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4/18

松本悠里

 日曜日。

 慣れない除草作業をして、メルはあれから2日経つのに両手の指先にまだ痛みを感じていた。

 「慣れないことするもんじゃないな」

 17時55分、ホーンワークスのUKタイプのダブルライダース、黒のタイトフィットジーンズ、青いコンバースオールスターでライブハウスに通じるビルの階段の踊り場でメルは自分の左手の指先を見つめていた。

 ライブハウスはこのビルの5階で、メルは4階と5階の間の階段の踊り場にいた。ついさっきまで5階のライブハウスからはリハーサルの音が聞こえていた。

 今日のラインナップは「くるくるじょうぎ」「蒼の空には・・・」「佐川祐也」の3組で、メルは「くるくるじょうぎ」が目当てだった。今日の3組の中では最も年長のバンドで、70年代ブリティッシュパンクを基調とした楽曲を演奏するそうだ。

 「蒼の空には・・・」は高校生のバンドで最近結成したばかりで情報はあまりない。

 「佐川祐也」は普段はアコースティックギターで弾き語りするアーティストだが、今回は一部バンド編成で演奏するらしい。

 とメルはライブハウスのホームページから各バンドの情報を仕入れていた。18時開場18時30分スタートであるため、あと5分でライブハウスは開場となる。

 4人で除草作業をした金曜日の夕方、メルは瑠璃からの質問に答えずに帰ってしまったことを少し気にしていた。別に何も隠すつもりはなかったが、結果話さなかったことで隠したも同然という状況になってしまっていたからだ。

 指先の痛みを感じながら、メルは革ジャンのポケットに左手をつっこみ、今夜のライブのチケットを引っ張り出した。

 宮崎で革ジャンを着れる時期は他の地域よりも短いとメルは思っている。5月も下旬となればもう蒸し暑さも感じる頃で、街にはTシャツ姿の人も見かける。年中革ジャンを着たいメルは前のジッパーを開け、ラモーンズのロゴTを見せていた。それでも空調の効かない階段の踊り場は蒸し暑さを感じる。

 「あれ、メルちゃん」

 4階から階段を上がってきたのは、宮崎の若手ナンバー1の実力派バンド「降る雨とケルベロ

ス」のベース、ビリーだった。

 「ビリーさん、どうも」

 メルはビリーに笑顔で会釈した。

 ライブハウスは演者も他のバンドの演奏を客席で観ることができたり、ステージ転換の際には会場の外でアーティストと直接話をすることもできる。メルは何度も「降る雨」のライブを観に行っており、その都度「降る雨」のメンバーから声をかけられビリーとも何度か話したことがあった。

 「今日のライブ、メルちゃんが観に来るって思ってなかったよ。会えて嬉しいな」

 ビリーはメルが開場を待つために待機していた階段の踊り場の壁にもたれかかり、メルの左側のごく近い位置で話し始めた。

 「あ、まさか”蒼空”観にきてくれたの?あのバンド、オレの後輩なんだよ」

 「あ、そうなんですか。いえ、今日は」

 「でも、なんかちょっと複雑かも。メルちゃんにはオレ達だけ観ててほしいって気持ちもあってさ。ていうか、オレだけ」

 ビリーはメルの話は聞かず、自分の要件だけ伝えてきた。

 以前から気になっていたが、どうもビリーはメルを口説こうとしている節があった。何度か連絡先の交換を迫られたことがあったが、なんとかはぐらかしてきていた。今、二人きりで階段の踊り場にいるのは、あまり居心地の良いものではなかった。

 「ごめん、ファンを独り占めするような発言は控えなきゃね。どうかな、今日ライブ終わった後は予定とか」

 「開場しましたよ」

 メルもあまりビリーの話は聞かずに開場したライブハウスの入り口に向かって階段を登り始めた。ライブハウスに入ると、ビリーはスタッフと談笑し始めた。メルも常連であるためスタッフに様々話しかけられるが、笑顔で会釈してそそくさと会場に入り後方の出入り口周辺にライブ鑑賞の場所を確保した。すぐ背中が壁になるため、後ろを気にしなくて良いし、比較的安全にライブを鑑賞できるため、大体メルはその場所にいるようにしている。

 ライブスタートまであと30分ほどあるため、メルは革ジャンの内ポケットに入れておいたスマホを取り出し、なんとなく操作し始めた。特に検索したいことや見ておかなければならないメッセージ等もなく、なんとなくだ。メルは今のようになんとなくスマホを取り出す度に、この習慣やめなきゃなと思う。何もしないで立っているより、何かの情報を収集しているように周囲にアピールして、不用意に話しかけられずに済むようにとる行動であるが、周囲と同じ行動をとってしまう自分がパンクの流儀に反すると感じていた。

 時間だけ確認してすぐにスマホをしまおうとしていた時、画面の上にメッセージ受信のポップアップ通知が表示された。

 メッセージを確認するとエリからであり、除草作業を手伝った金曜日、メルと別れて悠里からメルがパンクを聴き出したきっかけを聞いたとの内容であった。

 「悠里。そうか、頑張ったんだな」

 そう言うと、メルは革ジャンの内ポケットにスマホをしまい、壁にもたれかかった。



 薄暗いライブハウスの天井の照明機材を見つめながら、メルはあの日のことを思い出していた。

 


 メルが六歳、保育園年長組だった時、一年前に越してきた悠里が同じ保育園に入園してきた。以前から、家が近所で同じ年の子が近くに越してきたということで、公園でよく顔を見るようになっていた。すぐに親同士も仲良くなり、お互いの家でも遊ぶような仲になった。そんな悠里が同じ保育園に入園したことで、メルも楽しく保育園生活を送っていた。

 メルはなんの違和感もなく悠里は女の子であると思って一緒に遊んでいた。

 家に遊びに行った時、部屋で二人になった隙を見て悠里はメルに泣いて訴えた。

 保育園で男の子のグループに入れられるのが辛いといった内容の訴えであった。両親に話してもあまり真剣に捉えてもらえないようで、メルに泣きついたという流れであったように思う。メルは正直なところ、悠里の悩みにあまりピンときておらず、泣いている悠里をただ慰めていた。

 悠里は私が守るから、と泣いている悠里に向かって話したのを覚えている。

 「ほんと?」

 としゃくり上げながら何度も聞いてくる悠里に

 「ほんと、やくそくする」

 とメルは話した。もちろん軽い気持ちではなかった。泣き止まない悠里への応対に困ったことは認めるが、軽い気持ちで守ると約束するような性格ではないとメル自身思っている。

 それから、保育園では様々な場面で自分は悠里と一緒のペアやグループがいいと駄々をこねることで、悠里を女の子のグループに入らせメルは悠里との約束を果たしていった。

 しかし、小学校ではそうもいかなくなった。

 悠里は自分を女の子だと思っているということを早い段階で両親に打ち明けていた。

 もちろん、悠里には小さい頃から女の子の服を着せていたし、本当に女の子のように育てていた時期もあるため、両親はすんなり、ではなかったかもしれないが見た感じすんなりと受け入れていた。

 もしくは、悠里の歳で性を認識するにはまだ早く、いずれ自分は男性だと分かってくると思っていたのかもしれない。

 とにかく、小学校に入学する際に悠里は初めてわがままを言って女の子用の入学式の服で式に出席した。

 保育園からの情報で、悠里の性の認識のせいでクラスで浮いてしまわないように友達だったメルと同じクラスになるよう調整したようだった。

 メルは変わらず悠里には女の子として接し続けた。次第に悠里の言動は周囲の男子にとってからかう対象として捉えられていった。

 メルは心底どうでも良かった。

 自分の友達は悠里なのであって、悠里が男性か女性かなど友達付き合いをする上で心底どうでも良い事であった。

 男子のからかいをもろともせずに悠里との友達関係を続けていき、気がつけばメルは


 いじめられていた。


 悠里と友達でいるというだけで、周囲になんの迷惑も掛けていない。

 しかし教科書は破られノートは捨てられて、鉛筆は何本も無くなった。とうとう女子生徒にまで男子生徒の影響を受ける者が現れ、クラスの大方全員がメルと悠里の存在を無視したり、廊下ですれ違う度に心無い言葉を浴びせられたりした。

 メルは一度も学校で泣かなかった。悠里を守ると約束したし、そもそも悠里に対する周りの偏見が悪いと思っていたからだ。どんなに辛い仕打ちを受けようが、メルの信念は曲がる事は無かった。


 だが、その日は訪れた。

 休日にいつもの公園で悠里と遊んでいると、普段は遊びに来ない同じクラスの男子グループが自転車に乗って遊びに来た。

 メルと悠里を見つけると、大声でからかったり遊具を横取りしたりとちょっかいを出してきた。メルは男子グループから距離を取って遊ぼうとしたが、悠里はもう帰りたがっていた。

 「なんで?なんで後から来たあいつらのために私達が帰んなきゃいけないの?」

 メルは泣き始めた悠里に聞いた。

 「だって私の事でからかわれるし、メルがかわいそうだよ」

 悠里はメルに泣きながら話した。

 「私が?かわいそう?友達と遊んでるだけだよ」

 とメルは苛立ちを隠せずに悠里に強い口調で答えた。

 「・・・ういいよ」

 小声で悠里がつぶやいた。泣いているうえに俯いていてほとんど聞き取れなかった。

 「え?なに?」

 メルが悠里の両方の肩を掴み顔を見上げるように腰を落として聞いた。


 「もういいよ、そういうの」


 悠里は泣き止んではいなかったが、大きく息を吐き呼吸を整えた。


 「え?もういいって何が?」

 メルは悠里の言葉が理解できずに聞き返した。


 「そういうの、もういいよ。私を守るって約束を守ってるつもりでしょ?私のせいでメルが傷ついていくの見たくないよ。


 みんなが変って言うんだから、私が・・・ぼ・・・僕が変なんだよ」


 どうして悠里がそんなこと言うんだ

 どうして悠里は自分を僕と言い直すんだ

 何も悪いことしていないのに・・・

 様々な思いがメルを襲った。言葉が出ずに、涙が溢れてきた。

 泣かない

 泣かない

 絶対泣かない。

 私も悠里も間違ってない。泣いたら全部認めることになる。自分が、悠里が間違っていると認めることになる。

 泣かない。


 「うぅ・・・どうして悠里がそんなこと言うんだよ!

 悠里の・・・悠里のばか!」

 

 やっとの思いで涙を堪え、絞り出した言葉は友達を罵倒する言葉だった。

 言ってしまった後、メルは悠里を見た。

 まだ泣いている。

 公園の真ん中ではこちらのやりとりを見ている男子グループがいて、メルと悠里が揉めていることを察知したようで、ニヤニヤとこっちを見ていた。

 大勢の意見が正しい。大勢が変だと思えば、正しいことも変になる。集団と意見が違うものが間違っているのだ

 とあの男子グループの表情はメルに訴えていたように思えた。

 

 私も、悠里も変なのかな。

 変だと認めれば楽なのかな。

 もうひどいことされないのかな。


 男子グループの表情を見て、メルはそう思った。

 そう思ったところで、メルは正気に戻った。そして


 メルは、悠里をその公園において走って逃げた。


 どこでもいい、あの公園から少しでも遠くに行かなければ、自分の中の大事な部分が壊れてしまいそうだった。

 ここまで曲げなかった信念がいとも簡単に曲がってしまいそうだった。

 走って走って知らない角を曲がってまた走って。

 立ち止まると涙が溢れてきそうだったから、とにかく走り続けた。

 泣くなら正しいことで泣きたい。

 こんな、本当にこんなどうでもいい、くだらないことで涙を流したくなかった。

 息が上がり、体が熱くなって足も思うように動かない。

 ここまでくれば大丈夫だろうと思って立ち止まり、座り込んでしまいたくなるのを我慢して、両手を両膝について肘を伸ばし、上半身を支える格好でなんとか立っていた。

 顔を上げると、一度も見たことのない街の中に立っていた。

 メルは咄嗟に、しまった、帰れない、と思い来た道を帰ろうと、必死で今走ってきた道を頭の中で思い返した。

 「えっと、ここを曲がったような・・・」

 引き返し始めて最初の角を曲がった記憶はなかった。しかし、曲がらなかった記憶もなかった。どこを見ても知らない通りで、目の合う大人も誰一人知らない人達だった。どんどん恐怖が心の中に湧き上がってくるのが分かった。

 キョロキョロとあたりを見渡しながら、もはや当てずっぽうで次の角を左に曲がった。


 ドン!


 とメルは大きな人にぶつかって後方に尻餅をついてしまった。


 「あ、ごめんね。大丈夫?怪我はない?」

 うわ、やばい。知らない人にぶつかってしまったと思い、メルは立ち上がれずにぶつかった人の方を見た。


 大きな男の人で、黒いダブルライダースを着た人がメルを心配そうに見ていた。

 横にはもう一人ダブルライダースを着た人がいて、ぶつかった人よりも小柄であった。その小柄な人が

 「大丈夫?立てる?」

 と膝をついて座り、メルを支えて立たせた。膝をついたまま小柄のライダースが

 「お父さんかお母さんは?」

 とメルに聞いた。

 メルは

 「い・・・いない。ひとり」

 と答えた。

 走ったあとのドキドキなのか、知らない人に話しかけられているドキドキなのか分からなかったが、とにかく心臓が飛び出るのではないかと思うほど胸がドキドキしていた。

 息がうまくできずに、短く吐き続けることしかできず、隙をついて一気に息を吸ってしまわなければならなかった。

 この呼吸には覚えがあり、メルはようやく

 あぁ、私泣こうとしてるんだ

 と体の反応を認識した。

 途端に涙が溢れ、今まで我慢してきた感情が次々に溢れてきた。

 溢れかえってどうしようもなく、知らない人の前なのに大きな声を出して泣いた。

 溢れてくる涙で前は見えなかったが、ライダースの二人組はメルとお互いの顔を何度も見ていて大いに焦っているのがわかった。

 男二人が六歳の女の子に近づき、女の子はギャン泣きしている状況は、それだけですでに触法行為に他ならない状況であった。

 「そ・・・そうだ!ジュース!ジュース飲もうよ!ね」

 と小柄なライダースはメルを連れて近くの自販機に移動した。

 大柄なライダースは

 「何がいい?オレンジジュース?」

 と優しく話しかけた。

 知らない女の子が突然泣き出したことで、迷惑をかけていることはメルもなんとなく理解できていた。特に何か飲みたかったわけでなかったが、二人の提案を拒否するのも更に迷惑かけてしまうのではと思い

 「ふぅぅ・・・こ・・・コーラぁ」

 メルは話せる呼吸の合間を見てなんとか二人のライダースに飲み物を伝えた。

 「コーラね、ちょっと待っててね。お前は?なんか飲む?」

 と小柄なライダースは大柄なライダースに聞いた。

 「オレは・・・キャラメルマキアート」

 「オッケー、スポドリね。オレは紅茶でいいかなー」

 小柄なライダースは自販機で3人分の飲み物を買った。


 

 自販機から程近い路地を入ったところに、小さな雑貨屋があり店頭にあるベンチに腰掛け、メルは胸の辺りに両手でコーラの缶を持って、しばらく放心状態だった。

 「落ち着いてきた?」

 大柄なライダースがメルに聞いた。

 「うん、大丈夫」

 メルは少しコーラを飲んで答えた。

 「お名前は?」

 小柄なライダースがメルに尋ねた。

 「横山メル」

 メルは小さい声で自分の名前を言った。

 「メルちゃんか、かわいい名前だね」

 と小柄が言うと

 「お父さんとお母さんの好きなバンドの人の名前から取ったんだって」

 とメルは小柄に言った。

 「好きなバンドか、メルねー。なんか思い当たる?」

 小柄は大柄に聞いた。

 「んー、なんだろ。ブリトニー・・・メル入ってないね。マイケル・・・違うか」

 「あ、あれじゃない?エリックメルビン」

 小柄が閃いた名前を言うと、メルは

 「そう!その人だ」

 と笑顔になった。

 「へぇ、ノーエフエックスのエリックメルビンから取ってメルか。メルちゃん、パンクだね」

 「ぱんく?」

 「そう、パンク。お兄さん達パンクって音楽を演奏するバンドやってるんだ。今日はちょうどそのバンドのライブがあるんだよ。夜だけどね」

 小柄と大柄はバンドをやっているようで、今日はそのバンドのライブがあり、その関係で革ジャンを着ておおよそ14時あたりの街中を歩いていたそうだ。

 「ところで、メルちゃんはどうして一人であんなところを歩いていたの?」

 大柄がメルに聞いた。口調は終始穏やかで優しい。

 「あのね、私。悠里と・・・お友達と喧嘩してね、ここまで走ってきたの・・・」

 とメルはさっき公園で起こったことを二人のライダースに話した。

 ライダース二人組も、いち早くこのメルと名乗る女の子を保護者に引き渡さねばならないと感じており、メルの話す端々に保護者に繋がる単語はないか真剣に聞いていた。

 その友達の子は女の子の友達?

 学校ではみんなと仲良くしてるの?

 こういうことは今回が初めてなの?

 等々、ポイントでしか話せないメルにできるだけ事の発端から今日に至るまで時系列で話を聞けるように、二人のライダースはうまくメルに質問をした。


 「なるほど、そりゃあ悠里ちゃんはメルちゃんを守ろうとしたんだな」

 大柄が納得したように話した。

 「え?悠里が?ずっと泣いてたし、私と一緒にいたくないみたいだった」

 メルは大柄を見上げながら話した。

 「一緒にいたらメルちゃんまで酷いことされちゃうかもしれないし、メルちゃんはどんなことされても悠里ちゃんから離れたくないでしょ?」

 「そりゃあ友達だもん。一緒にいて守らなきゃ」

 「だから、悠里ちゃんはわざとメルちゃんを突き放すようなことを言って、その公園からメルちゃんを遠ざけたんじゃないかな?」

 「分かんない。泣いてばっかりの悠里が一人になったら今まで以上に酷いことされるかもしれないのに」

 「メルちゃんに頼りたくないとか、頼ってる自分がカッコ悪いとかじゃなくて、メルちゃんを守るために悠里ちゃんができることはその公園からメルちゃんを遠ざけること、だっだんじゃないかな」

 大柄が飲み干したスポドリのボトルを見つめながらそう言った。

 メルは、ようやく、なんとなくだが悠里の心境を少し理解できた。

 大柄の言葉を聞いて、メルは両手に持っているコーラの缶を見つめていた。小柄がメルの横顔を覗き込みながら

 「悠里ちゃん、めちゃくちゃ優しいじゃん」

 とメルに言った。

 メルは思い出したように

 「うん、悠里はね、すごく優しい。泣き虫だけど」

 と小柄の方を見て言った。

 そうだ、悠里は優しい。誰よりも優しい。自分のことより人のことを考えられる優しさと強さを持った大事な友達だとメルは改めて思った。

 「よし、じゃあその公園に戻って、悠里ちゃんに謝ろうか」

 と小柄が飲み干した紅茶の缶をベンチ横に設置してあるゴミ箱に捨ててメルに提案した。

 「うん、公園に行く」

 メルはようやく笑顔を見せ、ベンチから立ち上がった。


 メルはとんでもない距離を走ってきたと感じていたが、二人のライダースに公園の特徴を伝えると、割とあっさり公園に着いた。

 公園では先ほどの男子グループがまだ遊んでいた。自転車に乗っているもの、近くのブランコで遊んでいるもの、各々が公園での時間を楽しんでいた。

 悠里の姿はもう公園にはなかった。

 「悠里ちゃん、いる?」

 と大柄がメルに聞いた。メルは大柄に

 「ううん、いない」

 と答えた。

  ライダース二人も公園に来れば何か保護者に繋がるのではと思っていたため、少々焦りが見え始めた。メルの友達も既にいないとなると、あとは交番にメルを連れて行くしかないと思い、二人して公園の入り口横のベンチに座った。

 メルはまだ公園を見渡しながら悠里を探している様子であった。

 公園に戻ってきたメルに男子グループの一人が気付き、仲間に声をかけ3人でメルに近づいて

きた。

 「また帰ってきたのか?横山。あの「おとこおんな」もしばらく泣いてたけど帰ったみたいだし、お前ももうこの公園には来るなよ」

 男子グループの一人がメルに話しかけた。終始メルを馬鹿にするようなトーンで声を発している。

 「・・・悠里だよ、おとこおんなじゃなくて」

 普段から嫌がらせを受けているメルは男子の前で声が小さくなり、俯きながらしか話せないようであった。

 「悠里って名前も、男か女か分かんねーし。男のくせに女みたいな話し方してるのも気持ち悪いし、そもそも横山が庇う意味がわからねぇよ。お前ら、付き合ってんのかぁ?」

 男子は3人でメルをからかい始めた。

 メルと悠里は付き合っている、恋人同士だ、キスとかするのか、同じ布団で寝るのか等からかいは徐々にエスカレートしていた。

 メルは俯き、涙が出ないように、泣いてしまわないように呼吸を必死で整えているようだ。

 もうだめだ、涙が溢れそうだと思った矢先、からかいの声が止んだ。

 メルが目に涙を溜めて顔を上げると、大きな背中が見えた。

 メルと男子グループの間に大柄のライダースが仁王立ちしていた。

 突然いかつい革ジャンを着た大男が目の前に立ちはだかり、男子グループはたじろいでいた。

 そして大男は男子グループに

 

 「メルはオレたちの連れだ。なんか用か」


 と低く言った。

 すると、ベンチに座っていた小柄なライダースは前屈みになり、顔だけあげてメルを見た。そしてやはり低い声で


 「違うだろ、メル。今は怒る時だよ。友達を馬鹿にされてんだぞ」


 とメルに言った。

 メルは小柄なライダースに言われて、意を決したように強く頷いた。

 そして大柄のライダースの横に立ち、大きく息を吸って


 「悠里は私の友達だ!馬鹿にするな!」


 と大きな声で怒鳴った。

 「わ・・・わかったよ」

 「おい、帰ろうぜ」

 男子グループは仲間に声を掛けて、公園を去ろうとした。去ろうとしている男子グループの背中に向かって大柄なライダースは

 「おい、お前たち!」

 と大きな声で呼び止めた。

 「メルと悠里はオレたちの仲間だ。二度とからかうような真似するなよ」

 大きな声でそう言った。

 男子グループは頷きながら足速に公園を去った。

 小柄なライダースはメルの近くに歩みより、しゃがんでメルと同じ目線になるとメルの頭を撫でながら

 「よく言った!ナイスパンク!」

 と言って笑った。

 メルも

 「うん、言ってやった!」

 と言い笑顔を返した。

 

 「メル!」

 小柄のライダースの背中の方で声がした。メルが声の方を見ると母の花恋が涙を流しながらメルの方に小走りで近寄ってきた。花恋とメルの間にしゃがんでいた小柄のライダースが立ち上がって大柄のライダースの方に移動した。

 花恋は思い切りメルを抱きしめた。

 「メル、良かった。心配したんだよ」

 花恋に抱きしめられて、花恋の右肩にちょうど顎が乗るような体制になったメルは安心したのか、目から涙が溢れていた。しかし、表情は笑っており

 「ごめん、お母さん。大丈夫だよ!もう大丈夫」

 と花恋に言った。

 「悠里ちゃんがね、うちに来てメルがいなくなったことを伝えてくれたのよ。

 全部、全部悠里ちゃんから聞いたから。

 メル。ごめんね、お母さん気づいてあげられなくて。

 ごめんね」

 花恋はメルの右肩に顔を埋めて泣きながら話していた。

 「もう大丈夫だから。私、お兄ちゃんたちの仲間になったんだよ」

 とメルは嬉しそうにライダース二人を見ながら言った。

 「え?」

 花恋はメルを見て、メルが見つめる方にいるライダース二人に顔を向けた。

 「お兄ちゃんたちが助けてくれたんだ」

 メルが花恋にそう言うと、花恋はすぐに立ち上がり

 「あの、メルを助けてくださってありがこうございます。この子、自分が困っててもなかなか素直に言い出せない性格で、メルをこの公園まで連れてきてくださってありがとうございました」

 と花恋は深々とライダース二人組に頭を下げた。

 「いえいえ、お母さん。メルちゃんは強い子ですね。いじめっ子にも言い返せたし、悠里ちゃんのこともちゃんと考えてる。立派なパンクスですよ」

 と小柄のライダースが笑顔で答えた。

 「では、僕らはこのへんで。じゃあね、メルちゃん。悠里ちゃんにもよろしく」

 というと、小柄が大柄の背中を叩き、二人で公園の出口に向かって歩き出した。

 「ちょっと、待ってください!」

 と花恋が二人を呼び止め、何かお礼をさせてくれと申し出た。

 ライダース二人は丁重にお断りしたが、しつこい花恋に根負けし

 「じゃあ、もし良かったら、今夜の僕らのライブに来てください。チケット代は要りませんので」

 と笑顔で言って公園を去った。

 それから花恋と悠里の家に行き、お礼と謝罪をした。

 悠里はやっぱり泣きながらメルに謝り、そして怒って、また泣いた。

 それから、学校でのメルと悠里の待遇は面白いほど変わった。メルのバックにはヤバいヤンキーがついていると瞬く間に学校中の噂になり、今まで辛くあたっていたメンバー達は手のひらを返したようにメルと悠里に謝罪し、誰もが優しく接した。メルは表面しか見ていないような周りの反応が面白くなかったが、悠里の身の安全を保つことができたことに満足した。悠里は持ち前のコミュニケーション力を発揮していき、性別を超えた存在になることに成功した。


 あの日、メルと悠里の人生の全てが変わった。

 

 

 ライブハウスの天井が照明に照らされて明るくなった。

 本日のライブ、1組目の「くるくるじょうぎ」の演奏が始まった。

 メルは懐かしい思い出で胸がキュッとなるのを感じながら、ステージのバンドを見た。

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