38話
高速を降りて、ものの10分もしないうちに別荘地の看板が見えてきた。
「ここ?」
「うん。」
看板の表示に従って道を折れると、別荘地に上がってゆく道が見えてきた。暗くて周りがよくわからないけれど、林に囲まれた別荘地には何件かの別荘が立在している。さすがに道は細く、登り坂ばかりで雪も多い。
「冬は四駆でないと上がれないね。」
「ああ、昔おじさんと来た時にたまたま叔父さんがセダンに乗ってきて、まだ初冬だったから雪もそんなにないだろうって、たかをくくっていたら結構雪があって。車が登り坂をどうしても上がって行かなくって。」
「で、どうしたの?」
「皆で押したんだよ。叔母さんや妹や弟と。」
ああ、そうなんだ。兄弟と一緒に?
「小学生だったな。俺そん時。よく覚えているよ。あの頃はセダンばっかりだったし、今みたいに四駆に乗っている人ってあまりいなかったから。叔父さんは先端だったんだよな、ジープみたいなの乗っていてよく乗せてもらった。」
「そうなんだ。かっこいい叔父さんだね。」
悟は鳥目だと言いながらも、夜の雪道を難なく車を走らせ、あっというまにその叔父さんの別荘に着いた。
「たぶんこれだったと思う。」
懐中電灯を持って車を降り、その建物を灯りで照らしながら彼は言った。
灯りに照らされた建物は、こぢんまりとした黒い木材で出来たログハウス風の建物で、入り口まではちょっとした橋を渡っていくような感じになっている。その下には小さな小川が流れているみたいだ。今は雪があってよく見えないけど。そして出窓があって玄関先にはちょっとしたポーチがある。きちんと雪掻きがされてあって建物の脇には積んだ雪がうずくまっていた。
「すごい。いい別荘だね。」
「そう?だいぶ来ていないから荒れているかと思っていたけど、吾郎さんがきちんと管理してくれてるみたいだ。」
「吾郎さんって?」
「うん。ここの別荘地の管理人で叔父さんの友達なんだ。」
「隆博も明日会えるよ。」
明日って?と聞くと、吾郎さんはこの別荘地から車で20分ほどの所の集落に住んでいる。山へ入るのにスノーシューなどの装備を彼の所で借りることになっているのと、挨拶がてらに訪ねると約束をしているのだと、悟は言った。
「いい人物だよ。温和で面倒見が良くてね。あと、その奥さんの文さんが又おもしろい人だから、きっと隆博も好きになるよ。」
〝文さん〟と言ったところで彼が思い出し笑いをしたので、その吾郎さんという人より、文さんという奥さんの方に僕は興味を持ってしまった。
「ま、とりあえず中へ。」
そう言って、玄関先にある木彫りのモアイ像をひっくり返すと鍵が出てきた。
「何でモアイ像?」
「さあ、叔父さんの趣味なんだ。こういうの。遅くなるって言ったから、吾郎さんがここへ鍵を置いていってくれたんだよ。」
悟が鍵を開けて玄関先の電灯をつける。
促されて中へ入ると、最初に目に飛び込んできたのが暖炉と、一枚板の木材で作られた大きなテーブルだ。
「すごい、暖炉だ。」
「初めて見る?」
「うん。」
その暖炉に近寄るとほのかに暖かい。
「この暖炉何だか暖かいよ。」
彼も近寄り手をかざす。
「たぶん吾郎さんが来て、暖めておいてくれたんだろうな。」
確かに面倒見の良い気のつく人物らしい。
部屋の中を見回す。奥に小さなキッチンがあって、右手にバスルーム。上にロフトがあってそこで眠れるようになっているみたいだ。
壁にかけてある時計を見ると4時を回っている。
「荷物は明日にしよう。そのままでいいよ。」
そう言ってロフトに上がり、悟は早々に毛布に包まった。僕も同じようにして荷物を床に放り投げ、着替えるのもそこそこにして布団に潜り込んだ。五郎さんがきちんと用意してくれていたらしく布団の中は暖かく、気のせいか陽に干した枯れ草の匂いがした。すると、ものの2分も経たないうちに隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。
(もう寝てるや。)
よほど疲れているんだなと思った。
ここ最近は一緒にいても、ふと見るとどこかにもたれかかってうとうとしていることがある。だけど、その寝息を聞いていると、僕の方は段々目が冴えてしまって眠れなくなってしまった。
「悟。」
声をかけてみたが、ぐっすり眠り込んでいるみたいだ。
布団を抜け出して彼の側に行ってみる。そっと、頬に触れてみる。夜の冷気にひんやりとした頬の感触が手に残った。そのまま頬に口を寄せる。その気配に気づいたのか、
「…隆博。」
彼が薄っすらと目をあけて僕を見た。
思ったより深く眠り込んでいるのではなかったみたいだ。
「ごめん、起こした。」
「……」
返事の代わりに彼が僕の首に手をまわす。
「会いたかった。」
それが合図だった。
抱きあうと、僕らはお互いひどく遠い所にいて、やっとあるべき所に戻ってきたような感じがする。 抱きあいながらいろんな考えに揺さぶられ続ける。過去のこと、現在のこと、一週間後のこと、一ヶ月先、半年先…もっとその先のこと。頭に浮かぶいろんな思いは、押し寄せる快感の波に呑み込まれ消滅する。今ここにあることだけを考える。そのことにのみ集中する。だけど、こうしている時間の中に、時折、僕はひどくあせりのようなものを感じる時がある。手に入れているのに、それがすぐに消えてしまうような不確かなものに思えて…。
そうだ。飢餓感だ。心の中に湧き上がる飢餓感は消しようすがなかった。
(僕をこんなふうにしたのはあんただ。)
心の中で叫んでみる。
だけど、その叫びは呑まれ続ける。夜の闇の中に、彼の息遣いの中に。僕は苦しくてたまらなかった。だけどこんなに甘くて幸せな瞬間が他にあるだろうか。
恋をするということ。それと体の関係を持つということを切り離して考えることは難しい。心を手に入れた、心が通じたと感じることが出来たら相手の身体も欲しいと思うのは当然のこと。ぎりぎりの一歩手前までどうするか迷い、苦しんで、その先を飛び越えてしまったら?お互い繋がっているという充足感。一時の快楽に身をゆだねる刹那的な時間。その先に何もないとゆうことを僕らは知っているのに。お互いを求めずにはいられない。
その先に何もない?そうだろうか。本当に何もないのだろうか。こうしていることは本当に無意味なことなのだろうか。無意味なことだとしたら何故僕らはこのことで苦しみ、罪悪感にさいなまされて、それでも喜びを見出すのだろうか。まだ見えてこない。もうタイムリミットはすぐそこまで来ているのに。
どれほどの時間を一緒に過ごしてもその答えは見えてこない。
ただひとつわかっているのは、僕らにはもう時間がない。今度会う時は、僕らはまた違った関係で会うことしか出来ない。
それとももう2度と会えない。そう思うと、胸が苦しくなる。