15話
国道を20分ほど北上する。大きなドライブスルーの看板が目立つマクドナルドの交差点を県道へ折れると、すぐに駅前のターミナルが見えてくる。改札の前にはタクシーやバスが入ってくる円形のターミナルがあって、大きな噴水がある。この駅のもっとも目立つ目印だ。その噴水を左に折れて、商店街を抜けると10分もせずにすぐにその場所へたどり着いた。街中にあり車が良く通る街道なのに、一歩中に入るとその喧騒が嘘のように静かだ。その境内には誰もいない。お堂があり、右手には住職の住まいがあり、左手に入っていくと墓地がある。
そう、僕は芙美の墓に参りに来たのだ。
久しぶりに来たけど、墓の場所はしっかり覚えている。僕はあの頃、何度ここへ来ただろう。芙美の墓にはいつも綺麗な花が手向けられ、きちんと掃除が行き届いている。おばさんは毎日お参りに来ているのだろう。芙美の家はここから歩いて5分ほどの所にある。僕はその小林家先祖代々の墓と刻まれた墓の前にしゃがみ、持ってきた京紅の箱を置いた。
「芙美、今頃ごめんな。あの時買ってやればよかったのに。」
そう、話しかけてみる。頭をなでるように墓石をなでてみる。墓石の側面に刻まれた文字を手でなぞってみる。
(俗名 小林芙美 享年17歳)
墓石は冷たく、その刻まれた文字は何の感触も示さない。でも、僕はここに触れずにはいられない。来たときはいつもそうする。あの頃のことを思い出してみる。彼女がこの世を去って間もない頃。ここへ来て、どのくらいの時間ぼんやりしていただろう。あの時のことを思い出すと、何ともいえない気持ちになる。背中から冷水を浴びせられるような、ぞくぞくとした寒気にも似た感触に全身を包まれていた。いつも感じた心もとない不安。何ともいえない気持ちだ。今でもはっきり覚えている。
あの日、僕は塾が遅くなり、家にたどり着いて夕飯を食べると自室で眠り込んでしまった。母親から電話だと起こされ、時計を見ると10時を過ぎていた。
(こんな時間に誰だろう。)
いぶかしげに受話器を取ると加奈子だった。
「隆博くん。」
言ったきり、泣き出してしまい後が続かない。何かあったのかと、問い続けてもしゃくりあげるだけでらちがあかない。何かあったには違いないけど、それは予想もしないことだった。
「落ち着いて聞いて。」
「落ち着いてるよ。何があった?」
「ホントに落ち着いて聞いてね。」
「ああ。」
「……」
「何?」
加奈子の声が震えていた。
「芙美が…」
「芙美に何かあったのか?」
「芙美が亡くなったわ。」
その瞬間、頭の思考回路がストップした。何かショックなことがあった時、人はよく頭が真っ白になるというが、あれがそうだったのか。真っ白だった。何も考えられなかった。どこか遠いところで自分の声がした。
「死んだ?」
「そう。」
急に感情が復活した。腹の底から感情が沸きあがって来た。
「嘘だ!」
「嘘なんかじゃないわ!」
受話器の向こうで加奈子が金切り声を上げ、号泣した。僕はそれをぼんやり聞いていた。その後のことはあまり覚えていない。何故か、次の記憶は芙美の葬式だった。芙美の家に行くと、クラスの皆が来ていて、あちこちで泣いている声がしていた。
今でも覚えている。こんなことを。
焼香をし、花を彼女の棺に入れた。僕はその花を芙美の左の脇腹の辺に置いたことを覚えている。きれいな顔だった。眠っているような。でも、その血の気のない蝋人形のような青白い顔はまさしく死人の顔だった。白い菊やカーネーションなどが顔の周りを縁取り、僕は彼女の顔を見た。どっちの頬だっただろう。少し青いあざが出来ていて、それが事故死なのだという事実を物語っていた。
その葬儀の席にほうけたように聡が座っていた。むちうちの人がするおおきなカラーを首に巻き、頬にガーゼを当て、目の上が青く腫れていた。僕は聡を見ることが出来なかった。目をそらし、その場を離れた。
出棺の時、僕は祈った。何を。芙美、もし僕が死ぬ時、僕を覚えていてくれたら、迎えに来て欲しい。そう、祈った。これで、最後なんて思いたくなかった。もう一度会いたかった。この世ではもう会えないなら、せめてあの世で。自分が死ぬとき、芙美にもう一度会いたかった。自分がおじいさんになっていたら芙美は僕だとわかるだろうか。きっと、わかるよな。
出棺の後、事故現場へ花を手向けようと、クラスの何人かで事故現場へ向かおうとした。加奈子と美晴が泣き崩れて動けないのを、クラスの女の子たち2、3人が抱えようとしていたので、僕は加奈子を、健二は美晴をそれぞれ抱き上げた。
「つらいけど、もっとつらいのはお母さんやお父さんたちだ。しっかりしろ。泣くんならお母さんたちの見えないところで泣こう。」
彼女たちは僕を見て、健気に首を大きく何度も縦に振った。
その時、聡が僕たちに近づいてきた。そして、僕たちの前で立ち止まると、頭を下げた。膝まで届くくらい体を折り曲げて。僕らはそれを見たけど、その場には加奈子と美晴、健二、それに他の芙美の友達やら10人くらいの人がいたけど、誰ひとり、もちろん僕も、誰も聡に声をかけてやれなかった。いたたまれなかった。どうすることも出来なかった。口を開こうと思ったけど、声が出なかった。その場に僕らは立ち尽くした。
その後、花を買って、加奈子と美晴、健二の4人で、その現場へ行った。堤防沿いの道で、結構見通しも良く走りやすい道だった。その場所は、市内へ向かう道と、川を渡る橋が交差する交差点で信号がついている。
話によると、あの日。聡はバイクの後ろに芙美を乗せ、市内へ向かっていた。そんなにスピードが出ていたわけでもなかったらしい。その信号は点滅信号で、聡たちが走っていた道が優先だった。黄色の点滅の信号を確認し、交差点に差し掛かる。それを川向こうから橋を渡ってきた車が信号を無視して突っ込んできたのだ。おばさんが病院へ走っていった時には、すでにもう芙美の意識はなかった。即死だったらしい。
聡は奇跡的に軽症ですんだ。しかし、芙美はもう戻らない。
夏の日は傾きかけていた。うだるような暑さも川を渡る風に冷やされ、心地良い風が吹いていた。僕らはその場所に花を手向けると、手を合わせた。
それから僕たち4人は、そう、あの噴水の前で待ち合わせて、週命日になると彼女の家に行った。仏前に参り、芙美が好きだったシュークリームやチーズケーキを買っていって供えた。仏壇には大きな芙美の遺影が飾られ笑っていた。
いつ頃の写真だろう。高校の制服を着ている。おばさんの話によればあまりにも急なことだったので、遺影に使う写真を選ぶ余裕がなく、高校の入学式に撮った写真を引き伸ばしたそうだ。僕はその写真を見るたび、(おばさんたちもきつい冗談だよな。まるで死んだ人みたいじゃないか。)そう、思うのだが、その次の瞬間、ああ、本当のことなんだ。芙美は死んでしまったんだ。と、確認するのだ。次の瞬間、うっかり涙が出そうになるのをぐっとこらえる。
そして、おばさんはお茶やお菓子を出してくれ、彼女が生きていたときの話、家ではこんな子だったとか、こんなものを集めていたとか、兄弟とはこんなふうに遊んだりしていたとか、そんな話をしてくれる。その時の僕らにはそれ以上の慰めがあっただろうか。芙美とどこか面影が似ているおばさんと彼女の話をする。それは悲しいことだけど、どこか優しい時間だった。
彼女には下に、弟と妹と兄弟が4人いて、そのすぐ下の妹が年子で彼女にそっくりだった。家に行くとその妹が顔を出す。その子を見るとなんて似ているのかと感心し、でも、芙美ではないのだと思うと、砂を噛むようなむなしい思いになる。