50:再会が伝えし憂いの報せ
纏依は画廊にあるテーブルで、自分より三つ年上になる従兄の東城 空哉の接客に当たった。あやめがそんな二人にお茶を運ぶ中、ユリアンだけは余計な紹介は無用とばかり事務所の中で、構う事無く持参していたマイノートパソコンにて自分の仕事へ取り掛かっていた。
空哉が実母である五十嵐と苗字が違うのは、五十嵐の纏依に対する扱いの非道さに嫌気がさした、纏依にとっては伯父に当たる空也の父親が離婚。そして息子である彼は、父親の方に付いて行った。なので伯母は旧姓の五十嵐に戻ったので、親子でありながら母子間で苗字が違うのだ。それは伯父が当時年頃でもあった纏依を、妻である五十嵐から匿い守る為、別にアパートの一室を借りて密かに面倒を見ていたあの騒動が、離婚の発端となったのだ。
少し気まずい空気が流れる中、先に声を発したのは空哉だった。
「その、元気そうで良かった。すっかり見違えたよ。逞しくなったって言うか、凛々しくなったって言うか、ハハ、こんな言葉掛けられても女の子相手には、褒め言葉の内に入らないかな」
苦笑する空哉に、無言のまま俯き加減で微笑み頭を横に振る纏依。彼女としては嬉しい再会だった。あれだけ幼い頃の自分を、優しく労わってくれた兄にも等しい立場の従兄だ。しかし別れ際の事を思い出すと、やはり切なくなり気まずさを覚えるのは否めなかった。今ならもう、纏依だって当時の彼の心境が分かっているのだ。
あの頃彼も思春期を迎え、人の目を過剰意識する年頃だった。だから仮に本音ではなかったとしても、あの当時の周囲を取り巻く環境を受け入れずにはいられなかった、彼の苦心。当時の纏依でもその辺りを気遣っていただけに、空哉にまで辛い思いをさせるまいと敢えて、彼の拒否権を甘んじて受け入れた。だから余計、今の年に成長した纏依に当時の彼の心境が分からぬ訳がなかった。
だがそれでもやはり、心のどこかでは自分の為に犠牲になってでも守って欲しかったという微かな理想と希望があり、妹の様に空哉に甘え我が侭を抱かずにはいられなかったのだ。少なくとも、子供時代を共に過ごした、仲として。
「……ごめんな。纏依ちゃん」
空哉の言葉に、それまで緊張し強張っていた体がビクッと怯えた様に、小さく弾む。
「あの時僕は――」
「言わなくていい!」
何を言わんとしているのかすぐに察した纏依は、慌てて言葉を遮る。そんな彼女を無言のまま、見詰め返す空哉。ピンと張り詰めた空気が、余計互いを気まずくさせる。その緊張を解そうと、更に慌てふためきながら纏依は言葉を続ける。
「うん。言わなくて大丈夫だよもう。分かってるから。その、クーお兄ちゃんの気持ち。仕方ないさ。だから気にしなくていい」
そうして纏依は、緊張で渇いた口を潤さんばかりにお茶を飲み干す。そして再び視線を逸らしてしまった彼女を、気に掛けるように見詰めながら空哉は、静かに声を洩らす。
「……あれから何の連絡もせずに突然姿を消して、僕と、そして特に父さんが一番心配していた。父さんなんかもう、責任まで感じてたみたいで」
「そう言えば伯父様は元気?」
空哉の口から出た伯父に、思わず反応して再び笑顔を浮かべて尋ねる纏依。すると彼は無言のまま俯き、軽く笑って頭を振った。
「……死んだよ。五年前にね。飲酒運転してさ。事故って大型トラックと衝突して、相手の方は無傷だったけど父さんの方は即死でさ。ま、飲酒運転って事で世間の目は冷たくて。自業自得ってヤツ」
「そんな!! だって伯父様はお酒なんて飲む人じゃ――」
纏依は否定的に立ち上がってから、はっとする。嫌な考えが脳裏に過ぎる。
「私のせい、だね? クーお兄ちゃん」
「違う。……父さんが弱すぎただけさ」
「でも私が突然何の前置きもせずに、姿を消したせいで責任感から自暴自棄になって伯父様、お酒を飲むようになったんだね?」
ここまで口にした纏依の声音は、ショックで震えていた。それに気付いた空哉は顔を上げて彼女を見るや、強張った表情をしている纏依を宥めようと慌てる。
「終わった事さ。纏依ちゃんが気にすることはない」
その言葉は逆に、肯定だと言う意味を彼女の意識に植え付けた。忽ち顔面蒼白になる纏依。震える声がついには咽喉をも詰まらせる。
「無理だよ! 気にするさ普通! だって自分のせいで飲む事のなかったお酒を飲み始めて挙句、事故って亡くなったと思ったら……!!」
「纏依ちゃん! もういいんだよ本当に。もう五年前の事なんだから!」
取り乱し始める纏依の様子に、焦りながら空哉も立ち上がる。
「だって! だって伯父様、私の為にあの家まで借りたりして面倒見てくれて、凄く優しくしてくれた! 本当の、実の父親みたいに! ――伯父様……!!」
そうして泣き出し始める纏依を空哉が困惑しつつも、傍らに寄り添うと肩を抱いて慰めるように、顔を覗きこんだ。
「お願いだから泣かないでくれよ纏依ちゃん。父さんは少しもそんな事、思ったりはしていないからさ。だから今の纏依ちゃんの涙を見たら、また父さん悲しむよ。自分のせいで泣かせてしまったって」
「うん、ごめん。でも……う、うう! 空哉お兄ちゃん!!」
纏依は咄嗟に純真な子供の頃と同じ気持ちで、兄として従兄の空哉の胸に縋りついた。空哉は、そんな纏依を慰めるように抱き締めて、優しく背中を擦り彼女を宥めるのだった。
画廊等はその運営者によって、不正行為を行う客を防止する為に所々に隠しカメラやマジックミラー等を、設置していたりする。人気画家では盗撮盗作悪用問題が多く発生し、頭痛の種ともなる。故に、纏依の画廊も然りだった。例えばここならこの事務所のドアにあるガラス窓が、マジックミラー化されていたりする。
「何か、感動の再会とかって弱いんだよね私……。あう」
そんな事情の窓からこっそり様子を伺っていたあやめが、すっかり纏依に感化されて貰い泣きをしている。その我が恋人に苦笑しながらユリアンは、無言で纏依と空哉の再会を見守りながらも克明に印象付けるかの様に、空哉を特に注視していた。まるで何かを見出すかのように。
こうして纏依と空哉は久々の再会に、二人水入らず外でランチを取った後お互いの携帯電話番号を赤外線通信し合って、今日は一旦別れた。
「従兄ですと?」
図書館勤務を終えて、画廊に纏依を迎えにやって来たレグルスがオウム返しをする。
「ああ。久し振りの再会でさ。しかも偶然! 嬉しかったけど同時に、残念な知らせも受けて……。だから時間を作って、伯父様のお墓参りに行こうと思うんだ。その時はみんなも一緒に来ないか? 良かったらさ。今の俺は、これだけの大切な人達に囲まれて、充実した日々を過ごせるようになった事を伝えて、天国の伯父様に紹介したいんだ。あやめとユリっちは親友として、そしてレグは、こ、婚約者及び、夫として?」
画廊の事務室でさすがの纏依も、あやめとユリアンの前で改めて本人に確認する事へ恥じらいを覚えたらしく、言い難そうに顔を紅潮させて自分の隣でソファーに腰を据えている、大柄な黒ずくめの彼へ視線を泳がせながら見遣る。そう言ってくれた纏依を改めて、レグルスは愛しさの込もった眼差しで見詰め直す。が、そんな照れ臭そうにしている纏依にすっかり感化されてしまった、その様子を見て興奮を覚えたあやめが堪えきれずに、はしゃぎ声を上げた。
「イヤ~ン! すっかり二人して見詰め合ったりなんかしちゃってぇ! キャー♡ 素敵です! 立派です! スレイグ教授~! 見違えたって言うか? やっぱり同じ人間だったんだとようやく気付かされたって言うか? てっきりただ不気味な黒い巨漢の化物かと思ってましたけど、纏依先輩のお蔭で無事人間になれて良かったですね~! スレイグ教授♪ あ、野獣にも似てたりするかも! 美女はこの場合、男女を理由に棚上げしてと。 何にせよ、正体不明物質男と紛らわしい女の新婚生活!? や~ん、こうなったら一体どんな子供が産まれてしまうのか、今の内から好奇心湧いちゃうよね~! ユーリ♡」
こうして興奮の余りに彼女は迂闊にも、すっかり理性を失い取り乱してしまい――寧ろ本音でもあるが――つい緊張の糸が切れてしまったらしい。出るは出るはの、失言のオンパレードにあやめ本人、まるで気付きもしない。最後まで聞き終わる頃にはもう、顔面蒼白になってしまっているユリアンは、冷汗を掻かずにいられなかった。何故ならばすっかり目を据わらせきった纏依と、手元で身近にあった新聞紙を丸め込み、握り締める無言のレグルス二人の様子を目の当たりにされているのだから。
「あ、あ、あやめっ、落ち着きなさい! 君は今自分が一体どれだけ自殺的舌禍を口走っているのか、分かっていないのかね!? 目を覚ますんだ!」
しかし最早、纏依までもが不気味な笑みを浮かべてどすの利いた声で、感想を述べる。
「楽しみだとかならともかく……好奇心だと? ずっと最後まで黙って聞いてりゃ、まるで俺等を危険珍獣カップル扱いに言いやがって……」
これを聞いてユリアンは口元を引き攣らせた。そりゃあ自分が逆の立場でも、同じ反応となるに違いなかったからだ。しかしあやめは違った。最早、上機嫌過ぎて――調子に乗りすぎる余り、止めの舌禍をとうとう口にしてしまった。
「クスクスクス! ヤダなぁ! 纏依先輩ったらぁ! 別に恥ずかしいからって、何もそんな自分を落とし込んだ言い方をしなくても――」
これにはさすがのユリアンもお手上げだった。呆れ果てて目元を覆い隠す寸前で、目の端でレグルスの手が動いたのが見えたが、それを止める気力は彼に残されてはいなかった。と言うよりも、半ばユリアンすらそうなっても当たり前だとばかりに、見放したというべきか。よって室内に反響する、弾けた紙の打叩音。
スパアァァーーーーーーン!!
「ミニャーーーーーーー!!」
同時に放たれるあやめの絶叫。レグルスの荒技、ハリセン攻撃が彼女の頭部に炸裂したのである。そして腹腔轟くような、恐怖感煽る彼の重低音ボイスが続く。
「そなた。某の人文科学にも顔を出しておきながら、それだけの駄弁舌を羅列しておられるのでしたら、最早某からそなたへ一切の教鞭を振るうべからずですな。以後、“生成言語学認知意味論”の授業参加は不要と判断致そう。よって減点は否めぬまいか?」
それを聞くなりあやめは、ようやく顔面蒼白になって必死に千切れそうな勢いで、突き出した両手を振りまくって否定を示す。
「ひゃわわわわわ!! すっ、すみませんすみませんーー!! そんな殺生な! どうか単位減点無しでお願いしますよぉ! ヒエエェェ~! ついに私もスレイグ教授の必殺技受けちゃったよぉ! 私何か言ったっけ!? ユーリィ~!」
そして半泣きで隣に座っているユリアンに縋りつき、助けを求める。そんな年下の恋人に半ば感心気味で、ユリアンは呟かずにいられなかった。
「無意識であれだけの言葉を連ねられたのなら、余計に天然丸出しだぞあやめ……。学が高いのにどうしてそんなキャラになれるのか、寧ろ疑問だ」
すっかり意気消沈しているあやめに、纏依も呆れ果てながらぼやいた。
「今のはあくまでも基本技だ。必殺技はまた別に――いや、何でもない」
何を言わんとしてるのか、即行で察知したレグルスに視線だけで凄まれ、慌てて纏依は口を噤む。
≪そなたも余り調子付かない方が懸命に思われますぞ。でなくばお互いに、他の技を受け与える羽目になる≫
意地悪そうな一瞥を向けるレグルスの心の声を聴いて、一気に顔を赤らめながら恥ずかしそうに俯く、纏依だった。
まぁ!
レグルスったらどさくさ紛れになんて事を!!ww。
そうなったら次はどんな技を繰り出そうか……w。でもあながち本当は能力技の意味で言ったのを、纏依が深読みしただけだったら恥ずいよねww。