2話
「ここは一つ、『千影』の名を再確認させてもらいましょか」
「『当代最強』と謡われる実力、ここで見せずしてなんとする」
「私どもとしても対処しづらいこの案件、どうか引き受けてはもらえないだろうか。影成殿」
僕は思わず閉口してしまった。
白鷺も九重も雲井も、三者三葉勝手なことばっかり言ってくる。僕は例の青い狸でもなければ神様でもないんだよ!
「お待ちください、皆さん」
そうだ、母上! 言ってやれ!
「確かに、この度の件は影成が適任でしょう」
「え?」
「どうしたのですか、影成」
「いえ」
「……しかし、何でもかんでも影成任せというのはあまりにも負担が大きすぎませんか?」
どうやら母上は一部譲歩しつつ僕の心配をしてくれているようだった。
……そうだよな? 本気で僕が適任なんて考えていないよな?
「さっきから聞いて居れば、我妻の。まるで貴殿は後生大事に伝家の宝刀を蔵の奥に据えておくようであるな」
「……いけませんか?」
母の視線が鋭くなる。しかし、それをものともせず九重本家当主、九重長三郎は笑っていた。
「刀は振るから刀なのだ。使い時を見誤れば、それはただの供物でしかない。戦時の大和のようにのう」
「しかし……」
「それなら私が参ります」
「梅!」
母の悲鳴が奥行きのある客間に響く。鹿威しが甲高くなった。
「我妻家次期当主が妹、我妻梅。及ばずながら兄上の肩を持ちまする」
「肩を持つ、か……」
その言葉に九重はふっと笑う。すると、さらに横から声が叩かれた。
「お前の出番はない、お梅!」
「あなたには関係ないことです、十三郎」
「いや、ある。お前はそもそもどの面下げてここに来ているんだ?」
「それは兄上に許してもらって……」
「ここは七星会、つまり七御門の当主とその跡継ぎだけが出席を許されている場。そこにお前の出しゃばる幕はない、半端者!」
「っ……」
七御門というのは古くから清明協を支えてきた四縁家とその分家を合わせた七家のことを指す言葉だ。
本来なら梅はその集まりである七星会に参加することは許されないが、参加資格のある僕によって立場が保証されている。それも、その場で参加者の賛成を得られてようやくこの場にいるのだ。故に全面的に十三郎の意見が正しい。
「十三郎、やめろ」
「ですが、父上!」
九重家の父子がにらみ合う。
「まあまあ、ええやないの。妹ちゃんが行ってくれるんやろ? ありゃ、色格はいくつだっけか」
「今年で深緋になります……」
「それならちょうどいい。奴さん、実力的にはちょうどそのくらいなんやないけ。不測の事態は影成くんで対処できるやろうし、これで決まりやな」
「ですが!」
白鷺朧は鋭い目線で反論しようとする母を見た。
「我妻はん、それはどの目線での反論でっか?」
「何を……」
「我妻家当主代理としての言葉であって、まさかただの母としての言葉なんて口が裂けても言いまへんよなって言うてはるんですわ」
「っ……」
「それをやり始めたらあかんでしょ。どう考えても」
「……」
にらみ合う二人。会議は曇天の曇り空のような空気を呈していた。
(おうち帰りたい……)
それからしばらくして僕はまた黒のセダンに乗せられた。
◇
(どうしてこんなことに……)
準備体操をしている妹を見ながら、そんなことを考えている時間は実に長く思えた。
やってきたのは静景にある住宅街の公園。時間はすでに深夜を超えていて、夜の二時になっている。
ここに来るまでに夜食も食べたし準備万端……と言いたいところだが、残念ながら僕は戦力にならない。
「お兄は準備体操しないの?」
「ああ、うん。必要ないから(やっても意味ないし)」
「ふーん……」
妹は何かを考え、やたらと独り言を口ずさんでいた。
「強くなったら常在戦場ってことなのかな」
不穏な言葉が聞こえた気がするが、無視することにした。
「よし、行けるよ」
「じゃあ行こうか」
妹は全身のラインが浮き彫りになるようなゴムのような質感の黒のボディスーツに身を包んでいた。
一見してスイミングスーツにも見えるこの格好は防刃・耐衝撃・衝撃吸収を備えている優れものだ。これがあると僕もまともに妹にボコられることができるのだが、こんなもの僕には必要ないと周りから思われているようで僕の分はない。そのせいで妹にまっとうにボコられることすらできないのが現状だ。
(そんな僕がいたって何の意味があるんだよ……)
実に疑問だ。今からでも逃げ出したいぐらいだが、そんなわけにもいかない。
何せこれは七星会ですでに決まってしまったことなのだから、その取締役である我妻本家の嫡男である僕が逃げたとあっては家名に傷がついてしまう。
あ、吐きそう。やばい、吐くかも。
「お兄、基本私が対処するけど、まずそうだと思ったら助けてね」
「分かった」
そんなことが来ないことを祈る。だって、梅ちゃんが死んじゃったら俺も死んじゃうんだから。これから行くのはそういう場所だ。
深夜の公園には何もなかった。一帯は封鎖され、避難も完了している。人気が全くない街灯に照らされた公園の真ん中に不自然な扉がぽつんと置かれていた。
二人無言でその扉に近づく。どちらかといえば妹のほうが歩調が速い。これは武者震いしていきり立っているというより、緊張してるんだな。
「梅」
「……」
「落ち着いて」
「……兄には敵わないね」
「……」
あれ、なんかやっちゃった? ただの兄としての気遣いだったけど、もしかして今の一言で余計に僕の内部評価上がっちゃった?
やめてえ!? 上がらないで、下がって! 一生下がり続けていいから! 僕の評価なんて今の百分の一でももったいないぐらいだよぉ!
「ちょっと緊張してる」
「だろうね」
「お兄はこういうの何回目?」
「どうだろう……深緋なら3回目かな」
「じゃあ、先輩だね。よろしく」
「最初は梅がやるんでしょ」
「はいはい」
セーフ。自然な流れで妹に仕事を押し付けられた。
何せ、戦える人がここで一人しかいないのだ。無論、妹。僕も闘魂を使えるっちゃ使えるけど、戦力外も甚だしい。
すると、妹はその不自然な扉のドアノブに手をかける。そして、西洋式の回しノブを捻ると扉が開いた。
「……ここで間違いないね」
「そうだね。内部が異界化してる」
夜魅は基本的に徘徊型と地縛型の二つが存在する。
俳諧型は文字通り周囲に漂って、時折人に憑依したりする。
そして、地縛型は特定の土地に居ついて周囲を異界化する。
徘徊型でもみられることなので、これでこの元凶が地縛型かは分からない。
ただし、重要なのは異界を作れてしまうほど成長しているということだ。
「入るね」
「いいよ」
なぜか僕に許可を求めてくる妹に、しょうがないので返事をする。
異界の内部は基本的に迷宮の構造を取っている。そのため、ダンジョンと俗称で呼ばれたりもしていて、正式には幽界と呼ばれている。
扉の中に入るといつの間にか扉が消えていた。完全な一方通行、入ってきた獲物は逃がさないということだ。
一説には幽界と下界を繋ぐあの扉は本来存在しなくて、我々の認識下でしか存在しないという。夜魅が人間と深くつながるうえで、その手続きを視覚的に表した象徴が扉なのであって、それをくぐるという意思を持った瞬間に、それは元凶である存在とつながろうとすることを意味し、その場で意識を失うのだという。
だから、どうにか元凶の夜魅を退治すると、一瞬で幽界が消え失せ、術中にかかった瞬間の位置に体が戻っているように感じるのだという。
「違和感は?」
「ない。お兄は……って、愚問だったね。ごめん、忘れて」
「……」
全然愚問じゃないし、じゃんじゃん聞いてくれていいんだぞ、妹よ。
「それじゃあ、進もっか」
「うん」
どういうわけか俺が先導をとることになったが、気にせず進む。これが僕の闘魂士として培った全てだ。
今回の夜魅は便宜上「黒曜」と名づけられている。黒曜石のように黒かったという目撃証言からとられた名前だ。
黒曜はこの先にいる。幽界を作り、魂気を貯めて、それを一気に放出するのだ。そのとき、百鬼夜行が起こってしまう。
百鬼夜行がおこると周囲には怪異がとんでもない数あふれ出す。それを気にして、母は緊急招集例をかけたのだ。
だから、今回の仕事は黒曜を探し出しそれを討伐すること。つまり、妹にすべて任せきりにするのが僕の仕事ってことだ。
(あれ、もしかしなくても僕ってダメ兄貴)
今更な疑問を抱いて、立ち止まった時だ。
「お兄!」
「ん?」
僕の頭すれすれに黒い刃が飛んできた。瞬時に梅は跳ね飛んで、僕の後方に向けてけりを放つ。
(あっぶな、今立ち止まらなかったら死んでたぞ……!?)
内心冷や汗をかいていると、同じく冷や汗を流した妹が口を開く。
「どうやって避けたのさ」
さあ、僕も分からん。
俺たちの目の前に現れたのは不定形な黒い塊だった。
一見して形を把握することは難しい。四足歩行の獣とスライムを合わせたような見た目といえばいいだろうか。輪郭はところどころぼやけていて、背中からは黒曜石と思しき突起が生えている。前進には赤紫色の目と思われる点が浮かび上がっている。
梅はそんな化け物を前にすると構えの姿勢をとった。
「ちゃんと見ててね」
こわばった口調でそう言い残すと、妹は瞬時に姿を消してしまう。
次の瞬間に、化け物は落ち窪んだ眼窩のある右頬に掌底を叩き込まれていた。
闘魂にはいくつかの種類がある。
物質のような何かを生成する静魂、現象を発生させる練魂、そして、体を強化する烈魂だ。
妹は完全な烈魂タイプ、脳筋なのは頭だけでなく闘魂士としてのスタイルもなのだ。
烈魂タイプの闘魂士はしばしば人体の限界を超えた動きを可能にする。今の梅なんかが完全にそれだ。
攻撃を受けてからすぐに姿を隠す黒曜。影に溶けて消えてなくなり、姿が見えなくなるが、次に現れた瞬間には反応して反撃している。
後の先というべきか。梅の身体能力は五感を第六感のレベルまで引き上げて奇襲を不可能なものとしていた。
「っ、きっつ」
「……」
それでも尚、苦々しい表情を浮かべる妹を前にして僕は一歩も動いていなかった。
何のことはない。できることが何にもないのだ。先ほどからめっちゃアクロバティックに頑張ってもらっている梅には悪いが、マジでやれることがない。
僕はもう万一攻撃が飛んできても諦めの姿勢ができているから、完全に無防備な姿勢でいるのだ。後ろで戦っていても振り向いてすらいない。仲間が必死に戦っている中でこんなにも余裕ぶっこいている闘魂士がいまだかつていただろうか。
「くそっ」
梅の言葉とともに黒曜は影を泳いで去っていく。どうやら梅の強さに一度引いたようだ。
「ごめん、取り逃した」
「いいよ。どうせ、あいつも僕らもここに閉じ込められている。さっさと先に進もう」
「うん……」
「どうしたの?」
梅は勝気な性格だ。しかし、意外にもデリケートでナイーブな一面を隠している。将来、梅に彼氏ができるとしたら、こういった部分に配慮できる人がいいと兄としては思っている。
「ごめんなさい……せっかく任せてもらったのに、取り逃がしちゃって」
「それはもういいって言ったろ?」
「でも、兄は回避さえしてなかった」
「……」
妹よ。それは回避をしてないんじゃなくてできないんだ。
「……行こう」
「……うん」
静景の路地を再現したような、一つの区画を何度も繰り返し切り貼りしてできた無限にも思える迷宮を進んでいく。
今回は風景型のようだ。
幽界と一口に言ってもいろんな場所が存在する。本当に迷宮のように人を迷わせることを目的に作られた迷宮型、怪異が見た光景をそのまま再現した風景型、他にも分類不可能な特異型である。
特異型や迷宮型にあたると場合によっては攻略難易度が跳ね上がるのでごめんこうむりたかったが、どうやらここは風景型の誘拐のようで安心した。
薄暗い路地が続く。不自然に暗かったり、光の反射がいびつな部分もあるが、おおむね静景の街並みを再現しているといえるのではないだろうか。所々が苔むして、ビルの外壁がひび割れている。
黒い影が糸を引くような通りを無言で歩いていると、僕の後ろをついてきていた妹が口を開く。
「ねえ、お兄」
「ん、なんだ?」
「お兄はなんで闘魂士になろうと思ったの」
「あー、うーん」
ならざるを得なかったから、とは言えない。
そもそも、この家に生まれて闘魂士ならないというほうが難しいんではなかろうか。
「私は、やっぱり一番は強くなりたいから。お兄みたいに、強く」
「……」
僕の一体どこが強いっていうんだ……
闘魂だってまともにできない。静魂や練魂に偏っているようだけど、母のように水を出せるわけでもなければ、まともに『立方体』を維持できもしない。
はっきり言って練度は最悪だ。才能という才能がないんだと思う。烈魂に至っては壊滅的で魂気を身にまとっていない梅にも負ける始末だ──本来男女差と年齢差があるから負けるはずないが、身長も体重も筋力も何もかも梅が勝っている。
どう考えても梅のほうが強いのに、というか、僕が強いはずがないのに皆僕が強いと勘違いしてる。いったい何がみんなを駆り立てているっていうんだ……
「けど、二番目はこの力で人に役立ちたいから……それで、お兄にもそういうのあるのかなって。どう?」
「んー、そうだな」
正直、何にもない。
闘魂士をやっているのだって成り行きだし、今すぐにでも引退したいし、けどできない現状があるからやっているだけ。
梅のほうが百張り立派でもっと自信を持ったほうがいい、というのが兄からの素直な感想だ。だけど──
「僕ら闘魂士は市民を守るために戦うだろう? だから、戦う理由は街並みに求めればいいんじゃないかな」
「街並み?」
「うん」
その瞬間、さっきと同じように妹が僕の背後にいる黒曜を蹴り飛ばす。
「……」
「続けて」
臨戦態勢を取りながら妹は平然と言ってのけた。
「……だから、何気ない日常を見て、自分が守ってる物の価値を知れば、おのずと答えは見つかるんじゃないかなって、そう思うんだけど……」
「ありがとう。なんだか、見えた気がするよ」
僕が発言する間に、梅は急にまたやってきた黒曜とばこばこ殴り合っていた。
なんだろう、妹のために何かいいことを言おうとしているのにその傍で殴り合いのけんかをされているこの気分。
しかもそれが明らかな生存競争の殺し合いで、なおかつ僕が守られているというこの状況。黒曜のほうは僕を弱者だと思って眼中にもしていないし、さっきから梅ばかりヘイトを買っている。
「たぁっ!」
凝縮された魂気は不定形の黒の全体をつかむようで、そこは黒曜が一枚上手なのか、するりと抜けていく。
しかし、先ほどから首の皮一枚つながっているといった印象の黒曜の立ち回り。先ほどから攻勢に回っているのは梅のほうであった。
「だあっ、ごめん、逃した!」
「いいよ。どうせここはあいつの縄張りなわけだから、また来るって」
実際、これで二度目の襲来なのだ。三度目もあるだろう。
そんな風に途中で何度か黒曜に奇襲を仕掛けられながら、影ばかりの路地を歩いていると、しばらくして開けた場所に出てくる。
「……何ここ」
「最奥だよ」