33:新たな若き恋を遠くから見守る者
「あのさ、もし良かったら俺と、付き合わない?」
「え?」
突然そう声を掛けられて、その娘は目をパチクリさせた。
「ずっと前から気になっててさ。可愛いなって」
「……ありがとう」
「んで? 彼氏をわざわざこの俺に紹介する為に、ここまで?」
ここは国立図書館の裏にある庭園。
そこの片隅に、簡易軽食と商品を販売している、小さな茶屋がある。
その店の敷地内にある外へ、パラソル代わりの大きな和傘の下に設置された、赤い布を貼られている長椅子。
そのど真ん中を図々しく占拠している小柄な美男子が一人、抹茶を片手に目の前へ佇む娘に向かってそう言うと、残り一口分の大福を口の中に放り込んだ。
するとその娘は別の男を傍らに、満面の笑顔で答える。
「はい! 彼からいきなり告られちゃって! とりあえず付き合ってもいいかなって」
「とりあえず……」
彼女の言葉に、茶を啜っていたその小柄な美青年は眉宇を顰める。
「どうも。キムタクです!」
娘の傍らに立つ男は、さも当然の様に言うと二カッと笑った。
「――何だと?」
「キムタクっすよ。知らない? あの○MAPのキムタク」
その軽い口調の男に、小柄な美男……もとい、今日もばっちりメンズファッションを格好良く着こなし、キメている男装の麗人がそのハスキーボイスを更に深めて、怪訝な顔で自分の後輩に尋ねた。
「おい、あやめ。こいつマジで言ってるのか?」
「はい。確かに、キムタクですから」
その娘、星野あやめは至って真顔で、不思議そうに答える。
「ふざけるのも大概にしろ。どこがだ? どの辺りがそれだ? ん? それとも、そう思いたい病か何かか? こりゃあ寧ろどっちかってぇと、フツーにそこらに転がってるチャラ男だろうが」
在里 纏依はその通称“キムタク”の軽々しい態度に、気分を害しながら残りの茶を呷る。
するとサービス精神旺盛なのかふざけているのか、キムタクは軽く腰を落とし突き出した両手の、指先を下に向け背中も仰け反らせた姿勢で言って見せた。
「チョリーッス! みたいな?」
「おい。こいつYO-MENのポーズでチョリってるぞ。そこから既に間違ってる辺り、微妙な“逝け面”だろう」
皮肉る纏依の言葉に、あやめは噴き出すとその彼氏の肩を叩いてツッコミを入れる。
「ちょっとヤダ、卓造ったらぁ~!」
その言葉にピクリと反応した纏依は、目敏く男に詰問した。
「あ? 何だと? おい。フルネームを言え」
「ん? ああ、俺の名前は木室 卓造。略してキムタ……」
「いや待て!! もういい。それ以上言うな。充分だ。プクッ! ……ス、スマン。後は二人で仲良くしてくれ。俺はちょっと、催して……ウククッ!! ――失礼!!」
纏依はダンッ!! と空になった湯飲みを長椅子に叩き置きながら顔を伏せると、腹を押さえて小刻みに体を震わせてから、声を上擦らせる。
そしてそう二人に言い残すや否や、その場からダッシュをかましてミサイルの如く勢いで、三階の館長室まで駆け上がり、飛び込んだ。
纏依の突然の転がり込む形での入室のしかたに、デスクで膨大な量の館内の本についての、詳細がチェックされた資料へ目を通していたレグルスは、そんな彼女を睥睨する。
「何事だ。騒々しい」
「おや。あやめに彼氏を見て欲しいからと、下で会っていたのではなかったのかい?」
同じくユリアンも接客用ソファーでコーヒーカップを片手に、ニッコリと微笑みながら纏依に声を掛ける。
しかし、顔を上げた纏依の目は涙で潤んでいる。
思わずギョッとするレグルスだったが、よくよく見てみると顔まで笑いを押し殺した表情に、引き攣っていた。
そしてまるで風船の空気が一気に噴出する勢いで、大きく息を吐き出すと共に大爆笑しながら、膝を折って床に崩れ落ちた。
呆気に取られる二人の中年イギリス人。
そんな二人をお構い無しに纏依は、まるでテンカウントを取るレフリー宜しく、床に張り付く形でしきりに床を叩き回しては、腹を抱えて笑い声を上げている。
「木室 卓造、略してキムタクって、どんだけ名前を美化してんだよあのヤロー!! アハハハ!! “角○卓造じゃねぇ~よ!? 木室だよ!”みてぇな!? どんだけピンポイントでズレてんだよ!! アヒャヒャヒャ!! 木○拓哉じゃなければ角○卓造でもない、その中間なんてよぉぉおぉ~!! あり得ねぇ!! ギャーッハッハッハッハ!! せめて普通に自己紹介してくれてりゃあ、こんなにウケやしなかったのに!! あー! もうダメ!! 完璧ツボ入った!! ハーーッハッハッハッハ!!!」
もう笑い過ぎて思わず涙が零れ出した纏依は、ユリアンの目を避ける為にレグルスのいるデスクへと這って行くと、彼の足にしがみ付いて笑い泣きし始めた。
レグルスは嘆息吐いて呆れると、ユリアンを据わった目付きで見遣る。
「そ、そこの窓から見えるから! いや、顔はまぁチャラくても悪くねぇんだけど、紹介の仕方がマズかった!! どう考えてもウケ狙いだろう!! アハハ! アハアハ! くぅぅっ、おっかしーー!!」
「貴様、あの娘の保護者第二だろう。早く行って来い」
レグルスは煩わしそうな顔で、ユリアンに八つ当たりをする。
ユリアンは溜息と共に肩をヒョイと竦めると、窓から一度確認してから館長室を出て行った。
「フゥエェ~ン! 可笑しい! 面白すぎるよぉぉ~! アハハハ、シクシク。ヒィ~ン。あんなバカで果たしていいのかあやめぇぇ~! クハハハ!! シクシク」
もう大粒の涙を流しながら、笑い泣きしてしがみ付いて来る纏依の頭をポンポンと軽いながらも、少し強めに叩きながら抱き締めつつ、レグルスは顔を片手で覆った。
こうして軽く今日一日中、思い出してはヒクヒク笑っている、纏依だった。
「やぁ、あやめ」
「ウェルズさん!」
長椅子に彼氏と座ってみたらし団子を食べていたあやめは、彼の登場に嬉しそうな笑顔を見せる。
「え? 外人!? 何? 知り合い!?」
彼氏は自分よりずっと長身で、中年だがハンサムなこの映画俳優のような彼に、仰天して動揺する。
小心者の日本人の特徴でもあり、欠点でもある。
英語を苦手とし且つ相手の方が際立っている場合、ほとんどの邦人はなぜか劣等感から羞恥心を覚え、尻込みしてしまうそうだ。
そんな彼氏にあやめは、平然と言ってのける。
「うん! 私のお父さん!」
「お父さん!? ハーフ!?」
余計混乱して挙動不審になる、怪しい彼氏にユリアンは愉快そうに笑いながら、言った。
「クスクス……。まぁいろいろあってね。彼女とは親子の付き合いをさせてもらっている。君があやめの彼氏かい? 彼女の事、くれぐれも宜しく頼むよ」
そしてユリアンは、その彼に握手を求めて手を差し出す。
「あ、ど、どうも、こちらこそ」
彼氏はぎこちなく、ユリアンと握手を交わす。
「良かったな。あやめ。存分に青春をエンジョイしなさい」
ユリアンは優しく微笑んで、今度はあやめの頭を撫でると、静かにその場を去って行った。
「カッコイーな。やっぱ外人って。俺思わずキンチョーしちまったよ」
そう言う彼氏の言葉に首肯しながら、あやめは妙に心に引っ掛かるものを感じたが、一体それが何なのかまでは分からないままだった。
「さてと! じゃあドライブ行こうぜ! あやめ!」
「うん!!」
彼氏の木室に促がされ、すぐに気持ちを切り替えるとあやめは、彼と仲良く腕を組んで図書館を後にした。
ドライブ中、この新しい男は流している音楽をご機嫌そうに歌ったり、自分の事ばかりをアレコレと主に話し続けた。
あやめもそれに対して、最初は楽しそうに受け答えをしていたが、次第にワンパターンで一方的な話術のなさに、いい加減飽きてきた頃だった。
眺めの良い目の前いっぱいに広がる海のパノラマの、山の中腹にある展望台に木室の車は止まった。
背伸びがてらに、車から降りるあやめ。
空は丁度夕焼けで、海と空の広大な美しいコントラストを演出していた。
「ぅわぁ~! 凄いキレーィ!!」
その景色を目の前にして、表情を輝かせてはしゃぐあやめに対して、木室は口を開いたと思ったら海ネタなのをいい事に、またもや自分のサーフィン経験について話し始めた。
今現在サーフィンを一緒にしているとか、同じサーフィンの趣味を持ってるとかじゃない限り、突然無関心の話をペラペラ話し倒されても、女としてはただただ相槌を打つ事しか出来ず、話にまるで付いていけないものだ。
あやめとしては今はこの景色を楽しみ、そこから繋がる話から入って盛り上がりたかったが、この男は一方的に更に逸れた無関係な話を、どんどん打ち込んできてとにかく自分のPRに大忙しだ。
初日からグイグイ自分を、売り込んでくるのも面倒臭い。
この男はそういうタイプだった。
目前のロマンチックな景色は二の次で、自分に関する話を見つける切っ掛けでしかないらしい。
これでは一体、何しにここに来ているのか分からない。
あやめは心のどこかで、はっきりとしない漠然とした疑問が、更に増大した気になる。
かれこれ二十分を過ぎようかという時、そろそろ寒くなってきたあやめは、思わずクシャミをしてしまった。
「寒い?」
木室はここに来て、ようやく気遣いを見せた。
あやめが微笑を浮かべて静かに頷く。
「ん。ちょっとね」
すると木室は、静かにあやめの肩を抱き寄せた。
その彼の取った行動に、更に増大する不確かな疑問。
何かが違う。あやめは思いながら、ふと顔を上げる。
その時。木室の顔が近付いてきた。
ああ、ほら。やっぱりね。あやめは密かに思った。
このパターンに繋がると、思った。分かり易い、単純な男……。
そう思いながらもあやめは、今まで付き合ってきた男にそうしてきたように、木室のキスを静かに受け取った。
しかし、いつもそうだが、その心境にあるのはときめきや喜びと言ったものではない。
無心に近い、冷静な感情。どこか空っ風の吹きぬける、ポッカリと穴の空いた心。
いつもいつも、感じざるを得ない満たされるどころか、どんどん流れ落ち行く無味無臭の透明で視えない何か。
ただ流れに合わせてキスをする。
なぜなら今、私はこの人の彼女だから。
恋人同士なら、キスをするのは自然な事。
恋人同士なら――――……。
あやめは木室とキスを交わしながら、なぜか寂然とした陰鬱なる感情が、潜在意識の中で渦巻いていた。