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金髪の不審者

 その旗は『名誉の旗印』とよばれていた。真っ赤な布地に猪の横顔と二振りの斧を配置した模様は、サマナのトレードマークでもある。


 旗の置かれた広場には見るからに力自慢の男たちが集まり、準備運動のストレッチをしながら互いに睨み合っている。周囲には見物に住民が集まり、露天商はここが勝負時とばかりに声を張り上げて客を呼び込んでいる。


「ひゅ~、盛り上がってるじゃないか」


 ご機嫌そうに口笛を吹くアッシュを見て、中年の女性店員は魚を焼きながら微笑みを浮かべた。アッシュは自分が笑われていることに気がつくと、口をとがらせて話しかけた。


「なんだよメリダさん。多少浮かれたっていいだろう、本番になったら気合をいれるさ」

「別にヘラヘラしながら戦ってもいいんだよ?この余興に勝つ意味は忘れてなきゃね」

「分かってるよ。だから今こうして、強そうな奴を見繕ってるんだからな」


 軽口を叩きながら、アッシュはメリダにサマナまでの道すがらに聞いた話を思い出していた。


「一年に一度、平原イノシシの群れが町の近くまで押し寄せる。街の連中は総出で奴らを狩りに行くんだが、毎年指示をだすギルドはどこか決めるのに揉めるのさ」

「それを祭の余興で決めるってことか?」

「その通り。各ギルドが腕自慢を出し合ってぶつけて、一番強い奴のいるギルドが旗をぶら下げて当日に仕切る。上手くできてるだろ?」

「まあ理にかなってはいるのか?血の気がちと多い気もするけど」

「だからこそ皆納得するのさ。武器の持ち込みも近接のみ。ちなみに多少の流血沙汰は構わないけど、殺しや残虐的なやり口は反則負けだからね」

「その方が面白くて盛り上がるから、だろ?」

「その通り。あんた話の分かるタイプってよく言われない?」


 何度思い返してもシンプルすぎるルールだ。だが単純な力比べで決めるのは分かりやすくて良い。この類の催しは参加せず見物するだけでも充分に楽しめるが、参加するのはもっと楽しい。


 広場の一角では毎年優勝者を予想する賭けが行われており、ギルドの関係者は自分の陣営への願掛けも含めて仲間の優勝を賭けていた。観客である一般住民の多くは手堅く優勝候補の若者を選んでいたが、彼が一回戦であえなく敗退したことで、その希望は潰えた。


 突如優勝争いに参戦したアッシュという名は人々の心を走り抜け、勝ち残った陣営は我先にとアッシュの情報を求めて市内を駆け回った。


 休憩とばかりに店の前に座り込んだアッシュに、メリダは水と焼き魚を差し出した。


「思った通りやるじゃない。賭けに負けた奴らが騒いでたよ。とんでもない野郎が現れた!ってね」

「はは、そりゃあ気持ちいいもんだ。ところで、うちの姉ちゃんはどこに行ったか知らないかい」

「お姉さんなら観光するって言ってどこか行っちゃったよ。なにさ、お姉ちゃんに応援してほしかったのかい?」

「からかうなよ、聞いただけさ。つうか見てたぞ、こっそり俺の賭け券を買ってただろ」

「へへ、よく見てるね。まあそんな話は置いといて。アッシュ、あんたギルド無所属とは言ったけど、昔どっかで訓練なり受けたんじゃないの?」


 既に2人と戦った後だったが、アッシュの表情には余裕が残っている。相手は仮にも各ギルド選りすぐりの精鋭とも呼べる男達だ。多少は怪我をしてもよさそうなものだが、アッシュの身体には多少手を擦りむいた程度の傷しかない。これだけの実力を見ては、メリダの疑問も頷けるものだった。


「ギルドじゃねえが、俺に色んな技を仕込んだ奴がいてね。さっきのもあの人仕込みだ」

「さっきのシュッシュッってやつ?あたしにはよく見えなかったけど」


 アッシュの試合はどれも一合で終わった。相手が仕掛けてくればカウンターを打ち込む。自分から行く場合は相手のガードを搔い潜って急所を狙う。解説曰く誘いやフェイントを上手く使っているらしいが、モンスター相手に腕の覚えがあるメリダからしても、見切れるものでは無かった。


「ああ、これでも結構自信あるんだぜ。そこらのゴロツキじゃ追いつけねえよ」

「言うねえ。あんたの相手した奴等、あれでもこの街じゃ結構有名なんだよ」

「そんな話より、私はその技を仕込んだ先生のことをもっと聞きたいな」

「別に構わないけど。そんなに面白い話でも……、いや、今喋ったのメリダさんじゃないよな」


 声は後ろから聞こえた。振り向くと、背後に1人の女性が立っている。人混みで気がつかなかったが、こちらの話を聞いていたらしい。


 ぼさぼさに伸ばした前髪や喪服の様な漆黒のパンツスーツが目を引くが、その影から見える顔立ちは中々整っている。輝く金髪と真っ黒な服のアンバランスさも含めて、全く街の雰囲気に溶け込めていない。不気味な奴だ。それが、女に対するアッシュの第一印象だった。


「どこのどちら様だ?言っとくが本当に面白い話じゃないぞ」

「それはこっちが決めるわ、アッシュ。ジャック・バールの弟子。お姉さんがいるって聞いてたけど、今は1人なんだ」

「ジャックの知り合いか?悪いけど俺はあんたを知らないぞ。メリダさん、この街の人?」


 店員の次の言葉を促すが、返事がない。振り返ると、メリダは三歩ほど後退して女を睨みつけていた。親の仇を見るかのような目つきだ。手にはいつの間に取り出したのか包丁を構えている。


「ちょっとメリダさん、何して……」

「離れなアッシュ!こいつ最近サマナで噂になってる奴だ。因縁吹っ掛けてケンカ相手を騎士団に捕まえさせる、悪趣味なヤツだよ」


 言葉を聞いたアッシュは答えを求めるように金髪の女を見るが、女は答えようともせず黙ったままでいる。ひとまずメリダに手ぶりで後ろにまわるように促し、女の正面に立つ。沈黙を肯定ととって良いのか、何か深い事情でもあるのか。矛は屋台の裏に置いたままだ。話がよく見えないが、状況が膠着したままなのはどうにもむずがゆい。先に我慢の限界がきたのはアッシュだった。


「俺達は会った事があるのかい?忘れていたら本当に申し訳ない。で、あんた本当に件のチンピラさんなの?」

「…………」

「せめて返事ぐらいはしたらどうなんだ?人の話に答えないのは、育ちの悪さがちょっと見えちゃうぜ」

 

 突如飛んできた右ストレートを左腕でいなし、勢いで右側に飛ぶ。アッシュの煽りは場の状況を動かすのに充分だったらしい。女は右腕を突き出した状態で止まっているが、その表情は泣くのを堪えているように見えた。深い事情パターンか!どんな言葉をかけようかと思案するが、続く蹴りが見えた瞬間に思考は中断された。


 蹴りを脛で受け、腹を狙った左打ちを右手で弾く。続く右のアッパーを身体を反らして避けるが、左太腿に鈍い衝撃を受けてアッシュは地面に転がった。土埃の乾いた味が喉にしみる。


 相手の攻撃の1つ1つが先程の男共よりも痛く鋭い。向こうは殺す気までは無いのか、腰の短剣を使ってこないのが幸いだった。


 アッシュ自身に戦う理由があるのかは未だに微妙だったが、かといって降参して話を聞くのはどうにも癪だ。何か形勢を逆転できるものは無いか辺りを見回すと、アッシュの求めるものは意外とすんなり見つかった。


「メリダさん!木!木!」


 アッシュの叫びを聞いたメリダは足元を見回し、長さ1メートル、幅10センチほどの角材を見つけるとすぐさま放った。角材は金髪女の頭上を通り抜け、鮮やかな放物線を描いてアッシュの手元に収まった。中堅ギルドを率いるに足る、恐ろしいまでのセンスだ。


 魚屋の女将に置いておくには惜しい才能である。断片的な指示を理解してくれたメリダとその腕力に感謝しつつ、距離を取るべく表通りの焼き鳥屋に向けて駆け出す。左足は痛むが、走れないほどではない。


「怒ると顔が崩れるぜ!アホウ!」


勿論こちらに注意を引くことも忘れない。先程までのメリダは傍にいただけの一般人だったが、角材を投げた今となってはアッシュの仲間と判断されてもおかしくない。そもそも何故狙われるのか分からないが、アッシュだけに注目させておいて損は無いだろう。


「待ちなさいアッシュ!」


 金髪女は甲高く叫びながら笑顔で追いかけてくる。挑発が効いているのか微妙だが、こちらに目標を絞ってくれたらしい。女の走りは早いがこちらに追いつくほどではない。前方の焼き鳥屋は丁度よく休憩時間と重なったのか、店員は居るものの調理をしている様子はない。


 アッシュは無事に焼き鳥屋にたどり着くと、目当てのものを確認した。屋台の金網はそこかしこに炭がこびり付き、その使用歴の長さをこれでもかと主張している。視線の端で女が10メートル弱の位置に居ることを確認すると、


「悪いな許せ後で洗う!」


 まだ見ぬ焼き鳥屋の主人への懺悔を言うが早いか、人差し指と親指で金網の端を摘まんで空中に放る。熱の残る金網は容赦無く指の先を焼くが、今は我慢だ。網から香るタレの匂いが鼻をくすぐるも、金網が宙を舞う状況は食欲をそそられる光景ではない。アッシュは両手で角材を振りかぶって力任せに金網を打ち、その勢いで角材を前方に投げて自身も前方に駆け出した。


 角材にジャストミートした金網は一直線に女に飛んでいく。彼我の距離は10メートル。この近距離では剣で払うのも間に合わない。こちらに向かって来る相手の行動は両手で金網をはじくか、左右に避けるかの二択。どちらであっても一瞬ではあるが女の体勢が崩れ、こちらに優位な状況ができる。


 その隙を突いて取り押さえ、後は駆け付けた騎士団に身柄を引き渡して万事解決だ。金網を汚した焼き鳥屋には謝ろう。多少無理はあるが、咄嗟にしてはいい作戦だと内心で自画自賛した。


「やるじゃない!でもね……」


 こちらの意図を読んだか、女は身体をこちらから見て右側に避けた。アッシュは合わせるように距離を詰め、左手でフェイントの構えをとる。左のパンチを防ぐ動きに合わせて頬を打つ動きをし、ボディーに打ち込む、というアッシュの脳内の計画は女の次の行動によって瓦解した。左の拳に反応する素振りも見せず、女は両手を高らかに打ち鳴らした。


「相手の手札も知らずに分かりやすい作戦を採らないことね」


 音を聞いた瞬間、握った両手から力が抜けた。瞬時に左手を見るが、握った拳はそのままで、むしろ自分の爪が手のひらに食い込んでいる。手だけではない、地面を踏みしめる足にも感覚が無くなり、つま先に力を入れると前方につんのめった。


 痛みは感じないが、自分が地面に倒れた音だけが耳に響く。服を着ている実感も、髪が地面に触れる感覚も無い。口に何か触れた感触は無いのに、砂のざらついた味が離れない。冷静に状況を整理しようと努めるが、体中を襲う感覚の欠如がアッシュの思考を許さない。


「私の切り札よ。アッシュ」


 頭上から女の声が聞こえる。この現象は女が起こしたのか。手を叩いたのがきっかけか。そもそも何で絡んできたの?様々な疑問が頭の中を巡るが、口から出た言葉は全く考えてもいないことだった。


「あ、あんた。名前は何ていうんだ?」


 何故こんな質問をしたのか自分でも不思議だ。自分に勝った相手の名前を聞くような主義は持ち合わせていない。そういえば最初に聞いて無視されたっけ。期待してはいなかったが、意外にも女はすんなりと答えた。


「シオン・ローズマリー。可愛い名前でしょ?」

「そーだな。素敵!……なあ、なんで俺に話しかけてきた?こちとら善良な一般市民だぜ?」

「……一般市民、ね。その言葉が通じるのも今だけよ。『魔女の涙』と『貴族の血』。そして『神獣』。世界は大きく動き始めているの」

「ええ?何?」

「ふふふ、話はまた今度。今は体を休めてね。牢屋は床が冷たいからちょっと心配。……また会いましょう、アッシュ」


 その言葉を最後にシオンの足音は遠くへ向かっていった。割れる人混みのおかげでシオンの足音の居場所はなんとなく分かったが、それもそのうち聞こえなくなった。


 代わりに反対方向から別の足音が響き、その持ち主を予想するより早く、アッシュは集団に囲まれた。話す内容と金属音の混じる足音でそれが騎士団だと分かった。到着した騎士団に未だ動かない身体を取り抑えられ、アッシュは馬車に揺られて騎士団の医療施設へと連れていかれた。

 この日、アッシュの気ままな旅は終わりを迎えた。

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