表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

五章 死別の痛み

 風の城の応接間を満たす、午後の日だまりに、インジュの明るい鼻歌が溶けていた。

「インジュ、今日もご機嫌だな?」

インジュの向かいでデスクワークしていたリティルが、和んだ顔に笑みを浮かべて顔を上げた。リティルの隣では、髪を短く切り、仮面を付けたノインが読書している。

「ええ?そう見えますぅ?暖かくて気持ちいいんですよねぇ。春っていいですねぇ」

「春なのはおまえの頭ん中だろ?」

すかさずリティルにツッコまれたが、インジュは幸せそうに笑うだけだった。

「あはは。思い出すと嬉しくてですねぇ。ただ、未練になっちゃったっていうのは、辛いですねぇ」

死の安眠の墓標から溢れ出したのは、鬼籍の書庫に眠る死者の心だった。鬼籍の書庫に溢れ出したのは、死の蓋で封じられたモノではなく、未練という心の反乱だったのだ。

とはいえ、あれが全世界に溢れ出していたら、戦争よりも悲惨なことになっていたことは、想像に難くない。

「リャンシャンの未練は、おまえだったのかよ?」

「みたいですねぇ。リャンシャンはすごく達観してて、ボク如きが手に入れられる人じゃないって思ってたんですけどねぇ。愛されてましたねぇ、ボク。あはははは」

何を思いだしたのか、インジュは女性的な仕草で頬を両手で覆うと身悶えた。

「……別れたくねーって、思わなかったのかよ?」

「思いませんよぉ!リャンシャンはもう、何度も生まれ変わってますよねぇ?ボク達終わってるんです。だから、いいんですよぉ」

インジュは本当に曇りなく「ちゃんとお別れできました」と笑っていた。

「今でも、愛しているのか?」

「?愛してましたよぉ?」

ノインの言葉に首を傾げて、インジュは彼の質問の意味を捉え損なった。

 「そうではなく」と、ノインが言いかけたとき、玄関ホールへ続く扉が開いた。

「ただいま戻りました」「ただいまですわ」

「ご苦労さん、賢者兄妹」

戻ってきたのは、インファとリャリスだった。2人は、皆既日食の影響がなかったか、視察して回っているのだった。

「父さん、死の蓋の影響は今のところありません。遅れていた芽吹きも追いつき、世界は豊穣に溢れています」

「そっか。頑張った甲斐があったな」

インファに答えたリティルに、リャリスは心配顔でシュルリと近寄ってきた。

「お父様、体調はよろしくって?」

「ああ、だいぶ戻ってきてるぜ?この分だと、明日には完全復活だな!」

「早すぎませんこと?」

まだ、1週間ですわよ?とリャリスはリティルの顔を、真横からズイッと覗き込んだ。

「丈夫さだけが取り柄だからな!」

「おまえは……早く復活しろ。稽古を付けてやる」

シャビに、死の安眠時の失態を、泣きながら愚痴られたと、ノインは、横目でジロリとリティルを見下ろした。

「ああ、インの剣心臓スレスレでしたっけ?リティルが寝ちゃうから、ボクとフロインまで引っ張られて、びっくりしちゃいましたよぉ!」

リティルを守ろうとしていた原初の風が、リティルとシンクロしすぎて、その至宝に関係しているインジュとフロインにまで影響が行ってしまったのだ。インジュとフロインはわけもわからず血を吐かされ、昏倒させられた。

「はは、ごめんな!インに勝って、気が抜けちまったんだよ。インファ、ノイン、オレ鬼籍の書庫、今出禁なんだけどな、あれからホントに動きねーのかよ?」

インジュの隣、リティルの向かいに腰を下ろしたインファは、ノインを見やった。視線を受けて、ノインは読んでいた本を閉じる。

「何もない。鬼籍の書庫も沈黙していると無常が言っていた。……リティル、鬼籍の書庫には、オレではなくインジュかラスを関わらせろ。純粋な風の力のないオレでは、なにかと不便だ」

「ええ!ノインがやってくださいよぉ!濡羽色の力でしょうが!すべての力が混じり合った混沌でしょうが!ボク、産む力が強いんであそこ、なんか落ち着かないんですよぉ。ラスは、半分殺人鬼なんで、ザワザワするって言ってますし」

机を挟んで「でも」「しかし」と言い合いを始めてしまったノインとインジュの間で、リティルはうーんと腕を組んでいた。リティルに力が戻れば、出禁は解かれるが、またいつ何時リティルが、インファも出禁をくらうかしれない。そんなとき、知識があり、冷静なノインが担ってくれると楽なんだけどなーと思っていた。

「お父様、ノインに、お父様の風を込めたアクセサリーをプレゼントすればいいのですわ。元風の精霊のノインなら、それだけで事足りましてよ?」

「ん?それでいいのかよ?えっと、ノインに……?」

両耳はフロインが贈ったピアスがあるし、首飾りは記憶のペンダントがあったよな?とリティルは思い付かない様子で、隣のノインをマジマジと見てしまった。

「あはは。リティル、女性的なデザインが得意ですもんねぇ。ノインも髪、伸ばしたままいればよかったんですよぉ。そしたら、ボク達とお揃いの髪留めで決まりでしたぁ」

髪……ノインって何かあるとすぐ髪伸びるよな?インジュも殺戮形態になると髪伸びちまうから、伸ばしたままになったんだよな?ノインも伸ばしたままでいいんじゃねーのか?どうして切っちまうんだ?にしても、黒髪似合うよなー。

「……………………ノイン、男前だよな?」

「何を言っている?」

ノインは呆れた顔をして、リティルの額に、読んでいた本をポコンッと置いた。目の前にある本のタイトルを読んだリティルは、思わず本を掴んでいた。

「おまえ、まだこれ読んでるのかよ!また変なこと企んでねーよな?」

リティルの急な反応に、ノインは思わず本から手を放していた。

「これ?魂の書か?読みかけというのも気になる。おまえは読んだのか?」

「……途中までな!おまえにやめとけって止められたんだよ」

「そうだったのか?確かに、風の王にこの内容は危機感しか生まないな」

ノインは納得したように、腕を優雅に組んだ。

「どんな内容なんです?」

インジュが首を傾げて問うてきた。

「魂の解剖を行った記録です。反魂も行えそうな危険な内容でしたね」

答えたインファにリティルは、信じられないと言いたげな視線をむけた。

「読んだのかよ?」

「ええ。なかなか恐ろしい本でしたね」

なかなか考えさせられましたと、インファは苦笑した。

「あのぉ、レジーナが記憶の万年筆で呼び出す人と、ファウジが死者召喚で呼び出す人って、同じなんです?」

インジュの問いに答えたのは、インファだ。

「成り立ちが違いますね。レジーナは記憶からですから、その人が死んでいなくても呼び出せます。ファウジは、鬼籍に残った心を呼び出します。鬼籍は死者の本ですから、こちらは死んでいないと呼び出せません」

「でも、どっちも会えない人に会えるんじゃないんです?」

「そういう意味では同じですかね?どちらも魂がありませんから、呼び出されて一定時間しか存在できないようですし」

詳しいことはわからないと、インファは踏み込む気はないようだった。

「魂入れたら、生き返っちゃうんです?」

「インジュ、危険思考だ」

警告をしたのは、ノインだった。

「え?あわわすみません……」

謝るインジュに、ノインは更に言った。

「おまえは純粋だ。その問いには答えられない」

「ボクがやっちゃうって思うんです?」

「いや。おまえは知っていても使わないだろう。だが、知ったことで、使わせてしまうということがあるかもしれない」

「ボクが誰かに教えちゃうってことです?それは……あるかもですねぇ」

インジュが考え込んだところで、ノインはリティルに視線を合わせた。

「リティル、その本は封印をかけろ。そうだな……おまえとインファの許可なく読めないように戒めをかけた方がいい」

「ああ、わかったよ。ゾナ!頼めるか?」

「ああ、任せたまえ」

いつからそこにいたのか、リティルが振り向くとゾナがすでに立っていて、リティルの手から本を受け取った。

「リティル、席を外すがいいかね?」

「ああ、頼むな!」

ゾナは、どことは告げずに本を持って瞬間移動で消えた。

 リティルは、どこかウキウキとして見えた、風の城切っての賢者を見送りながら、あの本、絶対安全だなと思った。なぜならゾナの魔法は、一筋縄ではいかないからだ。

「ゾナの魔法って、どうしてあんなに難解なんです?」

インジュが、嬉々として消えたゾナに呆気にとられながら呟いた。

「あれたぶん、趣味だぜ?」

「挑戦状のようで楽しいですよ?」

顔をしかめるインジュとは対照的に、インファは楽しそうだった。

「紐解けるおまえはさすがだな」

頷きながらノインが、インファを賞賛した。

「インジュ、おまえ、反属性返しで無効化できるだろ?」

リティルの問いに、インジュは複雑そうな顔をした。

「それなんですが……ゾナの魔法、1発じゃ壊せないんです。しかも、修復機能がついてたりして、意地悪なんですよぉ!」

あっちを壊してる間に、こっちが直ってる!とインジュは発狂しそうだった。

「リャリス、おまえは?インラジュールの魔法一撃だったってノインに聞いたぜ?」

修練の間に施された防壁の数々は、インでも破れない!とインラジュールが豪語して、施された渾身の魔法だったのだ。それをリャリスは触れるだけで解いた。

「私、風の王の娘ですのよ?風魔法には精通していますわ。ノインに勝るところがあって、ホッとしていますわよ」

「ではリャリス、賢者・ゾナ作、魔方陣解呪問題集がありますので、やってみませんか?」

インファはニッコリ微笑むと、風の中から分厚い魔道書を取り出して机の上に置いた。

インジュとリャリス、リティルまでもがゴクリと生唾を飲み込んだ。

1人楽しそうなインファが、答え合わせは任せてくださいと言った。

「私、やりますわよ!打倒ノインですわ!」

そう言ってリャリスは意気込んで本を開いた。『1問目』と書かれた下に魔方陣が記されていた。インジュが何やら力を感じてそっと触れてみると、本の中から魔方陣が大きく空中に展開された。

「ちっぽけな野望だな」

苦笑いするノインにインファは言った。

「そうでもありませんよ?ノインを抜くと言うことは、オレをとっくに抜いているということですから」

オレは三賢者の3番目ですとインファは笑った。

「土俵が違うんじゃねーのかよ?そもそもそれ、誰が決めたんだよ?イシュラースのって、全部風の城じゃねーか」

「ツッコミどころ満載です。ここに名を連ねるべきは、オレではなくルディルですよ」

「はは、あの昼行灯、表舞台には上がってこねーよ。オレ達風の城は、あいつの体のいい隠れ蓑だ」

「そうですね。では、この人選は妥当ですか。オレ達が目立っていた方が、あの人にとっては好都合ですからね」

「ああ、オレ達は実働部隊だからな。太陽の城と風の城を繋ぐ穴でも掘るか?」

「シェラに頼めばいいだろう?彼女の事だ、どこかに、直通ゲートを隠しているかもしれないが、な。1問目、解けた」

ノインは羽根ペンを置いた。

「えっ!…………お見事ですわ……」

インファと共に答え合わせしたリャリスは、悔しそうにしかし負けを認めた。

「悔しいですわ!私、勉強してまいりましてよ!」

リャリスはそう言うと、シュルリとソファーを降りて城の奥へ続く扉に向かった。

「待ってくださいよぉ!ボクも行きます」

インジュは躊躇いなくすぐさま、リャリスを追って行ってしまった。

 そんな二人の様子を見守っていたノインは、隣のリティルに視線を戻した。

「いいのか?」

「ん?恋愛ってヤツは、当人同士の問題だろ?それより、この3問目何なんだよ?ここ!何が書いてあるのかサッパリわからねーよ!」

「うん?3問目?いつの間に……」

「2問目は風でしたからね。父さんは風魔法に関してだけは天才的です」

「そんなことより!ここ!ノイン!気になるんだよ!」

「わかったわかった。しかし、魔法はオレよりインファの方が得意だ。……なんだこれは?引っかけか?」

ノインまで本気にさせてしまうとは、ゾナの魔方陣解呪問題集、侮れませんねとインファは楽しそうにニッコリ微笑んだのだった。

そこへ、続々と一家の皆が帰ってきて、応接間は一時、ゾナ魔方陣解呪問題集を解こう大会が開催されたのだった。


 リャリスはついてくるインジュを振り切るように、廊下を高速で滑るように進むと図書室に飛び込んで行った。後ろにいたインジュは、鼻先で扉を閉められなくてよかったーと思いながら後に続いた。

リャリスには、あの皆既日食から、そうとわかるほど避けられていたのだった。

「……インジュ、さっきの話しですけれど、生き返らせることができるとしたら、どうなさいますの?」

リャリスは、インジュが扉を閉めるのを見計らって、意を決したように振り返った。

「はい?ボク、風の精霊ですよ?ノインも変なこと聞きますし、どうしたんです?」

「変なこととは何ですの?」

「リャンシャンを、今でも愛してるかって聞くんですよぉ?」

インジュは、どうしてそんなこと聞かれるんだろう?と本気でわかっていない様子で、首を傾げていた。

「愛していますの?」

「愛してましたよぉ?遙か昔の話しですよぉ」

「そうは見えませんでしたわ」

「はい?」

「今現在も続く、恋人のようでしたわ!」

「えっ!そんな感じでしたぁ?伝えたかったことが伝わって、嬉しかっただけなんですけどねぇ……。それより、リャリス、どこにいたんです?」

全然気がつかなかったと、インジュは驚いていた。

「それは、あんなにイチャイチャしていらしたら、気がつきませんわよ!あんな顔のあなたは、初めて見ましたわ」

「あんな顔?」

「言わせますの?」

「違いますけど!そうですかぁ……ボク、緩んでましたねぇ」

「……どんな方でしたの?」

「それ聞きます?いいですけど……これ以上ボクを避けないでくださいよぉ?」

座りましょうか?とインジュはリャリスに席を勧めた。リャリスは、インジュの引いてくれた隣ではなく、広い机を挟んだ向かいに腰を下ろしたのだった。

「リャンシャンはですねぇ、無表情無感情で生きることを諦めてるような人でした。奴隷だったんで、命令しないと動かないですし、自主性もなかったですねぇ」

「あの歌からは、そんな人には聞こえませんでしたわよ?」

フッと小さく息を吐いたインジュの瞳に、困ったような愛しさが浮かぶのを、リャリスは見た。

「変わってくれたんです。ボクを、助ける為に。ソラビト族さん達は、歌に魔力があって、特別なんですよぉ。その歌を、ボクのために歌ってくれました」

語るほどの思い出は、なかった。太陽の城を終の棲家に定めたソラビト族は、本当に穏やかで、何もせず、ただ黙ってインジュの一方的に話す話しを聞いていた。最後まで、意思の疎通ができなくて、それでも、インジュが行けば、インジュの周りに寄ってきて、ただそこにいた。ただ1人、インジュに選ばれていたリャンシャンだけが、インジュと会話をしていた。

1人、また1人と命を終える中、インジュが見逃してしまった者はいなかった。皆、ボクに看取ってほしかったのだと、インジュは思っている。

「リャンシャンは、ボクのことをどう思っていたんだろうかって、思ってました。ボクも、ボクの常識の中でしか、気持ちを伝えられなかったんです。リャンシャンは、伝えてくれてたのに、ボクはそれに、気がつかなかったんです。あの当時、ボクはそれでもよかったんです。今、この瞬間があれば、それでよかったんです」

初めから未来などなかった。今を積み重ねていく。そんな関係だった。

 滅んでしまったソラビト族達のことを思い出していたインジュは、リャリスの言葉で現実に引き戻された。

「彼女が、手に入るとしたらどうですの?」

「はい?リャンシャンは死んじゃってますよぉ?」

「もしもですわ。もしも、彼女が生きていて、ここにいたらどうなさいますの?」

「ええ?うーん……抱きしめちゃうと思いますけど……」

「逢いたいと思いますの?」

「お別れ、きちんとしましたよぉ?」

「そういうのを抜きにしてですわ!」

「わ、わかりましたよぉ。怖いですよぉ?リャリス。逢いたいか逢いたくないかって言われれば、逢いたいですよぉ?今逢っても、当時のまま接することができるんだって、わかっちゃいましたし。想いが通じて、嬉しかったですしねぇ」

リャリスの手前なのだろう。インジュは控えめに困ったように笑った。

 リャリスは、インジュがリャンシャンを、まるでなくさないようにしているかのように、腕の中に捕らえている様を見ていた。2人が最後に交わした口づけ。リャンシャンが消えてしまうまで、2人は唇を合わせていた。

切なかった。2人はすべてを承知で、それ以上を望まず、抗わず、死が分かつことを受け入れていた。残されたインジュは、晴れやかに笑っていた。本当に未練なく。

そして、この1週間幸せそうにしていた。もう、リャンシャンはいないというのに、もう、2度と逢うことは叶わないというのに。

どうして、そんなふうにいられるのか、リャリスには理解できなかった。

終わったというのなら、どうしてそんな幸せそうにしていられるのか。

彼女を今でも愛しているというのなら、どうしてその死を、そんな幸せそうに受け入れられるのか。

インジュのみならず、リャンシャンも、インジュと離れたくないという未練は一切なかった。あんな口づけをしたのに、どうして?

勝てないと思った。彼女の面影を消し去るほどの恋を、インジュにさせるなんて無理だと、リャリスは思ってしまった。


 インジュが”リャンシャン”という娘に再会した話しは、ラスも聞いていた。

『ラス、左から行きますからねぇ!』

『わかった』

念話で伝えてきたインジュに短く答えて、ラスは魔物の気配のある方に視線を向けた。

ここは大地の領域・夏の森の上空。眼下には、青々と茂る森が広がっていた。精霊達は避難済みだと大地の王・ユグラから連絡を受けていた。夏の暑い風に、ラスの長い前髪が攫われる。

「ジャック」

ラスが呼びかけると、心に中の気配が動いて、ラスと同じ声が、心の中に返ってきた。

『ボクが出るほどの相手かな?』

クククと残忍な暗い色を含んだ笑みを混ぜて、彼――ラスの殺戮の衝動であるジャックは答えた。

「ちょっと、考え事させてくれ」

『面と向かって、インジュに聞けばいいだろうに?』

「ノインが警戒してる。ボクも、インジュに間違いを犯してほしくない」

『心配いらないと思うけどな?ククク、まあいい。ボクが聞いてやる』

瞳を閉じたラスが再び瞳を開くと、風が足の下から頭の先へ抜けた。ラスの出で立ちは黒の燕尾服に黒のマントを羽織った姿に着せ替えられ、前髪の分け目が右から左に変わっていた。長い前髪から覗く左目は、血の色に赤く染まっていた。

ドンッと巨大なサルの手が森から生えた。掴み掛かってきたその手に向かい、ジャックは暗く余裕の笑みを浮かべていた。

「え?ジャック?」

その手に仕掛けようとしたインジュは慌てて、ブレーキをかけた。彼の攻撃は光速だ。近づけば巻き添えを食ってしまう。傍観したインジュの目の前で、魔物はバラバラに切り裂かれて黒い霧となって霧散した。

「はは、アーハハハハハ!血が足らないなぁ!次の獲物はどこだ!」

長く伸びた10本の爪から鮮血を滴らせて、ジャックは高笑いした。その様子にギョッとして、インジュは慌ててジャックの腕を掴んでいた。

「マズいですよぉ!ここ、大地の領域ですよぉ?皆既日食のせいでまだ風当たり強いんですからぁ!風の領域!風の領域行きましょう!そこなら、どんなに暴れてもいいですからぁ!」

大人しくしてくださいよぉ!とインジュは泣きそうになりながら、ジャックの腕を引っ張って慌てて風の城に帰還したのだった。

 インジュはジャックの腕を引っ張りながら、何とか応接間への扉を開いた。おかえりと声がしたが、答える余裕がなかった。

「ラス!どうしていきなりジャックなんですかぁ!そんなに血に飢えてるなら言ってくださいよぉ!闘技場で相手してあげますよぉ!ボクが!」

「相手してくれるのか?インジュが?」

それを聞いて、ジャックはこの上ないほどいい笑顔を浮かべた。

「ちょっと!あからさまに喜ばないでくれません?怖いですよぉ!」

「アハハハハハ!幸せなヤツを一瞬で恐怖に叩き落とす快感!おまえになら、与えても許されるじゃないか」

「思考が殺人鬼その者です!」

「殺人鬼だよ?」

そう言って、舌なめずりしたジャックは、ソファーに視線を向けると、インジュの手を瞬間振り払って飛んでいた。「あ!ちょっと!」とインジュの声がしたが無視する。

ソファーには、未だ不調のリティルと、隣で優雅に読書するノイン、その向かいにはフロインがいた。

何だよ?と疑問を瞳に浮かべて、こちらを見ているリティルとジャックの間に、艶のある黒く透明な壁が立ちはだかった。見れば、本から視線を外さないまま、ノインがこちらに向かって片手の平を向けていた。

「アハハハハハ!ノイン、付き合ってくれないか?」

名を呼ばれ、ノインがやっと顔を上げた。

「何だ、オレが目当てだったのか?」

「ジャック!暴走しすぎですよぉ!ラス!ラス!何とかしてくださいよぉ!」

後ろからジャックに抱きついたインジュは、1人慌てていた。読んでいた本を机に置いたノインが、おもむろに立ち上がる。

「闘技場でいいのか?」

「乗っちゃうんですかぁ!リティルぅ」

助けてください!とインジュは、リティルに視線を投げた。

「いいんじゃねーか?兄貴、ずっとオレのお守りしてるしな。今はフロインがいるだろ?ちょっとくらいオレから離れても、インファに怒られねーよ」

「なあ?」とリティルはノインを見上げた。するとノインは「インファには上手く言っておけ」と涼やかに笑った。

「大丈夫よ。リティルがどこにも行かないように、わたしが見張っているから」

ウフフフとフロインは、ここではない別の空気の中にいるような雰囲気で笑っていた。

「オレは外で遊びたい、病気のガキかよ!はは、行ってこいよ。ジャック、ノインに攻撃当たるといいな」

「ククク、今度こそ切り刻んでやる」

ジャックは高らかに笑うと、インジュの腕をスルリと抜けて、光速で城の奥へ続く扉へ飛んでいった。それを追って、インジュとノインも飛んだ。

 楽しそうだなーとリティルは苦笑して、さて、仕事仕事と机に向かおうとすると、フロインがこちらを見ている視線に気がついた。

「リティル、終わった恋はどこへ行くのかしら?」

「ん?また困ること聞くなぁ。終わった恋?って、オレ、失恋したことねーんだよ。なんだよ?おまえもインジュが心配なのかよ?」

「いいえ。リャンシャンもインジュも風の精霊よ」

「リャンシャンは精霊じゃねーよ」

精霊だったら――そう思いそうになって、リティルは慌てて考えを打ち消した。

「精霊みたいな種族だったわ。彼女達の歌は、先祖の霊を呼び出すだけではないのよ?」

「ん?そうなのかよ?だとすると、元祖・歌魔法使いだったってわけか?他にどんな力があったんだ?」

「忘却よ。忘れてしまう歌。奪われ、蹂躙されすぎてしまった彼等は、死んでしまうこともできずに、少しずつ忘れていったのよ。だから、彼女達はあんなに、命ある人形のようだったの」

「……可哀想なことしたな。もっと早く――」

「見つけていたとしても、彼等はグロウタースの民よ。あなたに、わたし達にできることは見守ることだけだった。過ちがあったとするなら、インラジュールが死んだ事よ」

「インラジュールも、死にたくなかったさ。自分の生きた証をやっぱり残して逝けねーって、子供達を道連れに、あいつは血染めの薔薇で過去を清算しちまった。あいつは、死を守ってくれたんだ」

風の王だけが知る風の禁忌。風の精霊は、理によって自殺できない精霊だ。その精霊の自殺を、世界はなかったことにするために、自殺を引き起こした事案ごとなかったことにする。

インラジュールは、死の蓋を開く魔法をなかったことにするため、自分の命を賭けたのだ。

その魔法を世界が認知してしまったら、今後も死の蓋をその魔法が開けてしまう。インラジュールは、魔法ごと自分の命を葬り去った。

後に連なる風の王が、その魔法によって、苦しまないように……。

リティルはもう、インラジュールには会えない。手を貸しすぎたインラジュールとリティルとの間に、友という絆ができてしまった。ファウジはもう、リティルの前に彼を呼び出すことはできないのだ。

リティルの脳裏に、彼の、煙に巻くような甘い微笑みが蘇る。リティルよりも優れた者達が「おまえはわたしが認めた風の王だ」と言う。そう言って、勇気づけてくれる。

それは、今を生きている風の王が、オレだからだと、リティルは思っている。

――丈夫だってことだけしか、誇れるところがねーよ

「にしても、おまえら過保護だよな?もう大丈夫なんだぜ?」

「あら、そう?世界に春が溢れていて、魔物の数が少ないわ。あなたはこの陽だまりでうたた寝していればいいのよ」

「ノインもよく付き合ってるよな?ほぼずっと、オレのそばにいるんだぜ?」

「ゾナの問題集に苦戦していたわね」

「はまってるのかよ!ノイン、どれくらい属性のことわかるんだ?」

リティルは机の上に置かれた本を手に取った。それは、水の魔法について書かれた魔導書だった。どうやら、水の力の込められた魔方陣に手こずっているようだ。

「すべてよ。けれども、使う力は限定しているようね。王の翼、残ってよかったわね」

「腕輪使っていつでも金色にできるってホントかよ?結界の中にも入れそうだって言ってたぜ?そういや、どうやって入ってきたんだよ?この前」

リティルは、リャリスの助言で、ノインに細い金の腕輪を渡していた。リティルの風、王の風を使って作ったアクセサリーに込められた風を使い、ノインは一時的に風の王に扮することができるらしい。

「インファもノインも言わなかったのね?ならば、わたしが言うことではないわね」

インファの血を飲んだなんて、わたしの口からはとても言えないわね。とフロインは思いながら、陽だまりのように微笑んだ。

「戻ってきたら聞いてやろ!……ノインのヤツ、2対1か?」

ジャックとインジュ相手に、今のノインはどれだけ立ち回れるのだろうか?騎士は負けないが、インジュを倒したことはなかった。だが、今のノインなら、インジュを倒せるかもなーとリティルは思って、見に行きたくなった。

「見に行ってはダメよ?」

「わかってるよ!ちぇっ」

フロインに釘を刺されて、リティルは拗ねながら仕事を再開してのだった。


 深淵の闘技場に降りたノインは、確かに2対1だった。

「……オレがこっちでいいのか?」

「そうですよぉ!どうしてボク対2人なんですかぁ!」

隣に並んで来たジャックに、何が目的だ?と視線を向けると、間合いの外に立たされたインジュが猛抗議してきた。

「聞きたいことがあるんだ。インジュ、エンド、おまえ達にな!」

「はい?」

ジャックはニヤァと笑いながら、両手を鋭く振った。10本の爪が長く伸びる。

「おまえ達、死んだ女に現抜かしてるらしいな」

「死っ!ちょっ、ちょっと!物騒なことを大声でぇ!って、死んだ女って、誰です?」

インジュはジャックの言葉に大いに驚き、そして身に覚えがないと首を傾げた。

「……リャンシャンか?」

ノインはとぼけているのか?と言いたげな声を、インジュに投げた。

「え?」

ニタリと笑って、トンッとジャックがインジュに向かい踏みきっていた。

「へえ?庇うのか?ノイン」

インジュの前に割って入った、ノインの展開した透き通った黒色の障壁に、ジャックの爪は阻まれていた。

「――動揺するということは、身に覚えがあるのだな?インジュ」

「ま、待ってくださいよぉ!覚えてることは、いけないことなんですかぁ?」

ジャリッと音がして、障壁が切り裂かれていた。

ジャックが動く。が、いつものキレがなかった。ノインの放った固有魔法・糸がジャックに絡み、動きを阻害していた。光速を封じられては、ちょっと切れ味のいい刃を振るう剣士に成り下がってしまう。それでもジャックは、残忍で隙を窺うような暗い笑みを浮かべていた。爪の届かない獲物を前に、ずいぶん高ぶっているようだった。

「我々は、死に別れる痛みを知らない。だが、グロウタースを見ていて、それがいかに辛いことか理解はしている」

ジャックの10本の爪と、ノインは涼しげに大剣で切り結んでいた。

「それは、そんなに簡単に諦められるものなのかな?インジュ!おまえ、反魂使いたいんじゃないのか?」

ジャックの爪が閃いて、ノインは後ろに身をそらして避け、トンッと踏みきって間合いを取った。

「疑われているな、インジュ」

「ノインも疑ってるじゃないか」

ジャックは心外だと言いたげに、片手を腰に置き、右手を突きつけた。

「えっ!そうなんです!?」

インジュの驚きに答えようとしたノインに、ジャックは襲いかかっていた。そんなジャックには、目に見えにくい細い細い糸が絡みつく。

「死とは何か。本当に憎むべきモノは何かと、死の安眠で、よからぬことを企んだ者が言っていた。そして、種は蒔いたと」

突っ込んで来たジャックを、僅かな動きで脇をすり抜けさせたノインは、ジャックの背をトンッと押してやる。

「本当に憎むべきモノ?種……?種?……それがボクとリャンシャンだって言うんです!?」

蹌踉めいたジャックの背に、ノインの大剣が迫る。

「普通に考えれば、そうなんじゃないのか?死に別れる痛みを知ってるのは、あんただけなんだ。しかも、元恋人と会ってしまったじゃないか!」

ノインの大剣を避けて、ジャックは反撃に出るが、再度展開された黒の障壁に阻まれて爪は通らなかった。

「そ、それはそうですけど……ボク、リャンシャンを生き返らせようなんて、思いませんよぉ!?リャンシャンも、望まないでしょうし」

インジュは困ったように、切り結ぶ2人に言った。

「そもそも!ボク、風の精霊ですよぉ?浮かれてたって、風の理を、死を穢したり冒涜するようなことは、しませんよぉ!破ったら、ボクの中の原初の風、リティルに返していいですからぁ!」

危険物扱いしないでくださいよぉ!とインジュは泣きそうだった。

「ラス、もういいだろ?信じてやれよ」

ジャックはトンッとノインの構えた大剣を蹴ると、空中へ逃れ、前髪を掻き上げた。風が弾けるように解放され、彼のマントが裾の長い上着に変わっていた。

「信じてはいるんだけど。何か見落としているようで、モヤモヤしてるんだ。ノインは、どう思う?」

長い前髪から覗く右目が、金色に戻っていた。上空の彼を見上げていたノインは、大剣の切っ先を下げた。

「!」

 警戒を解いていたはずなのに、背後から襲ってきたかぎ爪に、ノインは反応していた。

「おっと、さすがだなぁ、騎士殿」

大剣で受けたのは、オウギワシのかぎ爪だった。そして、赤く血の色に染まった瞳で、インジュは笑った。その雰囲気は、いつもの陽だまりのような丸い雰囲気の彼とは違い、殺気立って殺伐としていた。

「もう、騎士ではない」

「そうだったなぁ。じゃあ、陛下に習って、兄者と呼ばせてもらうぜ?」

インジュの姿は、変貌を遂げていた。両手両足がオウギワシのかぎ爪に変化し、尻には尾羽までもが生えていた。

インジュの殺戮形態だ。

「好きに呼べ。おまえがエンドか?」

「ああ、お初にお目にかかる。オレはもう1人のインジュ、ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド、愛称はエンドだ。ここでしか話しはできねぇ、レアキャラだぜ?」

がんっとノインを突き放し、エンドは四肢をダラリと下げ、大きな翼を緩く羽ばたいて風を纏うと、その場に浮かんでいた。

「オレからも言わせてくれ。オレ達はリャンシャンを蘇らせようって気はねぇ。それは、風の禁忌だ。オレ達は陛下を裏切らねぇ。何があってもな。ラス、兄者、警戒するのは、オレ達じゃねぇ。蛇女だ」

トンッとラスが舞い降りてきた。

「リャリス?どうして?」

「あいつ、インジュが好きなんだろう?それに、異様に献身的だしなぁ。気にくわねぇ」

「否定的だな」

ノインは警戒気味に、四肢をダラリと下げて浮かんでいるエンドを見やった。

「行くか退くか、どっちかにしてほしいぜ。いい加減」

肩をすくめたエンドに、ラスが問うた。

「エンド君はリャリスが嫌いなのか?」

「今のあの女に、何の感情も湧かねぇなぁ。あの女、欲がねぇのさ。インジュを落としてぇなら、もっと求めてくれねぇとなぁ。インジュは与えたがりだからなぁ。どうしてぇのかわからなくて、インジュのヤツ困ってるぜ?」

エンドはおかしそうに高笑いした。その笑い方が、ジャックとかぶるなと、ノインは思って、ああ、彼は殺さない殺人鬼だったなと思い出していた。

「おまえは、リャンシャンをどう思う?」

「すげぇ魔女だな。風の魔女ってあだ名の種族だったって聞いたぜ?何があったか知らねぇが、ずっと動かなかったインジュの心を、いとも簡単に動かしやがった。インジュに何も求めてねぇのは蛇女と同じだけどなぁ。何が違うんだろうなぁ?」

エンドの内側を見通せないような微笑みに、ノインは彼が理由をわかっているような気がした。

「やっぱり、インジュは今でもリャンシャンが好きなんだ……」

切ないなと俯いたラスに、エンドはフンッと鼻を鳴らした。

「そうなんだろうが、インジュの中じゃぁ、完全に終わってるぜ?ただ、ほろ苦くて暖かい思い出ってヤツだな。それは、危険な代物か?オレはそうは思わねぇ。大事にすりゃぁいい。インジュが動かねぇのはなぁ、単純な話しだぜ?」

ラスとノインは、わからないというような視線をエンドに向けた。エンドは、ハンッと鼻で笑った。

「リャンシャン以上の女がいねぇのさ」

「それを言ったら……」

「蛇女が可哀想ってぇ?ハンッ!あいつにゃぁ期待したんだぜ?智の精霊になる前は、そこそこいい女だったなぁ。自分が何者かわからねぇとか抜かしながら、1本通っててなぁ」

格好良かったと、エンドはハッキリと言い切った。

「なるほど。ならばリャリスにも勝機はありそうだな」

「あるのかな?」

「リャリスはまだ、智の精霊として完全ではない。オレがそうだったように」

「兄者が復活してくれてよかったぜ?でねぇと、親父殿が大変だからなぁ」

「親父殿?……インファか?」

「ああ、雷帝殿はオレの親父殿でもあるのさ。オレはなぁ、あの人が1番好きなんだよ。だからなぁ、親父殿を生かしてくれる陛下、親父殿を助けてくれるあんたも好きだぜ?絶対服従だからなぁ、何でも言ってくれ。殺し以外、何でもしてやるぜ?」

「それはありがたいが、おまえはここ限定なのだろう?」

「インジュの中から見てるし、聞こえてるぜ?インジュにエンドって呼びかけてくれ。インジュに通訳させるさ。で、ってこともねぇんだけどなぁ、兄者」

「なんだ?」

「無理矢理交代したら、インジュのヤツ寝ちまってなぁ、しばらく起きそうにねぇ。あんたとは、殆どやり合ったことねぇんだ。遊ばねぇ?」

「本気で行って、いいのだろうな?」

「ハッハア!いいぜぇ?怪我とか気にするな。半身吹っ飛んでも、どうってことねぇ!」

楽しそうに突っ込んで来たエンドをスルリと躱して、ノインは長剣を構えた。

「ノイン!さっきはなぜ大剣だったんだ?」

観覧席に舞い上がったラスが、戦い始めたノインに叫んだ。

「ジャックの爪、長剣では防ぎきれない」

エンドのかぎ爪を躱しながら、ノインの反撃が彼の羽根を散らした。しかし、散った羽根が風を纏って矢のように飛んでくる。ノインは何かをたぐり寄せるような仕草をした。

途端に羽根が弾かれていた。細い威圧感が薄れるのを感じ、エンドは好機とばかりにかぎ爪を振るう。威圧感の隙間を縫い、エンドのかぎ爪がノインの腕を掴――

「甘い」

仕掛けたエンドは、突如見えた黒い網に捕らえられていた。

「アハハ、生け捕りだ」

「ラス!てめぇ!くそっ!降参だ」

ラスに上から笑われて、一瞬殺気立ったエンドだったが、身動きが取れずに観念するしかなかった。ノインは興味深そうに「ラスの事は名で呼ぶのだな?」といいながら、網を解いてやった。エンドはブスッとしながら「ラスは相棒だからなぁ!」と言った。

 ラスと入れ替わりに観客席に上ったノインは、戦闘指南してくれと言われて、エンドとラスの試合を眺めていた。

彼等の楽しそうな戯れを見つめながら、ノインはリャリスのことを考えていた。

エンドは、彼女は危険だと言ったが、すでに死んでいるリャンシャンがリャリスの恋敵になどなりえない。

 そもそも、我々は何を警戒しているのか。

ノインはあの死の安眠での出来事を思い返した。

インティーガが狂ってしまったのは、恋人を失ったからだった。

短絡なとは思ったが、愛する者を失ったことのないノインには、想像はできても完全に理解することなどできない。

もし、リティルを失ったなら、わかるのだろうか。死の蓋に抗うリティルを手にかけようとしたインティーガの姿に、怒りが湧いた。彼を斬ることに、躊躇いは一切なかった。彼の行ったことの究明をするために、問答無用で斬ってはいけないとわかっていたが、インラジュールのように冷静ではいられなかった。

インティーガ――そもそも彼は本当に風の王なのだろうか。

インラジュールもリティルも、おそらくインも、当たり前のように死という力を守っていた。死を守ることで、生きている者を守っている。当たり前。それを守ることが風の王の心ではないのか?

彼は、何を求め、今死を正しく導きながら、生きとし生けるものを守るリティルを、手にかけようとしたのだろうか。

もしも、シェラを失ったら、リティルも狂うのだろうか。その死のために、誰かの生を踏みにじるような行いをするのだろうか。

フロインを失ったなら、オレにもその気持ちがわかるのだろうか。

インティーガの蒔いた種が、死した者をもう一度手に入れたいと思う心だとすると、その先にあるのは蘇りだ。反魂という、禁忌。理論だけはずっと昔から確立しているが、グロウタースの民には、最後のピースが手に入れられないために、決して成功しない禁断の術。

反魂を求める可能性のある者は、インジュだけだ。だが、彼は正しく風の精霊だ。リャンシャンとの別れを見てはいないが、おそらく引き留めることなく見送ったと信じられる。現時点で、インジュが反魂を求めることはあり得ないと言い切れる。

エンドの警戒するリャリスが、反魂を?彼女が反魂に手を染めるとしたら、いったい誰を蘇らせようというのだろうか?

「えええええ!?ここで代わりますぅ?」

インジュの素っ頓狂な声に、ノインは我に返った。そう言いながらもインジュは、きちんとラスの放つ6属性の攻撃魔法に反応していた。

旋律の精霊・ラスは、光、闇、大地、風、水、火の力を常に100パーセントの力で使える、六属性フルスロットルという特殊能力があるのだった。

古参の精霊から、人間へと転成し、そしてリティルの手で再び精霊へと転成したラスは、人間時代クォータースタッフを操りながら魔法を使う、直接攻撃にも長けた魔導士だった。

ノインも一目置く、戦闘技術の持ち主だ。彼ならば、エンド、インジュ相手でもそこそこ戦えるはずだ。

 ラスの周りには、6属性を封じた6つのオーブが浮かび、彼はそれを巧みに回して魔法を放っていた。インジュは武器を使わないが、その手の平には、どんな属性の力も消し去り時には跳ね返す固有魔法・反属性返しが展開されている。そして、インジュの格闘はまるでダンスのように軽やかで華やかで、何かショーを見ているような気分になる。

連続で放たれる6つの力の嵐を、文句を言いつつも掻い潜るインジュは、殺せない戒めがなければ、世界最強といってもいいなとノインは感心していた。あの魔法の嵐、オレでも骨が折れると苦笑してしまった。

 それにしても、元恋人と邂逅してしまい、愛を確かめ合ってしまったにもかかわらず、反魂にまったく興味を示さないインジュ。

リティルを絶対に裏切らないと言い切る彼の1番は、誰なのだろうか。

騎士だったときのノインの1番は、主君であるリティルだったらしい。今は?誰とは言えないなと、ノインは思った。

妻のフロインも、弟のリティルも、相棒のインファも皆それぞれの土俵の1番で、決められない。

欲深いことだなと我ながら思うが、この城の家族を守れるなら、この身に多少傷がつこうが、この禁断に属する力を使えるなと思ってしまった。情の力とは恐ろしいモノだなと、ノインはボンヤリ思っていた。

「ゼエゼエ、勝ちましたよぉ!どおですかぁ!ラス」

「ハアハア、うん……負けたよ……」

6属性を封じたオーブをすべて割られて、勝敗は決した。というより、ラスには勝つ気がなかったように見えた。

ノインは、手合わせではなく、戯れて遊んでいるようにしか見えなかったなと思いながら、さて、これに感想を述べねばならないのか?と思ってしまった。


 期間限定の恋。

それを承知だったとしても、それで、本当に割り切れるモノなのだろうか。

モヤモヤを抱えながらリャリスは、未だシェラとセリアが通っている花園にいつの間にか来ていた。

リャリスにとって花園は、あまり足を運びたくない場所だった。花たちは、リャリスの姿を遠慮のない感情剥き出しの視線で見てきたからだ。遠巻きにヒソヒソと、中には聞こえるようにわざと言う者もあるのだった。

「リャリス?どうしたの?」

そんな花たちの声が聞こえたのだろうか、セリアが足早に近づいてきた。そんな彼女の姿に、リャリスはホッとした。

「お姉様」

縋るようなリャリスの様子に、セリアは手を掴むと歩き始めた。

「インジュがまた、デリカシーのないことしちゃったの?」

「え?いいえ、そんなことありませんわ。ただ、何かモヤモヤしてしまうのですの。お姉様、死んでしまった人のことを、そんなに簡単に割り切れるモノなのですの?」

セリアは、うっと押し黙った。

 セリアは、何の前触れもなく、インファと8年間離れ離れになったことがあった。インジュもリティルも、インファは死んだと思っていた。インファは死んではいなかったが、8年間音信不通だった自覚はあり、セリアは彼から思い出にされていると思っていたと言われた。しかし、セリアはインファを忘れられずに、8年間哀しみを背負いながらも、風の城を出ることはなかった。

「……わたしは、割り切れなかったわね……だからまだ、雷帝妃やってられるんだけどね。でも、あの子は、インジュは、2人の女の子を思い出にしてるわ」

「思い出……そうなのでしょうか?」

「そうよ!リャンシャンのことを、インジュが蒸し返したことなんてないわ。今の恋人は、リャリス、あなたよ?もっと堂々としてなくちゃ!」

恋人……そうなのだろうか?リャリスは、私は違うと、そう思えてならなかった。

インジュは避けないでくれと言ったが、避けているつもりはなかった。智の精霊として覚醒するために、インファとゾナに師事して勉強していて、応接間にあまりいられなくなっただけだ。それに、恋人でもないのに、べったり隣にいるのは気が引けた。

恋人ではない。私がインジュを好きなだけだ。インジュが好きなのは――

「リャリス?風の城で何かあったの?」

シェラの声に、俯いていたリャリスは即座に反応していた。

「いいえ!何もないですわ!」

桜の木の下に、シェラが座っていた。その膝に頭をあずけて、桜の精霊が横になっていた。思わしくないようで、彼女は顔は上げたが起き上がる事はできなかった。

散るのだ。リャリスは悟った。彼女は、次に咲くための死を迎えるのだ。

それで、皆既日食は終わったというのに、シェラとセリアが殆ど城に帰ってこなかったのかとわかった。

 急に尋ねてきたリャリスに、優しく微笑みながら、シェラは首を傾げたが、すぐにサクラに視線を戻した。

「サクラ、リティルを呼ぶわ」

「いけません……!わたしは、そんなつもりは、ないのです……!」

シェラは首を振った。そして、優しく頭を撫でた。

「いいのよ。すべて忘れてしまうとしても、未練を、残さない方がいいわ」

「ですが……リティル様は……困るのでは……?」

「見送ることが、あの人の務めよ。リティルを好いてくれてありがとう」

え?リャリスは驚いた。サクラは、リティルを好きなのだ。それをシェラが知っていて、想いを告げなさいと背中を押していることも驚きだった。

シェラは、リティルに花園へすぐ来てくれと、内容を告げずに連絡していた。リティルは当然首を傾げていたが、わかったと応じてくれた。

「あなたは、お父様が好きなのですか?」

「ええ……花のわたしが、わたし達の姫様を娶られているあの方を、選んでしまった罪深さは重々承知しています。秘めて逝くつもりでした。こんなことを告白されても、リティル様は困るだけだと、わかっているのですから……」

サクラは、桜の木に身を預け、シェラの膝から退いた。

「お母様、いいのですの?」

「ええ。リティルがどんな対応をしたとしても、わたしは何も知らないわ」

そう言ってシェラは、セリアを伴ってサクラのそばを離れていった。サクラは、眠りに落ちそうな瞳で、儚く、そして美しかった。こんな人に想いを告げられて、お父様は平気なのだろうかと思えるほどの魅了の力を放っていた。

――リティルがどんな対応をしたとしても、わたしは何も知らないわ

シェラも不安なのだと悟った。だがシェラは、サクラの背中を押したのだ。

散ってしまえば、好いていた記憶は、身を離れる花びらとともになくなってしまう。儚く散る想いなら、せめて受け取るべき者に受け取ってほしい。

シェラも、花を咲かせ実を結ぶ、花なのだなとリャリスは思った。

「リャリス?おまえ、こんな所来てて大丈夫かよ?花は、ほら、あれだからな、おまえ、言われたくないことも言われちまうだろ?」

リティルの声に、リャリスは飛び上がるほど驚いた。は、早い!と思って、シェラがゲートで呼んだのだと思い至った。花を散らさないようにと、ここまで歩いてくる気遣いが、お父様だなとリャリスは思った。

「お、お父様……!わ、私のことより、この方!この方と、お話ししてくださいまし!」

そう言って、リャリスは振り切るようにして、滑り去った。

「ああ?なんだ、あいつ。っと、ごめん、君がオレに用事だったのかよ?えっと、サクラ、だよな?……おい、オレが近づいて平気なのかよ?」

リティルは、サクラが散りそうなことにすぐに気がついて、立ち止まっていた。サクラはかまわないから近くに来てくれと懇願したのだった。

「風当たりの強いときに、ここへ足を運んでくださって、ありがとうございます」

「いいよ。花が噂好きで、ある事ない事言えてるのは、世界が平和な証拠だぜ?」

何のことはないと笑うリティルに、サクラは恐縮したように首を竦めた。シェラの事は無条件で慕うくせに、花たちはセリアのことも妙な噂を立てる。それでもセリアはものともせずに、笑っていた。

彼女はルキルースの精霊で、幻惑の暗殺者とあだ名される精霊だ。雷帝・インファに色目を使って妃の座を手に入れただの、弱みを握って脅しただの、口汚く噂していた。

風の王の副官の妃に、ただ綺麗で力のない精霊がなれるはずがない。サクラは、セリアはふさわしいと内心思いながら、もはや彼女達と話す気力も失せていた。真っ新になって生まれ変われば、サクラも、彼女達と同じように口汚く噂するようになるのだと思うと、何も考えたくはなかった。

花は実を結ぶ為に恋するモノ。美しく咲き誇り、自分よりも美しい者、優れている者を妬む。花に妬まれる者は、裏を返せば、優れていると、美しいと認められているのだ。

「リティル様、インティーガ様をお許しください。インティーガ様が、道を踏み外してしまわれたのは、花のせいなのです」

サクラは、桜の木に背を預け、そばまで来てくれたリティルを眩しそうに見上げていた。

 ああ、いけない見とれてしまった。とサクラははたと我に返り、口を開いた。

「インティーガ様は、花の姫様と恋仲でした。花の姫様は奔放なお方で、ゴリ押してしまわれたのです」

「へー」

ゴリ押しって……まあ、シェラも似たようなものだったような……と懐かしく思いながら、リティルはサクラの話しを聞いていた。

まあ、風の王の心を勝ち取ろうというのだ。待っていては、秘めていては、手に入らない。

リティルも、目覚めた時から風の王だったなら、シェラと魂を分け合って、夫婦になったかどうか怪しい。シェラは今でも、リティルの触れがたいお姫様だ。散々夫婦をやってきて、彼女が勇ましい戦姫だとしても、リティルには守るべき姫君だった。

それ以前に、命を奪う風が、命を産む花には触れがたい。あのインラジュールでさえ、花の姫には指1本触れていないのだ。魔法に精通していたインラジュールは、花の姫と風の王が反属性で、相性最悪で、なのに番であることはリティル以上にわかっていた。

だから、好きだと言ってくれた当時の花の姫を、たった一言で振ってしまったのだろう。

それは、花の姫を守るためだった。歴代の風の王は触れないという選択をして、愛する者を守っていたのだ。

「そして、自分を犠牲に、インティーガ様を救い、散ってしまわれました。花は不死身の精霊です。花の姫様は再び咲きましたが、記憶をなくしてしまわれました。そして、花の姫様はまるで手の平を返すように、尋ねてきたインティーガ様を、追い返してしまわれたのです。そして、あのお方は変わってしまわれたのです」

サクラは、ハアと息を吐き、一旦言葉を切った。

「リティル様、花は浅はかです。そして愚かです。これだけのことをしていただいても、わたし達には響きません」

サクラは、詫びるように頭を垂れた。

「いいんだ。オレは、オレのやりたいようにしかやってねーんだ。恩を売ろうとか思ってねーから、気にするなよ」

リティルの明るい声に、サクラは顔を上げた。

「リティル様、わたしはあなたを、お慕いしておりました」

「へ?……はあ?ま、待てよ!君とオレ、そんな惚れられるほど接点あったか?」

サクラはゆっくりと首を横に振った。

「言葉を交わしたことはありません。あなたは、ノイン様に恋して、フロイン様を貶めたキンモクセイを案じてここへ来てくださいました。わたし達は散ってしまえば、記憶はなくなってしまうというのに、あなたは、それでもキンモクセイを案じてくれました。本来ならば、リティル様に断罪されてもおかしくないことを、あの娘はしてしまったというのに」

キンモクセイは、ノインが騎士だった頃から彼の事が好きだった。力の精霊に転成し、記憶を失った彼を一時支えたのは彼女だった。しかしノインは、記憶を失ってもフロインへの想いだけは忘れずに、それはそれは危機迫る勢いで、フロインを口説き落としてしまった。身を引こうとしていたフロインは、ただただ困惑して迷っていたが、リティルに背中を押されて、再び魂を分け合って夫婦になったのだ。

それは、美談だろうが、キンモクセイには辛い出来事となってしまった。

ノインに斬られることを望んだ彼女を、その結末を、リティルは放っておくことができずに、花園を訪れた。

対応してくれたのはボタンだったが、サクラはあの場にいたのだろうか。

新たに咲いたキンモクセイは、記憶をなくし、風の王であるリティルを恐れながらも元気だった。対応してくれたボタンに確かめてみたが、大丈夫だから気にしないでという返答だった。それ以上関わって、心に残る何かを刺激してしまうわけにはいかないと、リティルはそれっきり花園を訪れてはいなかった。

「……自己満足だぜ……?キンモクセイが思い詰める前に、止めることはできたんだ。オレは、知ってて動かなかったんだぜ?」

ボタンにはそう言われて責められた。あなたなら、止めることができたはずだ!と。

リティルには止めるのは簡単だった。キンモクセイの、もしかするとノインが振り向いてくれるのでは?という淡い期待を打ち砕き、失恋の痛みを慰めることなど、実はリティルには簡単だった。

しかし、リティルはそれをせず、1人、心に翻弄されたキンモクセイは、フロインを殺そうとまで画策して、妻を傷つけられたノインに斬られるという終わりを迎えた。

そんな恋の終わりを、哀しみを、花たちは止めなかったリティルのせいにした。

そして、キンモクセイを被害者に仕立て上げてしまった。力の精霊・ノインの評判を落とし、略奪したのはフロインだと事実をねじ曲げた。

しかし、あのしたたかな風の城の執事が、いとも簡単に噂を吹き消し、ノインとフロインの夫婦の恋物語は記憶を失っても失われない愛として、イシュラースに定着させてしまった。いったいどうやっているのか、サクラも旋律の精霊・ラスの手腕には恐怖を抱く。

しかし、すべての花がそう考えているわけではない。それも、ある種の想いの成就だった。

リティルは、恋の終わりをキンモクセイ自身に選ばせただけだ。サクラたち樹木の花はそれを理解していた。

「あなたは、行く末を見守る者。それでいいのです。わたしも、浅はかな花です。話したこともないあなた様を一方的に慕い、そして、想いを告げて……散ってしまうというのに……」

サクラは、瞳を伏せた。彼女の髪から、ハラハラと桜が散る。

「……ありがとな」

「え?」

「ありがとな、オレを好きだって言ってくれて。でも、ごめんな。嘘でも、答えてやれねーんだ。君とオレしか知らなかったとしても、オレは、王妃を裏切れねーんだ。君の心だけ、もらっておくよ」

「いいの……ですか?わたしの心を、もらってくれるのですか?」

――わたしを、覚えていてくれるの?今初めて会った、こんな誰ともしれない花の事を?

サクラは、ありがとうという言葉すら、意外だった。「オレには妃がいるぜ?」で終わりだと思った。こんな恋心など、笑いに吹き消されてしまうと思った。

けれどもリティルは、笑うことなく、受け止めてくれた。恋を司っているはずの花の精霊達がうまくいきっこないと笑う、こんな心を大切に……。

「くれるんだろ?だったら、もらっておくぜ?オレの心はやれねーけどな」

そう言って、リティルは照れたように笑った。そんなリティルの笑顔に、サクラは泣いていた。惨めな気持ちで、散るのだと思っていた。それが、こんな幸せな気持ちで散れるなど、思っても見なかった。

「リティル様……あなたを好きになってよかった……。リティル様、グロウタースの八百万という島を知っていますか?」

「八百万?ああ、小さい島だな。いろんな花を愛でる文化のあるところだな」

「リティル様が守ってくださったおかげで、桜たちは今年も咲き誇ることができました。シェラ様と、お花見してください。桜の妖精達は、きっと歓迎してくれます」

「わかった。きっと行くな!」

頷いて笑ったリティルに、サクラも微笑み返した。散り際のサクラの美しさに、目を奪われそうになって、リティルは慌ててシェラを思い浮かべたことは、誰にも内緒だ。

 期間限定の恋。

花の命は短く、移り気だ。散ってしまえば、気持ちを新たに恋をする。

ああ、この幸せな気持ちだけ、忘れたくない……。

誰に恋した心なのか忘れてしまっても、幸せな恋をしたことだけ、忘れたくない。

『さようなら、リティル様。もう花園には足を運ばないでください……わたしはあなたを、傷つけたくありません――』

花が風を恐れるのは、出会えば花が風に惹かれてしまうからでは?サクラは、無数の花びらに変わっていきながら、そんなことを思っていた。

花は散る者。風は花を散らす者。恋する花を、風は優しく拒絶する。オレでは幸せにできないからと。

そんな風に、世間知らずな花が恋しないわけはない。恐れが、悲恋にしかならない花と風を守っているのでは?

「ああ、オレはグロウタースで、君を、君たちを愛でるよ。それくらいならシェラも、許してくれるぜ?」

『リティル様……そんなあなたが……愛しい――』

ザアッと散った花びらが、リティルを包んでいた。淡いピンク色の花びらの洪水の中、リティルはそっと瞳を閉じた。

「サクラ、さよなら。ありがとな」

サクラの、控えめな残り香がリティルに移っていた。彼女がくれた、贈り物だ。

 リティルは、フッと小さく息を吐くと、気配に振り向いた。

「怒るなよ?シェラ」

別の女性の香りを纏ってること。と、リティルは複雑そうな顔で、背後から近づいてきたシェラを伺った。

「わたしが望んだことだわ」

「はあ、オレもモテたりするんだな。これ、寝室に置いておいていいか?」

風を操ったリティルは、サクラのくれた香りを、小瓶に閉じ込めた。桜色の花びらの混ざった液体が、桜の刻印がされた丸っこい小瓶に封じられていた。このまま香水として使えそうだった。

「ええ。持っていてあげて。彼女の姿は、わたしの姿だったかもしれないわ。わたしとあなたが、風の王と花の姫という立場で出会っていたなら、あなたは決してわたしを選ばなかったでしょう?」

哀しそうに視線をそらすシェラに、リティルの脳裏にインラジュールの声が蘇っていた。

――おまえ達が、精霊として出会っていたなら、叶わぬ恋だったことだろう

すべての世界を行き来する権限を持ち、戦う事を運命づけられた精霊。それが風の王。

世界を渡るゲートである次元の大樹・神樹の娘として、母なる大樹の開くゲートを通る風の王を見送る精霊。それが花の姫だ。

仕事のたびに顔を合わせる、美しい姫に告白されて、それをずっと拒み続けるのは苦行だなとリティルは苦笑をかみ殺した。姫の性格にもよるが、元風の王のルディルは、元花の姫のレシェラに猛アタックされて落ちたと聞いた。

13代目風の王・インティーガも同じだった。

シェラは、淑やかで清楚に見えるが「あなたを守りたい」と迫ってきた姫で、リティルは落とされた。

インラジュールは、おまえは拒み続けただろう?と言ったが、そんな理性が強く見えるのだろうか。シェラ相手に、自信はないなとリティルは思った。

「そうか?君はオレが落ちるまで、押しまくってきたに決まってるぜ?」

「あなたは、グロウタースの民だったときも、落ちなかったわ。わたしは、何度振られたかしら?」

まだわかってねーのかよ?とリティルは呆れた。シェラには、オレがどう見えてるんだ?とリティルは未だに疑問だった。背も、彼女より低くて、童顔で、心配ばかりかけている。惜しみなく与えて守ってくれるシェラが、綺麗で、手放しがたくて、リティルは拒まないシェラの手に甘えているだけだった。

「はは、落ちてたさ。オレ、一目惚れなんだぜ?」

冗談のように笑うリティルに、シェラはたわいない幸せを感じる。眩しく光り輝いて「必ず、君の所に帰るよ!」と誓いを守り続けるリティルが、シェラにはかけがえなかった。

一目惚れなんて、そんな嘘で煙に巻かないで。出会った頃のシェラは、使命というよくわからないモノに従って生きる、人形でしかなかった。

リティルは同じように背負わされていたのに、使命とか宿命とかの外側にいて、しかし宿命を軽んずることなく、自分の意志で生きていた。そんな人が、人形なんて見初めるはずがない。リティルの輝きに魅せられて、縋ってしまったと、シェラは思っていた。

「嘘ばかりなのだから」

――君以上に、オレの心を掴んで放さないヤツなんて、いねーよ

――あなたはわたしの幸せ。この幸せを手放すことなどできないわ

――伝えねーとな。オレが君を好きなこと

――知っていてほしいのよ。わたしが、あなたを愛していることを

「セリア、リャリス!オレ達これからグロウタース行ってくるな!インファとノインに、適当に言っておいてくれよ!」

複雑そうな物言いたげな顔のシェラの手を取り、遠巻きにしていた2人にリティルは声をかけていた。声をかけられ、2人はすぐさま近づいてきた。

「グロウタース?リティル様、どこに行くの?」

「ハハ、内緒。シェラとデートだ。邪魔するなよ?」

そっとシェラに行き先を耳打ちすると、リティルは「じゃあな!」と明るく笑って、シェラの開いてくれたゲートを通って行ってしまった。

「デートって、リティル様ったら埋め合わせのつもりなの?」

「お父様が、心を受け取ってしまったからですの?」

「うーん、どうかしら……?リティル様って、すごく優しくて、シェラ様は凄く寛大だから。もし、リティル様がサクラとキスしてても、許してたかも?」

「えっ!それは、お姉様、許せますの?」

「わたしは無理よ!インファが別の人と手を繋いだだけでも暗殺できるわよ!」

「お姉様……それは少し、大人げないですわ」

「そおかしら?手に入れたのに、少しでも譲るなんて無理よ!」

帰りましょう!とセリアはリャリスを促して、風の城へ帰還した。

――手に入れたのに、少しでも譲るなんて無理よ!

リャリスもそう思う。シェラの行動も、リティルの対応も危うかったのでは?と思っていた。


「わたしなら、許さないわ」

風の城に帰還したセリアとリャリスは、花園での出来事を話題にしていた。

インファとノインは、リティルがシェラに呼び出されたその時共にいた。花園は今、今でなくとも風の王には常に風当たりの強い場所だ。それを知っているシェラからの要請で、何か大変なことでも起こっているのか?とインファも一緒に行こうか?と言っていたのだった。まさか、散りゆく花に告白させるためだったとは、インファが気がつくはずもなかった。

それを聞いたフロインは、キッとノインを睨んだ。真横から睨まれたノインは、苦笑いするしかなかった。

「君は、キンモクセイには、寛大だったと記憶しているが?」

「あれは……わたしはあなたの神経を疑うわ」

フロインは真顔だった。

「反省しているが……オレの妻は手厳しいな」

「ノインが眼中になかったために、フロインは心臓を止められましたからね。気をつけてください。あなたの顔は、オレとほぼ同じですから」

男性でも、思わず二度見してしまうほどの、華やかな美形であるインファは、ニッコリ微笑んだ。

「おまえほど、オレは目立たない」

そう言い切ってしまうノインは、インファよりも2、3才年上で背も高い。インファほどの華やかさはないが、落ち着いたクールな印象があり、女性よりも男性のほうに憧れられる方が多いことには多かった。

「お兄様……サクラに記憶が残ってしまったら、サクラは、お父様を諦められますの?」

「無理でしょうね。第2のキンモクセイまっしぐらです」

インファの言葉にリャリスは身震いした。

「危ない橋を、渡りましたわね!」

「まったくです。そんな生ぬるい振り方ではダメです。父さんは、自分にモテる自覚がありませんからね」

「あら、あなた以外、モテる自覚のある人はこの城にはいないわ?」

フロインは皮肉を込めてインファを睨んだ。睨まれたインファは、とばっちりだと苦笑した。

「フロイン、あれはレアケースだ」

「無自覚1号ね」

セリアがノインにズバッと言葉を突き刺した。

「騎士時代、そんなにモテましたの?」

セリアとフロインの険悪さから、リャリスは問うていた。

「……不安になってきたわ……」

フロインは何を思い出したのか、俯いてしまった。そんな妻の様子に、ノインは少し困って、向かいのインファに視線を投げてきた。

「モテる要素、オレにあるのか?」

インファはニッコリ笑った顔のまま、しばしノインを見つめていたが、記憶のない彼には言わなければいけないと思い直したようだった。

「あなたは、女性に対して無防備ですからね。せめて、アプローチには気がついてください。フロインの美しい翼に、イタズラされたくはないでしょう?」

「!フロインに危害が及ぶのは、許してはおけない」

「あなたの交友関係に口を出す気はないけれど、していいのなら、返り討ちにするわ?」

「下心がある時点で、友人ではありませんわよ?でも、これでわかりましたわ。諦めることなど、無理なのですわ!」

リャリスは、確信を得たりという顔をした。

「リャンシャンのことですか?彼女が他界して久しいですよ?インジュはとっくに思い出にしています」

インファの言葉に、リャリスはシュンとした。

「……忘れられる、ものなんですの?」

「リャリス、リャンシャンに拘ってるけど、何かあったの?」

セリアが心配そうに伺ってきた。

「……インジュが…………いいえ!何もないですわ!」

リャリスは、インジュとリャンシャンの別れのキスを思い出して切なくなったが、それを言いふらすのは違うと思い直して「勉強してきますわ!」と笑うとシュルリと城の奥へ続く扉に向かった。セリアの呼び止める声が聞こえたが、扉を開く音で聞こえなかったふりをして、リャリスは廊下に滑り出ていた。

そして、意を決してその場所に向かったのだった。


 リャリスは冷たいらせん階段を降り、鉄の扉を開けた。

あのとき、初めて降りたその部屋は、皆既日食の異様な光に照らされていた。だが、今は明るい疑似の太陽が部屋を照らし、花曇りの淡い空気が満たしていた。

桃源郷――グロウタースに伝わる死後の幸せの国だ。

「リャリス?何じゃ、どうしたのじゃ?」

珍しいと思ったのだろう。浅黒い肌の老人が、立ちすくむリャリスの前に舞い降りてきた。

「ご、ごきげんよう、ファウジ。あの……死者に、会いたいのですわ」

「……仕事ではなさそうじゃが?」

「私的なことですのよ。断ってくれて、かまいませんわ」

ファウジは少し思案したが、こっちへと水榭に案内した。

水榭の中には、艶やかな飴色に塗装された、丸いテーブルがあり、そのテーブルの真ん中には、一抱えもある大きな水晶球が嵌まっていて、淡い金色の光が渦巻いて瞬いていた。

「して、誰に会いたいのじゃな?」

「……リャンシャンですわ」

「リャンシャン?インジュの元恋人の女性か?……なるほどのう……」

ファウジは何かを察したようで、厳つい顎をさすった。

「リャリス、智の精霊のそなたに言うことではないがのう、死すればすべて終わりじゃ。この世は、生者同士が作る物じゃぞ?」

「ファウジ、ご心配、ありがとうございます。けれども、私、あの方と話しをしてみたいのですわ」

あまりいいこととは思えないが……とは思ったが、思い詰めた瞳のリャリスに押されてしまった。

「死した彼女が、そなたを脅かすことはないということ、心せよ。そしてのう、インジュとあの者は、すでに決別しておること忘れてはならぬぞ?」

決別……けれども、インジュは逢えたらまた愛し合えると言った。彼女はどうなのだろうか。いや、それよりも、彼女がどんな人なのか知りたかった。

 ファウジは渋々ながらも死者召喚を行ってくれた。

夜だとわかる風が渦巻き、風が解れて消えると、五色の羽根を腕に生やした、鷲の足を持つ背の低い女性が立っていた。彼女は感情のない瞳を瞬きした。どうやら、ここはどこだ?と思っているらしい。

「ソラビト族のリャンシャン、でよろしくって?」

リャンシャンは空のような青色の瞳で、リャリスを見ると頷いた。リャンシャンはリャリスの姿に別段心を動かされはしていない様子だった。

「あなたからは、懐かしい風を、感じる」

たどたどしく、リャンシャンは言った。

「懐かしい風、ですの?」

リャンシャンは頷いた。

「源流の風。わたし達の、父の風」

「そんなことが、わかるんですの?」

リャリスの驚きに、リャンシャンは首を傾げた。

「私の父は、5代目風の王・インラジュールですわ」

「?わたし達と、同じ?」

「そうですわ。私はリャリスと申しますわ」

「わたしは、リャンシャン」

本当に表情の動かない娘だなと、リャリスはリャンシャンを観察していた。けれども、美しく、女からみても魅力的に映った。彼女はこちらから働きかけなければ、動かないと聞いていたリャリスは、単刀直入に話を進めることにした。

「あなたは、インジュの恋人だったのですの?」

「恋人……そう、わたしは、インジュ――様の、恋人だった」

「今、インジュをどう思っていますの?」

「愛する、人」

リャンシャンは簡潔に、そう言った。無表情の彼女が、揺るぎなく見えてリャリスは気圧されてしまった。

「インジュのそばにいられるとしたら、いたいと思いますの?」

「いる。インジュ――様の、望み。わたしの、望み」

「今現在も、インジュの心にいると、そうおっしゃりたいの?」

「わからない。わたしは死んでしまった」

「いますわ。あなたは今もインジュの心にいますわよ!」

それを聞いて、リャンシャンは僅かに笑った。嬉しい。その感情以外何もない笑みだった。「インジュに、逢いたいと思いませんの?」

「逢えない。わたしは、死んでしまった」

「インジュが逢いたいと、そう願ったならどうですの?」

「インジュ――様、願わない。インジュ――様、風の精霊」

「なぜですの?なぜ、お二人とも同じ答えなのですか!好きなのでしょう?なのに、なぜ、言わされなければ、言わないのですの?」

怒鳴られたリャンシャンは、ビクッとしたが表情は動かなかった。そして、視線をチラリと右上に投げ、ややあって、再びリャリスに戻した。

「愛する、だから、望めない。未練、あった。わたしは、愛する、わからないだった。ここが苦しい、だから、命返してしまった。インジュ――様の、涙、口づけに、気がついた、遅かった」

リャンシャンは、命の灯火が消えるその時、インジュのしてくれた別れの口づけで、愛し愛されていたことを気がついた。けれどももう、遅かった。

わかっていれば、いや、愛されていることをわかっていたとしても、グロウタースの民だったリャンシャンは、いつか同じ選択をしただろう。精霊とグロウタースの民。越えられない異世界の壁が、確かにあるのだから。

「リャンシャン、私ならば、その願い、叶えられてよ?」

「蘇る、できない」

「蘇りではありませんわ。私も風の王の娘、禁忌は心得ていましてよ?インジュのそばにいたいと思いませんの?」

「インジュ――様、望まない」

「あら?望みましてよ?だって、インジュはあなたのこと、愛していますもの」

「インジュ――様の、心に、わたしはいる……」

リャンシャンが動揺したのが、リャリスにはわかった。彼女は聡明だ。風のこともきちんと心得ている。インジュの傍らにあれば、彼の為にすくすくと育っていくだろう。インジュはそんな彼女を、正しく導く。そしていつしか、インジュの願いは成就するだろう。

欲望を取り戻し、豊穣を司れるだけの産む力を発揮できる。

「そうですわ。リャンシャン、何も心配いりませんわ。誰も傷つきませんのよ?そして、あなたは、インジュの傍らにいることができるのですわよ?」

素敵じゃありませんこと?とリャリスは目を細めた。

「代償がない、あり得ない」

リャンシャンは首を横に振った。代償と見返りの理を知っているなんて、彼女は思った以上に知識があるなとリャリスは思った。奴隷と聞いていたが、教育を受けていた?いや、インジュが教えたのだろうか。

「私は智の精霊ですのよ?支払う対価を、最小限にすることなど造作もないですわ。けれども、私、望んでもらわなければ与えられなくってよ?」

そう言ってリャリスは、4本あるうちの1本の手を差し出した。

ジッと見つめていたリャンシャンは、しばらく動かなかったが、手を怖ず怖ずと持ち上げ始めた。それを同意と強引にみなして、リャリスは彼女の手を取っていた。

「!」

いつの間にかリャリスの手に握られていた小瓶の口が、リャンシャンに向けられた。吸い込まれる感覚を覚え、リャンシャンは思わず目をつぶっていた。恐る恐る瞳を開くと、リャンシャンは小瓶の中にいた。上を見上げると、リャリスの手によってコルクの蓋がしめられる所だった。

 ガラス越しに見えるリャリスが、妖艶に微笑んでいた。その微笑みを見たリャンシャンは、わたしは取ってはいけない者の手を、取ってしまったのでは?と不安になった。

「リャリス!何をしておる!」

「風の理に、触れるようなことはしませんわ」

ヒュンッと風を切って舞い降りてきたのは、骨となったハゲワシの翼を持った風の精霊だった。

「インジュの願いを叶える為に、彼女が必要なのですわ!」

リャリスの手が手を振り上げると、花曇りの空に突如暗雲が立ちこめた。

「傷つけるつもりは、ありませんのよ?」

「ぬお!その割に、容赦ないように見えるがのう!」

雨のように雷が降り注ぎ始め、ファウジは逃げ惑うしかなかった。その隙に、リャリスはシュルリと出口を目指して行動を開始していた。

「リャリス!」

追おうとしたファウジは、毒の霧と雷の雨に阻まれ、完全に動きを封じられていた。

「リャリス殿、これは何のマネでありまするか?」

降ってくる雷に打たれても平然としながら、行く手を遮ったのは無常の風、司書・シャビだった。

「体に傷をお付けになると、お父様に叱られますわよ?」

白すぎる顔と肌で、雷に打たれた焼け焦げが一際目立つ。

「今、あなた様を逃がしてしまうことこそ、お叱りを受けるかと」

「あなた、痛覚がなくなっていること、お父様のお耳に入れた方がよろしくってよ?」

まったくこの城の住人は……とリャリスは呆れてため息をついた。そこまでしなくとも、お父様はお強いですわよ?とリティルを心配するあまり、盲目となっているようなシャビをリャリスは案じずにはいられなかった。

「その特性が、役に立つこともありまする」

「お父様への忠義ですの?あまり重いと、嫌われますわよ?」

「ソックリそのままお返しいたしまする。インジュ殿を、裏切ってはなりませぬ!」

フンッとリャリスは妖艶に鼻で笑った。

「私、失うモノは何もなくってよ?」

「何を――」

やっと気がついたようだ。

痛覚はなくても、体の自由は奪われる。シャビがこういう行動に出ることは、薄々わかっていたリャリスは、攻撃よりも痺れさせる為に雷を呼んだのだった。

「傷つけるつもりは、ありませんのよ?」

シャビは立っていられなくなって、その場に倒れていた。

「痛覚は、大事なのですわ。おわかりになりましたら、お父様とお兄様、それとノインに相談なさいませ。それではごきげんよう」

リャリスは、身をかがめて草の絨毯に1本の腕の手の平をついた。庭の土に働きかけ、雑草を伸ばすとシャビの手足を器用に縛ってしまった。

「リャリス殿!」

シャビの声が追いかけてきたが、リャリスは振り切った。

 とにかく外に出なければならない。暗いらせん階段を上へ向かう。

『リャリス様、してはいけないこと、する?』

「褒められたことではないことは、確かですわね。ですが、インジュが望みましたのよ。リャンシャン、手伝ってくださいますわよね?」

何を?とは思ったが、インジュの助けになることならと、リャンシャンはガラス越しに大きなリャリスの顔を見上げて頷いたのだった。

本当に、可愛らしいこと。リャリスはインジュの望みを叶えるために手伝ってくれと言われ、すんなり頷いてしまうリャンシャンを素直に可愛いと思った。しかし、彼女は、風の精神に通じている。彼女が気がついて抵抗される前に、準備を整えてしまわなければならないと、リャリスは廊下の窓から外へ出ながら前を向いた。


 無常の風を出し抜きはしたが、彼等の意識を奪うには至っていない。

すぐに風の王に連絡が行くだろう。風の情報網を攪乱することは骨が折れる。執事のラスを筆頭に、王のリティル、副官のインファの風を欺くのは至難の業だ。だが、やらないよりはマシだろう。

力の精霊が濾過前のドゥガリーヤの力を使える精霊であるのに対し、智の精霊は、濾過後――皆が源の力とか透明な力と呼ぶ力を使える精霊だった。

風の王の娘であるリャリスは、風の力だけはかなりの精度で使える。他の力は、まあ、勉強中だった。

 ここは、元蛇のイチジクの安置場所だ。

水の領域にある、魂がグロウタースへ旅立つ川の最奥・旅立ちの川の源流だ。

かつてここに、精霊の至宝の1つである、すべての知識を蓄え続ける至宝・蛇のイチジクはあった。生前蛇のイチジクに触れてしまったために、死後魂を囚われてしまった5代目風の王・インラジュールと共に、リャリスはここにいた。

空の見えない洞穴。川の源流である水門の広場で、世界を覗き見していた。

リャリスは、青色の光に照らされたその広場の中心にシュルリと立った。

時間はないだろうと思い、魔方陣はすでに描いてあった。

 リャリスは、魔方陣の中心に置かれていた石の台座にリャンシャンを捕らえた小瓶を置いた。

『リャリス様、インジュ――様の、望みは、なに?』

「リャンシャン、インジュは、あなたを看取ってから、恋心をなくしてしまったのですわ。そのせいで、本来持っていたはずの、豊穣の力を失ってしまいましたのよ」

『わたしの、せい?』

「インジュは、今でもあなたが好きなのですわ。だから、あなたに手伝ってほしいのですのよ」

リャンシャンは、小さな瓶の底でじっとリャリスを見つめていた。

「あなたの心を私の心に移しますわ。私たちは姉妹のようなものですわ。居心地は保証しましてよ?」

リャンシャンはジッとリャリスを見つめたまま、口を開いた。

「1つの体に、心は1つ。わたしは、リャリス様の心に、入れない」

「あら、そうでもありませんわよ?現に、インジュの心にはもう1人のインジュがいますのよ?二重人格と言うのだそうですけれど」

警戒しているなと、リャリスは思った。できれば無理強いしたくない。彼女は風の魔女と名高い種族。抵抗されれば、さすがに儀式の成功が危うくなる。

「心配いりませんわ。さあさ、始めてしまいましょう!」

リャリスは努めて明るく振る舞った。

『……リャリス様、わたしは、死者。終わってしまったわたしは、インジュ――様の、そばにはいられない』

ここにきて怖じ気づくの?とリャリスは焦った。いや、風の本能が、漠然と流されてはいけないと警鐘を鳴らしているのかもしれない。

「あなたは未だにインジュが好きなのですのよね?私に協力してくれさえすれば、好きな人のそばに永遠にいられますのよ?あなたがいてくれさえすれば、インジュの願いが叶いますのよ?叶えて差し上げたくはありませんの?」

『インジュ――様の願い、叶えたい。けれども、今、生きているリャリス様を、犠牲、できない』

「何を言っていますの?私は、何も失いませんわよ?」

リャリスの妖艶な微笑みを見上げながら、リャンシャンはそんなことがあるだろうか?と疑問を募らせていた。リャリスは、インジュの為に何かしたいようだが、それはなぜなのだろうか?と考えることにした。

『リャリス様、インジュ――様が、好き?』

「な、何を言っていますの?インジュが好きなのは、あなたですのよ?」

リャリスの動揺を見て、リャンシャンはジッと彼女を見つめた。

『インジュ――様の心に、わたしはいる、しれない。でも、わたしは、死者。インジュ――様、今、好き、違う』

「そんなことは……ありませんのよ?」

皆既日食の異様な光の中、リャンシャンを腕の中に捕らえて放さなかったインジュの姿が、リャリスの脳裏に浮かんでいた。望めるのなら、望んでいたはずだと、リャリスは思えてならなかった。インジュが風の精霊でなければ、あの時がずっと続きますようにと、願えたはずだ。それを願えない。何人も、蘇らせる事はできない。

しかし、ノインがいる。ならば、許されるのではないのですか?とリャリスは思ってしまった。けれども、精霊でなければ、インジュはまた失ってしまう。

そこで、リャリスは考えたのだ。無常の風は退けなければならなかったが、この方法なら、風の理に背かない。風の精霊達に狩られる心配はない。成功すれば、インジュは戸惑いながらも受け入れるしかなくなる。そしていつしか、彼の願いは叶うだろう。

 産む力の最高峰、豊穣の称号を冠する精霊に、いつの間にかなっているはずだ。それを、大地の精霊にならなくとも、男性を捨てて、女性にならなくとも、手に入れられる。

インジュがその気になれば、そのどちらも実現できてしまう。雷帝・インファに憧れ、彼の息子として産まれたかったインジュの、彼だけの望みを、リティルの為に捨てさせたくはなかった。

今回は、父が――インラジュールが助力してくれたおかげで、危機を越えられたが、またいつ、インジュがその存在を賭けようとしてしまうかしれない。それを止める自信は、リャリスにはなかった。けれども、彼女なら、リャンシャンならインジュを止められるような気がした。

「リャンシャン、あなたでなければならないのですわ!」

リャンシャンは、瓶の中を逃げたが、逃げられるはずもなかった。

「心配いりませんわ。私たちは、時を超えた姉妹ですのよ。あなたの心は、この体に馴染みましてよ!」

 リャンシャンは、台座を中心に魔方陣が展開されるのを見た。

「あなたの美しい姿が残せないのは、心残りですわ。けれども、この体もなかなかのものですのよ?受け入れてくださいまし」

魔方陣から様々な色の光が立ち上り、いつしか白く色を失っていった。

『インジュ――様!』

身の危険を感じて、リャンシャンはその名を叫んでいた。彼に、助けを求める以外に、リャンシャンは助けを求める者がいなかった。ただ、それだけだった。


 抵抗を感じる。

あまり手荒なまねをしたくなくて、リャンシャンを閉じ込めているガラス瓶には、内側から壊せない魔法しか込めていない。けれども、この魔力。彼女は本当にグロウタースの民なのだろうかと疑うほどだ。

「お願いですわ!インジュを、助けてくださいまし!」

『わたしは、助ける、できない』

簡潔なその言葉に込められた思いが、リャリスに伝わってきた。彼女は「生きているあなたが助けて」と言いたいのだ。

「できないのですわ。インジュに愛されない、私では!」

リャンシャンは、フルフルと首を横に振った。彼女は物言いたげだったが、言葉が出てこないようだった。それはリャリスには、都合がよかった。インジュと心を通わせながら、それでも永遠の眠りを望む彼女に、その揺るがない心に、リャリスでは敵わない。彼女が普通に言葉を知っていたなら、きっと説得されていただろう。

『インジュ――様!』

悲鳴に近い声だった。インジュを呼ぶその声に、決心が鈍りそうだった。

もしも、インジュが彼女のこの美しい姿が好きだったなら。

もしも、インジュが風の魔女と呼ばれるその力に惹かれていたのだとしたら。

そのどちらも残せないことで、リャンシャンが不幸になるのではないか。そんなことが、幾度となく頭をよぎった。だが、インジュはそんなものではないものを愛していると強引に信じて、リャリスは決行した。

「インジュ……どうか……愛してくださいまし」

見届けられないリャリスには、祈るより他なかった。その時点で、浅はかだと思うが、失恋の痛みは、思いの外深かったようだ。

 ヒュンッと風を切る音がして、あれほど広場に溢れていた力が唐突に消失した。

「!これは、ノインの?」

何が術を中断させたのかと、その方を見ると、1本の長剣が剥き出しの地面に突き刺さっていた。削り取られるはずのない魔方陣の一部が、剣によって傷つけられていた。

「間に合いましたぁ!」

間の抜けた声に、リャリスは弾かれたように広場の出口へ視線を投げていた。そこには、息を切らしたインジュが立っていた。

「インジュ……なぜ――」

「ここがわかったかです?それとも、ノインの剣をどうしてボクが、持ってるのかです?」

どこかホッとした顔で、インジュが近づこうと足を踏み出すのを見て、リャリスは長剣に飛びつくと引き抜きそれを構えた。インジュは、首を竦めると立ち止まった。

「エンド君がですねぇ、ずっとリャリスを警戒してたんですよぉ。それでですねぇ、意味はわからなかったんですけど、ノインにノインの力を込めた剣を、もらっておけって言われてたんです」

「剣は1本ですの?」

「はい」

問うたリャリスに、インジュはすんなり答えた。その直後、うるさそうに耳を塞ぎ「隠してもバレますよぉ」と独り言を言った。どうやら中から、エンドに咎められたらしい。

「まさか、透明な力の使い手なんて、思いませんでしたよぉ」

「隠してるなんて、つれないです」と、インジュは拗ねたようにリャリスを伺った。

「使い、こなせてはいませんのよ。私、まだ不完全ですの」

「ああ、智の精霊のカラー、サファイアブルーでしたっけ?」

リャリスは視線をそらした。彼女の髪は艶のない黒――暗黒色だった。

「何するつもりなんです?無常さんが心配してましたよぉ?」

「……見ていればわかりますわ。あなたにとっても、悪い話しではなくってよ?」

「リャンシャンを巻き込んでる時点で、止めないといけないことくらい、ボクでもわかりますよぉ?」

「風の理には触れませんわ!」

「ダメですよぉ。リャンシャンは無事かもしれないですけど、たぶんリャリスは無事じゃないですよねぇ?」

心を乱すことなく、インジュは淡々と普段通りの様子でリャリスに対していた。その様子を瓶の中から眺めながら、リャンシャンは有利であるはずのリャリスが焦っているのを感じていた。この儀式のもたらすものを、インジュの目の前に晒せないのだと、リャンシャンは何となく思った。

『インジュ――様!』

「リャンシャン?小っさ!どこにいるのかと思ったら、瓶の中です?あのぉリャンシャン、意気投合しちゃってます?」

『ううん。インジュ――様、助けて』

リャンシャンの言葉に、インジュは嬉しそうに笑った。

「はい、助けてあげますよぉ?ということでリャリス、リャンシャン返してくださいよぉ」

「嫌ですわ!インジュ、この儀式が成功すれば、たぶん、豊穣の称号手に入れられますわ。ほしいのでしょう?性転換も大地の精霊への転成もしなくていいのですわ!」

「代償がないのはありえないですよぉ?リャリス、また対価を自分で払っちゃうんです?ダメですよぉ?そろそろ、リティルとお父さんに叱られてくださいよぉ」

「叱られるくらい……いいのですわ」

「だから聞かない方がいいって言ったんです。ボクとリャンシャンの事聞いて、変なこと考えちゃったんですよねぇ?美化しちゃダメです。ボク、そんなに良い恋愛してないですよぉ」

インジュはそう言うと、台座の上に置かれた小さな瓶に向かって声を張り上げた。

「リャンシャン!ボクは、リャンシャンとの未来を夢見られません!期間限定。終わりがあることが、ボクには都合がよかったんです!」

なんてことを言うのか!とリャリスは耳を疑った。思わず、リャンシャンに視線を移すと、彼女は無表情で平然と見えた。

『インジュ――様、わたしも、同じ。終わるがある。だから、苦しくても、一緒にいられた。未来ない、わたし達は、インジュ――様と、生きるできない』

揺るがないリャンシャンに、リャリスは戦慄いた。

「ですから、私があげますわ!未来を!」

『わたしは、死んでる。生き返るできない。わたしの源流は、風の精霊』

「蘇りではないのですわ。私の肉体をあなたにあげるのですもの」

あっ!と思わず口を手で押さえたが遅かった。

「リャリス、どうしてです?どうしてそんなことしようって思っちゃうんですか!」

インジュが怒っている。彼は怒りも演技っぽいところがあるが、今は本気の怒りのような気がした。リャリスは、その怒りに怒鳴り返していた。

「言わせますの?いいですわ。言ってさしあげてよ?インジュ!あなたが今でも、この方を愛しているからですわ!」

「愛してましたよ!過去形ですよぉ?愛し愛された思い出を、持ってちゃダメなんです?リャンシャンの前に恋させてくれた人のことだって、ボクは覚えてますよ!彼女のことも、聞きたいんですか!」

『インジュ――様、わたしは間違ってしまった?』

 リャンシャンは瓶の中で俯いた。彼女が、皆既日食の時、来てくれたことを後悔しているのだとインジュは察した。

しかし、彼女が来てくれなければ危うかった。ノインも、そう言っていた。リャンシャンの歌が、風の王の風を取り込む手助けをしてくれたと、ノインは控えめに感謝していた。

彼が言うのだ。命を失うかもしれないギリギリの選択だったのだ。それを、リャンシャンの命を繋げていこうという祈りの歌が助けてくれたのだ。

インジュの大事なリティルを、リャンシャンは救ってくれたのだ。

「死者と生者は逢っちゃいけない。そうですよ!でも、ボクもリャンシャンも間違った心は持ってないです!リャンシャン、そうですよねぇ?」

『わたしは、インジュ――様に、ありがとう、伝えたかっただけ。伝えられた。満足。わたしはまた、空っぽに戻った』

「空っぽにならないでくださいよぉ!何か複雑ですよぉ!わかってます。言いたいことはこうですよねぇ?未練がなくなって、もうあの変な魔法でも召喚されないってことですよねぇ?」

『伝わった。嬉しい』

相変わらずの無表情で、しかしその声は心なしか弾んでいた。

「そんなこと言えるくらい育っちゃったんです?ああ、どうしよう……嬉しいですよぉ」

リャンシャンは多くの感情を失っていて、インジュは請われるまま、感情とはどういうモノなのか、その他様々なことを教えていた。その成果を殆ど実感できないまま、ソラビト族とは別れなければならなくなってしまったのだ。

『インジュ――様、わたしは、邪魔してしまった?』

「!リャンシャン……リャンシャンのせいじゃないです。ボクのせいです……。リャンシャン、すみません、歌ってくれません?……すみません……こんなことをボクがさせちゃうなんて……」

俯いたインジュに、リャンシャンはフルフルと首を横に振った。

『わたしは、もう死んでる。感じない。だから苦しくない。インジュ――様、愛してくれて、ありがとう』

そう言って、歌い出したリャンシャンに、インジュは「すみません」と呟いた。

「インジュ?何を?」

この状況で歌?リャリスは慌てて2人の顔を交互に見た。

「知りませんでしたぁ?ソラビト族の歌には、力があるんですよぉ?ソラビト族が、人形みたいなのは、この歌のせいなんです。忘却の歌。リャンシャン達は、苦しみを忘れるために、少しずつ、感情も心も忘れて行っちゃったんです。今忘れるのは、ボクの、リャンシャンとの思い出です。ボクが忘れちゃえば、リャリスの企みも意味なくなりますよねぇ?」

「!なぜですの?愛し合っていますのよね?なのに、なぜですの!」

インジュは胸を張るようにして、曇りなく笑った。

「そんなこと、わかりきってるじゃないですかぁ?ボクは――」

――わたしは

「命の行く末を見守る、風の精霊です」

――死を導く風の精霊を、源流に持つ者

死を、別れを拒むことなどあり得ない。見つめ合う2人の心は1つだった。

ああ、私は勝てない……リャリスはリャンシャンを捕らえている瓶にシュルリと滑りよると、瓶を壊した。途端に元の大きさを取り戻したリャンシャンの口を塞いでいた。

「やめてくださいまし!わかりましたわ!もう、やめます!だから、インジュの中から、いなくならないでくださいまし!」

リャンシャンは、すんなり歌うことをやめていた。

「リャンシャン!」

名を呼ばれ、リャンシャンは迷わずにインジュの腕の中へ飛んでいた。

「欠けてしまった?」

「いいえ、手抜きましたねぇ?」

「惜しいと思ってしまった」

「そうですかぁ」

インジュは嬉しそうに、リャンシャンを抱きしめてしまった。リャンシャンは、インジュの腕の中で疲れたように瞳を閉じた。

「もう、時間がないですねぇ。辛いです?」

リャンシャンは首を横に振った。

「でも、もう、眠りたい」

「眠ってください。リャンシャンが眠るまで、こうしてますからねぇ」

「インジュ――様、おやすみなさい」

「おやすみなさい、リャンシャン。もう、大丈夫ですよぉ?」

抱きしめるインジュの腕の中で、瞳を閉じたリャンシャンの姿が、夜だとわかる風となって消えてしまった。

 あっけない別れだった。

顔を上げたインジュが、真っ直ぐこちらに向かって歩いてくるのが見えていたが、リャリスは立ちすくんで動けなかった。

「どうして、リャリスみたいな人が拗らせちゃうんです?しかも、相手がボクって、リャリス、趣味悪いです」

「触らないでくださいまし!」

抱きしめてきたインジュの腕を、リャリスは解こうとしたが、華奢な体格に似合わずビクともしなかった。

「もう、恋人でいいじゃないですか!こんなことまでしでかすんだから、ボクのこと、好きですよねぇ?ボク、キスしたりハグしたりしたいくらいには、リャリスのこと好きですよぉ?」

え?と絶句するリャリスに、好かれてるって思っていいんですよねぇ?とインジュは未だに自信がなかった。

「そりゃ、慎重にもなりますよぉ。ボク、終わりのある恋愛しか、したことないんですよぉ?城のみんな一途なのに、ボクだけフラフラしてますし……。付き合った人数以外に、いいなぁって思った人の数まで入れたら、片手じゃ収まらないんです。ずっと、想い続ける自信なんてないのがボクです。知ってますよねぇ?……あのぉ、リャリス、ボクのこと好きなんですか?」

「好きですわよ!知っていらしたでしょう?」

「そうなんですけど……リャリスみたいな知的な美人が、ボクみたいなの相手にするなんて思わないじゃないですかぁ。未だに半信半疑なんですよねぇ。インラジュールと同じ名前の風の精霊だから、重ねてるんじゃないかって……」

インジュ父様と重ねている?とリャリスは思ってもみないことを言われ、マジマジとインジュの事を見つめた。

「………………似てなくもないですわね……考えた事もありませんでしたわ」

似ていると言われて、インジュはあからさまにガッカリしてため息を付いた。

「リャリスには、ゾナみたいな人のがいいですよぉ」

「またあの方もハードル高いですわ。けれどもそうですわね、あの方とは話しが合いますわね」

ゾナの魔方陣解呪問題集の最後の問題を、リャリスはノインよりも先に解いた。それを知って、ゾナは2巻の執筆をしている。実は、ゾナだけがリャリスが透明な力の使い手だと見抜いた。そして「君が自分で告げるまで、2人だけの秘密にしておくとしよう」と知的に笑った。その大人な笑顔に、ドキッとしたことは確かだ。しかし、インジュに感じているものとは違うと、それだけはハッキリわかっていた。

「あのですねぇ、リャリス、恋愛感情なんて一時の気の迷いですよぉ。花たちがいい例じゃないですかぁ。彼女達は簡単に好きになって、簡単に忘れちゃいます。本物な人達が周りにいるから、惑わされてるだけです。でも、リャリスが望むなら恋人役はやりますよぉ?」

それはつまり……とリャリスは悟った。

「結構ですわ。私、あなたのこと諦めましてよ。さようならインジュ、いい家族でいましょう」

リャリスは、緩んだインジュの腕をそっと逃れると、妖艶に微笑んだ。


 この想いは、いつか消えてなくなりますの?

一時の気の迷い……そうであることを願いますわ。そうでなければ、あの方――リャンシャンのように、切なくて、この命を返したくなってしまいますもの。

いつか、あなたのことを「好きでしたわ」と笑える日がくるのでしょうか?

インジュ……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ