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第六話 戦うということ


ベルナール緊急避難所


学校の体育館を思わせる、質素で広い空間。

壁際には荷物を抱えた住民たちが身を寄せ合っていた。

空気は張り詰め、どこか乾いている。小さな子供の泣き声すら、誰もがそっと抑えていた。


そんな中、ひよりは片隅で膝を抱えて座っていた。うつむきがちに、身を小さくして。


ぐぅ~~……。


「お腹空いたなぁ……ここに来てから……何も食べてない……」


そのつぶやきに反応したのか、ひよりの近くに立っていた憲兵が、腰のポーチから何かを取り出した。


「……良かったらこれ、食べてくれ」


ひよりの前に差し出されたのは、黒っぽくて少し硬そうなパンだった。


「今はしんどいと思うが、大丈夫だ。この国には勇者一行が来ている。直に家に帰れるさ」


「ありがとうございます……すみません。あの、魔族って……なんですか?」


「えっ……?」


予想外の質問だったのか、憲兵がきょとんとした顔をした。


「君、流れ人か?……まぁ、今はそういう人も多いしな」


彼は少し考えるように顎に手を当て、簡潔に説明を始めた。


「えっと、そうだな……“魔族”ってのは、百年以上前に魔王と一緒に現れた怪物たちだ。今も世界各地に出没してる」


「種類は大きく分けて四つある。通常と大型、そしてそれぞれの赤持ちの亜種だな」


「……赤持ち、ですか?」


「ああ。中には赤の魔力つまり、炎を使う個体がいるんだ。そいつらが群れで現れたら、街一つ焼かれることもある。特に危険視されてる存在だよ」


「炎を…………」


「見た目は……そうだな、狼と猿が混ざったような風貌だ。牙があって、腕が長くて、目が赤く光ってる。ま、見かけたら逃げるのが一番だな」


「狼と猿……この世界にも、そういうの……いるんだ……」


思わず漏れたひよりの独り言に、憲兵が怪訝な顔で首をかしげた。


「ん?なんだって?」


「あっ、いえっ、なんでもないです!ありがとうございました!」


慌てて頭を下げるひより。

その間にも、避難所の中にはざわめきが広がっていた。

誰かが「魔族が近づいている」という噂を口にしたらしく、遠くで子どもを抱いた母親が不安げに周囲を見回していた。


ひよりは貰ったパンを眺める。

自分の世界のパンとは少し古そうなデザインだ。


「……硬い……」


それでも、口に運んで噛みしめる。


ざわ…ざわ……


人々の小さな声が、避難所のあちこちから漏れ始めていた。

最初は耳を疑うようなささやきだったが、次第にその名が、確かな重みをもって交わされるようになる。


「アレリア様が……行方不明?」

「まさか、そんな……でも、勇者一行が来ているんだろう?」

「それならなぜ、今日誰もアレリア様を見かけていない?」

「アレリア様……どうか……私たちに救いを…」


誰かがその名を口にすると、それに呼応するかのように、周囲の住民たちも次々と同じ名を呟き出す。


アレリア。

希望の象徴であり、人類最強の存在。


その名が繰り返されるたび、ひよりの心臓が締めつけられるように痛んだ。


(……私の、せいだ)

(私が……あんなことをしなければ……)


その時


「報告! 南部より魔族の襲撃確認!」


門衛の叫びが、重たい空気を一気に突き破った。


「動ける部隊は今すぐ南門へ増援を! 繰り返す、南部より魔族襲撃!」


避難所内が、一気にざわつきと不安の渦に包まれる。

子どもが泣き出し、母親が身をかがめて庇うように抱きしめる。

老いた者たちは口を押さえて祈りを呟く。


ひよりはぎゅっと拳を握った。


(私も……魔術が使える。…今まで怪人たちと戦ってきた私なら……!)


迷いと恐怖の中で、心の奥から突き上げてくる衝動があった。


(私も……やらなきゃ……!)


立ち上がると、近くの衛兵のもとへ駆け寄る。


「すみません! 探している人がいて……ここを少し出ます!」


「えっ? ちょ、待て! 危険だ! 今は外に――おい! こらッ!」


制止の声も振り切り、ひよりは走り出す。

人波を抜け、出口を目指して、その目はすでに、遠くの南を見据えていた。


「……確か、南へ……!」


「私もやるんだ……!」


ぎゅっとスカートの裾を握りしめ、瓦礫と混乱の街へ、少女はひとり駆けていった


南の町へ向かって、ひよりは息を切らしながら走っていた。

倒壊した壁をすり抜け、瓦礫を飛び越え、誰もいない路地を駆け抜ける。


「はぁ……はぁ……ここ、かな……?」


立ち止まり、両手を前にかざす。

体内に流れる魔力を呼び覚まし、手のひらから放出する解放の感覚を確かめる。


「……よし! 魔術、使える……私は、できる!」


ひよりは何度も自分に言い聞かせるように呟いた。

この世界の力は扱える。

怪人と戦ってきた魔法少女としての自分は、ちゃんとここにいる。


心を奮い立たせながら、ひよりは町の中へと足を踏み入れる。



町の広場は静まり返っていた。

住民の避難はすでに完了しているようで、人影はない。

だが、どこか嫌な気配が漂っている。


「……!」


視界の先、石畳の上に何人もの人が倒れていた。


「人が……倒れてる! 助けなきゃ!」


駆け寄ったその先

ひよりの足が止まる。


「だ、大丈夫で……すか……? えっ……?」


地面に横たわっていたのは、憲兵だった。

胴体には巨大な裂傷が走り、片腕は肩から先が消えていた。

血は乾いておらず、まだ温かみを残して地面に広がっている。


「ひっ!……これって……し、死……」


グルルルッ……


低いうなり声が、すぐそばの倉庫のような建物から響いた。


その暗がりから、ゆっくりと“それ”が姿を現す。


全長5メートルほどの、異形の生き物。

獣のような毛並みに、異様に長い腕。

眼は血のように赤く、顎からはまだちぎれた肉片が滴っていた。


そして、その口元には


憲兵の首が、くわえられていた。


「う……しに、たく……」


ぐちゃっ


一噛みで、首が潰される。

骨の砕ける音とともに、首なしの肉体がドサリと地面に落ちた。


「っ……!」


全身が強張る。心臓が悲鳴を上げる。

目の前に広がるのは、明確な“死”。


そして


魔族。

これが、あの憲兵が語っていた魔族それも大型。


(うそ……なに、これ……化け物……)


脳が、理性を遮断し始める。

呼吸が浅くなり、視界の端が揺らぐ。


(動けない……怖い……いやだいやだいやだ……!)

(助けて……! 誰か……助けて……!)

(死にたくない…死にたくない…死にたくない……!!)


魔族が、ずるりと足を引きずるように動き出した。

赤い目が、ひよりを見ている。


逃げなきゃ。

逃げなきゃいけないのに。

足が、動かない


その瞬間。

ひよりの脳裏に、走馬灯のように映像が流れ出す。


父さん。

母さん。

チュチュ。

陽翔。

つばき……。


自分の世界、大切な人たちの顔が、次々と浮かんでは消える。


いやだ。

戻りたい帰りたい。

こんなとこで終わりたくない。


魔族が、牙をむき、跳躍の構えを見せる。


「いやあああああ!!!!」


死の影が、息を呑む距離に迫っていた。


ダァァァン!!


爆音のような衝撃とともに、目の前の魔族が吹き飛んだ。

赤黒い体液をまき散らしながら、重い肉体が横転する。


何かが、魔族に命中した波動のような、魔力の圧。


「そこで何やってるんだ!! 馬鹿!!」


怒声が響く。


「……っ??」


恐怖で硬直していた身体が、声に反応してわずかに顔を上げる。


視線の先にいたのは

鋭い目、背をたなびかせる布。

勇者一行のひとり、滲身の格闘士コー・シンだった。 


「なんでここに来てんだ!!」


「ガァァァァッ!!」


怒号とともに、魔族がコーへと向き直る。

その巨体が地を蹴ると、石畳が砕けた。


唸り声とともに、一直線にコーへ突撃してくる。


「ハッ!!」


ズドンッ!!!


グチャァッ!!


拳が、魔族の顔面にめり込んだ。

そのまま後頭部ごと弾け飛び、巨体は音もなく崩れ落ちた。


たった一撃。

魔族は、コーの拳によって沈黙した。


その直後


「遅れてすみません! 討伐に取り掛かります!」


駆け込んできた兵士たちが次々と周囲に展開し、各所に残った魔族へと斬りかかっていく。

結界術が張られ、矢が飛び、閃光が地を照らす。


たちまち、戦場の流れは人類側へと傾いた。


「………………」


その喧騒の中で、ひよりはただ呆然と立ち尽くしていた。

全身が震え、目も、口も、声も、動かせなかった。


足音が近づく。


「……無事で、良かった」


その低くも優しい言葉が、耳に届いた瞬間

ひよりの目から、静かに涙が溢れた。


張り詰めていた恐怖。

壊れそうなほどの緊張。

そのすべてが、そのひとことに溶かされた。


コーは無言で彼女の肩を抱き寄せると、後ろに控えていた兵士に告げた。


「この子を……頼む」


「はい……! さあ、こちらへ!」


優しく背を支えられながら、ひよりは歩き出す。

足は震え、涙は止まらない。

けれど――まだ、生きていた



魔族の襲撃はひとまず鎮圧され、街には徐々に静けさが戻りつつあった。

結界が解除され、避難していた住民たちがひとり、またひとりと家路へ向かい始める。

不安と安堵が入り混じった空気の中、あちこちから安堵の吐息と小さなすすり泣きが聞こえていた。



ベルナール市庁舎の一室――臨時の作戦待機室。


木製の机の上には、戦闘報告の帳面が何枚も積まれていた。

ガロスはそのうちの一枚をじっと見つめ、口を開く。


「……負傷者20、死亡7……。幸い、住民の死者はなし……と」


カラムへ報告し、ガロスが深々と頭を下げる。


「……すまない。俺の指揮が、甘かった」


その言葉に、カラムは表情を強く歪め、首を振った。


「ガロス……それだけは言わないでくれ」


「3人が担当していた区域だけは、死亡者ゼロ。負傷者も最小限だった。今回の対応に不備があったとすれば、それは私たち軍部の責任だ」


ガロス「……一番乗りは、コーだったな?」


カラム「ああ、討伐任務が終わるやいなや。……あの距離を、全力で」


報告も終わり、日が暮れ始めた頃、ガロスは宿舎へと戻った。

扉を開くと、部屋にはわずかに灯るランプの光が揺れていた。


その片隅

ひよりが、毛布を抱いてベッドの端にうずくまっていた。

小さく、壊れ物のように。


その隣にはセリアが座り、何も言わず肩に手を添えていた。

壁際にはコーが、腕を組んだまま無言で立ち尽くしている。


誰も、言葉を発しなかった。

ただ、沈黙の中に、ひよりの震える肩が淡く揺れていた。


「……さて。こっちはこっちで、大変だな」


ふっと、肩の力を抜くように呟いたその声にも、重みがあった。


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