26話
What you gonna do when I say goodbye.
All you gonna do is dry your eye.
I’m walkin’yes, indeed.
最後のサビの部分に入る。その時、ドアのチャイムが鳴って客が入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
2人連れの中年の男性客。一方のちょっと小太りな男性客が悟の方を見て、おやっという顔をした。 知り合いかな?
カウンターしか空いていなかったので、カウンターでよいかと聞くと、それで結構だと頷いたので2人をカウンターへ案内した。小太りな方が連れの客へ何やら囁き、悟の方に目をやったので、連れの客も首を回して悟の方を見た。
〝へえ、やるねえ。〟などと囁いているのをオーナーが聞いて、知り合いですか?などと聞いているみたいだ。
僕は離れた場所で客のオーダーを聞いていた。そうこうしていると、歌が終わって彼がこちらへ戻ってきた。戻ってくるのもひと苦労していたけどね。女の子たちが彼に携帯やメルアドを聞こうと必死になっていたから。
僕はますます面白くない。カウンターへ戻ってきた悟に、オーナーが〝良かったよ〟などと言い、褒めていた。悟は鼻を啜りながら
「風邪気味で、声があまり出なくてすみません。」
頭を下げた。
オーナーが僕ら2人を見て
「何やお前ら。2人して風邪引いて。怪しいな。」
僕はどきっとしたけど、彼は、
「何言ってるんですか。澤崎さん、冗談きついっすよ。」
などとけろりとしている。
オーナーが〝カウンターのお客さん、悟くんの知り合いらしいよ。〟と、声をかけた。
彼がそちらの方へ目をやると、小太りの方がやあ、といった感じで片手を挙げた。
「あ、森下さん。」
知り合いらしい。
「どうしたんですか?このお店、よくみえるんですか?」
森下さんと呼ばれた小太りの方が
「彼がいい店があるからって連れてきてくれたんだよ。」
連れを指差すと、もう片方の男性客が、
「こんばんは。」
頭を下げたので、悟も丁寧に頭を下げた。
「何?水木くんはこの店で働いているの。」
さっきのピアノのことを言っているみたいだ。
彼は恥ずかしそうに
「変なところ見られちゃったな。」
「いやあ、僕が無理やり頼んだんですよ。彼ピアノやっていたっていうから。」
オーナーが口を挟む。
「いや、うまかったよ。すごいね。」
そのやりとりを見ていた悟が、僕の方を振り返り手招きした。
彼らの側に行くと、
「森下さん、これ僕の後輩なんです。堀江隆博くん。」
僕を紹介してくれた。
「こんばんは。初めまして。」
頭を下げると、森下さんと呼ばれた彼が
「初めまして。よろしくね。」
スーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、名刺をくれた。
名刺には『株式会社ダイナ・ランゲージサービス 第2営業課部長兼翻訳コーディネーター 森下光雄』とあった。
(翻訳コーディネーター?)
会社名を見て驚いた。翻訳会社の大手だ。悟の翻訳の仕事先?
名刺を眺めていると、悟が勝手に僕を自分の後釜にと、森下さんに売り込んでいた。
まだ、返事していないのに。僕が戸惑った顔を向けると、悟はにこにこと頷いた。
(大丈夫だって)
(ええ、そんなあ)
2人して視線でそんなやり取りを交わしていると、森下さんが、
「堀江くん、やってみないか?」
と、声をかけてきた。
「僕、まだ勉強中で。」
「実践を積むことも勉強になるよ。」
「そうだよ、やってみろよ。俺も面倒見てやるから。」
と、悟。森下さんは続けた。
「水木くんは優秀でね。翻訳をやりたいとうちの会社に登録してくださる人はごまんといるんだけど、その中でも彼は仕事を安心して任せられる数少ない人材でね。納期はきちんと守ってくれるし、仕事は硬い。学生さんなのにほんとよくやってくれてね。ずっとうちは頼みたかったんだけど、東京へ就職するってことを聞いてからほんと困っているんだ。」
「水木くんに前から君のことは聞いていたよ。出版翻訳がやりたいってことはわかっているけど、勉強のためにいろんなことをするのも身につくからね。実務翻訳は数が多いし、結構仕事があるよ。通信、ネットワーク、コンピューター、特許、法律、証券などジャンルはいろいろあるけど、最初はあまり専門性のいらないものからやってみて。堀江くんもコンピュータやネットワーク関係は強いらしいね。水木くんと同じで。仕事が一番多いジャンルだからすぐに仕事をお願いできると思うんだけど。」
どうしようか?悟の方を見ると、
(やれ、断るなよ。)
きつい眼差しが飛んできた。それで、森下さんに、
「じゃあ、一度お話を伺わせて下さい。」
そう言うと、年明けに会社に面接に来て欲しいといわれた。トライアル(試訳)をしてみてOKなら登録して、ということで話は進んだ。隣にいる連れの彼も会社関係の人らしい。この人にも名刺をもらう。
さて、彼らが帰ってから
(急なんだから。)
困ったふうに口を尖らせると、
(何言ってんだ。お前ならやれるよ。)
有無を言わせない口ぶりだ。
忙しくて結局店ではそれ以上話が出来ず、店が引けるのを待って彼の家で飲み直すことにした。
深夜12:00過ぎ。彼の家のキッチンでオムレツとキノコのガーリックソテーを作る。東京から飛んで帰ってきたが、演奏を頼まれたり、翻訳会社の取引先の人に会ったりで、店でつまみらしいつまみも食べられなかった悟が、腹が減ったから何か作れとうるさいのでキッチンに立っている。
にんにくをスライスし、フライパンの火を弱火にしてオリーブオイルでこんがり狐色になるまでソテーする。1回取り出し、エリンギ、シメジ、マッシュルームなどのきのこ類を入れ炒める。塩、コショウして取り出し、こんがり狐色にソテーしたガーリックを散らす。
次はオムレツ。ボールに卵を割りいれ、塩、コショウ、コンソメ、牛乳で味をつけ、たっぷりのバターを引く。卵を流し入れ、箸で寄せながら焼いていると、キッチンに入ってきた悟が、
「すごいな。料理が出来るなんて。」
感心しながら僕の手つきを見ている。
「これくらいの簡単なものしか作れないよ。」
「でも、すごいわ。」
食い入るように僕のフライパンさばきに見入っている。
そうなんだ。悟は全く料理が駄目なんだ。勉強、スポーツ、音楽、なんでもトップクラスの超人なのに唯一の弱点は料理だ。インスタントラーメンですらろくに作れない。かろうじて、カップめんにお湯を注いで食べるくらいだな。後は外食。
高校の時ひとり暮らしで料理もまともに出来ずどうしてたんだと聞くと、朝はコンビニ、昼は学食、夜は店で食べていた、と言った。