41:安らぎあいし魔王と魔女
「纏依先輩!!」
突然の悲鳴に驚いて跳ね起きたユリアンは、大慌てで隣の一緒に寝ている筈のあやめへと顔を向けた。するとあやめは目を見開き涙を零しながら、息を荒げていた。
「――夢を……見たのか? あの子の凶夢を……」
ユリアンは静かに尋ねながら、横になったままのあやめの涙を優しく拭う。
「先輩……苦しんでた……。泣いて、凄く脅えていた……。まるで無残に打ち捨てられた、人形のようだった」
あやめは震える声で悲しそうに呟くと、ゆっくりと裸体の上半身を掛け布団で覆い隠しながら、起き上がる。
「恐らく予知夢なのは間違いないだろうが……。その夢の中にあのバカ妹はいたか?」
「それが姿は無かったけど、笑い声だけが遠くから響いていた。――先輩には何かある。隠された、トラウマみたいな何か。ユーリは? ユーリは何か、視なかったの?」
不安そうな顔をしながら、あやめは隣のユリアンの手を取って必死に尋ねる。そんな彼女の愛らしい幼い顔に、優しく手を当てながらユリアンは重々しい口調で呟く。
「私は……闇だ。それが果たして予知夢に値するのかも謎だが、重苦しい――息詰まるような漆黒の光すら通さない闇……」
それは自分の死に関する夢なのか。それとも別の、他の何かに関する事なのか。まるで深く深く沈み行く、まさに希望も気力すら感じ得ない真の虚無。冷たく纏わり付いて離れない暗黒。黒い、黒い世界。黒い? ――まさか、レグルスに関する事か!?
ユリアンはハッとする。しかし今この瞬間の時点では、まだ大丈夫だろう。何せあの二人は今、一緒に居るのだから。後で会った時に、さり気無く探りを入れてみるか。あいつに直接ストレートに聞いたところで、はぐらかされるのは目に見えて分かるからな。子供の頃は素直に何でも話してくれていたあの可愛かった坊やが、今ではすっかり無愛想になって自分の事は一切語りたがらなくなったからなぁ。……俺がそうしたのが悪いんだけど。そう思うと、ユリアンは改めて嘆息を吐いた。
「とにかく、後で電話して事によっては、ずっと纏依先輩に付いててあげなくちゃ!」
一方、あやめの心配を他所に纏依は、しっかり明け方まで魔王への懺悔の相手をさせられて、お蔭でその執行者であるレグルスに今日一日、一緒にいてもらえる事になりそうな雰囲気が漂っていたが。
三時間ほどの眠りから目覚めた纏依は、横でまだ静かな寝息を立てているレグルスにそっと、念の為に声を掛ける。
「ねぇ、レグ……。仕事大丈夫?」
するとその声に目を覚ましたレグルスは、半ばまどろみの中でぼやいた。
「そんな体力が残っていようか……。今日はサボる」
レグルスの言葉に、苦笑して面白がる纏依。
「体力使い果たして、お腹空いてんじゃない? 何か軽く作ってもいいけど」
「今は不要だ。此度は惰眠に甘んじる。そなたも無理を致すな」
「クス。うん。そうする……」
そうしてレグルスから肩に腕を回されて、起こしていた上半身を伏せられた纏依は、そう呟きながら改めて彼の逞しい素肌のままの、厚い胸板に擦り寄る。この二人もまた同じく、全裸姿のままベッドの中にいた。
途端、長閑な静寂を突き破る、けたたましいハードロックの着信音。
「――そなた。いい加減もう少し静かな着信音に、変更したまえ……。頭に響く」
「これでも着うた変えたんだけど、やっぱこのジャンル系は今日みたいな日はキツイね」
纏依は苦笑しながらサイドテーブルに置いてある、携帯電話を手に取ってあやめの名を確認してから出る。
「はよ。どしたー?」
『ア、アレ? 何か凄く間延びした返事ですね。――はっ! ま、まさかお邪魔でしたか!?』
「んー。まぁね~♡」
『キャー! 纏依先輩のエッチー!!』
「それはお互い様だろ♪ 何でもいいから用件を言え」
レグルスからの能力感染の余韻のせいで、電話を通して興奮気味のあやめの心情がしっかり纏依にも伝わってきて、彼女も昨晩お楽しみ中であった事が窺い知れてしまう。
これが能力の扱いに長けているレグルスだと、軽く拒絶して跳ね除けてしまう技が身に付いているから、他人の情事まで聞き知らされる事も無いのだが、纏依はまだ素人なので丸聞こえで恥ずかしくなってくる。まぁ、感情豊かでリアクションの大きいあやめの反応にも、原因はあるのだが。
そんな自分に気付いてか、さすがのあやめも今お互いが置かれている現状を思い出したらしい。超能力者の恋人を持つお蔭で、今や二人も予備短期能力者だ。
『あ、ヤバ! コーフンしてつい……。私の心の声、聞こえちゃいました?』
「おう。“実は私もでしたけどねー♡”って声だけだが、それで充分だろう? それとも何か? もっと探って欲しい?」
『ヤダヤダ! んもう! 纏依先輩ったら、意地悪エロいんだからぁ!』
「いいから早く用件を言え! こちとら眠いんじゃい!!」
『眠い? ま~、ハッスルしましたねぇ~』
「切る」
まるで抜刀直前に刀の鯉口を切る、侍の如くな口調で言いやる纏依。勿論通話を切ると言う意味だ。
『ああぁあ!! スミマセン! いや実はあの、先輩の事が心配で電話したんですけど、思いの他エロ馬鹿そうだったので気が抜けたって言うか……』
「エロ馬鹿は余計だ!! こっちは犯されて大変な思いしてたのに!」
『犯され!? ウヒャァ~……。教授ならやりそうカモ』
「い、いや、まぁ、冗談だが」
半分本当だけど、と内心付け加えながらヒョイと隣にいるはずのレグルスへと、視線を移してみると。
「……」
そこにはベッドから出て漆黒のガウンを羽織ったレグルスが、無言の睥睨を寄越していた。それを確認すると纏依は肩を竦めて、チョロっと舌を出し笑って誤魔化して見せる。
『実は、先輩に関する予知夢を見たんです。だから心配になって、もし今日一人なら私が纏依先輩と一日一緒にいようと、確認の電話を掛けたんです。スレイグ教授は確か今日は、大学も図書館も両方勤務日ですよね? 教授の方には、ユーリが張り付いておくって言ってたけど一応、例の騒動の件は教授の口から聞いてます……か?』
後半少し、騒動の内容が内容だけに気を使ったのか、口調が戸惑い気味になるあやめ。そんな後輩且つ親友の気遣いに、優しく答える纏依。
「……ああ。ユリっちの妹さんのラブアタック騒動だろ。いろんな意味でびっくりより寧ろ呆れたけど」
『大丈夫! 私が啖呵切っておきましたから!』
「らしいな。サンクス。ちなみに今日はレグ、仕事休み取って一日一緒にいてくれるって言ってくれたから、こっちは今日のところは大丈夫だ」
『そうなんですか? だったら安心ですね!』
「良かったらさ、今晩みんなで落ち合うか?」
『はい! 今晩会いましょう♪ その時改めて私が視た予知夢の内容、話しますけど……少ぉ~し、覚悟してて下さいね。先輩の過去について、ですから。これだけ言えば本人だからピンと来るでしょう?』
あやめの言葉に、内心気が張り詰める纏依。思わず身構えてしまう。やはりどんなに親しい相手にでも、自分の過去に関する事には警戒してしまう。いや、親しいからこそ、恐怖心を覚えるのだ。嫌われるのではないかと言う、自信過小。反面、半ば諦めに近い漏れる嘆息。長年付き合うつもりでいるのなら、いずれは何かの拍子で知れるのが親友同志たるものだ。その後の縁は、相手の度量次第。
「……ああ。分かったよ。――ところでお前の方は今日、学校は?」
『今日は午後から少しだけです』
「そうか。じゃあ改めて今晩な」
『はい! では、おやすみなさい。纏依先輩♪』
「ああ。おやすみ。改めて有り難うな」
纏依はそう穏やかに言うと、電話を切った。それに合わせるように丁度、書斎の方に行っていたレグルスも寝室に戻って来た。職場の方に今日の休みの電話連絡をしていたのだ。そして纏依に赤茶色のガウンを手渡す。
「ん?」
「起きたついでだ。羽織りたまえ。直後ならともかく、一度体を起こしたからにはせめて一枚くらい、何かで裸体を包まねばだらしなく見えて、みっともなく感じる。品位くらいは重んじたい。某の女である以上はな」
「クス。うん」
そんなレグルスの紳士な態度に、改めて惚れ直しながら彼から受け取ったガウンを着込む。そして再びベッドに横になるレグルスの、顔に掛かる乱れた黒髪を優しく手で払い除けながら纏依も、横になった姿勢で彼を上から覗き込んで囁いた。
「今晩あやめ達と会う約束をしたから。何でも私に関する予知夢をあやめが視たらしいから、ゆっくり話したいって。お店、どこにしようか」
「体力消耗した分、しっかり食事も摂取したいですからな。しかも能力話となると、個室が宜しかろう」
「じゃあ創作イタリアンとフレンチのお店はどう? そこなら個室有りだし、牛肉フィレもあってガッツリゆっくりいけるでしょ」
そう言ってニッコリ笑うと纏依は、気だるそうなレグルスの口唇に軽く口づけをする。
「そなた、一体いつの間にそう言う店をチェックしておるのだ」
「そりゃあ付き合う相手が相手だからね。事前に相応の店をチェックしておくのが、その女の役割だと思って時々あやめを道連れに、探索してるんだ♪ あやめの方はその必要はホントはないみたいだけど」
ユリアンは普段紳士らしく振る舞いはするがそれでも自然体なので、レグルスと違いファストフードでもイケて扱い易いのだ。ある意味あやめには丁度良い相手とも言える。面倒さがない分。何であれ自分の彼女による、日頃からささやかに行われていた努力に、レグルスは礼を述べる。
「それは痛み入る」
「いいのよ別に。楽しんでしてるんだから。私達。以前みたいに一人のままだと、味わえないもの」
「ああ。そうだな纏依……」
そうしてレグルスは恋しい彼女の名を囁くと、改めて自分の腕の中に包み込み、白昼構わず二人一緒に寝入るのだった。
「Matoi・Arizat.22歳ね。ふぅん。この子がMr,スレイグのねぇ……。さすがは彼の相手を務めるだけあって――立派な変わり者のようね。見る限りでは」
クラウディアはほくそえみながら、男装ルックスの纏依の写真を片手にヒラつかせて呟く。
「さぁて。一体どう料理してくれようかしら。楽しみだわ。クスクスクス……」
そしてクラウディアは写真の中の纏依を、容赦なく指でバシッと弾くのだった。