39:魔王に忍び寄りし恐れを知らぬ者
昼食後、纏依は今後に予定されている個展に向けての新作発表に備える為自宅マンションに戻り、レグルスは一人国立図書館に戻って来た。
入館するやいつもと同じくその黒ずくめの長躯で、脇目も振らずに無表情でツカツカと足早に前進し、前方を塞ぐ来館客をその威圧感だけで払い除けて行く。そしてカウンターを通過しようとした時、職員に呼び止められた。
「スレイグ館長!」
ピタリと足を止めるや、レグルスは顔を正面に向けたまま脇のカウンターを、無言のまま横目で睥睨する。その様子に職員は脅えながら改めて固唾を呑むと、意を決して口を開いた。
「か、館長を訪ねてお客様がいらしてます」
「――客ですと……?」
レグルスは怪訝そうな口調と表情で、その職員を見遣った。
「あ、あちらの洋学書コーナーに……」
職員は思わず声を裏返しながらも、必死に必要用件を伝える。まるで一種の度胸試しか罰ゲームみたいな状況である。
「洋学書? 邦人ではないのですかな?」
「はい。外国の女性で……」
それを聞いてますます顔を顰めるレグルス。異国の女で自分を訪ねて来そうな女など、まるで身に覚えが無かったからだ。しかも自分が日本に居る事を、母国イングランドで知る者はいない――。
その時、発音の良いイギリスイントネーションが彼の名を呼んだ。聞き苦しいアメリカン英語なんかではないので、これで相手がイギリス人だと言うのが尚更明確になった。
「Hai! Mr,スレイグ」
「……?」
その女は亜麻色の髪をスッキリと後ろに纏め、右側だけ長さが鎖骨まである緩やかなウェーブの入った一房を、下ろしている。へーゼル色の大きな瞳。トーンの高い声。しかし年は相応に増している。が、それを気にさせない大人の女の魅力に溢れている。
「Who would it be?(どなたでしたかな?)」
レグルスは低い声で無愛想に尋ねる。そんな彼の対応にまるで動じず女は、にこやかな笑顔で答えた。
「I think that an older brother visits you and comes to this place, but(兄があなたを尋ねてこちらへ来ていると思いますが)」
「……Indeed……(……もしや……)」
レグルスは眉宇を寄せて呟く。
「クラウディア・ラザーフォード。Maiden name Wells(旧姓ウェルズ) It is a younger sister ofOlder brother lilyAnn(兄ユリアンの妹ですわ)」
「……!」
面識はなかったとはいえ、嘗ての同級生で彼女が当時レグルスに片想いをしたのが原因で、レグルスはユリアンから酷い目に合わされたのだ。直接彼女に原因がない事とはいえど、レグルスは極力顔を合わせたくも会いたくもない女だった。
「It is after a long absence(お久し振りですわね)Mr,スレイグ。Indeed you were surprised to be in this country(まさかこの国にご在住とは驚きましたわ)」
彼女は高飛車そうな微笑を浮かべると、手を差し延べてきた。握手を求めているようだ。
この女……確か奴の能力で、某の立場を存じているはずだが……。
そう怪訝に思いながらも、レグルスはひとまず彼女の握手に応じる。しかし直接手の平をではなく、相手の手首より少し上を握ってそれを握手の代わりとした。これは遠回しで、対応はするが深入りしたり親しくなる気は無いと言う、相手を避ける意味合いを持つ。それに気付いて、クラウディアはニヒルな笑みを挑発的に浮かべると、彼女も同じくレグルスの手首より上を握ってそれを握手の代わりとした。
その時レグルスは、彼女の心を素早く探った。だが不思議にも彼女から、自分を読心能力者であるという意識が視当たらなかった。その代わりユリアンが何やら仕掛けている風景が視えた。
そうかあやつ……。来日する前に過去、周囲に与えた某が能力者だという意識を、消去して来たのか。
せめてもの遅ればせながらのささやかな、罪償いをしておいたらしい。これで余計、レグルスのユリアンに対する心が緩んだ。少しずつ、憎悪の対象への感情が解けて、信頼感を覚え始めていた。昔先輩として、兄貴分として、そして親友としての穏やかなる思い。
「The older brother is not here(こちらに兄君はおられませんぞ)」
レグルスは言いながら、彼女から手を離そうとした時、クラウディアは更にその手に力を込めた。レグルスは眉宇を顰めて彼女を見遣る。するとそれに応えるようにクラウディアは、色っぽい微笑みを湛えて言った。
「Oh, is it so? I will do it how.(あらそう。どうしましょう)」
そんな彼女の態度を不快に思ったレグルスは、半ば強引にその手を振り解いて冷ややかに答える。
「I teach the phone number of his mobile telephone.Please contact it by oneself.(彼の携帯電話の番号をお教え致そう。ご自分で連絡なされよ)」
そうしてユリアンの電話番号を彼女に告げると、無愛想に一言だけ残してその場から立ち去ろうと踵を返す。
「Rudeness(失礼)」
「Wait(待って)」
彼女に呼び止められてレグルスは、背を向けたまま無言で眉宇を寄せる。
「――I want to know your mobile telephone number by all means.(――貴方の番号も是非知りたいわ)Mr,スレイグ」
「……」
レグルスは面倒そうに嘆息吐くと、彼女に向き直り威圧的に言い放った。
「There is not the mind to teach a person unfortunately(生憎人に教える気はありませんゆえ)」
「Is there the woman of whom or the lover?(誰かお付き合いしている方でも?)」
「For you who are already the wife of the person, it is an irrelevant thing.(既に人の妻であられるあなたには、関係のない事)」
「It is a woman before being the wife of the person.Hey. think that you did not know it;, in the days of a student, is me for you who are mysterious with the shadow――(人の妻である前に女よ。ねぇ、あなたは知らなかったでしょうけど、学生の頃は影のあるミステリアスなあなたに私――)」
クラウディアはしっとりとした声音で囁きながら、レグルスの胸元にそのしなやかな指をゆっくり伸ばしてきた。それに気付いて露骨に一歩後退るとレグルスは、侮蔑な視線を彼女に落としながら鬱屈と口にする。
「I am not interested in recollections.And as for you.I do not intend to do idle talk more than this. If there is not business, please return(思い出話に興味は無い。そして、あなたの事も。これ以上無駄話をする気はありませんな。用が無ければお引取り願いたい)」
するとクラウディアはその行き場を失った指先を、自分の唇に当てながら悪戯そうな上目遣いで誘うように、彼の闇色の双眸をジッと見詰めた。
「……kusu.The curt place that says so is very attractive and is cool(……クス。そう言う素っ気無いところも凄く魅力的で、クールだわ)」
「The stupid character looks just like an older brother. I dislike an overconfident woman.(愚鈍なところは兄君とそっくりですな。自信過剰な女は好かない)」
レグルスは冷ややかに言い捨てると、そのままクラウディアを残してその場を立ち去ってしまった。そんな真っ黒な大男の後ろ姿を彼女は舐め回すように見詰めると、クラウディアは腰を振りながら颯爽と図書館を後にした。
「クリス!? 何でお前がこの携帯に電話を――!?」
クリスとは、クラウディアの愛称である。ユリアンは掛かってきた相手に驚愕を露にする。勿論、日本語が達者でない妹なので、彼も彼女には英語で会話を遣り取りしている。
『リアン兄さんを尋ねて国立図書館に行った時、ミスタースレイグに教えてもらったのよ』
リアンとは、イギリスで使用されているユリアンの愛称だ。別にあやめが使用しているユーリでも、何の問題はない。
「って事はお前、日本に来たのか? そしてあいつにも会ったのか!?」
『ええ、そうよ。さすがは初恋の相手だけあって、久し振りに会ったら更に影のあるいい男になってたわ』
「バカを言うんじゃない。一体何しに日本に来たんだ。一人か? 旦那や子供はどうした」
ここは国立大学の駐車場。丁度あやめを連れて自分の車に戻っている途中で、電話に足を止められた。慌てふためいているユリアンの変貌振りに、あやめはキョトンとしながら少し後ろで見守っている。
『まぁ、リアン兄さんったら野暮ね。せっかくの一人旅行に何が悲しくて、家族を連れ回さなければならないの』
「旅行だと? そんな事の為に日本に来たのか!?」
『いけないかしら? リアン兄さんがミスタースレイグに会いに行くと言い出した時から、私も計画してたのよ。私も初恋の相手がどんな男になったのか、興味津々だし……♥』
「よせ。やめておけ。奴には関わるな。あいつの私生活を乱すな」
『あら。家庭持ち? やっぱり』
「いい加減にしろ! 一体どうしてお前はそんな軽い女になったんだ。あいつは俺の大切な親友だ。やっと仲直りしたばかりなんだ。ここでお前が顔を突っ込んで、余計関係を悪化させたくは無い」
『全く。リアン兄さんは頭が固いわ。兄さんこそいつからそんな、物分りの無い男になったのかしら。大人の男女遊びに口出しするなんて。そんなの、家庭に治まった人の言う事よ』
妹に言いやられて思わず言葉が詰まる。実はユリアン、自分が家庭を持っていた現実も予知夢侵入にて歪曲し、今まで独身であるという記憶を周囲へ刷り込ませていた。それだけユリアンにとって自分の結婚生活は惨めで、否定してしまいたい出来事だったからである。
なので今までの妻も、愛情を注いで育ててきた二人の子供達にも自分の夫とし父としての存在を、記憶から消去させた。子供から我が身の存在を消してしまう事ほど、胸が張り裂けそうに辛く悲しい事はなかった。だが、所詮他の男の子供。今ではすっかり本来の父親である男をそれとして、遺伝子的にも正統な家族として仲を育んでいる。どうせ離婚するのなら、そうした方が子供達の為にも良いと言う、ユリアンからのささやかな最後の愛情だった。そうして彼は日本にやって来た。
ユリアンは嘗て、予知夢によって見せられたレグルスと妹が一緒になると、彼の超能力者という立場のせいで苦しみ、世間から孤立してそれが耐え切れずに自殺してしまう妹の未来を視た。それを防いで妹の命と未来を守る為に、予知夢侵入にて周囲のレグルスへの意識を歪曲し畏怖させ彼を孤立させる事で、妹を彼から意図的に遠ざけた。
尤もレグルスは当時からクラウディアへの面識はなかったのだが。彼女の一方的な片想いである。しかし兄のお蔭で生き延びた妹クラウディアは結婚を機に、屈折した性癖を持つ夫からの洗脳により、クラウディアは男遊びに溺れていった。夫もまた然りである。
そうして過ごす夫婦の性生活が互いに刺激を与えて、盛り上がる楽しみ方を覚えた。なので決して夫婦の仲が悪い訳ではない。寧ろ絶好調に奇妙な愛に、深く夫と結ばれている。この妹夫婦は、間にクッションを置く事で男女の意識を新鮮なものに変換していた。
しかも遊び相手に女や妻がいれば余計に燃えるという、性質の悪い女に成り下がっていた。そうやって互いの遊びを報告しあう事で、夫婦での性生活をより高みあるものへと楽しむ訳である。
「とにかく奴には手を出すな。でなければ身の安全は保障出来んぞ」
『オーバーね。リアン兄さんったら。危険な男とでも? クス……。余計刺激的だわ。楽しくなりそうね』
「クリス! おいクリス!!」
通話は切られていた。
妹を守る為にレグルスを陥れた。それが今度は皮肉にも、その妹からレグルスを守る羽目になった訳である。
せっかく落ち着き始めていたのに、わざわざトラブルを持ち込んでくるとは!!
正直こんな妹にここ数年、ユリアンは兄として辟易していた。それがついに自分まで巻き込まれようとは、予想もしていなかった。ユリアンはその場に座り込んで頭を抱えると、あやめが肩に手を置いて言ってきた。
「私英語分かるから、少しはユーリの言い分からして予想付くよ。スレイグ教授に何かトラブルが起きそうなんでしょう? あの人は私の大切な先輩の恋人だから、放っておけないよ。ちなみにクリスって人は?」
「私の妹だ。トラブルメーカーのな。よし。行こうあやめ。ひとまずミス在里に君から連絡してみてくれないか」
「分かった!」
そうして二人は急いで車に駆け込み、中に乗り込んだ。その間あやめは纏依に数回コールを鳴らそうとしたが。
「ヤダ繋がんないよぉ! 何でぇ!?」
「仕方ない。レグルスの携帯に私の携帯から直接連絡して、彼女と一緒かを訊ねてみてくれ」
ユリアンは言うと、自分の携帯電話をあやめに手渡してエンジンを掛けると、国立図書館へと車を発進させた。
一方そんな騒ぎになっている事も露知らずに、纏依は場所を画廊に移動して尚且つ作業に集中する為、携帯電話の電源を切ってしまっていた。
時間は午後三時を回ったところだった――。
細かい批評は受け付けませ~ん☆ww。
仮に英文に問題が見受けられたとしてもここは潔く見逃しましょう♪
ああそうですよ! 英数苦手ですよ!! それより今後の展開に興味を持て!!ww。