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三章 皆既日食

 リティルは、放っておくと、何をしでかすかわからない。

風の騎士はそう言って、苦笑していた。

それにはノインも同意するが、まさか、5代目風の王・インラジュールを殺した魔法を伝授され、死の安眠中に使うことを決めてしまうとは思わなかった。無謀とも取れる献身を見せるリティルを、騎士は、笑って許していたと言うが、許していいのか?とノインは許すと止めるの基準が、未だ確定できずにいた。

 ノインは、応接間のソファーで本を読みながら、風の騎士と別れてルキルースから風の城に戻ってきた時のことを思い出していた。

あの時はリャリスが、この黒い翼のことをリティルに警戒しろと告げてしまったことでリティルはもう、死の安眠には関わらせてはくれないだろうなと、リティルと顔を合わせることが辛かった。

だが、逃げてばかりもいられないと、何とか奮い立たせて、フロインとインファと共に、風の城に帰ってきたのだ。


 応接間に、中庭からガラス戸を通って入ると、窓際のソファーには誰もいず、暖炉のそばの肘掛け椅子に、お伽噺に出てくる魔女のような出でたちの、男性が座っていた。

知的なコバルトブルーの30代くらいの彼が、時の魔道書・ゾナだ。

「おや、おかえり」

ゾナは知的に微笑むと、膝に広げていた魔道書を閉じて、小さなテーブルに置いた。

「ただいま戻りました。父さんは仕事ですか?」

「いいや。少し席を外しているよ。伝言なら承るが、何かあるのかね?」

ゾナがこういう言い方をするときは、城の中にはいるが、居場所は言えないと、そういうときだ。

「では、雷帝は太陽の城だと、父さんに聞かれたらそう言ってください。何か掴んだら、一報入れますが、リャリスの様子も気になりますからね。……インジュはピアノホールですか」

インジュの歌う明るい歌が、城の風を喜ばせていた。風の精霊には『風の奏でる歌』という特別な力ある歌があるが、グロウタースで霊力無しの歌で真剣勝負した経験のあるインジュの歌には、魅力と、霊力とは違う力がある。今歌っているのは、人間に身をやつして歌手をしていたとき歌っていた歌だ。

「城から出られないから、練習するとそう言っていたね」

リャリスの助言を受けての行動だろうなと、インファは察しつつ、伝説のデュオ・インサーフローのピアノの方として、参加できない歯痒さを感じたが、今は我慢するしかなかった。

 気を取り直してインファは、ノインに目配せすると、ノインは短く「案ずるな」と言った。それを受けてインファは「それでは」と玄関ホールの扉へ向かって行った。

フロインは「ここにいるわね」と言って、ソファーに腰を下ろしたのだった。

「忙しい男だね。ノイン、君も行くのかね?」

「オレは図書室だが……」

「リティルはもっと深いところだよ。気兼ねなく行ってきたまえ」

もっと深いところ?鬼籍の書庫か、深淵の闘技場かどちらかかと、ノインは思い、鬼籍の書庫だなと思った。行ってくるとゾナに断って、ノインは城の奥へ続く扉に向かった。

 風の城の図書室。イシュラースでも有数の蔵書を誇る、大図書室だ。

中は、ダークブラウンのオーク材で作られた本棚が、迷宮のように入り組んでいる。これは、司書を務める召使い精霊のコマドリ達の功績だ。

風の城は、様々な事柄に対処せねばならず、風だけの知識では事案を解決できない。風の王を助けるべく、コマドリ達は日夜古今東西に耳を澄ませ、新たな知識を記した本を求めているのだった。そうして、この図書室はできあがったのだ。コマドリ達は、城の住人のリクエストにも答えてくれるため、今現在も増殖を続けている。

この図書室の上にはゾナの部屋である時計塔があり、その階段も本で埋まりつつあるようだ。城の修繕などを行う召使い精霊のスズメたちが、階段の壁に本棚を作り始めてしまい、リティルが「図書室広げればいいだろ!」と頭を抱えていた。

 ノインの姿を認め、どこからともなく金色のコマドリ達が飛んできた。

「14代目風の王・インの記した、魂の書を頼む」

ノインの言葉で、コマドリ達は迷わない翼で部屋の奥へ向かって飛んで行った。

魂の書。魂の解剖という、背徳を記した悪魔の書だ。内容は、ノインにも受け継がれていた。だが、彼の記憶を失ってしまったノインには、その著者が誰なのか、風の騎士が口にするまで知らなかった。この書が、史上最悪の風の王といわれている所以かと、ノインは納得した。リティルの父である14代目風の王を、精霊達は伝説の風の王だと言った。それはおそらく、リティルの功績なのだろう。リティルという風の王の父親だから、長い年月をかけ、最悪の風の王は伝説の風の王へとその顔を変えたのだろう。

そして、その史上最悪の伝説の風の王は、ノインと瓜二つだ。それが、風の精霊でもないのにこのオオタカの翼を持つ理由なのだが「いきさつは色々と複雑なんですよ」とインファは言うばかりで、詳細は教えてはくれなかった。リティルは、知りたいなら、レジーナに記憶を見せてもらえと言ってくれたが、見る勇気がなかった。

リティルの信頼と愛情を向けられていた、風の王・インと風の騎士・ノイン。彼等の記憶を見て、冷静でいられる自信がないのだ。

 程なくして、コマドリが一冊の分厚い本を持ってきた。2つの尾を引く火球が絡み合う絵の描かれた飴色の革張りの本。ノインは、それを手に、廊下へ出た。

図書室で読んでもよかったのだが、あの明るい応接間に戻りたかった。

リティルを避けるようなマネをしてしまったことが、何より後ろめたい。彼はもう、この翼について、結論を出しているのだろうか。意見が対立するとしても、話さなければと、ノインは腹を括りかけていた。

「おや?ノイン、もう用事は終わったのかね?」

気配を感じて、何となく道を譲ると、目の前にトカゲ型のコバルトブルーの鱗を持つドラゴン、過去の長針・カジトヴィールに乗ったゾナが現れた。彼は、移動にかかった時間を0にする魔法を使って、短い瞬間移動を繰り返す。どうやら、そこに遭遇したらしい。

「いや、これからだ」と答えようとして、ふと、ノインは尋ねた。

「どこへ?」

彼の部屋は時計塔だが、滅多に戻ることはない。なんでもリティルの命令で、応接間に常にいるらしい。今応接間にはフロインがいるが、ゾナが応接間を離れることは稀だった。

「うむ、リティルが新しい魔法をどこかで仕入れたようでね。難解だから助けてくれというのだよ」

魔法をどこかで?リティルはたしか……鬼籍の書庫へ――死の安眠――死者召喚――5代目風の王・インラジュール!

ノインの頭の中で、次々に知識が閃いた。ノインはバッとある方向を見ると、ゾナを置いて飛び立っていた。

風の王・インは、歴代王のことを紐解いていた。それぞれの王が、どうやって死んだのかも知っていた。

死の安眠という儀式が、どうやって生まれたのかも知っていた。

5代目風の王・インラジュール。死の安眠を知るために、リティルがファウジの固有魔法で彼に会ったことは容易に推測できた。

リティルが伝授された魔法。それは、血染めの薔薇で間違いない。

インラジュールを殺した、その魔法を……リティルが?そう思ったら、居ても立ってもいられなかった。

 魔法の構築式を紐解くには、特殊な環境がいる。

リティルは、修練の間だとノインは当たりを付けて飛んだ。

途端にズキリッと翼が痛んだ。だが、その痛みを振り払いノインは急いだ。

 修練の間は、インラジュールの作った部屋だ。どんな魔法にも耐えられるように、魔法を無効にする防壁が幾重にもかけられた、この城1強固な部屋だ。

ただ四角いだけの部屋で、中心に円柱型の柱に乗った水晶球があるだけだ。

「リティル!」

バンッと木製の扉を開くと、リティルが振り返って驚いていた。

「びっくりした……!へ?ノイン?いつ戻ってきたんだよ?」

息を切らしたノインがリティルの手元を見ると、水晶球の上に小さな魔方陣が展開していた。

「リティル!離れないか!」

「へ?お、おい」

腕を引かれたリティルは、慌てて魔法を消した。このまま展開したままでは、理解度が足りないリティルでは暴走させてしまう危険があったのだ。

「何をするつもりだ!答えろ!」

乱暴にノインからしたら細いリティルの腕を掴むと、ノインはそんな資格ないのに睨んでいた。驚いていたリティルの瞳が、徐々に冷静になっていった。

「この魔法のことも知ってたのか。じゃあ、インラジュールがどう死んだのかも、知ってるんだな?」

探るように見つめられ、怯みそうになるのをノインは何とか耐えた。

「オレにはその知識がある。リティル、オレの翼のことを知ったのだろう?1人でインに挑み、そしてその魔法を使うつもりか?よせ。無謀がすぎる!」

「無謀かどうか、これから調べるんだよ。インラジュール、すげー博識だったぜ?そうだ、おまえの羽根、一枚くれよ。シャビが――」

「オレの翼を調べて、おまえの意にそぐわなければ奪うのか?」

え?リティルは、ノインの反応に戸惑った。ラスに、命と翼、天秤にかけるくらいのものかもしれないじゃなかと言われ、リティルは、残す方法を探そうと思っていた。しかし、そうするにしても調べる必要がある。リャリスのくれた警告だ。きちんと受け止めなければ、せっかくの情報という宝が台無しだと、そう思って提案しようとしただけだった。

「リティル、オレはやはり、おまえの兄ではいられない」

「ノイン?ちょっと待てよ!」

ノインに掴まれた腕が痛い。それ以上に、仮面の奥の金色の瞳が痛そうだった。

「この、姿形だけが、おまえとオレを繋いでいる。だが、中身は変わり果てた。それでも、しがみ付きたかった。だが……」

「翼がなんだ――?」

リティルから視線をそらしてしまったノインは、静かなつぶやきに、リティルを見下ろした。睨む、その光の立ち上るような瞳と目が合った。

「記憶がなんだよ!どっちもなくたっていいじゃねーか!おまえの瞳が、髪が、金色じゃなくたって、おまえはノインだよ!兄貴……そうとしか思えねーからしかたねーだろ!」

ドンッとリティルは風を放つと、ノインの手を引き剥がしていた。そのまま空中に浮かぶと、蹌踉めいたノインに体当たりして、部屋から追い出してしまった。

バタンッと扉を閉め、扉を封じる。

「リティル!」

「聞きたくねーよ!」

そう怒鳴って拒絶して、リティルはズルズルと扉の前にへたり込んでいた。

「そばにいてほしい……望むなって言うなら、それ以上望まねーのに……それも、ダメなのかよ……!」

――よせ。無謀がすぎる!

そう言ってくれた心は、どんな形をしてるんだよ?リティルは、嘲るように小さく笑った。

姿形が、そんなに大事なのか?オレなんて、インともインファとも似てねーのにな。例え、ノインがその姿でなくても、名すら変わってしまっても、その心がおまえなら、受け入れられる。今のリティルには、そう胸が張れた。

 どうして、今頃おまえが迷っちまうんだ?リティルより先に、すべてが些細なことだと気がついたのは、ノインではなかったのだろうか。今更、翼に拘る理由が、リティルにはわからなかった。

『父さん』

インファの声を聞き、リティルは床に胡坐を掻くと、風の中から水晶球を取り出した。

声の通り、水晶球の中に浮かんだ顔はインファだった。しかし、背後がいやに明るい。

「インファ?ルキルースじゃねーな?どこにいるんだよ?」

そう言いながら、ノインが戻っているのだ。インファも戻ってきていたんだなと思った。

『太陽の城です。精霊色素について調べようと思ったんですが、ルディルが教えてくれました。これから、ドゥガリーヤに降ります』

精霊色素?そんなもの調べてどうするんだ?と思ったが、ルディル、ドゥガリーヤと聞いて、ドゥガリーヤの水か!?とそっちに意識が持っていかれていた。

「ドゥガリーヤ?ルディルと一緒にか?ルディル、どういうつもりだよ?」

そばにいると踏んで声をかけると、即返事があった。

『おう!もうちょいてめぇの息子、信じてやりゃぁいいんじゃねぇの?』

おまえが息子を語るなよ!と思いつつ、強がる余裕はリティルにはなかった。

「信じてるさ!だから言えねーこともあるんだよ。インファ、今日帰ってくるか?」

『何かありましたか?』

魅了の力騒動の動揺は、もう大丈夫なようだ。いつもの余裕が感じられた。

「1つ魔法を教えてもらったんだ。それが、難解なんだよ……」

『魔法ならば、ゾナが適任ですよ。……ノインと揉めましたか?』

ゾナを呼んだのに、ノインが来たんだよ!と思ったが、揉めたことまで見抜くか?こいつと思ってしまった。

「うっ!おまえ、鋭すぎねーか?」

インファは、ニッコリ微笑んだ。

『そちらは何とかしてください。オレは、リャリスの面倒も見なければなりませんから。父さん、リャリスとノインは、誰の配下でもない精霊だということが判明しました。ノインは、風の王の守護女神・フロインと婚姻関係にありますから、王と揉めていても何とかなりますが、リャリスの拠点を決めなければなりません』

誰の配下でもない?リティルは、前任の智の精霊と力の精霊を思い出して首を捻った。

「智と力は、太陽王の配下だろ?」

『それは、彼等が守護精霊だったからです。今は、ゾナや破壊と再生と同じく、1精霊です』

精霊色素。智と力の精霊のカラーは何色なんだ?とリティルは初めて考えた。そういえば、ノインとリャリスには太陽の色がこれっぽっちも入っていない。守護精霊なら、そういうふうに作ることもできるが、1精霊でそれはあり得ない。

「!ヤバイじゃねーか。ノインと揉めてる場合じゃねーな。ありがとな、インファ!こっちは、ゾナと何とかしてみる。おまえは、リャリスを頼むな!」

智と力は、強力な精霊だ。それは、至宝の継承者だからだ。居場所を定めなければ、至宝の力に押しつぶされかねない。ノインはもしかすると、そういう窮地に立たされているのかもしれなかった。

おいおい、ノイン!翼に拘ってる場合じゃねーだろ!と思って、だから拘ってるのか?とも思えて、頭が混乱してきた。

『了解しました。父さん、ノインと揉めてもいいですが、拗れないでくださいね?』

こいつ、痛いところを突いてくるな!とリティルはバツが悪かった。

「拗れたくて拗れてるんじゃねーよ!じゃあな!気をつけろよ?」

インファはインファで、この不穏な今を何とかしようと動いている。オレが逃げているわけにはいかねーよな!と立ち上がったリティルは、封じた扉を開いたのだった。


 扉の外には、ノインと共にゾナがいた。どうやら、ゾナが宥めてくれていたようで、ノインは落ち着いていた。しかし、リティルの顔を見なかった。

「ノイン、血染めの薔薇、使うぜ?」

ノインが顔を上げた。

「ただし、死ぬ気なんかねーよ。インラジュールも、オレを殺したくて教えてくれたわけじゃねーんだ」

来いよと、リティルは2人を部屋に招き入れた。

 リティルは水晶球の乗った柱に向かうと、手をかざし血染めの薔薇を呼び出した。

『やあ、諸君。血染めの薔薇の世界へようこそ!』

小さな魔方陣の上に、小さなインラジュールが姿を現した。

「よお、インジュ。もう一度解説頼むぜ?」

『何度でも聞くがいい。この魔法は、わたしの最高傑作だ!傑作すぎて、わたし自身は死んでしまったがな』

「ずいぶん、軽い男ではないか」

『そうだとも、わたしは羽根のように軽い男だ!』

胸を張ったインラジュールに顔をしかめながら、ゾナは彼が大きく天井に展開した魔方陣を見つめた。4重の円にびっしりと霊語と模様が刻み込まれ、中心には大輪の薔薇の花の簡素化されたモチーフが咲いている。

「……しかし、なんと美しく、なんと難解な。ふむふむ、興味深い」

「ゾナ、わかるか?オレ、最初の数行でもうわけわからねーよ」

「君は、魔法となると壊滅的だったからね。しかし、この魔法でなぜ死んだのかね?安全装置がついているではないか」

どこに?と問うたリティルに、ゾナはここだと指さした。その箇所が鮮やかなバラ色に変わった。

『さすが、賢者と誉れ高き男。子供達に死ぬなと言われていたのでな。死なないように作ったのだが、死んでしまったな』

「……改ざんしたのかね?それとも、死なねばならない理由ができたということかね?」

事もなげに言ったゾナに、インラジュールは甘やかな感情の読めない笑みを浮かべた。

『フフフフ。ゾナ、君はなかなか喰えない男のようだ。しかし、風の王の手前わたしの決断はここでは語れない。さて、リティル、ものにできそうか?』

「ものにしねーとな!死はオレの領域だぜ」

『おまえも、風の王だな。それでノイン、関わってやらなくていいのか?安全装置がついていようがいまいが、この魔法は苦痛を伴う。おまえの知識を借りたいものだな』

フフフと挑発するように見上げるインラジュールと、無言のノインは睨み合った。

「それよりノイン、おまえ、誰かに仕えるような精霊じゃなかったんだな?」

『何を今更。智の精霊も力の精霊も、王に匹敵する力を秘めた精霊だ。精霊王が持っていたのは、ヤツが支配者を気取りたかったがためにすぎない』

「やられたぜ。太陽の、ルディルの管轄だと、思いこんでたんだよ。ノイン、知ってたよな?どうして黙ってたんだよ!」

「オレも、気がついたのは最近だ。至宝というモノは、前の所持者の念のようなモノが籠もりやすいようで、リャリスに言われるまで気がつかなかった。隠していたわけではない」

本当の事だ。だが、ノインには言えない理由があっただけだ。

「それでなのかよ?」

リティルが、低く呟いた。

「強力な精霊には、居場所が必要だ。ゾナの時計塔みてーにな!それと、立ち位置だ。ゾナは、風の城の頭脳担当だ!ノイン、おまえはどこで、どうなりてーんだ?」

リティルは「オレを選ばなくていい」という言葉を、何とか飲み込んだ。余計なことを言ってしまったために、ノインを苦悩させた。何も言うまい。リティルはノインをジッと見上げていた。

『まだ時間はありそうだ。どうだろう?死の安眠後にじっくり話し合うというのは』

何も言わないノインの様子に、インラジュールはリティルを退かせた。

「わかったよ。こっちを何とかしねーとな!」

「さて、続きを見てみようではないか。ふむふむ、なるほど……」

円に刻まれた霊語や模様が、バラ色に明滅していた。

『わたしの解説はいらんようだ』

「ゾナだからな。魔導解析でゾナの右に出るヤツはいねーよ。なあインジュ、この魔法、痛てーんだよな?」

『死を慰めるには、死を導く者の苦痛が効果的なのだ』

「オレは死んで、どうしておまえは生きてるんだ?ってあれだよな?」

『そうだ。だが、必ずしも必要ではない。おまえには、無性の愛がある。うまく組み込めば、失うのは血だけですむかもな』

すかさずゾナが割り込んできた。

「リティルはいくらでも垂れ流してしまうのでね、多少の苦痛は残しておかねばならないのだよ。ただ、無性の愛は使えるかもしれないが……リティル、構築式を出せるかね?」

「いや、だからな、無性の愛って魔法に心当たりがねーんだよ!みんなあるって言うんだけどな……」

ハアと背後でため息がした。リティルが振り返る前に、大きな手が背中に押し当てられていた。

「これが構築式だ。至極単純だが、効果範囲は無制限、霊力消費は極小と、規格外の魔法だ」

ノインの差し出した手の平の上に、魔方陣が縦に立ち上がっていた。赤子を抱く聖女の刻印。難解な魔方陣はなかった。

「なんだこれ?こんなのありかよ!発動条件、相手を愛した時って!」

誰だよ?こんなふざけた魔法作ったヤツは!とリティルは憤った。

『そうとしか読めん。フフフフ、おまえも気が多いな』

「シェラ1人だけだよ!」

インラジュールのからかいをまともに受けて惚気るリティルに、ゾナがため息をついた。

「愛とは、様々な形があるではないのかね?父性愛、友愛、そして恋愛、必ずしも、男女間だけではないと思うがね」

「死にも愛って効くのか?」

「おまえが言うのか?」

「ああ?何だよノイン!言いてーことがあるなら、全部言えよな!」

「では、言わせてもらうが、おまえは狩る以外にない魔物でさえ、ときに抱きしめる。あれはなんだ?魔物は魔物だろう?」

「しかたねーだろ!狩らなけりゃならねーけど、泣いてるんだよ!泣いてるヤツを、問答無用で狩れるかよ!」

『泣く魔物?そんなもの、わたしの時代にいたのだろうか?』

考え込むインラジュールに、ノインは同意した。

「オレの知識にもない。ただ、我々が気がつけないだけなのかもしれない。リティルが抱きしめる魔物とそうでない魔物、オレには見分けがつかない。そういう魔物は、リティルが抱きしめてやると消えていく。それも、無性の愛の成せる技なのではないのか?」

「知らねーよ。それでいいって言うんだから、いいんじゃねーのかよ?」

『死に最も近き王。か。リティル、おまえ、危ない橋を渡っているかもしれないぞ?わたしも、心配になってきた』

「はあ?死んでるヤツは死んでろよ!これ以上情が移っちまったら、死者召喚で会えなくなっちまうぜ?」

『手遅れかもなぁ。むむむ、タラシめ』

「誑し込んでねーよ!なあ、オレ、そんなに頼りねーのか?」

インラジュールは付き合いやすい。リティルは思わず聞いてしまっていた。

『頼りない?違うな。そんなに縋らせて大丈夫か?と心配しているのだが?』

「縋る?誰が?」

リティルは本気でわからない様子だった。インラジュールは笑い顔のまま、ノインとゾナを交互に見た。

『……ノイン、ゾナ、こいつは普段からこんな感じか?』

「まあ、この通り無自覚なのだよ」

諦めたようにゾナが答えた。

『よく無事だったな。なるほど、ノイン、おまえがわたしを敵視するわけだ。リティル、この血染めの薔薇、おまえとはすこぶる相性がいい。ので、命まで取られるなよ?』

「待てよ!安全装置ついてるんじゃねーのかよ!」

『その安全装置、外してしまいかねないと危惧している。だからリティル、ゾナとおまえ仕様に作り替えてやろう。企業秘密となるからな、部屋から出てもらおうか』

「はあ?オレが使うのに、オレを閉め出すのかよ!」

「任せてもらおう、リティル、この上なく安全な魔法に仕上げてやろうではないか」

ああダメだ、ゾナの魔導士スイッチ入っちゃったよ。と、リティルは苦笑いした。こうなったもう逆らえない。とっとと部屋を出た方がいい。

「おおい、それでちゃんと効果出るんだよな?」

『より凶悪に、狂い咲くようにしてやろう!フフフフ。ノイン、1つ忠告してやろう。愛する者を守りたいなら、意地を張らずに素直になれ。後悔する姿は、あまり見たいモノではないからな。まあ、わたしは見られないがな!』

「いいこと言ってるのが台無しだぜ?はあ、わかったよ、ゾナ、インジュ、頼んだぜ?オレは……何するかな?ノイン、何かしてたのかよ?とにかく出ようぜ?」

リティルはそう言うと、あとをゾナに任せ、居座りそうなノインの手を両手で引っ張って部屋から連れ出したのだった。


 修練の間の扉を閉めたところで、水晶球が輝き、リティルは答えた。

相手は、花園に向かったシェラだった。一心同体ゲートではなく、水晶球で話しかけられたことに首を傾げつつ、リティルは答えた。

『リティル、やはり、芽吹きが遅れているようよ』

リティルは応接間に戻ろうとノインを促しながら、シェラに答えた。

「そっか。シェラ、君の目から見てどう思う?」

『産む力が、何かに阻害されているように感じるわ』

「南風達が暖まらねーって言ってきてるぜ。インジュに歌わせてみるよ」

煌帝・インジュの司る力は、受精させる力だ。彼が歌えば、少しは足しになるかもしれない。そう言えば、リャリスが歌えと言っていたが、そういうことなのだろうか。

歌わせると言ったが、もう歌ってるなとリティルは、聞こえてくるインジュの歌にやっと気がついた。ああ、あいつ、ちゃんとわかってるじゃねーかと、いつの間にか頼もしくなった補佐官のインジュを思った。

 さて、あと風の王にできることはなんだろうか?リティルは、無言だが、隣を歩いてくれているノインを見上げた。視線に気がついたノインがこちらを向いてくれた。

おまえならどうする?そんな視線を感じて、ノインはなんだ?と言いたげだったが、ふうとため息を付くと言った。

「オレが風の王なら、王の風を使い結界を敷く」

王の風?ああ、その手があったか!とリティルは「ありがとな!」と笑うと、シェラに尋ねた。

「シェラ、王の風、扱う自信あるか?」

『そのままでは、わたしといえども辛いわ。何をするというの?』

そりゃそうだとリティルは思った。しかし、リティルは今風の城を動けず、芽吹きが遅れているこのときに花園に行くなどもっての外だった。

「皆既日食で、死の力が強まる。このままだと、何が起こるかわからねーんだよ。そのとき、花園を守らねーとだろ?今、産む力を持ってるのは花たちだけだからな。霊力と一緒だったらどうだ?」

食い下がるリティルに、シェラは戸惑い気味だったが、考えるような素振りを見せてくれた。

『……待って。インファ……インファも王の風を持っているわね。2人分の風があれば、触れられるかもしれないわ』

「お、インファ様々だな!そうだ、セリア、おまえ結晶化で要石作ってくれよ。それを使ってシェラ、フロインと結界を敷いてくれ」

『リティル、王の風は通常よりも霊力を消費するのではないの?弱った体で、死の安眠に挑むの?フロインまで遠ざけて?』

危険は承知の上だ。王のことを最優先で考えてくれる王妃に感謝しつつ、ここは強がるしかなかった。

「オレは何とかなるぜ?けど、花園に何かあると大飢饉まっしぐらだ。儀式が失敗したとしても、それだけは絶対に回避してやる。シェラ、セリア、花園を守ってやってくれよ」

しかしシェラは、難色を示した。どうしたんだ?と首を傾げていると、彼女はジッと瞳を見返してきた。

『リティル……花たちは、芽吹きが遅れているのは、あなたのせいだと言っているわ』

ああ、シェラが不機嫌なのは、そのせいかと、リティルは、花たちが風の王に辛辣なのは今更だろ?と思った。

「はは、そんなこと言える元気があるなら、大丈夫だな。花たちも元気がねーんじゃねーかって、心配してたんだ。じゃあ頼んだぜ?王妃、雷帝妃!」

風は花に恐れられて当然だ。リティルはまったく気にせずにシェラとの通信を切った。

「リティル、本当に花園を助けるつもりか?」

「ん?大地の王にやらせとけばいいって?オレもそう思うぜ」

ノインの冷ややかな声に、リティルは見下ろす彼を見上げた。

「今のおまえに、他にかまける余裕があるとは思えない。シェラの懸念は杞憂ではない」

オレの、自己犠牲的なところを、受け入れられるヤツだけが、この城に居着けるんだ。そう思って、リティルは寂しく思った。

騎士が、リティルのそばにいられたのは、風の精霊だったからだ。

風は、世界を無条件で慈しめる。リティルが王として、身の丈に合わない魔法や方法を使う事を、風の本能は理解してくれる。だから、彼は「しかたのない」と涼やかに笑って、サラリと助力してくれていたのだ。

しかし、力の精霊であるノインには、きっと理解できない。

嫌われていようが、罵られようが、そんな相手でも守る、風の王の献身を、きっと理解してくれない。

「おまえが大切だ」その心が、リティルとノインを遠ざけるのだ。リティルは、彼が言った「中身が変わってしまった」という言葉の意味を、今、理解していた。

「ノイン、血染めの薔薇を、どうしてインラジュールが使って死んだのか、知ってるか?」

「グロウタースに、死の蓋をこじ開けてしまった愚か者がいた。インラジュールは、それを閉じるため、命を賭けたのではないのか?」

「あいつの力なら、死の蓋を閉じるくらい、命なんか賭けなくてもできたぜ?安全装置ついてたんだろ?インラジュールは、死の蓋を開く魔法を、なかったことにしたかったんだ。これは、風の禁忌だ。聞きてーか?」

 リティルは、立ち止まった。そこは、深淵と呼ばれている、地下闘技場へと続く扉の前だった。上部が三角形に尖った重々しい鉄の扉だ。中心で剣と鎚が交差した絵が細工されていた。元々は、何もない壁に隠された産道と呼ばれる隠し通路へと続いていたが、シェラがゲートを繋ぎ、今では扉を抜けるとすぐ深淵へ行けるようになっていた。

「聞くべきではないのだろう。オレは、風の精霊ではない」

「だったら、どうして翼に拘ってるんだよ?暗黒色は死の色だぜ?それともちょっと違うみてーだけどな。ノイン、手合わせしてくれねーか?」

そう言ってリティルは、深淵の扉を開いた。ノインが乗ってくれなければ、答えは出たようなモノだ。太陽王、幻夢帝を巻き込んで即会議するしかない。

力の精霊の居場所を、早急に決めなければならないからだ。強力な精霊には、下級、中級の力の循環を仕事とするただの力の塊のような精霊達がいるのだ。彼等は妖精と呼ばれている。風の精霊にも、妖精がいて、彼等は自然界における風の役割を果たしてくれている。

居場所を定めていないノインは、今おそらく、霊力を奪われ続けている。体のどこかに、不調となってすでに現れているかもしれなかった。

風の王、舐めるなよ?選ばれなかったとしても、力の精霊・ノインは守る!と、リティルの心はすでに決まっていた。

ノインはため息を付くと、言った。

「おまえは、本当に戦ってばかりだな」

ノインは、リティルの開いた深淵の中へ足を向けた。


 深淵の闘技場。

かつて、風の王の殺戮の衝動と呼ばれる、特別な闘争本能を鍛えていた場所だ。

殺戮の衝動は、どんな強敵を前にしても、必要以上に恐れないという、戦う事を運命づけられている風の精霊を守るために生まれた本能だ。そして、風の王の死の間際、主を乗っ取り敵を討つ最後の切り札でもあった。

 深淵は、風の王の目覚める場所。深淵の鍛冶屋・ゴーニュが5代目から14代目までの風の王の闘争本能を作ったのだった。15代目のリティルは死にそうにないと、ゴーニュはこれまで鍛えた風の王の殺戮の衝動――殺戮形態を呼び出し、模擬戦が行える施設を作り出した。それがここ、深淵の闘技場だ。

「親方ー!貸し切りにするぜ?」

目の前に、階段状の観客席があり、その先の堀のように低くなった四角い場所が、闘技場だ。その更に向こうには、炉や、金床などの鍛冶に使う道具が置かれていた。

「リティル!おお?ノインではないか。珍しいな」

闘技場の向こう岸、鍛冶場からひょいと現れたのは、顔が髭に埋まるようなずんぐりした大男だった。城から出られない彼には、風の精霊の証でもある金色の翼がなかった。

「上はなかなか大変そうだな」

「はは、戦争でも起こるみてーな物々しさだぜ?オレも準備に大忙しだ」

「ほほう。それでノインと手合わせとな?」

「いや、殴り合いの大喧嘩だよ!」

 拳を構えたリティルは、トンッと軽く踏みきると、ノインに殴りかかっていた。

リティルの渾身の拳は、ノインにスルリと躱されていた。風の糸に似た、別の力が場を支配しているのがリティルにはわかった。

「へえ、やるじゃねーか」

風の騎士・ノインを無敗たらしめた魔法・風の糸。リティルも、あのインファでさえ完全には会得できなかった。あの魔法をノインは、力の精霊の力に置き換えたらしい。

リティルの攻撃がことごとく躱された。ノインは、完全に風の騎士の戦い方を取り戻していた。

「ここまでして……中身が変わったって?」

顔に来たリティルの拳を手の平で受けたノインは、低いつぶやきを聞いた。

「言えよノイン!何考えてるんだよ!」

拳が風を纏うのを感じて、ノインは飛び退いていた。追いかけてくるリティルの動きが、速く鋭さを増していた。しかし、掠りもしない。そうなのだ。どう動いても、動きがシンクロしてしまうリティルとノイン。ノインが、リティルの動きを予測できないはずなないのだ。そこへ、全方位神経の風の糸を使えば、ノインの知らない魔法で意表を突くくらいしか、リティルの攻撃が万に一つもノインに当たることはないのだ。

風の力を失ったノインが、風の騎士の戦い方をするには、風の糸を、今現在の自分の力に置き換えるしかない。魔法の構築式を別の力に置き換えることは、とても骨の折れる作業だ。それをノインは、一日で仕上げたことになる。ノイン2人がかりでも、気の遠くなるような作業だっただろう。

「リティル、力の精霊の司る力とは、濡羽色の力だ」

あれほど苛烈だったリティルの攻撃が、唐突に止んでいた。

「その力を扱えることを、他言してはいけない。それは、インジュが煌帝と名乗り、原初の風の精霊であると公言できないことと同じだ」

観念したようなノインの様子が、痛ましく見えたが、リティルは退くわけにはいかなかった。

「ノイン、風の城を出てーのか?」

「出なければ、ならないだろう!」

声を荒げたノインの叫びが、窓のない地下の空間にこだました。

「オレがいるべき場所は、ドゥガリーヤへの門の中だ。戦いを強いられる風の城に、おまえのそばにいれば、要らない苦労を背負わせることになる」

「それ、本心なのかよ?オレに呆れて、見捨てたんじゃねーのか?」

なん……だと?ノインは耳を疑った。

オレが――呆れて見捨てる?誰を?おまえを?そんなことをリティルに思われていたことが、衝撃すぎてすぐには言葉が出なかった。

「いいんだぜ?ハッキリ言ってくれたほうが、諦めもつくんだ。オレの戦い方に、ついていけなくなったんだろ?今回もあれだしな……」

今回のあれはないと、自覚はあるのだな?とノインは思った。自分を傷つけることに躊躇いがないようなリティルだが、実はそうではないことを、ノインは知っていた。

小柄なこの体格では、大剣のような攻撃力の高い武器は扱えない。故に、鋭利に研ぎ澄まされた刃を操る。しかし、刃の長さが短いために懐に飛び込まねばならない。そのためには素早く動くしかない。鋭利な刃と素早さに重きを置けば、防御力が削られてしまう。

リティルは努力している。風の針がいい例だ。

「シェラがな、昔、記憶をなくしたことがあるんだ。王妃のままいてくれたんだけどな、オレが帰って来るとケンカばっかりになっちまったんだ。ほら、オレとシェラ、一心同体ゲートで繋がってるだろ?あいつの能力は、無限の癒やしだからな。オレがどんな怪我してるのか、筒抜けなんだよ。オレが怪我しすぎるって、離婚危機までいったんだぜ?だからな、わかるんだよ。オレが大事だって言ってくれるヤツは、オレとは一緒にいられねーんだ」

「待て。論点がずれている。リティル、オレの話を聞いていたか?オレの司る力が何なのか、知っているか?」

なぜ、オレがリティルに愛想を尽かしたということになっているのだ?とノインははたと気がつき、論点の軌道修正を図った。

「知ってるぜ?ドゥガリーヤの水って呼ばれてる力だろ?シェラとインジュが使う、透明な力と対の、神樹が濾過する前の混沌だ。じゃあ、おまえの精霊色素は濡羽色なんだな?それにしては、その翼、艶がねーよな?原因わかってるのかよ?」

平然と言ってのけたリティルに、ノインは出鼻をくじかれた。驚きや困惑を予想していた。しかしリティルにはそのどちらもなかった。

「闘気って何なんだ?って思ってたけどな。言えねーからそう言ってたんだな。けど、そんなすげー力なら尚更居場所と部屋!必要だろ?グダグダ言ってねーで、言えよ。どこがいいんだよ?どこだって、おまえが望む場所に望むとおりの物、建ててやるぜ?」

論点の軌道修正が上手くいかない。リティルは、オレが自虐的なせいでノインが出て行きたがっていると、信じて疑っていない様子だった。それも仕方ないと、寂しさを隠しそこなって笑うリティルが健気で、ノインは気がつけば、リティルの肩を正面から掴んでいた。

「違う」

「へ?何が?」

「違うと言っている!おまえから離れたいわけがないだろう!」

「はあ?おまえ、中身が変わっちまったって、オレの兄貴じゃいられねーって言ってたじゃねーか」

「それは風の力をなくしたからだ!王の風を取り戻す方法はないかと探しているが、見つからない」

「いや、それ、探すまでもねーだろ?無理だよ!」

「決めつけるな。オレには、風の色素が残っている。それには何か、意味があるはずだ」

「ノイン、どうして金目金髪なんだ?翼も、濡羽色って言うより、暗黒色の方が近いよな?」

「わからない。わからないが、意味があるほうに賭けたい」

「大丈夫なのかよ?絶対どっか無理してるだろ?見せてみろよ!」

風を使って、肩を押さえつけるように乗せられていたノインの手を弾くと、リティルはそのまま体当たりしていた。騎士ならば避けただろうが、警戒心を完全に解いてしまっていたノインは、リティルに押し倒される形で背中から床に倒れていた。

「――っおまえは!」

「はは、避けられると思ったんだよ。ノイン、心配するなよ、大丈夫だ」

体を起こしかけたノインは、不自然に動きを止めていた。リティルはすでに、ノインの上から降りて砂を敷いた土の上に座っていた。

「誰かに想われるって、くすぐったくて照れるな。でもな、ノイン、オレは大丈夫だぜ?」

明るく笑うリティルを、大切だと強く想う。想うが故に、何もできないことを突きつけられて歯痒い。

「笑うな。そんな顔で笑ってくれるな!おまえの笑顔に、大丈夫だと思わされる。おまえを――1人にしたくはない!」

「1人じゃないぜ?みんないてくれるじゃねーか。リティルだから仕方ねーって、そんなこと言ってな。オレの我が儘を、許してくれるんだ」

――そう言って笑って、オレのそばにいてくれたよな?怒りながらでもいいんだ。これからもいてほしいって想うのは、我が儘なのか?我が儘だよな?

ノインが、力の精霊になりきれないのは、オレのせいなんじゃねーのか?と、リティルはおこがましくも思ってしまった。

風の王の風――死を導く力。そんなモノに手を出して、いかに濡羽色の力を扱える精霊だとしても、タダで済むわけがない。そんなモノを求めているから、ノインの翼は艶を失っているのでは?と思えてならなかった。

これまで死を導いてきて思う。この力は触れていいモノじゃないと。だから、死を司る精霊はいないのだと思えた。原初の風を持たなかった風の王達が、ことごとく翼をもがれたように、ただ導くだけの力しか持たない風の王でさえ、自分自身に死を導いてしまったのだ。リティルもこれまで、危うい道を辿ってきた。生き残っているのは、オレが特別だからじゃねーんだと、リティルはよくわかっていた。

 もう、いいんじゃねーのか?ノインは危険だと言ったリャリスの声に、リティルは思った。ノインを儀式から閉め出せば、それでいいんじゃねーのか?と、苦悩するノインの姿に思った。

リティルには、時間も、これ以上割く力もなかった。準備不足でもなんでも、風の王として儀式に、皆既日食に挑まなければならない。ノインがいかに抗ってくれても、彼と一緒に儀式に立つことはできないだろう。もう、2度と。ノインは、風の騎士ではなく、力の精霊となったのだから。

「風の騎士のままで――いたかった――!」

そう、絞り出すように言って、顔を覆ってしまったノインを、リティルはそっと抱きしめた。

――おまえに、そんなこと言ってほしくて、命を繋いでもらったんじゃねーのにな。けど、おまえにそんなこと言われて、喜んでるオレは、ホントに子供だな。おまえの気も知らねーで

「ありがとな。ノイン……過去を背負わせたくなかったんだけどな、おまえってホント、苦労ばっかりだな。兄貴だって言ったのは、お守りしてほしかったからじゃねーんだぜ?ただ、おまえと、繋がりがほしかっただけだったんだ。おまえがいる、小さな世界に、まだいたかっただけなんだ」

オレがおまえをではなく、おまえがオレを守っている。だろ?とノインは言いたかったが、リティルの縋るような涙声に、反論できなかった。兄であるノインを求めるリティルを、そんな事実で突き放したくなかった。

この深淵にまで、インジュの歌う華やかな恋愛歌が聞こえていた。場違いな背景音楽だが、ここで場面にあった歌だったなら、このままリティルを放せそうにないなと、ノインは首に抱きついてくれているリティルに、触れられないまま思った。


 煌帝・インジュの歌声は、力を増していた。それは、彼の精進の賜物か、それとも、これにも意味があるのだろうか。

インファは、太陽の城に戻ってきていた。太陽の城の、明るすぎる図書室で、空から降るようなインジュの歌声を聞いていた。この歌には、霊力が乗せられている。それはわかるのだが、彼はそのうち、旋律の精霊・ラスの歌を中継する固有魔法・蓄音機なしで、イシュラース中に歌声を届けることができるようになってしまうかもしれないなと、思えた。

 しばらく、天井を仰いで瞳を閉じ、息子の歌を聴いていたインファだったが、険しい瞳で手元に視線を落とした。

インファの手の中には、小さな試験管があった。

中には、金色に輝く液体が収められている。

ドゥガリーヤの水――ルディルと降りたその場所は、ただただ真っ暗だった。光も闇もその他のすべてを1つにした、至高の黒。だが、そこにあるのにあることがわからないような、そんな何もないと感じる場所だった。

その中にいたのは、数秒だった。無言で入り、無言で引き戻されたインファの手の中に、それはあった。

ルディルは、それがドゥガリーヤの水だと教えてくれたが、それ以上は禁忌なのだろう。太陽王は薄ら笑みを浮かべるだけで、それ以上何も語りはしなかった。

「これを、オレにどうしろと言うんですか?」

これからは、風の力しか感じない。液体というだけだ。風の力のこんな形状は、インファは見たことがなかった。気体である風、そして、結晶化させた固体。液体にしようと思ったことは、そういえばなかったなとインファは思い返していた。

 ゴオンッと、インジュの歌声を掻き消して、図書室の扉が閉じられる音で、インファは振り返った。

「リャリス、待っていましたよ?」

インファは手の中のドゥガリーヤの水を風の中にしまうと、血の繋がらない妹を立ち上がって迎えた。しかし、リャリスは、俯いてインファに近寄ってこなかった。

「あなたを、叱らなければなりません。意味がわかっていますか?」

「……はい。申し訳ありませんわ、お兄様」

「あなたが、居場所を決められなかった理由は、何ですか?」

リャリスは自ら、太陽王の傘下であると公言していた。苦悩が深く不安定なノインと比べると、インジュの隣に自然と収まり、リティルに甘えているリャリスは、とても安定して見えていた。インジュとリティルが、うまく導いて見えていた。それゆえ、インファはノインのそばにいて、リャリスのことを見落としていた。

「私、恋に落ちてしまいましたのよ。それも、許されない相手にですわ」

「その相手とは、煌帝・インジュであっていますか?」

リャリスは、暗く沈んだ瞳で、躊躇いがちに頷いた。

「リャリス、あなた固有の知識を話す分には、対価はいりません。それは知っていますよね?そして、蛇のイチジクからあなたの意志とは関係なく溢れ出す知識は、止められます。その方法を伝授しますから、そのあと、話しをしませんか?」

リャリスは、そん方法があるのですか?と言いたげな顔でインファを見ていた。智の精霊ともあろうものが、しかたありませんねと、インファはニッコリ微笑んだ。

ルディルと話していたときに、急遽組み立てた魔法だが、問題なく機能するはずだ。控えめに近寄ってきた妹の額に、インファはそっと人差し指と中指で触れた。

フワリと、彼女のうねりのない真っ直ぐな黒髪が風に遊ばれた。

「……お兄様、さすが三賢者ですわね」

与えられた魔法を、瞬時に理解してしまうところは、さすが智の精霊だなとインファは満足そうに頷いたが、三賢者に数えられていることはきっちり否定した。

「それには疑問がありすぎますね。出し惜しみますが、オレよりもルディルの方が知識も聡明さも上ですよ?オレはただ、教えることがうまいだけです」

ルディルを侮っているようでは、まだまだ未熟ですねと、インファは信じていないリャリスの様子に苦笑した。

「新参精霊を導くことも、風の仕事です。頼らなければいけませんよ?リャリス」

インファは、しょげているリャリスの頭を、ヨシヨシと撫でた。

「はい……。けれども、私、対価のために風の城に近づけなくなってしまいましたわ」

「それはいつまでですか?」

「……2、3日ですわ」

座りなさいと、インファは隣の椅子を引いた。リャリスは素直に、それに従ったのだった。

「お兄様、あの歌、やめさせてくださいませ」

「インジュの歌ですか?嫌いでしたか?」

「逆でしてよ。好きだから、辛いのですわ」

「許されない相手とは、インジュにその気がないからですか?」

「あの方、恋心を失ってはいませんのよ!私は、選ばれなかったのですわ」

「オレは、恋愛には不向きなので的確なことは言えませんが、インジュに、その気がまるでないとは思えません。彼自身も、わからないとは言っていましたが、恋の歌は、彼の十八番ですよ?」

「自分と他者は違いますわ。私、インジュの隣にいられるだけでよかったのですわ。それが、変わってきてしまった……。私はそのうち、インジュの魂がほしくなってしまいますわ!」

「得てしまえばいいと思いますよ?霊力の交換で得た霊力は、婚姻関係にある精霊にしか使う事はできません。他者が奪うことはできないんです。煌帝・インジュは、今や、3本の指に入る強力な精霊です。彼を侮る愚か者は相棒のラスが身の程を教えてくれますから、ほぼ、危険はないでしょう。その精霊の伴侶ともなれば、あなたはあなたを脅かされる危険が皆無になったと言っても過言ではありません」

「それで、よろしくて?愛する息子の相手が、こんな異形の者でいいのですの?」

「異形、確かにあなたは、グロウタースの神話に出てくるようなモンスターじみていますが、その姿も大いに牽制になるでしょう。あなたが、花の姫・シェラや風の姫巫女・インリーのような姿をしていたら、大いに侮られて、有象無象に群がられ貞操の危機に陥っていたと思います。その姿は、実父のインラジュールの贈り物だと、オレは思います」

「答えになっていませんわ」

「言わせたいんですか?そうですか。オレはあなたに会った当初言ったと思いますが、あなたの姿は美しくて好きですよ?インジュは目をそらせなくて困ったと、言っていましたね。あの人、一目惚れなんですよ。あなたが応接間にいるようになってしばらく、インジュはオドオドしていたでしょう?あれは、気がつくとあなたを見てしまって、目のやり場に困っていたんです。今は、やっと見慣れたようですね」

リャリスの白っぽい肌色に、朱が指した。こんなきつい美人な顔立ちなのに、初心なんですからと、インファは苦笑した。

「で、ですが、インジュは困っていますわ」

「煌帝・インジュは、イシュラース屈指の精霊です。そして、欲望を知りません。体に欠陥があるのではありませんよ。彼の、力を守る自己防衛本能が、欲望を封じてしまっているんです。それを呼び覚ましそうなあなたを、エンド君が警戒していますね」

インジュの殺戮の衝動を制御している人格、エンド。リャリスは、彼と話したことはないが、インジュの中から敵意を感じていた。

「インジュは過去2回、恋をしています。その2人はグロウタースの民でしたね。決して結ばれてはいけない相手です。ですから、インジュも都合がよかったんですよ。終わりのある恋。肉体を繋げられない彼女達との恋は、後腐れがありませんから」

「真剣ではなかったと、おっしゃるの?」

「いいえ。インジュは真剣でしたよ。手に入れる必要がなかっただけです。風の王の血を引く者として、混血精霊を産み出すわけにはいかないですからね」

「お兄様は、混血精霊を悪だと思っていますの?」

リャリスは、俯いた。無理もない。彼女の実の父である5代目風の王・インラジュールは、混血精霊を自ら産み出していたのだから。だが、彼等を道連れに散った。

「産まれてきた者が、悪なのではありません。産み出してしまうことが悪なんですよ。グロウタースの民に混血精霊は導けません。寿命が、彼の民とその子とを分かつからです。そして、精霊にも導ききれません。インラジュールと父さんが異例なんですよ」

混血精霊は、精霊とグロウタースの民との間に産まれてしまう命だ。精霊じみた力といつまで生きるかわからない長い命、そして、多くは異形のその姿。

精霊の魅力的な力に魅了された心弱き者の手によって、様々な方法で痛めつけられてしまう。グロウタースではまともに生き残ることは難しい。そして、やがて庇護する者を失って、身も心も異形と成り果てて、風の王に狩られる道を辿ることになる。

では、精霊が育てればいい。と思われがちだが、世界に望まれて目覚めるという産まれ方をする精霊という種族は、子育てを知らない。導くことのできる風の王でも、何者にも縛られないグロウタースの民の特性を持つ、混血精霊を、道を大きく踏み外さずに育て上げることは難しい。

インファの弟であるレイシは、養子で混血精霊だ。そして、ものの見事にグレて、それだけでは終わらずに手首を切ってしまったことがあった。今は落ち着いているが、もしも、父であるリティルが死ねば、彼はおそらく世界を滅ぼす脅威となるだろう。

混血精霊を巡っては、リティルもルディルも明確な答えは出せてはいなかった。

 混血精霊に限らず、血の繋がりを持つ純血二世という精霊も、多くはない。

存在が知られている純血二世は、風の王夫妻の子である、インファとインリー、初代幻夢帝の遺児である再生の精霊・ケルディアスだけだった。

5代目風の王・インラジュールの遺児であるリャリスは、交わりによって産まれた精霊ではない。多くの混血精霊を産み出したインラジュールだが、残せたのは作り出したリャリスただ1人なのだった。

「リャリス、あなたはインジュに想いを告げたことがありますか?」

リャリスは、首を横に振った。

「言えませんわ」

「それは、上手くいかないことが怖いからですか?風の城にいられなくなると、恐れているからですか?だから、居場所を決められないのだとしたら、ハッキリさせるべきです。あなたの力も、インジュと同じように恐ろしい力です。事が起きてしまえば、父さんは飛ばなければなりません」

真っ直ぐに突きつけられて、リャリスは何も言えずに口を閉ざすしかなかった。

「インジュは、あなたが煙に巻くので困っていますよ?自分の名が、あなたの実の父と同じ名だから、心のよりどころにしているだけなのだろうか?と悩んでいました。オレとしては、同じ名にしたつもりはなかったんですけどね。その名のせいか、インジュは、インラジュールと縁がありますね」

「縁ですの?けれども、お父様とインジュに面識はなくってよ?」

「インジュの2人目の恋人は、滅びの種族、ソラビト族でした。ソラビト族のこと、知っていますよね?」

美しい五色の羽根を腕に生やした、とても綺麗な亜人種だった。素となったのは、インラジュールの血を引く、混血精霊だった。美しかった彼女の子が、やがて、1種族を産み出すほどに増えたのが、ソラビト族だった。しかし、美しく魅力的だった彼女達は、他種族から攻められ、奴隷とされ、滅ぼされてしまった。

その最後の命達を見つけたリティルは、繁殖能力をすでに失っていた彼女達を、ルディルの勧めで太陽の城に匿った。その最後の1人と、インジュは恋に落ちたのだ。

彼女との別れは、インジュの心に傷を付けた。彼女の言葉が、インジュの心を今でも守っている。「あなたの心に、わたしはいない……」彼女がインジュの愛を否定したことで、インジュはそれ以来、無駄に恋することがなくなった。

「リャンシャンはインジュに、失恋を教えてくれました。あなたはインジュに、何を教えてくれるんですか?」

――インジュの心を動かせますか?インジュが、死別に泣かなくてもいいように、リャンシャンが無意識にかけた解けることのない魔法を、あなたに解けますか?

異形というならば、ソラビト族もそうだった。

腕に生えた五色の羽根、羽毛に覆われた太ももから伸びる鷲のかぎ爪。顔は一様に、精巧に作られた人形のように美しかったが、とても歪な種族だった。

歌声に力を持つ、風の王の過ち。歌声で、その土地の先祖の霊を呼び出す特殊な力があった。風の魔女とあだ名される、種族。

リャンシャンは確かに、インジュを愛していた。しかし、奴隷だった彼女は、普通の恋愛を知らなかった。故に、2人の想いはお互いに伝わらずに、想いは交わることなく永遠に終わりを迎えてしまった。彼女に想いが通じていたなら、彼女がインジュの想いを受け取っていたなら、もしかすると彼女は今も、インジュの隣で笑っていたかもしれない。そんな、あり得ないことをインファが思ってしまうほど、ソラビト族はグロウタースにあるには歪な種族だった。

――インジュの愛を守る、魔女。彼女に勝てますか?すでに故人であるだけにリャンシャンは、手強いですよ?

「オレに恋愛指南はできません。リャリス、知識を身につけてください。太陽の城もなかなかですが、風の城の図書室は、イシュラース有数の蔵書を誇ります。勉強してください。オレ達三賢者を追い抜くことを期待していますよ?その為の助力は、惜しみませんよ?」

「わかりましたわ。私、ノインに負けたままなのは我慢できませんの。お兄様、対価の戒めが切れましたら、風の城に帰りますわ」

「ごきげんよう」と頭を下げて、リャリスは図書室の中へ入って行った。

「頑張ってください、リャリス。オレはインジュの伴侶となること、かまいませんよ?」

もし、上手くいかなかったとしても、あなたがオレの可愛い妹であることに変わりはありませんが。と、インファはニッコリ微笑むと、精霊名鑑に目を落としたのだった。

インジュの歌声は、未だに聞こえている。ああ、そういうことですか。と、インファは笑いたいのを堪えた。この歌を聴かせたい相手、それが誰なのかインファは気がついたのだ。

「インジュ、あなたも前途多難ですね。リャリスに、好きだから歌をやめてほしいと言われていましたよ?」

伝説のデュオ・インサーフロー。その歌の殆どを、インファが書いた。

インジュの明るく空も飛べそうな華やかな声に合うように、明るい歌を書いた。その殆どが恋の歌だった。絶対に売れなければならなかったために、本当に歯の浮くような歌詞をたくさん書いたが、インジュには大いに喜ばれた。彼は、自分は恋愛しないと公言しているが、やはり受精させる力の司なのだ。上手くいく恋愛が大好物だった。

そして、振られても好き的な歌詞が大の苦手だった。

インサーフローは別れない。そんなことを言われ、結婚式で歌われたりしていたらしい。インファは思う。失恋の歌、ありましたよ?と。ただ、終わりを迎えても前向きだっただけだ。

この恋の行く末は?インファは、そんなことを思ってしまって、読書どころではなくなってしまって困ったのだった。


 期日の3日が過ぎ、リャリスが太陽の城から、風の城へ戻ってきた。皆既日食が過ぎるまでと頑なだが、一時風の城に暮らすらしい。らしいというのは、今現在もインジュはリャリスに避けられているのだった。インファが面倒を見ているらしく、父には気にするなと苦笑されているが、そのインファも忙しくしていて、ゆっくり話しをする暇もなかった。

 いったい、何をすれば準備が整った事になるのだろうか。

皆既日食と、風の王の何だからわからない儀式が重なるとわかったその日から、風の城は慌ただしく忙しなくなった。

インジュは、よくわからないが歌えというリャリスの助言に従って、インサーフローの歌を歌いまくっていた。そうすると、なぜだか南風に感謝された。ルディルから「やるじゃねぇか」とわざわざ彼直々に通信を受けたりしてしまい、ボクだけ遊んでいるんだけど、いいんだろうか?と不安になった。リティルも忙しくて、城の中にいるようだが、応接間にいることは稀だった。

風の通常業務である魔物狩りは、ラスが割り振っているらしく、こっちは気にするなと言われてしまって、インジュは応接間に寄りつかせてさえもらえなかった。

「あ、リティル」

仕方なく、ピアノホールに向かっていると、廊下で、どこかへ行くリティルに遭遇した。

「インジュ!悪いな、毎日毎日歌わせて」

リティルはインジュを見るなり、そう申し訳なさそうにした。ええ?どうして?とインジュは驚きながらも、ここでリティルを捕まえなかったら、ずっとこのまま置いていかれる!と久しぶりに危機感を持っていた。

「ええ?好きですからいいですよぉ!あのぉ、ボクこれでいいんです?置いてけぼりなんですけど」

「へ?おまえ、何もわからずに歌いまくってたのかよ?霊力ガンガン乗っけて、ラブソングばっかり?何か、昔こんなことあったような……はは、おまえホントに大物だよな!」

わかってやってるんだと思った!と笑われて、インジュは、すみませんと項垂れた。こんなこと、四天王になって初めての失態だった。

 リティルは、イヌワシとオウギワシが中心でかぎ爪を合わせる、蔓のジャスミンの花の装飾が施された白い扉を開くと、ピアノホールに入った。

見上げると、ドーム状の天井の中心には、花と戯れるオオタカが描かれたステンドグラスが嵌まり、同心円に組まれた真っ白な木の床に、日の光で絵を描いていた。

その光が落ちる中心よりも奥に、グランドピアノが置かれていた。

その後ろには、様々な楽器が、円筒形の壁に、等間隔に並ぶジャスミンの花の蔓が絡まる彫刻が施された柱の間に置かれた棚に、所狭しと収められていた。棚の上には丸窓があり、十字に格子があるだけでシンプルだった。

「皆既日食と、死の安眠が重なったことは知ってるだろ?皆既日食はな、太陽の影に封じられた、死の蓋が数分開いちまうヤバイ自然現象なんだよ。それが起こる年だからか、今年は、春一番が問題なく吹いたのに、グロウタースの芽吹きが遅れてるんだ」

「死の蓋が開くっていうのは初めて聞きましたけど、芽吹きが遅れてるのは知ってます。あのぉ、ボクが歌うといいんです?」

インジュは自信なさげにリティルを伺った。ああ、こいつ、遊んでるだけだとか思ってるな?とリティルは察した。

「ああ。すげー助かってるぜ?やっぱり原初の風の精霊だな!そのおまえが、霊力乗せて恋の歌歌いまくってくれたおかげで、遅れてた芽吹きが追いついてきてるぜ?産む力が強まって、死の力が抑えられてるんだよ」

「ええ?そこまで力ありますぅ?ボクの歌」

インジュは、半信半疑な顔をした。

「無自覚かよ?おまえ、オレの孫だなー。花園を守りに行ってるシェラ達も絶賛してたぜ?」

「花園?お母さんも行ってますよね?フロインも」

シェラ、セリア、フロイン。何日前から帰ってきていないのだろうか。

大地の王が恐縮して、わざわざお礼に訪れたほどだった。

大地の王・ユグラは「こんなにしてもらってるのに、花たちは風の王のせいなんだから、守られて当然!と言っていて、ごめんなさい!」と本当に泣きそうなほど恐縮していた。

礼儀のなっていない相手に対して容赦のないラスだが、彼女のせいではないということもあり、少女の姿のユグラには甘々で「大丈夫、リティルは気にしていないよ」と嫌みの1つもなく慰めていたっけと思い出した。

実際ユグラの所は大変だ。花園に限らず、大地の領域すべてが元気がない。そして、風とは反属性にあるために、配下の精霊達は風に反感を抱きやすいのだ。ユグラは、風の城がどれだけ尽力しているかをクドクド言ってくれているが、理解されることはないだろうなーとインジュは冷めた心で思っていた。だが、インジュも大地の王・ユグラのことは好きだ。だから、彼女の助けになるなら助力は惜しまない。

「ああ。何が起こるかわからねーからな。産む力を守らねーといけねーだろ?死と産むは反属性だ。産む力が強ければ、オレの助けにもなるんだよ」

「……リティルは、1人でやるんです?儀式」

「ああ、オレしかできねーからな」

「ノインはやっぱり……」

「力の精霊なんだ、初めからわかってたぜ?」

しかし、ノインはまだ諦めてはいなかった。見ていて危ういが、やめてくれなんて口が裂けても言えなかった。あの時、ノインから闘技場で聞き出したあの時、泣くんじゃなかった!とリティルは大いに後悔していた。

あれからノインは、隠す必要がなくなってインが記した『魂の書』なんて恐ろしい本を食い入るように堂々と読んでいた。もう、ノインが無茶して死ぬんじゃねーかと、リティルは気が気ではなかった。

あの本は、騎士ノインに、読まない方がいいと言われていた。読んだことはあるが、途中で頭が理解することを拒否したため、リティルは読破していない。禁断の、魂を解剖した記録書なのだ。

「大丈夫なんです?ボク、一緒に行けません?」

インジュの心配はわかる。わかるが、産む力の強いインジュを関わらせるわけにはいかない。反発を招いて、死が、インジュに襲いかかりでもしたら、リティルには守れる自信はなかった。

「ダメだ!おまえは産む力の方が強えーだろ?歌ってくれよ。それだけでいいんだよ、おまえはインファと歌ってくれ。インサーフロー、頼むな!」

「お父さん、リャリスと何してるんです?気にするなって、気になりますよぉ!」

リャリスは図書館で勉強中だ。それにインファは付き合いつつ、ノインの翼のことを調べていた。血染めの薔薇から解放されたゾナまで加わって、三賢者ががんばっているが、やはりというべきか、ノインに風の王の力を戻す方法は見つかってはいなかった。

 リャリスは三賢者を止めないが、それは見つからないことを知っているからだろうか。彼女は沈黙を守っていた。

「おまえ、今はリャリスのこと、どう思ってるんだよ?」

「うーん……やっぱりわからないです。リャリスも、微妙ですし……ボク、インラジュールと似てたりしません?」

インジュは自信なさげにリティルを伺った。考えたこともなかった。が、と、リティルはインジュをマジマジと見つめた。

インジュは、女性と見まごう柔らかさの外見をしている。ようは、優しげなのだ。そして、ねあかだ。急浮上急降下のインジュは、立ち直りが早い。

インラジュールは、風の王にしては優しげな外見だった。どこまで作っているのか、リティルに対しては本当に明るく接してくれた。演技なのかもしれないが、感情をクルクルと変える様は、インジュに――

「似てるかもなー」

「やっぱりです。なんか、そんな気してたんです」

インジュは、あからさまにガッカリしていた。

「ガッカリなのかよ?」

「ガッカリして見えますぅ?何というかですねぇ、あんな知的美人がボクを相手にするわけないって、思ってたんですよぉ。インラジュールって、愛称インジュですよねぇ?名前も一緒って、重ねられてるって思いますよぉ。ボク、いつも口説く方だったんです!惚れられたことないんですよぉ!」

そこなのか?とリティルは思ってしまった。といったって、2回じゃねーかとも思った。

グロウタースの民の一生はとても短いというのに、何人もの者とくっついたり離れたりを繰り返している。2回なんて、経験豊富とはいえない。

「いや、精霊に恋愛って、あんまりねーんだぜ?オレ達が特殊なんだよ。おまえ、またグロウタースの民狙うつもりかよ?」

「狙いませんよぉ!」

即答したインジュの姿に、今はそれが信じられるんだよなと、リティルは思った。そしてまた、彼女の事を思い出した。

滅びを前にした大陸の、乾いて荒廃とした風の中、青銀色の髪をなびかせて行く末を見守る、諦めたように動かないその表情。笑顔を、ついに見ることはできなかった。

「おまえ、今ここにリャンシャンがいたらどうする?」

インジュが、どこか冷めてしまったのは、彼女を失ってからじゃないのか?とリティルは思い返していた。それ以前のインジュは、感情を制御することが苦手で、振り回されていた。今でも感情豊かだが、怒りなどは演技か?と思えることが多々ある。フワフワと、風に遊ばれる花びらのように、捉えどころのない不思議な雰囲気になったのは、たぶん、リャンシャンを見送ってからだ。

心優しいインジュを、キレさせ、凶行に走らせた唯一の女性。乱暴されそうになった彼女を目の当たりにして、一瞬で我を失った。彼女がインジュの名を呼ばなければ、きっとインジュは命を奪っていた。そんなインジュは、後にも先にもあの時だけだ。今、そんな場面に遭遇しても、インジュはあははと笑って、冷静に助けるだろう。

「えっ!そ、そんなの、想像できないですよぉ!」

遙か昔の記憶が、鮮やかに蘇る。最後まで美しかったあの人。『様』はいらないというのに、とってつけたかのように「インジュ――様」と言い続けた。

最後の時、一瞬目を離した隙に眠るように逝ってしまった。

――あなたの心に、わたしはいない

――そんなこと、ないですよ?

愛していたのに、そのことを、受け取らずに逝ってしまった。美しくて、愛しくて、残酷な人だった。

「あのぉ……リティル、リャンシャンのこと蒸し返しますけど、ボク、未練あるように見えるんです?」

「なんて言うんだろうな?オレが気になってるっていうのかもな」

「リャンシャンをです?リティル、殆ど関わってないじゃないですかぁ」

「オレの目から見ても、不思議な女性だったんだ。あいつが、グロウタースの民じゃなく、精霊か混血精霊だったら、どうだったんだろうって、思っちまう女の子だったんだ。たぶん、オレがもう一度会いてーんだな」

「ええ?」

「ハハ、インラジュールに会ったから、それでリャンシャンのこと、思い出しちまっただけだぜ、きっと。蒸し返して悪かったな。インジュ、おまえはとにかく歌ってくれ。オレもできる限りのことはするけどな。儀式が始まっちまったら、そこから動けねーからな」

リティルは、真剣な眼差しで、インジュの腕を掴んだ。

「儀式、どこでやるんです?」

「言えねーんだ。ごめんな」

「いえ、いいです。わかりました。ボクはここで歌います。それだけでいいなら、いくらでも歌いますよぉ!」

インジュの柔らかく明るい笑みに、リティルも笑い返し頷くと、ピアノホールを後にした。 ピアノホールの扉を閉めると、リティルは決意した瞳で水晶球を風から取り出した。

「インファ、ピアノホールにすぐ来てくれ。儀式が始まるんだ」

無常の風から、儀式開始の合図が届いていた。

『了解しました。日食と丸被りですね。ルディルから連絡が来ました。あちらも始まるようです』

「はは、了解。インファ、歌ってくれ。インサーフローがオレを助けてくれるぜ」

『できる限りのことはしますが、気をつけてください、父さん』

「ラスとエーリュは花園だ。蓄音機、頼むな!」

『了解しました。彼等に声をかけてから、ピアノホールに向かいます』

「ノイン、そこにいるか?」

『いえ、今席を外しています。父さん、ノインを――いえ、父さんにお任せします』

「悪いな、インファ」

『いいえ。すみません……間に合わず』

「いいんだ。ありがとな、インファ、ゾナ」

リティルは2人に礼を言うと、通信を切った。1度息を深く吐くと、再び水晶球に呼びかける。

「ノイン、修練の間まで来てくれよ」

『今行く』

ノインは短く応じると水晶球からいなくなった。

 これで準備は整う。

打ち合わせがすんでいると楽だなと思いながら、リティルは修練の間の扉を開いた。

中には誰もいなかった。しばらく待っていると、ノインが到着した。

「どうした?血染めの薔薇は問題なく仕上がっているだろう?」

到着したノインの姿に、リティルは微笑んでいた。

「ああ、えっとな、おまえをここに、監禁しようと思ったんだよ!」

ハッとノインは身構えたが、すでに術中だった。ノインの踏んだ床に、魔方陣が描き出されていた。体が動かないと悟った時、部屋の中央から扉まで、ノインを飛び越えて一気に飛んだリティルに、背中を突き飛ばされていた。

「リティル!」

部屋の中へ進まされ、振り返るとリティルは、金色の網の向こうに立っていた。

「ノイン、儀式が終わるまで大人しくしててくれよ?おまえとオレ、ヤバそうなのはどう考えてもおまえだよ。オレに何があっても、来るなよ?」

「リティル!」

踵を返すリティルを追い、ノインは金色の網に手をかけた。……こんなに高度な魔法をどうやって?リティルの魔法ではないのか?この魔法は、ちょっとやそっとでは破れない。

これが破れたとしても、二重三重に防壁があるのが見えた。閉ざされた扉にまで、見たことのない紋章が浮かび上がる。バラは、インラジュールが好んだモチーフだ。インラジュールが関わっていると悟って、ノインは絶望した。

彼は結界や封印、防壁魔法に長けた王だった。14代目風の王・インも防壁魔法には長けていたが、インラジュールほどではない。1枚1枚破っていたのでは、とても間に合いそうになかった。

「リティル……無事に戻れ……」

そう祈るより他なかった。リティルが、準備の整わなかったノインを守ろうとしていることは、容易に知れた。リティルを、責めることはできない。間に合わなかったのは、オレなのだからと、ノインは悔しそうに拳を握っていた。

 城の外、空では太陽が欠け始めていた。世界中の生命が見守る中、今、皆既日食が始まったのだった。


ノイン、平気じゃねーよ。大丈夫じゃねーんだ。それでも、オレがやらなけりゃならねーんだ。

ノイン……おまえの守りがなくても、オレは飛ばなくちゃな。

オレの前に立ちはだかるその背中を、飛び越えられなかった。守ってくれるおまえに、甘えてたんだ。甘えろって言ってくれるおまえに。

怖いよ。おまえがいない。たったそれだけなのに、怖いんだ。兄貴――……


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