6:魔王の所業と魔女のお仕事
「……あれから毎日来てますね……あの男みたいな女の人」
「館長は常時無表情のせいか、不機嫌そうに見えるし」
「やっぱ怖い者知らずな客だけあって、あの館長への嫌がらせですかねぇ」
「…… ―――― あれは某の扶養者みたいなものですかな」
突然の地の底から轟くような低い声に、職員達はピシリと固まる。
「かかかか、館長!! いらっしゃったんですか!!」
「ふふ、扶養……!?」
職員達は知らぬ間にそこにいた黒々とした容貌のレグルスに、思わず騒然となる。
「……孤児で問題児の面倒を見る羽目になりましてな」
随分酷い言い方である。一応成人を超えている相手に孤児呼ばわりはない気もするが。しかも扶養なんて大袈裟な世話も大してしてはいない。単なるこの場での便宜上の言い訳である。
「つ、つまりあの人の保護者って事ですか!?」
「然様」
「ははぁ〜……!!」
何故か職員達は心から納得する。
つまり纏依の人格に問題があって、それをこの恐怖の教授が監督をする。そういう設定なのだな、と勝手に解釈したからである。
そう。レグルスは文学博士号を取得していて、国立大学からの依頼によってここの館長を務めている。なので時々大学に、哲学、史学、文学といった人文科学の講義にも呼び出される。ひねくれ者の理屈的な彼には、相応しい職業とも言えた。
そんなに凄い人間だとか何だとかは、纏依は知りもしなければ興味すらない。ただ単純に今までの人生に於いて、初めて心を許せる安心感のある存在として、懐いているに過ぎない。
まともな人間だと気味悪がり、避けたがるこの恐ろしい容貌の黒一色の大男。しかし苦悩損壊者である纏依は、まともではないせいかそんな彼の容貌を一切気にしない。
それもそのはず。自分も同じだからだ。なので彼の奇異さを把握していないのだ。“変わり者” この言葉はこの黒き異国の大男、レグルス・スレイグに相応しい言葉だ。
等しく、女なのに男になりたい訳じゃなくて、それが自分のスタイルと自己主張としての男装と男らしい言動の在里 纏依。これも立派な変わり者なのだ。
レズなのかと思ってその趣向の女が近付けば、気持ち悪がって逃げるし、じゃあ普通なのかと男が接すれば、野良猫宜しく爪を立ててこれまた逃げる。
とても普通の人間では纏依の事など理解出来もしなければ扱えもしない。それをレグルスは手懐けたロシアンブルーの猫を扱うようにして、気軽にあしらっている。
まぁ彼の持つ超能力のせいもあるが、二人の波長が合うせいで無意識から互いを呼応しあう存在と、そして親子ほどの年の差が上手くバランスを取り成しているらしかった。
裏口にある庭園で、絵を描いている纏依の姿を見守るレグルスのその顔は、いつものように無表情だったが。
あれから纏依の年齢が二十二歳だと知って、彼は安心した。どうも日本人は外国人の目からは、実際年齢よりも若く見られがちだ。
なのでレグルスも纏依の事をまだ十代だと思っていたのだ。それでも、二人の間には二十歳もの年の差がある。
彼が社会人として二十歳を迎え、そして母国でその若さから来る精神的な未熟さから、当時の激昂に身を任せてそれこそ魔王の如く超能力を全開に駆使して暴走し、英国の一部を恐怖のどん底に叩き落しているその頃に、こちら日本で玉の様な女の子が元気な産声を上げて誕生。纏依と命名される。
そして纏依の両親が浮気を理由に彼女を捨てた五年後の英国では、レグルスの手によって意識侵入されじわじわと時間を掛けて、弄るように精神崩壊させられ植物人間化された人々が、一部地域で増殖の真っ只中だった。
やがて纏依が日本で底悪の叔母の元で、パパ、ママ、と両親を恋しがり毎日の様にシクシクサメザメと泣き暮らし、挙句恐怖の“魔女の烙印”をその純粋無垢な裸体に焼き付けられた十歳の頃。すっかり人格がひねくれまくった恐怖の大魔王へ完成体化して、ストレス解消を終えると英国に唾を吐き捨て、日本へと流れ着いたレグルス三十歳の春。
こうして全身黒一色の無表情、無感情、寡黙、嫌味、人間嫌いで心を固く閉ざしきった不気味な異国の大男が日本に出現し、そして女らしさを捨て女の誇りを胸に男勝りの人生を歩み始めた、ひねくれ者の少女が誕生した。
それから十二年後、めでたいのか最悪なのか、この世を下手すりゃ死滅させかねない心の持ち主同士の男女が二人、運命の出会いを果たしたのである。
「成る程〜。ああして絵を描かせる事により、精神の静寂を図っているのですね」
「忍耐力も育てられますよ。ひょっとしたらそれが目的かも知れません」
「その様子の捗り具合をこうして館長は、保護者兼教育者として見張りに来る、と」
職員達は勝手な推測で、互いにコソコソと意見を言い合っている。
実際はそうではない。纏依の本業は画家だ。しかもそれなりに有名な。ただ単純に纏依はレグルスの側で、自分の仕事をしているだけなのだ。
一人で自宅に引きこもって描くより、こうした方がずっと順調に筆が進むと言うものである。レグルスも、そんな彼女の姿を見ているのが好きだった。
あれから更に一週間が経過していたが、あれ以来二人の仲は進展してはいなかった。ただ普通に仲が良く、纏依が時々レグルスをからかう為にちょっかい出すくらいだ。
その度に仕舞いには苛々してきた彼に、捩じ伏せられるか追い払われたりしていた。そしてまた、纏依はまだ彼の笑顔を見た事がなかった。だが別に気にはしていないようだ。
それがこの男なのだろうと自己判断しているせいもある。なかなかサッパリアッサリした仲だった。感心があるのか無関心なのかは、その時のお互いの気分次第だった。
なので当然、お互いに早速同棲!! ……なんて事はなく、まだそれぞれの自宅にも訪ねた事もない程だ。ほとんど毎日が図書館合流である。
そして閉館と一緒にレグルスが、纏依をマンション“前”まで送って行ってその日は別れる。それがこの一週間の二人の日常だった。本当に下手すりゃただの親子である。
そんなある日の事。
館長室のデスクで調べ物の為、英語で書かれた分厚い本を渋面して読み耽っていたレグルスは、そういえば何か静かで物足りない事に気付き、ふと顔を上げた。すると……。
珍しい事に纏依がレグルスがいる前で眠り込んでいたのだ。正直まだ隙を見せる事に、トラウマが邪魔して抵抗があった纏依。
しかし、今日に限ってレグルスが一向に長時間本から顔を上げずにいるせいで、ついには睡魔に根負けしてしまったらしい。気が付けば夜の十一時を回っていた。
レグルスはひとまず彼女を起こそうと、ソファーへ歩み寄った。約十日前、庭園で寝ている纏依を起こしに行った時は、まだお互い他人同士だった。
しかし今は違う。そっと彼女の顔を隠す乱れた前髪を、指で優しく払い除ける。
「……在里……」
そっと呟いたその名は、まだ苗字止まりだった。それは纏依もまた同じく、彼をスレイグと苗字で呼んでいた。
「……ん……」
彼女が声を洩らす。
「…… ―――――― 纏依」
初めてレグルスは、彼女の名を口にした。ふと目を覚ます纏依。
「……スレイグ……今、俺の名を呼んだか……?」
ボソボソと半目のまま、纏依は眠たげに訊ねる。本来は無表情のレグルスが珍しく、微かに見せる哀切漂う表情。
「んん……? どうか……したのかスレイグ」
纏依は彼もこんな表情をする事があるのかと思いながら、のそりと上半身を起こす。
「レグルスだ」
「へ?」
「これからは某をレグルスと名前で呼んでも構わぬ。某もそう致そう。纏依」
「……レグルス……うん……うん。レグルス」
纏依は無邪気に、嬉しそうに微笑む。
そんな彼女の手をそっと手にするレグルス。
「?」 不思議そうに自分のその手の行方を見守る纏依。
レグルスは、彼女の手の平を自分の頬に静かに当てると、軽く瞑目した。
「どうしたんだレグルス」
思わず纏依は訊ねる。しかし彼は黙ったまま今度は、彼女のその指に軽く自分の口唇を当てた。ピクン、と纏依は反応する。
「某の事が、怖いか。……男として」
彼は黒い双眸で真摯に彼女を見詰めながら、静かにその低い声で訊ねる。そして纏依の手を下ろすと、今度は彼女の頬にレグルスは優しく手を当てる。再びピクッと小さく纏依は反応する。
今のレグルスは、保護者的な大人の顔から、異性としての男の顔になっていた。彼の黒い容貌は不気味がられてはいるが、その顔は険しいながらも渋くて凛々しいハンサムな顔をしていた。第一印象が余りにも強烈過ぎて、気付かれないだけで。
「あ……」
纏依は戸惑う。
「某は男であり、そしてそなたは女だ纏依。分かるかね……?」
そう言って、そっと彼女の口唇を親指で優しく撫でるレグルス。コクリと纏依は頷いたまま、俯く。
その彼女の下に向けられた形の良い顎に手を掛けると、ゆっくりと上へと引き上げながら、自分の顔を近付けていくレグルス。
ドキン。ドキン。纏依の心音が伝わってくる。そして極力心や思考を無にしようという努力も。つまり、初めて異性との女性としての接触に、必死で挑戦しようとしているのだ。
そんな彼女がとても健気だと、レグルスは思った。そして口元間際までくると、彼は静かに囁いた。
「……安心したまえ。纏依。自分が思っている以上にそなたは確かに、美しい ――――」
「レグルス……ん……!」
彼の名を呟く纏依の口唇は、レグルスのそれによって塞がれた。
ゆっくりと、優しく口づけを交わしてくるレグルス。緊張していたはずの纏依も、いつの間にか落ち着きを取り戻し、ウットリとしながら彼とのキスに意識を集中させていく。
怖くない。相手が彼ならば、女に戻る恐怖感が不思議と癒されていく……。まるで心が解け合うように。それが互いを無意識に惹かれ合わせている“呼応”が原因である事も知らずに。
やがてゆっくりと二人は口唇を離すと、更に先程の言葉の続きをレグルスは囁いた。
「某が保証しよう……」
「……うん……」
纏依は微笑みながら、彼の黒い瞳を見詰め込む。そんな彼女の頬に再び優しく手を当てると、レグルスは同じく纏依の陶器の様に美しい黒い瞳を見詰めながら呟いた。
「今宵は一緒に帰って頂けますかな? 某の家へ」
そんなレグルスの首に、纏依は腕を回して抱き締めた……。
ヤ、ヤバイ!
文章量が増えてきている!!
次回から減らさねば!!(吐血)