4時
はるかは歩いていましたが、なんだかさみしさを感じていました。
太陽はかなり傾いてきていて、夕方がせまっている気配を肌で感じます。
それでもまだ空はのん気に薄青く光っていました。
はるかの心には、早く帰りたい、というあせる気持ちが出てきていました。
そうやってあせる気持ちを抑えながら歩くのはつらいことでした。
さっき風の子供たちに教えてもらって、戻って眠っている自分を起こせば
元の世界に帰れると知りましたが、知ってしまった分、早く、早く、
とあせってしまうのです。
足の下はいつまでもざくざくとした砂でした。とても歩きにくいのです。
もどかしく、イライラとしてきます。泣きたくなってきました。
どうしてこんなにイライラしてしまうんだろう、と、
自分でも悲しくなってしまうほどです。
足を一歩一歩大きく持ち上げて、歩きました。
足をとられる感覚は強くなっていきます。
半泣きでがつがつと歩いていくうちに、ひょっとしたら、と立ち止まりました。
砂漠にからかわれているのかもしれない。
はるかは、静かな静かな地平線をぐるっと見渡しました。
いや、空が私をおもしろがって笑ってるのかもしれない。
上を見上げました。雲一つない透き通った青空です。
日が落ちた分だけ色が薄く、さみしくなっています。
しーんとして誰も何も言いません。はるかが疑いをかけたので、
砂漠も空も息をつめてはるかをじっと見ています。
あんまり長いことしーんとしてるので、
だんだん、世界が含み笑いをしているように思えてきました。
はるかはこの感じを知っていました。
髪の毛にいたずらで花を挿して、言っちゃ駄目だよ、しーっ、と言って、
こっちをちらちら見て笑っているのです。
何で笑ってるの? と聞いても、素知らぬ顔で答えてはくれません。
そして、まだ気づかないよ、まだ気づかないよ、
なんで気づかないんだろ? と笑っているのです。
はるかは、なんだか分からないけど、すごく嫌な気持ちになりました。
はるかは左手の太陽から顔をそむけるように、右を見ました。
そして自分の影の中を見ると、その手首あたりに何か落ちているのを見つけました。
濃い灰色に伸びた影の腕に、赤いものがあります。
身をかがめて拾ってみると、血のように真っ赤な二本の腕輪でした。
真っ赤なリボンに真っ赤な菱形のガラスビーズを通したものでした。
振ると、ビーズが触れ合ってジャラジャラと鳴りました。
誰の落とし物だろう? と不思議に思って顔を上げると、
今までは気づかなかったのですが、
地平線に向かってまっすぐ目の前に赤い円が見えました。
周囲に何も比較するものがないので遠近感が狂ってしまって、大きさがよく分からないのですが、
どうやら赤い服を着た人が集まって円を作っているようです。
きっとこの腕輪の落し主はあの中の一人に違いない、とはるかは思いました。
はるかは線路を離れ、その砂漠に落ちた腕輪のような
赤い人の円に近づいて行きました。
それは想像していたよりも少し遠くでした。
また、線路のわきは平らだったのですが、
こうして線路を離れて砂漠を斜めに横切っていると、
砂漠が本当は緩い丘を持っていることを知りました。
薄い灰色の影をもつ丘を上ったり下りたりしながら近づいていきました。
近づくと、何か紙をびりびりと震わせたような音と
ざわざわした音が聞こえてきました。
もっと近づくと、それが歌で、女の人たちが手をつないで円くなって踊りながら
歌っているものだということがわかりました。
女の人たちはくるぶしまであるほど長い、赤いジャンパースカートをはいて、
長袖で袖口の広がった白いシャツを着ていました。
そのシャツの袖口や襟元には刺繍がしてありました。
そしてその両手首には、あの赤い腕輪をしていて、
手を振るたびにジャラジャラと鳴っていました。
はるかは圧倒されて、呆然とそれを見ながら、傍へ近づいていきました。
彼女たちは、まるで泉からこんこんと水が涌き出るようによどみない足どりで、
つないだ手を振りながらぐるぐる円を描きます。
そして今度は手を離して、両手を自分の前に伸ばして、みんな円の内側を向いて
右へ左へと揺れ動きます。まるで波のようです。
そして今度はまた手をつないで、みんなで円の真中へと押し寄せ、
波が返すようにまた外へ広がり、と繰り返した後、
手を離してその場でくるりと一回転して、シャン、と腕輪を鳴らしました。
くるりと一回転するときに、真っ赤なスカートがわっと広がって、
下の白いペチコートが見えてとても綺麗です。
はるかはその一連の踊りが繰り返されるのを見ていました。
彼女たちは赤いスカーフを被って、金の髪飾り、金の首飾りをしていました。
耳飾りは腕輪と同じ、赤い菱形の石でした。彼女たちは合唱をしていました。
それを聞いていると、はるかはあのヒマラヤ杉のところにいた
小鳥の歌が思い出されました。
でもこの歌はそれとは全然違っていて、行ったかと思うと戻ってくる、
戻ってきたかと思うと行っている、というように、
いつまでも終わりのない歌でした。
そういうふうに、高く上がって行って、また戻ってくる旋律と、
ずっと同じ音で送り出しては迎えている旋律との二重唱でした。
彼女たちの声は、一つになっては離れ、離れては一つになりました。
ぐるぐると彼女たちは回るので、歌も不思議と回転しているようです。
そして、歌が一巡りしたときにはみんな各自でくるっと一回転して、腕輪を鳴らします。
その時歌は消えて、シャン、という音だけが響くのです。
はるかはその踊りを見ていました。歌は、何を歌っているのでしょう?
その言葉は何語なのかはるかは知りませんでしたが、
誰かを呼んでいるように聞こえました。
誰かに来てほしい、と強く願っていて、それを繰り返し繰り返し、
没頭してぐるぐるとめぐりながら祈っているのです。
その歌は聴いていれば聴いているほど、物悲しくも切なくもあり、
同時に密かな期待を胸にしているようでもありました。
波のざわめきを聞いているときのように、しん、と心が静まり返るような歌でした。
聴けば聴くほど、砂漠の静けさが引き立つようでもあり、
また砂漠のはるか向こうのどこかから耳鳴りのようなものがずっと
聞こえているような気にもなるような歌でした。
ふっと。ふっと、はるかは幻影を見ました。
細い細い金の糸が天からすーっと、すーっと一直線に降りているのです。
幾筋も幾筋もありました。淡い光を反射させて、
踊っている彼女たちの周りに降りていました。
それはまるで、彼女たちの赤いスカーフの中からのぞく金色の髪が、
一筋一筋天から降り注いでいるようでした。
それはとても綺麗で、とても静かな光景でした。
ぼーっとそれに見とれていると、いつの間にか円がこちらへ移動してきて、
はるかをすっぽり包み込んでしましました。
まるでかごめかごめのように、はるかは円に取り込まれて、
周りを女の人たちがめぐっていきます。
少し怖くてどきっとしましたが、彼女たちは微笑みを浮かべて
はるかをからかっているような目で見ていたので、少し安心しました。
目の前を赤と金の光と、風景の一つのような歌が通過していきます。
それを眺めていましたが、ふと思い出して、
線路の脇で拾った腕輪を自分の両手首にしてみました。
すると、ちょうど目の前の人が両脇に寄って、
はるかのためにスペースを作ってくれました。
そこで、はるかはそこに入って、隣の人と手をつなぎました。
ずっと踊りを見ていたのでその簡単な踊りはすぐに踊れました。
前へ前へと進んでいって、次は手を自分の前でゆらゆらさせて、
また手をつないで今度は円の真ん中に向かって、また外側に戻ってきて、
手を離して一回転して、シャン、と腕輪を鳴らすのです。
はるかは踊っていてとても不思議な気持ちになりました。
この人たちは何をしているんだろう?
どうして、こんなにずっとずっと踊り続けているんだろう?
はるかはいろいろと頭の中で思いましたが、だんだん何も思わなくなりました。
手をゆらゆらと動かすとまるで波のようでした。
よどみなく足を動かしていると、留まることを知らない水の流れのようでした。
はるかは周りの人と一体になって、自分が溶けてしまったように思いました。
歌は、耳鳴りのように、風景のように、当たり前にそこにありました。
はるかは言葉が分からなかったけれど、口を開けて、何か歌おうとしました。
そのとき、はっと口をついて出た言葉が、
「雨が降る。」
それは確信めいたつぶやきでした。そのときちょうど、くるりと回って
シャンと腕輪を鳴らしたときでした。
すると、そのシャンという音を合図にしたかのように、ザ-ッとすごい音がして、
あたり一面暗く雨に包まれていました。
あんなに雲ひとつない空だったのに、はっと夢から覚めたように
雲に覆われた青灰色の風景がはるかを包んでいました。
はるかは雨に打たれながら呆然としていました。
いつの間にか手首の腕輪はなくなって、
ページをめくったかのように周りの女の人たちは消えていました。
前も後ろも左も右も、見渡す限り誰もいなくて、ただ雨ばかり降っていました。
ものすごい質量のある雨音でした。1m先も10m先も1km先も、
同じようにザ-ッと雨が降っていました。
はるかは自分が一人ぼっちになってしまったので、
思わず悲しくなってうなだれてしまいました。
そうしてなすすべもなく雨にうたれていました。
そうやってしばらくたって気持ちも落ち着いてくると、
あの人たちは雨を降らすために
繰り返し歌って踊っていたんだということに気がつきました。
だから、良かったんだ、と思いました。
そう思うと気分が晴れて、しっかりしなきゃと思いました。
あの人たちの願いは叶ったんだ。
はるかはぬれた顔を手でぬぐいました。
雨も小降りになり、ぽつり、ぽつりとしてきました。
私も私の願いを叶えよう、とはるかは思いました。
あの人たちはぐるぐる回って願いを叶えたけれど、
私は線路をまっすぐ歩いていって願いを叶えるんだ。
空はだんだんと晴れて、はるかが線路のわきに戻る頃には、
線路の向こうにオレンジ色のきれいな夕日が見えていました。
「夕日だ・・・!」
はるかはその夕日を見て思い出しました。夕日に揺られて電車に乗っていて、
うとうととして夢を見たのです。ここがその夢の中なのです。
はるかは自分を起こすために来た道を戻っているのです。
はるかは夕日を斜めに浴びながら。また歩き出しました。
雨で砂が固まって、足をとられることもなくなっていたので、
一歩一歩しっかりと踏みしめながら歩いていきました。