邪魔
初練習を終え、メルはそれから早朝、放課後、帰宅後、就寝前とまさにベース漬けの日々を送った。ストロークのパターンや運指等は健一郎に聞きながらひたすら練習を進めた。左手の指が痛くなったが、天気が良い時にはエリの花壇の除草を手伝っていたため、除草の時の痛みよりはマシだと自分に言い聞かせた。
その甲斐あってブリッツクリーグバップは2週間でマスターした。
夏休みに入る頃には、キルザットガールは2曲目の候補を考えていた。
「もう一曲ラモーンズでいくか、他のバンドの曲にするか・・・」
「でも、最初の曲だからって理由でラモーンズだったわけじゃない?他の曲はこんなに上手くいかないかもしれないよね」
「私はもう少しテンポの速い曲でもいけそうだよ」
「さすが真希。ドラムは神級だね」
等とかれこれ20分ほど候補を絞れずにいた。
「あ、テンポ速いといえばさ。エリの”月と太陽”もかなりテンポ速いよね」
「そうだね、ドラムも速い。ベースも結構速いよ?」
「どんな曲?」
真希がエリに聞いた。
「あ、真希ちゃんごめん。まだ聴いてもらってなかったね。送るね」
と言うとエリは真希のスマホに曲のデータを送った。
受信した真希は早速スマホの音量を最大にして再生した。
【月と太陽】
探していたものはいつもここにあって 無くしていくものは全部君にあって
さらけだせ その想いを 様になってるかはわかんない
さらに前へ 突き進んで 世界を さあ ジャックしようぜ
君と手を 君の手を
二人ならまだまだこれから楽しくなるから
探していたものは月が照らしていて 無くしていくものは太陽みたいに
君と手を 君の手を
二人ならまだまだこれから楽しくなるから
「うん、叩けると思う。ていうか曲の完成度高いね。エリが歌ってるからエリの曲って分かるけど、知らない人が聴いたら普通にプロの曲かと思うよこれ」
真希はエリの曲作りのセンスを褒めた。
「てへへ。ありがとう真希ちゃん」
「よし、じゃあキルザットガール2曲目はエリの”月と太陽”にしよう」
3人は2曲目の候補を決め、1階の自販機が置いてある購買で休憩するために練習室を出た。
「”月と太陽”の最初の部分だけでもできるように練習しよう」
休憩から戻ってきてベースを肩にかけながらメルがエリと真希に言った。
「ん?あれ?」
エリがギターを肩にかけてすぐに何か違和感を感じたようだった。
「どうしたエリ」
とメルが聞くと
「チューニングがズレてる」
エリがチューナーを見ながらそう言った。
そしてメルのベースも同じくチューニングが大幅に狂っていることに気づいた。
「なんだ?こんなにズレるもの?」
メルが不思議そうにチューニングしていると
「まあ、ペグをどこかにひっかけちゃったとか、弦が切れる前とかそんなとこじゃない?」
エリがそう言った。メルも
「そうだね、弦交換の仕方お父さんに聞いとこう」
と言い、さほど気に留めずに練習を再開した。
しかし、それから4日間、修了式の前日まで毎日休憩後にチューニングはズレ続けた。
流石におかしいと感じ始めていたが、まだ3人ともさほど気に留めることはなかった。
2曲目も順調に練習は進み、修了式の日には最初から最後まできちんと通すことができるよう
になった。そしていつものように休憩から練習室に戻ると
ギターの弦が全て切られていた。
ベースも弦が外され、床に無造作に倒されていた。
ドラムもデジタルパーカッションをスタンドから外されて床に倒されていた。スティックは無くなっていた。
もはや誰かが練習室に入ったのは疑いようがなく、妨害行為を受けてることは明確であった。
「ひどい・・・」
エリは切られた弦以外にギターに何かいたずらをされていないか確かめながら言った。
「誰だよ・・・こんなこと・・・」
メルも倒されていたベースを元のスタンドに立て、真希のデジタルパーカッションを元の位置に戻すのを手伝いながら言った。
「ねえ二人とも・・・」
真希がメルとエリに向けてそう言って手を差し出した。
真希の手にはティアドロップ型のピックが乗せられていた。
「ピック?エリの?」
メルがエリに聞いてエリは真希の手のピックに顔を近づけたが
「ううん、違う」
と答えた。
「デジタルパーカッションの下にあったんだ、これ」
と真希がピックが落ちていた位置を目線で差しながら言った。
「ピックに書いてあるの、バンド名じゃない?」
とエリがなおもピックを見ながら言った。メルもピックを見ながらその書かれてあるバンド名を読み上げた。
「・・・bad・・・sherbet・・・?」
聞いたことのないバンド名に3人は困惑したが、このピックの持ち主が練習室に侵入したことは間違いないと確信した。
「てことがあってさ。結局今日はそれから練習できなかったんだよ」
エリの家。
食卓を囲んで、瑠璃との約束だったシチューパーティが開かれていた。
今日は学校の修了式だったため、日頃の労を労う目的もあり、藤原千聖もエリ宅に招待した。
メルは今日修了式後に学校の練習室で起こった事を話した。
「楽器にそんないたずらするなんて、酷い人もいるんだね・・・」
瑠璃は以前の週末のお買い物デートですっかり仲良くなった理玖の隣に座って、メルの話を聞いていた。
「本当ね。練習室の外鍵は防犯、防災の関係で先生方しか使えない事になっているけど、今回の事をお話して、練習室を使う時には生徒にも鍵を持たせてもらうようにお願いしてみるわね」
千聖はそう話して、それにしてもこのビーフシチュー美味しいわねと悠里に話かけた。
「ありがと、ちーちゃん。そういえば、ちーちゃんと夕食摂るのって初めてよね」
悠里は理玖を瑠璃に取られまいと負けずに理玖の横に座って無意味に理玖の肩や頭を触って存在をアピールしていた。
「そうね、いつもお茶を飲む程度だったものね。真島さん、今日はお邪魔してしまってごめんなさいね」
「いえいえ、うちはいつも母の帰りが遅いのでほとんど理玖と2人で夕飯なんです。こんなに賑やかにご飯食べれて幸せです」
エリはみんなに食べ終えた食器を重ねながら千聖に応えた。
「エリ、食器私が洗うよ」
エリが重ねた食器を素早く持ち上げて真希がエリに言った。
いいよいいよ、座っててと言いながらエリも真希とキッチンに移動した。
メルは賑やかな真島家の中で、どこか客観的にみんなを見つめていた。エリはこんな賑やかな夕食を食べれて幸せと言ったが、思えばメルもこれだけの大人数で食事をすることは珍しく、高校2年に進級して以降の人間関係の変化に少し気持ちが追いついていなかった。どこかフワフワして胸がくすぐったいようで、幸せってこういうことなのかなとなんとなく思っていた。
「で、横山さん。侵入者に心当たりはないの?」
ぼうっと焦点の合わない目線の先に、見兼ねて千聖が顔を出した。
心当たりはある。
あのピックの持ち主なのだろうが、そこから個人の特定までには至っていないし、手がかりが少なすぎた。
「心当たり・・・ですか・・・」
メルはなおもぼうっとした目線のまま、ぼんやり千聖に応えた。
「心当たりといえば、このピックくらいですが・・・」
とキッチンにいたはずの真希が戻ってきた。食器洗いはエリに取られてしまったのだ。
「ピック?」
千聖が真希に聞くと真希はあらかじめポケットから取り出していたピックを手のひらに乗せ、千聖に見せた。
千聖はピックを見るなり顔色が変わった。
「ん?先輩、どうしたんですか?」
千聖の表情の変化に気づいたのはメルだった。
「これ・・・このピックは・・・バッドシャーベットのもの・・・」
千聖は信じられないと言わんばかりに口篭りながら言った。
その言葉を聞いて、理玖の横で悠里と3人で談笑していた瑠璃が
「え?バッドシャーベット?」
と突然談笑をやめて、真希の手のひらのピックを見るために身を乗り出して千聖の目の前に上半身を持っていった。おかげで千聖とメルの間は瑠璃の上半身で遮られた。
「本当だ、バッドシャーベットって書いてある。ということは・・・まさか・・・
小川敦子・・・ですか?先輩」
瑠璃は何故かキラキラとした好奇心に満ち溢れた瞳を千聖の目の前に持っていった。
目の前に瑠璃の顔がある状態でも、千聖は
「その可能性もあるわね」
と無表情に瑠璃を見返した。
「はいはい、ちょっと近いわよ瑠璃ちゃん」
と悠里が瑠璃の肩に手を置いて後方に引き、元の理玖の横のポジションに戻した。
「小川・・・敦子?誰それ」
メルは瑠璃に聞いたが、その問いの答えは千聖が話した。
「バッドシャーベットは、小川敦子が率いるガールズバンドよ。小川敦子は私と同じクラス。殆ど学校には来ないけど」
「一つ年上なのか。でも、バッドシャーベットなんてバンド私知らないな」
メルは腕を組んで過去にライブハウスで見たバンドや音楽関係者と話した際の会話の中にバッドシャーベットに繋がるキーワードを思い出してみたが、その検索は全くヒットしなかった。
すると瑠璃が
「知らなくて当然だよ。バッドシャーベットは宮崎では殆ど活動してないし」
とメルに向かって言った。
「え?瑠璃は知ってんの?」
「うん、ほら。前にさ、練習室見にいく時に私は行けなかった時があったじゃない」
「ああ、確かお母さんから帰って来いって連絡があったとか」
「そうそう、あの日私のお兄ちゃんが突然帰ってきたんで、一緒に夕食に出かけることになってさ。うちのお兄ちゃん東京の大学に通っててね。趣味の延長みたいな感じで、イベンターの真似事してるんだよ。で、東京のイベントでちょこちょこバッドシャーベットを見てたらしくて。メンバーと話したら私と同じ高校の子がいるって分かって。でも私全然知らなくてさ。調べて分かったんだけど、バッドシャーベットは主要都市で開催されるオーディション系のライブ出演に力を入れてるバンドで、地元は宮崎なのに宮崎でのイベントには全く出演しないんだって。だから、宮崎での知名度は殆ど無いらしいんだよね」
「へえ、そんなバンドが一つ上にいたんだ」
瑠璃の話を聞いて、メルも自分がバッドシャーベットを知らなかったことを納得した。しかし
「で、そのバッドシャーベットがなんでうちらの練習の邪魔するんだ?」
と解決できていない謎をその場にいる全員に問うた。
「小川敦子は」
千聖が話し始めた。
「バッドシャーベットのリーダー。他のメンバーは全員他の高校に通っているわ。私は1、2年の時敦子と同じクラスで、私は吹奏楽、敦子はロックバンドとジャンルは違っても同じ音楽を志す者同士、少し仲良くなったの。敦子の音楽の知識はかなり深くて、聞いていて面白かったわ。でも。今思えば、あの頃から敦子は少し変わっていたわ」
「変わっていた?」
「敦子は妙にこだわっていたの。いわゆる”売れる”ってことに。バンドとしての商業的成功に固執しているところがあって。何を話しても最後には必ずその話になったわ。そして、売れるために他校の軽音部から精鋭を引き抜いてバンドを結成した」
「それがバッドシャーベットか・・・売れるためのバンド・・・」
「実際にバッドシャーベットは名を売っていったわ。バンドとして売れるために地元のイベントではなく都市部の大きいイベントやオーディションを狙って活動していくことで、県外での知名度を上げていった。主に活動が都市部であることで、学校は休みがちになっていったわ。それで今年の6月にとうとう退学を申し出たそうなの。でも、本人、保護者、学校の意見がまとまらずに敦子はまだ学校に籍があるのよ」
「それで、なんで私たちが練習の邪魔されなくちゃいけないんですか?」
メルはまっすぐに千聖を見て聞いた。
「はっきりは分からないわ。ただ、敦子はいつも音楽活動に意味を見出さなければいけないと言っていたの」
「意味?」
「そう、意味。私が敦子と話が合わなくなるのはいつもそこからだったわ。私は吹奏楽が好き。だから吹奏楽をやっているわ。それは音楽活動をする”理由”なの。音を奏でるのに”理由”は必要でも”意味”はなくてもいいと思うの。もちろん、意味を見出すことでモチベーションを保つことはできるし、あってもいいと思うんだけど。敦子の言う”意味”は」
「売れること」
メルは千聖が言おうとしていた言葉を言った。
「そう、売れること。自分のバンドの目標としてそれを持っている分には何も問題ないんだけど。敦子はその”意味”を他者に強要するところがあった。一度吹奏楽部の活動に対しても利益が出ないコンクールへの出場はやめるべきだと詰め寄られたことがあったわ。チケットを売って利益を出す興行制に切り替えるべきだと。だから、おそらく今回の妨害行為も、敦子のいう”意味”の範囲外にいるあなた達への抗議なのかもしれない」
「私、小川敦子と話します」
メルの表情から千聖はメルの決意の硬さを知った。
「もし、今回のことが敦子の仕業ならって話よ。まだ敦子がやったと決まったわけじゃないわ」
「大丈夫ですよ。先輩。挨拶したいだけですから」
とはいうものの、メルは何かはっきりとしないものに対する漠然とした怒りを感じていた。
「エリ、真希。明日も学校の練習室で練習しよう」
「うん、いいけど・・・次は楽器壊されそうで怖いよ」
エリはちょうど洗い物が済んだようで、リビングに顔を出してあまり気が乗らないような表情で応えた。
「私も練習は全然いいけど。ちょっと怖い気もする」
真希も練習場所を変更したい様子だ。
「明日、練習室で練習して、小川敦子を誘き出すよ」
メルは何がなんでも練習室での練習を断行する気でいる。
「全くしょうがないな。私も付き合うよ」
悠里が呆れたようにメルに言った。
「私もいくよ、誰かが楽器を見張ってれば小川敦子も悪さできないだろうし」
瑠璃もバンドの力になるとアピールしているが、その表情からおそらくメルと敦子が修羅場になることを期待していることは明らかだった。
「じゃあ練習室は薫姉に言って空けといてもらうわ。明日は吹奏楽部は屋外での練習だから近くにはいてあげられないけど」
ありがとうございますとメルは千聖に言った。メルに続いてエリ、真希も千聖、悠里、瑠璃にお礼を言った。