45:魔女に捧げる魔王の労わり
「……ぃ、やだ……よ……せ……」
ベッドで横たわる纏依が、魘され始める。
それまでベッドから少し離れた位置の椅子に腰をかけ、眼前に新聞を広げて視界を塞いでいるレグルスが、ふとそのままの姿勢で耳を傾ける。
「なぜ、だ……こんな……っっ――ぁ、んまり、だ……!」
纏依から苦しそうに搾り出される悲痛なる声。その声質や言い分からして、大体の予測は付く。
悪夢を見ているのか。無理もない。己の忌まわしき過去を、意識侵入にて披露した後なのだ。そのまま夢にまで継続されても仕方あるまい。
レグルスは彼女の心境を思えばこそ、哀切なる感情を覚えずにはいられなくなる。形はどうあれ、状況が余りにも自分の人生と酷似しているのだ。なので纏依の気持ちが痛いほど理解出来た。
自分も時折忌まわしき過去を思い出した日には、度々その夜それらに関する悪夢に魘される。そう。例えばユリアンが自分の前に、突然姿を現したあの日も――。
ここまでレグルスが内心で思っていた時、予想外の言葉が突然彼の耳に飛び込んできた。
「ダメだって言ってるだろう! レグルスのエッチ!!」
瞬間、レグルスは無言のままそれまで面前に広げていた新聞を、バサリと勢い良く両手ごと下ろした。ベッドで横になっていた纏依は、すっかり目を覚ましてパチパチと瞼を天井に向け瞬かせている。それを確認するや、ふとレグルスの目が据わる。
「あ、れ? ――夢? ……あ~、良かったぁ~! とうとうレグが、エロエロオッサンにトチ狂ったかと、マジでびびったぜ」
纏依はそう独り呟きながら、ゴロリと体を横に向けた。
……そこには、眉間に皺を寄せ無言で白々とこちらを睥睨している、漆黒の大男の姿があった。
「――――あ゛」
「……」
その姿を認めるや気まずげな一声を洩らして、硬直せずにはいられない纏依。相変わらず無言のままレグルスは、まるで置物の様に身動き一つせずにその闇色の双眸で、見据えてくる。それに口元を引き攣らせて、ぎこちなく訊ねる纏依。
「い、いたのか。レグルス」
「如何にも。したらば何か問題でも――ありましたかな?」
彼の抑揚のない低い声にプレッシャーを感じた纏依は、プルルルルルとまるでマナーモード化された携帯電話の如く、小刻みに首を横に振って見せると忽ち顔を赤らめ大慌てで、布団の中に頭から潜り込む。
ず、ずっと傍に付き添ってくれてたのか! 今の独り言、絶対聞かれたよな! だってだって、夢の中でレグルスが、図書館の庭園で迫って来てアウトドアセックスを求めてきたりするから、もし誰かに見られでもしたらって……!!
纏依は恥ずかしげに、ここまで思い出していたその時。
「――ほう。アウトドアとは確かに、野性的ですな」
そう布団の上から彼の低い声が、くぐもって聞こえてきた。ドキッとする纏依。しかし尚も続けられる、彼の冷静なる言葉。
「……某がそなたの身を案じて、こうして傍らにて介抱していたにも関わらずそなた……、――一体何たる卑猥な夢に深け込んでおるのだ!!」
語尾に辿り着く頃には轟音の様な声で叱咤すると共に、彼女が身を潜めている掛け布団を勢い良くレグルスは剥ぎ取った。
「ぬわあぁぁあぁぁあ!!」
情けない声を上げながら、そのまま反対側のベッドサイドに転げ落ちる纏依。
「またしても転げ落ちるか。厭きませんなそなた。その遊び、余程楽しいと見える」
そんな彼女に呆れながら、再び物静かな声で口に出すレグルスの言葉に勢い良く立ち上がりながら、遠慮なく怒りを露に抗議する纏依。
「誰が楽しいだコルァ!! 勢いがありすぎて転げ落とされたんだ!! 遊んでねぇ!!」
「いやはや。人の心配を他所に、思いの他元気な目覚めですな。その調子ならば、点滴など投与せぬ方が返ってもう少し、静かに目覚めてくれたのやも知れぬな」
そう言って嘆息吐きながら掛け布団を元に戻すレグルスに、はたと思い出したように我に返る纏依。
そういや俺、あやめに意識侵入した後、そのまま気を失ったんだっけ……?
「て、点滴打ったのか? 俺!?」
「然様。当然であろう。そなた、ただでさえ普通の人間なのですぞ。そのまま寝かせるだけでは、下手すれば過労死するか植物人間一歩手前となる。故にあの後、夜間病院へ某の車にて搬送し点滴三本そなたに投与してもらい、薬を処方されて戻ってきたのだ。よってたった一日寝込むだけで済み、そなたはこうして目覚める事が出来た。性欲願望の夢に苛まれながらな。おめでたいものですな」
ベッドを挟む形で向かい合いながらレグルスは、淡々と抑揚のないまま憮然として呟くように言った。その彼が口にした後半の言葉へ敏感な反応を示すと、恥ずかしそうに赤面しながら必死で否定する纏依。
「だっ! 誰が性欲願望だ!!」
そう喚いてベッドに両手を付くと、身を乗り出しながら大柄なレグルスを睨み上げる。その彼女を視線のみで見下ろしながら、レグルスは強かに言い返す。
「雑夢は無意識からの願望が、夢として現れるものだとユリアンが申しておったぞ。夢魔本人が言うのだから、説得力があると思うが」
「夢魔って言うけど予知能力者なのか、夢使いなのか一体どっちなんだよユリっちって! それになぁ! 俺はそんな事――!!」
途端、纏依はグイと腕を掴まれてベッドに引き倒されたかと思うと、そのまま両サイドに手を突いてレグルスが覗き込んできた。そして少し悪辣さを含みつつも、その低い声を更に色っぽく艶めかせながら、静かに囁く。
「何だったら、そなたの願望に応えてやっても良いのだぞ。幸いにもこの家は、人気の全くない山中。家から一歩出れば充分、アウトドアとして通用する。どうだね。試して――みますかな……?」
その言葉にカァッと顔を赤らめると、半ば向きになって応酬する纏依。
「やっぱり、レグルスはエッチだ!!」
しかし所詮は子犬並みの威嚇でしかない。この大柄な黒き魔王には全く持って、効果がなかった。寧ろ悠然たる態度で、そんな彼女へと顔を近付ける。
「そなたの願望なる発想には、負けると思うがな……」
そうして焦らすように、口唇を微かに当たるか当たらないか程度のみ触れて、纏依の目を覗き込みながら反応を伺う。まるで誘惑し催淫を促がすかのように、熱く湿った吐息を口元で絡ませる。その思わせ振りに纏依が縋ろうとすると、スルリと口唇を逃がす。ついに降参した纏依は、甘えた声を洩らした。
「うぅん! レグルスぅ……!」
「如何しましたかな……? そんな猫撫で声を出して」
色っぽく湿らせた声で、小さく纏依の耳元で囁くレグルス。彼の漆黒の髪が彼女の顔に触れる。それが更に刺激になって纏依は、レグルスのセミロングに鼻を埋めると耳元へ囁いた。
「イジワルしちゃ、ヤダよ……」
それが引き金となって、漸くレグルスは纏依に口唇を重ねた。
「ん……ぁむ……」
纏依は焦らされた分を取り戻すように、彼からのキスに集中する。そして色っぽい声を洩らしながら、レグルスの広い背中に両手を回した。ところが。
クキューーーー……! ギュルギュルギュギュ~~~……!!
「……今何か、鳴きましたぞ」
「そ、そういやお腹が……空いたかな……ハハ、い、今何時?」
憮然とするレグルスに、纏依は恥ずかしそうに言った。
「十六時過ぎだ。尤もですな。かれこれ約二十時間は眠り込んでいたのだ。腹も減ろう。然らば少し早めの夕食でも取ると致そうか」
レグルスは言いながら脇に退くと、纏依の背後に片手を差し入れて抱き起こす。
「じゃあ俺が、あるもので適当に……」
「構わぬ。そうすぐに体を動かすものではない。もう暫くゆるりと致せ」
言いかける彼女の言葉を遮って、その栗色の髪を撫で下ろし頬に手を当てる。纏依は彼の大きな掌の中で、表情を緩めながらもレグルスを気遣う。
「でも、またわざわざ街まで車を出すのは、レグルスも大変だろう」
「心配は無用だ。もう簡単に用意してある」
手を下ろすとレグルスは、ふと一息吐いて少し顔を背ける。
「ああ。もう出前寄越したのか」
「……いや。某が手間を掛けた」
相変わらずよそ見しながらそうボソリと呟くと、漸く纏依の反応を伺うべく少しだけ彼女へと顔を向ける。そこには、目を輝かせている纏依の笑顔があった。
「そ、それって、レグルスの手作りって事か……!? 料理、作れるんだな! しかも俺の為に……! ありがとうレグルス!! 大好きだ!!」
「う、うむ……」
嬉しそうに自分に飛び付いてきた纏依を、内心気恥ずかしそうに抱きとめるレグルスだった。
レグルスお手製のサラダとスープ、そして魚を使ったメインディッシュは絶品だった。
普段は決して料理などしない彼ではあるが、疲労で寝込んでいる纏依の事を想い、パソコンからコピー印刷したレシピ相手に、まるで授業の一環で実験並みに調合する要領で仕上げたのだ。
料理は手先が器用で理解力さえあれば、レシピだけで充分美味しく作れるものである。レシピ通りに作ったにも関わらず不味くなるのは、不器用で自分勝手な判断を行っているからだと言われる。薀蓄通りに正しく作れば小学生でも、料理は美味しく作れるものである。
よって、大学教授や図書館長を務めるだけの知能がある彼にとっては、手料理は然程問題ではなかった。
そしてすっかり愛する男の手料理を堪能した纏依は、病院で処方された薬を服用しあやめに電話連絡をして、状況報告を伝えて安心させた。
あやめもユリアンも今の所、大きな変化のある夢は見ていないらしい。ただあやめだけが、変わらず悲愴感に打ちひしがれて泣いている纏依の夢を、前日と変わらず見続けたらしく相変わらずあやめに、念を押されるに終わった。
お風呂から上がって手入れを済ませ、一息吐いた纏依は再び強い眠気に襲われた。
「夜の分の薬には睡眠促進剤が含まれているのだ。三日分を処方してもらってある。心身共に健康に戻るまで、きちんと服用したまえ。そうでなくば今後の能力共鳴使用を、禁止致す。素人の超能力過多を甘く見られては、命の危険は免れぬゆえ」
眠そうにベッドの上で欠伸をしている纏依の姿に、レグルスは寝室のドア枠の両サイドに肘を折る形で、上下の高さを若干ずらすように手を突きその図体でドアを立ち塞ぎながら、静かに声を掛けてきた。思わずまるで雑誌撮影でもしてそうな、彼の無意識に取っているその佇まいな容姿に見惚れて、胸をときめかせる纏依だったが睡魔が邪魔をする。
「うん……。それまでレグルス、我慢出来るか……?」
そう言うのが精一杯だった。その少し聞き取り辛くなりつつある彼女の言葉に、レグルスは眉宇を寄せるとゆっくりと室内に足を踏み入れ、ベッドの上の纏依へと歩み寄りながら言葉を返す。
「――某はそこまで、性行為に貪欲ではない。勝手に色情魔に致すな。快楽など二の次。そなたの健康の方が、某には大事だ。それに纏依あっての性欲ですからな」
そうして静かに彼女の横に、腰を下ろす。
「クスクス……。そぅ言って貰ぇると凄く、嬉しぃ……レグルス愛してる、ぞ――」
纏依はもう自力では開いておく事の出来ない瞼を閉ざしたまま、間延びした眠そうな声でやっとの思いで言い残し、とうとうそのまま吸い込まれる様にしてスゥッと眠りに落ちてしまった。そんな彼女をゆっくり片手で抱きとめると、レグルスはそっとベッドに横たえる。そして静かな低い声で呟いた。
「某もだ纏依。そなたを愛している……」
レグルスは眠れる彼女の頬に手を当てると、優しく口唇を重ねた。
その後彼は、少し前から調べ始めていた超心理学の書物に、二時間ほど目を通して頭に叩き込んだ。そして入浴を済ませると、簡単に就寝前のワインを嗜みながら音楽鑑賞で心をリラックスさせる。
今まではこんな能力など人生を狂わせるだけの、呪われし邪悪なる力でしかないと思っていた。しかし守るべきものが出来た今、この力を最大限にまで利用して前向きに扱ってやろうではないか。今こそ能力者に生まれた事を、良しと思えた事はない。初めてこんな自分を誇りに思える。
纏依との出会いが改めて、レグルスの身に沁みた。その陶酔感をしっかりと味わっていたくて、彼はリビングのソファーにて深く瞑目した。そうしてたっぷり、纏依への愛情を心の中に浸透させるとゆっくり目を開き、ワイングラスの底に残っている最後の一口を、一気に呷った。
持って生まれてしまった物は仕方がない。消せないのであれば一層これを特技として受け入れ、更なる高みを目指してプラスにしてやろうではないか。そうする事で、大事な存在を守っていけるなら……。
二階に上がると静かに寝室へと足を踏み入れる。アロマキャンドルの火だけが仄かに灯る静寂の中、纏依の静かな寝息だけが耳に届いた。レグルスは彼女を起こさぬようキャンドルの火を吹き消して、静かに同じベッドの中に体を滑り込ませると、隣で眠る纏依を優しく胸の中に抱き寄せた。
そして普段しない料理の労力が応えたのか、レグルスも早々と眠りの底へと誘われていった。
そんな二人に少しずつ、魔の手が忍び寄っている事など知る由もないままに、今はこの幸福なる充実感に安穏と身を委ねる、レグルスと纏依だった。
確かにユリアンって……二つの能力を兼用してる気がする……w。こうなったら経験値上げて、新たな技を開花させちゃうとかねw。ね? レグルス!(勉強中w)。