34:魔女が唱える恋の呪文?
それから半月が経過した。
あやめは彼氏が出来てから、友人の纏依や保護者代理のユリアンとも、時々でしか会う事がなくなった。
木室との付き合いが忙しく、また少し束縛的なところもあって自由になれなくなっていたのもあった。
時々顔を合わせる纏依もユリアンも、相変わらずだったが、しかしなぜか日を負うごとに纏依のあやめを見る目が、恐ろしくなってきている気もしてきた。
あやめはその理由が分からなかったが、纏依だけはこの唯一の友の異変に気付いていた。
そんなある日の事。
「おい!! あやめ!」
大学のキャンパスで人の目も気にせず、ラブラブっぷりを披露している木室の腕の中にいるあやめへと、お構い無しに大声をかけてきたのは纏依だった。
しっかり赤と黒の色を組み合わせた、ゴシックパンクファッションを着こなして、周囲を威嚇するように全身に飾りつけたシルバーアクセサリーや鎖は、とても大学にいていい人間の姿とは程遠い。
纏依の毎日の服装にはきちんとテーマがあり、この日はハードロックを堪能する中世のヴァンパイアを、イメージしているらしい。
宝ジェンヌともビジュアル男装とも取れる、この一応時々この大学でレグルスの紹介により美術関連のゲスト講師を務めるようになった纏依は、その個性的な特徴から一部の学生から人気を集めるようになっていた。
なので彼女のこの一声は、周囲の学生達を男女問わず喜びはしゃがせた。
しかし今は講師としてではなく、プライベートとして来ているのもありそんな周囲をまるで気にせず、纏依はそこから微動だもせぬまま顎をしゃくった。
「ツラ貸せよ」
「ヅラですか?」
「ヅラじゃない!! ツラだ!! 顔を寄越せってんだ!!」
キョトンとして彼の腕の中から訊ねるあやめに、纏依は怒鳴り上げる。
纏依の滅多に見せない凄みに、若干あやめは気を引き締めながら彼の腕から離れると、緊張しながら歩み寄って来た。
「どうしたんですか? 突然」
「さぁどうしたんだろうな。てめぇで分かってねぇみてぇだから、こうして業を煮やして呼び出したまでだ」
「私が……?」
「授業はもうほとんど終わったろう。俺の部屋に来い」
纏依は静かに威圧気味に言うと、そのまま背を向けてあやめを促がす。
「え? 何? この人ん家に遊び行くの? お~! 面白そう! 行こうぜ行こうぜ!」
もれなく当然の様に付いて来た木室を、纏依は冷ややかに肩越しから睥睨すると、吐き捨てた。
「用があるのはあやめだけだ。貴様は来んでいい。分かったな。角野」
そんな纏依の冷静な言葉に、木室は目敏く突っ込んだ。
「角野卓造じゃねぇよ!! 木室だよ!!」
「フッフッフッフ……言った言った……クククク……」
纏依は両手を前の腰ポケットに突っ込んだ姿勢で、不気味に笑いながら背後からのそれに満足しつつ、あやめを連れ立ってその場を立ち去った。
「で? 何だ? もしかしたら今回の彼氏も、告られたからを理由に流れで付き合っている、何となく彼氏か?」
「え?」
ドアを開け放ちズッシリ重そうな厚底皮ブーツを脱ぎ捨てて、室内に入って行く纏依の言葉に、あやめは玄関で同じくこちらはミドルヒールのロングブーツを脱ぎながら、顔を上げる。
纏依は二メートルの廊下を抜けて、その先にあるリビングに辿り着くとついでに寄った、コンビニからの買い物袋をコタツの上に置いて、後に続いて入ってきたあやめを振り返る。
「楽しいか。お前」
「んー。フツー、ですかねぇ」
「より悪くねぇか?」
「そうですか?」
キョトリとしたままの、相変わらずなあやめの反応に纏依は呆れると、赤い十字架が背中全体に入った黒のロングコートを脱ぎ捨て、自分専用の座椅子にシルバーアクセサリーをジャラつかせながら座り込む。
「分かんねぇかな。なぁ。お前の恋愛理論って、何だ」
「――恋愛理論、ですか? う~ん。あまりじっくりとまでは、考えた事はないですけど……」
あやめも着ていた白の生地で襟首にファーが付いたロングコートを脱ぐと、軽く折りたたみながら来客用の座椅子に、ゆっくり腰を下ろす。
「そもそもお前にとって、恋って何だ」
纏依はそう切り出すと、買い物袋からゼロコーラを取り出してキャップを捻った。
……まさかそれこそ昨日今日処女を失くして、初彼がレグルス一人だけの纏依がこれから、可愛い後輩に恋愛論を御教授すると言うのだろうか。
あやめは目をパチクリさせながら、ひとまず頭を働かせて思いつく限りの自分の意見を、このまだ恋愛歴の浅い先輩に答えてみる。
「自分を好きになってくれた人と、一緒にいようと思う事?」
「ではそんな相手と一緒にいて、どんな気持ちになるのが、お前の自覚する恋なんだ?」
「えー、うーんと……。んー、私を好きになってくれてるんだから、その人の要求に応えたりとかぁ……彼女らしくしなくっちゃって言う気持ち、かなぁ? ムズくてよく分かんないよ先輩! 恋愛にそんな細かい理由が必要ですかぁ?」
あやめはすっかり行き詰まった頭を混乱させると、困惑顔を纏依に向ける。
すると纏依は、いくらか口にしたコーラのボトルにキャップをはめ直すと、ドン!! とコタツの上に叩き置いた。
「ったりめぇーだ! 必要に決まってんだろう! いいか? 男ならまだしも、俺達ゃ女だぞ? オ・ン・ナ!!」
「……私はともかく、そんなスタイルと気迫と声音と口調で言われても、説得力に欠けます。先輩は」
「この際そこはどうでもいい。話が逸れる」
纏依は口元を引き攣らせながら、一瞬脳裏に過ぎった苛立ちを振り払うと、どちらにともなくそう言い聞かせる。
「女だからこそ恋愛にある程度、慎重であるべきではないのか。自分の気持ちを一番に尊重すべきじゃないのかよ。相手への気持ちは、それからだろう? 恋愛はボランティアじゃねぇんだぞ。思い遣りで付き合うのは恋愛とは言わねぇからな? まず自分が、相手に対して好意があるのかだよ。今のお前に、それはあるのか」
「……」
ここであやめは、言葉を詰まらせて閉口する。
“厚意”と“好意”は発音は同じでも意味と漢字の通り、大きな違いだ。
「キスしてエッチするのが恋人同士じゃねぇんだぞ。最近そういう恋愛が多いらしいけどな。半年や三ヶ月、下手すりゃ半月で別離を繰り返して彼氏だか恋愛の数ばかり、増やしていく女。そんなの、俺に言わせりゃ恋愛にゃ入んねぇよ。ただの恋も知らずにフリだけしている、なんちゃって恋愛のごっこ遊びだ。よくTV番組の中でそんな女に限って偉そうに恋愛論語ってるが、聞いてると大概が愚痴を言ってるだけで、ちっとも何も学んじゃいない。ただその場の流れでキスとエッチをして、場数を踏んじゃあいるが、そもそも恋愛なんかしちゃいねぇんだよ。そういう奴は。“その場が楽しければそれでいい。目先さえ良ければそれでいい。大人ぶって経験し優越感に立てればそれでいい。暇潰しになるならそれでいい。横に並んでいればそれでいい”。最早、娯楽や競争かファッションの一部としてでしか、扱っちゃいない。今のお前は、そんな女達の一人に、俺は見える」
ここまで纏依は語ると、戸惑い視線を彷徨わせているあやめの顔を、真摯の表情を向けて見詰めた。
そんな纏依の視線に気付いて、ふと顔を上げたあやめは不安そうに見つめ返す。
「……先輩……」
すると纏依は手元にこたつの上に常備してある、メモ帳とボールペンを引き寄せてから、続きを話し出しながらある一文字を書いて見せた。
「中高生のガキじゃねぇんだから、もうそろそろいい加減、心で恋をしてみやがれ。心のねぇ恋は恋じゃねぇ。いいか。恋の字から心を抜くと“亦”になる。変な話になるが“亦を開けば皆同じ”という意味だ。この漢字、股を開いた人の姿に見えるだろう? 心で防いで、初めてそこで“恋の為だけに”という特別な存在になる。心ってさ、一番いろいろ感じるものだろう。今晩はあの男に会わずに、一人でじっくり考えるこったな。俺はうそ臭い笑顔のお前なんざ見たかねぇ。わざとらしい作り笑いを見せられても、胸くそ悪いだけだ。前みたいに、お前の本物の笑顔が俺は欲しい。また明るい笑顔のあやめを、俺に見せてくれ。弾けているお前が、俺は好きだったぜ」
纏依は言うと、ふと笑って見せた。
「――金八つぁん……」
「誰が金八だ! このバカチンがぁ!!」
咄嗟に出たあやめの第一声に、目敏くツッコミを入れて頭をハタく纏依。
「いやだって、途中に少し金八先生入ってたから」
あやめは言いながらも、纏依から受けた久し振りのツッコミに、嬉しそうに喜びはしゃいだ。
「そうそう。それそれ。あの男と付き合い始めてからお前は、その眩しい笑顔が消えてたんだよ。お前はやっぱり、その方がいい」
「先輩……!!」
あやめは目を潤ませると、纏依に飛び付いた。
「うわ! おい待て! いきなり来られると……!!」
そのまま纏依は、あやめを抱き止めたまま座椅子ごと後ろに引っ繰り返った。
それもそうだ。所詮男気はあっても女は女。
一人の女性をガッチリ受け止めきれる程、纏依の体は頑丈でもなければ力もありはしない。
「いててて……。見ろ。引っ繰り返っただろうが」
纏依は言いながら、背中の座椅子を懸命に退けながらくの字体制から逃れる。
そんな先輩の事などお構い無しにあやめは、そのまま纏依の上に身を委ねたまま呟いた。
「いいんです。しばらくこのままでいさせて下さい。グス……。有り難う御座います。先輩。凄く、凄く先輩の気持ちが嬉しくて、私……グス、ヒック」
いい訳ねぇんだけどな、など内心密かに思いつつも、纏依は自分の胸元に顔を埋めて泣いているであろう、あやめの頭を優しく撫でる。
そうして自分の上に覆い被さって、突っ伏しているあやめに溜息雑じりに言いやった。
「気が済むまで泣く間だけだからな。ったく……」
そして容赦なく全体重をかけているあやめの重さに、いい加減辛くなってきた時、あやめがボソリと呟いた。
「先輩……私より胸がないだけに、確認しなければホントに男の人に抱かれているみたいです。やっぱり先輩、ここは私の為に性転換でもして男に……」
「やかましい!! 少なくともBカップにギリ届いてるわ! ボケィ!! それに俺をそこまで変態にさせてでも付き合える、お前が恐ろしいわ!! 俺の体はお前には譲れん!! 性転換するくらいなら、まだ仮面ライダーに改造された方がマシだ!!」
――そんな訳がない。あんなバッタだか平成カブトムシだかに肉体改造する方がマシならば、一層人間をやめた方がもっといい。
「あぅ!!」
纏依から突き転がされて、惨めに放られるあやめであった。
すぐに終わる予定だった。
なのでその日、あやめは店長を先に帰すとさっさとパソコン作業を済ませて、およそ二十分後頃には帰宅に向けてこの画廊の、戸締りを任せられていた。
あやめは自分以外誰もいない纏依の画廊で、もうクロースの表札を出しライトも消してウィンドウのロールカーテンも下ろしきり、表から見る限り画廊の閉店を表示させていた。
そしてあやめは、欠伸をしながらホットカフェオレを作る。
何せあれから纏依と別れた夜あまり眠らずに、木室との関係に付いて思考を巡らせていたせいで、寝不足なのだ。
そして今日の昼間、木室に一言だけ残して大学を早めに切り上げてから、この画廊のバイトに入っていた。
「ねぇ。私達さ、少し距離置かない? もっとよく考えたいから、しばらく会うの、控えよう?」
「……何だそれ。別れてぇの? そんなまどろっこしい言い方しなくてさぁ、はっきり言やぁいいだろう!? ま、べっつにいいけど? じゃあな」
そう言い返してきた木室の言葉にはあからさまなトゲがあり、思い遣りの欠片もないあくまでも自分よがりな、薄情なものだった。
私の事を好きだったんじゃなかったの?
そう思わずにはいられないくらい、情けないほど素っ気無さを感じて、無性に惨めな気持ちになった。
その時、木室との初デートの時に感じた漠然としていた疑問が、はっきりしたような気がした。
違う。こんなんじゃない。纏依先輩の言う通りだ。こんなのを求めていたんじゃない。
虚しい。侘しい。情けなくて、凄く、惨めな女だ私――――!!
恋って何だろう。愛って何だろう。分かんない。分かんないよ私……!!
寒い時には黙って先に気付いて気遣ってくれて、話だって飽きさせないようにその場に合う話で盛り上げてくれて、自分が感動したものに同意を示してくれて……。
私はそんな人が、いい。でもそれは、我が侭なのかも知れない。高望みだと、言われそうで怖い。こんな希望を抱く私こそ、自分よがりなのかも知れない……。
あやめは心が締め付けられそうな気持ちに苛まれ、しばらく瞑目しながら片手で顔を覆うと、大きな溜息と共に何気なく背凭れていた背後のデスクに、そのまま顔から下ろした手を付いた。
――と、その付いた手の下がパソコンのキーボードの感覚を覚えて、ふと後ろを振り返る。
するとそれまで自動で作業を行っていたパソコンの動きが停止し、奇妙な警告音と共に再起動らしき動きを繰り返し始めた。
「え? え!? え!!? 何!? 何何!! 何よちょっと!! うっそ!! どうしよう!! 超ヤバイ!!!」
あやめは我に返るやパニックに陥り、慌てた拍子に足にホットカフェオレを零す。
「アッツーーーーーーー!!!」
悲鳴と共に咄嗟に放り投げてしまったカップは、派手な音を立てて床に割れる。
「あひゃあぁあぁぁーーーー!!!!」
あやめはそれを見て、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
頭上ではパシン、プツンと警告音を立てながら、パソコンの電源が入切を繰り返す音が響いている。
すっかりテンパったあやめは、ただ無意味にその場で喚くしかなかった。
「あー、あー、どうしようどうしよう!! えーと、えーと、んー、んー! ぅわぁーーーん!! 一体どうすればいいのぉぉーーーー!!!」
恋から心を抜くと亦になる。それを守る為に心で防ぐ。……なんて事は、決して武○鉄也大先生は言っておられません(多分ww)。
私個人の考えた、勝手な理屈です(苦笑)。フ…、無理矢理過ぎたか?ww。