私に冷たい夫の胸元に、『ツンデレ意訳』という文字が見えるのですが
「……俺はライナス殿下に命じられて仕方なく、おまえと結婚しているだけだ。余計なことをするな」
威圧的な態度でそう言うのは、私の夫であるジョシュア。
首筋のところで結わえたシルバーアッシュの髪はつややかで、濃い紫の目は神秘的な色合い。でも今はシャンデリアの明かりを受けてどちらもぎらぎらと輝いていて、その眼差しからは一切のぬくもりが感じられない。
「……ふん。おまえは昔から本当に、気ばかりが強くて可愛げのない女だ」
ジョシュアはそう言って私に背を向け、「下がれ」と冷たく言う。
周りにいる使用人たちはそんな主人の様子を見守ってから、「奥様、大丈夫ですか……?」と私に問うてくる。
でも、私は笑顔で首を横に振った。
「私は全く気にしていないから、大丈夫よ」
この言葉に、偽りはない。
なぜなら……私の目には、「あるもの」が見えるから。
先ほど私に冷たい言葉を吐いていたジョシュアの胸元に、半透明の板のようなものが見えていた。
そこに書かれている文字は――
『俺たちの都合に巻き込んで、本当に申し訳ない。だから、そんなに気を遣わなくていいんだ』
『おまえは昔から元気いっぱいなのが愛らしかったから、おまえが笑っていてくれるだけで俺は十分だ』
『今日は冷えるから、早くベッドに入ってくれ』
それらは、ジョシュアが実際に吐いている言葉――に似ているけれど方向性が全く違う、不器用でいじらしい彼の本音。
そう、なぜか私の目には、素っ気ない夫の本音――『ツンデレ意訳』なるものが見えるのだった。
私が彼と出会ったのは、今から八年前――私たちがお互い十二歳だった頃だ。
「……父様。あの子、誰?」
訓練場を見学していた私は、隣にいる父の上着の袖を引っ張って問うた。
私の父は、ここレストン王国の騎士団部隊長だった。勇猛果敢で知られた父だけれど、私が十歳の頃に隣国・ラジエと戦った際にひどい傷を負ったことで、これまでのように戦えなくなった。
たたき上げの騎士だった父は国王陛下からの信頼も厚かったようで、退役する際にアークライト男爵位を授かった。今は男爵領で将来の騎士や兵士になる若者たちを鍛えていた。
ということで私は騎士の娘から男爵令嬢になったけれど、なんちゃって令嬢もいいところだ。それにアークライト男爵邸は王都から離れていて、パーティーなどにもめったに誘われない。令嬢とは名ばかりで、のんびりと育っていた。
父が団長を務めるアークライト兵団には一応十二歳から登録できることになっているけれど、大抵は十五歳くらいから入団する。でも今訓練場にいる子はどう見ても、私と同じくらいの年だしほっそりしていた。
父は訓練場を見て、「ああ、あの子か」と相づちを打つ。
「彼はつい先日、うちに入団した新米兵士候補だ。セシリーと同じ十二歳だと言っていたかな」
「ええっ、本当に十二歳で登録する子もいるの!? ……あっ」
思わず大きな声を上げたからか、少し離れたところにいたその子が、こちらを見てきた。
さらさらの銀髪を持つ、男の子だった。
鋭く細められた目は濃い紫色で、私をじっと見てくる。
……なんだか、興味が湧いてきた。
「……父様。私、あの子に挨拶してくる!」
「え? ……だが彼はなかなか気難しかったぞ?」
「そりゃあ父様は顔が怖いもん。私ならきっと大丈夫よ!」
強面の父は「そ、そうかな……?」と首をひねりつつも、私を送り出してくれた。なお、私は「奥様に似て本当によかったな!」と皆によく言われる顔をしている。
軽い足取りで男の子のもとに行き、向き合う。同い年とのことだけど私より少し背が低くて、くたびれ感のある革の鎧と剣を身につけている。
「こんにちは! 私は、セシリー・アークライト。あなたのお名前は?」
「……」
男の子は何も言わず、私をじっと見ている。
「聞こえなかった? 私はセシ――」
「うるせぇ」
もう一度名乗ろうとしたけれど、返事はぶっきらぼうな一言だった。
……腐っても男爵令嬢な私にとって、かなりショックだった。「うるせぇ」なんて、これまでの人生で一度も言われたことがない。
……でも、ここで落ち込んだり泣いたりするようなタイプではなかった。
「……なによ、その態度! 自己紹介もできないの!?」
「……きいきい騒ぐな。鬱陶しい」
「まあ! 名乗られたら名乗るのが、最低限の礼儀でしょう! そんなことも分からないの?」
「……ほんっとにうぜぇ。あっち行け、ガキ」
「ガ、ガキ!? 私も十二歳なのよ!?」
「……フッ」
「今鼻で笑ったわね!? ……いいわ、表に出なさい!」
父の部下たちに揉まれながら育ったおかげで物騒なことを言う私にも、男の子は馬鹿にしたような笑みを向けてきた。
「……ああ、いいとも。どこの誰だか分からないが、うぜぇガキにはお仕置きをしてやるよ」
「やれるもんならやって――んむっ」
「ぐっ」
そこでさすがに、大人たちが割って入った。
……そうして私は、ジョシュアと出会った。
ジョシュアの名前を教えてもらうまでまたかなりの時間を要したけれど、彼は兵士候補としては非常に優秀だった。
「またジョシュアが一番取ったのね」
「確かに、あいつは強いよ。……だが協調性の欠片もないし……何というか、見ていてすごく危なっかしいんだよな」
兵団詰め所の壁に貼られている「今月の成果」の一覧の前に立ち、兵士候補のお兄さんたちが話をしている。私がその中に立つと埋もれてしまうので、階段のところからその様子を眺めていた。
今朝も、ジョシュアが任務を達成して帰ってきた。……ただし、血まみれで。
私は朝の散歩中にジョシュアを目撃して、「ジョシュアが死んじゃう!」と騒いでしまった。でも表情一つ変えない彼が言うにそれらは全て返り血のようで、彼はそのまま詰め所の方に向かっていった。掃除係のおばさん曰く、血まみれの床の清掃が大変だったそうだ。
……彼のことだからどうせ、またすぐに出発するつもりだろう。
そう思ってジョシュアの部屋に向かうとまさにその時、彼は部屋から出てきたところだった。しっかり武装している。
「待って。……また仕事に行くの?」
「鍛錬だ。俺はおまえと違って、暇人じゃないんでな」
廊下に立ちはだかった私を、ジョシュアは冷たい目で見下ろしてきた。風呂に入って血は落としたのだろうけれど……彼が帰ってきてからまだ三時間も経っていない。
「でも、寝ていないでしょう? それに、朝ご飯も……」
「動いていれば食欲も睡眠欲も失せる」
「そんなわけないでしょう! ほら、鍛錬の前に寝る、食べる!」
「うるさい」
私が差し出した手を、ジョシュアは叩いた。さすがに手加減はしているようだけど、パンッという乾いた音がした。
……ジョシュアが兵団にやってきて、半年。
こういうやりとりにもすっかり慣れてしまったし、最初の頃は私たちを止めていた父たちも、「お互い怪我だけはするな」と見守る方向になっていた。
むかっとしつつも私は手を下ろし、折衷案を出すことにした。
「……分かった。それじゃあせめて、ご飯になるものは持っていって。すぐにパンをもらってくるから」
「いらない」
「お腹がすいて動けなくなるかもしれないでしょう? 死にたいの?」
「俺は死なない。死ぬわけにはいかない」
そう告げるジョシュアの目には、昏い光が宿っている。
彼は、何かに追い立てられているかのように戦っている。
何か――とんでもなく大きなものに立ち向かおうとしているのだろうと、私も子どもながらに分かっていた。
「そうでしょう? だったら生存率を少しでも上げる方法を採るべきだと思わない?」
「……」
「そのまま歩いて、ロビーに行って。それで、私の方が早かったら諦めてパンを受け取りなさい!」
ジョシュアは何も言わず、私の横を通り過ぎていった。よし、と私はすぐに厨房に走り、朝食の残りのパンを三つほどもらって歩きながら布にくるんだ。
かなり時間が掛かってしまったけれど、息を切らせてロビーに向かうとまだそこにジョシュアの姿があった。
間に合った――のではないことくらい、私は分かっている。
「お待たせ」
「待っていない」
「まあ、いいからいいから。これ、約束だから、持っていって……えほっ」
「……これだから、貧弱なお嬢様は」
ジョシュアは鼻で笑いつつも、走り疲れて咳き込む私から袋を受け取り荷物に入れて、詰め所を出て行った。
……本当に私のことが嫌いだったら、さっさと出て行けばよかったのに。
こんなものいらない、とパンを私の目の前で捨てればよかったのに。
そういうことができないのがジョシュアという人なのだと、私は気づきつつあった。
ジョシュアとの出会いから三年経ち、私たちは十五歳になっていた。
「ジョシュア、また怪我を――」
「うぜぇ」
「うぜぇ、じゃないでしょう! せっかく心配してあげているのに!」
「善人気取りをするんじゃねぇ。鬱陶しい」
私たちは昔よりは、大人になった。
……でもお互い難しい時期になったからか、むしろ昔よりも口論や衝突が増えていた。
ジョシュアはいつもイライラしていたし、私もそんな彼に真っ向からぶつかってしまう。
ジョシュアもさすがに私に手を出すことはなくなったけれど、渡したタオルを投げ返してきたりすれ違いざまに舌打ちしたりというのは当たり前になっていた。
私も私で、そんなジョシュアに噛みついていた。なんで私の気持ちが分からないの、なんでそんなに冷たいの、という心の叫びを素直に出せなかった。
本当は、もっとおしゃべりをしたいのに。
いつも傷だらけで帰ってくるジョシュアに、ゆっくりしてほしいのに。
……もう少し時間が経てば私もジョシュアも大人になって、ちゃんと会話ができるようになるかもしれない。
そう思っていた矢先、いきなりジョシュアが退団することになってしまった。
「聞いてないんだけど!?」
「言っていないから、当然だ」
「なんで言ってくれないの?」
「むしろなぜ、おまえに言わないといけない?」
私が気づいた時にはもうジョシュアは荷物をまとめていて、団舎を出ようとする彼にぎりぎり追いつけたくらいだった。
ぜえはあ肩で息をしながら責める私を冷たくあしらい、ジョシュアはそっぽを向いた。
「俺には何が何でもやらなければならないことがある。ここで十分に力を付けられたから、次に進むことにした。それだけだ」
ジョシュアの意志が固いことは、顔を見れば分かった。
……この三年間、私はジョシュアに鬱陶しがられながらも追いかけていたのだから。
「……分かった。父様も許可したんだし……止めはしないわ」
「……」
「でも、お願い。無茶なことはしないで、元気でいて」
「できない約束はしない」
……ああ、本当にこういうところが、ジョシュアらしい。
むっと黙る私を一瞥して背を向けて――ジョシュアは思い出したように言った。
「……俺の周りをちょろちょろするおまえのことは、ずっと鬱陶しかった。団長の娘じゃなければ、ぶん殴っていたかもしれない」
「ふんっ!」
「……だが、おまえに口うるさく言われたから食事をして睡眠を取り、怪我の治療も受けた。……それで今の俺があるのだろうから……おまえの鬱陶しいあれこれが無駄だったとは言わない」
「……。……なにそれ」
「さあな。……じゃあな、セシリー」
「あっ、もう! ……やるべきことがあるのなら、絶対にやり遂げなさいよ!」
さっさと歩き出してしまったジョシュアの背中に呼びかけるけれど、反応らしいものはない。でも、声はきちんと届いただろうし……。
『おまえの鬱陶しいあれこれが無駄だったとは言わない』
「……つまり、私のお節介があって助かった……ってこと?」
ジョシュアの姿が見えなくなってから考えてみるけれど……彼の言うことはいつも回りくどくて、私にはちょっと理解が難しかった。
ジョシュアがいなくなってから、さすがに少し寂しかった。でも私には私の、ジョシュアにはジョシュアの生き方があるのだろうから、まあ元気に生意気な口を叩いていればいいかな、と思うことにした。
……そうして時が流れ、私が二十歳になった年のある日。
私はレストン王国王城に呼び出された。
「アークライト男爵令嬢とミュレル公爵の結婚を提案したい」
豪華な応接間にて、笑顔でそんなことを言ったのは我が国の王太子であるライナス殿下。
ふわりとした金髪に緑色の目が美しい、王国令嬢たちの人気を一身に集める麗しい貴公子である。
私のもとに先日、立派な書簡が届いた。それには、「ライナス殿下がセシリー・アークライト男爵令嬢をお招きになっている」との旨が書かれていた。
父が元騎士団部隊長なだけのなんちゃって男爵令嬢な私が、王太子殿下に呼ばれるなんて。両親も弟妹たちも大混乱だったけれど、私だって心当たりが全くなくて困惑してしまった。
でも、「いやです」と言えるはずもないので一張羅のドレスを着て、びくびくしながら王城を訪問したのだけれど。
……アークライト男爵令嬢、つまり私と……ミュレル公爵の、結婚……? どちら様?
「……あ、あの、王太子殿下。それは、どういうことでしょうか?」
殿下は必死に冷静を装おうと努力する私を見て、「ちょっと説明しようか」と朗らかに微笑んだ。
「男爵令嬢は、二年前に終結した我が国とラジエ王国の戦争について知っているか?」
「だいたいのことは……」
隣国ラジエは、領土面積でも軍事力でもレストン王国に及ぶべくもない小国だけど、昔から何かと因縁を付けてうちに攻め入っていた。十年前に父が騎士団を退団するきっかけになった戦争も、ラジエからのむちゃくちゃな侵略作戦が発端だ。
その戦はついに二年前に、私の目の前にいらっしゃるライナス殿下率いるレストン王国軍の勝利により終結した。王家は皆処刑されたのでレストンはラジエに総督府を置き、ラジエの公爵家出身の男性に委託統治をさせるとかいう話で……あ、あれ?
父から聞いたその話の中で出てきた、ラジエ王国の公爵。その名前が、確か――
「ミュレル公爵って、ラジエ総督府の監督責任者じゃないですか!?」
「うん、そうそう。そこにあなたを嫁がせるという提案だよ」
「……」
……いや、さすがに脳みその処理が追いつかない。
なんちゃって令嬢の私が、隣国の公爵閣下のもとに嫁ぐ……?
必死に現状を理解しようとする私に追い打ちを掛けるように、殿下はペラペラと続ける。
「実はその公爵は元々ラジエ出身だけれど諸事情で国を追われた後、人生の大半をレストンで過ごしていてね。先の戦いでも私の部下として勇猛果敢に戦ったんだ。あ、ラジエの悪徳王族たちの首を刎ねたのも、彼ね。すごい恨んでいたようで、なかなか凄惨な光景だったよ」
「ひっ……」
「そんな彼には当然のごとく、縁談が舞い込む。でも彼は、よく知りもしない令嬢との政略がらみの結婚なんて嫌らしい。ということで、昔なじみのあなたならうまくいくんじゃないかと思って提案したんだよ」
「昔、なじみ……?」
ぽかんとする私に微笑みかけ、殿下は傍らにいた従者から大きめの木の板を受け取り、それをぱかっと開いた。
「これが、ジョシュア・ミュレル公爵だ」
――殿下の声が、遠くから聞こえるようだ。
だって、その木の板に貼り付けられている姿絵は、私がよく知っている人が大人になった顔をしていたから。
子どもの頃よりも伸びたシルバーアッシュの髪に、鋭い紫色の目。
不機嫌さを隠そうともしない、まっすぐに引き結ばれた口元。
……大人になったジョシュアの顔が、私をじっと見返していた。
私とミュレル公爵――ジョシュアとの結婚は、あっという間に決まった。
ライナス殿下は一応「提案」というていでジョシュアとの結婚を口にしたけれど、次期国王である彼の「提案」はすなわち「命令」だ。よほどの事情がない限り、断ることはできない。
私には婚約者がいなかったし、長女ではあるけれど跡継ぎの弟もいるから、家庭的にも問題ない。
両親も弟妹たちも、ジョシュアの正体がラジエの公爵であること、そんな彼のもとに私が嫁ぐことを教えると驚いていたけれど……王族による命令ならば、と渋々ながら了承してくれた。
ジョシュアと顔を合わせる時間もなく、気がつけば明日には私は国境を越え、ラジエ王国に向かうことになった。
花嫁道具や持参金などは「言い出したのは私だからね」ということで全てライナス殿下が負担してくださったけれど、心の準備が追いつかないのはどうしようもない。
……明日嫁ぐことになる私を思ってか、両親は「今日は一日、好きなことをしなさい」と言ってくれた。
その言葉に甘えて私はおいしいものを食べたり旧友と遊んだりした。でも、心の奥では重いしこりが残ったままだった。
「……あれ? こんなところに教会、あったっけ?」
今晩は家族でのお別れ晩餐会だから、そろそろ帰らないと……と思いつつ町を歩いていた私は、大通りの片隅にぽつんと立つ小さな教会を見つけた。よく歩く場所だけれど、教会があった記憶はない。
なんとなく気になって顔をのぞかせたけれど、先客はおろか神官やシスターの姿もない。こぢんまりとした場所だけれど花が飾られているし清潔で、なんとなく心のしこりも小さくなるような清らかな空気に満ちていた。
説教台の奥には小さな池があり、その中央に女神像が立っていた。
これまで見たことのある女神像とはちょっと形が違っていて……大理石製の女神様はなんだかむちゃくちゃ楽しそうなポーズで陽気に笑っている。無邪気な笑顔に、見ている私もつい笑顔になってしまった。
……そうだ。明日の出発に向けて、ここでお祈りしていこうかな。
私は説教台の前に跪き、目を閉じた。
「……私は明日、ラジエ王国の公爵のもとに嫁ぎます。どうか、彼――ジョシュアとの結婚生活が実り豊かなものになりますように。彼を支えられる、よい妻になれますように……」
……お願いごとを口にすると、周りには誰もいないと分かっていてもなんだかちょっと恥ずかしくなる。
恥ずかしいだけで虚しいとか辛いとかいう気持ちにならないのは、この教会の雰囲気や女神像の笑顔のおかげかもしれない。
立ち上がった私は女神像に一礼して、教会を出た。
……さて、お祈りもしたことだから、家に帰って明日の準備をしないとね。
ぱたん、と音を立てて教会のドアが閉まる。
人気のなくなった教会の奥、女神像の周りを巡る池の水が風もないのにさざ波立ち――ふわり、と柔らかな光が溢れていた。
レストン王国の王都からラジエ王国の総督府がある都まで、馬車で半月ほど掛かった。
馬車の旅自体はそこまで苦手ではないけれど、これから嫁ぐための旅だと思うと緊張するし、宿で提供された食事もあまり喉を通らない。
なんとか都まで到着した私は、「レストンの恵みを妬んで侵略戦争をふっかけるろくでもない国」という固定観念とは全く違う、穏やかで落ち着いた雰囲気の街並みを見てびっくりしてしまった。
そんな私にラジエ人の護衛が、「ラジエはこれまでずっと、悪徳王侯貴族によって平民が虐げられる状態でした。皆はラジエ出身でありながら王族を倒してくれたミュレル公爵に、感謝しているのですよ」と笑顔で教えてくれた。
……ジョシュアはそもそも、ミュレル公爵家令息として生まれた。
でも十年前にラジエ王が仕掛けた無茶な侵略戦争に敗北した責任を無関係のジョシュアの父親が負わされ、一族は処刑された。
辛くも生き延びたジョシュアがレストンに渡り、家族にあらぬ責任を負わせて処刑した王侯貴族を倒すべく力を付けていたそうだ。
……子どもの頃の彼が殺気立っていて荒れていた理由が、やっと分かった。彼が言っていた「やるべきこと」というのは、家族の敵を討つことだったのね……。
そうして私は、元王城である総督府の近くにあるミュレル公爵邸に案内された。そこで私を待っていたのは――ライナス殿下に見せられた姿絵と同じ、大人になったジョシュアだった。
シルバーアッシュの長い髪を無造作に束ね、軍服によく似た意匠のジャケットを着ている。足を組みぶすっとした表情はしているけれど……間違いなく、ジョシュアだ。
心臓がドキドキ鳴っている。
どうしよう、なんて言えばいいんだろう。
迷った末に、私は無難な声掛けをすることにした。
「……お久しぶりでございます、ミュレル公爵閣下」
「俺のことはジョシュアと呼べ。堅苦しい言葉遣いも結構だ」
「……ジョシュア?」
ジョシュアの方から命じてきたのでおずおずと懐かしい名で呼ぶと、彼はうなずいた。
「……ああ。おまえはやっぱり、それくらいでいい」
「……あの、ジョシュア。聞きたいことがいくつもあるけれど……」
「話せることは特にはない。俺たちはライナス殿下の仰せの通り、結婚するだけだ」
……こういうところは本当に昔のままだけれど、さすがに感傷に浸るわけにはいかない。
なぜって、これはただの知人との再会ではなくて――結婚という人生の一大イベントについての話をしているのだから。
「待って。いくら何でも急すぎるし、だいたいどうしてジョシュアは――」
「説明することはない。……何度も言わせるな」
ジョシュアは私の言葉を冷たく遮ると、腕を組んだ。
「公爵でありかつラジエ総督府の監督責任者となった俺は、結婚する必要がある。結婚するなら顔なじみがいいだろうと、殿下がセシリーの名を出した。属国の人間である俺は、レストン王族の言葉に逆らえない。おまえも、逆らえない。それだけの話だ」
それは……まあ確かに、その通りだ。
「でも、結婚するとなったらやっぱり、話を詰めておく必要が……」
「ない。おまえはただ昔のように、阿呆面をして食って寝る生活を送ればいい。金も、屋敷の財政が傾かない程度なら使ってくれて構わない。社交界なども出る必要がないし、跡継ぎなども必要ない。むしろ、邪魔になるから俺に関わらないでいてもらいたい」
あ、阿呆面って……いや、それについて怒るような年齢ではない。
「……つまり私は、あなたが望まない結婚を強いられることなく仕事だけに集中するために都合のいい、お飾りの妻ってこと?」
「そうだな」
「……」
「……なんだ、一丁前に怒るのか?」
ふん、と鼻で笑って言われたので……私の方もふん、と鼻で笑ってやった。
「いいえ? あなたの言う通り、ライナス殿下のご命令なのだから従うまでよ。……確かに、あなたみたいな面倒くさい口の悪いひねくれ者の妻なんて、昔なじみの私じゃないと務まらないでしょうからね」
「……なんだと?」
あら、噛みついてきた。大人になってもジョシュアは案外、短気なのかもしれない。
気色ばんだジョシュアに微笑みかけてやり、私はそれまで手つかずだった紅茶を口に含んだ。
「いいわよ、お飾りの妻になってやろうじゃないの。……仰せの通り阿呆面で食っちゃ寝して散財しても、文句は言わないわよね?」
「……普通の令嬢ならもっと健気な反応をするだろうに、たいした度胸だ」
「どういたしまして」
かくして私たちは子どもの頃と全く変わらない喧嘩腰になりながらも、結婚することになったのだった。
私はラジエ総督府監督責任者でありミュレル公爵でもあるジョシュアと結婚して、セシリー・ミュレルになった。なお、結婚式は挙げていない。
そして結婚して早速彼は戦後処理のための遠征に出たようで、何日も帰ってこなかった。
「……あー、なんだか面白くない」
使用人たちに勧められた刺繍をちくちくとしながら、私は唸った。
ジョシュアには何もせずに食っちゃ寝していろと言われたからそうしているけれど、それにしてもなんだか気に食わない。だいたいジョシュアは言葉が足りなすぎる。
グチグチ言う私に、メイドが微笑みかけた。
「奥様は旦那様のことを、よくご存じなのですね」
「といっても、十二歳から十五歳までの間に一緒に過ごしただけよ。昔から本当に、口が悪くて態度も大きくて……」
「うふふ。でも旦那様は王国の民から非常に人気のあるお方で、あのクールなところが好きだという令嬢も多いのですよ」
「どこがいいのかしら……」
正直、ジョシュアはものすごく格好いいと思う。少し影がある感じの横顔や強い意志に燃える瞳なんかは、見ていてドキドキする。
彼の容姿や雰囲気に関しては、格好いいことを認めざるを得ない。
でも! あの生意気でぶっきらぼうな物言いのどこがいいの!?
言いたいことが全然伝わらないし、そもそも全然帰ってこないし!
数日後、やっとジョシュアが帰ってきた。
執事からジョシュアの帰宅時間を聞いていた私は寝間着の上にしっかり着込んで、玄関に居座って待つことにした。こうしないと逃げられそうだからだ。
そうしてドアを開けて玄関に入ってきたジョシュアは――私を見て、露骨に嫌そうな顔をした。
「……なぜおまえがここにいる」
「おかえりなさい、ジョシュア。お仕事お疲れ様」
「……」
「それを言いたかっただけよ。じゃ、おやすみ」
「待て」
一応妻なのだから夫の帰宅のお迎えくらいはしてやろう、と思っての行動だ。
用は済んだので、疲れているだろうジョシュアを長時間拘束するまいと椅子から腰を上げたのだけれど……彼の方から呼び止めてきた。
執事にコートを渡したジョシュアは、難しい顔で私を見ている。
「……今の時刻は分かっているのか」
「深夜前くらいかしら?」
「もう深夜過ぎだ! それなのにこんなところに居座っているなんて、おまえは馬鹿か!?」
「ば、馬鹿なんて言わなくていいじゃない! ただ、あなたがちゃんと無事に帰ってくるかを見たかっただけで――」
……おや?
私は言葉の途中で唇を閉ざし、ジョシュアの胸元を見つめた。何か、今その辺りにちらちらと見えた気がするのだけれど……?
「……。……おい、どうした、セシリー。阿呆面でどこを見ている」
ジョシュアがそう言った直後、彼の胸元がきらきらと光り、半透明のプレートのようなものが浮かび上がった。
……あれ、何? あっ、文字が浮かんでいる……?
『ツンデレ意訳』
「……ん?」
『大丈夫か、セシリー。そんなぼんやりして、体調が悪いんじゃないか?』
ジョシュアの胸元のプレートに、白い文字が浮かんでいる。『ツンデレ意訳』という謎のフレーズに続くのは、やたら柔らかい口調で記された言葉。
……なにこれ?
「ジョシュア。胸のそれ、どうしたの?」
「……そ、それとは、なんのことだ?」
「ほら、あなたの胸元に見えるツンデレ意訳とかいう……」
私が指摘すると、彼はぱっと自分の胸元を見てさわさわとそこに触れ、怪訝そうな顔になった。
「……何もない。おまえ、頭がどうかしたのか?」
『ツンデレ意訳:こんな寒い場所で俺を待っていたから、疲れてしまったんじゃないか?』
……んー?
「おい、ぼうっとするな。なんのまねだ」
『ツンデレ意訳:だ、大丈夫か? やっぱり寒さで体調が悪いんだろう! どうしよう、俺のせいだよな……?』
……。
……ちょっと、頭が混乱してきた。
「……少し、疲れたのかもしれないわ」
「何っ!? ……あ、いや、だったらさっさと休め! いくら着込んでいてもこんな寒いところに長時間いたら体調を崩すだろう、馬鹿!」
『ツンデレ意訳:早く温かいベッドに入ってくれ! おまえが倒れたりしたら、俺は生きていけない……!』
「……ええ、そうするわ。おやすみなさい」
私は存在感を主張する『ツンデレ意訳』から無理矢理視線を剥がし、メイドに手を取られて寝室に向かった。
メイドにも体調を気遣われたので気にしなくていいとだけ言って――ベッドに入った私は、必死に頭を働かせた。
……ええと、ええと。さっきジョシュアの胸元に見えた『ツンデレ意訳』は……?
どうやら彼がしゃべった言葉によく似たフレーズが、あの半透明のプレートに浮かび上がるようだ。そしてジョシュアや周りの皆の反応を見るに、あれが見えるのは私だけの模様。
口では辛辣なことを言うジョシュアだけど、プレートに書かれた言葉はとても優しいし、慌てたりしていてなんだか可愛らしかった。
……もしかして、もしかしなくても。
あのプレートに書かれた『ツンデレ意訳』というのが、ジョシュアの本心……だったりして?
だとしたら、私が倒れたら生きていけないっていうのが、ジョシュアの本心で……?
「……んんー!」
なんだかものすごく恥ずかしくなってきたので、枕に顔を突っ込んで悲鳴をこらえる。
ま、まだそんな結論を出すのは早い!
あの現象がなんなのか、それから『ツンデレ』の意味がなんなのか、調べないと!
何日も掛けて遠征に行った後だからか、翌朝はさすがに食事の席にジョシュアの姿があった。
「おはよう、ジョシュア。……こうして一緒に食事をするのも、久しぶりね」
「……ああ」
素っ気ない。
ジョシュアは私の方を見ず、もくもくと手を動かして食事をしていた。
向かいの席に座って食事をしつつ、ジョシュアの様子を観察する。
……彼は公爵家の嫡男として生まれたからか、その所作は洗練されている。兵団にいた頃は全然そんなことを思わなかったから、身分がばれないように隠していたのかもしれない。
「……ああ、そうだ。あなたから一応、許可を取っておきたいのだけれど」
「……なんだ?」
「いくつか、本が読みたいの。だから本を読みに行ったり取り寄せたりしたくて」
昨日ベッドに入りながら考えたのは、「『ツンデレ』について調べる」ということ。
ツンデレなんて言葉は聞いたことがない。でも、もしかしたら何かの文献には記載があるかもしれない。
「ラジエにも図書館はあるわよね? そこに行ったり、ない書籍は買ったりしたいの」
「……好きにしろ」
『ツンデレ意訳:もちろん、いくらでも好きなものを買えばいい』
……どちらにしても、許可は取れたようだ。
これまでは暇を持て余していた私は表に出て、『ツンデレ』なる単語について、そしてあの謎のプレートについて調べることにした。
その結果、私は有識者から「『ツンデレ』は遥か昔に存在した大聖女様の遺した言葉だ」という情報を得た。
大聖女様は何百年も前のレストン王国に現れた女性で、不思議な術を操り様々な知識を伝授してくださったそうだ。それからレストンは大いに栄えたので、ラジエはそういう面でもレストンのことを妬んでいたとか。
そういうことで私は大聖女様に関する書籍を多く取り寄せ、調べてみた。その中にあったのが……。
「……気まぐれな大聖女様はたまに人々の前に現れ、奇跡を起こす……?」
書籍にはこれまでにあった大聖女様の恩恵だと思われる事象が書かれていたけれど、そこに「いきなり目の前に現れた泉に願いごとをしたら、叶った」という記載があった。
……え、待って。
もしかして、私が故郷を発つ前日に町で見かけたあの謎の教会、あれが大聖女様のお導きだったりして……?
念のために調べてみたけれど、やっぱりあの場所に教会なんてなかった。とすると、私は大聖女様のお力で教会に導かれ、術によりあの謎のプレートが見えるようになったと……?
そしてさらに調べていて、「大聖女様語録集」というのを見つけた。これがきっと、有識者が教えてくれたものだろう。
そこあった、『ツンデレ』という言葉の意味は――
「……すごい量の本だな」
「え? ……あ、ジョシュア!」
リビングで読書に没頭していたので、ジョシュアの帰宅に気がつかなかった。
怪訝そうな顔をしたジョシュアはテーブルに積んでいた本を一冊手に取り、ひっくり返した。
「『大聖女の奇跡』……? おまえ、こんなのが好きだったのか」
『ツンデレ意訳:こんな難しそうな本を読むなんて、セシリーはすごいな』
「え、ええ。気になることがあって。……あ、それより、ごめんなさい。お出迎えできなくて」
「必要ない。おまえは本でも読んでろ」
『ツンデレ意訳:趣味に集中するのはいいことだから、気にしなくていい。ゆっくり読書を楽しんでくれ』
言うだけ言ってジョシュアは廊下に出て行ってしまった。もちろん、彼の胸元には『ツンデレ意訳』が見える。
ジョシュアがいなくなってから、私はちょうど今読んでいた本の項目に視線を落とした。
【ツンデレ……普段はツンツンと素っ気ない態度を取るがそれは本音を素直に言えない不器用ゆえで、相手に対して好意的な感情――デレを併せ持っている状態。非常に尊い】
……。
……つまり?
大聖女様曰くジョシュアは『ツンデレ』であり、大聖女様のお力で見えるようになった『ツンデレ意訳』に書かれているのが、ジョシュアの本音であると?
彼は不器用なので本音を言えず、私に対して『ツン』な態度を取ってしまっている。でも実際は、相手に好意的な感情である『デレ』を併せ持っていて――
もう一ページ、めくる。
そこには『ツンデレ』の使用例があった。
【ツンデ例①:本当は好きなのに、「別に、おまえのことなんて好きじゃない!」と意地を張って言ってしまう。尊い】
【ツンデ例②:口では「勝手にしろよ」と言いつつも、陰ながら相手のために尽くして守ってあげる。尊い】
【ツンデ例③:「余計なことをするな!」と突っぱねるけれどその意味は「君を困らせたくないから、気を遣わなくていいよ」である。尊い】
……なるほど。
それじゃあやっぱり、ジョシュアの胸元に見える『ツンデレ意訳』というのが彼の正直な気持ちみたいね。私はなぜか大聖女様のお導きにより、彼の本当の気持ちが見えるようになったと。
……それじゃあ、確認してみましょうか。
「ねぇ、ジョシュア。あなたって私のことを、結構好きだったりする?」
「ぶっ」
夕食の席で尋ねてみるとジョシュアが噴き出しただけでなく、周りの使用人たちもぎょっとしたように私を見てきた。
ジョシュアはスープを飲んでいたからかむせてしまい、げほげほと咳き込んでからじろりと私をにらんできた。
「ばっ、馬鹿なことを言うな!」
『ツンデレ意訳:いきなり言わないでくれ、びっくりするだろう』
「いえ、そうなのかなぁ、って思って」
「……俺がおまえのことを好きなわけ、ないだろう」
冷たく言い放った彼は不機嫌そうな顔でワインをあおった。それだけ見れば、拒絶されたと思ってしまうだろうけれど――
『ツンデレ意訳:おまえの隣は、とても居心地がいい』
「そうなのね。……私は昔からジョシュアのこと、格好いいと思っていたけれど」
「っ……そ、そうやって俺をおだててどうするつもりだ? 大量に本を買いあさっただけでなく、とんでもない散財でもするつもりなんじゃないか?」
『ツンデレ意訳:う、嬉しいけれど、びっくりする。おまえ、俺のことをそういう風に見ていたんだな。でも、なんでいきなりそんなことを言うんだ。後が怖い……』
……やだ。
私の夫、もしかしてすごく可愛いのかも……?
私はにっこり笑い、「そういうわけじゃないわよ」と言う。
「ジョシュアは昔から一生懸命で、クールで、格好よかったわよ。……ただちょっと言葉がきついところはあったけれどね」
「……ふん。俺の思想は、おまえみたいな甘っちょろいお嬢様には理解できなかっただろうな。それに、俺の口が悪いのは元々だ」
『ツンデレ意訳:そりゃあ、同じ年頃の女の子の前だし、緊張してしまったんだよ。それにおまえ昔から可愛くて、好――』
「ちょっとストーップ!」
思わず立ち上がって片手を上げると、ジョシュアはびっくりした様子で目を丸くした。
……だ、だめだ。ここまでは私の優勢だったのに、今はちょっと……ジョシュアの顔が見られない。
だって、あのツンケンしたジョシュアが私のことを「昔から可愛い」とか言うし、とっさに手で隠したけれど「好」という字も見えたし……!
も、もしかして、もしかしなくても。
ジョシュアって冗談抜きで、私のことを、その、わりと――?
メイドに声を掛けられたのではっと我に返り、椅子に座り直す。ちらっと正面を伺うと、ジョシュアは目をそらしてもくもくとナイフとフォークを動かしていた。
でも……その頬が赤いし、目尻もほんのり赤く染まっている。
……やっぱりジョシュアは『ツンデレ』で、あの『ツンデレ意訳』が彼の本音みたい。
この現象についての謎は、解けた。
でも、謎に包まれていた頃よりももっと重大な問題が、私とジョシュアの間に立ちはだかってしまったような気がした。
私とジョシュアが結婚して、もうすぐ半年だ。
「……あー、その、何だ、セシリー」
「はい」
「今日は、おまえの二十一歳の誕生日だろう。だから、その……これ、やるよ」
『ツンデレ意訳:誕生日おめでとう、セシリー。生まれてきてくれて、ありがとう。頑張って選んだから、気に入ってくれたら嬉しいな』
顔を赤らめて可愛らしい箱をずいっと差し出してきた夫の胸元には相変わらず、『ツンデレ意訳』のプレートが輝いている。
この現象が始まって半年経ったので、もう慣れた。
「ありがとう。開けてもいい?」
「……ああ」
「……。……わぁ、素敵なネックレス!」
「……そんな高価なものじゃないから、気に入らなかったら捨ててくれ」
『ツンデレ意訳:高すぎたらセシリーは遠慮してしまうだろうから、どれなら着けてくれるかと悩んだんだ。その……きっと、似合うと思う』
ああ……私の夫は本当に、可愛い。
「そんなことないわ。……着けてくれる、旦那様?」
「……し、仕方ないな。今回だけだぞ」
『ツンデレ意訳:喜んで!!』
ネックレスを渡してジョシュアに背中を向け、髪を寄せて首筋をさらす。
ジョシュアは私の背後で黙ってネックレスのチェーンを留めている。今の彼は無言だし背中を向けているから、『ツンデレ意訳』は見えない。
「……ほら、できた。こっち見てみろ」
ジョシュアに言われたので振り返り、にっと笑ってみせる。
「どう? 少しは公爵夫人らしい装いになっている?」
「……悪くはない」
『ツンデレ意訳:素敵だ! ああ、やっぱりセシリーは可憐で愛らしい! どこに出しても恥ずかしくない、俺の自慢の妻だ!』
ジョシュア、大絶賛している。喜んでもらえて何よりだけれど……。
「……あのね、ジョシュア。お願いがあるの」
「……内容による」
『ツンデレ意訳:俺にできることなら何でもやるよ』
「ありがとう。……あなたが口下手な不器用さんであることは、昔から変わらないことだし、理解しているわ。……でも、たまにでいいからあなたの素直な言葉が聞きたいの」
ジョシュアの優しさは、『ツンデレ意訳』のおかげで分かっている。
でも……たまにでいいから、彼の口からツンでない言葉を聞きたかった。
ジョシュアは私の言葉に目を丸くすると、小さく唸った。
「……俺はいつも、素直だ」
「本当に?」
「……。……そ、その」
「うん」
「……俺は、おまえのことが……その、わりと……じゃなくて、かなり……気に入っている」
「うん」
今、彼の胸元を見ても何も浮かんでいない。
それは……今ジョシュアが一生懸命紡いでいる言葉が、偽りのない彼の本音だからだ。
「俺は……あらぬ責任を負わされて貴族たちから見捨てられ、国王に処刑された両親の敵を取りたかった。憎い奴らを殺すことだけが俺の目標で……だから、おまえの優しさや気遣いが……嬉しくも心苦しくて、素直に受け取れなかった」
「……そうだったのね」
ジョシュアは小さくうなずいた。
「最初は、ライナス殿下に提案されたことだけれど……結婚するなら、セシリーがいいと思った。その、なんだ。昔みたいに馬鹿みたいなことで言い合ったり、ぶつかったり……そういうことのできるおまえが、いいと思った」
「……ふふ、そうね。私も、あなたと再会したらまた馬鹿みたいなことを言い合いたかったわ」
……十五歳の時にいきなり別れてからも、ずっとジョシュアのことが気になっていた。
彼にはやるべきこと――家族の敵を討つという目的があったとしても、生きていてほしい、と思っていた。
……また、こうして話をしたかった。
「……。……だ、だから。始まりはなんかいろいろごちゃごちゃしていたし、俺もちゃんとおまえのことを見てやれなかったけれど……。俺はこれからも、おまえと夫婦として一緒に……頑張りたい」
「……そうね。あなたのお仕事が忙しくない時でいいから、お出かけをしたりしてみたいわ。私、まだラジエ王国のことが全然分からないから」
「……そうだな。いつか、一緒に行こう」
そう言って、ジョシュアは……ふわり、と笑った。
子どもの頃から見てきた馬鹿にするような笑いや鼻で笑う仕草ではない、まるで無邪気な少年のようにあどけない、優しい微笑みだった。
「……その、セシリー。今だから、言えるけれど」
「ええ、何かしら?」
「……。……お、俺はガキの頃からずっと、その……。……お嬢様のくせに喧嘩っ早くてお節介で気が強い、おまえのことが……。……好き、です……」
……ああ。
大聖女様。あなたはきっと、彼のこの言葉を導くために……私をあの教会に呼んでくださったのですね。
いつも彼の本音を告げてくれた『ツンデレ意訳』のプレートは、さっきからずっと見えない。
不器用な彼が精一杯の想いを込めて告げてくれた偽りのない告白の言葉だと分かって……気づけば私は、ジョシュアの胸元に飛び込んでいた。
「うわっ!? お、おい、セシリー!」
「……ありがとう。……私も、あなたのことがわりと好きよ」
「……わりと、なのか?」
『ツンデレ意訳:えっ、俺、そこまで好かれていなかった……? そ、それもそうか……』
胸に飛び込んでいるため間近に『ツンデレ意訳』が見えたので、思わず噴き出してしまう。
「結構……ううん、かなり好き、よ。言葉足らずなツンデレさんは、私じゃないと面倒を見きれないものね」
「ツン……?」
「……これからよろしくね、旦那様」
私が言うと、ジョシュアの体がぴくっと震えた後に優しく抱きしめられた。
「……ああ。ありがとう、セシリー」
ラジエ総督府の監督責任者であるミュレル公爵が公の場に妻を連れて出たのは、彼らが結婚して半年以上経ってからのことだった。
ちまたでは「幻の公爵夫人」やら「公爵が溺愛のあまり外に出したがらない奥方」など勝手な噂がなされていたが、いざ皆の前に現れた公爵はぶすっとしており、とてもではないが愛妻を連れている時の顔ではなかった。
だが隣にいる公爵夫人は満面の笑みで、夫の素っ気ない言葉にもにこにこしていた。この夫婦は本当に大丈夫なのだろうか……と皆が不安に思う中、公爵夫人が夫の腕を引いて何やらささやいた。
……その瞬間、公爵は目を見開き、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。そんな夫を見てくすくす笑った公爵夫人が何かをささやくと、「もうやめてくれ」と公爵が呟く声が聞こえてきた。
複雑な少年時代を過ごしてレストン王国軍として両親の敵を討った、恐るべき冷酷な公爵。
そんな彼を幼なじみでもある妻はよく支えて、その気持ちをくみ取った。
結婚して何年経っても公爵はぶっきらぼうな男だったが、妻子の前ではその仮面が剥がれて穏やかな表情を見せることがあったと言われている。
大聖女様「ツンデレは尊いけど、このツンデレは夫婦仲がこじれるやつだわ。ちょっくら手を貸してやるか!」