1時
はるかが歩いていると、どこかで金属が触れ合うような音がしました。
空の隅っこでそんな音がしたようでした。
今度は空の別のところ、頭の後ろのほうで、
グラスの中の氷がカランと転がったような音がしました。
はるかは振り返って、空の青が薄くなっている辺りを見通すようにしましたが、
何も見えません。
はるかはまた歩きだしました。
しばらくすると、今度はもっとはっきりと、はるか右の方の乾いた空気の中で、
山のわき水の流れのような美しい音が聞こえました。はるかがはっとそちらを見ると、
砂漠と空の間を何かキラッキラッと光を反射させながら
飛んで来るのが分かりました。
はるかが歩きながらそれを目で追っていると、それはこちらへは飛んで来なくて、
線路が地平線に消えるあたりに斜めに飛んで行きました。
その音はただの音ではなくて、旋律をもっていました。
今度は後ろから、ガラスのように透き通った美しい音が聞こえて、
それが高くなり低くなり旋律を奏でながらだんだん近づいて来ると、
はるかを追い抜いて行きました。それは銀色と水色が混ざった色の羽をもった、
美しい小鳥でした。
それは線路の先へと飛んで行きました。
この先に何があるのだろう、とはるかはわくわくして急ぎ足になりました。
どれくらい歩いたでしょうか、何匹も小鳥が同じように
線路の先へ向かって飛んで行きました。
そしてはるかが進むにつれて、何かウワーンという響きが大きくなっていきました。
そしてとうとう線路の真ん中に、とても立派な、
背の高いヒマラヤ杉が立っているのを発見しました。
それは砂漠の真ん中でとても瑞々しく鮮やかな深い緑で、
はるかは思わず目を見張りました。
そのヒマラヤ杉に小鳥は飛んで来ては枝に止まって、美しくさえずっていました。
小鳥は何十匹といて、輪唱しているようにワンワンと共鳴していました。
銀の鈴を何百個もいっぺんに鳴らしているようでした。
はるかはぼうぜんとして立ちすくんでしまいました。
すごく質量感のあるハーモニーです。
そのヒマラヤ杉全体が銀色に光っているようでした。
その合唱は光の柱になって天まで届くようでした。
はるかはそこに立ちすくんでいました。
小鳥は次から次へと歌いながら集まって来ては、そのまま輪唱に加わりました。
どの小鳥もある長い同じ歌を歌っているようでした。
ある小鳥が歌った旋律を、少し遅れて別の小鳥が歌っていたりしたので
そう気づいたのです。
ふとはるかは、小鳥がどんどん集まっているのに
木の枝からあふれないのを不思議に思いました。
そこで一匹に注目していると、その小鳥は長々と一つの歌を歌っていって、
うれしそうに高らかに歌い終わると、くにゃりと形が変形して、
枝にひっかかったハンカチのようになったかと思うと、
とろりとちぎれてぽとりぽとりと砂の上に落ち、
少しするとそれがじゅわっと砂にしみこんで行きました。
よく見てみると、あちらこちらで歌い終わった小鳥が水のしずくとなって
枝から垂れて砂にしみこんでいっています。
小鳥たちが水になるのか、もともと水が小鳥になったのかは分かりませんが、
その水の小鳥たちがこの砂漠の真ん中でヒマラヤ杉を生かしていたのです。
はるかはヒマラヤ杉の木陰に腰を下ろして、美しい輪唱を聞きました。
それは居心地が良くてとても安らぎました。
はるかの体もとろけてしまいそうでした。
そうしてしばらくそこに座っていたのですが、偶然はるかの肩に小鳥が落ちて来たのです。
はるかはいそいで立ち上がりましたが、はるかの肩で小鳥は水になって、
服にしみこんでしまいました。
大切な生命の水を無駄にしてしまったのが申しわけなくて、はずかしくなって
はるかはヒマラヤ杉の木陰から外へ出ることにしました。
そしてそこで強い日の光を浴びながら、その大きな木を見つめて音楽を聞いていました。
そして次第にハミングで、そのメロディーをなぞってみることを始めました。
その曲はこの世の物では無いほど美しかったのです。
その曲は小川の流れのように瑞々しく清らかで、
豊かな喜びに満ちあふれていました。
はるかはそのメロディーをまねようとしていました。
でも、ある小鳥の声をまねようとしても、
かぶさるように別の小鳥の印象的なフレーズが割り込んできたりして、
どんなメロディーなのかなかなかつかめません。
でも、その巨大なハーモニーに包まれて、はるかの体の中の水や、
吸う空気にその響きが溶け込んでいたので、
判らないなりにもハミングしていると、
自分も一つに溶け込んだような気分になりました。
すると、小鳥が木に飛んで来ては別の小鳥が溶け、
ということを繰り返している中で、
ある飛んで来た一羽がはるかの肩に止まりました。
そしてそのまま肩で歌い続けています。
その小鳥はヒマラヤ杉の木陰ではなく、はるかの頭でできた日陰に止まったのです。
はるかは懸命にそのメロディーの流れを追いました。
高いところで星がまたたくようにさえずったかと思うと、
ふいに急降下してきて静かで優しい地下水の流れになったりしました。
春になって泉の氷にひびが入るときのようなスタッカート、
それから心の琴線に触れるような慈愛に満ちた軌跡。
それらは予想もつかない流れで、繰り返しも無かったので、
はるかはいつしかメロディーを覚えようとするのはやめて、
うっとりと聞きほれていました。
すると最後に、長く長く息の続く限り美しい中音域で伸ばした後、
その小鳥は誇らしげに羽根を広げてはるこの肩にくずれました。
はるかは思わずそれを助けようと手を出しました。
すると小鳥は手のひらへ滑ってきたので、
はるかは両手をお椀のようにしてこぼれないようにしました。
小鳥はみるみるうちに流れやすくなっていって、
しまいには指のすきまからしずくがぽとりぽとりとこぼれました。
はるかはふと、のどが渇いていることに気がつきました。
はるかはその透き通ったきれいな水に口をつけると、こくこくこくと飲みました。
その水は少し甘くて、やわらかくのどにしみこんでいきました。
はるかはその水を飲み干して、ああ、ありがたいなあ、と思いました。
あいかわらずはるかの肌をびりびりと震わすような
ものすごいさえずりが響いていました。
この木も私も、この小鳥の水に生かされているんだなあ、
生かしてもらっているのだなあ、とはるかは思いました。
はるかがそうやっていると、少し音楽が小さくなったように思いました。
飛んでくる小鳥が少なくなったのです。
どんどんハーモニーから抜けて、小鳥が水になっていきます。
小鳥が少なくなるにつれて、はるこはその木の枝に、
まるでクリスマスツリーの赤い玉飾りのようなものがついているのを発見しました。
ヒマラヤ杉はあんな実はつけないだろうとは思いましたが、
でもそれはヒマラヤ杉の実のように思えました。
小鳥はどんどん減っていって、とうとう最後の一匹になりました。
その小鳥は透明なガラス玉を転がすようにさえずりました。
リルリルルルルル、ラルリルララララ、クルンカラーン、
カルンキルーン、コローン、コローン、コローーーーーーーーーー・・・ン。
そして泣きやむと、小鳥はバランスを崩してくずおれそうになりながら、
力を振り絞ってはばたくと、くちばしにさっと赤い実をくわえて
空へ飛び立ちました。
そして懸命に地平線に向かってはばたいていって、
日の光で宝石のように輝いていましたが、
もう空の色に溶け込んでわからなくなりました。
きっとあの小鳥は砂漠の上で力尽きて水になって砂にしみこむのでしょう。
そしてあの小鳥の水に生命を得て、また砂漠にヒマラヤ杉の芽が出るのでしょう。
しんと静まりかえった木を見上げて少したたずんでいましが、
はるかはまた歩き出しました。
もう行かなきゃと思ったのです。
少し歩いて振り返ると、あの小鳥の羽根のように透明で澄んだ空に
大きなヒマラヤ杉の緑が映えていて、その右手にお日様が白く光っていました。
その光でヒマラヤ杉は砂の上に背の低い灰色の、影のヒマラヤ杉を作っていました。
その影を見てはるかは、また日が少し傾いたようだな、と感じました。