78:春の夜に舞いし想い
あれから纏依は、ユリアンに我が侭を言ってあやめも伴い山中にあるレグルスの家にも行ったが、そこにも彼の姿は一切見当たらなかった。
街の中心区に戻って纏依のアトリエをも確認したが同じ事だった。
思い当たる場所は他に大学と図書館があったが、そこはもうこの夜更けには閉まっている。
仕方がないので三人は一旦再度纏依のマンションに戻ると、ユリアンとあやめが彼女を心配してその夜は纏依の部屋に泊まる事になった。
あやめと仲良くなってからは彼女が何度か宿泊に来る事もあったので、余分に購入していた1セットの布団をベッドの隣に敷いて二人を寝かせる事にした。
だが気付くとベッドに横になっている纏依の隣にちゃっかりあやめが潜り込んでいた。
「……お前何やってんだ?」
顔を顰める纏依に、あやめはけろりとした表情で明るく答える。
「だって先輩、スレイグ教授の安否が気になって寝付けないでしょう? だから私が子守唄でも……」
「要らんからユリっちの元に戻れ」
素っ気無く言いながら手でベッドから押し出そうとする纏依の腕にあやめは負けじとしがみつく。
「ヤダァ! ユーリとはいつでも寝れるからいいんですぅ! 今夜は私が纏依先輩と一緒に寝たいのぉ!」
駄々をこねる子供のようなあやめに暫く絶句していた纏依は、ふと溜息混じりで苦笑すると渋々承諾した。
「……――分かったよ」
そんな二人の様子を微笑ましく眺めながら布団から立ち上がったユリアンが静かに声をかける。
「それではゆっくりおやすみ。二人とも」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいユーリ♡」
ユリアンは二人からの返事を受け取ると壁にある電気のスイッチをオフにした。
時間は深夜一時をとっくに過ぎていた。子守唄を歌う暇もないまま瞬く間に眠りに入った隣にいるあやめの頭を優しく撫でながら、纏依はそっと囁きかける。
「いろいろとありがとな、あやめ。そしてユリっちも」
するとまだ起きていたユリアンがそっと布団から答えてきた。
「気にしないでくれ。私も君と同じ気持ちなのだから。そういえば君にはまだ話していなかったね。レグルスが一体どうやって一次元の世界へ行ったのか……」
ユリアンは寝入っているあやめを気遣いながら、小さな声で囁くように語り始めた。
ユリアンの実妹クラウディアが、纏依の従兄である空哉と結託して自分を殺そうとしたこと。それが来日する前からうなされていた自分の死の予知夢の実態であったこと。しかしそれをレグルスが利用する事で彼に意識侵入をし、レグルス自らがその偽りの犠牲となった為にユリアンを死の運命から救うと共に纏依のいる一次元世界へ行けたこと。その後、例の二人はユリアンの新たなる進化能力で処分したこと――。
ここまで話を聞き終えながら纏依は、時々覚える衝撃の中でただ理解する事しか出来なかった。呼吸するのを忘れていたせいで息苦しくなっているのに気付き、たった一言漏らす事で改めて意図的に呼吸を開始する。
「そう――だったのか……」
ユリアンは枕の上から組んだ両手に後頭部を乗せた姿勢で天井を眺めたまま、言葉を続ける。
「ああ。だから私も、あいつの帰還を心底望んでいる。このままレグが戻らなければ私はあいつが自分の身代わりに死んでしまったのだと思い知らされて、一生後悔の中で生きなければならない。私が懺悔をしに来日さえしなければと……。私はレグルスを死なせる気は毛頭ない。だからあいつの言葉を私は今、信じるしかないんだ。君にレグが言った、必ず戻るという言葉をね……」
「……」
彼の言葉に無言でしか返せずに俯いている纏依を、励ますようにユリアンは再度口を開く。
「大丈夫だミス。私の予知夢は決して外れない。必ず今日行った帰還儀式は成功している」
現に纏依が最終呪文を唱えた後、全ての蝋燭の火が同時に一瞬で消えた。あれは何らかの作用が働いた影響だからだとユリアンは考えていた。風もない室内で蝋燭の火が一気に消えるなんてありえない。何か意味があるのだ、と。
非現実な事が現実で起き得る事は、自分を始めとする超能力者の存在やその共鳴者の存在、そして異次元に転移した纏依からして今更驚いてなどいられなかった。
「その為にも次の未来を予知しておかなければならない。それでは私は予知夢に備えて眠るとするよ。君も昨日から満足に眠っていないのだろう? レグを心配する気持ちは分かるが、少しでも眠って再会に備えて体力を温存しなさい」
後頭部の下で組んでいた手を下ろしながらユリアンは自ら上布団を肩まで掛け直す。
「ああ……そうだな。本当にありがとうユリっち。おやすみ」
「気休めでしかないかも知れないが、ミスこそ良い夢を」
そうしてそれっきり、ユリアンは口を閉ざした。纏依も眠る方向に意識を集中する。
時計の秒針の刻む音がやけに大きくはっきりと聞こえてくる。纏依は早く朝にならないかと思った。そしたら大学と図書館へも探しに行ける。
しかし眠ろうとすればするほど、頭の中でいろいろと考えが錯綜してしまってなかなか寝付けない。
一時間は経過しただろうか。
ついに纏依は眠れないもどかしさからベッドから起き出そうとした。
――が、グイッと何かに引っ張られて動きを遮られる。見るとあやめの腕が纏依の腕に絡んでいた。纏依はそうっとそれを解こうとしたが、逆に更にあやめは纏依の上半身に片手を回してしがみついてきた。勿論本人は眠っている。
纏依は諦めると、再度ベッドへ横になった。それに合わせるようにしてあやめは眠ったまま彼女の肩に頭を乗せてきたので、渋々腕枕をしてやった。
何で俺がまるで男みたいに添い寝せねばならないんだ。
内心密かにそう思いながら纏依は軽く目を閉じた。
朝、あやめは夢現の中でベッドを手探りしてそこにいるはずの纏依がいない事に気付いて、飛び起きた。
「あれ? 纏依先輩は!?」
ベッドの足元を確認するとユリアンはまだ眠っていた。時計を見ると七時を回っている。すると何やら香ばしい匂いが嗅覚を擽った。
起き出してあやめはリビングに向かうとコタツの上にはクロワッサン、ベーコンとブロッコリーが添えられたスクランブルエッグ、コンソメスープ、そしてメーカーごとコーヒーが用意されて並んでいた。
「凄い! これ全部纏依先輩が作ったんですか!?」
キッチンカウンターに立ちジューサーでフルーツジュースを作っていた纏依があやめの声を聞いて顔を上げる。
「おう、起きたか。これくらい大した事じゃないだろう。顔でも洗って来い」
するとあやめの声で目が覚めたらしいユリアンもリビングに姿を見せる。
「おはようミス在里。少しは眠れたかい?」
「ああ、二時間くらいかな。気分転換に朝食を作ったんだ。良かったら食ってくれ」
ユリアンは纏依に促されてコタツの上に並んでいる朝食メニューを見て、目を見張った。
「レグは毎朝これだけまともなものが食べられるのか……羨ましい」
寧ろ一体どうすればそこまでなるのか不思議に思えるくらい、あやめが焼けば被爆並みに炭化してしまうトーストを思えばこそついボソリと小声でユリアンは呟かずにはいられず。
そして朝食にありついたユリアンは久々に人並みに味わう手作り料理に、涙が込み上げてきそうなくらい感動するのだった。
朝食を終えて早速大学と図書館に向かった三人だったが、そのどちらにもレグルスはいなかった。
大学はともかく、図書館に至っては館長不在中に館長室の出入りは禁止という理由で館長室にすら副館長から上がらせてもらえなかった。
他職員にも内緒で実はこっそりと館長室に忍び入っては高級感溢れる純皮製の椅子に鎮座する喜びを味わっている副館長は、館長不在の今半ば自分の部屋のように余所者を必要以上に拒んだ。
更にはレグルス不在である事を幸いに他職員がハラハラと見守る中、副館長は強気な態度で纏依をあしらったので彼女はすっかり立腹していた。
「何だあのクソ禿げ眼鏡! レグがいないからって威張りやがって! もう少し言い方ってもんがあるだろう! 癪に障る!」
それもそうだが、副館長は館長室の椅子に鎮座する快感に馴染んできつつあってすっかり自分はもはや館長であっても大差ないくらいまでに、意識過剰になっていた。なのでしっかり態度も横柄になっていたのだ。
図書館裏にある庭園の中の茶屋で大福とお茶をつまんでいた三人だったが、そんな纏依をユリアンとあやめが穏和な表情で宥めた。
実はこの二人、今朝起きた時点でレグルスがもうこの現次元に戻ってきている事を予知夢で知っていた。だが纏依にあえて内緒にし、彼女の気が済むよう一緒に探す手伝いをしてくれていたのだ。
ユリアンはそれとなく庭園から館長室の窓を見上げる。
今あそこでレグルスは体力回復に伴い深い眠りに就いている。
あいつが自然に目を覚まし、自ら彼女に逢いに来るまで今はまだ黙っておこう。彼女を驚かせ、喜ばせる為にも。そうあやめと二人で話し合っていた。
ただ纏依には一言だけを伝えた。
「レグルスと初めて言葉を交わしたこの庭園で待っていれば、必ずあいつから姿を現す」
その予知夢カップルの言葉を信じて、纏依はユリアンとあやめがそれぞれ在宅デスクワークの仕事と大学の授業出席を理由にいなくなってからも、ずっと庭園でレグルスが現れるのを待っていた。
庭園内をゆっくり散歩したり、池にいる鯉や鴨に餌を与えたりしながら時間を潰す。図書館なのだから読書でもすればいいのだが、レグルスとの再会が気になってとても集中出来そうにない。
そうして一時間が過ぎ、二時間、三時間と時間が刻々と経過していく中で纏依はまだかまだかと辛抱強く庭園内を放浪しながら待ち続けるのだった。
やがて閉館を知らせるアナウンスが流れ始めたが纏依は気にせずに、レグルスと初めて言葉を交わしたベンチで横になる。
ヒラヒラと桜の花弁が舞う中、その心地良さに導かれて纏依はゆっくりと目を閉ざす。
何せ一昨日は一睡もせず、昨夜に至ってはたった二時間しか眠っていない。眠る気は毛頭なかったが、桜舞う景色の中穏やかな春の訪れは優しく纏依の疲れた心を落ち着かせ、やがては抗う暇もないままに彼女を眠りに誘った。
気持ち良い春風の中、桜の香りに包まれ眠る心地良さは絶品だった。
ああ。もうずっとこのまま、こうして眠り続けていられたらどんなにいいか……正直纏依の心中は半ば不安だった。期待してそれが叶わぬ事を恐れていたからだ。
なので束の間ではあるが、このささやかな春の訪れを堪能し桜の香りが与える安らかな夢に慰められていた。
そんな時だった。
突然その束の間の眠りは体の底から突き上げる、耳障りな騒音と振動によって呆気なく打ち砕かれた。何者かが彼女の眠るベンチの底を爪先で小突いたからだ。
ハッと目を見開くとガバリと飛び起きた挙句すぐ側に自分以外の何者かが立っているのに気付き、咄嗟に確認しないまま纏依は未だ人馴れしていない野良猫のように飛び退こうと、ベンチの背凭れに足を掛けた。
そして……――そのままヒョイと何者かにウエストへ手を回されたかと思うと、背後から抱きすくめられた。
相手が誰で、一体何者なのかなんて考える必要もなかった。
この大きくて逞しい手と腕。
抱きかかえられた時の高さの位置。
背後から首元に埋めてくる温もり。
纏依の足は宙に浮く形になっていたが、纏依の心臓は期待で高鳴る。
少し顔を背後へ動かすと目の端に映る漆黒の髪、大きな鼻、そして目元。
間違いない。この人は……彼、は。
「――逢いたかった。纏依」
低くて渋い聞き覚えのある懐かしいその声。
ずっとずっと恋しかった愛しいその声。
「レグルス……っ! やっと、やっと帰ってきたんだな! 待ってたんだから! ずっと、ずっと逢いたくて……!」
改めて纏依は地に足を下ろしてもらうと彼へと向き合ったが、その目には涙が溢れていた。涙で滲む彼の姿をはっきり確認する為に涙を拭おうとしたが、先にレグルスの指がそれを拭う。
そしてそのまま彼女の頬に片手を当てたまま、ゆっくりと口を開いた。
「誓いは違わぬ。遅くなってしまいましたな。待たせてしまってすまなかった」
そんなレグルスの大きな手の上に自分の手を重ねて、纏依は涙目ながらも喜びの笑顔を浮かべた。
「うん。お帰りなさいレグ」
「只今」
そうして二人は待ち焦がれたように、夜桜の下で何度も何度も熱い口づけを交し合うのだった……。
この度ようやく纏依とレグルスは再会を果たしました!
しかしあやめ、ユリアンに泣きが入るくらい手作り料理を恋しがってるんだから、そろそろ自分の料理の不器用さを自覚して頑張ろうよww
今回もお楽しみ頂けたら幸いです♪
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