をじっとのぞきこんだ。悟はきちんと正座してぴくりとも動かずに文さんの目を見ていた。
文さんは何を感じ取ったんだろう。彼が僕に話した〝迷い〟を彼の目に見たのだろうか。それとも?
「まあ、いい。実際の生活は厳しい。大変なことばかりやし、人の親になるのは並大抵のことでないぞ。」
とだけ言った。
「うん。」
悟は短く答えた。僕はそのやりとりを見ていたが、悟の表情からは何も読み取ることは出来なかった。