3話
そう、なぜここがダンジョンと揶揄されるのか。
それは正しい道を進んでいけば終わりがあるからだ。ダンジョンのコア。核というべきものが鎮座している場所がある。
結晶室、闘魂士の中ではそう呼ばれているその場所は、暗い洞窟のようだった。
(何とか感覚強化の烈魂だけ使えてよかった……)
あたりは先ほどの路地を再現した空間とは違って本当に真っ暗。わずかに光があるようで、烈魂で感覚を強化すれば見えなくもない。
僕は本当に闘魂の才能がないけれど、こういったちまちましたことだけには才能があるようだった。やろうと思えば15㎞先の辞書を読むことだってできる。まあ、やらないけど。
「お兄」
「うん」
目の前にうごめくものが現れる。
それは黒というにはあまりにも黒く、不定形というにはあまりにもとりとめがなかった。先ほどの姿が第一形態だったんじゃないかと考えられるほどの巨体、いや一本の柱が聳え立っている。
それは、粘度の高い液体のように糸を引きながら僕らの前に立っていた。
「来るよ」
「分かってる!」
その瞬間、轟音が鳴る。当然僕は回避しない(できない)。
「たあっ!」
梅が鋭いけりを電柱のような何かに叩き込んだ。しかし、その瞬間に金属をたたいたような音が鳴る。
僕はその存在にカスだと認定されたようで一切攻撃されなかていなかったが、梅はその瞬間にいくつもの黒い針によって貫かれようとしていた。
梅の魂気がうなりを上げる。
本来、烈魂にはいくつかの基礎技が存在する。
【開】:魂気を放つ魂口を開いた状態にすることで身体能力を強化し、速度・力・反応力を向上させる。また、関節や筋肉の負担を軽減する
【猛】:魂口を閉じた状態にすることで身体能力を向上させるが、関節や筋肉の負担になる
そして、三つ目の技が【鬼】:猛で貯めた魂気を一斉に放出する技である。
梅はすさまじい速さで黒の存在(おそらく黒曜)の攻撃を回避し、続けざまに殴りにかかった。
猛の応用、【猛襲拳】:パイルバンカーのように魂気を体内で移動させ杭を打つように魂気の衝撃を叩き込む力技である。
「たぁぁぁっ!!」
今度は猛烈な音とともに黒曜の体がねじ曲がった。電柱が途中で折れたようなフォルムになり、倒壊する。
ばらばらと黒曜が崩れる中で、妹は距離を取りすぐさま本体とみられる先端部分に攻撃を仕掛けようとした。
しかし──
「フファアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
いきなり共鳴しだした黒曜はいくつもに触手を闇に潜らせ、周囲に固有の領域を作り上げる。
あの領域に触れてはいけない。直感的に梅もそう感じ取ったのだろう。咄嗟に地面をけり上げて何とか黒くなった地面に触れずにすんでいた。
そこから繰り出される黒曜の猛攻。再び電柱のように高くそびえたったかと思うと、頂上から下した触手を鞭のようにして攻撃してきた。
尚、その間に僕が攻撃された回数は0回。完全に舐められているんだと思う。
「くそっ、このっ」
回避に手いっぱいになる梅に対して、黒曜は一切攻撃の手を休めるそぶりもない。夜魅としての無尽蔵の体力を持って、梅のことを削り取る気だ。
このままではまずい。烈魂メインの梅は近距離攻撃型、対して相手は中距離で攻撃ができる。リーチの差が致命的に作用しているのだ。
「あったまきた!」
「……助っ人とか来てくれないかな」
梅が何かを叫んで、魂気に揺らぎがあったとき、同時に僕も現実逃避めいたことを呟いた。
ありえない。この幽界には僕らしか着ていないはずである。そういうふうに七星会で決まったのだ。援軍など認められるはずもない。それが分かっても呟かざるを得なかった。
だって、梅が敗北すれば二人ともここが墓標になるからである。
しかし、その瞬間に急激な魂気のひずみが黒曜の上空に現われて、幽界が一部崩壊した。
続けざまに起こるのは、人の到来。崩壊した幽界の部分を通じて、外界から人が迷い込んだのである。
白銀のような髪、透き通るような白い肌、現れたのは白雪姫のモデルとでもいえよう美少女だった。
少女が上空から落ちてくる──身の丈ほどの錫杖を携えて。黒曜の姿を目にすると教学とともに目の色を変えた。
「『天穿』」
それが言霊だということは瞬時に読み取れた。
言霊、闘魂による魂気操作を言語化することで、より精度高く操作を行おうとする高等技術だ。
本来であれば「○○は爆発する」とか「早く進む」などの命令形で発生するのが一般的だが、高等術者になると技の名前を言うだけでいくつかの効力を発揮する言霊を発動させてしまえるのだ。
少女が言葉を紡ぐと同時に、黒曜の眼前に巨大な剣が現れる。それは全体がいびつで、切っ先が黒曜の方に向いていた。
「『堕ちる』」
凛々しい声が空間に響き渡る。すると、巨剣は何の躊躇もなく黒曜の上部に突き刺さった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
まるで人の声のような叫び声がこだまする。
続けざまに少女は口を動かした。
「『複製』」
その瞬間、先ほどの巨大な剣が焼失し、7本の複製された巨剣が現れる。
そして、もう一度黒曜の体を突き刺した。
黒曜はもう嫌だと言わんばかりに大きな体を捨てて本体だけで逃走を図ろうとする。そこで少女の次の言葉が放たれる。
「『天刺』」
再び歪な巨剣が水平に切っ先を向けて現れる。
そして、その刃に少女が手を置くと急激に巨剣は速度を帯びていく。
「『進む、爆ぜる』」
巨剣は更に加速し、ついには逃げ惑う黒曜を捉える。そして、その身を爆発させた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
黒曜の断末魔が遠のいていく。どうやら今の一撃で黒曜のコアを破壊してしまったらしい。
闇として本能から、最後に僕のほうによって来る。おそらく一番弱い相手を探してこっちに引き寄せられているんだろう。
しかし、ようやく僕の足元に来たところで、黒曜はこと切れる。クエストクリアだ。
「……あんた誰」
梅が不機嫌そうにダンジョンのコアを破壊すると、幽界はすぐに音を立てて崩れ落ちた。
そして、気が付けば俺たちが最初にいた深夜の公園に立っている。あの銀髪の少女も一緒だ。
「……私は雲井家分家当主、雲井玄弥が娘。雲井琴乃」
琴乃ちゃんか。かわいい名前だ、顔と一緒で。
「私が聞いているのは、どうして私たちの任務にあなたが邪魔してきたのかってこと」
「……邪魔じゃない。助けた」
「あのくらい、本気を出せば倒せた!」
「……」
確かに梅はまだ何かをしようとしていた。もしかしたら本気を出し損ねていたのかもしれない。
「あなたじゃ難しい」
「どういう意味!?」
「あの夜魅には烈魂のほかに練魂も交じってた。あなたじゃ不利になる」
「そんなわけない!」
基本的に闘魂士の戦う原理は怪異たちと一緒だ。
夜魅や鵺羅も僕らと一緒に闘魂を利用して戦う。厳密には彼らの魂気操作を闘魂とは呼ばないが、似たようなものだ。
そして、怪異にもタイプがある。烈魂メインなのか、静魂メインなのか、練魂メインなのか。
烈魂タイプは、烈魂タイプにダメージを与えにくい。他も同様だ。
加えて、烈魂>静魂>練魂>烈魂の順で三すくみが存在する。烈魂・練魂タイプは烈魂特化にとって非常に相性が悪いのだ。
「嘘じゃない。本当に練魂の気配も交じってた」
「だって、あいつは消えたり現れたりしてたんだよ!? 明らかに静魂タイプ、練魂なんてありえない!」
「どういわれてもそれが真実。私はこの手のことは間違えない」
「……」
どうやら、己の闘魂士としてのプライドをかけて二人は言い争っているようだ。こういう時に僕ができることは何もない。だって、今回の案件も僕は何もしていないのだから。
「お初にお目にかかります、影成様。私、雲井分家が一人、雲井琴乃と申します」
「あ、これはご丁寧にどうも……」
「お兄!」
どうやら妹は僕が返事をしたのが気に食わなかったらしい。へーこらしていると頬を膨らませた梅ににらまれる。
「今日は天気も麗しく、時刻が芳しくないことが残念でありますが、こうした形で出会えたことを誇りに思います」
「あ、あ、そう?」
なんだかちょっとずつ早口になっている琴乃ちゃん。それに初雪が積もった大地のような頬もほんのりと赤く色づいているような……
「ちょっと、お兄から離れて!」
「なんですか、さっきから。下がってください」
「下がるのはあんたのほうよ!」
「まあまあ……」
みんな、僕を取り合うなんて不毛なことはやめてもう帰ろう。夜も遅いんだ。中学生や高校生が起きてていい時間帯ではないんだよ。
「大体、さっきの質問に答えて! なんであなたがここにいるの!? この件は私と兄で片づけると七星会で決まったはず……」
「貴方の母上様に要請を意だたきました」
「っ、母上から!?」
梅が飛び上がるように反応した。僕も結構びっくりする。
「どうして……」
「詳しいことは何も。ただ、あなただけでは力不足と判断されたのでしょうね」
「っ、なんですって!?」
梅が食って掛かる。それに対し、琴乃は至極平然としていた。
「ここにいる影成様は失礼ながら放任主義でいらっしゃいます。自身にできることが他者にもできるだろうと期待する半面、実力を見誤ってしまう可能性があると……」
「お兄のことを愚弄する気?」
急激に梅の声の温度が下がっていく。怖いよ、梅ちゃん。そんなに怒らなくていいじゃないか。あと、僕にできることって何?
「そうではありません。しかし、端的に言えばあなたが死ぬまで影成様は手出ししないだろうということです」
「……」
すると、少し寂しげな視線を梅に贈られた。
え、何この空気感。僕、この流れに同調しないといけないの? 嫌だよ? 助けられるなら助けるよ? ただ、梅に無理なら僕にも無理かなーみたいな?
「ですから、貴方の母上が雲居本家に連絡し、そこから私に打診が来たのだろうと、私はそう考えております」
「……つまり、全部あなたの妄想ってこと?」
「はい。ですが、答え合わせをお求めでしたら直接帰ってから伺われてみては?」
瞠目する彼女の言うことは逐一正確だった。きっと、今言ったことも当たっているのだろう。
「琴乃ちゃん、だっけか?」
「は、はい!」
「今日はありがとね。無理やり幽界にも入ってきてくれて」
「え……っと、それは私ではありません。幽界が壊れたのはほんの偶然で……」
「どういうこと?」
少し落ち込んでトーンを下げた梅がふてぶてしい様子で聞く。
「梅」
「……」
「私は最初、扉から入ってお二人の後を追おうとしたのですが、いきなり幽界の一部が破壊されて、覗いてみたら黒曜らしき怪異がいたので破壊したまでです」
「何それ、ばかみたい」
「何ですか?」
「別に?」
「……」
帰りたい。
「というか、お兄、またなんかやった?」
「へ?」
「そういうことですか、さすがは『千影』様です!」
「え?え?」
それから帰りの車に乗るまで、琴乃という少女に持ち上げられ続けた僕の胃は絶不調だった。