第二話 欠けた希望
緊急撤退は、なんとか成功していた。
ネイヴの黄属性の解放から逃げ切った魔車は、ガタガタと車体を揺らしながら走り続けている。
だが車内に充満していたのは、安堵ではなく疲労と混乱、そして喪失の静けさだった。
「…巻いたようね」
運転席に座るセリアが、前方を見つめたまま呟く。
手を魔力供給台に添えたまま、身体の力が抜けそうになる。
「ああそうだな。ふぅ……なんとか、……防いだ……」
後部座席で肩を落としながら、その隣に座る“少女”に視線を向けた。
ピンク色の髪、リボン、華やかな衣装。
どう見ても戦場に似つかわしくないその姿に、戸惑いを隠しきれない。
「嬢ちゃん……名前は?」
疲れ切ったガロスが先に質問する。
「………?? 教えてください! ここはどこなんですか? あの怪人は!?」
早口でまくし立てる声は、単語ひとつとして理解できなかった。
「あ~……こりゃダメだ。異国語だ
セリア、翻訳の魔術って使えるか?」
「最近使ってないからね。帰ったら魔導書、取りに行くわ」
「助かる。帰ったら、とりあえず飯が食いたいな。なあ、コー。付き合えよ」
「…………」
無言。
腕を組んだまま、不機嫌に窓の外に視線を投げている。
「……まぁ、緊急事態だったんだ。悪かったな」
気まずさが空気に滲む。
その場の誰にも、彼女の代わりに現れた“少女”の正体が、まだわからなかった。
(言葉が……通じない……どうしよう……チュチュ……チュチュはどこ……?)
思考がぐるぐると渦を巻く。
ひよりはひざを抱えるように座り込み、知らない世界の光景をただ見つめるしかなかった。
レストリア王国へ到着する一行
魔車はその巨大な門へと向かって速度を緩めた。
「お疲れ様です、皆さん」
門前で待っていた門衛ウーリスが、丁寧に頭を下げる。
「おう、ウーリス。……ちょっと撤退しちまった。すまんな」
「な、撤退……!? それほどの脅威だったのですか?」
「想像以上にな。こっちも消耗が大きかった。それと……色々あってな。まぁ、心配するな
体制を整えて再討伐に向かう。民には不安を与えるなよ」
「……そうですか。了解しました」
ウーリスは敬礼して見送った。
魔車は門を抜け、市街地へと進み始める。
「……アレリアの件、言わなくていいの?」
「ああ。アレリアが失踪したと知れれば、教会が面倒だ。くそ……問題が山積みだな……」
「あ~……胃が痛くなりそう……」
魔車の車体が、「コトコト」と小さく揺れる。
ひよりは、意を決して前の座席の男、コーに声をかけた。
「あの〜……」
返事はない。代わりに返ってきたのは
「……………チッ」
低く、鋭い舌打ち。
(この人……こ、怖い~~!!
なんで私こんなところに~~~!!)
(トホホ〜……“とっておき”なんて使うんじゃなかったよぉ……)
魔車の窓の外に広がる景色は、あまりにも異質だった。
石造りの建物に、魔力の灯り。見たこともない武具をまとった兵士や、衣装を着た住民たち。
ここが自分の知る“世界”ではないことを、ひよりは否応なく突きつけられていた。
ガタガタと揺れていた魔車が、やがてゆっくりと速度を落とす。
「着いたわ。とりあえず、ここで休憩にしましょう」
「おう、助かる。さて、嬢ちゃん…話そうか」
ガロスが立ち上がり、手で“こっちに来い”というようなゼスチャーを見せる。
ひより(多分……“ついてこい”とか、そういう感じ……だよね……?)
おそるおそる頷き、ひよりも腰を上げて後をついていく。
「私は魔導書を取ってくるから、そのあいだは部屋で待ってて」
「了解。……行くか、コー」
だが、呼びかけにも応じず、コーは無言のまま魔車を降り、別方向へと歩き出す。
「おいおい、どこへ行くんだ?」
「……しばらく、一人にしてくれ。再討伐には戻る」
それだけを低く言い残し、背を向けたまま立ち去っていく。
「はぁ……まあいいか」
ため息をひとつ。それ以上は何も言わなかった。
魔車を降りた一行は、宿泊所へと向かった。
案内されたのは、簡素な部屋。木の机と椅子、寝台がひとつあるだけの、質素だが清潔な空間だった。
ガロスとセリアが椅子に腰掛ける中、ひよりは所在なさげに立ち尽くしていた。
(ひぃぃ……わたし、これから何されるのかな……!?)
(取り調べ? 変な実験?? ……さ、最悪……処されるとか……!?)
心の中はパニック寸前。
セリアがふと表情を緩め、鞄から小ぶりな魔導書を取り出した。
「……あった。これね」
彼女が小声で詠唱を始めると、魔導書のページから淡い光が溢れ出した。
その光はふわりと浮かび、ひよりの身体をやさしく包み込む。
「……! ……っ……?」
光が耳の奥に染み込んでくるような、不思議な感覚。
「……行けたかな? 私の言葉、わかる?」
「……! ……はい……わかり……ます」
その瞬間、不安と孤独に満ちた異界で、ようやくつかんだ小さな安心感が胸に染み込む。
「よかった……通じたわね。さっそくだけど、お嬢さん、あなたはいったい何者なの?」
柔らかな声でそう問いかけたセリアに、隣に座っていたガロスが苦笑しながら口を挟む。
「おいおい、セリア。まずはこっちが名乗るのが礼儀ってもんだろ」
彼は椅子に体を預けながら、どこか人懐こい笑みを浮かべる。
「俺はガロス・グレンハルト。討伐隊の隊長をしてる。まあ、見た目ほど怖くはない」
「そうね、私はセリア・フォルティア。職業は魔女。
討伐隊の戦闘と魔術の補助を担当してるわ。」
ふたりの穏やかな視線がひよりに向けられる。
「あなたの名前は?」
「わ、私は……桃瀬……桃瀬ひよりです!」
緊張で少し噛みながらも名乗ると、ガロスが少し驚いたように眉を上げた。
「……モモセ・ヒヨリ? 聞き慣れない響きだな。コーの出身地と似てるようで違うような……」
「うん、顔立ちは確かにあの辺りっぽいけど……発音がちょっと違うわね」
「コーって……?」
「ああ、さっきの無口な男さ。“コー・シン”って言ってな」
「ちょっとお前さんにはキツく当たったみたいだけど……あれでも根は真面目でな。言葉が足りないだけで、悪い奴じゃない」
「あ、そうなんですか……」
(……う、ウソだ〜〜! めちゃくちゃ怖い顔で舌打ちされたのに!)
「それで、ひより。どうしてあんな戦場に現れたの? なにか理由があったの?」
「え、えっと……たしか、私、とっておきの魔法を使おうとして……それで、なんか爆発して……」
視線を落としながら答えるひより。
「とっておきの魔法?」
「魔法…もしかして私たちの魔術と、彼女の言う魔法が同じとは限らないわ」
セリアは興味深げにひよりを見つめる。
「えっと、あの……私は魔法少女っていうのをやってて……。
普段は、街を守るために怪人と戦ってるんです」
「魔法少女……? つまり、魔法を使える少女ってことか?」
「この世界でも10歳から魔術を学ぶ子はいるし、それ自体は珍しくないけれど……その呼び方は珍しいわね」
「あ、えと……魔法を使う少女なのはその通りなんですけど……」
「私は中学生っていう、学校に通ってる普通の女の子で、でも変身呪文を唱えると魔法少女になるんです」
「変身呪文……? それって滲身術式のようなものなのか?中学生ってのもよくわからんがな」
「いや、形式がまるで違いそう。詠唱魔術に近いけれど、もっと……儀式的?」
セリアは身を乗り出し、興味津々に声を弾ませた。
「ちょっと興味あるわ。よかったら、その“変身”……見せてもらえる?」
「えっ……い、今ですか?」
「無理にとは言わねぇさ。けどな、今はお互いにわからねぇことだらけだ。お前さんの“魔法”ってやつ、少しでも知っておきたいのさ」
「……わかりました。でも……」
ひよりはゆっくり立ち上がる。
「こっちに来てから、なぜか魔法がうまく使えなくて……だから、素振りだけになります。それでもいいですか?」
「ええ、それで十分。どんな構造なのか、少しでも分かれば助かるわ」
「じゃ、じゃあ……いきますね……!」
彼女は胸に手を当て、深呼吸。軽やかなステップを踏み、指先を天に掲げる。
「ミラクル・ラブリー・チェンジっ☆!」
くるりと一回転して、両手を広げてポーズを決める。
「愛と希望をこの手に!
ハートきらめくピンクの光!
ラブリー☆ガールひより!」
……だが。
魔法の光も、衣装の変化も、何も起きなかった。
「…………なんですって?」
理解が追いつかないセリア。
沈黙が落ちる。部屋の空気が妙に静かになる。
しょんぼりしながら説明する
「……ふつうなら、キラキラって光って、衣装が変わって、リボンとか……色々ついて……」
ぽつりと呟くその声には、どこか寂しげな響きがあった。
(わ…私…もしかしてめちゃくちゃ恥ずかしい事してた…のかな?)
(ううう…チュチュ…助けて〜……)
この世界の常識に、余りにも強いギャップを感じるひよりであった。