43:狙われた魔女
「じゃあ……、話そう。俺の聞き苦しい、下らない過去の出来事を」
その纏依の言葉に、レグルスが暗黙の一瞥をユリアンに寄越す。それにユリアンは無言で了承すると、立ち上がった。
「了解。では私は席を外すから――」
「いや、別にいいよ。どうせ俺もレグルスの読心能力を介して、ユリッちの事情を知ってしまってるから、お互い様だ」
ガタタッ!!
纏依の言葉を聞いて、あからさまに動揺を露にするユリアン。思わず足元の椅子によろめいて引っ繰り返りそうになった体を、慌てて立て直す。そして顔を引き攣らせながら、上擦った声を洩らす。
「――え? わ、私の事情を君も知っているのかね?」
「悪い。そんなつもりはなかったんだけど、ユリッちがそういう思念を抱くとやたらと感情的になるのか、どうしてもこっちにまで流出してきて……。俺、そもそも能力者じゃないからレグルスみたいに上手く、シャットアウトだとかのコントロールがまだ出来ないもんで」
纏依は言うと申し訳なさそうな顔をして、ユリアンに向かって肩を竦めた。そんな彼女を見て、ユリアンは思いを廻らせる。
で、では俺が実は男としての繁殖機能が弱いのも、そのせいでイングランドに残した二人の子供も実子でない事も、妻に利用され嫌気が差して離婚をしてから日本に来たのも、それからそれから……。
「おう。もうそれ以上は充分だよ。そんだけ動揺されるとこっちまで丸聞こえだってば」
纏依が苦笑しながら、ユリアンの思考を制止させる。それに改めて気付いて顔を赤らめると、ユリアンはその場に蹲って羞恥心の余り頭を抱え込んだ。それを見たレグルスは嘆息吐くと、静かに口を開く。
「もう良い。こちらは早く用を済ませて帰りたい。そんなところで女々しくせず、さっさと席に戻れ」
その言葉にユリアンはスックと立ち上がると、人が恥を掻いているのを無下にあしらう後輩に抗議する。
「誰が女々しいだ! これだけ自分の恥をうら若き女性に知られていると分かれば、誰だってへこむと言うものだろう!」
憤怒たる態度でテーブルに両手を突くなり、前のめりでレグルスを叱責する。しかしそんなユリアンに当然ながら全く動じる事無く、その黒い双眸で睨み上げるとレグルスは更に低い声で冷淡に呟いた。
「……――座れ」
「――――!!」
ユリアンは屈辱そうに眼下のレグルスを見下すと、改めて一つ咳払いで気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと着席する。そして気を取り直すと、ユリアンは纏依へ穏和に声を掛ける。
「では改めて、私もお邪魔させて貰うよ。ミス」
「どうぞ」
そう苦笑しながら彼も参加させると纏依は、まだ自分の手を固く握ったまま自分の彼氏の動揺など無視して、泣きじゃくっているあやめに顔を引き攣らせながら、静かに諭す。
「なぁあやめ。もういい加減泣かなくていいから、手を離してくれないか。お前のその気持ちは、こっちの心まで涙の塩水でベタつきそうなくらい、よぅく分かったから」
「え? あ、そうですか? 分かりました」
あやめは漸く手を離すと、涙を拭いながら改めて椅子に座り直す。
一方纏依も、そのあやめの手の温もりと涙でグッショリになった片手を、テーブル用ナプキンで拭いながら一息吐くと、ふと隣に無言のまま座っているレグルスに顔を向けた。
それまで頬杖突いて煩わしそうに瞑目していたレグルスだったが、それに気付くと暗黙の了解の様に優しく纏依の左手を握った。
「生憎、自分の事を話すのが苦手でな。自分の脳みそで俺の過去を視ろ」
「え?」
纏依の意味ありげな言葉に、キョトンとするあやめ。そんな纏依を、ユリアンは気遣う。
「――意識侵入で、自分の記憶映像を我々に視せると? 大丈夫なのかね? そこまでしても」
「この際、口で言うのも大して変わんねぇよ。どうせ知られるなら、全て曝してスッキリしたい。ストレス発散だ。俺の苦しみ、篤と味わって貰うぜ」
纏依はそんな虚勢を張って皮肉っぽく、意地悪な笑みを浮かべた。
「all right」
ユリアンはそんな纏依の覚悟に、ふと優しく微笑んだ。
「では始めるぞ」
レグルスが静かに呟く。纏依も彼の言葉に首肯すると、改めて目前に座る二人に声を掛けた。
「じゃあ行くぞ二人とも。覚悟しやがれよ」
そうして纏依は不適な面構えを見せる。意味不明で小首を傾げている、あやめを無視したまま。
ゆっくり目を閉じる纏依。数秒後、纏依の意識があやめとユリアンの中に入ってきた。レグルスは媒介者の為、二人に意識を飛ばした纏依の思考が自動的に流れ込んでくる。
しかもただでさえ、素人の纏依が二人相手に意識侵入という高度な技を、使用するのだ。ただの人間でしかない無能力者の彼女だと、一人相手が限界の為にレグルスが手伝う事で何とか二人に分けて、意識侵入を可能にしている。
――これ、は!?
あやめは驚愕を露にする。
今あやめとユリアンの意識の中には、十七年前の日本のとある風景が広がっていた。
新築一戸建ての庭には、小さなブランコや滑り台等の幼児用の遊具が揃えられ、花壇には美しい花々が咲き誇っている。二階のベランダの柵には暖かそうな布団が掛けられていて、男物と女物、そして小さな女児の物と思われる衣服が、洗濯物として干されている。
よくある風景。極々当たり前の、一般的な幸せそうな家庭が住居している、住宅地だった。……そう。極々当たり前の、一般的な幸せそうな家族が生活を営み暮らす、よくある風景――……。
『ようこそ。俺の記憶の世界へ』
その突如掛けられた愛らしい幼い声に気付いて、あやめはふと足元を見るとそこにはツインテールをした、小さな幼女の姿があった。可愛らしいフリルの付いた、ピンクの洋服を着ている。
『え? もしかして……』
『おう。五歳児の俺だ』
外見容姿はクリクリしたつぶらで大きな瞳に、プックリ膨らんだ小さな唇と白桃を思わせる頬っぺた。だがしかしその中に潜んでいるのは、二十二歳の纏依なので言動が粗暴である。勿論当初からこうであった訳ではない。
『か、か、可愛いーーーー!!! 先輩にもこんな頃があったんですね~♡』
『たりめぇだ! ド阿呆!』
そう毒吐いて恥ずかしそうに照れながら、纏依は五歳児の姿であやめの脛を爪先で蹴り込む。
『いったぁ!!』
例え意識の中とは言えど、神経は意識に反応するので実際に痛めつけられていなくとも、痛覚が働くのだ。
『可愛いけど可愛くない! 可愛いけど可愛くな~い!』
『その内お前の希望通りの、年相応の俺が拝めるから待ってろ』
目に涙を浮かべて、脛を擦り幼女姿の纏依を睨むあやめに、その小さな短躯でクールに言い聞かせるが、声はまだまだ幼い子供のものだ。
勿論あやめの意識の中にはユリアンはいない。体が別々の為当然ながら意識も別になっているからだ。しかしそれぞれの意識の中に纏依はいるので、彼女の中では三人一緒にその場へ揃ってる状態だった。だがあやめにもユリアンにも、お互いの起こしている思考行動は分からない。
『では、宜しくお願いしますよ。リトルミス』
ユリアンはしゃがみ込んで小さな纏依と握手する。元々家庭人だっただけに、子供好きなのだ。だがしかし、頭上から低い声が轟き渡った。
“余計な真似はせずとも良い”
レグルスのテレパシーだ。
『悪魔だ……。悪魔に天から我々を、監視されている気分だ……』
ユリアンの愚痴に纏依は苦笑すると、気を取り直して努めて声を明るくして言った。
『じゃあ行くぜ。俺の人生劇場、迷わねぇようしっかり付いて来い!』
「クスクスクス……。思いの他、惨めな生き方してんのね。この子」
ユリアンの妹、クラウディアはチェックインしているホテルの一室で、手元の資料に視線を落としながら愉楽気味に呟いた。
「何が“お盛ん熟女は見苦しい”よ。あのリアン兄さんの女め。自分が言った事、後悔させてあげるわ。この大事なお友達っていうMr,スレイグの彼女を的にしてやる」
そして斡旋を依頼した個人用通訳者に、電話をかける。
「……もしもし。例の人に連絡してくれるかしら。内容はこうよ……」
更に遠く離れたとある地方都市。
「ふぅん。そう。……ああ。分かった。余り無茶すんなよ。じゃ、切るぜ」
男は携帯電話に向かってそう言うと、通話を終了する。そしてボソリと呟いてほくそえんだ。
「――へぇ。そうか。そんなところに逃げ込んでいたのか。纏依。……面白ぇ」
しかも今では、すっかり有名画家になっているとはな。そっち系には興味なかったから、見落としたぜ。こいつはいいスクープネタになりそうだな。
男は面白そうに笑ってパソコンに、[在里 纏依 画家]と打ち込んで検索を開始する。するとズラリと纏依に関するサイト、情報、掲示板等が表示される。その中の一番上にある、オフィシャルサイトをクリックする。
トップページには幾つか項目が並び、その中にある“自己紹介”をクリックすると男装スタイルで、クールに写っている纏依の写真が添付されていた。そして画家としての経歴等も紹介されている。
「これが今の、纏依か……。すっかりボーイッシュになっちまいやがって。だがこの俺にゃあ通用しねぇぜ。その鉄壁の鎧、この俺が剥ぎ取ってやる」
そう言って、改めてまじまじと写真の彼女を見詰めると、再度呟いた。
「ふぅん。なかなかいい女になったもんだな。すっかり垢抜けて、スタイリッシュな都会の女になってんじゃねぇか。たっぷり楽しませてくれよ。ま・と・い♪」
トランクス一枚の姿で男は短くなった煙草を、山になっている灰皿に押し付けるとウイスキーの入ったグラスを呷った。男の面相は、まだ若い。茶髪にクリーム色のメッシュを入れてある。
「んもう。何よさっきから。あんたに何人女がいようが構わないけど、今だけは私の相手をしてよね」
「悪ぃ悪ぃ。しかしお前もなかなか欲情な女だな。もうこれで三回目だぜ。俺、明日から新しく別件の仕事が入って、忙しくなるのにこれ以上体力使わせるなよな」
男は言いながらも、ベッドに横たわる裸体姿の女に覆い被さるのだった。
あやめとユリアンは、纏依が両親それぞれ浮気をしてその相手の方へと、自分を捨てて出て行ってしまい母方の姉に当たる伯母に、引き取られるシーンに突入していた。
「パパ、ママ! 帰って来てよ! 会いたいよぉ。お家に帰りたい。エェーン。パパ! ママァ!!」
幼い纏依は大きなお気に入りのぬいぐるみに、顔を埋めて泣きじゃくっていた。それは両親が仲が良かった頃に買い与えてくれた、纏依にとっては何よりも大事なプレゼントだった……。
あらあら? 何かきな臭くなってきましたねww。これは波乱が波乱を巻き起こして、嵐の予感が……。今のところ寡黙すぎてほとんどセリフがないクールなレグルスが、どう動くのかが面白くなってきたww。ヒャッホ~~ィ!!