真島エリ
「よ、メル。また同じクラスだね」
騒がしいクラスの中から聴き慣れた声がメルの耳に入った。頬杖をついて窓の外の花壇を見ていたメルは声の方に振り返った。
「11年目もよろしくね」
と声の主、松本悠里に挨拶した。
「小1から高2までずっと同じクラスってさ、学園ものの漫画ならいずれ付き合うシチュエーションだよね」
悠里が笑いながらそう言ってメルの前の席に腰を下ろした。
「そういうシチュなら、既にどっちもお互いを意識してて、一言交わすたびにドキドキする展開になるはずじゃん。悠里とはそんなんじゃなくて、何ていうの・・・もはや宿命」
「あはは、宿命ウケる」
悠里はそう言うと笑った。
笑うとかわいいな、こいつ
とメルは冷静に悠里を眺める。
悠里は男子学生でメルの家から程近い場所に住んでいる、物語によく登場するいわゆる幼馴染みだ。
悠里はトランスジェンダーで自分のことを女性と認識している。それはごく幼い頃から一貫していて、メルも悠里のことを女友達と見ている。小学校まで普段着は女性ものを着用していたし、髪も比較的長かった。一見すると女子の見た目であったし中学校も女子生徒の制服を着るものとばかりメルは思っていた。しかし、悠里は中学校から短髪にして男子生徒の制服を着用している。悠里曰く、
「単純に短髪、ズボンの方が動きやすい」
のだそうだ。
聞けば、身体的変化は男性として現れるため、歳を重ねるごとに女性ものの衣服が着用し辛くなりかえってストレスなのだとか。とは言え、長身で顔立ちも整っていて、おそらくメルより細いであろうそのスタイルは、性別に関係なくどんな衣服も着こなすのだろうとメルは思っていた。
「でさぁ、その日だけで二人に声かけられたんだよぉ」
クラス内で一際大きい声で話すクラスメイト、河口瑠璃の声が聞こえてきた。
春休みに街を歩いていたら男性二人に声をかけられた武勇伝を他のクラスメイト10名程に披露しているところらしい。
瑠璃は目鼻立ちがくっきりしていて派手目な顔立ちをしている。が、肩下あたりまである黒いまっすぐな髪を束ねずに垂らしていることで、清楚な印象を与えている。白く細い足がスカートから伸びていて、スタイルの良さも想像できるいでたちをしている。
すごいすごいと他の生徒は瑠璃の話を聞いていた。メルは瑠璃とは1年生の時同じクラスではなかったが、どうやら瑠璃は1年の頃からクラスのカースト上位組の生徒であるらしく、その頃からの取り巻きも数名いる様子であった。
「瑠璃可愛いから、一緒に街歩いてても瑠璃ばっかり声かけられるんだよね、ちょっと嫉妬しちゃうもんね」
取り巻きの生徒がそう話すと
「そんなことないよぉ、別に普通だしぃ」
ニコニコと笑って瑠璃はそう返事した。
「メル」
悠里はメルに話しかけた。驚いたメルは悠里を見て
「な・・・何?」
と聞いた。
「あんま見ない方がいいよ、瑠璃って子のこと。メル、ああいうタイプの子嫌いでしょ?」
「え・・・もしかして顔に出てた?」
「超睨んでた」
「ははは、普通に見てただけだし。声かけられたかったら夜中にミスド前に立っとけばいいのにって思ってさ」
「あんな芸当はメルにしかできないよ」
「別に私声かけてオーラだしてないんだけどな」
「柚木そら似だからじゃない?」
「いや、だから全然似てないって」
「そうかな?僕から見たら瓜二つだよ。メル可愛いし」
「悠里、その僕ってのやめたら?慣れないよ」
「この方がさ、周りから変な目で見られないから意外と楽なんだよ」
「聞いてる私がストレスだわ」
「ストレスと言えばさ・・・」
メルと悠里はとめどなく話し続けることができる。が、始業のチャイムがその話を中断させた。
「じゃ、また後でね」
そういうと悠里は自分の席に戻った。騒がしかった教室が静かになり、全員が黒板を向いて綺麗に座り、教師の話を聞き始めた。
とうとう新学期が始まったか
そう思うとメルは頬杖をついて、再び水をまかれてキラキラ輝いている花壇を眺めた。
新学期が始まり、1週間が経った。この頃になると、クラス内のグループもはっきりと分かれ、人間関係も安定期に入る。自分が横と縦の関係性でどの位置に立っているのかを認識する時期だ。それが顕著に現れるのが昼食の時で、皆各々のグループで固まって昼食を摂る。今日も学園生活のしきたりのような光景が広がっていた。メルは相変わらず一人か、話すとすれば悠里と話すという今までと何の変化もない生活を送っていた。悠里と取り止めのない話をして昼食を摂り、残りの休憩時間はスマートフォンにイヤホンを接続してラモーンズかクラッシュのどっちを聴いて過ごそうか悩んでいた。
春の日差しが暖かく、眠気も襲ってきた頃メルはラモーンズのロケットトゥロシアを聴きながら花壇の花を眺めていた。
今日も重そうにジョウロを持って水をまいている女子生徒がいる。
髪は長めのボブで黒いサラサラのストレート。身長は150センチメートルほどで華奢な体格だ。
最近知ったが、その生徒はメルと同じクラスの生徒で、名前を真島エリというのだそうだ。エリはジョウロの水が空になり、追加の水を求めて手洗い場に向かって歩き、メルの視界から消えた。
するとエリが居なくなるのを見計らっていたように瑠璃と取り巻きの生徒二人が花壇に近づいてきた。窓を閉めていたので瑠璃が何を話していたのかはわからないが、花壇の端のチューリップを見て笑っている。取り巻きの子から話しかけられ、そっちを見て笑い、再びチューリップの方を見て次は花の部分を指で突いて笑った。
かわいいねって話してるのかな
メルはその様子を見ながら軽くアテレコしてみたりして楽しんでいた。
瑠璃はチューリップの茎を持つと花を折り取って花壇に捨てた。
おっと、花を愛でているわけではなさそうだな、とメルが眺めていると、続けて2本同様に花を折り取って捨てた。そして花壇から素早く離れ、ニタニタと取り巻きの子二人と笑っている。
ジョウロを両手で抱えたエリが花壇に現れた。
どうやら瑠璃は花壇に近づくエリに気づいて素早く花壇から離れたと思われた。
エリはニコニコと笑って瑠璃たちを見て、ジョウロで水をまきだした。ジョウロを2〜3回揺らして水をまいていると慌ててジョウロの口を上げ水を止めた。
チューリップの惨状に気付いたのだ。笑っていたエリの顔は驚いた表情になり、すぐに泣き出しそうな表情へ変わった。チューリップの様子を確かめるように膝を折ってしゃがみ込んだ。瑠璃はその様子をエリの後方から見て大いに笑っている。計らずもメルは、エリと瑠璃の表情をどちらも見ることができる位置からその光景を眺めていた。
メルは強い違和感を感じた。
エリはなぜかすぐにまた笑顔に戻ったからだ。立ち上がり、瑠璃達の方へ振り返り、何かを話している。
流石に会話の内容が気になったメルは窓を少し開けてみた。イヤホンを両耳から取ると音量は小さいがわずかに会話の内容が聞こえてきた。
「きゃはは。花は咲いたら取んなきゃいけないんでしょ?手伝ってやっただけじゃん」
と瑠璃。
「あ・・・えへへ・・えっと・・・そ・・・それはね、冬に咲いていたビオラのことで、ビオラは咲き終わった”花殻”を取り除かないとそこからカビが発生することがあるって話したんだよ。へへ・・ごめんね、私の伝え方が悪かったよね。ごめんね」
なんでエリが謝る必要があるんだとメルは思う。
「えっと・・・えっと・・・そ・・・そ・・・それはねぇ・・・きゃはは。腹いてーわ。ごめんごめん、間違えちゃった。今度から私に花がどうのこうの偉そうに話さないでくれる?私頭悪いから、次も間違えそうだし」
おおっと、嫌な女の典型だな。エリって子そんなにどもってなかったし、とメルは思いながらエリを見ていた。
「えへへ・・ご・・・ごめんね、私・・・その・・・ごめんね、ごめんなさい」
瑠璃は既に花壇から離れたところに移動していたが、エリはその背中に向かって笑顔で謝り続けた。瑠璃の背中を見ながらふっとまた泣きそうな表情に戻り、下唇を噛んでいた。2〜3秒ほどその表情のままだったが、顔の表情は崩さずにスカートのポケットを探り始めた。ワイヤードのイヤホンが接続されたスマートフォンを取り出し、イヤホンのケーブルを解して両耳に付けた。スマートフォンを操作して、何かを聴き出したようだった。するとまた口角を上げて、重いジョウロを持って水をまきだした。
ふーん、そうか。エリって子音楽聴いてるんだ。それにしてもあの子ジョウロで水をまくとき、よいしょ、よいしょって小声で言ってんだな。激かわじゃん、と思いながらメルは水をまくエリを眺めていた。
メルが通っている高校は4月の下旬頃新入生歓迎遠足を行う。全校生徒が体育で着用するジャージを着込み、学校近くの公園に歩いて向かう。生徒会が企画したさまざまなゲームを学年の垣根を超えて取り組むことで、親睦を深めるのだ。
今日はまさにその歓迎遠足の日で、メルもクラスのメンバーと共に朝から公園にいた。今年のゲームはスタンプラリーと伝言ゲーム、そしてクラス対抗の長縄跳びだ。この遠足で新入生はもちろん、クラス替えをした上級生も嫌でも普段関わりの少ないクラスメイトとコミュニケーションを取らなければいけなくなり、若干クラス内のパワーバランスに変化が現れる。とメルは分析しているが、メルがクラスのパワーバランスに関わることはない。めんどくさいとか、人付き合いが苦手というわけではなく、単に誰も寄り付かないというのが正しい。自分はどこか話しかけ辛い雰囲気を持っているのだとメルは思っている。
その証拠になぜか悠里はいつも友達が多い。男女問わずすぐに仲良くなれるようで、思わぬ人物も知り合いだったるする。一見すると美男子な悠里の需要は高く、今日は悠里を囲んでランチ会が開かれていた。メルはクラスのグループから離れたベンチに一人で座りゆっくりランチを楽しむことにした。
今日は遠足ということで、父健一郎が選りすぐった惣菜の数々が弁当箱に詰められていた。
「さすが、我が父にして大型スーパーベテラン店員。娘の好みをわかっている」
唐揚げを箸でつまみ上げながらメルは父の普段の勤労に感謝した。
唐揚げを目の高さに上げて眺めていると、唐揚げ越しにエリの姿を確認した。メル同様クラスのグループからは離れ、木の影に隠れるように弁当を食べていた。
メルは食べようと思っていた唐揚げを弁当箱に戻して蓋をし直し、保冷バッグに弁当箱を入れ直すと、ベンチから腰を上げてエリのいる木の影に移動した。
「や、真島さん。一緒に食べていい?」
メルはエリの前に立ち、エリを見下ろしながらそう言った。
「え・・・あ・・・えっと・・・横山さん。もも・・・もちろんだよ。えへへ」
メルはエリの右手側に座り、再び弁当を広げた。
「わぁ、横山さんのお弁当、豪華だね」
エリはニコニコ笑って話しかけた。
「うちのお父さんね、街の大型スーパーの店員なんだ。だから惣菜の余り物も結構格安で購入できてさ。このお弁当も全部惣菜なんだよ」
メルも笑ってエリに応えた。
「へぇ、羨ましいよ。私、凝ったことできないから今日も冷凍食品ばかりなんだ」
「いや上等だよ」
エリの弁当はいかにも女子のお弁当といった感じで、彩り豊かでメニューごとに小さく綺麗にまとめられていた。
「凝ったことできない?真島さんがこのお弁当作ったの?」
メルは危うく聞き流しそうになったエリの言葉を思い返した。
「うん、うち母子家庭なんだ。お母さん看護師で今朝非番だから、お弁当作るの間に合わないから。作ったって言っても冷食詰めただけだよ」
「普段から料理するの?」
「うち小5の弟がいて。お母さんが仕事で遅い時とか、夜勤の時は私が料理するよ。凝ったことできないけど・・・」
「真島さん偉いね」
メルは素直に褒めた。
「え、え・・・偉くないよ。そういう環境なら皆そうするよ」
エリは箸を持ったまま右手の平をメルの方に向け左右に振ってメルの賛辞を否定した。
「メル、ここにいたの。あれ、真島さん。珍しい組み合わせだね」
さっきメルがエリに話しかけた時と同じ場所に悠里が立っていた。
「悠里、ランチ会大丈夫なの?」
「ランチ会?普通にお昼食べてただけだよ。真島さん、隣いい?」
悠里はエリの左隣に腰を下ろした。メルと悠里でエリを挟む形で座った。
「みんな悠里とお昼食べたかったんじゃないの?この人気者め」
メルが悠里に話しかける。
「とっくにお弁当は食べ終わったんだもん。それにほら、今グループの中心で話してるのは河口さんだよ」
さっきまで悠里が中心になって集まっていたグループは、今や瑠璃が中心になって話に花が咲いているようであった。
「・・・あの、わ・・・私、その・・・向こうで食べましょうか?」
エリは悠里が横に座ったことで緊張してしまい、メルも自分を跨いで悠里に話しかけることで、二人の間にいる自分が邪魔なのではないかと感じた。
「え、なんで?」
メルと悠里は同時にエリに聞いた。
「え・・・っと、その、お・・・お二人は、つ・・・つ・・・付き合ってらっしゃるんですよね・・・」
エリは赤面しながら意を決して両者に問い正した。
「いつも二人でいるし、なな・・・仲良さそうだし、見てたら分かりますよ」
二人を見ずにエリは一気に話した。
「あー・・・」
メルは悠里を見て返答に悩んだ。
「はっ・・・ご・・・ごめんなさい。私、やや・・・野暮なこと聞きましたよね」
エリは二人に失礼なことを聞いて、二人の気分を害したのではと思いすぐに謝った。
「付き合ってないよ。悠里とは幼馴染で話が合うんだよね。それに悠里女子だし」
メルはエリの疑問に素直に返答することを決意して話した。
「あ・・・ああ。幼馴染なんですか。それなら仲が良いのも納得です。それに女子・・・
え?じょ・・・じょ・・・え?」
エリは幼馴染の関係性は理解したが、その後の悠里は女子というワードを飲み込めずに、メル
と悠里を何度も交互に見た。
「あはは、黙っててごめんね。私、女の子です」
悠里はエリを混乱させてしまったことを悪いと思い、謝罪を交えてエリに打ち明けた。
「えと・・・えと・・・どういう・・・ことですか?」
エリは悠里に聞いた。
「いわゆるトランスジェンダー、っていうのかな?見ての通り男子の体なんだけど、心は女子っていうあれ。普段は周りに混乱を与えないように男子寄りの言動を心がけてるから、分かり辛いよね」
エリは固まってしまって、言葉が出ないようであった。
「ちょっとメル。もうちょっとソフトにカミングアウトできないかなぁ。エリちゃん固まっちゃったよ」
固まったエリの頭の上からメルを見るために悠里は上体を伸ばしてメルに言った。
「ははは。ごめん、悠里の友達の特権だよ。カミングアウトした時の相手の反応見るの。エリ、大丈夫。大体みんなそうなるから」
「エ・・・エリ?」
自分のことを下の名前で呼ばれていることに気付き、エリは我に帰った。
「悠里の秘密知ったんだし、もう友達だよ。エリって呼ばれるの嫌?」
メルは少し首を傾けてエリの表情を覗き込むように聞いた。
「い・・・嫌じゃない。ごめん、でもちょっと今パニック」
放心状態で正面を見ているエリの目はどこか遠いところを見ていた。
「ごめんね、メルって結構強引なとこあってさ」
悠里は小声でエリの左耳に囁いた。
メル、悠里、エリはその後の昼食時間をかけて色々な話をした。
メルは母が海外勤務中で現在父子家庭であること。
悠里は幼い頃から自分は女の子だと思っていたこと。
エリは花が好きなこと、弟のために料理をもっと勉強したいこと。
「あの、思い切って聞くね。松本君は辛くなったりしないの?自分の性別のこと」
「んー、逆かな。特典だと思ってる。心と体を男か女かのどっちかに統一しないといけないって強いられたらすごく辛いんだろうけど。幸い今までそんなことなかったし、男性として変化していく自分の体も好きなんだよね。だからどっちの性別も体験できるって私にしかできない特典」
「強いんだね、松本君。あ、じゃあ松本君じゃなくて、松本さんって呼ばなきゃ」
エリは悠里の言葉を聞いて、悠里の心境を少し羨ましく思った。
「悠里でいいよ。それに私は強くない。やっぱり辛い時期もあったよ。小さい時だけどね。男の子っぽさとか女の子っぽさって意外と未就学期に求められることも多くて。ほんと、幸いなことに、親も親友のメルも最大の理解者だから、深刻に悩むことはなかったけど」
「横山さんが最大の理解者・・・」
エリは遠くで盛り上がっているクラスのグループの方を見た。その視線の先に瑠璃を捉えているのははっきりとしていた。
「メルでいいよ。悠里のことは少しずつ理解していくといいよ。一人だけ情報量多すぎるから。
ところで、エリは河口さんからいじめられてるの?」
メルは唐突にエリに聞いた。
エリは一瞬ビクッと体をこわばらせてメルを見た。そしてすぐに視線を食べ終わって風呂敷に包まれた弁当箱を乗せている自分の膝に移した。
黙ってしまったエリを見てメルは
「ごめん、私まどろっこしいこと苦手で。この前、河口さんがチューリップ折ってるとこ見ちゃってさ」
と付け足して話した。
「辛く思ってることがあったら、私たちに話してみたら?」
悠里も優しくエリの横顔に話しかけた。
「今・・・今はね、瑠璃ちゃんから辛く当たられることが多いけど。本当は瑠璃ちゃん優しくてね。前は友達だったんだ、私たち」
エリは瑠璃との関係性について話し始めた。
「私、小学校卒業と同時に引っ越して、中学から別の校区の中学に通うことになったんだ。だから誰も知り合いがいない学校に通うことになってね。すごく不安だった。このくらいの時期だよ。4月下旬。友達ができないでクラスの隅で休み時間を過ごしていたら、瑠璃ちゃんが話しかけてくれた。グループ学習一緒にしない?って。すごく嬉しかった。
瑠璃ちゃんはそのころ、今より髪は短くて、少し髪の色も明るかった。地毛なんだって。だからちょっと派手目な感じで、女子より男子の友達が多いような感じだった。性格も明るくて、みんなの中心で、あ、ほら今みたいな感じ」
エリはクラスのグループの中心で笑っている瑠璃を見て言った。
「私にとって太陽みたい存在で、憧れてた。瑠璃ちゃんがグループに入れてくれたことがきっかけで、私も少しずつクラスに溶け込めるようになっていって。花が好きだったし、特にクラスの役割じゃなかったんだけど、花壇の管理を先生に申し出て任せてもらえることになった。それも瑠璃ちゃんがアドバイスしてくれてね。よく花壇の管理を手伝ったりもしてくれてたんだ。休みの日に一緒に遊びに行ったりもしたんだよ。
でも、中学2年になって瑠璃ちゃんのグループと遊びに行く時、少しずつ男子がついてくることが増えていって。私、どうしても苦手で。それに、頻繁に遊びに行ける家庭環境でもないから、その辺からちょっとずつ瑠璃ちゃんと距離ができはじめて。
3年生の卒業式に参加した日ね、私ある男子の先輩に呼び出されて。こ・・・告白されたんだ。
初めてのことだったから驚いて。先輩が言うには、一度瑠璃ちゃん達と遊びに行った時に私を見かけて、それからずっと気になってたって。それから何度か瑠璃ちゃん達と遊びに行ったけど、私が来なかったから気持ちを伝えられなかったらしくて」
「やるねぇ、エリ」
メルは少し茶化し気味にエリに言った。
「でもね私、その先輩のこと全然知らないし、話したこともないから・・・お断りしたんだ。それでクラスに帰ったら・・・みんなもうそのこと知ってて。帰りに瑠璃ちゃんと仲良かった子に呼び止められて、瑠璃ちゃんがその先輩のこと好きだったことを知ったんだ。私のこと裏切り者だって言って怒ってるって言われて・・・わ・・・私・・・怖くなって。
全部瑠璃ちゃんのおかげなのに、クラスで馴染めたのも、友達できたのも、先輩が私を知ってくれたのも瑠璃ちゃんのおかげなのに・・・私、知らなくて・・・」
泣きそうに話すエリの横顔を見ながらメルは
「でも、それエリは悪くないじゃん」
と今までの話を聞いた感想を言った。
「瑠璃ちゃんのこと知っていれば、私が瑠璃ちゃんの理解者になってあげられれば、もっと事前にどうかしたり、告白の返答の仕方なり色々対処できたと思う。私は知らない先輩から告白されるより瑠璃ちゃんとの関係を保ちたかった」
そう言うとエリは俯いてしまった。
”午後の種目、クラス対抗長縄跳びを始めます。各自クラスの位置に戻ってください”
生徒会役員の生徒が拡声器で公園にいる生徒に呼びかけて回っていた。
「そろそろ時間だね。あの・・・今の話は、忘れてください。横山さん、松本さん」
エリはそそくさと自分の荷物をまとめてクラスのメンバーがいる位置に走って戻った。
「エリ、こじれてるねぇ」
メルと悠里はまだ木の影に座ったままだ。走っていくエリの背中を見ながらメルは悠里に話しかけた。
「うん、告白されるって素敵なことなのに、最悪の思い出になったんだね」
悠里はエリの思い出に同情するような気持ちでそう言った。
メルは立ち上がって自分の尻についた芝生を叩いた。
「まあ今の話だと、こじれてるのはあの河口瑠璃って子も一緒か」
「調べとこっか?河口さんのこと」
悠里も立ち上がりメルの左側の移動してメルに聞いた。
「うん、お願い」
メルは悠里のことを見ずにそう答え、クラスのメンバーがいる方に歩き出した。
5月、大型連休も終わり少しずつ夏の訪れを感じる気候になってきた。
間服が白いシャツという制服であるため、昼食の時に汚してしまわないよう体育で着用するジャージの上着を羽織ったメルは相変わらずクラスの隅の自席で昼食を取り、スマホにワイヤードのイヤホンを接続して両耳に装着し、ザ クラッシュのホワイトライオットを聴いていた。
花壇には今日も水がまかれ、花達も初夏の日差しを受け活き活きしていた。
「メル、何聴いてるの」
悠里がどこからともなく現れ、メルに質問しながらメルの前の席に座りメルの席の方に体を向けて右手で頬杖をついた。
「お、悠里。最近よく私を一人にするよね。まあ頼みごとしたの私なんだけど。聴いてんのはクラッシュのホワイトライオットだよ」
「あ、いいね。僕クラッシュでは一番好きかも」
「私も。ロンドンコーリングが名盤ってなってるけど、やっぱパンクのアルバムはファーストが一番かっこいい」
「初期衝動大事よね。ところで、ようやく分かったよ。例の件」
メルは両耳からイヤホンを外し、背もたれに背中をもたれて聴いていた姿勢から、上体を起こしてきちんと座り直した。
「で、どうだった」
前のめりになるように伺った。
「やっぱり、僕たちの睨んだ通りだったよ」
悠里の言葉を聞いて、メルは再び背もたれに背中をもたれて
「なるほどぉ、こじれてるねぇ」
と天井を見上げて答えた。そして顔を左に向けて外の方を見た。
「大変だったんだよ、ここまで情報集めるの。最終的にちゃんと話を聞けて、裏も取ったから・・・って聞いてるの、メル?」
メルは見上げていた格好の首の角度から、正面を見る首の角度に戻し、顔を左に向けたまま外を眺め続けていた。
「ちょっとメル?何見てるの?」
悠里がメルの視線の先を見ると、花壇より奥の通路脇に設置されたベンチにエリの姿を確認できた。メルの窓際からは距離にして15メートル程だ。
「エリ、今日も音楽聴いてる」
エリが両耳にイヤホンをしてニコニコしているのを確認し、メルはそう言った。
「そういえばエリちゃん、一人の時は結構イヤホンしてるよね。何」
聴いてるのかなと悠里が言い終わるより先に
「しっ、悠里、見て」
と悠里の顔を見ずにメルが悠里の発言を遮り、悠里に窓の外を見るよう促した。
悠里が窓の外を確認すると、河口瑠璃と取り巻きの生徒二人がベンチに座っているエリに近づいていっているところだった。
ベンチにたどり着くと、ようやくエリも瑠璃の存在に気付き、イヤホンを外して立っている瑠璃を見上げて笑顔で挨拶しているようであった。すると瑠璃は無理にエリの隣に座った。取り巻きの生徒が二人の座ったベンチの前に立ち、メルからはエリと瑠璃が見えなくなってしまった。
「まずそうじゃない?これ」
悠里が言うと
「まずいかも」
とメルが返答し、二人は急いで教室を出た。
メルと悠里はベンチからは見えない植え込みに隠れて距離を詰めていった。段々と瑠璃がエリに対して話している声が聞こえ始めた。
「ねえ、この前の話の答え、そろそろ聞きたいんだけど」
瑠璃が低いトーンの声でエリに話しかけている。メルからの角度だと瑠璃の表情は見えないが、普段男子の前で話すトーンと明らかに違う声色から、表情もエリを睨め付けているであろうことは予想できた。
「え・・・えへへ。えっと、その・・・学校は辞めたくないかな・・・ご、ごめんね」
エリの表情はうかがえ、困ったように笑顔を作っていた。
メルは少し苛立ち始めていた。
「いや答えになってない。友達もいないんだし、学校いても意味ないじゃん。あんた見てるとイライラするんだよ。いい加減消えてくんないかな」
メルの肩が怒りで少し震えているのに、メルの後方から隠れて様子を伺っている悠里は気づいた。
「メル、首突っ込んじゃダメよ」
悠里はメルに小声で話し掛ける。
「分かってる、分かってる」
メルは悠里に向かって一生懸命小声で答えた。一瞬の余裕もない表情だ。
「ごめんね、私マイペースで。えへへ・・・私といるとイライラするよね・・・」
そう言うとエリはベンチから立ち上がり耳に再びイヤホンを装着して、その場を去ろうとした。しかし、取り巻きの生徒がエリの前に立ち行手を阻んだ。ベンチに座ったままになっていた瑠璃は立ち上がり
「そうやってすぐ距離取るくせに、いつもヘラヘラしてるとこも。昔から大っ嫌いなんだよね、エリ」
と言いながらエリの背中に近づいた。
エリの背中は丸まり震えている。
メルの位置からエリの表情は見えなくなってしまったが、メルにはエリが今どのような表情をしているのかが感じ取れた。以前チューリップを折られた時、去っていく瑠璃の背中を見ていた時のように、下唇を強く噛み、今にも泣きそうな表情になっているに違いなかった。
「一丁前に音楽なんか聴きやがって。いちいち生意気なんだよ」
と言うとエリの耳からイヤホンを無理やり抜き取った。イヤホンのケーブルを辿って素早く接続されたスマホもエリの手から瑠璃に奪われ、エリは瑠璃の方を振り返った。その拍子にメルはエリの表情を見た。目にはいっぱいの涙が溜まっていた。
瑠璃は素早くスマホを上にかざしたり、左右に腕を伸ばしたりしてエリがスマホを取り返そうとして伸ばしてくる手を交わした。そして、瑠璃の左隣にいる取り巻きの生徒に放り投げて渡した。取り巻きの子はスマホを受け取り4〜5歩後方に下がり、イヤホンを耳に装着した。
「やめ・・・やめて」
エリは弱々しく自分のスマホの方を見ているが、伸ばした手も瑠璃に弾かれ、スマホに近づけないようにもう一人の取り巻きの生徒に前に立たれなす術がない状態だった。
「うわ、何この曲。だっさ」
イヤホンを耳に装着した生徒がそう発した時、悠里はしまったと思いメルの肩を押さえて行動の制止を図ろうとした。ほんの僅かな差でメルは立ち上がってしまいエリの元に歩き出した。
「メル。ダメだって」
悠里のその言葉はメルには届かなかった。
「ちょっと瑠璃、聴いてみなよこの曲」
とイヤホンの片方を差し出された瑠璃は面白がって近づき、左耳に装着するや否や
「超ダサいんだけど。マジ勘弁。きゃはは」
取り巻き二人と笑った。
エリは座り込んでしまい、顔を上げられずに肩を震わせていた。
「エリ!」
4人に近づき、メルはエリに向かって怒鳴った。驚いてエリ、瑠璃、取り巻き二人はメルの方を見た。メルの顔は怒りで紅潮していた。
エリは明らかに泣いていたが、メルの方を見ると笑顔になった。するとメルは
「ちがうエリ、間違ってるよ。
今は怒る時だよ!」
と語気を強めて言った。
「ちょっと、横山さん?どうしたの、急に怒っちゃって。私達エリと普通にあそ」
んでただけだよと瑠璃が話すのをメルは
「謝れ!」
と遮った。
「は?エリに?私何もしてないんですけど」
となおも瑠璃ははぐらかす。
「エリの聴いてる曲をバカにしたろ!エリに謝れ!」
メルの怒りが収まらないのを察知したのか、取り巻き二人は
「真島さん、ごめんね。瑠璃、うちら先に戻っとくね」
と言ってそそくさと校舎の方に走って行った。
一人残された瑠璃は
「ちょ・・・ちょっとあんた達・・・くそっ」
と表情を崩しメルを睨んだ。
「謝れ!」
メルは再び瑠璃に怒鳴った。
「こわっ。なんで?なんで私が謝んなきゃいけないの?流行ってる曲じゃなくて、だっさい曲聴いている友達をからかっただけじゃん」
瑠璃は軽く笑って、開き直ったようにメルに反論した。
植え込みに隠れていた悠里もことが簡単に収まらないと悟り、覚悟を決めて立ち上がり姿を見せた。そしてメルの方に歩きながら
「はぁ、メル。どうして言うことを聞いてくれないの?」
と言ってメルの行動を責めた。
「ま・・・松本君?なんで松本君までここに?」
瑠璃は悠里の登場に慌てて、取り繕ったように声を上ずらせて悠里に話しかけた。
悠里はメルを追い越して歩き続け瑠璃に近づいた。
「あのね河口さん。友達って相手の趣味嗜好をバカにしたり、からかったりしないものなんだよ。共感したり応援したりするものなんだよ」
悠里はそう言うと、立ち上がれないでいるエリの方へ向かい
「エリちゃん大丈夫?怖かったね。もう大丈夫だよ」
とエリの背中の方へ右腕を伸ばし両肩に手を置いた。
「な・・・何それ?あんた達冗談通じないの?」
瑠璃は悠里とメルを交互に見ながら言った。悠里がエリに近づいたことで取り繕ったような態度を取るのはやめた。
メルは悠里がエリの肩を抱きかかえたことで、幾分か冷静になっていたが未だ怒りは収まらずにいた。
「冗談だとしたら最低のセンスだし、全く面白くない。今の河口さんは気安くエリを友達って呼んじゃダメだよ。エリが辛すぎる」
メルは瑠璃をじっと見て怒りをこめながらそう言った。
「いや、関係なくね?そもそも、あんた達エリの友達なわけ?仮に友達だったとして、曲がどうのこうのって余計に関係なくね?」
瑠璃も負けじとメルを睨んで応戦した。
「エリは、河口さんに辛く当たられて心が苦しくなった時、その曲を聴いて笑顔を作ってた。その曲を聴いて辛いことを乗り越えてた。私は友達としてエリの強さを尊敬してる。エリの心を支え続けた曲をバカにするな。エリが音楽を聴く機会を奪うな。
音楽は、この世界で一番自由が約束されたものなんだ」
メルの言葉を聞いてエリはようやく顔をあげ、瑠璃を見た。そして口を閉じたまま声を出さずに涙を流した。
「ふん、バカみたい。ムキになって。友達ごっこなんかする気ないし。エリね、人の男を取るんだよ、清楚な顔してるけど裏じゃ結構」
「やめてよ!」
エリは声を震わせながらできるだけ大きく発した。瑠璃はその声に驚いてエリを見た。泣きながら、頬を赤らめて必死に瑠璃の言葉を遮った感じだった。
「やめてよ、瑠璃ちゃん。そ・・・そんなふうに思われたくない。
と・・・友達にそんなふうに思われたくない!」
「・・・エリ・・・」
瑠璃はエリが本当に怒っていることを知った。
メルはエリの言葉を聞いて、瑠璃に話しかけた。
「河口さんも分かってるんでしょ。あの日、エリが裏切ったんじゃないって」
瑠璃は、もはやメルに反論する余地はないかのように俯いた。
「本当は、エリちゃんと仲良くしたいんだよね」
悠里がエリの肩を支えながら瑠璃に言った。すると瑠璃は
「だ・・・誰が・・・エリとなんか・・・」
最後の虚勢を張った。
「甲本かおりちゃん、覚えてる?」
悠里がその名を出すと、エリも瑠璃も悠里を見た。
「先輩から告白された日、エリちゃんを呼び止めて、瑠璃ちゃんが怒ってるって伝えた子、かおりちゃんよね。そのかおりちゃんから話を聞いてきたよ」
悠里は瑠璃を見て言った。
「かおりに・・・なんで・・・なんでそこまで・・・一体あんた達何がしたいの?」
瑠璃は率直にメルと悠里は何をしたいのか分からなかった。
「友達がこじらせてるの黙ってみてられないんだよ」
メルは瑠璃をまっすぐみて答えた。
瑠璃は諦めたように肩を落として
「・・・じゃ・・・じゃあもう知ってるんでしょ。かおりから、全部聞いたんでしょ」
そう呟いた。
悠里が静かに話し出した。
「かおりちゃん、瑠璃ちゃんが怒ってるって伝えたこと、今でも後悔してるって言ってたよ」
悠里の言葉を聞いて、瑠璃も話し始めた。
「初めは、先輩がエリに告ったって聞いてすごく腹が立った。
先輩と仲良くなるために、色々頑張ったから。
でも最終的に先輩は、私とは見た目も性格も正反対のエリを選んだ。そりゃ腹も立つでしょ。エリなんて先輩と仲良くなるための努力なんて何にもしてないんだし。それで選ばれるなんて裏切ったって思ったよ。
で近くにいた友達にもそう呟いたかも・・・でも、すぐにエリはそんな子じゃないって思えた。だってエリは誰よりも努力してるし、いっつも精一杯頑張ってるの知ってたし。
私が遊びに誘ってもエリが断ることが増えたのだって私に原因があるの分かってた。
私、友達のエリの気持ちより自分が先輩に良く思われたいことしか考えてなかった。
先輩が卒業して私たちが中3になってから、エリは何も変わらずに接してくれるのに、もう私は前のようにエリに接することができなくなってた。
先輩って目的がなくなると、全部が崩れていったようだった。そうなると、なんだかエリが羨ましく思えてきて。
また話したいって思ったけどうまくいかなかった。
ちょっとずつね、エリの真似するようになったんだよ。今も髪の色黒く染めてるし。ほら、私元々髪の色明るいでしょ。髪型も話し方も。エリを意識するようになった。
でも、エリとの距離は埋まらなくて。エリも話しかけるとすぐ私と距離を取りたがるし、そんなエリにちょっとずつ腹が立ってくるようになった。困らせてしまえば、振り向いてくれるかなって。また話してくれるかなって。
・・・ちゃんと私に怒ってくれるかなって・・・そう思って・・・」
瑠璃はエリを見て気持ちを打ち明けると、両頬を涙が伝った。
メルはエリに向かって
「ほら、エリ。今は怒るときなんだよ」
と伝えた。メルの言葉と同時にエリの肩を支えていた悠里はエリの肩から手を離して、エリの背中を押して瑠璃に近づけた。
「瑠璃ちゃんの・・・ばか・・・。い・・・言ってよ・・・私、ずっと瑠璃ちゃんの顔、怖くて見れなくて。変な態度とってしまってて・・・ごめんね。ずっと話したかった。瑠璃ちゃんのことまっすぐ見たかった。
私ね、瑠璃ちゃんのこと、大好きなんだよ」
エリは瑠璃に近づいて両手を差し出した。
瑠璃はその手を取り
「エリぃ・・・ごめんなさい・・・わ・・・私もエリが大好きだよぉ」
と泣きながら話すと、エリの胸に顔を埋めた。
エリは瑠璃を抱きしめて涙を流した。
二人の間の蟠りが解けていくのをメルと悠里はしばらく見ていた。
「もうこじらせるなよ、二人とも」
メルが二人に向かって話しかけると
「うん、ありがとう。メル!」
とエリが今までで一番の笑顔で答えた。
終礼が終わり、下校時刻を伝えるチャイムが鳴る教室でエリと瑠璃はまだ色々話していた。
メルと悠里はいつもの席に座って両者の様子を見ていた。
「堰を切ったようにってこういうこと言うのかな」
悠里がメルに話しかける。
「午前中のギクシャクが嘘みたいに仲良しだもんね」
「あれ、メル。ちょっと妬いてんの?」
「いや、むしろ逆でしょ。あんな美少女二人がキャッキャしてんのなんて、永遠に見ていられるし」
「それは一理あるねぇ」
再びメルと悠里はエリと瑠璃のお喋りを眺めた。
「あ、もうこんな時間だ。エリごめん。私帰らなきゃ」
「うん、また明日ね、瑠璃ちゃん」
「また明日。花壇の手伝いできなくてごめんね。明日は手伝うから」
そう言うと瑠璃は急いで教室を出て行った。が、すぐに戻ってきて
「そうだ!エリが聴いていた曲、全然ダサくないよ!すっごいかっこよかった。じゃあね」
と一気に言うとすぐに走って教室を去った。
教室にはメル、悠里、エリの3人だけになった。
「当然だ!」
メルは瑠璃が出て行った教室の出入り口の方に向かって言った。
「ふふふ、悠里、メル。今日は本当にありがとう。こんな日が来るなんて、私生きてて良かったよ」
「最高に幸せな表情だね、エリちゃん」
悠里はエリの表情を笑顔で眺めた。メルも続けて
「なんのなんの。友達のためならね、あたしゃなんでもやるよ。それに、エリのその表情で白飯3杯はいけるし」
と笑顔で話した。
「しろめし?」
意味不明なワードにエリは首を傾げた。
「こっちの話だよ」
とメルは笑顔で誤魔化した。
「ところで、エリはいつもどんな曲聴いてるの?」
メルはエリに質問した。
「ん?これだよ」
エリはスマホを取り出し、イヤホンをメルに差し出した。メルがイヤホンを装着すると、エリはニコッと笑って再生ボタンを押した。
ほー、イントロは早めのエイトビート・・・BPM210くらいかな。もっと早いかも。余計なフィルが入ってなくてシンプル。
あ、ギターが入ってきた。歪み強めで私好みのサウンド。左右に振られたギターどっちもリフがメインだな。アルペジオとかの単音弾きはしない感じか。
ベースはギターと同じ音をなぞって弾いてる感じだな。少し寂しいけど無骨で良い。
お、ボーカルが入ってきた。うわー、ボーカル女の子なんだ。声かわいい。でも少し気だるそうに歌うんだ。バックのサウンドが気合入った歪みサウンドだから、意表を付く感じで新鮮だ。
ん?まてよ
・・・ちょっと待ってよ
こ・・・これは・・・
探していたものはいつもここにあって 無くしていくものは全部君にあって
さらけだせ その想いを 様になってるかはわかんない
さらに前へ 突き進んで 世界をジャックしようぜ
メルはサビ手前で慌ててイヤホンを取った。
悠里はメルがとった行動を見て
「ん?どうした?メル」
と聞いた。
メルは少し震えて、驚いた表情でエリを見た。そして
「めちゃくちゃカッコいい!」
とエリに伝えた。
エリは笑顔で
「でしょ、ありがとう」
と答えた。
「へぇ、メルが楽曲を褒めるなんて珍しい」
悠里がメルの反応を見て驚いた。
「なんてバンド?」
メルが聞くと
「これ私だよ、作ったの」
エリは笑顔でメルにそう答えた。
「えぇえぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇ!!!」
メルはとんでもなく大きな声を出して驚いた。
「歌は?楽器は?か・・・か・・・歌詞は?」
「全部私だって。歌詞も私が書いたよ。まだまだだけど」
メルとエリのやりとりを聞いて、悠里はメルの手からイヤホンを取って流れている曲を聴いてみた。
「あぁ、これはメル好きなやつだわ」
と納得した。
「めっちゃすごいじゃん!めっちゃパンクじゃんこの曲!」
メルは興奮が収まらない様子だ。
「え?いつからパンク聴いてるの?好きなバンドは?何のTシャツ持ってる?普段革ジャンとか着るの?」
メルは怒涛の質問をエリにぶつけた。
「えぇ・・・メルってこんな感じの子だったっけ?」
メルのあまりの変貌ぶりにエリは悠里に聞いた。
「メルはね、無類のパンク好きだから」
「あぁ・・・そうなんだ・・・私、パンクって聴いたことないや」
エリのその言葉を聞いて、メルも悠里も固まった。二人のリアクションを見てエリは慌てて
「自転車ならあるよ、パンクしたこと!」
と付け足した。
「き・・・聴いたことない?この作曲センスで?」
「ほらメル、たまにいるって言うじゃない。ナチュラルボーンパンクス的な人」
「へ?じゃ・・・じゃあエリが?このちっちゃくてかわいい女の子がナチュラルボーンパンクス?パンクの神に選ばれた子?パンクの天才?」
「うん、そうなんじゃない?でもまだパンクのいろはは知らないみたいだし。磨けばひょっとして・・・」
「さ・・・最高かよぉ・・・」
とメルと悠里は小声で話しているつもりだったが
「あ・・・あはは。全部聞こえてますよぉ」
とエリに突っ込まれた。
「エリ、この曲以外にも曲作ってるの?」
メルは既にエリの天才的作曲センスのファンになっていた。
エリは家族以外の人にきとんと楽曲を聴いてもらったのは初めての経験で、少しドキドキしていた。
メルの予想以上のリアクションに安心したり、あまり褒めないで欲しかったり、他の曲も聴いて欲しかったりと心の表情が忙しく変化していた。
「うん、今・・・10曲くらいかな」
頭の中で楽曲のタイトルを思い浮かべながら答えた。
「全部聴かせてよ!
エリ、凄いよ!」
メルはなんだか久しぶりに胸の高鳴りを感じていた。
今までたくさんのバンドを見たり聴いたりしてきたが、エリの曲を聴いてずっと聴きたいと思っていた楽曲のぼんやりとした輪郭が、少しずつはっきりしていくように感じていた。
エリはメルからの質問で疑問に感じたことがあった。
「メルあの、私の曲ってパンク?なの?」
そんなカテゴリーに分類される音楽を作っていた感覚はなかったエリは、自分の意図しないところで、意図しないものに分類されることに少し抵抗があった。
メルは一瞬驚いた表情になったがすぐに笑顔になり
「エリの好きなように名前付けたらいいよ。エリの曲なんだし」
というと席から立ち上がって左手をエリの右肩に置いて
「この曲が”演歌”でも”HIPHOP”でも、私は大好きだよ」
とエリに伝えた。
エリはメルの言葉に安心して
「良かった、ありがとう。
明日曲のデータ全部持ってくるね」
そう笑顔でメルに応えた。