37話
真夜中のサービスエリア。むろん、中にある売店や食堂なんかはシャッターが下りている。
自販機でコーヒーを買おうと中に入ると、それでも数人の人たちがたむろしている。そのほとんどは真夜中の高速を走る長距離トラックの運転手だ。
僕らは彼らの脇をすり抜け、中の休憩所のテーブルに陣取る。そこで悟がおもむろに地図を取り出して、僕の目の前に広げた。
「行くとこ。ここ。」
指をさす。コーヒーを飲みながら彼のさした方向へ目をやり、思わずコーヒーを噴出しそうになった。
「えっ!ここ?何しに行くの?」
「うん、いいだろう。絶景だよ。」
驚いている僕を尻目に、彼はゆっくりとした動作でタバコに火をつけ煙を吐き出す。
自分の腕時計を見る。腕時計の日付は3月15日をさしている。
彼の指差した大郷高地は3月中旬でも雪深く、GWまで雪に閉ざされる。大郷高地はG県とN県の境に位置し、三方連邦から北アルプスまでの雄大な山脈を一望出来る有数の景勝地だ。夏は観光客や登山客でごった返す。一転して冬になると雪も多く交通規制がかかるため、訪れる人も少なくひっそりとしている。冬山登山を目指す少数のクライマーたちの聖地だ。
僕が言いたかったのは、何故この寒いのに、さらに寒い所へ行くのかとういうことと、悟はどうか知らないけど、僕は冬山なんて全く初めてで、ほとんど登山らしい登山なんてやったことがないのに。無謀すぎるのもどうかしている。それで絶句して口も聞けずにいる僕に対して、悟が言った。
「まさか俺と一緒で、かけ流しの露天風呂が有名な老舗の温泉旅館でのんびりするとか、歓楽街で豪遊する旅とか、そんなの思ってなかっただろう?」
そりゃ、そんなことは思っていないけど、極端すぎる。
「雪ひどいだろ。」
「うん。でも何回か行っているから。」
「えっ?何回もって?」
「叔父さんの別荘があってね。高校の時以来行ってないけど。」
「叔父さんの別荘って?例の?」
僕が聞いたのは親代わりに面倒をみてくれている後見人の叔父さんのことだ。
「そう。」
「でも、山かあ…。」
尻込みする僕を無視するかのように、彼は勝手に今回の旅についての計画を話し始める。彼の計画によるとこうだ。
このまま高速を北上し、中谷JCで北越道に入る。そこから200キロ近く走ってN県に入る。甚悦ICで降りると、すぐ叔父さんの別荘がある別荘地に入る。そこで泊まって次の日は釜トンネルまで車で行き、その先は冬季通行止めだ。それでそこから歩いて大梨平まで出る。その距離40キロ。むろん1日では無理だから途中はテント泊。
テント泊だって?凍っちゃうよ。全く。その先に悟がお勧めの山があるらしい。どうも、彼はそこで樹氷の森を見たいらしい。雪を被った三方連邦の絶景を眺めたり、雪中キャンプを楽しんだり。何度か叔父さんと一緒に訪れ、楽しい思い出がある地なので、又どうしても行きたくなったのだと。面白そうだとは思うけど、寒い、考えただけで寒すぎる。
僕が黙ってその計画を聞いていると、
「気がなさそうだな。」
にやにやした。僕の反応を楽しんでいるみたいだ。
「だって…」
そう言うと、彼は黙って地図をしまい席を立った。それを追いかけるようにして外へ出ると、
「気がないなら帰っていいぞ。」
彼が振り返った。
「そんなこと言ってないよ。」
急に悟が立ち止まり前方を指差した。
「あのトラックの運ちゃん。ヒッチハイクしろよ。帰れるぜ。」
見ると、僕らの住んでいる県のナンバーのトラックが前方に停まっていた。
トラックの持ち主とおぼしき人物が荷物の点検をしていた。
「お~い。」
悟がトラックの運転手に向かって手を振り始めたから、
「止めろよ。しょうがないなあ。」
慌てて腕を掴むと、彼は振り返ってにやにやしながら
「行くだろ?」
「いつも強引だね。」
半ば呆れてそう答える。
「だけど本当に冬山なんて経験ないんだ。お遊びのような登山なら兄貴に連れられて2、3回行ったことがあるけど、それだってずいぶん前の話だ。」
それまでおどけて笑っていた彼が、急に真面目な顔をして言った。
「大丈夫。俺がフォローするから。」
いつも彼のペースだ。半分呆れて、それでも半分はそんな強引な彼のペースに引っ張られることを楽しんでいる。観念して雪山登山と雪中キャンプにつき合うことにする。
「運転代わろうか?」
「頼む。」
キイを受け取る。車に乗り込み、キイを回す。
車のデジタル時計の文字を見る。夜中の2時を少し過ぎたところだ。アクセルを踏む。四駆だから出足は重いけど、合流地点に滑り込み本線に乗ると、あっという間にスピードメーターの針は120キロを指す。
「結構加速するね。」
「ああ。」
「雪道も?」
「大丈夫だ。だけど一般道は雪が結構あるだろうから高速降りたら代わるよ。」
「うん。」
そう言って悟は又タバコに火をつける。その様子を見て、
「眠いんだろ。寝ててもいいよ。」
たて続けに何本もタバコを吸うのは彼が眠くてたまらないときだ。
「ごめん。」
「いいよ。僕は大丈夫だから。IC降りたら起こすよ。」
「うん。」
彼はタバコの火を消すと、リクライニングを倒して寝息を立て始めた。
カーステレオのボリュームをワンランクダウンする。追い越し車線を大量に荷物を積んだトラックが何台も連なって通り過ぎる。僕はスピードを落とし、自分のペースで運転を楽しむ。
ひとりきりの時間。隣では彼が寝ているが。
非日常的な空間で、ひとりカーステレオの微かな音量に包まれて、加速する車の振動に身を任せる。真夜中の高速を走りながら、思いを巡らせる。
叔父貴の別荘だって?どんな人なんだろう。別荘を持ってるなんてすごいな。雪は深いんだろうか。どんな所なんだろう。
彼が言うには、その叔父さんっていうのがかなりの趣味人で、山登り、キャンプ、アウトドア全般、カメラや無線やいろんなことに興味があって、昔から子供の悟を連れていろんな所へ行ったらしい。今回の大郷高地も何度か叔父貴に連れて行かれたらしく、冬になると雪の中でキャンプをしたり、近くのスキー場でスキーをしたりしたらしい。高校2年の時以来、行ってないらしいが、その雪原と樹氷が急に見たくなったらしい。
彼は、東京へ行ってしまうと、今より遠くなってしまうからなかなか行けなくなっちゃうしな、とぽつんとつぶやいた。
東京か。いつ発つんだろう?
あれからそのことについて悟は何も言わない。
いろんなことを思っているうちにあっという間に、甚悦ICまで15キロとの表示が見えてきた。
「悟。」
声をかける。
「うん。着いた?」
「あと15キロだ。」
「うん。」
声がまだ半分眠っている。
表示に従ってレーンを左に寄り、出口に向かう。ETCのレーンを越え、一般道に出た後ファザードを出し、路肩に車を止めて悟を起こす。
「熟睡していた。悪かったな。」
「いや、全然。」
僕は出かける前に夕飯の後、少し眠っていたから眠気を感じることもなかった。
悟は運転席に腰掛けるとナビに目的地のキーワードを入力する。
「道、わからないの?」
「だいたい覚えているけどね。5年経っているだろ。それに5年前は高校生だったから自分で運転してないからうろ覚えなんだ。」
すぐにナビが目的地の別荘地の道順を案内し始めた。
「よし、行こう。」