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17話

 その日、僕は学内にある生協のコピー機で、市川に借りたレポートをコピーしていた。何せここ最近ろくすっぽ授業に出てなくて、単位が危うい。

 コピー機の前でぼんやりコピーが終わるのを待っていると、横から無遠慮に誰かの手が出て来て、コピーした用紙を取り上げた。

「あ、それ。」

 僕のだと言おうとして、そいつの顔を振り返って見たら、裕樹だった。

「なんや、おまえ。真っ白じゃん。」

 裕樹の手から用紙をひったくると、確かに真っ白だった。

「あれ。」

 よく確かめてみると、元のコピーしたい方を裏返しにしていたので、裏面がコピーされていただけで、どれも真っ白だった。

「あほじゃな。」

 ばかにしたように裕樹が言うのに腹が立って、コピーしようとセットしておいたレポートを乱暴にひったくると、生協を後にした。

「待てよ。」

 裕樹が追っかけてきて、僕の腕を掴んだ。

「なんや。調子悪そうだな。」

 ふん、と僕は鼻で息をした。

「別に。最近授業に出てなくて、市川にレポートコピーさせてもらおうと思って。」

「そうか。」

「俺に言えばいいのに。取ってる授業大体一緒だろ。」

 そうは思ったが、抱えている悩みを健二や裕樹に知られるのが嫌だった。

「まあ、いいわ。コーヒーでも飲も。」

 ふたりして学食へ行って、コーヒーを買うと窓際の席に座った。


「最近、おまえおかしいわ。こないだも具合が悪いって、だいぶ出てこんくて、ちょっと出て来たと思ったら、また見ないもんな。ええかげんにせんと単位落とすで。来年3年だろ。就職活動も始めないかんしな。」

 裕樹は真面目なヤツだ。家が和菓子屋の老舗で、学校を卒業したら、家業を継ぐらしい。何で、この学部に来ているのだと聞くと、ただの趣味だといった。まあ、それはいいが、老舗の跡取りのせいか、責任感が強く、真面目であまり冗談も言わない。が、人の気持ちのわかるやつで、こいつにはいつまでも隠せないなとは思っていたが、虚をつかれた。

「わかってるよ。」

「ほんとに胃の調子が悪いんだ。」

「だったら、検査受けろよ。」

「うん。」

 とは、言ったがもちろん胃が悪いなんて嘘だ。

「嘘だろ。」

「何が。」

 裕樹に表情を読み取られないようコーヒーカップに視線を落としながら答えた。

「だからさ、なんか悩みとかあるんだろ。何やらかした?」

「いや。」

「何もないよ。」

「俺に嘘つくなよ。」

「うん。」

 自分自身も何を悩んでいるのか、いつもの調子の自分に戻れないことが苛立たしかった。だからと言って、彼に言ってみろと言われても何を言えばいいのか。まさか、何が言える。あるきっかけで、昔の死んだ彼女のことを思い出して、悲しくなっているとでも?それとも、男に告白されて悩んでると?もひとつ上をいってその相手のことが何故か気になってしようがないとでも告白しろと?

「まあ、悩んでるといったらそうなんだけど。裕樹の気持ちは嬉しいけど、とにかく、少し自分でいろいろ考えていたいんだ。人に話して解決するような問題でない。」

 そう、溜息をつくと、

「まあ、お前は何かあると、健二みたい明け透けに悩みを打ち明けて解決するタイプじゃないしな。それはわかってるんだけど。健二も心配してたぞ。あ、あと、例の彼女。大丈夫なんか。お前から連絡がないって、健二に泣きついていったらしいぞ。」

「え。」


 里佳子ちゃん。気にはなっていたが、とても連絡を取って会う気分じゃなかった。

「健二がそのことでも心配しとったぞ。今度はうまくいきそうやなって喜んどったんやけど。」

 健二が女関係で僕のことを心配してくれてるのは前からのことだ。

 扶美の事があるから。

 あれから扶美を失くしたショックで、他の女の子と付き合うことなんて考えられなかった。でもここ最近になってやっと、前向きに考えられるようになった。それで紹介やコンパなどで知り合った女の子とデートしていたんだけど、どうも長続きしなくて。それは僕の執着心のなさなのだとわかっていた。 原因は僕にあるんだ。

 コーヒーの薄いカップに目を落としたまま、黙り込んでいると、

 裕樹に肩を揺さぶられ、

「でも、俺でよければいつでも言え。友達がいるのを忘れるな。」

「裕樹。僕が何をやらかしても友達でいてくれるか?」

 思い切って聞いてみた。

 彼は即答した。

「たとえ、お前が泥棒をしても、殺人をしてもだ。俺がお前を嫌いになることはない。そうすることには何かしら理由があるだろうし、俺はお前を知っているつもりだ。」

 心強かった。裕樹が男らしく見えた。

「ありがとう。」

 そう言うのが精一杯だった。

 急に裕樹は照れたように、時計を見て、

「ああ、いかん、次の授業は出ないかん。お前はゆっくりしていけ。」

 そう言って立ち上がり、

「良ければいつでも俺の下宿へ来い。いつでもだ。」

「ああ。」

 裕樹は去り際、背中を向けたまま、じゃあなと手を振って出て行った。

 何だかほっとした。ひとりじゃないということはなんて心強いのだろう。裕樹があれ以上何も聞かずにいてくれたことが嬉しかった。

 いつまでもこうしていてはいけない。とりあえず、やることはやらなければ。僕も次の授業に出るために立ち上がった。


 いつものような日々が過ぎていった。だいぶ授業を休んでいたので、次のテストは苦しかった。が、何とかこなし、ぎりぎりだったが何とか単位もクリアできたし、ちょっとほっとした。裕樹に会った時、何とか単位もクリアし、テストもやっつけたことを報告すると、彼もほっとした顔をした。

 このまま、普通に日々が過ぎればいいと思った。あの晩の事は忘れ、先輩も東京へと発ち、いつもと同じ日常が戻ってこれば。自分が自分に戻れるのもあと少しだ。

 でも、ひとりになると、藻が絡みつくように頭の中を支配することがある。振り払おうとすればするほど、心をそこに近づけまいとすればするほど、その影は心の中にどんどん大きくなっていた。そして、そのことを僕は嫌悪した。嫌悪しているのに、その嫌悪感とは反対の位置で心が魅かれてどうにもならないことを感じる。

 2人の自分がいた。その答えをいつかは出さないといけないのだろうか。このまま、あいまいに日々を過ごしていけばいつか忘れ、解決していくことなのだろうか。その答えは出ない。誰も答えてくれない。

 時々、夜、自分の部屋で何もせずにぼんやりしていると、無性に彼のことを考えることがある。彼の笑った顔や、眼差し、ふっとしたしぐさや、話した事柄についてや、そんないろんなとめどもないことだ。

 僕はあれから彼に会っていなかった。当然なのだろうけど。連絡もしない、連絡も来ない。彼の問いに僕は答えなかった。それで良かったのだろうか。いや、それで良かったのだ。その問答の繰り返しだ。


 ある日、講義を終えて学校の門を出ると、ばったり里佳子ちゃんに会った。

 突然で声も出ず、立ち尽くしていると、

「隆博君。今いい?」

 彼女から声を掛けてきた。

 頷き、無理やり笑顔を繕う。

 ずっと連絡をしなかった僕をなじるわけでも、不機嫌な顔を見せるわけでもなくいつもどおりの明るい笑顔を見せて、

「久しぶり。急にごめんね。」

 そう言って僕の腕を取った。

 ずっとあの門のところで待っていたのだろうか。

 聞きたくて、喉元まで言葉が出かかったのを飲み込んで、

「こっちこそごめん。連絡もせずに。」

 彼女は慌てて首を振る。

「いいのよ。」


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