雑談
人の悲鳴と焦げる音。血の匂いが鼻を掠め、曇天の下で誰もが光を求めて這い回る。何度身を預けようとも快く思うことは無く、ましてや楽しいと考えるのは以ての外だ。だが慣れることはできる。それがどんなに不快であろうとも、人は経験を積み重ねれば感情の落とし所や上手い受け流し方を自然と覚えていく。神様は人間の頭を都合よく作ってくれているのだ。
それでも、微かな不安は消えない。それはガラスの欠片の様に小さくとも、心の端に絶えず傷を刻み続ける。サマナでの出来事を思い出しながら、アッシュは自分の考えを整理した。それなりに場数を積んだつもりのアッシュがそれでも感傷的な考えに浸るのは、やはりあの場に居た金髪の少女の存在が大きいのだろう。
彼女の言葉を戯言と一笑に付すことも出来た。だが、無視するには不安要素が多すぎる。ジャックの知り合いならテロリストの1人や2人はいても違和感は無いが、わざわざ自分を襲う意味が分からない。万が一アッシュが彼女達の素性を知っていたら、情報が騎士団に筒抜けになる恐れもあったのにだ。とはいえ、ジャックの知人が犯罪行為を予告しているのに、見過ごすことはできない。そして何より蒸し返すのは、自分を庇って傷ついた、女騎士の雄姿。
「『魔女の涙』に『貴族の血』か……」
「な~にボヤボヤしてんのよ、シャキッとしなさい、シャキッと!」
後方からかけられたパティの言葉に我に返り、アッシュは自分達が猿の群れと戦っていることを思い出した。オガテノヒラザルは主に森林に生息する夜行性の猿だ。第三の手として進化した尾で石を細かく砕いて外敵に投げつける他、器用に大木に横穴を空けて巣を作ることでも有名である。アッシュ達は彼らのテリトリーに入ってしまったらしく、気づいた時には取り囲まれ交戦を余儀なくされていた。
ひとまず目の前のオガテノヒラザルの尾を払って持っていた石を落とし、振り返って周囲の状況を確認する。2人が上手く敵の数を減らしていたらしく、最初は30匹程いた猿の数も10匹ほどに減っていた。しかも2人の足元に倒れる猿の数はアッシュのものより多く、アッシュの足元には氷の欠片や矢が落ちている。どうやら、アッシュが考え事をして手元がおろそかになっている間、2人に負担をかけてしまったらしい。
「悪かったな。ここは逃げるが勝ちだぜ、5秒後にジャンプしてくれ」
パティはともかくリオは倒した数でどうこう言うタイプではないだろうが、2人に助けられっぱなしでは申し訳が立たない。両手で持った矛を頭上に掲げ、かけた迷惑を返す気持ちを込め手に力を入れる。刃にぼんやりと光が灯り、淡い輝きを放つ。背後の2人がジャンプする気配を背中で感じ、アッシュは目の前の地面に向けて真っすぐに矛を振り下ろした。
「頼むぜレディアント、崩牙円月破!」
矛が地面に与えた衝撃はアッシュを中心に放射状に分散し、草葉を散らしながら広がっていく。衝撃波に巻き込まれたオガテノヒラザルはもれなくその場に転がり、キィキィと鳴きながら尾を抑えている。木の上で難を逃れた猿も同族の危機に混乱しているようで、枝を鳴らしながら同じように鳴き声を上げている。本来は農作業用の草刈り魔法だが、小型モンスター相手なら牽制にも充分有用だ。
「よし今のうちに撤退だ、撤退!」
言い終わる前に駆け出し、猿共の縄張りの外へ向かう。猿達の様子を見るに、追いかけてくるだけの余力は無いだろう。これで汚名返上かな、と、アッシュは心の中で呟いた。
「で?なんで魔女の涙のことなんか考えてたの?」
ストヨーザルの縄張りから離れた木陰で一息ついた時、パティはアッシュに問いかけた。自分の考えていることが口から漏れていたことにも驚いたが、パティがその単語について知っていることに対する動揺の方が大きかった。加えて、口に出た考えを聞かれていたのは少し恥ずかしい。
「もしかして知らない?昔からある都市伝説なんだけど」
アッシュの表情を見てか、パティは焼串屋で聞いたという噂話の内容について語り始めた。
人が傷ついて死を迎える時、頭上に魔女が舞い降りる。見た目は幼い少女だったり、年を重ねた妖艶な美女だったりする。髪色は白金色であり、紫にもなる。彼女が与えるのは栄光を勝ち取るための力。それは太古から受け継がれた古いもの。それは伝統を破壊する新しいもの。それは誰かとの縁を借りたもの。そして何よりも青く純粋なもの。力を得て新たな人生を歩み出した者のその後の人生は、最上のものになるという。要点の掴めないあたりがいかにも昔話的だ。
「僕も聞いたことあるな、戦時中は結構有名な話だったそうだよ」
「戦時中に流行るにしては可愛い雰囲気じゃねえの。ていうか涙要素はどこだよ」
「知らない。力を与えられるのが泣けるほど嬉しい、みたいな?」
「お、それっぽい」
シオンの言う魔女の涙が都市伝説を差しているのならば、意味深げにアッシュに語る意味が分からない。アッシュに死の直前まで追い詰められろとでも?確かにサマナではしてやられたが、致命傷という程ではなかった。もしくは、シオンは電波系とかいうヤツなのだろうか。そう考えて思い返してみれば、彼女の口ぶりはどうも要領を得ない。シオンはともかくとして、これ以上推理を続けるためにも、アッシュはシオンとの会話内容を話すことにした。
「単なる噂とテロが結び付けられそうに無いけど、街に火を付ける奴の言うことだから分からないな」
「アホらしい。そのシオンって娘、頭の中までお花が咲いてるんじゃないの?」
「神獣?なんかもキーワードっぽいけど、どうも繋がりが見えないね」
やはり悩みを話せる人がいるというのは心強い。とはいえ、意味が分からないという感想は皆同じのようだ。リオの言うように、テロリストが話す内容としては不釣り合いすぎる。魔女とやらの出現条件とテロ行為は噛み合っている様にも思えるが、わざわざ騎士団支部を襲撃する理由はない。
そういえば、ナハトは自分達の行動に将来感謝することになると嘯いたらしい。人を傷つけておいて感謝も何もないが、最上の人生を歩ませる、という意味では近いのだろうか。色々と疑問は浮かぶが、やはり最初の疑問であるアッシュがその何かを探す理由を解明することが一番難しい。二人も思い思いの推測を重ねているのか、遠くの空を眺めながら黙りこくっている。
それからしばらくの間沈黙が流れた後、パティが口を開いた。
「これはアレね、今考えてもどうしようもないやつよ。とっとと追いかけて、捕まえた方が早いわ」
「うん、ひとまず花の街パッシェに辿り着くのが先だよ。もうすぐ見えてくるんじゃないかな」
リオも立ち上がり、腕を振って先へ進むジェスチャーをしている。二人の言う通り、下手に憶測をするよりも答えを知っている本人に聞くのが一番手っ取り早い。矛を杖替わりに立ち上がり、メリダに貰った小魚の揚げ物を一つ齧った。冷めきって食感もイマイチだが、ピリッとする味付けが気付けに丁度いい。
それにしても、牢にいた魚屋の店長が無事なのは幸運だった。近くにいた人が亡くなるのは目覚めが悪い。それが世話になった人の旦那なら尚更だ。メリダのギルドは復帰できるだろうか。そんな事をぼんやり考えつつ、アッシュ達は花の街パッシェに向かう道を進んだ。
夜までは時間に余裕がある。道中は思い思いの事を喋りながら歩いた。何のことは無い、ただの世間話だ。
「そういえば、オガテノヒラザルって夜行性じゃなかった?」
「昼間に、しかもあんなに大量に出てくるのは珍しいな」
「そうだろう?本で読んだことがあるよ。こういう時は大抵、他の地域からモンスターが入ってきてるものなんだ」
「道すがらで危なそうな痕跡は見えなかったけどな。注意しておくに越したことはないか」
「まあねー。そういえばさ、猿系モンスターが人間の祖先って話があったわよね」
「フン、俺は信じないぜ。柵のない時代に人間に進化する余裕があるかよ」
話題はいつの間にか人間の進化に移り変わり、それを主張した生物学者の話で盛り上がった。アッシュからしてみれば、あの猿が長い時間をかけて人間に進化したなどというのは与太話にしか思えない。宗教を信じる柄では無いが、まだ彼らの言う『神様が人間を作った』という言説のほうが頭に入ってくる。猿が文化を形成できるの待つほど自然は悠長ではない。生態系ピラミッドの上に君臨する大型モンスター達が、それを許す筈が無いのだ。
「あれ、煙が見えるよ。街がすぐそこなんじゃない?」
前方の空を見ると、確かに等間隔に立ち昇る煙が数本見えた。恐らく煙突の煙だろう。日の落ちるまではまだ余裕があるが、まずは一安心といったところか。
「ほら、立て札がある。あと5分だってさ」
立札には『花の街パッシェへようこそ!ここから5分』とかすれた文字で書かれている。ボロボロの木材に消えかけの文字と、明るい文に反して随分と不吉だ。遠目では割れた枯れ木の様にしか見えない。
「なんか縁起悪いわねー。大丈夫かしら」
「パティ、そういうのは口に出すと現実になるって言うぜ」
軽口を叩きながら進んでいくと、村の防護壁らしきものが見えてきた。忙しかった旅の一日目もようやく終わりだ。今朝からの出来事を思い返しながら、アッシュは矛を握る手を緩めた。