4話
「此度の件は大変ご苦労でした」
昨夜帰宅してそのまま寝入っての翌朝、おそらく徹夜明けであろう母に呼ばれて内座に来てみれば、妹と母がすでに座っていた。
「怪異のほうは無事に討伐されたようで誇りに思います、影成」
「お母さま、私も貢献したんですわよ」
「あなたは勝手に首を突っ込んだのでしょう、恥を知りなさい」
妹はむくれているが、きっと妹の蛮行に最もひやひやしていたのは母なのだろう。あきれたという顔をして話を進めた。
「それで、次の問題があります。今回の怪異にはおかしなことがあるのです」
「おかしなこと?」
「はい。本来怪異の出現の際にはその前触れとなる負のエネルギーの波動、いわゆる魂波の揺らぎが観測されるはずです。大きい怪異であればそれ相応に大きな予備振動が観測されるはずですから、まず見逃すということはありません」
「それが、今回はなかったと?」
僕が話を促すと、母は頷いた。
「そうです。今回の怪異は近辺でそれらしき波動が計測されませんでした。このことから、この怪異をユニークと定めて、調査してもらいたいのです」
「母上、それは……」
「わかっています。極力あなたの学業の邪魔にならない範囲で構いません」
ホッとする。本気で関わらせられたらたまったものじゃない。
僕がこの闘魂士業をするうえで何の抵抗もなく受け入れたと思ったら大間違いだ。ちゃんと母には一つの条件を付けておいた。
それは『学業において致命的な邪魔にならない範囲』であること。もちろんこの条件にも『学生でいるまでは』という期限がついているのだが、まあそれはいいだろう。僕はこの免罪符によって多くの任務・仕事からサボタージュできているのだ。
「母上、私は──」
「あなたは訓練なり勉学なりに励んでいなさい」
「そんな、母上!」
「話はこれで終わり。二人とも、早く学校へ行きなさい」
すぐさま母は母の顔になる。先ほどの仕事人の顔よりも何倍も優しい顔だ。
父はめったに家に帰らない。清明会の理事会である老星会の業務に加えて、帝からの直接の依頼で今は動けないのだ。
だから、この人はいつも父の代わりであろうと奔走している。本音を言えばもうちょっと休んでほしいが、そんなことを言うと僕のほうが危ういので言えずにいるのだ。
結局我が可愛い息子を許してください、母上。
「兄ばっかりずるい」
「遊びじゃないんだぞ」
否、遊びだ。僕が取り組むときは必ず遊び気分で関わると決めている。そうじゃないと割に合わないのだ。貴重な青春をこんなことで費やしていいはずがない。
二人でご飯を食べて、さっさと支度を済ませる。最後に玄関を出ていこうとすると、妹に呼び止められた。
「はい、行ってらっしゃいのキス」
「いい加減やめろよ。もう子供じゃないんだぞ」
「いいでしょ!」
また反抗期。ちょっと前までは素直で愛らしくてお兄ちゃんの背中についてくるかわいげのある妹だったのに。
いや、今もかわいいには違いないが、それにちょっと刺々しさが加わっている。それに、僕の方もいい加減妹離れしないとやばいと健人に言われているのだ。僕も大人にならないと。
「はい、ちゅっ」
「……行ってきます」
まるで見送りする妻だなと思いながら家を出た。
……結局、同じ車に乗って登校したけど。
◇
「おはよ」
「おはよう、影成」
高校に登校して、健人と挨拶を交わす。
何気ない日常だが、僕が必死に守っているものでもある(二重の意味で)。
「昨日は大丈夫だったか?」
「ああ、何とかな。そりゃあ良かった」
教室の中は喧騒に満ちている。授業20分前とあって、多くの人が談笑に耽っているのだ。この高校はそこまで部活も強くない。強くなければモチベーションも下がり、結果として若い青少年らの興味の比重は別の場所に離散するというわけだ。
「そういえば、見たかよ、『AYANE』の投稿」
「ん? いや、見てない」
そもそもAYANEって誰なんだ。
「知らないのか? インフルエンサー闘魂士AYANE」
「……何かの冗談か?」
「マジマジ、本当だって。いるんだよ、闘魂士で配信業してるJKが。ほら」
「なになに……?」
見ると、本当に闘魂の様子を動画内で収めた女子高生が画面の中で踊っていた。
どうやら闘魂と動画撮影をコラボレーションさせているアカウントらしい。それなりに登録者もいて、人気を博しているようだった。
「最近ウチの高校で流行っててさ」
「まずどういう原理で流行るんだ?」
そして、どうなったら流行りと認められるのだろう。みんなが認知していればか?
「細かいことはいいんだよ。それで、影成も推してみないか?」
「推す……?」
「お前遅れてんな〜」
教室内でガリ勉と揶揄されている健人から遅れてるなどという誠に遺憾なレッテルを貼られてしまった。
遅れてるんじゃない! ただ、闘魂士として勝手にみんなが僕のことを強いと誤認して、そのせいで忙しいだけだ……一体いつの暇に動画なんて見れば良いんだよ。勉強もままなってないのに。
「とにかく登録しておけって。あれ、アプリは持ってるよな?」
「あー。入れてないかも。暇がないし」
「お前、家業もいいけど学生の仕事もしろよなー」
「動画を見るのが学生の仕事なのか……?」
しばらく無言で健人と向き合う。
彼はスマホ片手にずっと画面に向き合っていたが、ふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、AYANEといえば陽菜さんも可愛いよな〜」
「なんだって?」
「お前! 流石にクラスメイト走っておけよ、伊藤陽菜!」
妙に力強く健人は力説する。僕は鞄に入れていた道中の自販機で購入したいちごミルクを飲みながら彼の演説を聴いていた。
「学校のマドンナ、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花! 二年生になって既に三度も告白されてる逸材だぞ!」
「へ〜、大変なんだな」
「お前なぁ!」
「あはは、悪かったって」
無論、何が悪いのかは自分ではさっぱりだが、とりあえず話を合わせておく。基本は親切で優しいやつなんだがなぁ、こいつ。
「はぁ、俺も陽菜さんみたいな彼女欲しい」
「私が何だって?」
がたり、と僕の机が健人の尻によって押された。
後ずさった彼は幽霊でも見たかのような顔をして伊藤陽菜本人を見ている。
「あ、陽菜さん。おはよう」
「おはよう、影成くん」
「お前っ、忘れてたんじゃなかったのか!」
「今思い出したんだよ」
僕は健人の耳打ちに呆れたように返す。
僕の記憶容量は基本的に顔と名前がセットになって覚えられている。顔を見ないと誰が誰とか思い出せないのだ。
「そういえば、影成くん。昨日は大丈夫だった? 家の人に呼ばれてたみたいだけど」
「あー、うん。片付いたから、もう大丈夫だよ。そっか、良かったね」
そういう彼女は本当に嬉しそうな顔で満面の笑みを作った。
「……」
「……どうしたの?」
「ああ。いや」
これは女子人気が高いのか低いのか気になる愛想の良さだなと一瞬思ってしまった。
同じ教室なので挨拶なく向こうが去っていくと、健人は再び耳打ちで尋ねてくる。
「お前、知り合いだったのか?」
「知り合いって……健人も知り合いみたいなもんだろ」
「ただのクラスメイトなだけで陽菜さんと知り合い? そんなんだから影成は!」
「うーん」
それで喜ぶの誰もいない気がするんだけどなぁ。
「あ、そういえば。これ、ノート」
「あ、サンキュー」
「昨日の授業は一通りまとめておいたから」
「おっけ、すぐに見て返すわ」
「大丈夫か?」
僕は健人の授業ノートを開いて読み進める。
そして──
「……ごめん、解説してくれない?」
「そらきた」
結局、健人の手を借りないといけない羽目になってしまった。
◇
昼休みのカフェテラスは多くの学生で賑わっている。
その中で俺と健人の二人は昼食を食べに席を取っていた。
「それで結局、あれは何だったんだ?」
「あれって?」
「昨日呼び出されてたやつ」
健人は自分の席でBLTサンドイッチにかぶりつく。
「んー、規格外の怪異が現れたんだよ」
「え、そりゃあやべえじゃん」
「それで、妹とそっちの家の琴乃ちゃんが退治したってわけ」
「あー、あの子かー」
雲井健人は雲井本家の跡取り息子だった。
しかし、才能がなかったのと本人にその気がなかったこと、今日のご時世のことを考えられて次男の方に家督を譲ることにしたという。
相当な決意だ。とはいえ、本人は全く気にした様子はない。あっけらかんと将来の夢は大学教授だと語っていた。
「あの子、小さい頃から強かったんだよなー。分家だけど、親父に家に来ないかって誘われてたみたいだし」
「え、何それ。お家に遊びに来いってこと?」
「いやいや、そうじゃなくて養子」
「はぁ〜」
いまだに親の世代だとそういうのが当たり前の感覚が根付いている。才能婚、見合い話、政略結婚。そういう時代に生まれてそうあれかしと教えられてきたからこそ、簡単に感覚を変えられないのだ。
「というかお前、また何もしてないんだな」
「しょうがないだろ? 周りが強いんだから」
「周囲に仕事を任せんのもいいけどヨォ、たまには仕事したらどうなんだ」
「してるよ」
その場にいるって仕事を。僕はもうこれで手一杯だ。
「まあ、お前がそう言うならなんかしてるんだろうけど」
「……」
おかしい。健人までも僕に対する信頼が過剰だ。もう少し突っついてくれてもいいのに。
すると、僕らの座る席の近くに陣取ろうとする人が一人。今朝話しかけてきた伊藤陽菜だった。
「こんにちは、二人とも」
「こ、こんにちは。陽菜さん……」
「……」
若干健人の動きが怪しい。もう少し落ち着いていてくれないものか。友人として恥ずかしい。
意識するのはわかるのだが、もう少しポーカーフェイスというものをしようよ。そう、いつもの僕みたいに。
「隣、いいかな?」
「どうぞどうぞ」
そうして見えてきたのは大盛りのカツカレーを乗せたお盆だった。その光景に俺たちは二人とも唖然としてしまう。
「はむ」
「……」「……」
「ん、ん、ん……どうしたの、二人とも?」
「い、いや……」「いい食いっぷりだなって」
「ありがと」
花咲くような笑顔で対応してくれる陽菜さん。貴方今皮肉言われたんですよ? といっても、気づく様子がない。
「お昼になるとお腹すいちゃって、これでも足りないんだけど……」
「これでも足りない!?」
「女子の間で一緒にご飯を食べることもあるんだけど、みんな私の食べる量に驚いちゃって」
それ多分驚いてるんじゃなくて引いてるよ。
「す、凄いっすね。色々と……」
ほら見ろ。あんだけ神聖視していた健人でさえ盲目な信仰が剥がれかけてるよ。
「そういえば二人は何の話をしてたの?」
「えっと……」
「昨日呼び出された件が、凄い怪異が現れたからって話ですね」
僕はこの件に関して話の口火を切った。
「えっ、怪異って、あの……化け物みたいなやつでしょ?」
「おおよそ化け物と考えてもらって構わないですね」
「大丈夫だったの?」
「はい、この通り」
律儀に陽菜さんは食事をやめて僕の全身を見てくる。どこにも怪我がないことを確認した上で、安心したように頬を緩ませた。
「怪我がなくて良かったよ」
「ありがとうございます」
「おい、影成」
小声で健人が耳打ちをしてくる。
「もうちょっと愛想良くしろ!」
「えー? もう愛想いいよ」
「どこが!」
と言われても、これ以上愛想良くできない。
陽菜さんは別に友達でもないしな……
「ご馳走様」
「「……」」
「影成くんって凄いんだね!」
「……そうっすよ! こいつ、凄いんすから!」
「陽菜さんも凄いけど……」
主に食べる量と速度が。
「それじゃあ、また教室で」
「はい、また」
「……また」
しばらくして僕たちも食べ終わってカフェテラスを後にした。