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13話

 それから数日。その晩の事が頭から離れず、ぼんやりとした毎日を送っていた。学校には通っていたが、前のように集中して講義を聞くことも出来ず、気がつくと教授の話は頭の上を通り過ぎていくだけで、僕の心は違うことに支配されていた。

 里佳子ちゃんからメールが入っていた。彼女に会う気になれなかった。あの日、デートも中断したままで、悪いとは思いながら曖昧な返事を返すしか出来なかった。


 数日後、目が覚めた時にふと思い浮かんだことがあった。

 京都へ行ってみようか。何故、京都なのかよくわからないが、とにかく日常から逃れたかった。静かな場所へ行きたかった。

 それで、地下鉄に乗り、バスを乗り継いで、新幹線が停まる駅まで向かった。緑の窓口で切符を買い、発車まで時間があるのを確認すると、駅のロータリーの真前にあるスタバでコーヒーを買い、発車までの時間を潰すことにした。ガラス窓越しに行きかう人々を眺めながら時間を過ごしていると、発車の時間が近づいてきたので、ホームに立ち、京都行きの新幹線が到着するのを待った。平日なので、人は少ない。出張らしきサラリーマンの姿、定年でリタイアした感じの夫婦連れや、数人の中年女性のグループ。ホームの真ん中に陣取ってはしゃぐおばさんたちの群れは観光旅行のようだ。楽しそうにどこを見て回るか、あれこれしゃべってはしゃいでいる。僕はそんな人たちをぼんやり見ていた。

 僕はどこへ行くんだろう。京都か。ひさしぶりだな。里佳子ちゃんが京都で舞妓に変身してみたいと言ってたことを思い出した。でも、今の僕には、彼女に会うことがひどく現実味から離れたことのように思えた。

 ホームに新幹線が到着する。僕は自分の席番を確認し、腰を下ろした。新幹線が動き出し、景色がゆっくりと流れていく。そして、時速を上げ始めた新幹線のスピードに伴い、町並みが、そして町並みを過ぎると、延々と続く田んぼや山の景色がものすごい速さで後方へ飛び去った。僕は窓からその景色を眺めていたが、そのうち心地よい眠気に襲われた。

「次は京都です。」

 アナウンスが入るまでよだれを垂らさんばかりに眠りこけていた。


 京都へ着いた。いつ来た以来だろう。京都駅はかなり変わっていた。広く近代的に変貌を遂げ、駅には何件もの土産物屋が入り、ポルタやアバンティなどのデパートが駅ビルに居を構え、何連にも連なるエスカレーターが観光客を運んでいた。僕はホテルグランヴィア京都の脇を通り過ぎ、エスカレーターが上がりきった所にある観光案内所へ飛び込んだ。

 さて、どこへ行こう。中でパンフレットや観光マップを何枚か選び取っていると、ふっと頭に浮かんだことがあった。


 芙美のことだ。芙美と京都へ来たことがある。

 高校1年生の春休み。芙美と、芙美と仲の良い加奈子に美晴。それから僕と、同じクラスで仲の良かった聡に健二。6人で京都へ出かけたことがあった。きっかけは何だったんだろう。よく思い出せないが、仲の良い僕たちは、春休みどっか遊びに行こう、遠出してなんていう話をしていたんだろう。

 あの時、僕たちはどこを回ったんだっけ。あの時はまず、清水寺へ。それから、産寧坂から高台寺へと続く道を土産物屋などを見て歩き、円山公園、八坂神社にお参りした。そして、嵐山、嵯峨野。渡月橋を行き交う人たちを見ながら、桂川沿いのベンチに座り話をした。芙美と。何を話していたのだったか。いや、よく覚えている。芙美が言ったことを。


 あの時の芙美と過ごした時間がまるで昨日のように思い出され、僕は急にどうしようもなくあの渡月橋が見えるあの場所に行きたくてたまらなくなった。

 すぐに観光案内所を出て、嵯峨野線の電車に乗り込んだ。バスを使わなかったのは市内の渋滞に巻き込まれるのが嫌だったからだ。電車なら渋滞に巻き込まれることもなく、30分ほど後には、僕をあの場所に連れて行ってくれるだろう。


 嵐山の駅を降りると、平日だというのに、通りは観光客でいっぱいだった。蟻のようにうごめく観光客に紛れながら渡月橋の方へと歩いていく。桂川沿いに土産物屋や食べ物屋などがびっしりと軒を連ねている中を、大勢の観光客がひしめいていた。カメラを片手に記念撮影をする人、路上でアイスクリームや団子などを食べて雑談をしている若者、団体旅行で観光バスに乗ってきたと思われる中年の団体やら。大堰川の上にかかる渡月橋の上では記念撮影する人たちで一杯だった。シャッターを切る前を邪魔しないように橋を渡ると、対岸へ降りてみた。

 その辺り一帯が中ノ島公園だ。出店が出ており、平日とはいえ結構な人が出て賑わっている。そして、川沿いにベンチが並び休憩できるようなスペースが取ってある。ペットボトルのお茶を買い、そのひとつに座り橋を眺めると、ここが一番の撮影スポットに思えた。

 嵯峨野の方へ観光に行くこともちらりと頭に浮かんだが、別に観光目的で来たのではない。日常から離れたかった。非日常の空間に自分の身を置きたかった。周りにはカップルや家族連れの観光客や、ひとり旅と思われる人たちもいた。渡月橋の方へ向かってキャンバスを広げ、絵を描いている人もいる。その人たちを何の気なしに眺めていると、頭の中が空白になっていくのを感じる。


 誰も僕を知らない。この街では僕は異邦人だ。誰も僕を見ない。誰も僕に気を止めない。それがひどく心地良かった。何人もの観光客が僕の後ろを通っていった。川の流れを見つめた。こまごまとした雑念が一緒に流れていけばいいと思った。誰も僕の心の中に入って欲しくなかった。

 又、芙美のことを思った。あの時、ここのベンチに座り、やはり休憩した。芙美は僕の隣に座り、今日は楽しかったね。と言った。もう、日は傾きかけ、僕らは帰り支度をしなければならない時間になっていた。

 そうだね、楽しかったね。と、僕は返した。芙美はあれこれと今日回った観光地のことなどを話していたが、思い切ったように聞いて欲しいことがあるのだと、僕に言った。

「何?」

 隣に座った彼女の顔を除くと、扶美は言いにくそうに少し黙った。間があって、その間隣で、今みたいにペットボトルのお茶かジュースを飲みながら彼女が口を開くのを待っていた。

「隆博くん。あの、聡くんのことどう思う?」

 何故、芙美が聡のことを聞くのか疑問に思った。それでも、

「いいやつだよ。明るいしリーダーシップもあるし、スポーツも出来るし。」と、答えた。

「何で?」

 そう返すと、彼女は思い切ったように一気にしゃべり始めた。内容はやつにつき合って欲しいと言われて、どうしようかと迷っているということだった。

 僕はその時、胃の奥がぎゅっと痛くなるような感触に襲われた。確かに動揺していた。冷静に返さなければと思うのだが、言葉がすぐに出ない。やっとの思いで口を開いたが、自分の声がうわずっているのを感じた。

「それで、返事は?」

「聡くんは答えが出るまで待っていると。」


(まだか。まだ返事していないんだ。)

 その時の彼女の表情を忘れることが出来ない。目を見開いて僕をじっと見た。答えを探るように。助けを求める溺れかけた人のように、彼女は僕に必死で語りかけた。何も言わず、その視線だけで。

 一瞬の間があった。僕は芙美が好きだった。他のやつになんか。でも、ついて出た言葉は。

「いいんじゃないか。」

 何故そんなことを言ったのかわからなかった。自分でも驚いた。本当は違う。芙美を他のヤツに渡すのは嫌だった。今がチャンスだったのに。自分も告白して、芙美につき合おうって言えるチャンスだったのに。でも、もう発した言葉は戻らない。その時の芙美は一瞬泣きそうな顔をしたかに見えたが、すぐににこりと笑って

「そうね。いい人よね。」と、言った。

 それから芙美はそのことについては触れず、僕らは帰路についた。

 それから、1ヶ月ほど経って、2人がつき合いだしたことを皆が噂しているのを耳にした。

  

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