73:魔女の帰還
レグルスの肉体の様子を見に、纏依のマンションに来たユリアンとあやめは愕然としていた。
寝室のベッドにあるはずの彼の肉体がなくなっていたからだ。
ベッドの前で、呆然としているあやめと黙考をしているユリアンの視界に、何かが光った。はたと我に返り二人はその方を見ると、ベッドの上に煌めく黄金の粒子が幾つも現れていた。その様子に目を見張る二人。
その黄金の粒子が集結して膨れ上がったかと思うと、まるで弾かれるようにしてそれは纏依の姿へと変わった。
ベッドから数十センチ上から登場した纏依は、その高さからドサンとベッドの上に倒れ込むとすぐさま慌てふためくように飛び起きる。
「ここは!? ――あれ……? あやめにユリっち」
束の間呆然と周囲を見渡してから、すぐ側にいた二人を見つけて何事もなかったかのように声を掛ける。真っ先に反応したのは勿論あやめだ。かなりの勢いで驚愕を露にする。
「ま、ま、まままま、纏依先輩!!?」
つい先程までレグルスの肉体がなくなっている事で混乱していた中で、今度は突然今まで行方不明だった纏依が入れ替わるようにして姿を現したのだ。あやめにとっては驚愕とか混乱とかで挙動不審にならずにはいられなかった。
すぐにユリアンも彼女に声を掛ける。
「ミス在里! 戻ってきたのか! と言う事は、レグルスは君をこちら側へ戻すのに成功したんだな!?」
しかしそれを聞くや否や、途端に纏依は落ち着きを失う。二人の顔を交互に見やりながら言った。
「そうだ! レグ! レグは!? まだ戻っていないのか!?」
しかしあやめは未だに動揺して平静さを失っていた為、オロオロしながらただ口をパクパクさせるばかりだった。代わりにユリアンが答える。
「実はレグルスの体を案じてこうして様子を見に来たら、体がなくなっていたんだ」
「!? どう言う事だ!」
纏依は久方振りの再会もそっちのけで、ユリアンに体ごと向けて必死の形相で訊ねる。
「それが我々にも分からなくてね。もしかすると、ミス在里、君を連れ戻しにレグルスは一次元へと向かったから、何らかの作用であいつの体も向こうに引き込まれたかも知れない。一体何があったんだね?」
「詳しい事はまた改めて話すけど、向こうで邪悪な精神体が俺の肉体を狙って襲ってきたから、レグはそれから守る為、先に俺一人をこちら側に返したんだ。だからきっと、もう少し待てばレグも必ず帰って来るはずだ」
一気に捲くし立てた纏依の視線は落ち着かず、左右上下へと彷徨っている。そんな彼女に、ユリアンは視線の高さを合わせるように屈み込むと、優しく両肩に両手を乗せてからゆっくり言い聞かせるようにして、纏依の目を見詰めた。
「では、それまで我々も一緒にここで待っていよう」
「あ、ああ……ありがとう。助かるよ」
纏依は呼吸を整えると、少しずつ冷静さを取り戻していく。一人で待つよりも、誰かが一緒に待ってくれる方がずっと心強い。ユリアンは優しい笑顔を見せてから、纏依の肩から手を離す。すると引き継ぐようにして今度は、あやめが纏依の前に身を乗り出してきた。
「纏依先輩! 纏依先輩! 本当に纏依先輩だあぁぁぁーーー! うわあぁぁぁん!!」
あやめは散々纏依の全身をタッチした挙句、大声をあげ涙を流しながら彼女に飛び付いた。
しかし、あやめにタックル並のハグを受けた纏依は、そのままベッドに倒れ込んでしまった。それでも構わず上から覆い被さって歓喜の涙を流しているあやめに、纏依はヨロヨロと片手を上げて背面から彼女を指差しながら、ユリアンにぼやいた。
「こ、これをどけてくれ……。俺、今まで何も飲まず食わずだった上に、久し振りに地上から受ける重力で体が重くて、体力消耗してるのを忘れてた……」
あやめからの熱烈大歓迎に漸く現実を意識した纏依は、そのままパタリと手を下ろしてグッタリとした。その様子に気付いたユリアンが、慌ててあやめを引き離す。
「そうだった。ミス在里、君は一次元へ姿を消す前、半強制的にレグルスからの援助なしであの東城 空哉に意識侵入したのと、精神力低下によって精神疲労を起こしていたんだ。改めて今から君を病院に連れて行くから、点滴を打ちなさい。これはレグルスからの伝言だ」
「でも、その間にレグが帰ってきたら……」
青白い顔で訴える纏依の言葉を遮って、付け加えるユリアン。
「君は一体誰の共鳴者だね。レグルスの事だから戻り次第、テレパシーで連絡してくるだろう」
「あ、そっか……アハハハハ……」
そう空笑いしたかと思うと、纏依はそのまま吸い込まれるようにして寝入ってしまった。
「!? 纏依先輩! 纏依先輩が!」
慌てふためくあやめを、ユリアンは冷静に落ち着かせる。
「大丈夫だあやめ。彼女は久し振りに受ける地上からの反動と、そして体力、精神疲労が重なって過労状態に陥り眠っただけだ。今からミス在里を病院に運ぼう。レグの方は、戻れば私の方なりにもテレパシーを送ってくるだろう」
そうしてユリアンは纏依を抱き上げると、あやめと協力しながら病院へと向かった。
「アノ娘の肉体ヲ取り逃ガシはしタが、貴様ニ肉体が戻ッタならソレヲ奪い取ルまデよ!」
巨大スピリッツ体は声を荒げると、漆黒のオーラを全身から立ち昇らせているレグルスへと残った片方の手を伸ばしてきた。
彼はそれを紫眼で蔑視しながら嘆息を吐くと同時に、片手を胸の高さまで持ち上げた。
すると手の平から黒い一つの粒子が現れたかと思うと、漏電のような音を立てながら黒い電流を纏わせて、その粒子は見る見るうちに彼の手の平一杯にまで膨張していった。
意識侵入とは本来、肉体ある者の中に自分の意識を潜り込ませて、内側から何らかの行動を取る。だが意識とはイコール精神でもある。
肉体を持たないスピリッツ体は、つまるところ意識が剥き出しになった状態。その為今こうして剥き出しにされている意識――スピリッツへ直にレグルスの思惑通りの行動を取る事になる。
彼が考えているのはスピリッツの精神崩壊。そうなると元々精神そのものである彼等を狂わせたり、消滅させればいいのだ。
現実とは勝手が違うが、レグルスは意識侵入の際に引き起こす相手へのダメージとして、この一次元ではオーラを自分のイメージ通り具現化すればいい。実際に行う意識侵入の手間が省けて、それでスピリッツに直接攻撃を加えればいいのだ。
それが今、レグルスが手の平で生み出した暗黒エネルギー弾だ。それには受ける者全てが苦痛とする、ありとあらゆる耐え難い負の念が詰まっていた。
正気を失い、理性や自己すらをも破壊する、発狂せずに入られなくなる膨大な量の負念――悲しみ、嘆き、憎しみ、苦しみ、痛み、嫌悪、憂鬱、絶望、嫉妬、虚無、苦悩、劣等、飢渇、懐疑、憔悴、慙愧、不安、恐怖、貧窮、閉塞、悔恨、喪失、焦燥、愛別離苦etc……。
すっかり手の平以上に大きくなったそのエネルギー弾を、自分に迫り来る巨大スピリッツ体の手の平に向けて撃ち放つ。その攻撃を受けて巨大スピリッツ体の手は腕の間接部分まで一気に裂けたかと思うと、その部分を繋いでいた個々のスピリッツ体がバラバラと雨のように零れ落ちた。
そして咽喉や頭を掻き毟りながらのた打ち回ると、叫喚と共に飛散し消滅する。驚愕の表情で失われたその腕先を見下ろす巨大スピリッツ体の様子を冷静に見やりながら、レグルスは悠然とした態度に低い声で静かに言った。
「本来ならば負の映像を植え付けながら心に揺さぶりをかけ、蝕ませながら徐々に狂わせる事で精神崩壊させ、植物人間にするところだが……うぬ等にはそのような手間は要らぬまい」
そう言っている間にも、レグルスは平然と手の中に先程と同じ漆黒のエネルギー弾を生み出すと、続いて巨大スピリッツ体の脇腹部分にそれを撃ち込む。
そこも先程と同じようにバラバラと個々のスピリッツ体が分離されては、狂乱しながら雲散霧消していく。
「キ――貴様一体……ッッ、何者!?」
いくつにも重複された不気味な声は上擦り、巨大スピリッツ体は怯み始める。一瞬の間をおいてから、まるで自分の立場を思い出したと言わんばかりの反応を示して、レグルスは低い声で静かに威圧した。
「――心的精神感知能力者。人の精神と心を扱う超能力者だ」
それを聞いて巨大スピリッツ体は、黒々とした眼窩と口を脅威に歪めた。
「ナン――だト……オのれ……おノレえエェぇぇーーー!!」
巨大スピリッツ体は負け惜しみ的な咆哮を上げると、そのまま大口を開けながらレグルスに向かって覆い被さってきた。
暗黒エネルギー弾を発生させる余裕を失い、咄嗟にレグルスはオーラを全開に解放して、自分の身に纏わせるように漆黒の炎の渦を起こした。そして具現化している漆黒のローブマントを大きく頭上まで翻し半ターンすると、防御の姿勢に入る。
直後、巨大スピリッツ体の口の中へと飲み込まれるレグルス。
しかし、暫くの沈黙の後に巨大スピリッツ体は恐ろしい絶叫を上げながら、眼窩と口から彼が放った漆黒の炎を噴出させると分解を起こし始め、散らばった個々の邪なスピリッツ体も次々と消滅していった。
だが、その直前にレグルスは巨大スピリッツ体の口の中で陽炎のように、揺らめく歪な空間を目にした。
それはこのまま彼を相手にしていては、己の存在が危ぶまれる事を恐れたスピリッツ達がレグルスを、一次元世界からの追い出しに掛かったのだ。
自然発生している一次元出入口とは違い、スピリッツ達が作り出した出入口には危険分子を排除せんが為の、引力が発生していた。
よって自分の意思とは関係なしに、レグルスはその力にて出入口へと吸引されて強制的に、一次元世界から放り出されてしまった。
纏依は病院のベッドの上で、点滴を打ちながら眠り込んでいた。
あやめとユリアンが見守る中、纏依は小さく寝言を呟いた。
「レ……グルス……」