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39話

 ロフト上の灯り取りの窓から射す光で目が覚めた。ぴーんと張り詰めたような山の冷気が頬を刺す。窓を見上げると、もうずいぶんと日が昇っているみたいだ。時計を見るともう昼近い。

「悟。」

 声をかけてみるが隣で彼はぐっすり眠り込んでいる。昨日あのまま眠ってしまったから彼は上半身裸のままだ。毛布もかけずに。

(よく風邪ひかんなあ。)

 彼の頑丈さに感心する。

 毛布をかけてやろうと、背中越しに毛布を引きあげ、僕ははっとした。

 明るい陽の下で見る彼の上半身の左のわき腹に、みみず腫れの様な古い傷を見つけたからだ。今まで明るいところで彼の裸を見たことがなかったのでちっとも気がつかなかった。

(火傷?)

 人差し指の長さほどの傷が複数残っている。

(何だろう?ひどい傷跡だ。)

 そう思って眺めていると、階下でどんどんとドアを叩く音がした。

(誰だろう?)

 出て行っていいのかどうか迷い、彼を揺さぶるようにして起こす。

「うん。起きる。起きるよ。」

「悟、下に誰か来てるよ。」

「あ、本当か?」

 彼はシャツを引っ掛けるとロフトの階段を下りて玄関先に向かった。

「はい?」

 ドアに向かって彼が声をかけると、その人物は大きな声で

「おい、俺だ。」

 と叫んだ。


「あ、吾郎さん。」

 悟がドアを開けると、50代と思しき白髪まじりの中肉中背の男性が玄関先に飛び込んできて悟に抱きついた。

「悟、待っとたんだぞ。」

「ちょっと見ん間に大きくなって。」

「いやだな。吾郎さん。俺、もう社会人だよ。」

 子ども扱いされて彼はちょっと嫌そうな顔をした。が、もちろん目は笑っている。

 吾郎さんと呼ばれた人物は、それは嬉しそうに、いつ着いたんだとか、もう昼近くになるのに家に来ないからどうしたのか見に来たのだとか、いろんなものを用意しておいてあるとか、そんなことをしゃべっていた。

 よほど親しい人物らしい。そう思ってちょっと遠慮をしてロフトの階段に腰掛けて様子を見ていると、悟が、

「隆博。」

 こちらを向いた。

「この子が悟の後輩か。」

 吾郎さんは、人懐こそうな笑顔を僕に向けた。

「こんにちは。お世話になります。」

 頭を下げると、悟が紹介してくれた。

「堀江隆博だ。」

「そうか。隆博くんか。悟がいつも世話になっとるな。」

「何言ってんだよ。世話してんのは俺んだよ。」

 彼は吾郎さんに向かって悪態をついた。

「なあに言っとるが。きままなお前さんにつき合って、こん雪があるとこで山に入るなんて。奇特な。いい後輩やな。」

 彼は悟の性格や行動を知り尽くしているらしく、放浪癖があることや、あちこちでふらふらとキャンプや寝泊りなど奇怪な行動をすることを話した。

 それで以前、冬の海に連れて行かれて、火を焚き宴会をしたことを話すと、

「やっぱり。いきなりやし、この子は強引やでびっくりするやろうな。」

「いや、別に。馴れました。」

 そう返すと、

「馴れんとこの子とはつき合えんやろうな。」

 吾郎さんは快活な大きな声で笑った。腹にあれこれ思わないような人の良い豪快な印象を受けた。

「で、あとで家来るんやろ?文が首をなごうして待っとるぞ。」

「うん。昨日着いたの遅かったんで今まで寝てたんだ。だから街へ出て、ちょっと買い物をしてから寄ります。」

「よし。」

 そしてその後、吾郎さんは別荘で過ごすのに必要な物やら、食料やらを用意しておいたことを話し、薪が積んである場所を教え、あれこれと世話をやき帰って行った。

 吾郎さんが帰っていくと、

「ここから車で少し行ったところに街があるんだ。そこで明日の買い物をしてから吾郎さんの家に行こう。食事とか用意してくれてるみたいだから。」

 悟はそう言って着替え始めた。着替える時に又ちらと見えた脇腹の傷跡が気になったけど、僕は口をつぐんだ。

 そして街へ行く車の中で明日の詳細を聞いて、必要な物を買い揃えるために駅前にあるパーキングに車を止めた。


 古い城下町で、こぢんまりとした駅も古風で何となく雰囲気がある。日にJRが数本停まるだけらしい。駅に沿うようにして並んでいる商店街を歩く。綺麗に雪掻きがしてあり、歩道には雪がなく歩きやすい。木彫りの人形や漆器などを扱う民芸店が何軒か並んでいる。 

 近くに温泉があり、そこは古い湯治場らしく、土産物を見ながら歩いている観光客もちらほらといる。その並んだ土産物屋を過ぎると、地元の人が買い物をするとみえる食料品店や、金物屋、本屋、床屋、喫茶店などが軒を連ねている。

 歩きながら悟は続けた。

「足何センチだったけ?確か俺と一緒だと思ったから、靴は俺のでいいし、吾郎さんちにスノーシューとストックはある。テントもそこで借りるし、買い足すのはあれとこれと……」

 悟はそう言いながらまるで住みなれた街を歩くみたいに、あちこちの路地を入り、商店街を右往左往する。どこにどんな店があるのか頭の中に入っているみたいだ。

「よく迷わないね。」

 そう声をかけると、

「うん、小学校の時から叔父さんと何回も来ているから。それにこの街は5年前とさほど変わらないよ。」

 そう言って必要な物を手に取り、あっというまに買い物を済ませた。そして商店街の端まで来ると、

「文さんにお土産を買っていくよ。」

 と言い、一軒の和菓子屋さんの暖簾をくぐる。どっしりとした古い木造のたたずまいが老舗の店らしい。

「何を買うの。」

「文さんは、ここの羊羹とそば饅頭が好きなんだ。」

 そう言ってショーケースを覗き込む彼の表情が、今まで見たこともないような表情だった。

 何て言っていいのかな。

 お母さんにお土産を買っていくような、ちょっとはにかんだような。


「両方買っていこうかな。こんなに食べきれないと怒られちまうかな。」

 それでも結局、栗蒸し羊羹とそば饅頭の両方を彼は注文した。

 その様子を見て、僕は文さんという人を想像した。どうも彼は文さんに母親の面影を見ているらしい。母親ともあまり縁がないような彼が、嬉しそうに菓子なんぞを買っていく女性とは…。優しくておっとりとした感じの品の良い老婦人が目に浮かんだ。

「何にやにやしてるんだ?」

 その様子を興味深げにじろじろ見ていた僕に気がついたらしい。

「だって、すごく嬉しそうなんだもん。それに女の人に何か買っている姿って、初めて見るし。」

「何言ってるんだ。俺はフェミニストだぜ。女性に対しては誰にでもこうなの。」

 そう言って、菓子の包みを店員からひったくるようにして店をさっさと出て行った。照れている彼の様子がおかしかった。慌てて走って追いかける。

「待ってくれ。」

 相変わらず足が速い。

「遅いぞ。」

 追いついた僕を横目でにらみながら

「何だか嬉しそうだな。」

「だって。」

 何だか僕は陽気になってしまった。何故だろう。たぶん悟が嬉しそうだからだ。

 さっきの吾郎さんと会った時も、きっと心を許している人物なのだろうと容易に想像ができた。そういう気のおけない人たちに会うのを、彼は楽しみにしていたのだと思う。彼が嬉しいと感じている様子を見るのは、僕にとっても嬉しいことだからだ。


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