8:呼応する心と共鳴し合う魂
……酒の量が、測れるか……確かに、ある意味そうではあるな。
たった三口、ワインを飲酒しただけで横で眠りこけている纏依を、レグルスは呆れながら眺める。
あれだけつい今しがたまで恥ずかしいだの、慣れていないだのと大騒ぎしながら顔を真っ赤にさせていた纏依。今ではほんの三口のワインでその寝顔を赤らめていた。
「……このままそなたを、襲ってしまおうか」
レグルスは静かに呟きながら、纏依の口唇を指先でそっとなぞる。しかしそれは、纏依に対してだけは反則だなと思い留まる。
そう。体に傷を持ち、散々過去に淫乱魔女だとありもしない無実の罪を着せられた彼女に、そんな事をすれば余計に心は破壊されてしまう。
レグルスは、そのまま彼女の十字架のネックレスを手にする。まぁ、ただのファッションなだけで、宗教的な深い意味合いはないにせよ。
皮肉なものだ。魔女と罵られた娘が、十字架のネックレスを身に付ける。それがただのロック的な意味合いの代物であろうとも、こうしてシルバーアクセサリーを纏う事により、恐らく彼女の無意識からくる鎧となっているのだろう。
現にリラックスすべきこの時間を過ごしている中でも、これらの装飾品を外す事はなかった。
レグルスは纏依を静かに抱き上げると、二階にある自分の寝室へと運んだ。
そもそも客など招待する目的は毛頭ないので、余分な寝室などあろうはずもない。なので自分のベッドしかないのである。真っ黒なカバーの真っ黒なベッド。
彼がこうも黒に拘るのは、その心を頑なに閉ざしきって自分の本心を明かさない、そして秘密を意味する色だからだ。
日本に来て、自分が能力者である事を知る者はいない。ただの一人を除いては。それでいい。でなくばまた人はレグルスの事を恐れるだろう。
人は、自分の心を見られるのを嫌がる生き物だ。自分もそうなのだから、当然と言えば当然である。しかし好きでこんな能力を得た訳ではない。
何も知らなかった幼い頃。
得意そうに両親の心を読み取って、それを口に出してみせた。子供ながらに、褒められたかったからだ。
同じ事を、他の友人や近所の人や神父にもして見せた。
「どう? 凄いでしょ」
よって、彼が能力者である事は周囲に知られる事となった。それが不幸を呼ぶとも知らなかった、幼かった自分。ただ単純に、無邪気に子供らしく自慢したばかりに。
こうして彼は学んだ。自分の能力は呪われ、忌み嫌われる力である事を。学校でも魔王だの悪魔の子だのと罵られ、苛められた。
なので学生時代に青春らしい青春を味わう事はなく、逆に少しずつ閉心的な人格が形成されていった。纏依と同じように。
そうして英国で暴走した彼は、もう生きる気力もなくただ足が赴くままにその流れに身を任せ、日本に辿り着いた時に彼は、自殺を図った。
その彼を助けてくれた老人だけが、唯一彼が能力者である事を知る、ただ一人の日本人である。彼はレグルスが能力者だと知るや否や、自分の心を全て彼に晒して見せた。
そしてニッコリ笑ってレグルスに言った。
「のう? 人の心や人生など、ありきたっておるじゃろう? 特別な事など何もない。ただその人間が己自信をどう思うかなだけの事。人にやましい感情があって当たり前。わしは盗みもしたし殺しもした。例えそれが戦争が原因であったからにせよ、実行するのは自分の心一つ。それが人間なのじゃ。人は社会の中に法律を創り、善と悪を分けたがな。結局は人間も動物。本能的に行う事は、野生動物本来のものと何一つ変わりはしない。そこに善悪も存在しない。彼らはただ生きる為に当たり前に行うのみじゃ。人が決めた、悪の所業とやらもな。それらの過去の行いを見てどうじゃ。こんなものかと思うだけに過ぎんじゃろう。決して自分が特別でも、そして他の普通の人間が特別でもない、みんな同じじゃ。ただお前さんには、その力がある。それだけの事。動物だって、人にはない第六感が備わっておる。恐れる事はなぁ〜んにもない。じゃな? 異国の方よ」
理屈的な爺さんだ。初めはそう思いながらも、自然と彼の心はその老人により癒された。少なくともその老人の全てを見知ったからと言って、決して自分は特別だなどと言う優越感は覚えず、ただあったのは呆気ない理解力だけだった。
へぇ、そう。そんなものだった……。
纏依をベッドに横にしたレグルスは、彼女の頭を撫でながら、ふと髪を一つに束ねてあるヘアゴムに気付いた。
これは別に問題はなさそうだな。レグルスはそっとヘアゴムを取って、サイドテーブルに置く。彼女の栗色のロングヘアが広がり、彼女の女らしい美人な顔を更に際立たせる。
纏依……。そなたは万が一、また自分の人生を狂わせた存在に再会したのなら、どうするだろうか。怯えて逃げるか。親ならば恋しがって手を伸ばすのか。それともどちらに対しても、復讐を望むだろうか……。
しかしレグルスが知る限り、彼女の心は脅えと哀しみに覆われていた。時々少しだけ、歯がゆさから来る憎しみが垣間見える。
多分それは、レグルスに出会ってからだ。彼女なりに、女として彼に接したくても、思うように心を開く事が出来ない自分。
彼が手を差し伸べてくれなければ、自分から女らしさを表に出す事が出来ない苛立ち。本当は女としてレグルスに接してみたいのに……。
すると突然、レグルスの意識の中に纏依の姿が現れた。
「!?」
彼は目を見開く。そんな馬鹿な。何故某の頭の中に彼女が……!?
これは今までの様な彼女が激しい感情に囚われた時に、彼の中に強制的に流れ込んでくる一方的なテレパシーとは違った。
それは、能力者である彼だからこそ出来る、相手の意識、精神に自分の存在を送り込み、入り込んで内側からその者に語りかけたり、操ったりする最上位の能力、“意識侵入”
かつてこの技で母国の人間を、植物人間になるまで精神を侵して狂わせた力。それを今、纏依がレグルスに対して行っているのだ。超能力者でもないのに。
レグルスは混乱した。無意識に警戒心が働く。だが、身構えながらも意識の中の纏依を、彼は無言のまま睨むように見据えた。
初めは纏依自身、そこがどこなのか分からずにキョトキョトしているようだった。だが、レグルスの姿を見つけると、満面の笑顔を浮かべて無邪気に駆け寄ろうとした。
しかし、何かに足を捉まれたかのように、バタリと倒れ込む纏依。そして顔を上げた彼女の表情は、悲愴感に満ち溢れていた。両目から、涙が溢れている。
「……助けてくれレグルス……助けて……このままじゃ俺は……俺は……レグルス、女として貴方に愛を与えられない ―――――――― !!!!」
はっとするレグルス。
意識を現実に戻し、レグルスは纏依を見た。すると彼女はレグルスの意識の中と同じくして、眠りながら涙を零していた。
これは今彼女は見ている夢……? レグルスはそっと彼女に触れていた手を離す。すると、それに合わせて彼の意識から纏依の姿は消えた。
暫く黙考するレグルス。そして今彼女に触れていた手を見詰める。
成る程……。これは恐らく、“共鳴”だ。某の心と纏依の心の波長が重なった時、二人の心は共鳴し丁度その時に互いに触れ合っている間だけ、某を介して纏依も某と同じ超能力を扱えるようになる。
つまりレグルスの超能力が纏依に繋がってしまうのだ。電流の様に。今彼女がレグルスにして見せた最上位の能力、意識侵入は纏依の夢から来た、無意識から発せられたものだろう。
だから纏依にはそれがただの夢としか思っていない。自分と波長が合い、共鳴までしてしまう存在に初めて出会った。
つまり自分に似た、或いは自分と同じものを持つ者。それが纏依だった。
……彼女は恐れるだろうか。某の持つ能力に ―――― 。他の者がそうであるように。しかしこのままでは、いずれは気付かれるだろう。“共鳴し合う者同士”である以上……。
だから心を閉ざした人間嫌いのレグルスが纏依に惹かれ、性別コンプレックスで同じく心を閉ざしている纏依もまた、等しくレグルスに惹かれたのだ。
共鳴者だからこそ、自然の摂理で二人の魂は呼応しあった。それは二つに分かれていた物が、一つになるべくかの如く。
今はまだ黙っておこう……。レグルスは静かに寝室を出ると、再びリビングに戻る。
“助けて。このままじゃ、女として貴方に愛を与えられない ―――― ”
過去の恐怖が、女である彼女を縛っている。つまり纏依は本当にレグルスの事を愛してしまったのだ。だからそれを表現できずにいる、自分に繋がれた枷に彼女はもがき苦しんでいる。
助けたい。纏依の心に応えたい。そして何よりも……纏依。そなたの愛を、某は欲しい ―――――― 。
レグルスは纏依に対する自分の愛情を強く意識すると、改めてそう固く決意した。彼女を呪縛から救おうと……。
気が付くと、予想外の共鳴による纏依からの意識侵入に、本来心を閉ざしている彼はすっかり隙を付かれて、汗で体がグッショリと濡れていた。
レグルスは嘆息吐くと、グラスにあるワインの残りをグイと呷ってから、バスルームに向かった……。
え? 何でいきなりレグルスの恩人の爺さんが登場しちゃった訳!?
う〜ん。やっぱりイカンなぁ。下書き無しで思いつき任せで書いてると、余計な人物がしゃしゃりでちまった(汗) 書きながら、え? ちょっと爺さんあんた誰!? って感じww。