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32話

(誰だ。こんな時間。)

(悟。)

 彼からも何回か着信があった。今日のことだろうか。だが、出たくなかったし、出たところでまともに話なんか出来る状態ではなかった。

 携帯を放り出して、布団を頭から被った。何回か着信音を聞いていたが、その電話はしつこくずっと鳴り続けていた。僕はベッドからはいずり出し、仕方なく電話に出た。

「いるんなら出ろよ!何回電話させるんだ。馬鹿野郎!」

 鼓膜が破れるかと思うくらいのでかい声でいきなり怒鳴られた。

「何だよ!こんな時間に。」

「だいぶ前から何回も電話をしているのに、そっちこそ何だよ!」

「今、話をしたくない気分なんだ。又今度にしてくれ。」

「今度にしてくれじゃないよ。お前、どうなってんだ。」

 電話をしてきたのは、今日の駅前でのことかと思った僕は勘違いしていることに気がついた。

「何のこと?」

「原稿だよ。原稿!」

「何で悟がそんなこと言ってくるんだよ。」

「俺んとこへ電話があったんだよ。森下さんから。最近、締め切りぎりぎりだし、声色が元気がないって、心配して。それでも何とか間に合っているみたいだったから放っておいたんだけど。今日は、明日締め切りなのにお前から連絡がないし、電話してもずっと留守電。携帯へ電話しても出ないし、留守電をいれておいても全く連絡がないって。何かあったんかって。お前にしたらそんなこと一度もないからどうしたのかって。それで俺が電話しても全く連絡がないし、どうなってるんだ。」

「…もう辞める。」

「何を!」

「このバイトもう辞める。」

「何言ってんだ。」

「もうどうでもいいんだよ。こんなことしてたって何の意味もない。」

「原稿どうするんだよ!間に合うのか?」

「間に合わないからってそれがなんだって言うんだ!」


 話しながら僕は苛立ちがピークに達するのを感じた。今日のことで何か言ってくるのかと思ったら、仕事のことだ。僕の気持ちなんかあいつ、全然わかっていないんだ。

 乱暴に携帯を切り、床に投げつけた。そしてベッドに潜り込み、今度こそ誰が電話をしても出ないつもりだった。携帯は死んだように静かに床に転がっていた。頼むから今日は寝かせてくれ。誰も邪魔をしないでくれ。

 数分もしないうちに、うとうとと眠りに引きずり込まれ、心地よい静寂が訪れた。

 が、その静寂をドアの激しいノックが引き裂いた。僕は飛び起き、叫んだ。

「誰だ!何時だと思ってるんだ!」

「何時じゃねえよ!早く開けろ!」

 悟だ。めちゃめちゃ怒ってる。声を聞いただけでわかる。僕は咄嗟にドアを開けて、

「いい加減にしてくれ。バイトのことはあんたには関係ないだろう!」

 と叫んだ。

 次の瞬間、目の前を火花が散った。ものすごい勢いで殴られ、玄関に積んであったシューズケースが倒れて靴が散乱した。口の中が切れて拭った手が真っ赤に染まった。起き上がろうとする僕をなおも彼は胸倉を掴んで殴った。僕はそれを手でさえぎって、思いっきり懇親の力で彼を突き飛ばした。


「いい加減にしてくれ。いきなり何だよ!」

「辞めるってなんだよ!穴をあけるなってあんだけ言ったじゃないか!」

「もう辞めるんだよ!原稿なんてどうでもいい。」

「どうでもいいじゃすまないぞ。仕事をなんだと思ってるんだ。」

「仕事、仕事ってうるさいよ。あんたは自分の夢を俺に押しつけてるんだ。自分が出来なかったことを俺にさせようとしてるだけなんだ。」

 そう言った瞬間、また思いっきり殴られた。

 玄関の薄明かりの下で見た悟はすごく怒っていた。今まで見たこともないような厳しい顔だった。そしてすごく悲しそうだった。その顔で彼は僕をじっと睨んだ。その目を見ていられなくて思わず目を逸らした。僕は急に弱気になるのを感じた。

「穴をあけるのはいけないことくらいわかっている。だけど…。」

 出来る状況じゃない。それに今からじゃ間に合うわけもない。

 悟もわかっていたはずだ。今日のことで、僕がショックを受けていたことくらい。だけど、彼はそのことには触れず、

「隆博。とにかく森下さんに迷惑かけられない。どんな理由があろうといったん引き受けたものは、ちゃんと間に合わせないと。」

 彼は大きな手で、僕の肩を掴んで立ち上がらせ、自分も服の埃を払った。

 僕は頷いた。

「でも、間に合わないんだ。やっていなくて。」

 デスクに散らばった原稿を集めると、

「見せてみろ。」

 彼に原稿を渡すと、

「何時までだ。」

「明日の昼までに。」

 腕時計を灯りの下で見る。午前1時30分を過ぎている。

「間に合うさ。間に合わせよう。」

 

 悟は原稿を半分に分け、片方は自分がやるからと言った。そして今回だけだ、とつけ加えた。そして僕の使っていないノートパソコンを開けると黙々と作業に取り掛かりだした。それを見て僕も机の上のデスクトップを開け、原稿に取り掛かることにした。

 彼の方をちらりと見やると銀のフレームの眼鏡をかけ、ものすごい速さでキイを打っている。辞書や参考資料もあまり見ない。そのあまりの速さに驚いてしまった。

「何やってるんだ。早くやれよ。」

 叱責が飛ぶ。

「うん。」

 僕らは明け方まで言葉も交わさず、黙々と作業に没頭した。白々と夜が明け、カーテン越しに太陽の光が差しだしても、僕らは黙って原稿に向かっていた。そうこうするうちに彼のキイを叩く音がとぎれた。

「よし、出来たぞ。」

 悟が僕の方を見た。

「どうだ。」

 僕も最後のページを訳して終わったところだった。

「あと、見直して清書だな。」

 プリンターで打ち出したものを悟が最終チェックをしてくれた。その間にコーヒーを入れる。カーテン越しの淡い光の中で、熱心な眼差しを原稿に向けている悟の姿を見て心底ほっとした。

 信用出来る。彼なら。そう思った。

「ま、いいんじゃないか。こんなことはこれきりにして欲しいけどね。」

 そう言って僕が入れたコーヒーを受け取る。彼がコーヒーを飲んでいる間に清書して、プリンターで打ち出し、バックアップを取る。彼がいてくれるおかげだろうか、僕は自分がだいぶ正常さを取り戻して落ち着いてきたのを感じる。

「シャワー借りるぞ。」

「ああ。」

「昨日はずっとバタバタしてて飛んできたから、風呂も入っていない。全くお前にはかなわんよ。」

 そう言って浴室へ消える。

「悪い。ありがとう。」

「何?なんか言ったか?」

 シャワーの音で聞こえなかったらしい。改めて言うのは気恥ずかしい。そのままにしておいた。


 それから一睡もしていない僕らはとりあえず仮眠を取り、原稿を持っていくことにした。ベッドを使えと言ったのに、悟は遠慮してソファーでかまわんと言って毛布に包まった。風邪を引かさないようにあるだけの毛布を着せて、僕も数時間眠ることにした。それから起き出し、身支度を済ませ、会社まで原稿を届けた。車に乗ってきた彼に乗せて行ってもらい、なんとか締め切りの時間に間に合った。

「心配していたんだよ。電話も繫がらないし。」

 森下さんは僕の顔を見ると、本当に心配をしてくれていたんだとわかる人の良い笑顔を浮かべほっとした表情をした。

「申し訳ありません。」

「どうしたの?」

 悟に殴られて腫れた頬を見て彼が言った。

「何かあったのと聞きたいけど、プライベートなことだからね。無理には聞かない。でも、原稿だけは間に合わせてね。僕は本当に堀江くんのことかってるんだからね。でも、何か困ったことがあったら、プライベートなことでも何でもいいから話して。待ってるから。」

 彼に答えるためにもこの仕事は続けていきたいと思った。

 よく考えたら、悟に頼まれたからやっているわけじゃなくて、自分がやりたいことだからやっているのだと思った。昨日はちょっと自棄になってしまったけど。反省する思いで彼に頭を下げ、社を後にした。


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