28話
終わると、彼はサイドテーブルの灯りをつけ、肘を突いて上体を起こしてタバコに火を点けた。
「隆博も吸うか?」
素直に1本もらう。今までタバコはあまり吸ったことがなかったけど、彼とつき合うようになって少しばかり吸うようになった。
彼は黙って紫煙の流れを見ている。
「おもしろいだろ。タバコの煙ってさ、見てて飽きないよ。」
それからちょっと考えたように、じっと天井の1点を見つめながら
「年明けまで会えん。」
と、呟いた。
「ああ。」
と、だけ返事する。
クリスマスから年末年始にかけては乃理子さんの元に行くのだろう。
彼女の顔を思い出した。ふくよかで優しい顔立ち。彼女には何の落ち度もない。あの人は疑うこともなく、悟の帰りを待っているのだろう。強い人だ。
頂点に達するとき、いつも思う。このまま悟を放したくない。どこへも行かせず、ここに留まらせることが出来たら、と思う。でも、それは無理だ。そのことを話したことはない。話すつもりもなかった。
タバコの火を消して、眠りに着く。悟はいつも背後から僕を抱いて眠る。何故正面から抱いて寝ない。理由はふたりともわかっていた。僕の首に腕を巻きつけて、赤ちゃんを揺らすように、ゆっくり鼓動に合わせて僕の体を揺らす。その一定のリズムが心地よくて、うとうとと眠りに落ちていく。
ふいに彼が囁いた。
(隆博、東京へ来ないか?)
ぼんやりとした頭にその言葉だけははっきり聞こえた。でも、何も答えず、僕は眠っているふりをした。
(眠ったのか?)
彼は半分眠っているみたいな声を出した。それでも僕は何も答えなかった。
学校も休校になり、今年もあと残りわずか。
裕樹は年末から正月にかけて帰省すると言っていたし、健二は何やら楽しい予定があるみたいだ。
聞くと、新しい彼女が出来たらしく、クリスマスから年末年始にかけてはデートで忙しいらしい。そんな話を聞いて、ふと里佳子ちゃんのことを思いだす。
結局あれから会っていない。普通に付き合っているなら、健二みたいにクリスマスには食事したり、お正月には一緒に初詣に行ったりして過ごすのが普通なんだろうけど。
クリスマスもずっとバイトで忙しかったから、それを理由に断っていたらぱったり彼女から連絡がなくなっていた。でも、それで良かったのかもしれない。いや、それで良かったんだ。
僕は自分から話をするのが苦手な方だから、彼女みたいに明るくて、いろんなことを話してくれる里佳子ちゃんが一緒にいて楽で、楽しかったけど、だけど彼女の気持ちに応えられない以上、こんなふうにずるずるとはっきりしないまま付き合っていてはいけないことくらいわかっていた。
だけど、何となく寂しかった。裕樹も健二もいない冬休み。悟も。
部屋でうだうだと何をすることもなく過ごしていると、あっというまに今年も後4日になってしまった。
どうしようか。たまには実家へ帰るかな、などと珍しくふと気弱になる。そこへタイミングよく地元の同級生から、お正月にみんなで集まって飲むから来いよ、と誘いがあった。大学や就職などで地元を離れているやつらが帰ってくるので集まろうということらしい。
僕の気持ちは決まった。適当にバックに荷物を放り込むとアパートを後にした。
実家へ帰ると母親が忙しそうに大掃除をしていた。そして、僕の顔を見ると
「いやあね。この忙しいときに帰ってきたの。」
と仏頂面をした。でも、目元が笑っている。
「たまには帰れって、いつも言うじゃないか。」
バックを玄関先に放り出すと、
「もちろん、掃除手伝いに来たのよね。」
母が笑った。
「別にいいけど。何?」
腰を落ち着ける間もなく、家中の蛍光灯を掃除しろだの、天井の埃を取れだの掃除の手伝いをあれこれと指図し始めた母親の手伝いを始める。
「親父は?」
「30日までぎりぎり仕事よ。」
「よかったわ。母さんひとりで大変だったの。」
「千夏にやらせりゃいいじゃん。」
妹のことを言うと
「駄目よ。あの子もぎりぎりまで部活があるのよ。年明けすぐに大会があるからね。」
吹奏楽のことだ。
「なんだ、間の悪いところに帰ってきたみたいだな。」
「あら、いいじゃない。隆博が一番暇そうだし。」
「まあ、いいけど。」
蛍光灯を外しながら近くで窓拭きをしている母親と話を続ける。
「なあに。デートする彼女くらいいないの?」
「さあね。」
「あら、寂しいわね。可哀想に。」
けらけら笑い出す。何が面白いんだ。まったく。
「うるさいな。」
ちょっとむっとして言い返すと、
「そう、かりかりしないで。掃除が終わったらご飯食べさせてあげるから。」
彼女は真剣に取り合わない。
まあ、いいけど。僕は母親にあれこれ指図されるまま、大掃除に没頭した。
でも本当はほっとした。ひとりでいると悟のこと、里佳子ちゃんのこと、考えると不安になることばかりだ。でも、こうやって体を動かし、いつも冗談を言っている大らかな母親と、他愛もない話をしていると気が和んだ。
午前中一杯掃除にかかりきり、少し遅い昼食を母親と食べた。久しぶりに家の台所で食事をする。
「カレーだけどいいわよね。」
「うん。」
「昨日から煮込んであるのよ。」
母が皿に盛ってくれる。ジャガイモがいっぱい入ったカレー。僕の子供の頃から変わらない。それを母親と向き合って食べる。母親とふたりで向き合って食事をするなんて本当に久しぶりだ。なんだかこういうのもたまにはいいな。
「隆博。たまにはいいわね。ふたりでこうやってご飯食べるのも。」
思っていたことを母親が口にした。
「今、僕もそう思っていた。」
母さんは嬉しそうに笑い、
「何日までいられるの?」
と、聞いた。
「学校が10日まで休みなんだ。別に予定はないからいつまででもいいんだけど。」
「お休みはどこへも行かないの?」
「同級生で集まるんだ。まだいつかわからないんだけど。誘われたからそれで帰ってきたんだ。」
「そう。まあ、ゆっくりしていったら。いつも家にいないんだもの。きっとお父さんも喜ぶわ。」
「うん。」
母さんは久しぶりに帰ってきた僕に始終ご満悦だった。
僕はふっと聞いてみたい衝動にかられた。
(僕がどんな息子でも、そうやって笑って僕を迎えてくれる?)
母さんが
(何?)と目元を緩めた。
「ううん。何でもない。」