6話
辺りも暗くなってきたおいうことで、その場でお開きとなる。
最寄り駅まで一斉に歩いていると、一つ違和感に気づいた。
「道、違くない?」
陽菜さんを含めた先頭集団についていっているのだが、どうにも道を間違えているような気がする。
それにあたりが妙だ。魂気が変に立ち込めている。おかしなことにならなければいいが……
「あ、ワンちゃん!」
先頭の女子が叫んだ。
「あれ、犬なの?」
「犬でしょ、どう見ても」
「なんかおかしくない?」
僕たちの100m先に黒い塊があった。
それは一見四足歩行で歩いていて、犬のようにも見える。
しかし、次の瞬間、頭がパックリとわれて歪な口内が露わになった。
「きゃあああああああ!!」
「に、逃げろ!」
「怪異だぁあああああ!!」
それぞれがバラバラに逃げ惑っていく。男子たちが我先にと逃げる中で、女子たちもそれについていった。
しかし、逃げ遅れている人が一名──腰が抜けたのだろう伊藤陽菜だった。
「陽菜さん!」
「影成くん……っ」
その場に尻餅をついて動けない彼女の前に立つ。
何をどうすることもできない。でも、ここで動かなきゃそもそも闘魂士じゃない。
(とはいえ、僕の戦闘能力は皆無……できることといえば、静魂の『箱』だけ!)
はっきり言って絶望的な状況。だけど、一般市民を残していくわけには行かないのだ。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
僕を前にした途端、犬のような何かは頭を低くして低い唸り声をあげる。
鵺羅の分類は四つ、闇より出でて影に潜り実体化する闇鵺、悪天候より発生し気候を見出す嵐鵺、生物の死と生より出でて獣の姿を身に纏う獣鵺、毒より出て大地を汚染する毒鵺だ。
前回出会したやつは静魂ベースの闇鵺、だからこそ、梅は練魂なわけないとごねていた。そして、目の前にいるやつはおそらく烈魂ベースの獣鵺──
(つまり、僕と相性最悪……!)
まだ練魂ベースの嵐鵺や逃走可能な毒鵺の方がマシである。襲い掛かられたらひとたまりもないだろう。
しかし、先ほどから目の前の鵺羅は動こうともしない。何かを図っているように、ずっとこちらを伺っている。
「影成くん……!」
「逃げて」
「そんな!」
「いいから」
そんな言葉をかけるしか今はできなかった。
「影成君も一緒に逃げよう!?」
「それは無理かなぁ〜。僕、一応闘魂士だし」
「……」
「ほら、早く」
彼女にすぐに立ち上がるよう促す。けれど、彼女は動こうとしなかった。
すると、鵺羅は僕ではなく陽菜さんの方に狙いを定め出す。
「やばっ──」
そして、すぐに駆け出した。
目にも止まらぬ快走、当然僕の反射神経では追いつけない。
彼女を守りたかった。しかし、それもこれまでかと思われた次の瞬間──
「ぴぎぃっ!?」
鵺羅の頭に剣が打ち立てられた。
「はっはっ……影成様?」
声の主の方向に振り向く。そこには昨日会った雲井琴乃の姿があった。
「琴乃ちゃん?」
更に続けて数人の闘魂士らしき姿が現れる。
「琴乃さん!」
「大丈夫、全員倒した」
「此方の方達は……」
「……おそらく、巻き込まれた一般の方だと思う」
すると、隊長格らしき人は急に青ざめた。
「申し訳ありません! 私たちのせいで、とんだご迷惑を!」
「それよりも、志津さん。介抱」
「ああ、そうでした」
志津と呼ばれた比較的大柄な女性が陽菜さんに手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です……」
「お怪我などはありませんか? どこか痛むところは?」
「大丈夫です。尻もちをついただけですから」
「まあ、それは大変!」
志津さんは今すぐにでも救急車をと焦って、陽菜さんはそんなのはいいと否定して、琴乃ちゃんまでもが加わって志津さんを宥めている。傍から見ていて面白い光景だった。
「そちらの男性も、なんとお詫びしてよいか……」
「大丈夫。そっちは闘魂士の影成様」
「なんと!」
すると、志津さんは今にも平伏せんばかりの勢いで頭を垂れてきた。
「そうとは知らずに飛んだご無礼を!」
「だ、大丈夫ですから。顔を上げてください」
「ああ、お噂は聞き及んでいます。『千影』の名は伊達ではないということですね」
何が伊達じゃないんだ?
「多分、私たちが失敗することを予見して、逃げ出した怪異の先回りをしてくれていたんだと思う」
「へ、いやいや、そんなんじゃないよ!」
「謙遜しなくても大丈夫です。私たちはわかっています」
「え~?」
何を一体わかっているというんだ? それだとまるで僕がみんなを巻き込んだみたいじゃないか。
「あ、そういえば、もう逃げ出しちゃったんですけど、あと数人米ヶ丘高校の生徒が巻き込まれてますね」
「ああ、始末書に書かないと……」
「でも、よかった。影成様が足止めしてくれていたおかげで大事にならずに済んだ。あれが人ごみの中に飛び出していたらどれだけの被害になったか……」
「ち、ちなみになんだけど、あれの階級とかわかる?」
すると、少し思案顔で考えていた琴乃が口を開いた。
「んー、一都市を揺るがす程度なので浅緋──四位ぐらいですかね」
「ふ、ふーん、M5か……」
それを一撃な琴乃ちゃんにも驚きだし、そんなのの目の前に立っていたのも驚きだ。強そうとは思っていたけど、そこまでだなんて……一歩間違えば死んでたかも。
「そのことで、影成様にご相談が──」
「影成くん……」
随分と不安そうな声が聞こえてきた。陽菜さんだ。
「あー、えっと、一度席を外してもいいですか?」
「……かまいません」
「ありがとう」
ということで、少し場所を移して陽菜さんと話すことにした。
「えっと、怪我はない? 大丈夫?」
「う、うん。影成くんが守ってくれたから……」
「はは、僕はほとんど何もしてないけどね」
実際、琴乃が来てくれなかったら守り切れなかった。
「んーん、そんなことない! 影成くんは私のヒーローだよ!」
「……」
「あっ、えっと、それでお礼を言いたかったのと、それから……」
「……今日はいろいろあって疲れてるだろうから、また後日話さない?」
「後日?」
もちろん、社交辞令である。
「うん、その方が琴乃さんも落ち着けると思うんだ。どうかな?」
「うん……ちょっと興奮してるかも」
「それじゃあ、送る人をつけてもらうね」
「あっ、影成君じゃないの!?」
必死なような彼女の声があたりの路地に響く。
「あー、ごめん。僕、なんだか呼ばれててさ」
「そ、っか……そうだよね。お仕事だもん」
「だから、志津さん? あの人に頼んで護衛をつけてもらうよ」
「んーん、影成君じゃないならいい」
そういう彼女はどこか頑なだった。
「本当に?」
「本当」
「道中怖くない?」
「怖くない!」
「あはは、そっか。まあでも安心してよ。変な道を通らなきゃここら辺は安全だからさ。もうこういう目には合わないよ」
「……絶対?」
そう聞いてくる陽菜さんの目はどこか縋るようでもあった。
(本当に、ここは僕がついていったほうがいいんだろうな……)
ショッキングな体験をして一時的な心的外傷を受けている。トラウマといってもいい。
「絶対。大丈夫だから安心して」
「……なら、指切りげんまんして」
「えー?」
指切りげんまんってなんだ? 子供か?
「して!」
「あー、わかったわかった。するから。ほら」
彼女と小指を絡める。
陽菜さんの暖かでやわらかい赤ちゃんのような指に指をかけて、それから例の合図を口ずさんだ。
「指切りげんまん」
「嘘ついたら針千本」
「飲-ます」
「指切った」
最後指切ってるんだよなぁ……
「これでいい?」
「……うん」
「それじゃあ、そろそろ行くね」
「あっ」
その頼りない様子に、いつかのお兄ちゃんおにいちゃんしていた頃の梅を思い出して、思わず彼女の香木のような頭を撫でてしまう。
「いい子で帰るんだよ」
「……うん」
「それじゃあ、もう一回指切りげんまん」
「……うん」
もう一度指切りげんまんしてから、彼女を森に返す、もとい、家に帰す。
「それじゃあ、気を付けてね」
「影成くんも!」
「あはは、そうだね」
「……」
彼女に背中を見せて、僕は琴乃ちゃんたちのほうに戻った。
「なんだか仲がよさそうですね」
「そう?」
「はい、とっても」
「……」
普段から無口の琴乃ちゃんは僕の前では饒舌なようだが、やはり何を考えているかわからない。
梅といるときはいい意味で楽しそうなんだけどな。
「それで、相談事って何?」
「先ほどの怪異のことです」
「……」
「怪異は本来、魂波の予備振動によって出現が予測されます。複数体動時の時は、正確にわからない場合がありますが、最も強い怪異の出現は見逃しません」
「なるほど、つまり、君たちが逃した怪異には心当たりがないと」
「そういうことです」
通常、怪異の予備振動は個体が強ければ強いほど事前に発生するものである。そこら辺の相関性もすでに分かっていて、強い個体ならば準備をして迎え撃つのが当たり前となっている。もちろん、直下型怪異のように突発的に現われる怪異もいるけど。
逆に言えば、雑魚であればある程度場当たり的に対処しないといけないこと。それで戦闘前に数がわからないということはあるが、戦闘が始まるころには判明して掃討数を伝達されるはずである。
それなのに、今回の怪異はその数に含まれていなかった。
「妙だね……」
「これから調査に参りますが、影成様も参加されますか?」
「ああ、うん。同行するよ」
「それはよかったです! 影成様の知識があればこちらは百人力です!」
「あはは……」
一体何が百人力なのか、教えてほしい。