7:黒い家とワインのロゼ
レグルスの自宅は郊外を抜け、人気のない山道の更に入り込んだ場所にあった。
場所の割には小洒落た洋風の二階建てで、敷地を取り囲むように先端鋭い鉄柵が施されていた。その柵の外に密接する形で車庫がある。
しかしやはりレグルスらしく、その建物の色は濃いグレーをしているが、夜を迎えている今はまさに黒い家へと変貌している。
山中だからとしても、決して周囲を不気味さが漂っているわけでもなく、寧ろすっきりとしていた。袋小路になっているので、道に迷ってこない限り、ここに侵入してくる人も車もいない。
一人の時間を好む彼には相応しい場所だ。レグルスただ一人だけ専用の土地だった。車外に出ると虫の声や夜行性の鳥の声が時折響き、辺りはひっそりと静まり返っている。だが。
「素晴らしいな」 と口にしたのは纏依だった。
さすがである。普通の女性なら多少は違和感を口にしそうなのを、彼女は然も感心そうにサラリとそう言った。伊達にレグルスと波長が合い、呼応し合う仲ではない。
澄んだ夜の自然な空気。街灯やネオンが一切遮る事のない、満天の星空。軽やかに夜の草むらから響く虫の音と、奥の木々から時々聞こえる鳥の鳴き声。
それが纏依にとっては、この上なく心地良く感じられた。一言くらい何か言われるかと思っていたレグルスは、彼女の反応に驚きと感心を覚える。
この場所を平然と受け入れ、しかも喜びを露にするとは。
纏依はレグルスが自分の元に来るまでの間、目を輝かせながら大きく息を吸っては、星空を仰ぐ。フワリと新鮮な夜の微風が彼女を撫で上げる。
「気持ちいい〜!」
纏依は嬉々として言いながら、クルクルと両手を広げて回って、そして……転んだ。
「いったーー!!」
纏依の絶叫が響く。それを見て呆れながら嘆息吐くレグルス。
「あー! すっげー開放的だなー! でも!!」
纏依は倒れ込んだままはしゃぎ声を上げている。
「……いつまでもそこに倒れたままでいると、某が気付かずに踏み付けてしまうやも知れぬぞ」
「くはは……! 大丈夫だ。ほら。こうして手ェ上げておけば、俺が何処にいるか分かるだろう」
そう切り返す彼女の言葉に、レグルスは再び嘆息を吐く。
「しかしこんな遠い所から通ってんだな。約一時間くらいだったか? それで今まで俺を中心区まで送って、こっちに戻ってたからもっと時間、掛かってたろ」
纏依は眼前に広がる満天の星空に、グッと精一杯両手を伸ばしてみながら彼を気にかける。
「……気に病むことはない」
レグルスはゆっくり歩み寄って静かに言うと、纏依が上げているその手を取って、グイと引っ張り上げた。軽々と纏依はヒョイと立ち上がる。
「そなたは軽い。まるで小鳥のようですな」
「そしたら今頃とっくに空を飛び立ってるさ。この広くて大きい……自由な空間に」
「……尤もだ」
纏依の言葉に、レグルスは静かに首肯する。
そしてレグルスの後に続いて家の中に入る纏依。パッと電気が灯る。途端、それまではしゃいでいた纏依は呆然となった。思わずその場を立ち尽くす。
レグルスは何も気付かず奥へと入って行くと、キッチンの方へと姿を消す。キョトキョトする纏依。何だここは。本当に家か? それが纏依の第一印象だった。
まるで生活感のない、とても日頃ここに人が住んでいるとは思えない、殺風景な室内。一応最低限の家具はあるものの、まるで空き家を彷彿とさせた。
キッチンから戻ってきたレグルスは、そんな纏依に気付いて眉宇を寄せる。
「わざわざ促がされねば、そなたは他所の家では座れぬのかな?」
「へ? え、いや、そうじゃないけど……何か改めて……あんたらしい家だなと思って、安心した。クスクス……」
思わず可笑しくなって、我に返った纏依は笑い出す。そんな彼女をレグルスは何も気にせず、玄関ホールから入ってすぐにある、リビングのテーブルへ手にしていた物を置く。ワインのロゼだ。
「へぇ、レグルスもアルコール飲むんだな」
「嗜む程度ですがな。そなたは何を飲まれる」
「じゃあ同じもので」
「……大丈夫かね?」
「ああ。これでも酒の量のコントロールくらい測れる。一人だけのワインも味気ないだろう。せっかくこうして一人、余計にいるんだ。付き合うぜ」
纏依は片手をヒップにあるポケットに、男宜しく悠然と格好良く立ち回りながら、リビングに足を踏み入れる。この仕草が自然に取れるのも、纏依ならではだった。
「……安堵した。甘いジュースだとか注文された暁には、如何にしようかと思ったところだ」
レグルスは低い声で静かに言いながら、もう片手にしていたワイングラス二つをテーブルに並べる。
「ないのか?」
「無論だ。ここは某に合う物しか置いてはおらぬ。今夜そなたを招待したのも予定外だった。用意はない」
……コンビニに寄れば良かったかな。若干後悔しながらも、纏依は彼の言葉に首肯する。
「平気だよ別に。大概なら口に合う。まさか蛙だの芋虫だのは食っちゃいねぇだろ?」
「馬鹿にしているのかね」
「馬鹿にはしてねぇ。ジョークは言ったが」
纏依は渋面するレグルスを見遣ると、ニヤリと意地悪げに笑みを見せてソファーに腰を下ろす。レグルスはそんな彼女のからかいに、嘆息吐きながら着ていたロングコートを脱いで、側にあるフックにヒョイと掛けた。
薄手のコートではあったが、それを脱ぐだけで彼本来の体格の良さが露になり、だいぶスッキリとした印象に変わる。しかし下に着ているシャツもやっぱり黒だが。
それでも思わず見方が変わる。ちょっと意識してしまって、つい顔を赤らめながらそれを誤魔化す為に、ワインを二つのグラスに纏依は忙しげに注ぎ始める。
そんな彼女の変化に目敏く気付いたレグルスは、首もとの前ボタンを二段分外して楽にしながら、横目でその様子を暫く眺めて、何事もないように纏依の隣に腰を下ろす。
そして彼女の方に体を向けて背凭れに片肘を突くと、手の甲を上にした状態で自分の顎に指を当てながら、ジィッと纏依をマジマジと見詰め始めた。
若干彼の鎖骨辺りがチラリズムして、中年男の密かな色っぽさを匂わせる。初めは敢えてそれを気にしていない振りをしながら、纏依は場を逸らそうとする。
「さて、じゃあ落ち着いたところで飲むとするか!」
「……本来ワインとは、少ししか注がぬものだがな。ビールではあるまいし、そんななみなみと注ぎはしない」
「ぐ……っ!!」
照れと恥ずかしさの上に無知を指摘されて、言葉を詰まらせる纏依。暫しの沈黙。相変わらずレグルスは構わず纏依の方を向いたまま、逸らす事無く黙って見詰めてくる。
彼の左右に分けてある肩までの濡れたような黒髪が、サラリと一房顔に流れ落ちるが、気にせず本人はそのままにしている。それがまた余計に彼の魅力を深めた。
ついにその雰囲気に耐えられなくなって、纏依は顔を真っ赤にしながら喚いた。
「一体何だよさっきから!!」
「……いや? 別に。ただそなたが何やら某を、意識しているように見えたものですからな。観察しているまでの事」
無表情ながらも意地悪そうに静かにそう言ったレグルスの黒い目は、生き生きとしている。その言葉にますます顔を赤らめると纏依は、つい意地になって突っぱねた。
「からかうのはよしてくれ! た、ただでさえ、こ、こんなの……その……慣れてねぇんだから……レグルスのバカ」
そう言ってワインを口にして、僅かに纏依は顔を顰める。思いの他辛口だったようだ。
「これで先のそなたのジョークとは、相子ですな」
レグルスはさすがに二十歳も年上な分、一枚も二枚も上手だった。人の心に揺さぶりをかけるのに至っては、専売特許だ。
改めて纏依に、お互いが異性同士である事を再認識させる。俄かに女の顔を垣間見せる纏依の様子を、内心楽しみながらレグルスも彼女が注いだワインのグラスを、ゆっくりと口に運んで……。
案の定、少量グラスから零れて彼は顔を顰めると、嘆息吐いた……。
まだいかせねーよ!? Hには!w。
ちょこ出ししながらジワジワとときめいてくれれば、妃宮の狙いは報われるww。ふふふ……。