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二章 魅了の力

 インファと共に、雷帝夫妻の寝室へ向かったフロインは、隣を飛ぶインファに疑問をぶつけていた。

「インファ、なぜわたしの魅了の力が、霊力の変質のせいだと誰も気がつかなかったのかしら?」

インファは一瞬押し黙り、視線をフロインに申し訳なさそうに合わせた。

「すみません……その力には、極力触れたくなかったんです」

フロインの振りまいてしまっている魅了は、性行為を促すような魅了だ。魅了と聞いただけでも避けたいのに、それに輪をかけて……インファは見て見ぬ振りをしていたのだ。

「オレの妃が宝石の精霊だとしても、それに触れて、オレが影響を受けないとは言い切れません。気がついていましたか?あなたの魅了は、相手のいない者にはあなたへ、相手のいる者にはその相手へ、心を向かわせてしまいます」

「そうだったの?ということは、ノインももしかすると……」

「記憶を失い、正体が希薄だったとしても、彼は理性的な大人です。その彼が婚前交渉は不自然すぎます。あなたの力が多少影響したとみて、間違いありません」

精霊の婚前交渉は御法度だ。それこそ、風の王が襲った者を斬るくらいには大事件だ。

というのは、精霊同士の性交は、霊力の交換という魔法のために行われる儀式だからだ。それは、相手の霊力を体内に取り込む魔法で、婚姻を結んだ精霊の間で発動する。

婚姻を結ばずに行うと、相手の霊力のみならず、生命力や魂までも吸い取ってしまかねない危険な魔法なのだった。

世界の刃である風の王と一家、協力を要請された精霊以外が精霊を殺す事は禁じられている。精霊殺しを行えば、否応なく風の王は裁かねばならなくなる。

その手口が婚前交渉だった場合、リティルの性格上問答無用だろう。

現に、フロインに手をつけたノインはリティルに殺されそうになった。

「……魂を分け合えてよかったわ」

「ノインがあなたを忘れなくて、よかったですよ。しかし、嫌がっている場合ではありません。何とかしなければ、風の城で乱交パーティーが始まってしまいます」

「それは困ったわ」

「冗談ですよ。この城には魅了の力を使える精霊がいるので、彼女達が抑えてくれますから」

花の精霊の頂点に立つ花の姫と、宝石を総括する宝石の精霊。ともに、魅了の力を持つ精霊だ。その力を完全に制御している2人がいるのだ、どちらかがこの城にいる限り、フロインは守られる。

「とはいえ、理性を欠いてセリアに襲いかかるのだけは、阻止します」

「夫婦なのだから、いいのではないの?」

今更?と言いたげに、フロインはコテンッと首を傾げた。そんな彼女を憎らしげに見つめながら、インファは言った。

「そんなことをしてしまったら、オレが耐えられませんよ!ノインは大丈夫なんですか?」

「冷静に見えるわね。彼を見ている限り、わたしの魅了は効いていないように見えるわ」

「……謎なんですよ、昔から。精霊に転成した今も、あなたの態度は昔と変わりません。以前より露出も増えているというのに、あなたに後ろからいきなり抱きつかれても、ノインは笑うだけで、冷静その者です。どういう理性をしているのか、疑問です」

フロインは自他共に認める、巨乳だ。精霊獣だった頃は、それを強調しないような服装をしていたが、精霊となった今、それもまた特徴と、女神のような神々しさを殺してはいないが、惜しげもなく胸の谷間を晒していたりと露出が増えていた。

「あなたも男性なのね」

「そうですよ?悪いですか?」

ジロリとインファに睨まれて、フロインは慌てた。

「ごめんなさい!だって、あなたからも健全な空気しか感じないものだから」

「世の中の男性の大半が、伴侶といても甘い雰囲気は醸しませんよ。風の王夫妻も、触れ合っていますが微笑ましいだけで、見せられないということはありません」

ハアとため息を付きながら、インファは自室兼雷帝夫妻の寝室への扉を開いた。

 部屋の中は、深い夜の森の中にいるようなそんな内装で、落ち着いていた。

インファが部屋に足を踏み入れると、控えめに天井から吊り下がった星の形をしたシャンデリアに灯が灯った。浮かび上がった壁は深緑色で、更に深い藍色で針葉樹の森が描かれていた。

本棚や低いテーブル、2人がけのソファーの向こうにアーチがあり、その先に天蓋付きのベッドがあった。

「セリア、起きてください。セリア」

インファは手前の部屋のソファーにフロインを座らせると、自身は奥のベッドに向かった。

彼の後ろ姿を観察していたが、フロインはふと目の前のローテーブルに視線を落とした。自然に入った木の亀裂に、様々な色の蛍石が散りばめられ、ガラスの天板が固定されていた。キラキラと光を受けて輝く蛍石が、まるで透明な水に沈んでいるようでとても綺麗だった。

「うーん……インファ……おはようのキスして……」

「いいですが、フロインが来ていますよ?」

「――えっ!ちょっと、早く言って!」

バタバタとアーチの向こうが騒がしくなり、フロインは再び視線を向けると、やれやれと言いたげなインファが戻ってくるところだった。

「2人きりだと、そんなことも言っているのね?」

「何百年も夫婦をしていますからね。フロイン、ノインは以前と変わってしまったと思うところはあるんですか?」

「そうね……以前より積極的になったけれど、変わってしまったと思うところはないわ」

「以前より、遠慮していると思いますが?」

「ノインは控えめよ。物静かで思慮深いわ。一歩退いて物事を見ているわ。記憶がないのよ、しゃしゃり出るような真似はしないわ」

「そう言われると、説得力がありますね。昨夜は帰っていないようですが、何かありましたか?」

「騎士と何かしているみたいね」

「ノインがノインと、ですか?」

さすがのインファも、ノインの行動を理解できないのね?フロインは、何を失ってもノインはノインだと変わらず親友でいてくれるインファに、嬉しく思ったが、表情を暗くした。

「今のノインに、風の戦い方はできないわ」

「風の糸ですか?……フロイン、死の安眠という儀式のことを、知っていますか?」

インファは、僅かな逡巡の後、意を決したように問うてきた。

「知っているわ。ノインとリティルが10年おきに挑んでいたわね」

「オレは内容を知りません」

「リティルが明かさないことを、わたしが明かすわけにはいかないわ。けれども、そう。死の安眠があるのね……」

「危険な儀式なんですか?」

インファの表情が硬い。

フロインは、あの儀式の事を明かされないインファを気の毒に思ったが、話すことはできなかった。フロインが知っているのは、風の騎士との夫婦時代、彼の中で殆どの時間を過ごしていたからだ。彼は当時、フロインのことを、幽霊女房と呼んでいた。

当時のフロインは妻などとは呼べない。ノインに取り憑いていたようなものだ。プライベートもへったくれもなかったのだが、ノインはそれを許し続けてくれた。今思えばそれは、自分が有限の命の精霊だと知っていたからだと思えた。

自分が死んだあと、同じくリティルの騎士であるフロインがリティルを支える為に、王しか知ってはいけないことも、教えてくれたのだ。

「そうね。リティルはあの儀式を、1人で完成させたことがないと聞いているわ」

「ノインが目覚めるまでは、失敗続きだったと言っていました。ノインは、父さんと儀式に挑むために騎士を頼っているんですか?」

「そのつもりだと思うわ。あの人はノインだから」

そうですか……とインファは、思うところがあるようで、俯いてしまった。

「ノインが、リティルを弟と認めてしまうとは思わなかったわ」

 フロインは、場違いに明るく言葉を紡いだ。

「ノインがそう公言してしまって、しばらく父さんが挙動不審でしたね。騎士がそう提案したと言うことでしたが、ノインは、そんなに前からそんなことを思っていたんですか?」

「ノインは、ずっと昔からリティルの事を、可愛がっていたわよ?騎士と主君という関係では説明できない仲の良さだったから、精霊達が誤解したのではないの?」

14代目風の王・インの息子であるリティルと、インと瓜二つのノイン。

この精霊達の異界・イシュラースに来たのはリティルの方が早かったのだが、リティルを守り甘やかす風の騎士と、そんな彼に反発するリティルの姿を見て、精霊達が兄弟なんだろう?と言い出したのだ。

リティルは、肯定も否定もしなかった。風の騎士も微笑むだけで、何も言わなかった。

「そうですね。ノインは気がついていなかったようですが、父さんはノインのことが大好きですからね」

インのすべてを受け継いでいた風の騎士は、リティルにとって越えたい、力を示したい人だった。憧れだったのだ。目標だったのだ。

「ええ。ノインがこの城に戻れてよかったのだけれど、リティルの兄でいようとするあまり、あの人は自分で自分を追い詰めてしまっているわね」

「自然体でいいんですけどね。自分ではわからないものなんですよ。父さんもどこか必死で、2人で完全にすれ違っていますね」

今、リティルにとって、ノインは何なのか。

変わらずそばにいてくれる安心。精霊的年齢19才のリティルは、自分よりも年上の精霊を欲している。大人だと、彼自身が認めている精霊達を、自分を映す鏡として使っている。

リティルが理想とする、風の王である為に。

その筆頭がノインなのだ。リティルがノインに求めているモノは、昔から変わらない。

そしてノインは、変わっていない。

「それで妬いているの?2人に放っておかれているから」

「フロイン……怒りますよ?妬いているのとは違います。オレは息子ですし、ノインは今も昔も相棒です。2人が苦しんでいることが辛いんですよ。オレが言葉をかけたとしても、2人に届かないんです。歯痒いんですよ。死の安眠、いつですか?」

「さあ?知らせがくるみたい。そうするとリティルは何も言わずに行ってしまうから」

「ノインが間に合ってくれると、いいんですが……」

「間に合うわ。あの人は今でも変わらず、リティルの事が大切なのだから」

フロインはノインを信じている顔で、ウフフと微笑んだ。

 リティルとノインと3人で、風3人と呼ばれ、風の城の中核を担っていた頃は心配などなかった。

リティルとインファが議論しているのを、ノインは余裕の表情で傍観していて、行き詰まると的確な言葉をくれた。しかし、現在のノインは応接間にいてくれるが、風四天王が議論に行き詰まっても、言葉をくれない。何かを言いたそうにしている素振りはあるが、リティルが問わない限り、ノインは遠慮して会話に入ってくれなかった。毎回リティルに「いてくれよ!」と引っ張られて「オレはここにいていいのか?」とそんなことを言う始末だ。

風の精霊ではなくなってしまったから。

理に精通するノインが、一線を守っていることはわかるのだが、論理的なインファでさえ、あなたはノインですよ?という感情が勝ってしまう。彼と2人、リティルを支え続けてきた記憶がそうさせる。

――オレはあなたを頼りたいですよ。いけませんか?ノイン……

言えないでいた。それを言って、ノインから「オレは力の精霊だ」とそんな言葉が返ってくるのが怖かった。インファもまた、彼の心の強さに守られてきた。彼からの拒絶に、耐えられないのだ。

元は金色だったのに、黒く変わってしまったその翼。あの翼が、リティルと同じ金色に包まれることはない。彼はもう、風の精霊ではないのだから。

「お待たせ!それで、何をするの?」

 支度を調えて、セリアが取り繕った笑顔でやっと現れた。

「フロインの性的な魅了を調べるんです。オレの理性、守ってくださいよ?そうできなければ、セリア、オレに襲われますからね?」

「ええ?インファに?何それ、美味しい……」

「セリアに抵抗はないようよ?」

「オレが耐え難いですよ!セリア、頼みましたよ?」

「ええ、任せて!ウフフフ」

何を想像しているのか、身悶えて笑うセリアに一抹の不安を覚えつつ、インファは、召使い精霊のスズメたちがベッドメイクの済ませてくれたベッドに横になるよう、フロインに指示したのだった。


 誰かが触れている。今、体に触れてほしくなかった。触れられると体がザワザワと疼いて、嫌悪が心を支配する。

「――インファ。しっかりして、インファ!」

母さん?インファは清涼で甘い香りを嗅いだ気がして、グラグラする頭で何とか意識を浮上させた。

何とか開けた瞼の向こう、白く煙る世界の中に、ぼやけた女性の顔が見えた。

「………………母さん……」

黒髪の、大きめな紅茶色の瞳の可憐な美姫が、インファのつぶやきにホッとした顔で笑った。

「体を起こさなくていいわ。自分に何があったのか、わかるかしら?」

体が気持ち悪い。何が?と見るとインファは服を着たまま全身ずぶ濡れだった。シェラのドレスも、重くお湯を吸っているようだったが、幸いにも透けてはいなかった。

彼女の青い光を返す不思議な黒髪も濡れて、雫が滴っていた。背に咲いた、モルフォ蝶の羽根も濡れて、飛べないだろうなと思えた。

 ここは、風の城の浴室のようだ。

各々の部屋に風呂場はついているのだが、それとは別に、この城には広い浴室がある。それは、何代か前の風の王が水の絡む戦闘を想定した訓練用に作った部屋だった。滝に川、深い浴槽とまるでテーマパークのような浴室だ。

「セリアは……無事ですか……?」

「ええ。わたしを呼んだのはあなたよ?よく頑張ったわね」

シェラは清浄な微笑みを浮かべていた。欲望を一切刺激しないシェラの纏う空気に、インファは安堵していた。

「……母さん……フロインの魅了の力ですが、今になって強力になったことには、意味がありそうです」

「そのようね。あなたに触れたとき、感じたわ」

 シェラはインファの隣に座り直しながら、彼に呼ばれた時のことを思い返していた。

――母さん!……くっ!助けて――くださいっ!

応接間にいたシェラは、突如水晶球から聞こえたインファの声に、慌てて次元を越えるゲートを使って、インファに座標を固定するとすぐさま飛んだ。

空間の歪みの向こうは、雷帝夫妻の寝室だった。インファは恐ろしく切れ味のいい、白い剣――風花の剣で、自分の足を刺し貫いていた。熱い吐息を吐き、何かに抗う様子のインファに、セリアもフロインも近づけなかった。

セリアがインファに近づいてはいけないことは、部屋に満ちていた甘ったるい香りで察した。シェラは、咄嗟にインファの下にゲートを開くと、一緒に飛び込んだ。

ゲートの先は浴室で、インファ諸共シェラは湯船に落ちた。

リティルがいればよかったのだけれど……と、思ったが、やるしかない。シェラは朦朧としているインファが溺れないように浴槽の縁に捕まらせると、自分は湯船から上がり、強力な媚薬に犯されている息子の体に触れた。

シェラの清浄な霊力を少しずつ送り、インファの霊力を犯しているフロインの霊力を無力化していった。理性の強いインファでは、物理的な発散は心に負担がかかりすぎる。苦痛が長引いてしまっても、この方法しかとれなかった。

「?」

その過程で、シェラは枯れ落ちていく花々の映像を見た。暗く冷たい風が、花たちを蹂躙していく光景。

「あれは、死。かしら?」

「死が、産む力を上回り、世界を衰退させる暗示のように感じました。世界は、フロインに助けを求めているんでしょうか?」

「……魅了の力は、わたし達が持っているだけで世界に影響を及ぼしているの。フロインは、受精させる力の結晶体である精霊の至宝・原初の風から力を得ている存在であって、守護者でも継承者でもないわ。なぜ、彼女なのかしら?」

「原初の風が、性的な魅了の力の源なんですか?」

「ええ、そうよ」

「……原初の風の精霊は、インジュです。しかし、インジュには魅了の力がありません」

「あの子には、性的欲望もないわね。だから、フロインが?何が起こっているのかしら?」

「産む力を司る精霊は、花でしたね?」

次元の大樹、神樹の花の精霊であるシェラ以外の花の精霊は、大地の王の管轄だ。花の精霊の住まう場所は、大地の領域にある。

「花園を調べてみましょう。リティルに連絡を取ってみるわ」

胸の前で両手を組んだシェラに、インファは声をかけていた。

「……母さん、フロインの魅了の力ですが、何とかなりそうです」

「!見つけたの?」

あの状態で?とシェラは驚いていた。インファは、力なく苦笑した。

「これを、フロインにわたしてください」

インファは、自分の羽根を一枚抜くと、そっと握りそして開いた。インファの手の平には、何の飾りもない金の指輪が乗っていた。

「オレの霊力で作ったものですが、仕方ありません。母さんからわたしてください」

「わかったわ。わたしておくわね」

精霊の婚姻は、魂を分け合うという言い方をする。それは、自分の霊力で作ったアクセサリーを贈り合うことで成立するからだ。霊力は、その精霊固有のモノで、魂と同じく、唯一無二だからだった。

今回、インファがフロインに直接渡してしまうと問題があるが、母親であるシェラに1度譲渡し、それを同性であるシェラから贈ることで、婚姻の証という意味を回避できるのだった。

「リティル、仕事中かしら?」

フウと息を吐き、瞳を閉じたインファの隣でシェラは、リティルの体内にあるシェラと繋がっているゲートである一心同体ゲートを使って、リティルに話しかけた。

『いや、応接間だぜ?今、帰ってきたんだ』

「そう。インファが、フロインの魅了の力を抑える術を見つけたわ。それで、すぐに調べなければならないことが出てきてしまったの」

『ああ、わかった。どこにいるんだよ?』

「浴室よ。インファも一緒よ」

『浴室?わかった、今行くよ』

浴室と聞いて、リティルの気配がどうしてそんなところにいるんだ?と首を傾げた。すぐに動いてくれたリティルに安堵しながら、シェラは眠ってしまったインファの濡れた頭をそっと撫でた。

「本当に、よく頑張ったわね……」

 しかし、インファにしては理解が足りなかったと、シェラは思った。

油断。インファは油断したのだ。妃が、魅了の力を使える精霊だから。だが、花と宝石の魅了は、異なる魅了だ。

宝石の魅了は、恋愛でいうならば、相手を手に入れたいという、始まりたいという心を刺激する。

対して花の魅了は、実を結ぶ。命を育む欲望を刺激する。

フロインの魅了は、花の魅了だ。立ち会わなければならなかったのは、セリアではなくシェラだったのだ。インファはセリアを愛しているが、女性が苦手だ。魅了という力に関して、知識が足りなかったのだろう。

「おーい、シェラー!」

「ここよ、リティル」

湯気を裂いて、金色の鳥が飛来した。

「インファ、ぶっ飛んだって?」

浴室の入り口で、セリアとフロインに会ったと、リティルは言った。

「耐えたわ?さすが、あなたの息子ね」

媚薬漬けだったわと、シェラはフフフと含んだ瞳で夫を見た。

「はは」

そんな大昔のことを……とリティルは苦笑すると、風を操り2人を瞬間乾かしていた。

「セリア!インファ寝室に運ぶからな!あと頼んだぜ?」

リティルは湯気で見えないが、そばまで来ているセリアの気配に向かって声をかけた。セリアの「はい!」という返事が聞こえ、気配が遠ざかっていった。

シェラはゲートをインファの下に開くと、3人で潜ったのだった。


 応接間にフロインを伴ってリティルとシェラが戻ると、風の城の執事がソファーで召使い精霊のハト達と書類の整理をしていた。

四天王の1人、執事、旋律の精霊・ラス。二十歳を超えたところで、インファよりも年下の容姿をした、長い前髪に左目を隠した控えめな青年だ。彼の背には、金色のハヤブサの翼が生えていた。

リティルの気配を感じたのだろう。ラスはハト達に片付けを頼むと、そっとソファーを立った。そして、お茶の用意をするべく、召使い精霊のシラサギが用意して置いてくれたワゴンに、合流したシェラと向かった。

「リティル、ノインから連絡があったよ」

ラスは、リティルの前に紅茶を置きながらそっと報告した。

「……どっちの?」

「え?ノインだよ?力の精霊。リティルにごめんって言っていたけど、ケンカでもしたのか?」

「……騎士と、手合わせしてるところ見られちまったんだ」

ああ、それでとラスは呟いた。嫌な思いをさせたんだよな?としょげていたリティルに、ラスは思わぬ伝言を告げた。

「風の針、1本に絞って出力を上げれば、攻撃が通るんじゃないかって言ってたよ。それで伝わるって言われたけど」

え?っとリティルは顔を上げていた。

「それ、兄貴が?騎士じゃなくてか?」

「うん。あの時は言えなくてごめんって。ノイン2人に戦闘指南って、贅沢だな」

ラスは、羨ましいよと、憂いを帯びた控えめな笑みで微笑んだ。

「風の城出る気はないけど、しばらく帰れないって。リティルを呼ぼうか?って言ったんだけど、いいって言われてしまったんだ」

ラスは引き留められなくてごめんと、頭を下げた。というのは、リティルは俯いてしまったからだ。

「――うわー……あいつやっぱり見られるじゃねーか!ハハハ!ラス!ノイン帰ってきたら、闘技場に引っ張ろうぜ?」

いきなり顔を上げたリティルは、とても嬉しそうにはしゃいでいた。

「え?見てくれるかな?見てくれたら嬉しいけど。遠慮してるみたいだったけど……」

ラスは、面食らいながらもリティルの気持ちがわかる気がした。面倒見のよかった騎士は、本当によく戦闘指南してくれた。今、それが受けられなくて、ラスも不満だ。日々、魔物のありようも変化していく。インジュと2人、ラスは困難を感じていた。相棒のインジュは殺せない戒めのために、戦い方がかなり特殊だ。そんなインジュに難なく合わせられるラスだったが、騎士の指摘を当てにしていたのだった。

「遠慮なんかいるか?あのノインだぜ?」

「そうだけど……。リティル、ノインに風の力を渡すことはできないのか?」

「ん?」

「気になってることがあるんだ。ノインの翼、どうして黒いままなんだ?」

黒い翼は、――リティルはドキリとした。リティルも黒い翼が気になって、霊力をインファに探らせたが、霊力構造に異常はなかった。インファも気になりますねと言っていたが、まだ何もわかってはいなかった。

「昔の記録を見たんだ。前任の力の精霊のカラーは赤だった。前任の力の精霊は太陽王の守護精霊だったから、そうなのかと思ってたけど、ノインの使う大剣、あれの纏う力は炎みたいな赤だ。でもノインの体に、赤い色がないだろ?瞳も髪も、風の色の金色だ。風の力は使えないのに、不自然だけど。それよりもっと不自然なのは、あの翼だ。あの黒は何の色なんだ?」

それは……とリティルは言い淀んだ。

「死。ね」

答えたのはフロインだった。

「命が終わる、ギリギリでの転成だったからかしら?精神についた傷は癒やせたけれど、まだ、どこか不具合があるのかしら?」

フロインは危機感なく首を傾げた。

「親方にも聞いてみたけれど、殺戮の衝動にも異常はないと言っていたわ」

「殺戮の衝動?ノイン、まだ持ってるのか!?」

リティルが鋭くフロインの言葉に食いついた。

「ええ。14代目風の王と同じ、インジュがクイーンと名付けたオオタカがいるわ」

あり得ないことだった。彼はもう風の精霊ではない。”クイーン”がまだ、ノインの中にいて、未だに彼を守っているなんて、ただの本能が、風の精霊の固有のものが受け継がれたなんてリティルには信じられなかった。ノインは風の力を、完全に失ってしまっているのに。と。

「転成がうまくいっていないということは、あるのかしら?」

シェラが不安そうに隣のリティルを伺った。

「ノインに殺戮の衝動があると、マズいのか?」

ラスが不穏な空気を感じ取って、恐る恐る聞いてきた。

「殺戮の衝動は、風の精霊特有の闘志だろ?。風の精霊が、どんな強敵を前にしても臆さねーように、必要以上の恐怖に駆られねーように、風の精霊を守る本能の力だ。ノインはもう風の精霊じゃねーだろ?それなのに、残ってるっていうのはそれだけで不自然なんだよ。……父さんの体が、影響してるのか?」

殺戮の衝動にはもう1つ、能力があった。それは死に直面したとき、世界の刃である風の仕事を全うできるように、殺戮形態へと変身して1度だけその強大な力を使えるのだ。

風の精霊の最後の切り札だ。その力を、インジュ、インファ、リティル、ラスの4人は、意志によって変身、解除ができる。

インジュには、殺戮の衝動を制御する”エンド”という人格がいるためで、ラスは”ジャック”という殺戮の衝動その者の人格がいるからだ。

リティルとインファは、自身の殺戮の衝動と深く関わったことがあり、それによって霊力消費はかなり激しいが殺戮形態に変身することができるようになったのだった。

「14代目風の王・インの?ええと、ノインは元々、風の王だったんだっけ」

 ラスは、書かないとわからないと言って、ノインの系譜を書き始めた。

「物騒なこと言うなよ!蘇りだったら風の獲物だろう?あのな、蘇らされそうになった14代目風の王を、インファが霊力を与えて守護精霊にしたのが風の騎士・ノインなんだ。その時、オレと親子だった記憶と関係性を対価にしてる。騎士ノインはオレの父さんの蘇りの生まれ変わりなんだよ」

「無理矢理だったものだから、霊力構造に異常があって、インファが上級精霊から最上級精霊へ昇格したとき、決定的な不具合が生じてしまったの。ノインは命の期限を取り払うために、力の精霊に転成したのよ」

フロインの言葉にラスはまだ首を捻っていた。

「ええと、ノインの魂は?インの物?」

「それは、オレが継承してるぜ?父さんの魂は、オレの魂だよ」

「リティルは14代目風の王・インに作られたんだったっけ……ノインの魂はどこから?」

リティルは、インの魂と、ウルフ族というグロウタースの民の体を用い、邪法・融合の秘術で産み出された精霊だ。作り出した器に『リティル』という心を目覚めさせたインは、リティルが風の王となるまで彼の心にいて、リティルを育てたのだ。故に、重なるはずのない前王のインをリティルは知っていた。

「ドゥガリーヤの水で作られたんだ。だから、元からノインのものだぜ?だからノインは性格が父さんと違うんだ」

始まりと終わりの地・生命の大釜ドゥガリーヤ。インを蘇らせようとした者は、命が産まれ還るその禁断の場所から、ドゥガリーヤの水と呼ばれる力を盗み出して使ったのだ。

「でも、姿形、殺戮の衝動、戦闘能力、知識はインのものなんだ……。力の精霊・ノインが引き継げたのは、姿形、殺戮の衝動、魂、性格、2人分の知識……引き継げなかったのは、記憶、風の力……ダメだ!よくわからなくなってきた」

ラスが金色の髪の毛をクシャリと握った。

 ラスが解き明かしたいのは、風の力がないのに風の精霊色素を未だに持っている事と、あの黒い翼の謎だ。あの黒い翼は、なんだかよくわからないが、よくない気がした。

風の騎士で、元補佐官の座にいたノインに、ラスは執事として仕えていた。主人としても家族としても、ラスは彼の事が好きで恩を感じている。ノインにこれ以上何かあるのは、嫌だった。

「何をしていますの?」

「うわあ!リャリス、いつの間に!」

ラスの手元を、ひょいと覗き込んだリャリスに、机の上に集中していた皆は驚いた。

「声はおかけしましたのよ?けれども、誰一人気がついてくれませんもの!何ですの?ノインの解剖図ですの?」

リャリスはジッと、ラスの書いた文字を目で追った。

「……あの方、複雑ですのね。知っていましたけれど。お父様、ノインに翼は早めに捨てるよう、言ってくださいまし」

「え?どうして?」

ラスは、思わずリティルを差し置いて問うてしまっていた。

「……あの色、危なくってよ?今年は皆既日食の年ですわ。太陽と風とで抑えていた死が、力を増しますの。死の色は黒。何事もなければよろしいのですけれど」

「リティル……」

リャリスの言葉に、押し黙ってしまったリティルをラスは案じた。

ノインの翼はオオタカ。その翼が、2人を兄弟だと繋いでくれているような気が、ラスにはしていた。ノインは、風の城に帰ってきて、リティルの事を弟だと言い始めたくらいから、リティルとわだかまりがなくなった。だが、最近、落ち着いていたはずのノインが何かを悩んでいるようだった。リティルが彼を「兄貴」と呼ぶと、何か物言いたげな複雑そうな瞳をするようになっていた。

「リャリス、ノインは翼のこと、知ってるのか?」

ラスはリティルに代わって問いかけた。リャリスは、顔をしかめた。

「知っていましてよ?お伝えしたのは、数ヶ月前ですわね」

数ヶ月前……ノインが悩み始めたのはいつだっただろうか?とラスは記憶を遡ろうとした。

 急に目の前で気配が動いた。顔を上げると、リティルが立ち上がっていた。

「ルキルースに行ってくる」

「リティル、感情で動いてはいけないわ」

夫の手を、シェラは掴んでいた。

「翼があってもなくても、ノインはオレの兄貴だよ。危ないものなんて、持ってなくていいだろ?」

「命の方が大事だってことはわかってるよ。でも、ノインにとっては、悩むくらい大事なものかもしれないじゃないか。風の力がなくても、あの翼は、リティルと同じ、オオタカの翼だ」

ラスの言葉に、リティルは唐突に、あの翼が、オレとノインを繋いでるのか?と思った。そう思ったら、会いたいと思った。

「……オレ、ノインに会ってくるよ」

「リティル!ノインになんて言うつもりなんだ?正論はぶつけちゃいけない」

「話しがしてーんだ。何でもいいから、あいつと、話しがしてーんだよ!」

どうして会いに行っちゃいけねーんだ!とリティルは、どこか必死だった。ラスとシェラが、リティルを止める中、口を開いたのはフロインだった。

「今は、そっとしておいてあげて。リティル、あの人はあなたを、変わらず大切に思っているわ。だから、信じてあげて」

どこか違う空気感で、フロインは温かく微笑んだ。リティルはため息を付くと「わかったよ」と呟いて、ソファーに腰を下ろした。そんなリティルの様子に、フロインはニコニコと微笑んでいた。

 フロインは暗い雰囲気をものともしない様子で、ホンワカとシェラに尋ねたのだった。

「シェラ、インファは何かを掴んでくれたのかしら?」

この指輪は受け取ったけれどもと、フロインは右手の中指にはめた、シンプルな金の指輪を見せた。

「インファの霊力に絡まっていた、あなたの霊力を解いたとき、死の暗示を視たわ。インファは、死が、産む力を上回ることを嫌がった、世界が引き起こした事象ではないかと、言っていたわ」

「産む力?けれどもわたしは、リティルを守護する原初の風の意志で、受精させる力を司っているわけではないわ?」

なぜわたし?とフロインは戸惑っていた。

「あら、そうでしたの?それにしては、もの凄い魅了の力でしたわね」

「受精させる力を司っているのは、インジュよ。けれどもあの子には、魅了の力も性的欲望もないの」

「欲望がないのですか?」

リャリスは驚いていた。そうだろうなぁと、リティルは苦笑した。受精を司る精霊だが、欲望を持たないなんて、誰が信じるんだ?と思ってしまった。

「ああ、だからな、あいつの霊力をもらってるおまえは、かなりレアなんだぜ?」

「同時に、危険だと言えるよ。リャリス、その日食が過ぎるまで、風の城か太陽の城から出ない方がいい。インジュが殺しても死なないような強い精霊なのは、インジュの力を狙うモノがそれだけ多いからだよ。もしかすると、インジュに恋愛感情がなくなってしまったのは、相手を危険から守る為なのかもしれない」

神妙に言ったラスの言葉に、リティルが腕を組んで俯いた。

「一理あるかもな……婚姻関係にある精霊の方が、ぜってーインジュより弱いからな。そっちを狙った方が、あいつの霊力を喰える可能性が高けーってわけか」

リャリスがガタンッとソファーを立った。明らかに動揺していた。知恵を授ける対価に、リャリスはインジュから霊力をもらっていた。彼の霊力は、さすが宝石の姿をした至宝の精霊だと感心するくらい、キラキラ輝いていた。リャリスは、本当に微々たる量しかもらっていない。それだけ、彼の霊力は強力で価値があるのだ。

今までもらった分をすべて集めても、小さな小さなダイヤモンドくらいにしかならない。

「軽率でしたわ……どんなに知識を与えても、インジュから対価としてもらう霊力は、砂粒ほどでしたの。それは、それだけ価値があるということなのですわ。お父様、申し訳ないのですけれど、次回から、お父様から対価をいただきますわ」

「へ?いいけどな、おまえ……いいのかよ?」

「しかたありませんわ。インジュの霊力を、盗られるわけにはいきませんもの」

リャリスは、切れ長の瞳に、知的な笑みを浮かべた。なんのことはないと見えるが、本当にそうだろうかとリティルは勘ぐってしまった。

 最近インジュは忙しいが、本当に2人はすれ違っている。まるで、故意に避けているかのように。仕事の割り振りは副官であるインファの仕事だが、インファが?いや、彼は合理的で恋愛に疎い。そんなことをしているとは考えられないんだけどな……とリティルが考えていると、玄関ホールに続く扉が開いた。

「ただいまー!リティル、見回ってきましたよぉ?」

戻ってきたのは、インジュと音の精霊・エーリュだった。

エーリュは、旋律の精霊・ラスの妻だ。番といって、必然の関係だった。短い緑がかった金色の髪の、快活な二十歳を少し過ぎた容姿の女性だ。

「ご苦労さん。ヴォーカルコンビ」

エーリュは人間からの転成精霊だ。その昔、大陸1つを巻き込む事案に、関わったとき、インジュはインファとリティルと共に、人間に身をやつして人間の都に潜入したことがある。そのとき、インジュをヴォーカル、インファをピアノとして『インサーフロー』という歌手をしていた。その時出会ったエーリュも歌手だったのだ。

「ただいま、リティル君、春になったのに生命の循環が遅れてるわ。ユグラの所に寄ってきたけど――あ、リャリス」

エーリュはリティルの姿を見て、報告しながらソファーまでシロハヤブサの翼で飛んできた。そして、リャリスに気がつき、どこか嬉しそうに後ろのインジュを振り返った。

「ごきげんよう。私にご用ですの?エーリュ」

「ううん。インジュが最近会えないってぼやいてたから。インジュ、よかったわね」

「はい。生存確認できましたぁ」

お気楽に柔らかく、インジュはリャリスにニコニコと笑いかけた。そんなインジュに、リャリスは複雑そうに眉根を潜めると、視線をそらしてしまった。

「で?ユグラはなんて言ってたんだ?」

ユグラはリティルと同じ元素を司る王で、大地の王だ。大地の王は、魂をグロウタースに送り出す役目を負っている。

「え?あ、うん。なぜだか、空気や土の温度が上がらないって言ってたわ。温めるのは太陽の仕事よね?太陽の城に何かあったのかな?って」

太陽王はセクルースの統治者でもある。エーリュはリティルに伺いを立てるために、大地の領域とは隣同士の太陽の領域へは寄らずに帰ってきたと言った。

「こんなにすげー影響があるのか?皆既日食半端ねーな」

他人事のように言うリティルに、ラスは思わず言ってしまった。

「リティル、それだけじゃないだろ?今年は10年に1度の死の安眠の年だよ。あの儀式は、死の力を削ぐ儀式だろ?その儀式と、死を抑える力の一時的な消失が、影響してるんじゃないのか?」

「死の安眠と皆既日食、どっちが早えーんだろうな?ヤバイじゃねーか、オレ、今回失敗できねーじゃねーか!」

「失敗するとどうなるんです?」

どこか強がるように言うリティルに、インジュは心配になってきた。

「オレ的には来年に持ち越しだけだな。けど、世界にとっては不作の年になっちまうんだよ。普段なら、死人が出るほど影響ねーんだけどな、すでに影響が出てるしな、今回失敗すると、大飢饉が起きちまうな。けどラス、どうして死の安眠の内容知ってるんだよ?あれは、風の王しか知らねーんだぜ?」

「え?普通にルディル様が教えてくれたけど?」

ラスは、風の王の協力精霊である夕暮れの太陽王・ルディルとの、連絡役も務めていた。

水晶球でもいいのだが、会って話したいという太陽王の要請で、定期的に出向いていたのだった。そこでラスは、死の安眠という儀式のことを聞いたのだ。

ラスは、風の王しかこなせないような儀式のことを、一介の風の精霊に話してはいけないと苦言を呈したが「おまえさんは、一介の風の精霊じゃぁねぇわ」と一蹴された。そして、更に困ることを言われてしまった。ルディルは「インファも知らん儀式だ。執事のおまえは知っとけ」と。ラスはどうして知ってるんだ?と言ったリティルに軽く返したが、重要で危険な儀式であることは承知していた。

「ルディルのヤツ、自分は関係ねーのに、死の安眠のこと知ってたのか……」

「頼ってほしいのかもしれないよ」

ルディルは、リティルがノインを、その儀式に関わらせないかもしれないことを危惧していた。皆既日食とその儀式がかぶってしまったことは、これまで1度もなかった。いつもとは違う状態になるんじゃないか?と、ルディルは案じていたのだ。

「はあ?あいつは皆既日食じゃねーか!こっちに関われるわけねーよ。ハルに全部押しつける気かよ!」

太陽王は、夕暮れの太陽王・ルディルと夜明けの太陽女王・レシェラ夫婦の2人だ。ハルの愛称で風の城で呼ばれているレシェラが城にいてくれるために、ルディルはフラフラと出歩いていられるのだ。

ここでリティルが、少しでも弱気な素振りを見せれば、保護者気取りのルディルが押しかけてくるかもしれない。それだけは、現役風の王として阻止しなければならない。

「太陽王夫妻、リティルの事心配してたよ」

「……心配されてもな……」

死の安眠。これだけは、頼りがいのあるルディルを頼りたくても頼れない。困るリティルに、インジュは疑問を口にした。

「ルディル、関われるんです?ルディルが風の王やってた時代には、なかった儀式ですよねぇ?」

すべてが歴代王の中でも規格外の最強の風の王、初代風の王・ルディル。それが、夕暮れの太陽王・ルディルの以前の姿だ。

確かに彼が関わってくれれば、楽だ。あの儀式は、ルディル好みだからだ。しかし、皆既日食を抜きにしても、無理だろうなとリティルは思っていた。

「さあなぁ。オオタカの翼が通行証なら、オレンジ色だけど、未だにオオタカの翼持ってるルディルも入れるかもなぁ。騎士ノインとしか入ったことねーんだよ」

「その儀式、ノインは危険ですわよ?」

リャリスは、硬い表情でリティルを見つめていた。

「智の精霊、対価を支払う。言えることは全部言ってくれねーか?」

しかし、リャリスは首を横に振った。

「無理ですわ。言えることを全部言ってしまったら、お父様の霊力、すべてをもらわなければならなくなってしまいますわ」

「ボクが払いますよぉ?」

「インジュ、私、もうあなたからもらえませんわ」

インジュは理由を問おうとしたが、聞いていいのか?と思ってしまったらしく、微妙な空気を醸してしまった。それを壊すように、ラスはリャリスに問うた。

「ノインが儀式に関わると、どう危険なのかは?」

「……それくらいなら……初めに断っておきますわよ?私の言葉は知識ですわ。それをどうお使いになるかは、あなた方次第ですわよ」

リャリスはそう言い置いて、告げた。

「オオタカの翼は、死を導く者の証ですわ。金色なのは、太陽に照らされ光り輝いているからですのよ。その翼が、死の色をしていたら、ノインはあちら側に行ってしまうかもしれませんわ。ただ、死の色とは言い切れないのですけれど。儀式について、正しい知識を得てくださいまし。それから、ノインの黒い翼の意味を説き明かしてくださいまし」

それだけ言うと、リャリスはリティルの手をそっと握った。力が奪われるのを感じた。

「お父様、ごきげんよう。たまには、私のこと、思い出してくださいまし」

リティルがリャリスの手を握り引き留めるより早く、彼女は素早く手を離していた。そして、シュルリと読めない身のこなしでソファーから離れていた。

「リャリス?」

「楽しかったですわ。最後に会えない方々がいるのは、とても心苦しいですわね。お兄様のピアノ、聞きたかったですわ。そうでしたわ!インサーフローの歌は、この世界のどこにいても、聞こえますわね。期待していましてよ?」

リャリスは、妖艶な顔に似合いの微笑みを浮かべていた。インジュは、考えるより先に動いていた。見越していたのだろう。リャリスは、掴もうと伸ばされたインジュの手をスルリと躱していた。

「リャリス!どうしてです?」

「理由は、すぐにおわかりになりますわ。ごきげんよう、インジュ」

玄関ホールの扉に向かうリャリスの行く手を、インジュは遮った。その動きすら読み、リャリスはフウッと息を吹きかけた。毒の霧に飛び退くしかなかったインジュの脇をすり抜け、リャリスは城を去ったのだった。

「インジュ、追うな!」

毒の霧を、手の平に纏った固有魔法・反属性返しで消し去ったインジュは、毒で蕩けた玄関ホールへの扉を躊躇いなく掴んでいた。そんなインジュの背に、リティルの声がかけられた。

「あいつは、オレから奪う対価を少なくするために、自分の風の城にいられる時間を賭けたんだ。永遠に会えねーわけじゃねーよ。だから今は、あいつに甘えようぜ?」

でも!と言いかけて、インジュは毒々しい紫色に溶けた玄関ホールへの扉に視線を戻した。 彼女は智の精霊だ。この、いつも問題ばかりを抱えている風の城にいて、助言できないことが辛かっただろう。小さな助言を与え、対価をくれとインジュの霊力を求めたが、それも、本当にもらってます?と思えるほど微々たるものだった。彼女は、肩入れする皆に助言できない苦痛を対価に、小さな助言をくれていたのだ。

知識は、それほどまでに高価な物なのだとインジュは思い知った。

どこまで、彼女の行動に意味があったのだろうか。

ボクのことを好きだと言いながら、近寄ってこなかったことに、意味があったのかなかったのか、インジュは何を思えばいいのかすら見失っていた。

「リャリスのくれた助言、活用しないと。儀式のこと、調べられる?」

リャリスの言葉を録音していたラスが、彼女の声を呼び出して忠実に文字に起こし始めていた。

「ああ、それは記録があるだろうからな。オレがやる。あとは、ノインの黒い翼の意味か。あれ、意味があったんだな?フロイン、心当たりねーか?」

「ないわ。黒は死の色……。死に詳しい人……リティルよりもノインかしら?」

「そう言われるとな……でも、父さんは何か知ってたかもな。父さんが知ってたなら、ノインには知識があるはずだぜ?フロイン、ルキルース行ってくれ」

「わかったわ」

「……インサーフローの歌って、あれも助言です?」

「たぶんな。ただ、インジュとインファが、何を歌ったらいいんだ?」

「あれ?そう言えば、お父さんどこ行ったんです?今日、城担当じゃなかったでしたっけ?」

インジュが、インファがいないことに気がついて首を傾げた。

 ああ、インファはとリティルが言いかけると、頭上のシャンデリアがカシャカシャンと澄んだ音を立てて揺れた。

皆が一斉に上を見上げると、一羽の金色のイヌワシが、慌てたような冷静さを欠いた動きで、落下してきた。シャンデリアの影に隠れた天井には、城の3階へ続く隠し扉がある。それは、鳥に化身しなければ抜けることができないのだった。

「大丈夫かよ?インファ」

リティルは腕を上げると、落ちてきたイヌワシの止まり木にしてやった。

『……大丈夫ではありません……このままルキルースへ逃げさせてください』

「あら、あなたが一緒なら心強いわ」

「へ?待てよ!貴重な頭脳を!って、まあいいか。インファ、このままフロインとルキルースな!」

『何ですか?』

心に余裕はなくても、仕事があることはわかるらしい。

「向こうでフロインに聞けよ。ノインにオレが、寂しがってるって言っといてくれよ」

『はい?わかりました。フロイン行きましょう』

インファはリティルの伝言に首を傾げたが、一応同意してフロインの腕に留まると2人で中庭へ向かって行ったのだった。

「インファったら……リティル、セリアを慰めてくるわね」

シェラは困ったわねと優しくため息を付くと、ゲートを開きどこかへ行ってしまった。

「あのぅ、お父さん、どうしたんです?」

嵐のように現れて去ったインファに、インジュは呆気にとられていた。

「ああ、フロインの魅了もろに浴びたみたいでな、あいつにしたら屈辱的な状態になったんだよ」

「暴発しちゃいました?」

お父さんが失敗って、珍しいですとインジュは、驚く以外の感情が動くことなく驚いていた。

「暴発っておまえ……いや。耐えたぜ?すげーよな、あいつ、そんな状態でも情報もぎ取ったぜ?シェラと2人で、花が枯れて死の風が吹く暗示を視たんだってよ」

「死の暗示……リャリスがボクを避けてたのと、関係あると思います?」

「おまえ、避けられてたか?あいつ、ちゃんと毎日来てたぜ?」

「ボクを避けてるの、わからないようにするためです。リャリス、普段から自分の我慢とかを対価にしてましたから。対価はちゃんと、ボク達から取らないとダメですよって言ったんですけどねぇ。あのぉ、ボクから対価もらえなくなった原因ってなんです?」

「ごめん、インジュ……オレのせいなんだ」

ラスは申し訳なさそうに、インジュの霊力の危険性を語った。これは実は、太陽王・ルディルの受け売りだった。

「ああ、それで遠慮しちゃったんです?大丈夫ですよぉ。ボクの霊力、そのまま使える精霊は殆どいませんからぁ。霊力凝縮して、ちょっと高い宝石になるくらいですよぉ」

「それ、魔導具の材料になるんじゃねーか?」

それはそれで危険だぜ?とリティルは心配顔だった。

「それしようと思うと、相当な鍛冶かアクセサリー加工技術がいりますよぉ。あとは、力を扱う力です。そんなの両方持ってるのって、鍛冶屋で霊力扱う能力が高い、親方くらいしか心当たりないです。今のところ、精霊にしか触れないですし」

深淵の鍛冶屋・ゴーニュ。風の精霊で、この城から出られない制約がある。彼がリティルを裏切るわけはなく。風の城が落ち、すべてを奪われることはまず考えられない。インジュとゴーニュとが2人で画策しなければ、インジュの力を持つ魔導具は産み出されようがなかった。

「インジュが誰も選ばないのは、精霊的事情なのか?」

「ああ、そうかもですねぇ。魂を分け合ったら、することは1つですよねぇ。ボク……できないんです」

「できないって、気持ちが動かないっていうこと?」

エーリュの問いにインジュは首を横に振った。そして、パッと顔を上げて微笑んだ。

「不能なんです」

言葉の意味が、皆一瞬理解できなかった。

「え?嘘……インジュ……受精させる力。よね?」

エーリュが大いに戸惑っていた。

「そうなんですよねぇ。だから、フロインが全部かぶっちゃってるんです、きっと。リティル、フロインの力、何とかなります?」

「ああ、とりあえず、インファが何か掴んで対策したぜ?」

「さすが、お父さんです。リティル、ルディルに連絡してくださいよぉ。産む力が弱まっちゃうと、死が力を増しちゃいますよねぇ?死が強まると、グロウタースに大きな戦乱が起こっちゃうらしいじゃないですかぁ。お父さんやルディルは、戦争が起こるなら、それは火種があったって事だって言いますけど、ボク達が火に油を注ぐことはないですよぉ」

そう言ってインジュは、控えめに笑った。

「インジュ……おまえが最高の産む力を持ってる精霊だからって、おまえは風だぜ?風は、死の側に立ってるんだ。おまえが気に病む事じゃないぜ?心配するなよ!オレが何とかしてやるからな!」

「……はい」

そう言って、インジュは笑ったが、死の側に立ってるって自分で言ってるのに、何をするって言うんです?という思いがわき上がっていた。

 リティルは、欲望まみれだ。

欲する、すべてを手に入れ、守ろうとする。それを、一家の皆は叶えようとする。インジュも同じだ。リティルの願いを叶えたい。その為に産まれたんだと自覚している。一家を守ること、それがボクの生きている意味だと、インジュは揺るがない1つとしていた。

――でも、ボクにはボク自身の欲望がない……だからですか?リャリス……

何も言わずに身を引いてしまった、美しい智の精霊に想いを馳せ、インジュは瞳を、閉じた。


 細い細い糸が撫でる。気配なく忍び寄り、気がつかぬまますべてを掌握される。死を導く王の手の平で、命は、蹂躙されて散っていく。

ノインは、触れられた感触なく、糸が触れた箇所が鋭く切られていた。

「……休憩しよう」

ノインの体に、風の糸が触れるようになったのを感じて、騎士は魔法を解いた。

ハアと、詰めていた息を吐き、ノインは柔らかい草の上に腰を下ろしていた。

「凄いですね。風の糸そのままですよ」

近寄ってきたインファが、感嘆のため息を吐きながら賞賛してくれた。

「ですが、霊力の消費が激しいですね。風の糸と何が違うんでしょうか?」

「風の糸自体は霊力消費は微量だ」

「では、なぜ?」

インファの問いに答えた騎士だったが、彼の疑問には沈黙して、仮面の穴から覗く瞳で意味ありげにノインを見やった。視線を送られたノインは、小さく息を吐くと騎士と同じ金色の瞳でインファを見上げた。

「翼を失っては、リティルと儀式に挑めない」

「霊力の消費が激しいのは、その翼のせいだというの?黒は、死の色よね?あなたは、儀式には関わってはいけないのではないの?リャリスが心配していたわ」

ズイッとフロインは心配そうな顔で、座るノインの顔に顔を近づけた。ノインに、インファ、騎士の視線までもが集まっていた。

「ノイン、リティルを遠ざけた理由は、それか?だが、リャリスが痺れを切らした以上、リティルが決断を下すのは時間の問題だ」

「……それでも、手放したくはない」

「ノイン、1度風の城へ帰れ」

仕方のないと、困りながらも微笑んだ騎士はそう言いだした。

「インファ、図書室に、インが書き残した魂に関する書物がある。オレとて、内容をすべて覚えてはいない。現状を打開する手は、きっとある」

「なければ?」

「恐れるか?少しは強がれ」

「自分相手に強がるなど滑稽だ」

「インファ、フロイン、転成してオレは、ずいぶん素直になってしまったな」

ノインの言葉を受けて、騎士は、苦笑した。

「あなたも、そんなふうに葛藤していたんですね」

「おまえやリティルに、弱さは見せられない。特にリティルは、オレを頼りにしていた。インの手前、無様な様は見せられなかった」

「すみません……あなたの強さに、甘えてしまうんです。今も同じですよ。情けない醜態をさらして、ノイン、あなたの顔が見たくなったんです」

インファは自嘲気味に微笑んで、騎士ではなくノインを縋るように見た。その様子に、騎士が満足げな視線を投げているのを、フロインは見たのだった。

「おまえが?珍しいこともあるものだ」

醜態と聞いて、ノインは少し驚いたようだった。

「わたしの魅了の力に当てられてしまって、セリアに襲いかかろうとしたの」

「襲いかかろうとしていません!その前に阻止しました」

「「ますます珍しいな。シェラが防げなかったというのも意外だ」」

2人のノインは同時に声を発していた。

「シェラならば、防げたの?立ち会ってくれたのは、セリアだけよ」

首を傾げるフロインに、騎士とノインは視線を交えた。そして、ノインが答えた。

「君の魅了は、花の魅了と同じだ。花の頂点に立つシェラならば難なく防げたはずだ。同席したのはセリアだけか?よく襲いかからなかったな」

「シェラが来て、浴室へ2人で行ってしまったの。なぜ浴室だったの?」

フロインは、本当に性的な魅了の力を持っているとは思えない無垢さで、3人の男性の顔を見回した。視線を交えた3人は、ノインに言えというような視線を送った。オレか?とノインは若干戸惑ったが、答えてくれるものと信じて疑っていないようなフロインの視線を受けて、観念するしかなかった。

「欲望を、物理的に発散してしまった場合、浴室ならあとの処理が楽だからだ。むしろ、発散してしまったほうが、すぐに治まるが……」

ノインの同情するような視線を受け、インファは思わず声を荒げた。

「阻止しましたよ!母さんには、感謝しかありません」

「「おまえは本当に、色恋に抵抗があるのだな」」

「2人で声を揃えないでください!苦手なんです。なぜノインは平気なんですか?」

ノインと騎士は顔を見合わせた。

「平気なのか?」

騎士の言葉にノインは眉根を潜めた。

「平気?魔法的な力に、心をいいようにされているという感覚はない」

「そんなことはしないわ」

「魅了の力がだだ漏れ状態でしょう!焦りましたよ!あんなに焦ったのは、インジュが靄の犬に食われた時以来です」

「オレはもう少し頻繁に焦っているな」

「ああ、おまえはやはり冷静だな」

「そ、そうですか?……フフ、やはり、あなたはオレの相棒でいてください。落ち着きましたよ。ありがとうございます。なので、抗いますよ。精霊には固有の色がありますが、ノイン、あなたは風の力を使えないにもかかわらず、髪も瞳も金色です。黒は死の色だということですが、幻夢帝・ルキ、智の精霊・リャリス、破壊の精霊・カルシエーナ、無常の風、司書・シャビ、そして、花の姫・シェラは黒い色を持っています。黒。という色も、1つではないんですよ」

「精霊を象徴する色……精霊名鑑にならそんな記述も載っているかもしれない」

「精霊名鑑?……太陽の城だな。貴殿はなぜそんなことまで知っている?」

「オレではないな。これは14代目風の王から受け継いだ知識だ。前任の智の精霊に見初められるほどだからな。これからも、おまえの助けになるだろう」

「さて、誰が何を担当しましょうか……」

「待ってインファ、わたしの魅了の力はどうするの?」

「とりあえず、それで何とかなると思いますよ」

インファは、フロインの指にある金の指輪を指さした。

「「インファ、おまえはそもそもどうやって、フロインの魅了を抑えた?」」

またまた同時に、騎士とノインが声を揃えて問うていた。

「……ノイン、そんなに声が揃うというのに、騎士とあなたは違うと言うんですか?フロインの魅了は産む力です。反属性の死の力で抑えられるだろうと思ったんです」

「死の力……風の王の風か?」

答えたのはノインだった。

「ええ、そうです。オレは風の王の息子ですから、微力ながら血に王の風を持っています。それを使ったんですよ。結果は間違っていなかったようですね。騎士ノイン、あなたは風の王の風を持っていましたね?」

「……偽っても仕方がない。そうだ。金色のオオタカの翼が、死を導く力を持つ証だ」

「フロインそれが真相です。あなたは風の騎士・ノインと魂を分け合い、彼の霊力で作られた婚姻の証によって、魅了の力が抑えられていたんですよ」

「その証を失ってしまったから、魅了の力があふれ出してしまったのね?けれども、ノインにはまだオオタカの翼があるわ?」

「それなんですが……ノイン、翼が黒く染まってしまった原因は何だったんですか?」

「命の終わりだ。リャリスの言ったことは正しい。あの時のオレは、言うなれば、危篤状態だった」

「ノイン、今あなたが死にかけていないのは見てわかります。なぜ翼が黒いままなのかを突き止めましょう。それがわかれば、なぜその翼が霊力を異常に消費するかわかるかもしれません。翼を諦めるのは、それからでも遅くはありませんよ」

ニッコリ笑うインファが頼もしい。こんなに前向きで頼もしいのに、なぜ彼がオレを頼るのか、ノインは不思議だった。

「ノイン、オレはもう必要ないだろう?オレのすべては受け渡した。リティルをどうするのかは、おまえに任せる。囚われる必要はない。オレとリティルは過去だ。未来に必要ならば持っていけ」

騎士が、ノインの上に影を落とした。彼の瞳は、導くモノの瞳で、それは、ノインが失ってしまったモノだった。彼はきっと、ノインがリティルから離れる選択をしたとしても、涼やかに笑うのだろう。しがみ付くことの困難さに、ノインは臆しそうになりながら、騎士の、ノインと同じ瞳を見上げた。

「レジーナ、今後一切召喚には応じない」

「いいの?」

眠りに落ちそうな瞳で、レジーナは首を傾げた。

「オレは記憶にすぎない。今を生きるオレがいる。必要性を感じない」

「ええ、そうでしょうね。自分の指導、お疲れ様でした。今のあなたは素直な分少し頼りないですが、今まで通りあなたですよ?」

「そう願う」

騎士は涼やかに微笑むと、別れの言葉は告げずに、桜の古木の高い梢に向かって飛んで行ってしまった。

 梢を見上げていたノインは、両手に視線を落とした。その手の中に、騎士と同じ仮面が現れる。ノインはそれを、そっと顔にはめたのだった。

「ノイン、手伝ってください。リャリスが1人で背負ってしまったようです。彼女にこれ以上、対価を支払わせるわけにはいきません」

「リャリス?彼女はまた何を暴走している?」

「またということは、これが初めてではないんですね?しかたのない妹ですね。あなたの受けた助言は何だったんですか?」

「この翼は危険だ。捨てた方がいいと言われた」

「翼……オレも、実はずっと気になっていたんです。死に触れることは、タブーでもあります。オレにも微力ながら死を導く王の風がありますが、死というものを詳しく知りませんので、ルディルを頼ろうと思います。ノインは、魂の書をお願いします」

風の城に戻りましょう。と、インファは3人を促した。風の城に戻るのは……とノインは難色を示した。

「そう言えば、父さんが寂しがっていましたね。あの人は、落ち込むと途端に怪我が増えるんです。最近モンスターが凶悪になっていますし、大怪我を負わないといいんですけどね」

インファは、やれやれと大げさにため息を付いた。

「今城を仕切っているのは、インジュです。あの人、戦闘系に振りすぎるので、父さんの出撃回数は増えますね。オレはこれから情報収集で、狩りには出ませんし、心配ですね」

「ラスが苦労しそうね」

「……了解した。個人的な問題に、ラスを巻き込むのは気が引ける」

「愚痴を聞いてあげてください、ノイン。最近、太陽王にも無理難題を押しつけられているようですよ?」

「ルディル……仕方のない」

「こちらはオレ1人で大丈夫です。任せてください。死と産む力について、できるかぎり調べましょう」

インファにうまく丸め込まれた気がするが、こうしてノインは、風の城に戻ったのだった。

風の城に、今リティルはいるのだろうか?話しをしなければならない。それはわかっているのだが、彼の潔く決断してしまう言葉が強くて恐ろしくて、ノインはまだ、情けないことに心の準備ができてはいなかった。

リティルは、オレが変わってしまったと悟っても、兄と、呼んでくれるのだろうか?ノインには、変わってしまったことを受け入れた今も、リティルを、目の離せない弟としか見えはしなかった。


 そんな、ノインに弟としか見られていないリティルは1人、城の地下を目指していた。

暗い、永遠に続くかのようならせん階段を降りる。この階段だけは、狭くて翼が使えない。足を使っていかねばならないせいか、出入りを許されている風の精霊達は、あまり足を運ばない。インジュなどは、ほぼ皆無だ。

リティルは一番下にたどり着き、重々しい、鋲でハゲワシが描かれた鉄の扉を開いた。

まばゆい太陽の光が目を眩ませる。鼻孔を、花と桃の香りがくすぐった。

 光に目が慣れると、足を踏み入れたその場所は、地下とは思われない部屋だった。まるで、扉で法則、世界すら変わってしまう、ルキルースに迷い込んだかのような錯覚を覚える。天井には疑似の太陽が浮かび、時間経過と共に夜にもなる。

リティルの足は草を踏んでいた。扉を後ろ手に締め、床を蹴って舞い上がった。

小川が流れ、中心には蓮の花の池がある、異国の庭園のような風景。

花桃の花が咲き乱れ、柳や、実を実らせる桃の木が植えられている。池を横切る、ジグザクに曲がる九曲橋は、2つの宝形造りの屋根の乗った、六角形の水榭と呼ばれる、壁のない東屋を繋いでいた。

「リティル殿?どうされたので?」

リティルが、どちらの水榭に向かおうか迷ってると、池のちょうど中心、九曲橋の中心で、こちらを見上げている、長い黒髪をポニーテールに結った、病人かと思われるほど細く幸薄そうな中年の男性がいた。彼の背には、骨となったハゲワシの翼が生えていた。

無常の風、司書・シャビ。この、鬼籍の書庫の管理人の1人だ。

シャビは休憩中だったのか、広めに取られた木道に置かれた椅子に腰掛けていた。彼のそばに舞い降りたリティルに、シャビは優しい笑みを、その消え入りそうな病的に白い顔に浮かべた。

「シャビ、死の安眠のこと、知りてーんだ」

硬い表情のリティルに、シャビは、安心させるような静かな笑みを浮かべた。

「あの儀式は、5代目風の王陛下が作られた儀式にございます」

「!5代目?インラジュールが作ったのか?」

静かに頷いたシャビは、いつにも増して消え入りそうだった。

「シャビ?調子悪いのか?」

大丈夫か?とリティルはシャビの痩けた頬に触れた。冷たい?病人のような風貌でも、彼は温かだったのに、今は本当に死を間近に控えた者のようだった。

「いえ。……隠しても、いいことはありませぬな。死の力が増してきているようで、ファウジは、小生を見かねて、書庫を封じに行ったのでありまする」

死者の一生が書かれた書物、鬼籍。この鬼籍の書庫には、死した者の情報が永遠に蓄積されるのだった。その書の中には、歴代風の王の鬼籍もあった。

「おまえが抑えられないほどなのかよ?何が起こってるんだ?」

「外のことは、我々にはわかりかねまする。……死の安眠は、風の王が歴代の王と戦う事により、死の力を削ぎ、産む力を助ける儀式にございます。故に、失敗した折りにも世界に影響はありませぬ」

「何となく理解してるんだけどな。失敗しても影響ねーのか?不作とか重なってるよな?」

「それは、世界が風の王に甘えているのでありまする。5代目の王以前には、この儀式、なかったのでありまするよ?世界が課した儀式ではありませぬ」

「それで、失敗しても、オレ達の命は保証されてたわけか……」

シャビは、消え入りそうな瞳で、ゆっくりと瞬きした。

「……今回は、危険でありまする。リティル殿、今回は早々に負けを認め、来年へ持ち越してくださりませ」

思わぬ言葉だった。皆既日食を前に、死の力が力を増している。それを、シャビは肌で感じているはずなのに、この死を抑える儀式を失敗しろなど、尋常ではない。

「へ?相手がインだから、オレが勝てねーからかよ?」

「いいえ!決してそのような!」

シャビは、卑屈な心なく、怒りもなく首を傾げたリティルに、過剰に反応して椅子から立ち上がっていた。そして、貧血でも起こしたのか、クラッと頭を揺らすと倒れそうになってリティルに支えられた。

「お、おい、大丈夫かよ?落ち着けよ。おまえが怒ってどうするんだよ?おまえ、かなり弱ってねーか?ファウジも大丈夫か?オレに隠してんじゃねーよ。そっちを怒るぜ?」

リティルは、シャビを椅子に座らせると、その顔を覗き込んだ。

「申し訳、ありませぬ……」

「いいから!わかってること、話してくれよ。リャリスが助言してくれなかったら、見過ごしてたぜ」

「リャリス殿……?」

シャビはその名に反応して、顔を上げた。近くで見るとますますシャビの顔には、血の気がなかった。

「ああ。ノインの黒い翼には意味がある。死の安眠に関わらせるな。ノインは死ぬかもしれねーって、言われたんだよ。それから、死の安眠のことちゃんと知れって」

「インジュ……陛下……」

インジュ――インラジュール。5代目風の王の名だ。リャリスは彼の遺児だ。リティルは縁あって、彼女を養女として引き取ったのだった。

「はは。あいつには、縁があるな。インラジュールは、産む力に拘ってたよな?死を導くことが、嫌だったのか?」

シャビは、哀しそうな寂しそうな瞳で俯いた。

「産まれる者が、やがて死ぬことは受け入れておいででした。繋いでいくことの尊さ喜びに、憧れておいでだったのでありまする。他の王陛下とはどこか違うお方でありました」

「変わってるよな?滅んじまったけど、グロウタースに1種族を作り出したり、いろんなヤツと交わっただろ?あいつは、命を作り出したかったのかよ?」

5代目風の王・インラジュールの顔を、リティルは肖像画で知っている。

他の王達は厳しさのある瞳をしていたが、彼だけは甘やかに優しい笑みを浮かべていた。男であるリティルでさえ、ゾクッとするような色香を醸す瞳で、稀代の女誑しと言われるだけはあるなと納得する美男子だった。

しかし、ただの女好きではない。

彼の王は、賢魔王という異名を持ち、インに次いで歴代3番目に長く生きた王でもあるのだ。

「そのようでありまする。我々に、人間だった頃のことを何度もお尋ねになられたり、死とは何かを調べておいででありました」

「死、か……オレも、実はよくわかってねーんだ。どうして、風の王は死の導き手で、死の司じゃねーんだ?とかな。オレ達風の王は、普通に交わったんじゃ、子供を作れねーし、やっぱり死の側に立ってるとは思うんだけどな」

「知っておいでだったのでありまするか?その、グロウタースの民相手でも、決して子を成せぬこと」

「ああ。シェラが固有魔法で、インファとインリーを作ったんだって気がついた時にな。シャビ、インラジュールは、どうやって子供達を作ったんだ?」

「小生にはそこまでは……ですが確かに、インジュ陛下は何人もの御子を設けたことに間違いはありませぬ。しかしリティル殿、風の王は確かに死の司でありまする」

「ん?違うぜ?オレはどこまでいっても、四大元素の一柱、風を司る王だぜ?」

「死を司る精霊は、いぬのでありまする。風の王だけが、死の力を持っているのでありまする」

「いや、おまえらは?死神無常だろ?」

「王の恩恵を受けた、精霊であるだけでありまする。忘れておいでか?我らが精霊としてこうして体を得たのは、あなた様の風を授かったためでありまする。風の精霊が死を行使できるのは、風の王と繋がっている為でありまする。証拠に、代替わり中の空白時、魂を滅する完全なる死を与える力は失われまする。死の力は、風の王のみが持つ、王の力でありまする」

「……インファは?あいつは確か、持ってるぜ?」

「インファ殿は、あなた様を守り支えるため、奥方様が作った精霊でありまする。風の王の血を色濃く継ぎ、あなた様の血が混じっている為に、血に死の力を持っているのでありまする。インリー殿が継がなかったのは、奥方様の血の方が濃いためでありまする。リティル殿、死の力は不可侵の力でありまする。無闇に風をお与えになってはなりませぬ」

「待てよ……ラス……あいつは?あいつを精霊にしたのは、オレだぜ?」

「ラス殿は、精霊に転成したおり、1度肉体を失っておいででありまする。再構築したのは、インジュ殿。インジュ殿は、風でありながら産む力の強いお方でありまする」

「インジュの恩恵を受けてるなら、ラス、産む力か透明な力を使えたりするのか?」

「透明な力を扱うのは無理でありましょう。ラス殿は風の精霊でありまする。死の力と産む力が互いに打ち消しあい、純粋な風の精霊になったのだと、小生は理解しておりまする」

「そっか……よかった」

特殊な力を与えてなくてよかったと、胸をなで下ろすリティルの様子を、シャビは静かな優しい笑みを浮かべて見つめていた。それでこそ、小生の主君。と言いたげな誇らしげな顔だった。

けれどもすぐに、シャビは顔を曇らせた。

「お優しいあなた様を、傷つけたくはなかったのでありまするが……こうも死の力が強ければ、今回の儀式、失敗するわけにはいきませぬな……」

ハアと、シャビはますます憂いを深めてため息を付いた。

「ノイン、関われるか?」

リャリスに警告されていたにもかかわらず、翼に固執しているノインが、死の安眠を見据えていることはわかっていた。ノインが今まで通り関わってくれれば、そんな心強いことはない。1人挑む不安を、感じなくてすむんんだけどなと、リティルは淡い期待を抱いてしまっていた。

「ノイン殿の翼の色を懸念しておいでで?正直わかりかねまする。ただ、ノイン殿に王の力はもはやありませぬ。あの結界の中には、入れぬ可能性が高うございましょう」

シャビの言葉でリティルは確信した。風の騎士・ノインが、風の王の風を持っていたという信じがたい事実を。

強大な力を持つ精霊は、その力につき1人だけ。つまり、風の王の息子という精霊であるインファは、微力ながら風の王の風を持っていてもまだうなずけるが、風の騎士・ノインは違う。彼の存在は、大きな歪みだったのだ。彼が有限の命を持つ精霊だったことには、意味があったのだ。

「風の騎士だったときには、王の力があったのか……オレが思ってた以上に、歪んでたんだな……。シャビ、おまえから見て、ノインのあの翼の色、死の色だと思うか?」

「……違うと、思いまする。ただ、リャリス殿が案じておいででありまする。答えを得るまで、調べるべきかと思いまする」

シャビは、再びハアと眠りに落ちそうな瞳で、息を吐いた。

「シャビ?」

「リティル殿……此度の儀式、今までとは違うやもしれませぬ。インジュ陛下は、産む力に傾倒しておいででした。故に、ご自身、あとに連なる風の王陛下のことを顧みられなかったのでありまする。産む力が死に侵食されている今、儀式はいつも以上に過酷なモノとなりましょう」

シャビの肩を掴んだリティルの手に、シャビの手が重ねられた。

「オレの血で、何とかなるなら、安いもんだぜ?」

「なりませぬ!すべての血を失う羽目になってしまわれたら、死の力の強い今、お命が……」

「オレは死なねーよ。シャビ、おまえが辛いのは、死の力のせいなのか?インジュかシェラがここにいたら、少しは和らぐのか?」

シャビは首を横に振った。

「我らは承知の上でありまする。小生は、自害した魂故、体を殺したときのことを、魂が思い出してしまっているだけでありまする」

「息できてるか?」

シャビの死因は、確か首つりだったな。とリティルは思い出した。

「多少……」

「早く言えよ!オレは風の王だぜ?そういうのはな、オレの領域なんだよ!」

リティルはシャビの、普通よりも少し長い首を両手で絞めるように手を宛がった。

「オレを頼ってくれよ!オレはおまえ達の主君なんだぜ?知らねーことも多い、未熟な王だけどな。オレはおまえ達を守るぜ?」

 無常の風、司書・シャビと門番・ファウジ。

共に、夕暮れの太陽王・ルディルが風の王をしていた時代に、鬼籍の書庫の管理人として召し抱えられた元人間の魂だ。それは、異例のことだ。グロウタースの民は、生まれ、成長し、衰退し、そして死ぬ。その逆らえない命の道筋が魂に刻み込まれているために、グロウタースの民を精霊へと転成させてしまうと、永遠という時間の重みに耐えられずに精神が崩壊して、やがて、死に至る。

2人は、数少ない成功例だ。

「許されろ、シャビ。もう、苦しまなくていいんだぜ?おまえはオレの物だ。15代目風の王・リティルの家臣。己の決めた王の下、永遠に生きろ」

あれだけ、吸えているのかいないのかわからなかった息苦しさが、途端になくなった。

これが、風の王の命を導く力……とシャビは、生き生きと燃えるような光の立ち上る、金色の瞳を見つめていた。

「勿体なきお言葉。このシャビ、リティル殿と共に、永遠に生きて見せましょう」

跪こうとしたシャビの首を腕で捕らえ、リティルは抱きしめていた。百戦錬磨の風の王なのに、シャビにしてみたら華奢で小さなその体躯。健気に守ろうとしてくれるぬくもりに、シャビは思わず顔を歪め、抱きしめ返していた。

この光り輝く標を、失われないように守りたい。歴代1番、生きろと言ってくれる死の導き手。

「リティル殿、これをお持ちください」

やっとリティルから離れることのできたシャビは、膝裏まである長い髪を掴むと、その髪を少しだけ切った。それを、和紙で丁寧に包むとリティルに手渡しながら言った

「小生の髪の色は、死の色なのでありまする。それは、自害した故なのでありまするが、ノイン殿の翼と比較できるやもしれませぬ」

「ありがとな!全部、丸く収める方法、見つけてやるからな」

シャビは、思わずリティルの腕を掴んでいた。

「1人で、行ってしまわれないでくださりませ」

「?どうしたんだよ?おまえも、リャリスに何か言われてるのかよ?」

どこかボンヤリと、感情なく見つめてくるシャビの、いつもと違う様子に、リティルは不安を募らせていた。無常の風は、リティルが風を与えて肉体を得た精霊だ。リティルが死ななければ、死ぬことのない不死身の精霊だ。そんな彼が、とても儚く見えた。病人のような弱々しさでいるシャビだが、その中身は、鬼神のように荒々しい歴戦の猛者だ。だのに、これはいったい?

「インジュ陛下――インラジュール陛下が崩御されたおり、同じ言葉を……あのお方は確かに、生も死も冒涜するような行いをなされておりましたが、悪人ではありませぬ。お優しい、お方でありました」

「……変わってるよな……王なのに、運命に逆らってるみてーな生き方してたよな。オレ、リャリスとノインの転成した事案に関わってるだろ?その時にな、インラジュールに会ってるんだ。蛇のイチジクに喰われてたからかもしれねーけど、抜かりないヤツに見えたぜ。死の安眠のこと、何かの形で残してねーか?」

「何じゃ?リティル、死の安眠のことを調べておるのか?」

 音もなく、背後に気配が降り立った。振り向くと、そこには、浅黒い肌の、シャビと同じ髪型に真っ白な髪を結った老人が立っていた。風貌は老人だが、筋肉のみっしりとついた逞しい体躯の暑苦しさを振りまく風の精霊だ。

「ファウジ!おまえは元気みてーだな?」

老人はニカッと暑苦しく笑った。

「むう?ワシにかかれば造作もないわ!シャビに力添えしてくれたようじゃな。すまぬな、リティル。急に書庫に眠る死者の心が穏やかになったのじゃ。そなたの魔法じゃったか」

「へ?オレ、何もしてないぜ?」

ファウジに魔法を使っただろ?と言われ、身に覚えのないリティルは目を丸くした。

「嘘をつけい!固有魔法・無償の愛、使ったじゃろう?何じゃ、また無意識のようじゃなぁ」

将軍然とした無常の風、門番・ファウジは、ニヤニヤと笑いながらリティルの顔をからかうように覗き込んだ。

リティルは戸惑うしかなかった。皆があると存在を主張するのだが、固有魔法・無性の愛は、リティルには身に覚えがないのだ。

「その固有魔法、ホントにあるのかよ?発動してる感覚も、霊力消費もねーんだぜ?」

「その優しすぎるところが、我らには心配じゃよ。して、今回、ノイン殿が関われず臆病風にでも吹かれたか?仕方のない王じゃなぁ。兄上の守りがなければ、恐ろしいとはのう」

彼は冗談だったことだろう。しかし、リティルには図星だった。それを振り払うように、リティルはからかう老人に、食ってかかった。

「なわけねーだろ!誰が相手だって、1人だってやってやるよ!違うんだ。リャリスがな、儀式の事ちゃんと知れって助言くれたんだよ。あの儀式は、死の力を抑えるための儀式だよな?それ以上何かあるのかよ?」

「さてはて?作った本人に聞くのが手っ取り早いのではないかのう?」

作った本人に聞く?リティルはしばしファウジの顔を見つめていたが、ややあってああと思い至った。

「死者召喚か。風の王の鬼籍も当然あるよな?」

「いかにも、ワシの固有魔法で、インラジュール王を呼び出してしんぜよう」

門番・ファウジの固有魔法・死者召喚。鬼籍に宿る心を呼び覚まし、具現化する固有魔法だ。鬼籍の書庫に鬼籍のある者。即ち死者しか呼び出すことはできず、その死者と生前強い絆のあった者は会うことはできないのだった。


 ファウジが天井を仰ぐと、夜だとわかる風が渦巻いた。疑似の太陽が明滅し陰る。

『おまえと会うのは、二度目だな?リティル』

「ああ、悪いな”インジュ”安眠妨害しねーって言ったのに、早速しちゃったぜ」

夜だとわかる風が去ると、波打つ金色の髪の、ずいぶん優しい顔をした青年が立っていた。5代目風の王・インラジュール。智の精霊・リャリスの産みの親だ。

「かまわんさ。わたしの心は、おまえと共にある、リティル」

フッと微笑むその顔が眩しい。くそ!風の王は美形揃いだな!とリティルは思ってしまった。

「ハハ、ありがとな。早速だけどな、死の安眠のこと、教えてくれよ」

「懐かしい儀式だな。14代目に手こずっているのか?」

ニヤリと、インラジュールは意地悪な笑みを浮かべた。

「この野郎。今回最悪だぜ?その最強の風の王と、皆既日食のコンボだ」

「それは!……フフフフフ。つくづく運のないヤツだな、リティル。冗談はさておき、皆既日食か……呼び出される風の王の幻影は1人ではすまないな……」

ふむ。と、インラジュールは腕を組んだ。

「イン陛下だけでもしんどいというのに、何人も相手にせねばならぬのでありまするか?」

シャビは、思わず口を挟んでしまっていた。そんな相棒の頭を乱暴に押さえ「控えぬか!」とファウジが叱責した。シャビは椅子から落ちて、額が木道につきそうなほど押さえられていた。それを見た風の王2人はギョッとして、2人してファウジの手をシャビから離させていた。

インラジュールも同じ行動に出たことで「おまえ、王らしくねーのな?」とリティルは笑ってしまった。「おまえもな」とリティルの言葉を受けてインラジュールも笑っていた。

「オレ達にかしこまるなよ!けどファウジ、オレ達を敬ってくれて、ありがとな」

「久しぶりに驚いたぞ!その軍階級主義、慣れんな。大丈夫か?シャビ。おまえは見た目があれだからな、手荒に扱うと死にそうでな」

シャビは「勿体なきお言葉」とインラジュールに礼を言いながら、彼の差し出してくれた手を取って立ち上がった。インラジュールは、倒れた椅子を自ら立てると、シャビを座らせてやっていた。

「……おまえが王にかしこまるのは、こういう王ばかりじゃなかったからなのか?」

リティルは、こんなファウジの姿を知らなかった。インラジュールが知っているということは、彼には一線を画した対応をしていたことになる。そんな対応が必要な王には見えないが、王と家臣とは本来こういうものなのだろうなと、リティルは元グロウタースの民で軍人だったファウジを見上げた。

「……そなたには、関係なき事じゃ」

「まあ、いいや。ファウジ、おまえ達はオレ以外の王にはもう仕えられねーんだ。だから、自然でいてくれよな!」

「御意」

胸に片手を置き、礼を返したファウジに、硬いなーとリティルは苦笑した。

 リティルの前に戻ってきたインラジュールは、気を取り直した様子でコホンッと1つ咳払いした。

「さきほどのシャビの問いだが、2、3人相手にすることを覚悟しておくべきだな」

「じゃあ、インとインフィーユとインネイが相手か。しんどいってもんじゃないぜ?オレ、嬲り殺されるぜ?」

「安心しろ。1対1だ。撃破しない限りは、次は出てこない。最初に最強がくるのは、幸か不幸か?」

「やっぱり、成功させねーとマズいよな?」

「皆既日食と重なることなど想定外だが、おまえがわたしを呼び出したことを考えると、世界に、影響が出ているのだろう?今年が儀式の年だったことは、幸運だと言えるかもな。あの儀式は、死の力を削ぐ。成功させれば、世界が被る影響が最小限で済むだろう。しかし……困難だな。せめて、インだけを相手にするだけで終わらせることができれば……」

ずっと死んでいたというのに、少しの情報だけで状況を把握できるとは、彼も頭がいい。

「さすが、智の精霊に見初められて、喰われちゃっただけあるよなー」

プレイボーイが最後は、化け物に喰われたと、リティルはニヤァと笑った。

「フフフ。そのおかげでいろいろわかることもある。ここにインがいれば、文殊の知恵なのだがな?」

インラジュールは、チラリとファウジに意味ありげな視線を向けた。

「ダメだぜ?インはオレの父さんだ。オレ、会えねーんだよ。何だよ?父さんが必要なのかよ?」

「インは、智の精霊に見初められ、甘言に乗らなかった王だ。彼は、蛇のイチジクに頼らず知識を得た本物の知恵者だ。彼の意見も聞いてみたいものだ」

そういえば、蛇のイチジクだったインラジュールは、インを買っているような発言をしていた。それで、インの蘇りの生まれ変わりである命の期限の迫ったノインを、自分の所へ呼び寄せ、精霊の至宝・黄昏の大剣を与え、ノインを力の精霊へ転成させたのだ。

「……ノインが、知識なら持ってるぜ?」

「どうした?ノインと上手くいっていないのか?」

「うっ、鋭いな。実はそうなんだ……。ノインが、遠慮してるんだよ。リャリスが、ノインに黒い翼はヤバイから捨てろって迫ったらしくて、どうも、その辺からオレを避けてるんだよなー」

哀しい限りだなと、リティルは隠さずにインラジュールに話していた。

 途端に、インラジュールの瞳が潜められた。

「黒い、翼?」

「心当たりあるのかよ?インジュ」

「シャビ、ファウジ、黒い翼を生やした風の王がいただろう?何代目だったか?」

「正確には、死ぬ間際にございます。13代目風の王・インティーガ陛下でありまする」

「ヤツの死因は?」

「……病でありまする」

「へ?精霊が病気?しかも、風の王がかよ?」

知らなかった。風の王って病気になるんだな!と無邪気に信じたリティルに、インラジュールは「ありえん。しっかりしろ」と短く叱責していた。

「我らに隠してどうする?いや、リティルにか?シャビ、ファウジが喝を入れなければならないほど、リティルに傾倒しているのか?忠義を誓うのはいいが、リティルはわたしも認めた風の王だぞ?それは、不敬に当たる姿勢だ」

「あああああ!いいんだよ!シャビに甘やかされて調子に乗ってるのはオレだ!オレの我が儘なんだよ!」

シャビを叱るインラジュールの腕を、リティルは引いていた。

「フフフフ。おまえは見た目が可愛い。甘やかしたくなる気持ちはわからんでもない」

厳しい顔をしていたインラジュールは、シャビを庇いにきたリティルをぎゅうっと抱きしめて、まるで小動物好きな女の子のような顔で頬ずりした。

「おまえ……どっちがホントのおまえだよ?」と、リティルはゲンナリしながら、インラジュールにされるがまま耐えた。

「申し訳ありませぬ。……インティーガ陛下は、魔物との戦いにより大怪我を負い、その後の戦いで命の期限が発生してしまったのでありまする。陛下を……殺したのは、力の精霊・有限の星でありまする」

ん?それだけで?とリティルは、インティーガの命の期限の発生に疑問を持ったが、死者の過去をイタズラに暴くのは……と問わなかった。

短いシャビの言葉を共に聞いていたインラジュールは、表情を改めると、何事もなかったかのようにリティルを解放し、おもむろに口を開いた。

「情けだな。しかし、インティーガに有限の星……偶然か?」

「ん?インティーガ……風の騎士?殺したのが力の精霊って」

インティーガとは、精霊の言葉で意味は、風の騎士だ。

ちなみに、インラジュールは、風の宝石という意味で、リティルは目覚めという意味だ。

「リティル、黄昏の大剣には、有限の星の無念の念のようなモノが残っていた。迂闊だったな。あの大剣、浄化せねばならないほど穢れていたか?」

前任の精霊が死に、蛇のイチジクに喰われていたインラジュールは、行動制限を解除された。身を隠すとき、黄昏の大剣を保護して、持つに相応しい者が現れるまで保管していたのだ。

「至宝の浄化なんて、聞いたことねーよ。おおい、オレじゃ手に負えねーよ!インファと……ノイン……来てくれるのか?」

「そんなに避けられているのか?可哀想な奴め」

そう言ってインラジュールは、落ち込むように俯いたリティルを再び捕らえると、ヨシヨシと頭を撫でた。華奢な綺麗な手は、煌帝・インジュに似てるよな?とリティルは思いながら、慰めてくれる温かな手を拒めなかった。

「インジュ……おまえがタラシだったのわかる気がするぜ?」

「そうか?風の王と交わったことはないが、試してみるか?」

今の話の流れでそういう解釈をするインラジュールに、リティルはゾッとして叫んでいた。

「おまえ!男同士でやってどうするんだよ!」

「?男同士でも、霊力の交換は普通に行えるぞ?」

それが何か?とさも当然の様に返され、リティルは絶句した。

「お、おまえ……!まさか……」

「機会はなかったな。いかにわたしが美しくとも、精霊はそれぞれの美を持っているからな。グロウタースの民の同性と交わっても、子は作れぬし、そんな無駄なことはしていない」

「つ、つまり……おまえのお眼鏡にかなう男の精霊がいなかったってことだな?」

ゾッとして、リティルはインラジュールの手から逃れた。するといきなり、インラジュールに顎を掴まれた。そして、至近距離でジイッと見つめられた。

知的で隙のない瞳。グロウタースの民とはいえ、何人もの女性を魅了してきただけのことはある、眼差しだった。リティルはここで目を閉じたら喰われる!となんだかわからない危機感を感じて、瞬きもせずに見返していた。

しばらく見つめ合っていると、インラジュールが、呟いた。吐息がかかる。わざとか?わざとなのか?とリティルは動けずに、息を吸うのも忘れていた。

「霊力の交換……おまえの伴侶は花の姫だな?では、結界内であっても、1度だけ復活可能か……リティル、わたしが死んだ魔法を伝授しよう」

パッと手を離され、リティルは咄嗟に間合いを取っていた。

「死んだ魔法?おまえ、魔法使って死んだのかよ?」

僅かに息の上がったリティルに、インラジュールは「なぜ逃げる?」と絶対に気がついている様子で、フフフと笑っていた。死の安眠で、インラジュールの幻影とは戦っているが、今目の前にいる彼と手合わせして、勝てる自信はリティルにはなかった。そんな底知れなさを感じる。彼が、魔物に狩られたなんて、とても信じられない。

「そうだ。血染めの薔薇と言って、風の王の血を使う魔法だ」

「なりませぬ!あなた様は、リティル殿を殺してしまわれるおつもりか!」

シャビが後ろからリティルを抱きすくめた。インラジュールを警戒していたリティルは、危うく悲鳴を上げるところだった。またおまえは!と引き剥がしに来たファウジを、リティルは手で制した。シャビの、元軍人である彼の手が震えていたのだ。

「大げさなと言いたいところだが、実際わたしは死んだ。リティル、どうする?この魔法を死の安眠中に使えば、死の力を大分抑えることができるのだが」

物騒な話をしているというのに、インラジュールには危機感のようなモノはまるでなく、ただの世間話をしているような和やかさだった。

「リティル殿!なりませぬ!あなた様がそれを使われるより、ノイン殿に王の力を復活させたほうがマシでございまする!」

「シャビ!滅多なことを言うでない!そんな方法があることを知られれば、ノイン殿が暴挙に出るわ!」

「後生です!」と喚くシャビを引きずって、ファウジは水榭に飛んで行ってしまった。

 リティルはそんなファウジの背中に「オレ気にしてねーからなー!」と叫んでいた。

「フフフフフ。愛されているな。リティル」

ホンワカと笑うインラジュールは、確かに変わった王だったんだなとリティルは思った。

「どんな魔法なんだよ?無常の反応からすると、相当ヤバイ魔法なんだろうけどな」

「それを使ったわたしは、体内の血をすべて失って死んだからな!」

戯けるような軽い口調で言う彼に、リティルは正気を疑うような視線を向けた。

「……何の為にそんなことしたんだよ?オレでもやらねーよ」

「フフフ。仕方なかったのだ。グロウタースの可愛い子らが禁呪を編み出し、死の蓋を開けてしまった。我が子らは、その時、わたしと運命を共にしてしまった。中でもリャンシャンには、惨い死を与えてしまったな」

インラジュールの口にした名に、リティルの脳裏に、ある風景が蘇ってきた。

滅び行く荒涼とした大地を、諦めたように動かない表情で見ていた、異形の歌姫――リティルは、ある女性の後ろ姿を唐突に鮮明に思い出していた。

遙か昔にこの世を去り、リティルとはあまり関わりがなかったが、こんなに鮮明に思い出せるんだなと不思議だった。

「リャンシャン?」

「ソラビト族の祖となった娘だ。七色の翼を持つ、美しい娘だった。そういえば、おまえがソラビト族達の最後を看取ってくれたのだろう?」

風の王の罪として歴史に刻まれている種族・ソラビト族。腕に五色の羽根を生やし、太ももから下が鷲の足をした亜人種だ。

残念ながら絶滅してしまった。

「……看取ったのはオレじゃねーよ。孫のインジュエルだ」

「そうか。だが、おまえの血縁には違いない。礼を言う。リャリスは元気にしているか?」

インラジュールは、やはり父親なんだなとリティルは思った。彼の遺した最後の娘のことを、さりげなさを装って問うてきた。

「ああ、体はな。今回の太陽と風のことで、ちょっと暴走気味で心配なんだよな……血染めの薔薇、教えてくれよ。オレなら生き残れるぜ!」

超回復能力に、花の姫の無限の癒やしだ!とリティルは胸を張った。

「おまえのそういう所が、皆の心配を呷っているのだな?フフフフ。ああ、ノインは近づけさせない方がいい。どこかに閉じ込めておいたほうがいいだろうな。黒い翼、気になる」

ここへ入れたとしても、結界内には王の風がなければ入れないが。と、インラジュールは言ったが、何か思うところがあるのかノインを案じているようだった。

「よくねーのか?リャリスも捨てろって迫ったみてーで、それがもとでギクシャクしてるんだよ……」

「考えすぎとは思うが、インティーガ……ヤツが、何かしていないといいが……」

インティーガ。確か、英雄王という異名で呼ばれた王だ。

英雄王……悪い印象を受けない異名だが、インラジュールは彼の事を知っているのだろうか。あまりいい感情を抱いていない様子だ。

インティーガは、ノインの前任の精霊である力の精霊によって引導を渡されたようだが、今、ノインが所有している精霊の至宝・黄昏の大剣に何かあるのだろうか。力の精霊に殺された、唯一の王ということになるが、彼の血を、黄昏の大剣が吸っていることと、元風の精霊のノインがその大剣を持っていることが、気になる?リティルは、インティーガの幻影のことを思い出していた。

「そんな危険人物なのかよ?あいつの幻影は攻撃してこねーんだよ。インの時代でもそうだったみてーで、不気味だってノインが言ってたぜ?どんな王だったんだ?」

インラジュールが、苦虫をかみつぶしたように、顔を歪めた。

「わたしよりインより陰気な王だった」

「はあ?おまえのどこが陰気なんだよ?父さんは……無表情が怖えーけど、オレには優しくていい父親だったぜ?」

インラジュールは、フフフと人好きのする笑みを浮かべた。喜んだ?とリティルは、その綺麗な微笑みにしばし見とれてしまった。

「わたしもインも、死に逆らった王だ。死を両手に抱きしめる道を選んだおまえとは、逆の位置にいる。光り輝くおまえを、わたしも眩しく、尊く思うよ」

愛しそうに微笑んで、頬に触れてきた彼の手を、リティルは拒めなかった。

「はあ?オレが尊い?たぶんオレ、すでに歴代1番殺してる王だぜ?」

「導きようが違う。おまえの庇護下にある世界は、豊穣に溢れていた。それは今も。だからこそ、その豊穣に翳りが見えるという今現在がおかしい」

インラジュールの瞳が鋭くなった。

「おまえの庇護下にあり、守られた世界が、死に脅かされている。皆既日食があるとしても不自然だ。なぜなら、わたしが死の安眠を作り出す以前には、この儀式は当然だがなかった。確かに、皆既日食の年には飢饉が多いが、精霊達が危機感を持つほどというのは、何かしらイシュラースに事が起こったときだった」

「!そうか。死の安眠と皆既日食が重なったからじゃねーのか。そうだよな……ここ最近は、死の安眠は成功してるんだ。そこで死の力は抑えられてる。確かに、おかしいよな……。なあ、インジュ、死って何なんだ?」

リティルはなぜだか、死の解釈を彼に聞いてみたくなって問うていた。

インラジュールは事もなげに空に視線を投げると、答えてくれた。

「死か?そうだな……。命の火が燃え尽きる時。燃えるモノがなくなって、それ以上火を保てないその時。黒き消し炭。次へ進むための終わり。存在の消去。魂の壊れるとき。終わりという以外、言いようがないな」

「終わりか……死がなかったら、産まれる事もなくなっちまうよな?おまえも父さんも、死を否定してたわけじゃねーんだよな?」

「それは、そうだな。死がなければ、産まれる喜びもない。死がなければ、命を尊べない。死がなければ、この世は、殺戮にまみれ、簡単に滅びるだろう。感情と思考が、他者を排除しようとするからな。わたしとインはそれを理解していた。だからわたしは、命を作り出したかった。インは自身の死の間際、おまえという息子を作り出したな。その所業が羨ましくてな。リャリスを作ったのだ」

「オレ達は殺してばっかりだからな。オレだって、シェラが固有魔法使わなねーと子供を作れないって知ってたら、させなかったと思うぜ?今は感謝しかねーけどな。なあ、おまえインティーガ嫌いなのか?」

途端にインラジュールは、嫌悪するような表情を作った。

「……ヤツは、花の姫を手に入れていながら、魂を分け合わなかった。そして、ここからは噂にすぎないが、花の姫を盾にして生き残ったあげく、忘れてしまった花の姫にいいよって拒絶され、城に閉じこもり、最後は死はどこだと力の精霊に詰め寄って討たれた」

知ってたのか、死因。とリティルは思った。シャビに問うたのは、自分の知識が正しいのか確認したのだとリティルは知った。

「風の王が?何があったんだよ?」

驚くリティルに、インラジュールは首を横に振った。

「さて、真相はわたしにもわからない」

「元蛇のイチジクにもわからねーのかよ?」

「その頃のわたしは、前任の智の精霊の持つ、蛇のイチジクに喰われた魂でしかなかった。朧気なのだ記憶が。インティーガという風の王の本当の所はわからないが、花の姫を得ていながら、手を出さなかったという1点のみで言うのならば、気に入らないな」

「ああ、それはちょっと花の姫が可哀想だよな」

「わかってくれるか?」

ぱあっとインラジュールの表情が明るくなった。

「花の姫って、結構尽くすよな?恋人のままじゃ、尽くすなって言ってるのと同じだろ?観念したんだったら、全部受け入れねーとな。オレ達じゃ、あいつらには勝てねーんだからな」

花の姫の力は癒やしだ。リティルの中には、霊力の交換で得たシェラの霊力がある。その力が、傷を負うリティルを癒し、死から守ってくれている。

しかし、恋人では交われない。交われなければ、花の姫は風の王を守れないに等しいのだ。

「尻に敷かれている当人からの言葉は、重いな」

「うるせーよ!これでも、覚悟決めてプロポーズしたんだよ!」

「フフフフ、知っている。出版物となったり、演劇になったりしていたからな」

風の王・リティルと花の姫・シェラの馴れ初めは、インラジュールの言うとおり、某グロウタースの島で本となって出版されていた。

リティルは苦笑いした。

「はは、どうしてこうなったのか、オレにはわからねーよ。未だに語り継がれてるからな」

「いいではないか。我々の行いが称えられることなど、ほぼないのだからな。リティル、おまえの優秀な息子がそのうち気がつくかもしれないが、リャリスに勉強しろと言ってやってくれ。自分の知識から与える助言に、対価はいらない。蛇のイチジクから勝手に知識が溢れ出さないように、制御しろと教えてやってほしいのだ」

「ああ、わかった。あいつ、自分の苦痛を対価に、風の城を助けてたらしいんだ。インジュエルが、そういうのはダメだって言ってくれてたらしいんだけどな……。……インジュ、恋愛ってどう思う?」

 リティルは、思い切って精霊の恋愛について問うていた。

「大いに行け!フフフフ!豊穣の恵みだ。世界を愛で満たせ!」

……ホントにこいつは風の王か?とリティルは、花を咲かせ実を結ぶ営みを司っている、花の精霊みたいだなと思ってしまった。

「落ち着けよ!リャリスだよ!自分の娘の恋愛を、どう思うかっていう話だよ!」

「……リティル、おまえ、我が娘の容姿をどう思う?」

途端に、インラジュールは華やかさを仕舞った。

「へ?……異形だよな?」

「素直にすまないな。おまえが受け入れていることは知っている。娘をあの姿に作ったのには理由があるのだ。知識は恐ろしい力だ。我が娘には、容易に恋愛しないように戒めをかけた」

「恋愛感情、抜こうとは思わなかったんだな?」

「当たり前だ!恋は喜びだ!愛のない世界など考えられない!」

「わかった!わかったから、落ち着けよ!あ、あのな……オレの孫のインジュエルとな……」

「リャリスが付きまとっているのか?目に余るようなら、叱ってやってほしいが」

「……インジュエルは、恋愛感情なくした不能の精霊なんだよ!」

「なにぃ!恋愛感情がない……だと……?その上、不能……?なんということだ……。うん?待て。おまえの孫ということは、インファとセリアの息子ということだな?」

信じられないと大いに衝撃を受けていたインラジュールは、案外立ち直りは早いようで、顔を上げた。

「ああ?ああ。インファの息子だよ。セリアは、恋愛してるって言い張るんだけどな、本人はわからねーって困ってるんだよな……なあ、おまえ、どう思う?」

「待て!……インジュエル……インジュか!原初の風の精霊ではないか!」

「へ?どうして知ってるんだよ?」

「元蛇のイチジクだ。世界が認知していることはすべて知っている。最高の豊穣の精霊が、不能なわけがないだろう!」

冗談は休み休み言え!と怒鳴られて、リティルは辟易したが、ここで負けてはいられない。

「オレもそう思ってるよ!けど、本人がそう言うんだよ。勘違いしないでやってくれよ?あいつはいい奴だ。リャリスのこと困って嘘ついてるとかじゃねーんだよ」

「待て待て!彼は過去2回恋愛経験があるだろう?本当になくなってしまったのか?」

インラジュールはリティルの両肩を掴んで、どこか必死な形相だった。

「そ、そんなことまで……えっとな……2人ともグロウタースの民だったぜ?1人はウルフ族、もう1人は……ソラビト族だった。滅びる最後の1人、リャンシャンって娘だった」

名を聞き、インラジュールは瞳を見開いた。

「この世界は、どこまで必然なのだ……?それとも、すべては偶然で、感情が必然であってほしいと思っているが故なのだろうか?わたしと同じ名の精霊が、わたしの娘と同じ名の娘と恋に落ち、そして引き裂かれたというのか……?もしや!」

「ない!ねーって本人が言ってたぜ!」

リティルは、もしやその娘のせいで?と言いかけたインラジュールの言葉を遮った。こいつに恋バナふるんじゃなかったー!とリティルは盛大に後悔していた。

「そ、そうか?それは安心したが、だが、しかし……」

「原初の風は、豊穣までいくのかよ?」

豊穣は、産む力の最高峰の称号だ。現在、豊穣という称号を持つ精霊はいなかった。花の姫であるシェラでさえ、産む力を持っていると言われるに留まっているのだ。

「受精させる力だろう?孕ませたい放題だ!なんと甘美な響きなのか!」

「……やばさしか感じねーよ……。リャンシャンと恋愛するまでは、確かにちょっと惚れっぽかったんだよな。それが、看取ってから、ぱったりなんだよな」

「やはり、我が子の置き土産のせいでは?」

「おまえでも理由、わからねーのか。死の力が、あいつに影響及ぼしてるのか?ほら、死と産むじゃ、反属性だろ?」

「風の精霊であるが故?しかし、原初の風は、風の行う受粉という行為から産まれた風の至宝……善と悪、表と裏……二面性?フッ、わたしにもわからないことがあるとは、世界はまだまだ未知に溢れている」

面白いと、インラジュールは楽しそうに笑ったが、理由は彼にもわからなかった。

「過去に、豊穣の称号を持つ精霊はいたのかよ?」

「ずっといるぞ?花の姫だ」

「花の姫?けど、シェラは……」

神樹の花の精霊で、すべての花の頂点に立つ花の姫。花は確かに、産む力を持っている精霊だ。その頂点に立つ花の姫が、豊穣の称号を持っていても納得できた。しかし、シェラはその称号を持ってはいなかった。

「シェラが、豊穣の称号を持ってねーのには理由があるのかよ?」

「風の王と共に、血にまみれる道を選んでしまった。死と産むは反属性。仕方のないことだ。いいではないか!大勢よりたった1人の命を選んだその潔さ。実に美しい!」

「はは、おまえは?花の姫に手出さなかったのかよ?」

「フフフ。本命には手を出せないモノだ。彼女は一途だった。わたしは、ふさわしくなかろう?」

やっぱり、インラジュールも花の姫が好きだったのか……とリティルは思った。

「なあ、インジュ、オレは、花の姫を選んでよかったのか?おまえ、気がついてるよな?花の姫は、風の王の番になるように、用意された精霊だって事」

全員に確かめたわけではないが、リティルの知る限り歴代風の王達は、花の姫に秘めた恋をしていた。そして、花の姫達も……。しかし、死の側に立つ風の王だという理由から、リティルと初代のルディル以外、誰も花の姫と魂を分け合った風の王はいなかった。

「リティル、おまえがシェラを選んだとき、おまえは風の王だったか?シェラは花の姫だったか?共にグロウタースの民ではなかったか?おまえ達が、精霊として出会っていたなら、叶わぬ恋だったことだろう。風の王は、死の導き手。豊穣になど、触れがたい。おまえが後ろめたいのは、死を導く力を持つが故だ。心配するな。我らの力が、花の姫を穢し掴むことはない。彼女達の力は、風の王よりもずっと強いのだ。例えおまえが、最上級精霊であろうともな。迷うな。それは、おまえを愛し続ける彼女に失礼だ。羨ましい奴め!」

「そうだな……まやかしだとしても、オレはあいつが好きなんだ。抗ってもしかたねーよな」

「元より、恋愛とは何者かに左右されるモノ。理性や論理は通用しない。抗うな。感じたら突き進め!」

浮気推奨!と取られかねない発言をして、すべてを台無しにしたインラジュールに、ジトッとした目をリティルは向けた。

「それ毎回やってたらそのうち刺されるぜ?おまえ、よく殺されなかったな」

「後腐れない別れ方をする。それは、双方にとっても大切なことだ。わたしは恨まれていなかったぞ?」

「それがすげーよ」

「フフフフ。子を産んでくれた彼女達には、感謝しかない。子供達も、わたしを愛してくれた。特に、リャンシャンは多くを産み、わたしに見せてくれたが、産まれてきた子らが美しすぎた故に、滅んでしまったな」

ソラビト族には、無責任なことをしてしまったと、インラジュールは哀しそうだった。

「だからリャリスを、あんな姿にしたのかよ?あいつ、気にしてるんだぜ?」

「近寄りがたければ、それだけ危険も減るではないか」

「それでも近寄ってきたヤツが、悪人だったときの方がヤバいぜ?免疫ない分、コロッと騙されるだろ?」

「煌帝・インジュの伴侶ともなれば、大いに牽制が効くのだがな?」

強さ的には、5本いや3本の指に入るだろう?とインラジュールは、値踏みするような瞳で笑った。

「リャリスが後ろめたいのは、それなのか?インジュを利用してるって思ってるのかもな。見た目に反して純情なあいつが、そんな計算高いことできねーのにな」

「無理矢理成就させたいモノだな!」

……どこまで本気なのだろうか。リティルは笑うしかなかった。

「おまえ、うちの女性陣と話し合いそうだな。オレ、そういう会話からっきしなんだよ。インファなんて壊滅的だぜ?ノインは乗るんだよな」

「ほう?インもいける口だったか。ヤツの意見も、聞いてみたい」

「オレがいねーときにな。インジュ、血染めの薔薇、魔導解析するぜ?」

「ああ、かまわんさ。その方が馴染みやすかろう。詳細もつけておいた。存分に魔導解析するがいい!ああ、女性を扱うように優しくな」

「最後のそれいるか?うわあ……なんか、身の危険感じるんだけどな?」

なぜか鳥肌が立って、リティルは自分の両腕をさすった。

「死者でなければ味見くらいしたい相手だな、リティル」

怖い!だが、リティルは彼の瞳を挑むように睨んだ。ここで怯めばやられる!と咄嗟に思ったのだ。

「……冗談だよな?」

インラジュールは意味ありげに微笑んで、アッサリ引いた。

「フフフフフ。リティル、我が娘のこと導いてやってくれ」

「ああ、任せろよ。破滅なんてさせねーよ」

じゃあな!と言って、リティルは死者の庭の出入り口を目指して飛び去った。その姿を、インラジュールは、眩しそうに目を眇めて見送った。

さて、と、インラジュールは微笑みを収めると鋭い瞳を水榭に向けた。

「シャビ、ファウジ、わたしの策略に乗ってもらおう」

シャビを引き連れて、ファウジが舞い戻ってきた。

「はあ、して何をなさるおつもりか?インジュ王」

フフフと、インラジュールは策略家の瞳で微笑んだ。その微笑みは、リティルに向けていた優しく甘い瞳とはほど遠かった。


 ルキルースから風の城へ引き返したインファは、応接間にいた時の魔道書・ゾナから、「リティルは席を外している」と言われてしまった。伝言は伝えるという彼の言葉で、共に帰ってきたノインと目配せしたインファは、ではと、太陽の城へ精霊名鑑の閲覧を願いに、行くことにしたのだった。

ノインは、インの書き残した魂に関する書物を探すと、風の城の図書室へ向かった。インファが大丈夫か?と言う前に「案ずるな」と言われてしまった。彼がそういうのなら、何も言うことはないなと、インファは風の城を立ったのだった。

 太陽の城は、真っ白で華奢な外見の優美な城だ。城の前の庭園には、上からみると草の緑と白い石とで、太陽の紋章が描かれている。

インファは太陽王の召使い精霊である、トンボの羽根を持った、12歳くらいの少年の姿をした妖精兵に、太陽王にお目通り願うと伝えると、城内への扉を守っていた2人は、無言で扉を開いた。

インファは、門番などいるのだろうか?といつも疑問に思う。インファが尋ねて、彼等に止められたことがないのだ。一応声をかけているのは、礼儀としてのみだった。

リティルなどは「邪魔するぜ!」と笑って自らぶつかるように、巨人でも迎えるのか?と思えるほど大きな扉を開いて、飛んで行ってしまうのだ。

「おう、インファ!リャリスが泣いて戻ってきやがったぞ?」

玄関ホールのない不用心な太陽の城は、左右の壁に沿った廊下と、アーチの奥に玉座の間に繋がる扉が見える。アーチと玉座の間への扉の前は、ちょっとしたホールになっていて、白い大理石の床に埋め込まれた、日長石で太陽が描かれていた。

そのホールに、オレンジ色の髪を、伸ばしたい放題伸ばしたガッシリした体躯の大男が出迎えた。オレンジ色のオオタカの翼を生やした、逞しい胸板を服の間から覗かせた彼が、夕暮れの太陽王・ルディルだ。インファは、ルディルの前まで進み出ると、身長2メートル近い彼を見上げた。

「落ち着きましたか?」

「オレには強がりやがるからな」

部屋に閉じこもって出てこないと、ルディルは首を竦めた。

「そうですか。彼女が何を対価にしたのかわからないので、オレからは会いに行くことができません」

「うん?それじゃあおまえさん、なぜ来たんだ?リティルに何かあったのか?」

すぐに風の王に結びついてしまうところが、インファには不穏に思えた。そして、もし父に何かあったのなら、こんな悠長に飛んできたりはしませんよと思った。

「いいえ。父は元気ですよ?ルディル、精霊名鑑はありますか?」

「精霊名鑑?そんなもの、どうしやがるんだ?」

ルディルは首を傾げたが、まあいいと、インファを図書室へ自ら案内すると言って廊下を歩き始めた。

 インファは、ゆっくり太陽の城を歩いたことはない。

図書室と玉座の間がわかる程度だった。白い天井を見上げると、太陽の形の天窓から燦々と日の光が落ちて、白い光が廊下を満たしていた。

「ルディル、皆既日食はいつですか?」

「気にするな。あれで力を使わにゃならんのは、ルキだ。月の影をゆっくり動かすのが、難しいんだとよ」

「そうですか。では、こちらも気にしないでください」

インファはニッコリと微笑むと、これ以上案内は結構と翼を広げて飛び立とうとした。

「おい!インファ!ったく、策士め。わかった!話してやる」

ルディルは慌ててインファの腕を掴むと、地上に引き戻した。

「ルディル、風の城にかまけていていいんですか?」

ルディルに腕を掴まれ、インファは素直に舞い降りたが、嫌みを忘れない。

「かまけてばかりもいられん。だが、あいつ、今回は1人で挑まにゃならんだろう?」

「ノインはやはり、入ることができないんですね?」

2人、何事もなかったかのように、廊下を歩き始めた。

「あ?当たり前だろう?王の風がないんだ。結界を越えられん。それに、リャリスが戦々恐々としていやがる。何を恐れていやがるのか、あいつはオレには一切話さねぇんだわ」

「オレ達は、死の安眠に関われません。内容すら知りません」

オレに探りを入れても無駄です。暗にそう言うインファに、ルディルは困ったようにため息をついた。

「リティルらしいっちゃリティルらしいが、普段のあの儀式で、無敗の騎士様が関わっていやがったんだろう?気にするなってほうが無理だぞ?」

「たかが日食如きで、と思ってしまいますが、そうではないんですね?」

ルディルは、立ち止まるとそびえ立つような大きな扉を開いた。その白い扉には、サファイアブルーの顔料が塗られた、蛇とイチジクを象った漆喰細工の装飾が施されている。太陽の城の図書室だ。

この城の扉は、巨人用か?と思えるほど皆大きい。しかし、廊下は天井は高いが幅はそうでもないためにとても巨人では通れず、ノブも、皆の知っている高さにある。なぜこんなデザインなのだろうか?とインファはやたらと高い天井を見上げた。

 図書室の天井には、雲間から覗くかのような歪な空がフレスコ画で描かれている。ルディルが大きな扉を閉めると、無音だった部屋に、ゴオンッと音が響き渡った。扉の両脇には、イチジクを捧げ持ち、腕に蛇を絡めた女性の像が立っていた。

「普段のちょこっと太陽が欠ける日食と、皆既日食は違うんだわ」

扉を閉めたルディルは、図書室の奥へ足を進めながらおもむろに話始めた。真っ白な本棚には、イチジクの木や実などの漆喰細工がサファイアブルーの顔料で描かれ、明るすぎず暗すぎない絶妙な明るさを保つ風の城の図書室と比べると、ここは落ち着きがない。

ルディルはインファに、座っていろと促すと、1人迷わない足取りで1つの本棚に向かうと、分厚い本を手に取り戻ってきた。

「ほい、精霊名鑑だ」

分厚いこの本は、魔書だ。新たな精霊が産まれると名が勝手に書き連ねられていく。

「ありがとうございます。それで、皆既日食は違うというのは、何が違うんですか?」

ルディルは、インファの向かいに腰を下ろした。

「太陽と風は、死の力で結ばれていやがるんだわ」

「死の力ですか?しかし太陽は、どちらかといえば豊穣、産む力の方ではないんですか?」

太陽光は大地を温め、植物の発芽を促す。太陽と死とは、その関連をインファには思い付かなかった。

「太陽がなぜ、セクルースの統治者やってると思う?ただ、上から見下ろしてるからじゃねぇんだわ。どっちの力にも、力を貸していやがるのさ」

「太陽の熱が、産む力を助けていることは知っていますが、死の力を助けているんですか?死は強力な力です。風の王だけで事足りるのでは?」

「ああ、太陽は封じる方だ。影に、死を封じていやがるんだわ。皆既日食は、すべてが影になる。死の蓋が開いちまう。一時、風の王に死の力が全部のしかかっちまうんだ。時間にして数分。リティルは霊力を奪われ続けることになるってことだ。もしも、日食と死の安眠が重なれば、あいつは1人で背負うことになるぞ」

「霊力の泉と、無限の癒やしがありますが、越えられませんか?」

「おまえさん、情け容赦ねぇわ!」

大袈裟なルディルの言葉に、インファは心外だと背筋を伸ばした。

「王が副官に隠している以上、オレも策を練れませんから」

それは本当だ。本当だが、言葉の裏に隠した心を、ルディルは易々と暴く。

「拗ねるな、インファ!ったく、リティルが絡むとおまえさん、途端に子供っぽくなりやがるなぁ」

ルディルがガシガシと頭を掻いた。

「……オレは、風の王の為に存在している精霊です。冷静ではいられませんよ。それに、あなたの前でまでも、強がっていなければいけませんか?」

これでもかなり強がっているんですよ?とインファは、気弱げに眉尻を下げた。

「か、可愛いなぁ……。ハッ!インファにときめいてどうするっていうんだ?」

不覚だ!とルディルは大げさに身震いした。そんな危機感も悲壮感もないルディルの様子に、インファは苦笑した。彼は不甲斐ない、ずぼらだと言われいるが、やはり風の王の始祖なのだと感じる。腑抜けを気取り、風の城を隠れ蓑に、有事の際には暗躍できる道を残しているのだ。

能ある鷹。彼はまさにそうだと、インファはルディルをそう見ている。

 だから頼るのだ。未だに、どの部門も歴代最高である元初代風の王に。

ああ、最も殺している風の王の座は、15代目風の王・リティルに明け渡したが。

「ルディル、精霊色素について、何か知っていますか?」

「は?精霊色素だぁ?見た目だけじゃねぇの?」

ルディルにとっては唐突な問いだったようだ。

「ええ、識別のための色なのだとオレも思っています。例えば、ノイン、彼を見て、何の精霊だかわかりますか?」

「ああ、なるほどなぁ。死にかけた風の精霊にしか見えねぇわ。リャリスも、見た目モンスターだしなぁ。リャリスの場合は未熟だからだ。まだ蛇のイチジクの力を、自分のモノにしてねぇんだわ」

風の城に甘えていやがって、しょうがねぇと、ルディルは太い腕を思案するように組んだ。色々見えているようなのに、なぜ導いてやらないのか、インファには甚だ疑問だった。

「智の精霊と力の精霊の色は何ですか?」

ルディルは博識だ。あのランキングが、風の王時代に限るモノであってもだ。

おそらく精霊名鑑は必要ないだろうなと、彼が付き合ってくれた時点でインファは感じていた。すべてを知らなくとも、自分の周りの精霊のことくらい、とっくにシラミ潰しているだろう。

「智の精霊のカラーはなぁ、青だ。その中でもサファイアブルーっていう青だ。それから、力の精霊のカラーは、黒だ」

意外だった。黒ならば、なぜ、リャリスは?と思ってしまう。

「黒……では、あの翼の色は、死ではなく、力の精霊の色ということですか?」

ならば、リャリスの杞憂ということになるが、インファもリティルもあの色は……と理由のわからない不安を感じていた。

「うーん……力の精霊の黒は、濡羽色だ。破壊の精霊・カルシエーナの髪の色だな。破壊は力に属する力なんだわ。ノインの翼、とてもそこまでの艶めきがねぇわな。オレの目から見ても、死の色――暗黒色に近いぞ」

「黒という色には、どんな意味があるんですか?幻夢帝・ルキも黒ですよね?」

「あいつは、漆黒だ。黒って色には、圧倒的な力って意味がある。ヤツが月の力で制御する夜、風の王の導く死、混沌を統べる力、あとは……なんだっけなぁ」

「混沌を統べる?ドゥガリーヤの、始まりの混沌のことですか?」

インファは思わず食いついてしまった。それがルディルの罠であることも知らずに。

「うん?そうだ。神樹が濾過する前の力のことだ。ドゥガリーヤの水って精霊達は呼んでるがなぁ」

「しかし、あの水は黒ではありませんでしたよ?」

「薄黄緑色に発光しているような液体、か?」

どこで見たんだ?とルディルは薄く笑ってこちらを伺っていた。

インファは、踏み込んではいけないところへ足を踏み入れてしまったことを悟ったが、口から出た言葉をなかったことにはできなかった。インファは、小さく息を吐くと、太陽王を正面から見返した。

「ルディル、風の騎士・ノインがどうやって目覚めたのか、知っていますか?」

「インファ、対価は支払い済みだろう?悪かった。おまえさんの青ざめる顔が見られるんじゃぁねぇかと、ふざけちまったわ」

風の王は皆優しい。その優しさに、これまで甘えてきた。インファが間違っても、リティルはもちろん、ルディルも責めることなく、導いてくれた。

あのとき、14代目風の王・インという存在を捨てることを選んだ、意に反して蘇らせられたインも、インファの行いを許したのだ。そしてノインも、自身に命の期限が発生するだろうことを、どこかで覚悟していながら、主であるインファを責めることはなかった。

今、転成したノインが迷い、危ない橋を渡ろうとしてしまうのは、あの時願ってしまった、15代目風の王・リティルを最後の風の王にしたいという、願いの代償であるとそんな思いが消えなかった。

許さないで!罪を償わせてと思うことは甘えだ。逃避だ。そんなことをしても、してしまったことはなかったことにはならない。

だが、力の精霊となったノインが未だ死に掴まれているようで、インファは焦りを感じていた。理を歪めてしまったのはオレだ!だのに、目覚めさせられたノインが、その代償を支払えと未だ言われているような気がして、インファは償えない罪に苛まれていた。

「ノインが……許されないのは、そのせいですか?あの時父さんは、役目を全うしようとしていたんです!それを……オレが……歪めてしまったんです」

おまえのせいじゃないと、リティルは言った。それはそう言うしかないからだ。目覚めてしまった命を否定しないため、記憶を消されたリティルは、ノインがどう目覚めた精霊なのかを後に知ったが、容認せざるを得なかっただけだ。ノインも、産まれさせられた己の命を受け入れた。

「あの場所に降りてみるか?インファ」

インファの苦悩をわかっていて暴いたことだったが、やれやれとルディルは、他者を想いここまで心を痛めるインファの様子に、内心優しいため息をついていた。そして「ノイン、おまえが彷徨うから、インファがおまえの我が儘を自分のせいだって思っちまったぞ?」と力の精霊になりきれないノインを想った。

罪だ罰だとすべて幻想だ。辻褄を合わせるため、対価の支払いは強要されるが、それだけだ。いったい誰が裁くっていうんだ?罪と罰は、グロウタースの民が治める為に作った法律というルールだ。精霊の守る、理とは違う。産まれた命が直面するのはいつだって、試練という名の運命だ。

「あの場所とは、ドゥガリーヤの水のある場所ということですか?」

つい数十秒前まで打ちひしがれていたのに、もう立ち直って怪訝そうな顔で、言質を取ってくるインファが可愛い。本当に可愛い。

ルディルは、心を許しても、警戒を怠らないインファの考え方が非常に好きだ。だから頼ってくると、頼られた以上の土産を用意してしまうのだ。

土産をどう使うのかは、インファに委ねられるわけだが、インファはきっと有効活用してくれるだろう。

「そうだ。その場所は、太陽王の管轄なんだわ。オレかレシェラが許可しねぇ限り、誰も降りられねぇのさ」

現在の太陽王は2人いる。夕暮れの太陽王・ルディルと、その奥方の夜明けの太陽女王・レシェラだ。それは、ルディルが前任の太陽王を討ったとき奪い取った太陽の力が大きすぎて、彼の容量を超えた為に、その一部を奥方だった初代花の姫・レシェラが肩代わりしたからだ。

「ドゥガリーヤへの門は、風の領域にありますが、あるだけで管理していないと父さんが言っていたのは、そのためだったんですか?」

「二段構えってことだな。ただなぁ、あの門はオレが死を導くことを引き受ける前から、あそこにありやがる。誰が置きやがったのかは、わからねぇんだわ」

「……オレが、その場所に降りる必要性を感じません」

好奇心は人一倍のくせに、キッパリはっきり断ってくるインファに、ルディルは笑みを深めた。さすがはインファだと、賞賛したい。

「そういうおまえさんだからだ、インファ。おまえさんの聡明さは、あのインに匹敵しやがる。今現在、イシュラースの三賢者が誰だか、知ってるか?時の魔道書・ゾナ、力の精霊・ノイン、雷帝・インファだ」

途端にインファの眉間に深いしわが刻まれた。

「ツッコんでいいですか?」

「おう!ツッコめ!」

「それはイシュラースではなく、風の城限定ですよね?」

「それがなぁ、イシュラースなんだよなぁ」

「ノインが、入ってしまっているんですね。それを知れば、あの人、また苦悩しますよ?オレの知識ではないと言い出すに決まっています」

ノインの知識は、風の騎士と14代目風の王・イン2人分だ。彼が謙遜したとしても、知識は知識だ。

そして、時の魔道書・ゾナは、あるグロウタースの民の賢者が記した魔導書に宿らされた人工生命で、時の精霊の証を得て精霊に転成した異色の精霊だ。著者の賢者の性格を継ぎ、探究心の塊だ。彼が賢者に数えられるのは納得がいく。

だが、オレ?とインファは思ってしまった。精霊大師範と持て囃されているが、それは、教えることがうまいだけだと思っている。現に、こうしてルディルに知識を分けてもらっているというのに。幽閉されていたとはいえ、ルディルは創世の時代から生きている、古参の精霊だ。初代風の王だ。知識や戦略が、彼に敵うはずはずがないとインファは思っている。

「言ってるなぁ。リャリスのヤツ、ブスッとしてオレと口をきかなくなったわ」

「完全に八つ当たりですね。ルディル、家臣はきちんと教育しなければいけませんよ?」「あいつは、風の城の管轄だろう?お兄様?」

「オレは兄であるだけですよ。夜は、あなたのところに帰るでしょう?」

「ガハハハハ!あいつの部屋、見たことあるか?ベッド以外何もねぇんだわ」

「!笑っている場合ですか!風の城に来ても、日がな一日インジュの隣にいるだけですよ?」

「風の城で過ごす時間を対価に、何かしてきやがったらしいよなぁ?あいつ、消滅するつもりかねぇ?」

ハアとルディルは額に手を置いて、困ったねぇとため息を付いたが、まるで困っている素振りではなかった。

「ルディル、ドゥガリーヤに降りますから、リャリスに図書館にくるように行ってくれませんか?」

「おお?雷帝様の説教タイムか?」

「茶化さないでください!リャリスが消滅したら、どうするんですか?」

まったくあなたは!と静かに怒るが、面倒な問題を引き受けてくれるインファが本当に可愛い。

贔屓したくなって困るねぇ。とルディルは話を進めることにした。

「なあ、インファ、前任の太陽王が、なぜ、守護精霊で智と力の精霊を作り出したかわかるか?あいつらの色、覚えてるか?」

いきなり何を?とインファは訝しがったが、そう言えばと思うところがあった。

守護精霊は、作り出した精霊が死ぬと道連れになる。元、インファと風の騎士・ノインが、守護精霊と主人という関係だった。

前任の太陽王――精霊王・シュレイク。初代風の王・ルディルを幽閉し、15代目風の王・リティルと敵対し、リティルの手によって助け出されたルディルの手によって討たれた。その折り、智の精霊・無限の宇宙と力の精霊・有限の星は、風一家と交戦し、果てている。

「有限の星は赤でしたね。無限の宇宙とは面識がありません」

「どっちも、名は智と力だったが、不完全だったんだよなぁ」

「はい?しかし、2人とも、至宝の所持者でしたよね?有限の星が黄昏の大剣を使っているところを見たことがありますよ?5代目風の王もインも、蛇のイチジクを見ています」

「シュレイクが、奴らの力の大半を奪っていやがったのさ」

「なぜそんなことを?狂っていたからとは言わせませんよ?」

精霊王・シュレイクの討伐を画策したのは、智の精霊・無限の宇宙だった。彼は、自分達が道連れになるのもかまわず、太陽王の代替わりを望んだのだ。守護精霊に見放された王だったのだ。その事実を知っているインファが、冷静に返してきたことにルディルは、だからおまえさんは賢者なんだと、口にはしないがそう思った。

「それだけ危険ってことだ。だから力を奪って、守護精霊に落としこんで、管理しやすいようにしていやがったんだ。ところが、後任のリャリスもノインも1精霊だ。思うがまま力を使っちまったら、何が起こるかわからん」

ルディルはニヤニヤと笑っていた。インファは、それでも太陽王の管轄には違いないと思っていたが、ハッと思い至った。インファの表情の変化に、ルディルはますます満足そうに笑った。

その顔に、このタヌキめ!と分厚い精霊名鑑を、叩きつけたくなったが、何とか耐えたインファだった。

 智の精霊も、力の精霊も、両者とも太陽の色であるオレンジ色を持っていないばかりか、掠りもしていない。それ即ち、太陽に属する力ではないということだ。彼等は、独立した個の精霊だ。誰かの配下ではなく、王に匹敵する権限を持つ精霊だということだった。つまり、どこに居を構えるのか、自分の意志で決められるのだ。

現在風の城にいる、時の魔道書・ゾナ、破壊の精霊・カルシエーナ、再生の精霊・ケルディアスは、風の精霊と婚姻関係になく、風の城に住みつき力を行使している精霊だ。

彼等は、風の城を住処と定め、ゾナは時計塔を、カルシエーナは修練の間、ケルディアスは応接間を力の源となる空間と定めて、力を管理しているのだ。

しかし、ノインは風の城に住んでいるものの、客人感が抜けず、力の源となる空間を定めていない。リャリスも同じだった。

「そんな恐ろしい精霊を、よくも押しつけてくれましたね?」

彼等は気がついているのだろうか。前任の精霊が、太陽の城に住んでいたことを知っているが為に、そう思いこんでいるだけだとしたら、そのうち気がつく。太陽の城から貸してもらっているというのと、居候とでは意味合いが全然違う。インファは、同じく気がついていない父に知らせなければ!と少し焦ってしまった。

「ガハハハハ!リティルの下にありゃぁ安心だぞ?」

「父さんも間違いますよ?」

「シュレイクやこのオレよりかはマシだろうぜ。あいつは誰よりもグロウタースを思っていやがる。破滅をもたらすような使い方はしねぇわ」

「父さんの人情は否定しませんが、聡明さには疑問が残りますよ?」

「そりゃぁ、三賢者が戒めてやりゃぁいいだろう?インファ、付き合え」

情報の対価だと言われれば、ルディルに従わざるを得ない。インファは完全にしてやられたと、ため息をついた。

 そして、わざとらしく嘆く。

「はあ、わかりました。またいらない知識が増えてしまいますよ……そのうち、自分の知識にアクセス制限をかけねばならなくなりそうですよ」

「うん?そんなまね、できるのか?」

「できますよ?戒めと鍵を作ればいいんです。インジュの殺さずの戒めと同じですよ」

「いや、あのなぁ、わからん」

知識とは不思議だ。こんなに聡明な人にでも、わからない分野というモノがある。むろんインファにも言えることだが。

「そうですか?そうですね……封じると、外の者は中に入れず、中の者は外に出られませんよね?」

インファはそう言うと、机の上に親指くらいのイヌワシの人形を作り出して置いた。その人形の周りに4つ要となる三角錐の小さな石を置き、それを繋ぐように力を巡らせて封印された空間を作った。

インファに触ってみろと言われ、ルディルは突いてみたが、指は金色のガラスのような硬質なモノに阻まれ、中のイヌワシの人形には届かなかった。ここまでは、封印という魔法のことだ、ルディルにも理解できていた。

インファは、ではと言って封印に手をかざした。

「ルディルの侵入を許しました。人形を取り出してください」

インファに促されるまま、ルディルは封印を突いてみた。先ほどは、ガラスのような硬質なモノに阻まれたというのに、今度は指が難なく通り抜けていた。ルディルは、言われた通りイヌワシの人形をつまみ上げたが、人形は何かに引っかかって金色のドームを抜けられなかった。

「これが、戒めと鍵の原理です。戒められているモノは封印を通れず、鍵――許可されたモノは通り抜けられるんです。原理さえわかれば、あとは応用するだけですよ。ルディル、行く前に、父さんに一報入れますがいいですか?」

「真面目だねぇ。黙っとこうとか思わねぇの?」

「黙っている理由がありません。王とノインは隠しますが、オレは極力オープンですよ」

そう言って、インファはルディルの前で風の中から水晶球を取り出し、話しかけた。

「父さん」

『インファ?ルキルースじゃねーな?どこにいるんだよ?』

「太陽の城です。精霊色素について調べようと思ったんですが、ルディルが教えてくれました。これから、ドゥガリーヤに降ります」

『ドゥガリーヤ?ルディルと一緒にか?ルディル、どういうつもりだよ?』

太陽王と共にと感づいたリティルが、当然そばにいるだろう?とルディルの名を呼んできた。

「おう!もうちょいてめぇの息子、信じてやりゃぁいいんじゃねぇの?」

『信じてるさ!だから言えねーこともあるんだよ。インファ、今日帰ってくるか?』

「何かありましたか?」

『1つ魔法を教えてもらったんだ。それが、難解なんだよ……』

「魔法ならば、ゾナが適任ですよ。……ノインと揉めましたか?」

『うっ!おまえ、鋭すぎねーか?』

「そちらは何とかしてください。オレは、リャリスの面倒も見なければなりませんから。父さん、リャリスとノインは、誰の配下でもない精霊だということが判明しました。ノインは、風の王の守護女神・フロインと婚姻関係にありますから、王と揉めていてもまだ何とかなりますが、リャリスの拠点を決めなければなりません」

『智と力は、太陽王の配下だろ?』

「それは、彼等が守護精霊だったからです。今は、ゾナや破壊と再生と同じく、1精霊です」

『!ヤバイじゃねーか。ノインと揉めてる場合じゃねーな。ありがとな、インファ!こっちは、ゾナと何とかしてみる。おまえは、リャリスを頼むな!』

「了解しました。父さん、ノインと揉めてもいいですが、拗れないでくださいね?」

『拗れたくて拗れてるんじゃねーよ!じゃあな!気をつけろよ?』

そう言ってリティルは水晶球からいなくなった。

「リティルのヤツ、ノインとまた揉めていやがるのか?」

「ええ、ノインが勝手に、弟に勝れない兄だと思いこみまして。上手くいかないんですよ。まるで、何かに邪魔されているようで、オレは、オレの行いに自信が持てませんよ」

道すがら、愚痴聞いてくださいと、インファは深いため息をついた。

 太陽の領域から、風の領域に飛びながら、ルディルはインファがフロインの魅了にかかってしまった失敗談を聞き、大いに驚き、大いに笑ったのだった。

ルディルは「セリアは驚いたか?喜びやがったか?」とワクワクしながら顛末を期待したが、何もなかったことを聞き、あからさまにガッカリしていた。


 あのまま、襲ってしまっていたら、セリアはどうしたのだろうか?とインファの頭を疑問がよぎっているとも知らず、セリアはシェラと共に、大地の領域にある、花の精霊達の住処である花園に来ていた。

昏倒から目覚めたインファは、セリアを見るなり、驚いた顔をして、何も言わずにイヌワシに化身すると飛び去ってしまった。逃げられたことに呆然としていると、シェラが来てくれたのだ。

なぜ涙が出るのかわからずに、抱きしめてくれたシェラに縋って、しばらく泣いてしまった。今はもちろん落ち着いたが、なぜ、あんなに泣いてしまったのだろうか。理性的な夫のことだ。そんな行動、ある意味読めていたというのに。

 花園は、もっとも険しい山間にあり、上から見ると、山の間に虹が落ちているように見えるとても美しい場所だった。

花園につくと、シェラは花の精霊達にすぐさま囲まれてしまった。

「シェラ様、グロウタースの芽吹きが遅いのです!」とナノハナが訴えた。

「わたし達の力が、うまく伝わっていないのです」とチューリップが俯いた。

わあわあと騒ぐ花たちを押しのけ、サクラが進み出た。

「春一番も問題なく世界を巡り、原初の風の恩恵を受けた南風が勢力を増しています。ですが、南風達が芽吹きをうまく運べていないように感じます」

「死の力が強いせいです!」パンジーが叫んだ。

「太陽の輝きすら抑えてしまうなんて、風の王は力を付けすぎたのでは?」とビオラが身震いした。

「パンジー!ビオラ!口を慎みなさい!今年も春一番は、被害なく世界の季節を入れ替えたではありませんか!リティル様の代になって、春風の力はより一層強くなりました。今現在のグロウタースの繁栄は、リティル様あってのものですよ?」

花たちの恐れからの不満を受けて、サクラはリティルを庇っていた。

「サクラ、シェラ様の前だからっていい子ちゃんぶって!サクラだって、花が咲かせられないってぼやいてたじゃない!」ナノハナが食ってかかった。ナノハナに続いて、集まっていた花たちが「そうよ!そうよ!」と囃し立てた。

「それは本当の事よ!けれども、私は、リティル様のせいだとは思いません。ラナンキュラス、あなたも何か言って!」

サクラに助けを求められ、ラナンキュラスはビクッと身を振るわせた。

「わ、わたしは……」と皆の注目を集めてしまったラナンキュラスは、俯いてしまった。

優しく笑っていたシェラが、おもむろに水晶球を取り出した。そして、花たちの前でリティルに呼びかけた。

「リティル、やはり、芽吹きが遅れているようよ」

『そっか。シェラ、君の目から見てどう思う?』

「産む力が、何かに阻害されているように感じるわ」

『南風達が暖まらねーって言ってきてるぜ。インジュに歌わせてみるよ。……シェラ、王の風、扱う自信あるか?』

王の風?死を導く力のこと?シェラは戸惑った。

「そのままでは、わたしといえども辛いわ。何をするというの?」

花の姫は、決して散らない花だ。故に、風の王と共にいられる。しかし、産む力を持つ精霊である花の精霊だ。死とは反属性だ。導くだけの力とはいえ、死に近い力には触れられない。

『皆既日食で、死の力が強まる。このままだと、何が起こるかわからねーんだよ。そのとき、花園を守らねーとだろ?今、産む力を持ってるのは花たちだけだからな。霊力と一緒だったらどうだ?』

また、簡単に言うのだから……リティルに言っていることは理解できるが、力を使いすぎではないだろうか。けれどもわたしは甘いわね。と、リティルの願いを叶えたいと思ってしまったシェラは、小さくため息を付いた。

「……待って。インファ……インファも王の風を持っているわね。2人分の風があれば、触れられるかもしれないわ」

『お、インファ様々だな!そうだ、セリア、おまえ結晶化で要石作ってくれよ。それを使ってシェラ、フロインと結界を敷いてくれ』

「リティル、王の風は通常よりも霊力を消費するのではないの?弱った体で、死の安眠に挑むの?フロインまで遠ざけて?」

『オレは何とかなるぜ?けど、花園に何かあると大飢饉まっしぐらだ。儀式が失敗したとしても、それだけは絶対に回避してやる。シェラ、セリア、花園を守ってやってくれよ』

「リティル……花たちは、芽吹きが遅れているのは、あなたのせいだと言っているわ」

『はは、そんなこと言える元気があるなら、大丈夫だな。花たちも元気がねーんじゃねーかって、心配してたんだ。じゃあ頼んだぜ?王妃、雷帝妃!』

リティルは、明るく笑い飛ばすと、水晶球からいなくなった。

 水晶球から視線を花たちに向けたシェラは、優しく微笑んだ。

「風の王は、あなた達を最大限守るようにわたし達に命を下したわ。花の役目、全うしてくれるわよね?」

シェラの笑顔に、花たちは青ざめ「はい」と返事をすると、ちりぢりに散っていった。

「シェ、シェラ様……本当は、何が起こっているのですか?」

ラナンキュラスが怖ず怖ずと、けれども問うてきた。

「気にする必要はないのよ?これは、風の仕事なのだから」

「けれども!……私たちには、何も……そればかりか、あのような……」

「あなた達は儚いわ。わたしの愛する風の王のことを、いかによく伝えたとしても、忘れてしまう。わたしはもう、疲れ果ててしまったの。ここへも、リティルが心を砕いていなければ、くることはなかったわ」

花園に、風の精霊が近づくことは禁じられていた。それも、遙か昔のことだ。

花が、風に近づけば儚く散ってしまう呪いを、シェラは解いた。花の精霊はシェラの眷属だ。風の王の妃の眷属たちが風を恐れる姿が、シェラは我慢ならなかったからだ。風の騎士・ノインが花たちと交流を持ち、彼は花たちが花園の外へ出られるまでにしてくれた。だが、花は散るモノ。散ってまた同じ存在として目覚めても、記憶を保持してはおけずに、彼女らは記憶をなくしてしまう。

サクラのようにリティルの肩を持ってくれる花はいる。けれども、それも、散るまでだ。

そうして、リティルはこれからも、花たちから恐れられる。グロウタースの豊穣に翳りが見えれば、こうやって悪意を向けられる。

「わたしは、豊穣の称号を失った花の姫。あなた達に慕われるいわれもないわ」

「シェラ様、おやめください!どうかお許しを!あの者達は特に寿命の短い花です。風のかの字も、生命を育む行為すら満足に理解していない愚か者です!自分達がいかに守られているかもわからない、浅はかな頭しか持ち合わせておりません……」

サクラは、哀しそうに俯いた。彼女の緑色の長い髪から、桜の花びらがハラハラと散った。

「シェラ様、わたしは新参の花でございます。しかしながら、春風の暖かさが好きです。それでは、いけないのですか?」

ラナンキュラスが控えめに、両手を胸にシェラを見上げた。

「わたし達の記憶は受け継がれません。それでも、受け継がれるモノがあるのだと、思いたいのです」

リティルは、悪意を向けられることに抵抗がない。旋律の精霊・ラスが執事として、悪意ある噂を処理してくれる今、噂が暴走して太陽王・ルディルが「焼き尽くすぞ!コラッ!」と凄むことがなくなった。「やり過ぎだろ?」と笑うリティルにインファが「仕事に支障が出ていますよ?」とため息を付く姿が見られなくなって久しい。

眷属とはいえ、グロウタースの様な支配をしているわけではないシェラには、無邪気に風を恐れる彼女達の行いを、改めさせることはできなかった。リティルは「しかたねーだろ?オレ達風はどこまで行っても、花の花びらをむしり取って、無理矢理実を結ばせるんだからな」と怖くて当然だと気にも留めさえしない。

「シェラ様、わたしがうまく咲けましたら、ご連絡差し上げます。どうか、リティル様とお二人で、グロウタースの八百万という島に赴いてください」

サクラはそういうと、深々と頭を垂れると、ラナンキュラスを伴って楚々と去って行った。

「シェラ様、大丈夫?」

 遠巻きに見守っていたセリアは、やっとシェラに近づくことができた。

「いつものことなの。リティルは、ここを、訪れたことがあるのかしら?こんなに恐れられていては、来にくいわね」

シェラは、寂しそうに微笑んだ。

「でも、リティル様を思ってくれる花もいるのね。本当に、受け継がれるモノがあるのなら、素敵ね」

セリアは、フフと遠巻きにしている花たちを見回した。

「シェラ様!儚くても無駄でも、リティル様の功績、刻んじゃいましょう!無謀なリティル様を助けるのは、わたし達の役目だもの」

前向きなセリアに救われる。連れ出したときは、インファに拒絶されたとあんなに落ち込んでいたのに、もう浮上している。

「そうね。リティルに王の風をもらわなければならないし、帰りましょう」

「はい!……インファ、帰ってるかしら……」

途端に怖じ気づくセリアに、シェラはクスクスと苦笑した。

「大丈夫。インファはあなたが大切なのよ。逃げるようなら、捕まえに行ってあげて」

「はい……うう……自信ない……あ、そう言えば、花はフロインと同じ魅了の力を持ってるのよね?高まってる感じはしないわ。どうして、フロインだけ?」

フロインは風の精霊なのにと、セリアは首を捻った。

「フロインは王の守護女神ね。リティルを助ける為なのかしら?帰りましょう、セリア。ここにいても何もできないわ」

「はい」と同意したセリアだったが、シェラは花園が嫌いなのだなと思わずにはいられなかった。こんな、ギスギスしたシェラは、風の城で見たことがない。風の城では、幸せそうにしていたり、心配していたりと、負の感情を殆ど見せないのに、ここでは……。 

それとも、シェラは何かを感じているのだろうか。

 リティル様に危機が迫ってるの?セリアは、不安を感じながら、インファなら、何か掴めるのかしら?と夫の姿を思い浮かべていた。

インファは、ルキルースに行ったと聞かされたが、ノイン、ノインはどうしているのだろうか。彼が苦悩しいなのは知っているが、だからと言って、リティル様を遠ざけることないのに!とわたしもルキルースに行って、一言言ってやろうかしら?と思ってしまった。


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