第8話 結太、ギリギリで遅刻を回避する
結太達が学校に着いたのは、朝のHRが始まる五分前だった。
龍生のお陰で遅刻は免れたものの、結構ギリギリな時間だ。二人は早足で昇降口へと向かった。
昇降口前の階段を上がったところで、
「遅いッ!! 何をノロノロしていたんだ、二人ともッ!?」
鋭い声が飛んで来て、結太はギョッとして足を止めた。
声のした方へ目をやると、腰に両手を当て、仁王立ちしてこちらを睨みつけている、咲耶の姿があった。
「ああ、咲耶。ちょうどよかった。授業が始まる前に、君に確認したいことがあったんだ」
咲耶の登場に、内心ビクついていた結太だったが、龍生はビクつくどころか、ホッとしたような顔をして、彼女の方へ近付いて行く。
何事かと、咲耶は目をしばしばさせていたが、龍生はそんなことにはお構いなしで、
「今朝、校門の近くで藤島さんに会った?」
彼女の両肩に手を置き、単刀直入に訊ねる。
咲耶は再び目をパチパチさせてから、眉根を寄せて首をかしげた。
「イーリスにか? いいや。会わなかっ――」
「そうか、よかった。ならいいんだ」
最後まで聞かずに応じると、龍生はニコリと微笑む。イーリスに会わなかったのなら、当然、国吉にも会っていないはずだと、判断したのだろう。
一方咲耶は、何故そんなことを訊ねられたのかわからず、訝しげに龍生を見返していた。
しかし、すぐにハッとしたように振り向くと、壁掛け時計に素早く視線を走らせた。
「マズい、HRが!――ええい、クソッ! 楠木に言ってやりたいことがあったんだが……仕方がない。昼休みにするか」
悔しげにつぶやく咲耶に、結太は鼻白んだ。それから彼女に気付かれぬよう、小さくため息をつく。
何を言おうとしていたのか知らないが、どうせ文句に決まっている。
朝っぱらから、昼休みが来るのが憂鬱になってしまうようなことを、言わないで欲しいものだ。
「ほらっ。教室まで走るぞ、二人とも!」
一気にどんよりと落ち込んでしまった結太には目もくれず、咲耶は一方的に告げると、階段を駆け上がって行った。
龍生も軽やかな足取りで後を追い、結太も浮かない顔で続く。
昼休みといえば、すっかり定着してしまった、龍生と咲耶、結太と桃花、そしてイーリスを加えてのランチタイムも、どうにかならないものだろうか。
特に、イーリスの家であの事件が起こってからというもの、桃花はだんまりだわ、咲耶は睨んで来るわ、イーリスはやたらと絡んで来るわで、落ち着かない日々が続いていた。
購買で、好物の〝焼きそばとチキンカツのWサンド〟を無事GET出来た日でも、全然美味しく感じられず……。
とにかく、ここ数日は針の筵状態で、昼食を楽しむ余裕などなかったのだ。
(ああ、オレの平和なランチタイム……。いつになったら戻って来るんだ?)
二階の廊下で、まずは咲耶と、次に龍生と別れた後、結太は二年三組の戸を開けた。
自分の席の方へ目をやると、既にイーリスは着席しており、結太に向かって、ひらひらと手を振っている。
いったい誰のせいで、こんな遅刻ギリギリに、登校する羽目になったと思っているのだろう?
結太は呆れ、軽くイーリスを睨んだ。
それでも彼女はケロッとした顔で、結太が自分の席まで歩いて行くところを目で追っていた。
そして、彼が着席したと同時に、
「おはよー、結太。間に合って良かったわね」
などと声を掛け、ニコリと微笑む。
普通の男であれば、〝天使の微笑み〟とでも称してしまいそうな、とびきり可愛らしい笑顔だった。
だが、今日の結太には、小悪魔――いや、悪魔の笑顔にすら思える。
「なーにが『間に合って良かった』だ。よくもぬけぬけと、そんなことが言えたもんだな」
ムスッとした顔でつぶやき、もう一度睨んでやると、イーリスはひょいと肩をすくめ、
「あら、だって。あれは結太が悪いんじゃない。か弱い女の子一人くらい、自転車の後ろに乗せて行くくらい、どーってことないと思うのに……意地悪するんだもの。アタシだって、もう少しで遅刻するところだったのよ?」
悪びれもせず、まるで結太が悪いかのように言ってのけ、今度はこれ見よがしに、口をとがらせてみせる。
これにはさすがに呆れ返り、結太は一瞬、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「……あのなー……」
ようやくそれだけ声に出すが、ふと、前方に視線を感じ、反射的にそちらを向くと。
桃花とバチっと目が合い、結太はハッと息を呑む。
後方に顔を向けていた桃花は、慌てたように前を向き、うつむいてしまった。
(伊吹さん……。まだ、怒ってんのかな……?)
正直なところ、結太には、ここ数日、桃花に避けられている理由が、どうしてもわからなかった。
確かに、驚かせてしまっただろうし、目撃した瞬間は、結太がイーリスを襲っているように、見えてしまっていたかもしれない。
だが、その翌日には、咲耶が事情を説明してくれ、龍生も、イーリス自身も、ハッキリと疑惑を否定してくれた。とっくに誤解は解けているはずなのだ。
それなのに、未だ彼女は、結太と目を合わせようともしてくれず、話し掛けようとしても、逃げるようにどこかへ行ってしまう。
昼休みだって、結太の前で黙々と弁当は食べているが、積極的に話の輪に加わろうとはせず、咲耶に話し掛けられた時だけ、言葉少なに返す程度だった。
(理由はよくわかんねーけど……オレ、嫌われちまったのかな……?)
そう思ったら、頭と肩に大きな鉛を乗せられたように、ズシンと気持ちが重くなった。
あの事件が起こるまでは、少なくとも、嫌われてはいなかったはずだ。
普通に会話も出来るようになっていたし、話の最中に、笑ってくれることも多くなっていた。
だが、今の二人の関係は――。
彼女と話せるようになる前より、明らかに状況が悪化している。〝ふりだしに戻る〟どころではなく、むしろ、〝ゲームオーバー〟に近いのではないだろうか?
(チックショォオオオ……ッ!! これじゃ、告白するどころじゃねーじゃねーか!!……詰みだ。完全に詰んじまったぁあああッ!!)
決して振り返ることのない桃花の後姿を、結太は絶望的な気持ちで見つめる。それから頭を抱え込み、机に突っ伏すと、
「えっ?――ちょ、ちょっと、どーしたのよ結太? いきなり頭なんか抱えて……。頭痛? これから授業始まるのに、大丈夫? 保健室行った方がいいんじゃない?」
気遣わしげに、イーリスが声を掛けて来る。
心配してくれるのはありがたい。
ありがたい……が、桃花との関係にひびが入ってしまったのは、イーリスが原因のようなものなのにと、多少イラッともしてしまう。
(……いや、待て。落ち着け。イーリスの家で起こったことは、べつにイーリスが悪いってワケでもねーだろ。Gが出て来たのは、あくまで偶然だ。イーリスが、Gを見るだけでパニック起こしちまうのだって、仕方ねーことだろーが。誰だって、苦手なもんのひとつやふたつ、あるもんだし……)
そこまで考え、結太はますます気が滅入って来た。
今の思考は、丸っきり八つ当たりではないか。
いつまでも告白出来ないでいる自分の不甲斐なさを、誰かのせいにしたがっているだけだ。
……そうだ。
元はと言えば、自分に意気地がないために、告白を先延ばしにして来てしまったのがいけないのだ。
イーリスのせいではない。自分のせいだ。
「……最悪だ」
ボソッとつぶやくと、耳聡くイーリスが反応し、
「ええっ? 最悪って……。ちょっと結太、ホントに大丈夫? そんなに辛いなら、保健室に付き添ってあげましょうか?」
尚も心配そうに、声を掛けてくれるが、結太はのっそり体を起こし、首を左右に振った。
「いや、ダイジョーブだ。病気とかじゃねーから。……ありがとな、心配してくれて」
「そ……そう? ならいいけど……」
イーリスがそうつぶやいた後、前の戸がガラリと開き、担任が入って来た。
何人かの生徒が、『先生、遅刻ー』などと言い、囃し立てる声をぼんやりと聞きながら、結太は再び机に突っ伏し、大きなため息をついた。




