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任命

 サマナ支部の騎士団一同が望まぬ来訪者の対処に追われている最中、アッシュは間抜けにもお茶を飲んでいた。


 ただ喉を潤していたのではない。姉のありがたいお説教に、サマナ支部長だという女性の監督付きという豪華っぷりであった。古臭い割に防音の行き届いた地下留置場には地上の喧騒が届かず、異変を感じ取ることさえできなかったのである。


「どうしてチンピラ風情にしてやられたの、バカ」「祭は不戦敗で失格だって。賭けに負けた人が暴れてたわよ。全く情けない」


 といった小言をウンウンと聞き流しつつ、いつ釈放されるのだろうか。メリダさんに迷惑をかけてしまって申し訳ないな、などと、アッシュは呑気に物思いにふけっていた。そうしてよそ見をしていると、姉の横で微笑んでいたカロリーヌに窘められた。


「アッシュ君、パティ嬢の気持ちも汲んでやってくれ。彼女があんまりにも焦っていたんで、急遽面会の予定を入れたんだ。支部長である私自らね」

「誰だって焦りますわ。騒ぎを聞きつけて見物にいったら、まさか弟が逮捕されてるなんて!それに支部長さん、私が焦ったからなんて言うのはやめてくださる?あなたが出張ったのは、捕まったのがアッシュだったからでしょう?」

「ほう!流石だね、その通りだよ。君達の名前を聞いてピンときたんだ。なにせ2人は……」


 カロリーヌの言葉はそこで潰えた。突如として轟音が鳴り響き、あっと思った時には天井が割け、落ちてくる。塗装の禿げた薄灰色の天井が視界を埋め尽くし、アッシュ達に迫る。アッシュは目を閉じ、その運命を受け入れた。


 正面から蹴飛ばされるような衝撃を受けて吹き飛び、壁の端に蹲る。痛い。これだけでは済まない。数秒後には全身を岩だの備品の欠片だのが襲い、アッシュの全身をぼろぼろに打ち砕くのだ。しかし、アッシュのネガティブな予想とは裏腹に、いつまえ経っても彼の身体が押しつぶされることは無く、アッシュは恐る恐る目を開いた。アッシュの横には、パティが横たわっている。頭から砂を被ってはいるが、怪我は無い。自分が無事であるのが不思議と言った様子だ。


 そして2人の目の前では、深紅の液体がぽつり、ぽつりと滴り落ちている。血の主は2人を庇うように立ち、穏やかな目でこちらを見下ろしていた。右手には抜刀した片手剣。全身の打撲傷と、髪の隙間から流れ出す紅血。周囲には、切り刻まれた大小無数の石片。背後には、強引に切り倒された鉄格子。カロリーヌはアッシュと目が合うと、放心してその場に崩れ落ちた。


「おい、嘘だろ、カロリーヌさん!俺達を庇って!」

「庇ってなんかいない。私は騎士だからね。他人を守り抜くのは当然の責務だ。……無事で良かったよ」

「そこまでして貫く程の流儀なのか?」

「騎士っていうのはそういう生き物さ。私にとってはね。ああ、頭がボーっとしてきたよ。どうやら私には時間がないらしい」

「ざけんな、あんたは死なせねえ!元気になって、欠陥建築をしたアホ職人をとっ捕まえようぜ!」

「ハッ、それもいい。だがね、捕まえるべきは職人ではない。落ちてくる天井を切った時、微弱だが魔力の残滓を感じた。この崩落事故は人為的に引き起こされている」

「アアン?……そうか、なら簡単だ。俺がそいつを捕まえる。それがカロリーヌさんへの恩返しだ」

「嬉しいね。しかし、遺憾だが今の君は犯罪者という身分だ。今君が出て行っても脱走か、襲撃犯の仲間と思われるかもしれない」

「それならアタシ、いい手段を知ってるわ。特対者制度って、今はもう使えないの?」

「何だその制度は。俺聞いたことないぞ」

 パティは特別命令対象犯罪者、通称特対者制度の概要について話した。犯罪者の恩赦と徴兵を両立した制度であること。終戦後には形骸化された制度ではあるが、何度か用いられた事例があることを。


「確かに……、支部長である私の権限を使えば発令できる。だが、君にとっては不名誉な称号だ。制度の主な対象者は大量殺人犯や政治犯だ。喧嘩の、しかも被害者である君が背負うには、あまりにも」

「いいよ、俺を任命してくれ。不名誉だなんて思わない。俺達は『人でなし』なんですから」

「しかし、まだ何か他の、グッ」


 嗚咽と共に血を吹き出したカロリーヌをパティが抱きかかえる。体力の限界だ。


「パティ、カロリーヌさんを医者に連れてってくれ。速攻で、優しく、な」

「分かった。アッシュも……、気を付けて」

「アッシュ……、君の矛は、留置場入口近くの倉庫だ。必要だろう?」

「ありがとう、待っててくださいよ。犯人を簀巻きにしてお見舞いに連れて行きますから」


 そう言い残し、アッシュは留置場の入口へと走っていった。

 幸いにも、入口付近は落盤を免れている。地上部分の崩落具合次第だが、一階部分へ続く階段自体は無事だろう。そう呟くカロリーヌを背負い、パティは早足で向かった。


「ねえ、支部長さん。1つ聞かせて。私の面会にあなたが居合わせた理由。あなた、気づいたんでしょう。私達姉弟が何者か」

「……ああ、駆け付けた君の名前を見てピンときたね。それで興味を持った。()()」アッシュが破れた相手は誰なのか、そして、君達姉弟自身の人柄にも。……何のことは無い、どこにでもいる、良い姉弟じゃないか」

「……ありがとうございます。あっ、階段は無事ですよ」










『特対者にアッシュ・ラグーンを任命した。彼は味方だ。繰り返す……』


 共鳴魔石からは、依然としてカロリーヌの声が響いている。耳をすませば、微かに衣擦れの音も聞こえる。きっと、パティに担がれながらも指示を飛ばしているのだろう。意識も朦朧としていた筈なのに。敵の下に向かったアッシュが、少しでもスムーズに事を進められるようにと。


「本当……、感謝してもしきれねえよな。騎士にも案外良い人がいるもんだ」


 組み合いながらも神妙な表情で呟くアッシュに対して、男を挟んで向かい合う金髪の少女の表情は朗らかだ。


「アッシュ!さっきぶりだねえ。あなたが特対者になるなんて。流れの旅人の就職先にしちゃ立派じゃん」

「誰のせいだと思ってんだ、コノヤロー。だがせっかく頂いたお仕事だ、まずはお前らを牢にブチ込んでやるよ」

「あら乱暴ね、私とナハトさんを相手取って倒せる気でいるのかしらん」

「やれるか試してみようぜ、腕の次は足だ」


 アッシュとシオンと呼ばれた女が互いを激しく煽り続けるのを聞きながら、リオは頭の中で必死に情報を整理する。口ぶりからして、直近の事件の犯人がシオンと呼ばれた女性で、黒髪の男の名前がナハトだろうか。シオンの足元には血の付いた寂れた槍が転がっている。状況から推測するにアッシュが投擲してシオンに命中させたものだろう。


 不意にアッシュは口をつぐむと、握り締めた左拳をナハトの顔面へ振り上げた。あちらからは死角の筈だが、ナハトは身を翻す最低限の動きでかわすと、反撃とばかりに握った右手を打ち込む。アッシュは手の甲で上手く受け流すと、流れるように右手に携えた矛を繰り出す。そこからは、互いに攻撃を避け、いなし合う接近戦になった。


 両者とも視線や腕の挙動にフェイントを織り交ぜているようだが、互いに引っかかる様子は無い。表情を見るとアッシュの方には陰りが見えるが、依然として矛を繰り出す勢いは衰えない。二人の戦いに他者が入る隙間はなく、リオ達は横から眺めるしか無かった。


 ふとアッシュの握る矛を見ると、先程よりも輝きを増しているように見えた。日の当たり具合や気のせいといった類の物ではない。明らかに、刀身自体が光を放っている。アッシュは自身の矛の煌めきを確認して目を細めると、水平に構えて大きく振りかぶった。


「喰らいな!叫べレディアント!」


 だが、凄まじい速度で迫る刃を、黙って見ているナハトではない。矛との正面対決を受け入れ、銀のブーツによる足技を放つ。その仕草には見覚えがあった。先程から脳裏に焼き付いている、騎士団支部を崩壊させたあの技だ。


「ヌウッ……!」

「くたばりやがれぇェーッ!」

 衝突したエネルギーは一点に集中し、互いの敵を撃ち滅ぼそうと勢いを増す。だが、その場で膠着したエネルギーはやがてその行き場を失くし、そのバランスを崩した。その結果発生する、爆風と衝撃波。

 本日何度目かの衝撃に、リオは腕を組んで風を防ぎ、ただただ視界が晴れるのを待った。



 砂埃が落ち着き、空気が澄んでいくのを肌で感じる。視界の開けた中庭には、2人の男達が立っていた。顔の汚れや袖口の擦り傷は痛ましいが、両者ともに目立った怪我はない。爆心地のほど近くにいながら、恐ろしいタフネスだ。とはいえ疲れは蓄積しているのか、ナハトは怠げに腕を回した。

 

「……やめにしよう。俺達は目的を達成したんだ。もうここに用はない」


 ナハトは助走も無しに後ろに跳躍し、先んじて後ろに下がっていたシオンの横に着地する。


「逃げんのかテメー。勝負はまだついてないだろう」

「お前は昼間の怪我もあるだろう。よくやったほうだが、このまま続けても俺の勝ちは見えている」

「おいおい、自信がないならハッキリ言ってくれよ。僕達は今から尻まくって逃げますってよぉ」


 アッシュは威勢のいい言葉を返すが語気に力はない。何より、呼吸に合わせて上下する彼の肩が、ナハトの言葉の説得力を強めていた。ナハトも煽り文句に乗る気はないらしく、傍らに立つシオンへ指示を飛ばす。


「帰るぞ、シオン。早く手を叩け」

「はいはい。ねえアッシュ、元気が良いのは素敵だけどね。あなた1人で止められないってのは分かるでしょう。今日の所は私達の勝ち逃げよ」


 シオンの言葉に、リオは陰ながら屈辱を感じた。騎士団への襲撃に対して、サマナ支部の団員達はあっけなく戦意を喪失し、傍観者に回った。勿論、リオ自身を含めて。それでいいのか?部外者であるアッシュ1人に任せていていて良いのか?途端に胸中で熱を放つ勇気。それは騎士団としての自負であり、奮起する正義感。

まるで3人だけで話はつきましたと言わんばかりの雰囲気に、リオは我慢できずに立ち上がり、叫んだ。


「まだだ、まだ騎士団だって終わってないぞ。僕にだって街を守る義務がある!お前らに非道を働く権利なんてないんだから!」

「なんだお前は。……いつか俺達に感謝する日が来る。せいぜい、街を守ってろ。灰になった街をな」

「何が感謝だよ馬鹿なんじゃないのか!?平和のために、今日ここで捕まえる!」

「言うだけなら誰でも出来る。残念だが諦めろ、お前には無理な話だ。おいシオン、退くぞ」

「ちょっとナハト、1個忘れてるわ。え~、クルシア騎士団の皆さん、我々『カルテッロ』は国の為、人の為に、各地の騎士団支部を襲わせていただきます。その締めはビトーニヤのお祭りで盛大にやりますので、我々の作戦行動にどうかお付き合いください。では、ごきげんよう」


 シオンはそう高らかに宣言すると、血に濡れたの手を叩いた。響いた音を聞いた者の視界がまた黒く染まる。数秒おいてまた音が鳴り、戻った視界の中に2人の姿は無かった。建物の影に隠れていないか周囲を見回すが、それらしい痕跡すらない。


 動けるものは鎮火の手伝いに向かい、リオを含む怪我人はその場に残り、治療に専念した。腹は痛むが心の傷のほうが大きい。たった2人の侵入者によって建物は半壊し、助っ人がいなければ死者の数は今の比ではなかっただろう。呆然として消沈するリオの肩に、誰かが手を置いた。


「ひっ!!」

「おいおい、そんなに驚くんじゃねえよ。さっきの威勢が嘘みたいじゃねえか」

「あ、アッシュ・ラグーン……」

「アッシュでいい。お前、さっき牢屋に来た奴だろ。名前は?」

「僕はリオ……。いや、さっきは咄嗟に、ていうかその手!」


 アッシュの右の手のひらには大きく傷口が走り、赤黒い血が滲み出ていた。中指の爪には縦に亀裂が入っていて、つい目を逸らしそうになる。痛みが想像し易いぶん嫌悪感が大きい。


「そんな顔するなよ。包帯巻けばそのうち治るさ」


 表情にでていたらしい。助けてくれた相手にする態度としてはひどく失礼だ。今度は自分への嫌悪感で目を背けそうになるが、これ以上恥はかくまいと堪える。彼の怪我は他人を守りぬいた証なのだ。いいようにやられたリオとは違う。必死に右手を見つめる様子に、アッシュは少しだけ微笑んだ。


「別に無理に見るもんじゃねえのに。それより、リオ。お前に話がある」

「話?」

「ああ、俺はトクタイシャってのに選ばれた以上、あの2人を追いかける」

「うん」


 巻き込まれた形なのにすごいなぁ。巻き込まれた被害者なのだろうに、アッシュの責任感には感服する。


「だけど俺が追いかけるには騎士団の監視がいるらしーのよ」


 そんな規則もあったっけ。リオは他人事のように考えた。特対者に選ばれる基準が能力である以上、無法者や粗忽者が任命される場合も多い。その為、特対者の行動には暴走を止められるだけの騎士団員の動向が義務付けられている。


「だからお前も来いよ」

「え?」


 突然の提案に思考がフリーズする。


「なんで!そういうのってベテランの人から選抜されるもんでしょ!?」

「でもお前、あいつらに一発かましてやりたいだろ?さっきの雰囲気だって、けっこう様になってたぜ」


 勿論、その通りだ。仲間を殺され、街を燃やされた。許せと言われて許せるものでは無い。騎士団としての義務感と同時に、彼らへの怒りが胸中では嵐のように渦巻いている。アッシュはそんな気持ちを読み取っていたのか、左手をこちらに突き出した。


「決まりだな、しばらくの間よろしく頼むぜ、リオ」

「うん、よろしく、アッシュ」


 こちらも左手を出し、手を取った。旅人と新入りの騎士団、無関係だった2人の人生は一度混じり合い、ねじれていく。彼らの行く先を嘲笑うかのように、遠くで野犬の吠える声が聞こえた。

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