横山メル
宮崎の夜、待ち合わせは大方「ミスド前」と相場が決まっている。夜の街の入り口とも言うべき一番街の真ん中の角地にミスタードーナツ一番街ショップはある。大勢の人がここを訪れ、待ち人と会えると各々の目的地に消えていく。3月下旬のこの頃は、特に送別会等のイベントも多く、普段よりも3割増しで人が多い。
横山メル十六歳は、そんな「ミスド前」を北東向かい側のパチンコ屋の前の角から眺めていた。時間は22時30分を過ぎており、待ち合わせにはもう遅い時間だが、まだまだ人は次から次に入れ替わっている。
腰まである長い黒髪を束ねずに垂らし、前髪は瞼のあたりで切り揃えている。この冬に買ったばかりのホーンワークスのダブルライダースUKタイプの前ジッパーをめいいっぱい閉め込んでいる。吐く息は白く、まだ冬のような気温の中で革のライダースジャケットは全くと言って良いほど保温性を発揮しない。ブラックのタイトフィットのジーンズも、赤いコンバースのオールスターも何一つ暖かい要素のない服装の代表だろう。そんなオリジナルパンク風のファッションに身を包んだメルは
「寒っ」
と何度も声に出していた。
少し前まで中に居たライブハウスは、革ジャンを脱ごうかと思うほどの熱気に包まれていた。本日のヘッドライナーは宮崎の音楽シーンを牽引する若手ナンバー1の実力派バンド「降る雨とケルベロス」だった。1月には東京のイベントに出演したことで地元宮崎でも知名度を上げていた。
メルは初めてライブハウスに行ったのは六歳だった。もちろん大人同伴でのことで、一人でライブハウスに出かけたのは1年前、中学校を卒業した春のことだった。お年玉を使わずに貯め、3月のライブに出掛けたのだった。この時に観たライブにも「降る雨」は出演していたが、今ほどの人気も実力もなかった。男性3ピースのバンドだったが、ベースボーカルのアキヒロがボーカルに専念するため、新たにベースのビリーが加入。このビリーが只者ではなく、高身長、容姿端麗、作曲の才能に秀でており、瞬く間に「降る雨」を人気バンドに押し上げた。曲も良い。メンバーの息も合っている。勢いもあり今を生きているバンドだと感じる。
でも、やっぱり違う。
メルは心の中でそう呟いた。
十年前に母と見たそのバンドは強烈だった。もっと激しく、もっと速く、もっと無骨で、もっとうるさかった。この一年、メルはあの時のバンド、もしくはあの時のようなバンドを探してライブハウスに通い続けている。
ミスタードーナツの西向かいのビルの壁面、メルのちょうど向かいには大きな液晶ビジョンが設置してある。その液晶ビジョンには先程観てきた「降る雨」のニューシングル「ナンバー2」のミュージックビデオが流れていた。この後は地元企業のCMが流れ、その後オリコン上位5組のミュージックビデオが流れるのだ。今週の1位はアイドルグループ「アニマルガール」の「金字塔」だ。
何度も観た。
何度観ても心が動かない。
「ねぇねぇ、君一人?」
明らかな酔っ払いがメルに声を掛けて来た。こう言うことは何度もあり、その度にメルは
「いいえ、父を待っています」
と答えるようにしている。できる限りキリッと答えることで、酔っ払いは大抵たじろぐ。
「あれ、君良く見たら”アニマルガール”の柚木そらちゃんに似てるね」
偶然にも液晶ビジョンは「アニマルガール」金字塔のミュージックビデオが流れているタイミングだ。
柚木そらはトップアイドルグループ「アニマルガール」のセンターポジションをとるアイドルで、他のメンバーとは桁違いの人気を誇っている。この春にソロデビューも決まっているとかいないとか。
酔っ払いの取り巻き達も
あれ、本当だ
やべぇ、本人じゃね
等と騒ぎ出す。
今回の酔っ払いはなかなか引き下がらないタイプらしい。
女の子に声をかける時、有名人に似ていると言うと付いていく可能性が高いと何かに書いてあるのか?
とメルは思う。
柚木そらに似ている、も大体の酔っ払いがメルにかける言葉の一つだ。
はっきり言って似ていると微塵も感じない。共通点があるとするなら黒い髪くらいのものだ。
「ジョーイラモーンに似ているって言われた方が嬉しいです」
ここでもできる限りキリッと答えることにしている。
「ジョーイ・・・なんだって?」
この酔っ払いがここでラモーンズのジョーイを知っていたとすれば、メルは付いていくはずだった。だが、この一年ジョーイラモーンを知っている酔っ払いに会ったことがなかった。
「まあなんでもいいけどさ、ちょっと一緒に飲もうよ。おじさん奢るから」
なおも引き下がらない酔っ払いには最後の手段を使う。
ポケットからスマートフォンを取り出し、着信に応答するふりをする。そして
「あ、お父さん?ねえ今どこ?ずっと待ってんだけど」
と父親と電話で話しているように見せながら最寄りのコンビニに小走りで移動する。スマートフォンを出した時点で大半の酔っ払いは諦める。
もちろん、未成年であると言っても良いが、そもそも未成年が一人で居て良い時間でも場所でもないことは承知の上なので、大声で未成年をアピールできないという理由もある。
今回は、スマートフォン着信の術で酔っ払いは退散してくれた。場所を移動せずに済んで良かったとメルは思う。
時間は23時になろうとしていた。
「おーい、メル」
左耳に聞き覚えのある声が聞こえた。父の声だ。ようやくメルの待ち合わせ相手が現れた。
「ごめんごめん、品出しがなかなか終わらなくて」
メルの父、横山健一郎四十一歳は街の中心地の24時間営業のスーパーで働いている。
「ううん、全然大丈夫だよ。お疲れ様」
メルは笑顔で父に返事をした。
「変な人に声かけられなかった?」
「うん、全くなかったよ」
メルは父に心配をかけまいと少し嘘をついた。それと本当のことを言って、次のライブを見に行けなくなるのではとの心配も頭を過った。
「それならいいけど。十分に気をつけるんだよ」
「うん、分かってるよ。でも、お父さんが近くで働いてるって思うとすごく安心だよ」
そう言うとメルと健一郎は歩き出した。
「そう?メルがライブハウスにいる時間帯にシフト入れてもらうから、給料も稼げて一石二鳥だね」
「ほんとありがとう。半分以上私のわがままなのに」
「いいんだよ、メルのためにできることはなんでもやるさ。
それで、今日はどうだった?」
アーケードを抜け、薄暗い夜道を二人は歩く。ここまで来ると、人もまばらだ。
「ダメだった」
メルは視線を下げて答えた。
「そうか、今日も分からなかったか。六歳のメルを助けてくれた恩人は」
「ライブまで見せてくれたのに、バンド名を1文字も覚えてなくてさ」
「いやー、六歳なら無理もないよ。お母さんも全く覚えてないって言ってたし」
「お母さん、カタカナとか横文字苦手だしね」
「ははは、本当だよ。なのになんで海外転勤を引き受けたのか、全くもって謎だよ」
「そういう人なんだよ、あの人は」
そう言うと、メルは視線を上げて歩き出した。
「今夜、何食べる?」
健一郎は少し前を歩き出したメルの背中に聞いた。
「んー・・・パスタ!」
メルは少し考えて、振り向いて笑顔で答えた。
「いいねぇ、じゃあファミマに寄って帰ろう」
健一郎はメルの笑顔に安心した。
「和風パスタがいいなぁ、きのこたっぷりのやつ」
「お父さんはペペロンチーノだな。あ、ワインも買っちゃうか」
「贅沢ー。あ、ファンタ買って。乾杯しようよ」
「コンビニ飯で幸せを感じるんだから、安い親子だなぁ」
「上等だよ、上等」
二人の笑い声が、薄暗い夜の道に染み込んでいった。
メルと健一郎は二人暮らしだ。
母の花恋は二年前に勤めている会社の海外支部への異動の打診があり、二つ返事で承諾した。高校受験を控えた年頃の娘を残して海外転勤なんて、普通渋って当然だと思うが、花恋とはそう言う女性で
「だって、面白そうじゃない」
の一言を残して家を出た。
と言ってもこのご時世、テレビ電話なんて珍しくもなく、特に離れているとか寂しいなんて感情も湧かないほど密に連絡を取り合える。便利な世の中にメルも健一郎も感謝している。
「じゃあ始めようか」
コンビニに寄り、目的のパスタとワイン、ファンタグレープの500mlのペットボトルを買い込み、帰宅した健一郎は食料をキッチンに置くと、すぐにダイニングのタブレットを操作し始めた。
「えぇっ、ちょ・・・ちょっと待って」
メルは急いで革ジャンを脱ぎ、ソファに投げるとダイニングに居る健一郎の隣の席に座った。健一郎が通話ボタンを押すと、タブレットにはピンクのハート形のフレームのサングラスをかけた花恋の写真が映し出された。海外転勤前に家族で行ったロックフェスで撮影した写真をテレビ電話の呼び出し画面に設定している。設定したのは花恋本人だ。
「ちょっと、遅いじゃない」
数秒でクアラルンプールの花恋とのテレビ電話が始まる。
「ごめんごめん、今夜は品出しが終わらなくて」
健一郎は苦笑いしながら連絡が遅れたことを詫びた。
「やっほー、お母さん」
メルは父の横から画面にひょっこり顔を出し右手を上げて母に挨拶した。
「あら、メル。あなた今日もライブ観に行ったのね」
「何で分かるの?」
「こんな時間にまだお風呂入ってないからよ。いくら若いからって、こんなに夜更かしさせちゃダメよ、健ちゃん。そろそろ新学期も始まるんだし」
花恋とのテレビ電話はほぼ毎日のことで、画面越しではあるが出来るだけ一緒に夕食を摂ることにしている。クアラルンプールとの時差はマイナス1時間なので、お互いの夕食の時間を合わせることも可能なのだ。
「まだあと1週間くらい春休みだよ」
メルはこのすぐそこに母がいるようなやりとりに安心感と、なんでも見透かしているような花恋の言動にほんの少しの苛立ちを感じていた。そのはっきりとしない感情を苦笑いという表情で表現した。
「まあまあ、とりあえず夕食にしよう。お腹ペコペコだよ」
健一郎が母娘のやりとりの間を取り持ち、夕食が始まった。
今日1日何をして過ごしたか
仕事はどんな調子だったか
明日は何をして過ごす予定か
どんな人に会う予定か
ごく普通の家庭の夕食の会話をした。
「あ、そういえば。”降る雨”の新譜聴いたわよ」
おもむろに花恋が音楽を話題に上げた。
「ナンバー2?アキヒロはボーカルに専念して正解だったね」
メルもすかさず花恋に返す。
「今はインディーズとか、個人でやってるバンドもサブスクリプションで楽曲聴けるから便利ね。”降る雨”もかなり力付けてきたわね」
「うん、今日のライブも良かったよ。集客数もどんどん上がってるし、次チケット取れないかもしれない」
「でも、メルは別に”降る雨”を追っかけてるわけじゃないでしょ」
「そうだよ。”降る雨”みたさじゃないんだけどね。”降る雨”と対バンしたいってバンドが多いからさ。もしかしてその中にって感じてるところがあって」
「いつか会えるといいわね。あの時のバンドに」
「うん、あの時はお礼言えなかったし。今度会ったらちゃんとお礼言いたいんだ」
「花恋」
ずっと母娘の会話をワイングラスを片手に聞いていた健一郎が妻の名前を呼んだ。
「なに?健ちゃん」
「メルはさ、いい子に育ったね」
「健ちゃん・・・」
「花恋・・・」
二人は画面越しに見つめ合う。すると花恋がすぐに呆れた顔になり
「メル、お父さんだいぶ飲んでるみたい」
健一郎は花恋に良いことを言った気満々であったが、花恋は健一郎の異変にすぐに気づいた。
「わ、ほんとだ。もうワインのボトル空だよ。お父さん飲みすぎだよ」
「そうかなぁ、そんなに酔った気しらいんらけろな」
「はいはい、健ちゃん。メルは私たちの子よ。いい子に決まってるじゃない。今夜はそろそろ終わりにしましょうか。メルは心配ないけど、健ちゃん、ちゃんとお風呂入って寝るのよ」
「うん、分かった。じゃあまたね、おやすみ花恋」
「お父さんがちゃんとお風呂入るまで見張ってるから。おやすみお母さん」
「おやすみ、メル。健ちゃん」
タブレットの通話終了ボタンを押し、ホーム画面に切り替わった。
「あー、メル。お父さんこの瞬間が苦手だよ。いつも寂しくなる」
「いつまでも仲の良い夫婦で何よりです。さあ、早くお風呂入ってね」
「んー、そうするよ」
そういうと健一郎は椅子から立ち上がり、少しよろめきながら浴室に向かって歩いていった。
食卓に並んだ食器やプラ容器、コップを流しに運び洗おうと水を出した時
ヴー、ヴー
と食卓に置いてあったスマートフォンが着信を知らせた。
水を止め、スマートフォンを手に取り着信を確認すると、花恋からのメッセージが届いていた。
”お父さんの前では聞き辛かったけど、そろそろメルも気になる男子がいるんじゃない?今度聞かせてね”
母親とは年頃の娘と恋の話をしたいものなのだ。
”期待を裏切るようで悪いけど、私の王子様はディーディーラモーンだけだよ”
メルはそう返信すると、スマートフォンを食卓に置き流し台に戻ろうとしたが、再びスマートフォンを手にして
”もし好きな人ができたら、一番に教えるから”
と送信した。
花恋からすぐに
”楽しみにしておくわ。おやすみ”
と返信があった。
メルは
”おやすみ”
と返信し
「おやすみお母さん」
とスマートフォンのメッセージ画面に表示される小さな母のアイコンに向かって話しかけた。
シャワーの音が聞こえる浴室に向かって
「私も苦手だよ、お父さん。やっぱりちょっと寂しいや」
と話しかけた。
メルは次の週の日曜日の夜もライブに出かけた。「降る雨とケルベロス」が出演するライブは避けたが、いまや別のライブに出演するバンドもほとんどが「降る雨」っぽい曲を奏でる現象が起きており、メルは少々ガッカリした気持ちで新学期を迎えた。
メルが通う高校は市内の県立学校で、冬から春にかけては何の可愛げもない暗めの紺色の制服を身に纏う。私服が黒一色のコーデが多いメルにとっては何とも落ち着く学生服だ。
学校でのメルは長い髪を後ろで一つに束ねており、長めの前髪のおかげでおとなしめの印象になる。
通い慣れた1年の旧クラスに向かい、黒板に貼り出された新クラスを確認するとメルは2年3組に向かった。学校に到着してからあちこちで春休み明けの再会を喜ぶ生徒たちで溢れていた。新クラス2年3組も例外ではなく、再会を喜ぶ生徒、一年間仲良く過ごすための挨拶をする生徒で活気付いていた。メルは「あいうえお順」に座るであろう座席を探し、指で席を指しながら
「や、ゆ、よ」
と小さく声に出しながら座席を探り当てた。と言っても横山姓のメルは、黒板に向かって左端の後方であることは予測できており、渡辺などのわ行姓の生徒がいない限り大方一番後ろであることは分かっていた。窓側の一番後ろの席に座り騒がしいクラスの中を見渡した。そして窓の外に目をやると綺麗に手入れされた花壇が目に入った。
2年3組は南校舎の1階で非常に日当たりが良いことで有名であった。生徒が通学する通路と校舎の間に花壇が作られていて、色とりどりのチューリップやナデシコが咲き誇っていた。
女子生徒が重そうにジョウロを持って花壇に水をまいている。ジョウロから吐き出される水流が朝日に反射してキラキラ輝いて見えた。
「春だ」
メルは頬杖をついてそう声にした。