40話
パーキングに車を取りに行って、吾郎さんの家に向かう。吾郎さんの家はその商店街からさほど遠くない集落にあった。
「しかし家が少ないね。」
田んぼや畑が連なる県道を走っていくと、ぽつん、ぽつんと家が見える。住宅密集地に実家がある僕には珍しい風景だ。
「まあ田舎だからなあ。」
「今買い物した街までみんな出てくるの。」
「そうだろうな。」
「車がないと不便だね。バスとか通ってるのかな。」
「そうだな、1時間に1本くらいだろうな。今はどうかな。昔はほんと不便だったよ。だいぶ良くなったかもな。」
「いつ頃から来てるの。」
「初めて来たのは小学4年生の時かな。確か。」
「それからちょくちょく夏休みとか冬休みとか。」
「ふうん。」
そんな話をしていると集落が見えてきた。瓦屋根がどっしりとした古い民家ばかりだ。庭が広くて蔵のある家もある。その中の一軒が吾郎さんの家だった。大きな母屋と脇にちょっとした離れと物置があって、家のすぐ前に畑があった。家の前の広い庭に車を止めると、車の音を聞きつけた吾郎さんが玄関から飛び出してきた。
僕らを見ると
「やっと来たわい。」
と顔をくしゃくしゃにした。
「もう飲んでたんでしょ。」
悟は車から降りながら彼に尋ねた。確かに吾郎さんの顔はほろ酔い加減に赤く上気している。
「まあ、待ちきれんくてな。それにもう日も暮れる。」
時計を見ると午後4時をまわっている。
「ほれ、早よう。隆博くんも中に入って。」
吾郎さんに促されて玄関の引き戸をくぐる。さすがに田舎の古い民家だ。広い土間の続きに座敷が見えた。
「広いお家ですね。」
「なんが、古いだけよ。文がいつも掃除が大変だとこぼしとるよ。」
吾郎さんと話しながら土間で靴を脱いでいると、
「やっと来たか。」
女性の声がした。振り向くと、座敷の続きになっている台所の方から初老の女性が顔を覗かせた。
年齢は吾郎さんより上なんだろうか。後ろで結んだ髪の毛には白いものが混じっている。目が大きくて顎がきゅっと締まった顔は猫を連想させた。背は吾郎さんよりだいぶ低いみたいで小柄な女性だ。僕は頭を下げた。
「おう。隆博くん。これが女房の文だ。」
「堀江です。お邪魔します。」
「この子が悟の連れてきた子か。」
「そうだ。隆博くん。遠慮せんと早ようあがれ。」
靴を脱いで座敷に上がると、文さんが僕の鼻先まで顔を寄せてじっと僕の顔を眺めた。初対面で顔をまじまじと見られてどきまぎした。何と言葉を発していいのかわからずそのままでいると、
「睫毛長かね。」
「はあ?」
「なんちゅう睫毛が長いんよ。」
「そうですか?」
「うん。女の子に間違えられんと?」
(わ、言われた。)と思った。
実は睫毛が長いのはコンプレックスだった。あまりこのことには触れたくないんだけど、小学生の時はよく女の子に間違えられた。しかも当時家の近所に、母親の友達が美容院を経営していて、よくそこに連れて行かれては髪の毛にパーマをあてられたり、セットさせられたり。つまりおもちゃにさせられていたんだな。母親に当時のことを聞くと、
「いかつい孝一と違って、ほんとに隆博は小さい時は可愛くてねえ。千夏のほうがごついくらいで。だからお母さん楽しくって、隆博が女の子だったら良かったのにって思ったくらいよ。」だって。
だから中学になったら髪の毛も短くして、野球部に入ったのに。ずいぶんその容姿については言われなくなって、睫毛が長いコンプレックスも忘れかけていたのに。こんなところで指摘されるとは。
何も言い返せずにびっくりしたまま突っ立ていると、吾郎さんから借りるスノーシューやストックなどを納屋で物色していた悟が玄関の引き戸をくぐりながら、
「文さん。あんまりいじめないでくれよ。」
と声をかけた。
「ああ、悟。元気そうで何よりや。」
吾郎さんほどのオーバーアクションではないが、それでも彼女は嬉しそうに悟の首に腕を回した。その文さんの背中をぽんぽんと叩きながら、
「隆博は神経細いからな。いきなり文さんの毒舌にはついていけんよ。」
「毒舌?ホントのことを言ったまでや。うちはこれでも褒めたつもりやけどな。」
「褒めたって?男に向かって女の子に間違えられるやって?」
「綺麗な顔しとるって、うちは褒めたつもりや。」
文さんはそっぽを向いた。悟は僕の顔を見て大笑いしている。
「そんなふうに思って見たことなかったけど、確かに隆博は綺麗な顔しているな。」
僕がむすっとしていると
「そうむくれるなよ。あれで文さんはお前のこと気に入ったみたいだぞ。」
「あれで?」
と小声で返すと、
「ああやって最初からぶしつけに物を言うのは、その人を気に入ったという証拠なんだ。」
「俺も最初はわからんかったけどな。」
文さんが近づいてきて
「何を2人でこそこそしゃべっとる。」
悟の頭を叩いた。
「だって最初はびっくりするよ。文さんの物言いじゃあ。」
「何、言っとる。」
文さんが憤慨した。
そこへ吾郎さんが来て
「そうそう、文にはびっくりして当たり前や。悟も初対面で文にいろいろ言われてなあ。あれ小4の時やろ。隆司に連れてこられた時。ああ、隆司ってこいつの叔父やけどな。何を文が言ったか忘れたが、気に障ったんだろうなあ。悟が怒って出ていってしまって、俺んら泡くって夜道をずいぶん探して歩いたことを覚えとるよ。」
「え、そうなんですか。」
「ほんときつい子でなあ。全然しゃべらんし、口ついとんかと思ったよ。いつ来ても生傷がたえん子でなあ。」
(生傷?)
そこで文さんが吾郎さんをたしなめるように目くばせをした。
「お父さん、早ようあっちで飲むもん用意せんか。」
僕がちらっと悟の方を見ると、
「そうだよ。昔の話はいいよ。恥ずかしいことばっかりだ。それより喉が渇いたよ。早くなんか飲ませてよ。」
そう言って顔を赤くして少し酔っ払っている吾郎さんの腕を取り、座敷の方へ向かった。
「おう。隆博くんもこっち来て飲め。」
「はい。」
僕もふたりに続いて座敷の方へ行こうとすると、文さんががばっと僕の腕を掴んだ。
「隆博はうちを手伝え。」
「え?」
「夕飯の支度や。」
「はあ。」
(で、何で僕が?)(しかもいきなり呼び捨て?)
と思ったが、文さんは僕の顔を見て、いたずらっ子のような嬉しそうな顔でにかっと笑った。やはり気に入られたってこと?
エプロンをしてタオルで頭を巻いた文さんの後に続きながら僕は思った。なるほど悟が思い出し笑いをするはずだ。僕が想像していた上品で優しげな老婦人のイメージはおもいっきり壊れていた。でも初対面で言いたい放題。なかなか面白そうな女性だ。