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 〈 3 〉

 自室に入り、私は玄関先で拾ってきた華奢な腕を机の上に置いた。

 物々しい存在感を放つ腕を眺めながら私は考える。

 これがバレたら私は死体遺棄の容疑で逮捕されるんじゃないのか。

 つくもは本当に死んだのか。

 なぜ腕だけが取り残されたのか。

 私の声はいつになったら戻るのか。

 そんな考えが頭を巡りながらも、心の底ではあまり焦っていなかった。

 その証拠に、様々浮かんだ不安や懸案を隅に置いて、私はまだ感覚が残っているつくもの体温を思い出していた。

 その温もりと肌触りを思い出しながら、私は机に置かれた腕を触った。

 それで感じたのは、すべすべの感触と――腕に宿る確かな〝温度〟だった。

 死体になったら体温を失う、という常識を持っていた私は思考が一時停止した。

 ……。

 …………?

 ………………!

 ――――ロールバック。

 急加速で思考と感情が回りだす。

 あぁ、私の絶望には続きがあった。

 それは一縷の希望だった。

 故に私は想いたくなった。

 つくもの生命はまだここにあるのだと私は思いたくなった。だから、今日からそう思うことにした。

 私は目の前にある小さな手を優しく拾い上げ、その手の甲に短くキスをするのだった。


 ―――………


 週末のお昼を過ぎた頃。

 私はホームセンターに行って大きな植木鉢と土を買い、それを自室の隅に置いて、そこにつくもの腕を植えた。

 つくもの出生などを考えると、この方がつくもも嬉しいだろうと思い、こうしてみた。

 この行為に名前があるのかと言えば無いだろうけど、あえて言うなら「差し木」だろうか。……見た目からして、そう言っていいのかはいささか怪しいけれど。

 というか普通は言わないだろう。

 なんせこれはただの〝幼女の腕〟だから。

 ……でもせっかくなら、土にネームプレートを刺して、そこに『つくも』と書き込みたい。

 他にも植木鉢を装飾したり、指にネイルをしてあげたり、ブレスレットを買ってあげたり。あと、ハンドクリームを塗って、マッサージもしてあげよう。

 こうやって、可愛いく飾ったり、ケアしてあげたくなるのは、つくもの持つ魅力のせいだ。だから、仕方が無い。

 そう心の中で呟きながら私はつくもの手を握った。

 当然だけど、握り返してはくれなかった。分かっているつもりだけど少し期待してしまう。

 でも手のひらの感触は相変わらず柔らかくて、そして温かかった。


 ―――………


 あくる日の放課後、私は久々に神社へと来ていた。

 何故、久々なのかというと、なにせ、神社に行っていた目的そのものが、今は〝自分の部屋の隅で埋まっている〟からだった。

 冷たく思われるかもしれないが、正直な気持ちとして、つくものいない神社に用はなかった。

 それでは、なぜ来たのかと問われると……何となくだった。

 絞り出すとしたら、「神様にお礼を言いに来た」とか「御神木を見に」だろうか。

 急激に冷え込んだ影響か昨晩は少し雪が降ったようで、地面には薄っすらと「白」が降り積もっている。

 石段は滑りやすいので、慎重に足を動かしながら上り、少し境内を進んだ先、私は久しぶりに御神木の前に立った。

 久しぶりに見たからだろうか、御神木の背はかなり低くなっていた。

 大体、私の〝(すね)ぐらい〟、だろうか。

 あれだけ大きく腕を伸ばしていた枝も、あの日見た真っ黒で虚ろみたいな(うろ)ももう無かった。

 根本からスパッと切られていた。

 そこには切り株だけが残されていた。

 焼け跡が残っている切り株。

 これを『焼け木杭(ぼっくい)』というらしい。……どうでもいい。


 そう。どうでもよかった。


 不思議とその切り株に興味が湧かなかったし、気持ちの上下もなかった。みんなと同じように「切り株がある」と思うだけ。

 御神木に対してとやかく思うことは無い。

 ただ安らかに眠って欲しいと思っただけ。

 そんな感じで御神木の前で少し立ち止まった後、私は社の前まで歩いていった。

 つくもと一緒に社で寄り添い合った記憶を思い出しながら、私は目の前に垂れ下がっている麻縄を掴み、横に大きく振った。

 ――カーン。

 上に付いている小さな鐘が、思っているよりも高い音で鳴った。

 私は柏手を二回叩き、手を合わせたまま神様に挨拶とお礼をする。

 どれくらいの時間そうしていたかは自分でもよく分からない。

 最後に一礼をして、私は神社を背にし、家路についた。

 心なしか足取りが軽かったように感じて、たまになら来てもいいかもしれないと思った。


 ―――………


 高校生になった。

 あの日から声が出ないのは変わっておらず、そのおかげで私は「無口な女子高生」としての地位を確固たるものにしていた。

 お医者さんは、心因性の何とかがどうちゃらこうちゃらとか言っていたけれど、それがどれほど深刻なのかはあまり理解できなかった。


 なにせ、〝つくもの腕〟には話しかけることができていたから。


 それ以外に対して何か会話を交わすことが出来なくても、それだけは出来たから。

 だからどうってことなかった。

 それに意思疎通が取れない訳じゃない。

 今の時代は便利な道具がいっぱいあるので、スマホで文字を書いてそれを見せたり、小さなメモ帳に文字を書いてそれを見せたりしている。

 そんな「高校生活」について何か言うことがあるとすれば、中学の時と比べて、断然、授業内容が難しくなっており、テストはもはや、赤点を回避できれば御の字という感じになった。

 人間関係はというと、私が喋れないことを知った親切な子が何人か話しかけてくれて、その中で一番気が合った子のグループに入れさせてもらった。

 「無口な女子高生」でも仲間に入れてもらえる優しい学校に行けて、心から良かったと思った。

 環境に恵まれ、今は何不自由の無い学校生活を送れている。

 ……それでも。

 心の隙間が埋まるかと言えば。

 それは違った。

 いつまでも埋まらない心の隙間を誤魔化すように、新しく覚えたことがある。


 それは、簡単に快楽を得られる卑しい行為。


 いやらしい行為。

 私はいやらしい子だったのか。

 そう思って――それを否定したくて、周りのみんなもやっているのかを確認したくなったけど、そんなことを聞く勇気はなかった。

 だから、インターネットを頼った。

 おかげで自分が正常である事をちゃんと認識できて、少し安心した。

 でも、そうやって安心材料を得てしまったせいか、その頻度は日に日に増していった。

 家に帰ったら一回。

 宿題をする前に一回。

 宿題の息抜きに一回。

 宿題が終わったら一回。

 そこから後は、気が向いたらシてしまっていて、よく覚えていない。

 さらに生理が近くなるともっと酷くなり、この前は『トイレに行ってきます』という意思表示をして授業を抜け出した後、そのままトイレでシてしまった。

 それは流石にやりすぎだと思ったので、それ以降はしてないけど……。


 私はいつも〝つくも〟のことを考えながらシていた。

 真っ白な手、女の子らしくポッコリ膨らんだお腹、引き締まっているけど柔らかいと一目で分かる太もも、華奢な肩と背中、まだ成長過程のささやかな双丘、吐息の温度、頭の匂いと髪の毛の肌触り。

 それらを思い出して自分を慰めていた。

 それである時、魔が差してしまった。

 いつも視界に入っていたものに、ふと目がいってしまった。

 私の部屋の隅に置かれているもの。

 植木鉢に刺さっている。

 つくもの腕。

 それからすぐに、自分自身が考えている事を認識して寒気がした――と同時に、私の中に葛藤が生まれた。

 冷静になったのは一瞬だけ。

 興奮によって高まっていた私の好奇心は、その葛藤や理性さえも飲み込んでしまい、より大きな興奮に至るための材料に変えてしまった。

 ……最初は恐る恐る、つくもの腕を触りながらだった。

 次はその小さな手を握りながら。

 その指を口に含んだりもした。

 そして、その指を〝使った〟。

 つくもの指を私の〝愛の雫〟で濡らしてしまった。

 果てた後、私は抱えきれない罪悪感に襲われた。

 でも、その時の快感は凄まじかった。

 忘れられなかった。

 いつまでも心に残り続ける満足感があった。

 だから、私は繰り返した。

 それが過ちだと分かっていても、欠けた心の隙間がそれを求めた。

 罪悪感がちゃんと残るはずなのに、全然歯止めが利かなかった。

 いつからか、私はつくもの腕を肌身離さず持ち歩くようになった。

 学校に行く時も、休日お出かけをする時も、近くのスーパーに行く時も、忘れないよう鞄に入れて持っていった。

 ある時、鞄の中を友達に見られて、持っているのがバレた時には流石に肝を冷やしたけれど、「よさげな棒を持ち歩いてる。もしかしてつみきって……男子小学生?」と言われただけで済んだので、本当にギリギリで窮地に一生を得た。

 それでも持ち歩くのを止めないのは、つくもと一緒にいる感じがして安心するから。

 私は事あるごとにずっと触れ合っていた。

 その温もりを感じて、繋がっていた。


 だから私は〝気付けなかった〟。


 身近な存在すぎて家族の変化には鈍感なように、私はつくもの変化を認識する事が出来なかったのだ。

 それに気が付いたのは、いつものように、つくもの腕を鞄へ入れようとした時のこと。

 その日は腕がやけに引っ掛かって、鞄に上手く入らなく、少しイライラしていた。

 でも、そもそもとして、こんなに引っ掛かること自体がおかしかった。

 だって、〝華奢で今にも折れそうなほどに細い腕〟のはずだから。

 そんな小さな違和感を頼りにして、私はつくもの腕をちゃんと観察した。

 それでようやく理解した。


 つくもの腕が〝成長している〟という事を。


 前までは〝スベスベの細い腕〟だったのが、今では〝むにむにの柔らかい腕〟になっていた。

 いや、スベスベなのは相変わらずだけど。

 でも、見れば見るほど昔と違っていて、今までなぜ気付かなかったのか不思議なぐらいだった。

 結局、その日はつくもの腕を持っていくのを断念した。

 まだ、気持ちと思考が、起きている事象に追い付いていなかったから。


 ―――………


 その日の学校が終わって、家に帰り、自分の部屋に入ってきた瞬間、私は改めて部屋の隅に植えられた腕を見た。

 遠くから見るとよりその違いを感じられた。

 やっぱり成長しているんだという事を、この目で再認識した。

 今見えているものは「幼女の腕」ではない。

 〝年頃の女の子の腕〟だ。

 年頃の、つくもの腕。

 ……ごくり。

 私は制服を脱いで、そのまま部屋着を着るでもなく、下着のままつくもの腕に手を伸ばした――。

 つくもの腕は急に成長したわけじゃない。

 でも、その成長を認識しているのといないとでは何かが違う。

 その指の感覚も、腕の手触りも、二の腕に食い込む指の引っ掛かりも。

 意識すればするほど新しくて、気持ちが高ぶった。

 堪能した。

 愛し、愛された。


 その途中のこと。


 徐々に果てが見えてくる間際で、私は手を止めた。

 いつもシている時は目を瞑っているので、周りは見えていない。

 見えているのはつくもの面影だけ。

 だから遅れた。

 〝人の気配〟に気付くのが遅かった。


 ……今、目の前に人の気配がある。


 私は目を開けるのを逡巡した。

 極度の緊張で首が硬直する。ガクガクと震える。

 そして、体が恐怖に飲み込まれる――その一歩手前。

 使っていたつくもの指が動いた感覚がした。

 ――と思ったら、その指は的確に私の弱いところを突いてきて、さらにそこから早さと緩急を付け加えられた末……私はなすすべもなく敗北した。

 それで私は、ようやく目を開いた。

 薄々分かってはいたけれど。

 やはり、目の前にはつくもがいた。


 成長して大人になったつくもがいた。


 一糸纏わぬ、生まれたままの姿でそこにいた。

 小さいときはあんなに華奢で凹凸の少なかったボディーラインも、今は出るとこが出て、引き締まっているところはキュッと細い、誰もが(うらや)む発育の良いむちっとした女の子になっていた。

 それでも、揶揄い気味な表情を向けてくるその顔を見れば、彼女がつくもであることは疑いようもなかった。

 ジッ……とお互いに何も言わないまま見つめ合っていると、


「……上も下もびしょびしょじゃん」


 と、彼女はそう言って、無邪気に笑った。

 それを言われて、私は初めて自分が泣いていることに気が付いた。

「……っ……づぐも」

「すぐに泣くのも……変わらないね」

 私はつくもに抱きついた。

 柔らかな肌に顔を埋めて、温もりと匂いを感じながら、強く抱きしめた。

 今のつくもには〝強く抱いたら折れちゃいそう〟なんてことは全く思わなかった。

 確かな存在感がそこにはあった。

「……つくも」

「なーに?」


「おかえり」

「うん、ただいま」


 ―――………


 急に喋れるようになった私に驚かない人はいなかった。


 まるで、昨日まで普通に話していたかのように私が喋るので、みんな同じ様に口をポカンと開けていた。

 しかし、そんな反応は最初だけで、その後は意外と普通に接していたけれど。

 でも、それがありがたいと思ったし、そんなものかとも思った。

 高校に入って、初めて友達と会話ができた。

 これでようやく……ちゃんと輪に入れた気がした。

 そして、私が〝可哀想な存在〟じゃなくなったとしても、何も変わらずに接してくれる「信頼に足る友人達」であったことが、私はなによりも嬉しかった。

 そんな友達と会話をしながら、私は隣を一瞥する。


 そこには私の腕に手を絡ませている制服姿のつくもがいる。


 私が人と話せるようになった理由は彼女にあった。

 みんなには見えないけれど、私には見える存在。

 そして、唯一話すことができていた存在が、今は傍に居る。

 その安心感が私の見えない心のベールを開けてくれている。

 だから人と話せている。そういう実感があった。

 でも単純に一緒にいられて幸せだ。

 人と話せるようになったのも幸せ。幸せの一石二鳥。

 そんな幸せの過剰摂取によって、口元が勝手に緩んでしまい、さっきからずっと口元を隠すのに必死だった。

「つみき……嬉しそうだね」

 そう言ったつくもの言葉に今すぐ返事をしたかったけれど、ここで私が何か喋ると目の前にいる友人達に変な目で見られてしまうのが分かっているので、私は返事の代わりにつくもの頬っぺたへと口付けをした。

「つみき、どうしたの?」

 私が急に横を振り向いたので、不思議に思った友人の一人が質問をしてきた。

「え、いや……窓の外に変なおじさんが歩いてたから、気になって」

「えー! 本当?」「どこどこ?」「逃すな――探せ、探せ」

 私が口から出まかせを言ったばっかりに、友達がみんな窓へと吸い込まれていってしまった。

 ――ので、友達の目を盗んで、私は隣にくっついているつくもの手を握った。

 むちっとして柔らかい手。

 色が白いのは昔から変わらないけれど、この手はいつまでも握っていたくなるような温かさがある。


 そして、恥ずかしくも懐かしい思い出がある。


 昨日、つくもに〝何故復活ができて、それでいて成長していたのか〟を教えてもらったのだけど……何というか、自分で言うのも恥ずかしいような、そんな真実を――つくもは満面の笑みで語ってくれた。

 長年一緒にいた私には判る。

 あれは……絶対にわざとだった。


「私が今ここにいられるのは、つみきが私に〝沢山の栄養をくれたから〟……なんだよ? 私の指でいーーーーっぱい気持ち良くなってくれたから……。だから、私はつみきに感謝してもしきれないの。ありがと――私をずっと求めてくれて。ふふっ」


 ――あぁ、思い出すだけでも恥ずかしい。

 でも、私の「愛」は届いていた。

 そして、それがつくもの役に立っていたのならば、何より嬉しいことはない。

 だから、その気持ちを十分に込めて、私はつくもにさっきの返事をする。


「今、私が嬉しい気持ちになれるのも、全部つくものおかげだよ」


 私は他のみんなにバレないよう、小さな声でそう呟いた。

 そう言うとつくもは何を言うでもなく、すぐにサッと目を逸らしてしまったけれど、その顔が嬉しそうに笑うのだけは隠さないでいてくれた。

 私にだけ見える笑顔を、ちゃんと見せてくれた。

 そんなつくもを見て、胸の奥に焼けるようなもどかしい感情を覚えながら、私はギュッとつくもの手を握った。


 私は今、幸せ過ぎて苦しいのである。



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