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恋愛小説

尻出し女はただのペテン師

掲載日:2026/06/23

1.

小林由紀子は、袋池のキャバクラで働く35歳のホステスである。


夜の街の照明に合わせた厚い化粧の下には、人生を半分投げていながら、男だけは捕らえて離さない退廃的な色気が漂っていた。


彼女は袋池の歓楽街に近い、橋板区の小綺麗なマンションに部屋を借りている。


同じ店のバーテンである山口幸雄と肉体関係にある。


山口の端正な顔立ちに、由紀子は一目で狂った。


彼の若さに溺れ、気づけば自分のベッドに引きずり込んでいた。


山口自身は羽赤区の団地に部屋を借りていたが、二人はほぼ毎夜、絡み合うように由紀子の部屋で肌を重ねていた。


ある日の夕暮れ、由紀子のところへ山口が息を切らせてやってきた。


「由紀子さん、店長が呼んでる。俺も同席しろって」


二人はキャバクラの奥にある薄暗い事務所に入った。


事務机に向かって伝票をめくっているのは、無精髭を蓄えた目つきの悪い店長だ。


「まあ、そこにかけろ」


店長はタバコの煙を吐き出しながら、本題を切り出した。


「うちがショバ代を払ってるG組が、手頃な隠れ家を探してるんだが、直で買うにはちと足がついちまう。そこでお前らの名義を借りたい。内縁の夫婦ってことにして、住宅ローンを組め」


「わかりました」


由紀子は山口の顔を見た。


山口は小さく頷いた。


後日、二人はみなと銀行西山支店の応接室にいた。


「私たち、籍は入れていないんですけど、もう内縁関係が長くて。そろそろ落ち着こうと、家を買うことにしたんです」


由紀子はわざとらしく山口の腕にしなだれかかり、しっとりとした視線を銀行員に送った。


銀行員は、二人が水商売関係者だと知ると難色を示した。


「当行が直接融資するのは、正直審査が厳しいですね。ですが、私どもは住宅金融支援機構の代理店もやっておりましてね。あそこなら、比較的審査は甘い。そちらで通しましょう」


「じゃあ、お願いします」


差し出された書類に、二人は流れるようにサインしていく。


「本人が居住すること」を誓う誓約書があったが、由紀子は大して気にも留めずにペンを走らせた。


店に戻り、手続きの完了を報告すると、店長は満足げに目を細めた。


「ご苦労だったな。名義貸しの礼だ、お前らの給料を少しばかり上乗せしてやる」


「ありがとうございます」


2.

滝沢明の自宅の隣には、80歳になる伯母が住んでいた。


しかし、その伯母が老人ホームに入ると、土地はすぐにデベロッパーの竹畑組に売却された。


土地は二分割され、安っぽい建売住宅が二軒建てられた。


滝沢の家から離れた側の棟はすぐに買い手がついたようだ。


ある日、滝沢の家を訪ねてきたのは、絵に描いたようなホステス風の女だった。


35歳前後だろうか、厚化粧の、やけに肉感的な身体つきをした美人だった。


その後ろには、従順そうな若い男が立っている。


「ちょっと、表へ来ていただけます?」


促されて外に出ると、家の前の電柱をこちら側に移設することに承諾してほしいという。


「電柱が近づけば地価が下がります。竹畑組にも、すでにお断りしています」


滝沢は冷たく撥ね付けた。


仲介した不動産屋の社員が「こちらが承諾すれば移設できる」といい、家を売りつけたらしい。


女は「小林」と名乗った。


彼女はどこか妖艶な笑みを浮かべて「よろしくお願いします」と頭を下げた。


滝沢も「よろしくお願いします」と頭を下げた。


しかし、小林という女も付き添いの男も、一向に引っ越してくる気配はなかった。


自転車が繋がれて柵になっていたり、見知らぬタクシー運転手が寝泊まりしている様子があるだけだ。


不審に思った滝沢は登記所へ向かい、手数料を払って隣の登記簿謄本を取得した。


そこには住宅金融支援機構とみなと銀行の抵当権が、総額5000万円も設定されている。


その9割を機構から、1割を代理店のみなと銀行西山支店から借り入れていた。


きな臭い香りが、滝沢の鼻腔をくすぐった。


3.

名義貸しの手当として、由紀子と山口の収入は少しだけ増えた。


それからしばらく経った頃、二人は再び店長に呼び出された。


「G組から追加の依頼だ。あの家、まだ寝かせてあるんだが、ポストの鍵を預かってる。たまに開けて、届いた手紙を持ってこい。それから、近所の目を誤魔化すために、一日だけでいいからそこで寝泊まりしてこい」


「わかりました」


その夜、二人は誰もいない新築の家で一泊した。


外は激しい土砂降りの雨。


窓を叩く雨音が、かえって室内の孤立感を深めていた。


家具もほとんどないガランとした部屋に、持ち込まれた安物のベッドだけがぽつんと置かれている。


照明を消すと、闇の中に雨の音と、二人の荒い息遣いだけが響いた。


その背徳感が、二人の肉欲を異常なほどに煽った。


由紀子は山口の若い身体にしがみつき、激しい雨の音に紛れながら、朝が来るまで何度も互いを貪り合った。


4.

翌朝、滝沢が買い物から戻ると、隣の家の前にあの「小林」という女がしゃがみ込んでいるのが見えた。


昨夜の豪雨のせいだろうか、放置された自転車のタイヤを熱心に調べている。


女はサイズが合っていないブカブカのジーンズを履いていた。


ジーンズの裾が大きくずり下がり、肉付きの良いお尻が半分ほど剥き出しになっている。


滝沢はその光景に目を奪われた。


生々しい大人のエロティシズムが、朝の静かな住宅街に不釣り合いに漂っていた。


しかし、女がその家に泊まったのは、結局その一晩だけだった。


怪しげなタクシー運転手が品のない足取りで出入りした。


見慣れぬ強面の男が玄関先でタバコを吹かし、黒塗りのワゴン車がそれを迎えに来るようなこともある。


ゴミの捨て方も劣悪で、カラスが散らかした生ゴミが異臭を放っても、誰も掃除をしようとはしなかった。


滝沢はパソコンを開き、住宅金融支援機構のウェブサイトを調べた。


「本人が居住する」という誓約を破った場合、融資は即座に解約され、詐欺罪に問われる可能性があり、関わった業者にも厳しい制裁が下る。


すべてが繋がった。


あの女はただの「名義貸しの人形」なのだ。


数日後、滝沢はポストの鍵を開けて手紙を回収し、親しげに笑い合いながら去っていく小林とあの男の姿を見かけた。


あの濡れた夜、あの家で二人が何をしていたのか、想像するだけで胸がある種の歪んだ興奮で満たされる。


あの尻出し女は、立派な詐欺罪の共犯者だ。


滝沢は迷わず、住宅金融支援機構へダイヤルした。


電話口の担当者に、目撃した事実、登記簿の内容、そして住む気配が全くないことを詳細にぶちまけた。


機構の担当者は重々しい声で、「事実であれば、一括返済の手続きをとります」と明言した。


それから数ヶ月後。


隣の建売住宅は、住宅金融支援機構によって競売にかけられたのか、いつの間にか別の不動産業者の所有物へと変わったようだ。


滝沢は時折、あの雨上がりの朝を思い出す。


おそらくあの女は朝からジーンズの下に何も履いていなかったのだろう。


誰もいなくなった空き家を見つめながら、滝沢は静かに自嘲の笑みを浮かべた。







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