表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/81

38:魔王の酷使とリリスからの贈り物



 いつもに増して、至って顔色良好ご機嫌宜しく姿を現したユリアンに、不機嫌そうな反応を見せるのは勿論レグルスだった。

 仕事もせずに悠然と時間を弄びながら、日本の生活を優雅に楽しんでいる彼が、ノコノコと暇潰しにレグルスを訪ねてくるのも気に障った。

 身軽に弾むように先を行く纏依(まとい)を先頭に、三階まで階段を上り切るとレグルスはクルリと踵を返し、後から上って来たユリアンを冷ややかに見下してから、平然と思いがけない言葉を言い捨てた。

挿絵(By みてみん)

「おい貴様。今から全速力で、この階段を二往復しろ」

「はぁ!? お前、突然何を言い出しているんだ? 気でも触れたか」

 ユリアンは一段上に立つ黒々とした大柄なレグルスへ、見上げる首を辛そうにしながら顔を顰める。そんな彼を無愛想な顔で一瞥を寄越してから、顔を背けると更に冷たい言葉を投げ掛ける。

「貴様と一緒と言うだけで、充分気も触れる。いいから早く言う通りにしろ」

 するとユリアンは、まるで相手をするだけ無駄とでも言わんばかりに、レグルスが立つ三階の通路まで上がり彼の横に並ぶと、呆れるように言い返した。

「分かってるだろう。俺が体力消耗したら、体内組織を壊している分吐血してしまう事を」

「だからやれと、言っている」

「狙いは何だ。俺の命か」

 二人の俄かに張り詰めた空気に、纏依だけキョトンとした顔で階段正面の通路の壁に背凭れして、その遣り取りを面白半分で伺っている。纏依曰く、最近はこの二人の中年の口論を聞くのが、楽しみの一つとなっていた。

「一層(それがし)の前で三リットル分の吐血でもして見せろ。清々する。何でもいいから早くしろ。でなくば、貴様が(それがし)に仕出かした過去の卑劣な手口――彼女にばらす」

 そう静かな重低音の効いた声で威圧したレグルスに、どこからともなく一陣の風が吹き抜けて、その肩まで伸びる漆黒の髪をフワリと揺らした。その闇色の双眸で冷ややかに見下されながら、そんな彼の静寂なる重圧に押し潰されそうな感覚を覚えて、ユリアンは自分より長身の彼を見上げ唖然とする。


 ――――――この悪魔!!


 ユリアンの心の叫びと共に、纏依まで驚愕の表情で自分の男の悪辣(あくらつ)ぶりに、咄嗟にレグルスを見遣る。ちなみにあやめはと言うと、学生の立場を(わきま)えて只今大学に行っている。

「案ずるな。万が一の時は、救急車くらいは呼んでやる。そら、走れ。この死に損ない」

 レグルスの人とも思えぬ非情なるユリアンへの扱いに、彼は屈辱そうに歯噛みしながらも嘆息を吐くと、一言吐き捨てた。

「呪ってやる」

「今更」

 たった一言のレグルスのその応酬は、更にも増して重かった。現に過去、身に覚えの無いユリアンの身勝手な考えで既に、しっかりと予知夢侵入なる呪いを掛けられているからこそ、今の捻くれまくった彼がいるのだから。

 ユリアンはこの生意気な後輩に逆らう事を諦めると、意を決したように顔を上げるやこの国立図書館の職員用階段で、一階から三階までの距離を一気に全速力で往復を始めた。そんなユリアンを見送りながら、纏依はボソリと呟いた。

「俺さぁ、いい年したおじさんが必死になって懸命に階段を往復しているところなんて、始めて見るよ」

(それがし)もだ」

 彼女の言葉にレグルスは、まるで他人事の様に同意を示した。

 

 やがてその四十六歳の体に鞭打って、仕上げの往復分を上がってくる頃にはヘロヘロになったユリアンは、全身で息を切らしながら上り切るやそのまま通路に倒れ込んだ。

「し、心臓が、破裂する……っっ!! ハァ! ハァ! ハァ!! うくっ! ゴホ! ゲホゴホ!! ゼェ! ゼェ! ハァ……フゥ、ハァ……」

「……」

 そんな全身汗グッショリで満身創痍のユリアンを、無言のままレグルスは冷ややかに見下している。そんなユリアンを見ると纏依は、内心密かに思った。

 私もこんだけ満身創痍になっているレグルスを、見てみたい……絶対色っぽいだろうなぁ~……

 いつしかそう思いながらレグルスに視線を流して見ると、バッチリと彼と目が合った。

「ゴホン」

 レグルスは顔を逸らして一つ咳払いをする。

 あ、聞こえてたんだ。見たい見たい見たい見たい……

 纏依はレグルスに向かって念を送る。ビシビシと矢の如く放ってくる彼女の念に、レグルスは内心困惑を覚えていた……。

「――はふぅ! で? 仰せのままにしたが? 次はどうすればいい?」

 ユリアンはヨロリと上半身を起こすと、片手を床に突き片膝を立てそこにもう片腕を置いた姿勢で、嫌味さながらに投げやるように訊ねる。

(しば)しゆるりと致せ」

 レグルスは一言ボソリと吐き捨てると、バサッと漆黒の重厚なロングコートを(ひるがえ)してツカツカと大股で、通路を足早に歩いて館長室へと立ち去って行った。

「? 言われなくても。全く。一体何を企んでいるんだか。貴女の彼氏は」

 ユリアンはそんな彼の背後を見送りながら、苦笑する。彼に訊ねられて纏依は、颯爽と答えた。

「多分レグの事だから、何か意味があるんだろう。後のお楽しみだな。お疲れ様! ユリッち。ミネラルウォーターを用意するよ」

「クク……! いい加減その呼び方は遠慮願いたいね」

 ユリアンは困った顔付きで言いながら、足をヨタつかせて立ち上がると先を歩き出す纏依の後に続いた。そして少し遅れて館長室に足を踏み入れるや突然、纏依の声と共にミネラルウォーターのペットボトルが放り投げられた。

「ほら! 受け取れユリッち!」

 ユリアンは慌てて両手を上げて、飛んできたペットボトルを受け取る。そして接客用ソファーに身を投げると、デスクに悠然と座って自分の様子を無言で観察しているレグルスを、不満げに睥睨しながらキャップを捻りユリアンは、一気に乾いた咽喉に水を流し込む。そのまま軽く一本、飲みきってしまった。

「外見の割には、まるで牛の様に豪快な飲みっぷりだな」

「この年になってあれだけの運動をこなせば、水の飲み方にも勢いが増すよ」

 驚いて見ている纏依にユリアンは笑って答えながら、次にレグルスへと視線を移して空になったペットボトルを、ぐしゃりと握り潰してみせる。そして目付きを鋭くすると、静かに口を開いた。

「さて。目的を説明してもらおうか。レグルス」

「……思いの他、元気だな貴様」

「何だと?」

 レグルスの悠然ながらも残念そうな口振りに、ユリアンは怪訝そうに眉宇を寄せる。

「もう少し大人しくしていると思ったが。やはり貴様、自分の彼女の若いエキスを取り込んで肉体回復でもしたか」

「なっ!!」

 途端顔を赤らめて、動揺を露にするユリアン。彼はレグルスより色が白いので、僅かな体温変化もでもすぐ外見に表れる。やはり冤罪で捕まり易そうなタイプだなと、纏依は苦笑した。

「そういう言い方をするものではない! レグルス。言葉を弁えろ」

「何を今更。四十六にもなって性交の話題如きで恥じる程、貴様の経験も浅くはなかろう。白々しい」

 “経験()”? 纏依がピクリと反応する。そのまま更に言葉を続けるレグルスを、白々と彼女は据わった目付きで睨む。

「そういう反応が逆に不気味で気色悪い。年相応らしく、もっと堂々と致せ。すっ(とぼ)け中年」

「お前も中年だろうが! 人を変態扱いにするな! そんな事よりはっきりしろ! 一体何が言いたいんだ!? 本題や真実を遠回しに言いたがるのは、お前の悪い癖だな」

(それがし)は論より証拠を重んずるだけ。よってこの時点で尚、理解出来ない貴様は己の阿呆さを証明しているに過ぎん。余計な説明はしたくはない。いい加減、自分の体の変化に気付け。耄碌(もうろく)男」

 低い声で淡々と毒吐かれてユリアンは、顔を顰めながら頭を捻った。

 纏依は折りたたみイスを持ち込みレグルスのデスクの脇に身を置いて、少しでも彼の傍らにいようとしている。故に、纏依もデスクに肘を突いて頬杖の姿勢で、先程のレグルスの口から零れた言葉の意味を心で探りながら、ジロジロと斜向かいにいる彼を眺めている。

「……」

 レグルスはそんな彼女の心の訴えに少々焦りを覚えながらも、何事もなかったかのように今日も館長としての仕事に励む。……ように心掛けようと、意識を書類に集中させようと努力している。そんな長らく続く二人の間のどこかしら気まずい沈黙の中、纏依がついに彼の心に探りを入れようとレグルスの肩へと、手を伸ばしてきたのに彼が体に力を入れたその時だった。

 突然ユリアンが上半身を直立させると、全身をパタパタと(まさぐ)り始めた。その動きに纏依の手の動きが止まり、キョトンとユリアンの奇妙な動きに意識が逸れる。

 それをチャンスにレグルスは内心安堵しながら、大量の資料に視線を通しては問題が無い用紙を纏依の手元に、次々と積み重ねていく。それに合意の判子を押していく役目を、ここに来ているついでに彼女にも手伝わせているのだが。そして問題のある用紙にはレグルスが、注意点を書き連ねるべくペンを用紙に走らせてゆき、これがまた下の職員室に戻っていく訳だ。


「ない」


 ユリアンの一言に、纏依だけが不思議そうに顔を顰める。そんな彼女を他所に更にユリアンは言葉を続ける。

「いつもの大容量運動後に襲う倦怠感や体内を襲う煩わしい痛みが無い。吐き気もなければ疲れも残っていない。今までならその日一日は寝込まなければならないくらいに、体力を消耗するのが……ない。凄く――爽快だ。まるでランナーズハイのような体を動かした後の爽快感に、溢れている。これは……破壊されているはずの体内組織が治癒されて、健康体に戻ったと言う事か!?」

 ユリアンは同意を求めるべく、レグルスの方に顔を向ける。

「ええ!? マジで? 凄い! 良かったじゃん!!」

 代わりに纏依が声を上げる。

「しかしなぜ……」

「あやめに何か、言われなかったか? 思い出してみろよ。その時にユリッちの能力を介して、予知実行されてるって事さ」

 纏依が満面の笑顔でユリアンに言い聞かせた。自分の後輩且つ友人の彼への愛情深さが伝わってきて、自分の事の様に嬉しいのだ。何せついこの前まで恋愛の有無を、理解していなかったのだから。

「あやめが私に、予知実行を……!?」

 ユリアンは驚愕の声を洩らす。ふと思い出す。昨夜の情事。自分の首筋の脈に手を当てて、小さく呟いた彼女の言葉。


 “私がユーリの苦しみを治してあげる……”


 ――あの時か! あの時私達の心が同調してあやめに予知能力が感染し、彼女の言葉がタイミング良く私の体に作用したのか!!

 ユリアンは思わず口に手を当てて、見開いた目を彷徨わせる。

「――救われたな」

 レグルスは顔を書類から上げる事無く、無愛想に言いやる。その後輩の言葉にはと顔を上げてから、彼女の名を呟いた。

「あやめ……」

 そしてユリアンは居ても立ってもいられなくなり、あやめに会う為館長室を飛び出して行ってしまった。その姿を見送りながら、纏依はクスッと笑って言った。

「今日も一日、めでたそうだ」

「フン。あの男にここに居つかれるのが煩わしかった。その為追い出す口実もその一つだ」

「……二人っきりになりたかったか? 俺と」

 纏依は言いながら、レグルスに甘えた視線を向ける。その視線を受け止めるとレグルスは、静かに答えた。

「十分以内で、その書類全てにスタンプを押し終えたらこの後の対応、考えんでもない」

 そう言われて纏依は、手元の書類に視線を落とす。そこには軽く見積もっても、十分以上は掛かりそうな用紙が積み重なっていた。

「ええ!? 大概なら俺、腱鞘炎(けんしょうえん)になるわ! 絵描きの手首を痛める気か!」

「やれやれ。戦力不足ですな。ならば午後に回してランチにでも行きますかな」

 レグルスは嘆息吐きながら、イスから立ち上がる。その言葉に煽られるかのようにして、纏依はムッとするや先程の疑問を思い出す。

「そういえばレグ。やっぱりレグも、その、若い頃は相応に……」

 言いながら彼を見ると、レグルスは眉宇を寄せて彼女の言葉を聞き構えていた。

「相応に? 女遊びをしたのかと、そう聞きたいのかね?」

「う、そ、そう、だけど、やっぱりもういい」

 最初は嫉妬の感情に囚われていたが、レグルスの冷静な対応に自分の反応はこの年齢の男に対しては、浅はかである事に気付いて口を(つぐ)む。

「無粋だな。仮にこの年まで童貞であった方が、望みだったかね」

「そ、そうじゃないけど! ま、まぁ確かにそれはそれで、気持ち悪いとは思うけどさ、でも、だって……」

「そういった微妙さが分かり得ぬところは、まだまだ子供ですな」

「その子供を抱いてるのはどいつだよ!!」

 すると突然グイと纏依はレグルスに引き寄せられ、耳元で囁かれた。

「このレグルス・スレイグだが? 異存あるか。纏依……」

「な、ない、です……」

 するとレグルスは纏依の首筋に、口唇を押し当ててきた。

「あ! ヤ……そんな事したら――」

 首筋に走る熱を感じて、纏依は思わずトロケそうになり、必死で彼の腕にしがみ付く。やがてゆっくりと口唇を離すとレグルスは、意地悪そうに囁いた。

「そなたに(それがし)からのスタンプだ。心の入った女は纏依。そなたが初めてである事を心しておくがいい」

 纏依の首筋には、レグルスから刻まれた紅色の印が色鮮やかに浮き出ていた。すっかりその行為に恍惚となった纏依が、熱を帯びた艶やかな声音で呟き返す。

「もう……。その気になっちゃうだろ……」

「そのような声を出してくれるな……。夜まで待たれよ……」

 二人は囁きあうと、昂ぶる感情を押さえ込むかのように熱い吐息を洩らしながら、深くキスを交わすのだった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ